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2018年3月

2018年3月30日 (金)

新発田

休暇を取って月岡温泉、春の新発田に行った。

仕事を少し早めに切り上げて月岡温泉の「ホテル華鳳」へ。

昨年のコンペで思いもかけず当たったご招待券での宿泊、人気の宿でなかなか予約が取れないので平日に行ったわけだが、それでも結構な数の宿泊客だった。

月岡温泉を代表する大型旅館、豪華なインテリア、風呂も湯もなかなか良い。

通された部屋は広く、これならお一人様2万円は下らないだろう。ご馳走様です。

ゆっくり湯につかり、アカスリでも楽しもうと思ったが、すでに予約で10時過ぎまでびっしりとのこと。これは残念、その分ゆっくりサウナで汗を流した。

19時からの夕食は料亭スタイルの個室。まあまあのお膳、最後に炊き上げた、おこげの付いた新潟のコシヒカリのご飯が秀逸だった。

部屋に戻り、部屋飲み用に買って来た酒を飲んでくつろぐ。

最近は旅館でも、持ち込みを前提にした空の冷蔵庫を設置してくれているところが増えた。

昔ながらの飲み物入りの冷蔵庫もあるが、やっぱり持ち込みたくもなる。だって500mlのビールの中瓶が750円・・・・すみません。

早寝し、朝6時までゆっくり寝た。

快晴、朝日がまぶしい。朝日をたっぷりと浴びて朝風呂を楽しみ、8時前に朝食のバイキング、和・洋・中からへぎそばまで、食べ切れないほど料理が豊富だ。

考えようによっては夕食よりも豪華とも言える。お酒まである、が当然飲まない。

部屋に戻り朝ドラを観て、二度寝してしまったら変なタイミングで目覚め、なんだか身体が猛烈にだるくなってしまった。

9時半に新発田市に向かって出発。

通った事はあるが街中をゆっくり走ったのは初めてだ。

駅前からアーケードの通りが何本か伸びている。雪が深いのだろう、アーケードなしの商店街は考えられなかったに違いない。

そのアーケードの下の商店街は見事なシャッター通りになっていた。開いている店は全体の約二割ほどだろうか、シャッターが続く。

こういうのを見ると会津の神明通りはまだまだ良い方だ、と思ってしまう。

新発田城址を歩き、蕗谷虹児記念館を観て、イオンモールへ行ってみた。

出来れば贈り物を買いたいと思って来たのだが、ちょっとピンと来ず・・・。

サロンスペースに置かれていた最新のマッサージ機・10分200円にかかったらようやく体が少しシャンとした。

新潟の伊勢丹まで行ってみることにする。およそ1時間。

春休みのせいか、平日なのに駐車場は一杯だ。

赤ちゃんの出産祝いと還暦の祝い、両極端なお祝いの品だが、どちらも満足できるものが見つかった。きっと喜んでくれるだろう。

遅めの昼食をへぎそばで取り、15時過ぎには会津へ。

ちょっとした春の小旅行を楽しんだ一日なのであった。

惜別の桜

送別会の行われる季節だ。来月は歓迎会。

少し大きな送別会があった。栄養科のMさん、当院の栄養科をけん引してきた名物栄養士と言っていい。

そのMさんが早期退職する事になった。ちょっと驚いた。

学会、会議でも名前の知れた存在で、ゆくゆくは全国区の働きをしていくのだろうなぁ…と疑っていなかったからだ。

人は思うところあって身の振り方を決める。それは、、、その本質はなかなか周りの人間に分かるものではない。簡単に告げられるものでもない。

会では病院のトップがMさんの功績に最大限の賛辞を贈り、ひと休みしたらまた働けばいい、と惜しんだ。

乾杯の音頭を任された私は「こんなにもトップにも、また多くの人にも惜しまれるならば、いっそのこと送別会をやめて歓迎会にしても良いくらいだ」と言って惜別の辞を述べた。

Mさんの栄養士としての力をどのような形であれこれからも社会に役立てて欲しいこと。健康と幸せを祈ること。そして、Mさんの歩む先の道と我々の道が、もう一度クロスすれば嬉しいと多くの人が願っていること、を伝え『乾杯!』をした。

会は和やかな内に進み、栄養科のスタッフが一生懸命に練習したであろう、とても力の入った余興も披露され、会場は笑いに包まれた。

Mさんが科内でどれだけ頼りにされ、慕われてきたかのあかしとも言えるだろう。

その後、ビデオの上映。

様々な人が思いを述べMさんを送る。構成といい、音楽といい、本当に素人だけでこんなに上手にできるのか?と思うような力作。会場は泣き笑いになった。

花束や贈り物の贈呈は、いつまで続くの?と思うくらい続いた。

そしてMさんの最後のあいさつ、感謝を述べ、後輩たちに贈る言葉を述べた時にはもう涙もなく、凛としてどこか吹っ切れたような笑顔さえ浮かんでいた。

そして最後にMさんから「院歌」を歌います!との声で会場は大きく湧き、全員が立ちあがり大合唱となった。

二十歳の頃から歌い続けた院歌に送り、送られるMさん、彼女の気持ちのどこかに穴をあけてしまったもの・・・それが一体何だったのか?

誰を責めるでもなく、一人「感謝」の言葉で去っていくMさん、こういう引き方もあるんだなぁ、と心境は複雑だった。

あれほど冬が寒かったのに会津若松税務署前の桜(例年一番早い)が開いたと聞いてびっくりしたその日の出来事だ。

Mさんにもいち早く優しい春が来てくれることを願うばかりだ。

2018年3月27日 (火)

86

会津はすっかり春になった。

薄手のコートで充分、いや昼はコートどころか上着もいらないくらいだ。この時期、季節は一気に進む。

今年も研修医の卒業の季節がやって来た。初期臨床研修医として当院での2年間の研修を終える。

ここから先は自分の進むべき道を定め(何科の医師になるか)後期研修に入って行く。

先日、10名が全員そろって卒業式を行った。(1名深夜明けで寝坊)

この期の研修医はチームワーク良く、とても仲が良かったように思う。

マラソン好きな上級医、H院長にも誘われ走り始めたドクターが多かった。数名が二年前とは打って変わったスマートな体型に変身した。

石垣島でのマラソン参加時に、倒れたランナーを救命してテレビでも話題になり、石垣市長さんから感謝状を頂いたのも彼らだ。

おめでとう!進路はそれぞれに分かれるけれども良医を目指して精進し、いつの日かまた会津に戻ってきて欲しいと願っている。

2名が当院に引き続き残る事になっている。

今年の卒業パーティは「ビーンズ」で行われた。例年よりも参加者が多いため立食でのパーティとなった。

和やかで、時にジーンと来る良いパーティだった。

当院を卒業した研修医師には大きな名入りの起き上がり小法師が記念に贈られる。その数も、もう86になる。

全国各地で会津の起き上がり小法師をもった医師が86名も日々活躍しているのかと思うと嬉しくなる。

初期の連中はもういいオッサン、オバサンになっているだろうなぁ・・・・。

さすがに夜ともなれば少しひんやり、薄手のコートの背中がスーッとする。

すぐ近くのオーパスでワインを少し飲んで、二次会に少しだけ顔を出した。

大盛り上がりのバーBOKU(だったかな?)

この二年間、まさに手取り足とり教え学び、飲んで遊んだ医師同士の絆の強さは、残念ながら私にはわからない。なんでも朝の四時まで盛り上がっていたらしい。

私はハイボールを一杯だけ飲んでお先に失礼した。

晴れ渡った春の夜空、西の空にはこれから満月に向かって膨らんでいく春の月がぽっかりと浮かんでいた。

2018年3月22日 (木)

雪舞う中に、春。

会津はまた寒くなって彼岸獅子も雪の舞う中になった。

先週末から朝歩きに出てみた。始めは飯盛山の中腹で引き返し、かるく歩いて足慣らし。

まだ庭での素振りも出来ない。

次には、おニューのビモロのシューズで歩いてみた。あのイチローが使っているシューズで有名になった。イチローみたいな少しハイカットのバスケットシューズみたいのを買おうとしたが品切れだった。

真っ白なウォーキングシューズにして、靴紐は少し色つきのを買ってきて付けた。

まさに足に超ぴったり。履く時がちょっと大変なぐらいだ。実に歩き易い。

それで歩いていつものコース、飯盛山のさざえ堂側の参道には雪がまだ残っているが歩くところは乾いている。上の広場まで上がり、お参り。

ロングブレスをして、階段の途中で腕立てして、その日はいつもの7割で切り上げた。

で、お彼岸の昨日。

飯盛山の下で犬を連れたおじさんに呼び止められた。

「今年は彼岸獅子どうされますか?」「ああ、彼岸獅子の方ですか。今年もよろしく。午後2時か3時ごろでしょうでしょう?」「そこまでにならないと思いますけど・・・」「そうですか。お願いします」

と言って別れた。彼岸獅子の世話役の人なのだろう。

で、朝歩き。今日は従来のメニューを全部こなした。

ここ4,5日で庭の雪も半分ぐらいになり素振りのスペースも出来た。スクワット30本もやったが、慣らし運転をしたのでヘトヘトにはならずに済んだ。

今年は、体力維持のためになんとか週4回は頑張りたいと思っている。朝45分間のトレーニングだ。

で、彼岸獅子。

待っているとなかなか来ないものだ。2時にならないといわれたので、少し早めに食事に出た。本当に久しぶりに「いさみ」のワンタン麺、美味しかった。

2時過ぎても全然来ない。「ピンポーン!」とチャイムが鳴ったのは3時を回っていた。例年こんなもんだ。

外は寒くて雪も舞っている。

今年は孫もいなく家人と二人、仏間にお灯明を灯し、玄関を開けた。

父もその兄弟たちも彼岸獅子が大好きだった。父が亡くなり新しい仏壇を我が家に移した時に、仏間の脇のガレージで舞ってもらったのがそもそもだ。

それ以来、15年以上になるかな。今は玄関前で舞ってもらっている。町内の人も見に集まって来る。

今年は弓くぐりをやってくれた。

孫のために家人のスマフォで撮影、5分ぐらいの映像だ。

太鼓の皮に雪が当たるといけないので玄関の屋根の下で叩いたので、すごく良く音が響いた。

「家内安全・商売繁盛」のお札をいただいて御仏壇へ「チーン!」これで我が家にも本格的な春が来た事になる。

2018年3月19日 (月)

膨張して、しぼむ春

早いもので義母が亡くなって丸二年、三回忌の法要が行われた。

私の叔父も同時期、同じ棟に入院していて逝ったので命日が近い。そちらの法事は週を空けて来週に行われる。

偶然、直会も同じ料亭だそうだ。

今年の冬は雪が深く、法事の頃では雪でお墓まで行けないのではないか?との心配もあったが、このところの温かさで雪はきれいさっぱりなくなっていた。

でも風が冷たい。

今週は週中に向けて、また冬が戻って来るという。21日の会津の予報には雪だるまのマークさえ付いている。

お彼岸や桜の季節に旅発つと、毎年その季節になると思い出す。

私の母も満開の桜の中、煙になって登って行った。

桜と青空を見ると自動的に母を思いい出す。それはそれで良い季節といえるのかもしれない。

閑話休題。

間もなく球春も近いが、今年から採用されるルールで敬遠の宣言があるらしい。この人を敬遠しますと言えば、わざわざ四球を投げなくても塁に進めるという。

近頃のまどろっこしい国会答弁を聞いていると、こんなのこそ審議不要宣言に出来ないのかと思ってしまう。

公文書書き換えなんてあまりにもひどすぎる事が起こったのだから、特別に審議なしでも政権交代、ここを突かれちゃ終わりです!宣言すればOKでもいいんじゃないの?と思うくらいだ。

時間の無駄遣いとまでは言わないが、いずれにしても問題が大きすぎて到底持たないに決まっている。

それにしても天下の大新聞をつかまえて「時々当たった事が書いてある」って、すごいケンカを売る言葉だよなぁ・・・とある意味感心する。

新聞が、時々当たる八卦見見たいに言われたのでは腹の虫がおさまらないだろう。ほとんどがでたらめだと言っているわけだから。

財務大臣対朝日新聞、壮絶なバトルが繰り広げられる事必至、倒れるまで殴り合えばいい!

いずれにしても本質は「奢り」だ。

「奢り」が権力を増長させ、わけのわからない強大な力を持たせてしまう。「奢り」にすり寄る輩が、磁石に吸い寄せられるようにどんどん集まり権力は肥大化していく。

「奢り」は権力を膨張させて、忖度の嵐を吹かせる。

何の指示もしないけれどなんでも通ってしまうという、不思議なパワーを生む。

しかし、所詮は膨張なのだ。どこかで限界を迎え、どこかで反勢力の攻撃に風穴を空けられてしぼまざるを得ない。

「奢る平家は久しからずや・・・」何百年も前から「奢り」は膨張としぼみを繰り返す。

中国やロシアにも独裁者が生まれつつある時に、こんな混乱が良いはずはないけれど、一旦しぼみ始めれば、ちょっとやそっとで止まる事は無いにちがいない。

2018年3月14日 (水)

まあまあ

「会津に会いたい」まさひろさんの駄文ブログ、今回で1500回目の投稿になる。

なかなか大した数ではあるが、特別、感動や感激は湧かない。

第一回目は2010年1月28日「会津は傾いている」という一文だった。

単純に会津若松市は東側から西側に向かって傾斜していて、私の住む飯盛山から七日町方面に向かうのは下りで楽だが、逆に向かう登りはきつい。レンタサイクルなら飯盛山で借りて、御薬園、飯盛山、七日町と下りながら観光すれば楽チンだ。といった内容だ。

会津の政治・経済が傾いているという社会的内容ではない。

当時は確か、会津に住んでいる人にしか分からない様な魅力的な雑ネタを綴り、それが会津観光の一助にでもなればいいかな?と思ったりして始めたのを覚えている。

その割には写真の一枚も載せないというのだから、狙いとはちょっとズレていると言われても仕方ないところもあった。

当時はまだガラケーだったし、一度、写真を載せると、毎回写真を撮る事に気も、時間も使わなければならない。そこまでの暇はない!と思い文章だけにした。

なぜそこまで時間がとられると思ったのかというと、なぜか初めの一年は必ず毎日書いてみようと思ったからだ。

たとえ一行でもいいから必ず書く、そこに写真まで付けるのは到底無理だと思った。

なぜ毎日、と自分に課したかと言えば、出来るかどうか分からないけれども、文章力の筋トレみたいなもので少しは自分を鍛えようと思ったのだろう・・・・。

始めの一年はとにかく毎日、何らかの文を書いた。

旅先からでも、出張先からでもホテルのPCを使ったり携帯であったり、一行二行でもいいから続けた。

続けたが会津の魅力的な雑ネタ話はすぐに尽きて、遠い日の思い出話しやレトロな会津の情景みたいなもの、また、単に日々のつぶやき(日記)を書くようになって行った。

一年間、365編はなんとか守れた。(エライ!)

それを過ぎると、後は適当に気の向いた時に書くようになったが、少ないながらも読んでくれている人が出来たので、あまりご無沙汰するわけにもいかない気持ちにもなった。

初めの一年分を引いて、単純に割算してみると、月に12,3本という事になる。わりと真面目にトレーニングは続いたわけだが、文章力の筋力はあまり付かなかったように思う。

それも年々、減速しているので今は月に7,8本というところかなぁ。筋力の衰えさえ見える今日この頃・・・・。

書く事の内容に大きな変化が起こったのはやはり3・11以降だろう。

それまでは病院や仕事については書かなかったが、ブログを通しての現状報告や御礼やお見舞い、それなりのメッセージも伝えるようになっていった。

昂奮して『私達は元気です!会津は元気です!』と書いたあの日を忘れない。

あれ以降は自分の身の回りに起こった事柄が中心になっていき、旅のレポートや政治や世相への(?)、なども偉そうに書くようになり、現在に至っている。

東日本大震災、身近な大切な人々とのお別れ、娘の結婚、息子の帰郷、家人の退職、孫の誕生など様々な事があった8年と2ヵ月。

その間、書く事で吐き出し、書く事で慰め、鎮めた、様々な思いがあった。

もしかしたらこのブログがあったから、今こうしていられるのかも分からない…そんな風にも考える。

また一方で、それほど大層なものでもないだろう!と思う気持ちもある。

書いている内に一体どこが「会津に会いたい」なのか分からなくなってきた感もあるが、今さらタイトルは変えられないだろう。

今、たった一つだけ守っている事は、どの回を開いてみても必ず「会津」の文字が一回は書いてあるという事だけです。

1500回・・・・、まあまあですね。

もし今後、今のペース(月7~8回)で行くと2000回の頃には70歳を越えてしまう事になる。

それもなんだか、考えただけでおそろしい・・・・。

2018年3月13日 (火)

7年目の日曜日

会津は驚くほどのスピードで雪解けが進んでいる。

朝晩はまだ冷えるが、日中はもう、街角からいつ彼岸獅子が顔を出してもおかしくない様な春の日差しに包まれている。

先日、あるゴルフ同好会の総会に磐梯カントリークラブの支配人が顔を出し状況報告をしたそうだ。

今年は例年になく雪が多いばかりでなく、冷え込みがきつかった為にクラブハウス前の雪も下層が分厚い氷になってしまっている。

従ってオープンもかなり遅れそう、開幕のコンペも一週間遅らせます。とあいさつしていったという。

しかし、自然の力は測ろうと思っても測りきれない。こんな陽気が続けば、存外、早いかもしれない。

7年目の3・11は日曜日。

思えば震災カップルとも言える娘夫婦にも、早や7年の歳月が流れた事になる。

初めて丸の内で彼氏を紹介され、椿山荘で結納をし、パレスホテルで結婚式を挙げた。

やがて初孫を授かり、名古屋へ転勤、そしてこの夏には二人目の孫が生まれる。

この7年は、彼らにとっては激動の7年間だと言えるだろう。

我々にとっても激動とまでは言わないが、いろいろあった7年だったが、その多くが幸せな思い出につながっている事を思えば、「感謝」の言葉しかない。

そして、まだあの3・11から動けずにいる人々に思いを寄せる事を決して忘れてはならないと思う。

「あっ!黙とうするのを忘れた!」と、Tくんが大きな声を出した。

同級生で久しぶりに出掛けたゴルフの帰り、車に乗り込んだその時だった。

「まだ、2時50分だから大丈夫、大体その時間だ」とKくんが後ろの席で言った。

で、そのまま車の中で黙とうをさせてもらった。(なんだか気持がこもっていないようですみません)・・・と、思いつつ。

おそらく二度と味わう事のない大災害、そして原発事故。

あの時は、確実に自分たちもこの街を離れなければならなくなるだろうと、覚悟したものだ。

あんな思いを味わってさえ、心の痛みが薄まって行くのは決して歳のせいばかりではない。

人間は時に癒され、忘れられるからやり直す事が出来る。気持ちを変える事が出来る。

・・・・なんて言えるのは、大災害の外側の皮の部分しか味わってはいないからだ!と言われてしまえば言葉もない。

それぞれの3・11、一人でも多くの人が前を向けますようにと祈るばかり・・・。

夕方、家に帰り、改めて仏壇に線香を上げて手を合わせた。

7年前よりも家内安全を祈る頭数が増えた。それだけでもまたありがたい事である。

日曜日の夕餉は家人と二人、実に静かだ。

あんなにあった庭の雪も小さくなって、まるでうずくまって息をひそめている白クマみたいだ。

2018年3月11日 (日)

せせら笑い

「こんなに大騒ぎして・・・・そもそもは昭恵さんと安倍さんのためにやったんでしょう?こういうの見て昭恵さんってどう思うんだろうね?」と、TVのニュースを見て家人がもっともな感想を述べた。

公文書の書き換えが何のためだったのか?誰のためだったのか?を突きつめれば答えはおのずと明らかだ。

まさかあの籠池さんのために、近畿財務局が総力を挙げてやったわけではないだろう。

せせら笑う=あざけり、冷笑する(旺文社国語辞典)、冷ら笑う、嘲ら笑う、と書くのだそうだ。

安倍総理の「せせら笑い」は先週、個人的に印象的なニュースワードだった。

まさにバカにした笑い。絶大な権力と奢りを背景にして生まれる冷笑、総理大臣の微笑を、野党はせせら笑いと評した。

弱体野党の劣等感がそう見せているのだろうか・・・そうでもあるまい。

日本の政治は、謙虚・丁寧に路線からどんどん外れて行っているようだ。

北朝鮮とアメリカが会談しようとしているのにこんな事やっている場合か!という、外圧、外風にまた押し戻される事があるかもしれないが、やはり「森・加計問題」はすでに権力者の限界を示しているように思えてならない。

なんでも一説によると安倍さんは余裕綽々の時と、ピンチで追い詰められた時の両方に「せせら笑い」をするのだそうだ。

この春に吹く風は、余裕方向からアゲンストのピンチ風に大きく風向きを変えそうな予感。

正直、そうなればいいと思っている。

会津は北風から、日ごとに南の風に変わりつつある。

2018年3月 9日 (金)

拙速

うまくはいかないが仕上げの早い様。それは、早いばっかりで結局うまくいかない完成度の低い案という事にもなる。

一人の人間が考えることには限界がある。これは絶対良い!と思っても、角度を変えれば穴ばかり、という事もある。

考えた人間は自身の案に酔っているところもあるので、良い部分は盛り、短所については出来るだけ触れないようにして通過させてしまおうという気持ちも働くだろう・・・。

十数年来の懸案を、ほんの数カ月で結論を出そうというのがそもそも間違いだった。

制度の変更というのは実に難しい。

それが時代の変化に対応し、みんなのためを思った案だとしても従来の制度と新しい制度の間に板挟みになる人たちが必ず出る。

そこをどうするかを、よくよく考えないと制度を変える事は困難であり、思わぬ反発を招く。

問題が明らかになった以上、素直につまらぬ見栄の旗を降ろす事も大事だ。

改めるべきは改め、改善の努力をしなくてはならない。

国会では、写しがあります、と言って初めに提出したものと同じ写しをまた提出してその場逃れをしたりしようとしている。ああいうのを姑息という。

膨大なコピー代とバチンと止める大きなクリップ代、税金を返せ!と毒づきたくもなる。

姑息な手段を使っても何一つ良い事は無い。

ここは一旦、提案を白紙撤回し、充分に時間をかけても見直しする事になった。勇気ある撤退(自分で言うな!)

誠に申し訳ありませんでしたと心から謝り、言い訳は無しとする。

基本、みんなのためになるように!との前向きな制度改革なのだから、アタマを使えば必ず着地点は見つかるはずだ。

ただ、今回はあまりにも拙速過ぎたという事だ。

これで混乱に終止符、誠にごめんなさい!ふうぅ~、世の中は難しい。

雪積む上の弥生の雨で、会津の雪解けは急速に進んでいる。

この春が過ぎて、全山美しい緑の頃にもう一度、仕切り直し。

次の時代に向けた最良の案で、誰もが笑顔で、納得のいく合意を迎えたいと願っています。

とりあえず、拙速、姑息、飛んで行けー!!

2018年3月 7日 (水)

おもねる人

おもねる=人のきげんを取ってその人に気に入られようとする。へつらう。こびる。

のが、どう考えても上手くない。というか苦手だ。

はじめの仕事は小さな印刷会社のサラリーマンだった。ぺえぺえのくせに営業会議で社長に立てついて飛び出した事があった。(何が原因かはすっかり忘れたので、きっと大したことじゃないだろう)

中間管理職の課長さんも、どうしていいか分からず、結局なだめて諭してくれたのは社長直々だった。A社長本当にお世話になりました。ご指導感謝します。

営業マンだったのでもちろんクライアントに不遜な態度をとったりしたわけではない。営業トークではある面、おもね上手でもあったのだが、これは仕事と割り切っていた。

また営業マンのかたわらタウン誌作りも手掛け、編集長などという肩書もあったので、あんまりへつらう必要もなく来た、というのが本当のところだろう。

35歳で独立した時はまだバブルが弾ける少し手前だったので、思いの外仕事は順調に行き、結構自由にやって来たように思う。

タウン誌作りで築いた人脈に大いに助けられた。それは、わざわざおもねなくても済む人間関係ばかりだった。

今の仕事も、非常勤の理事から常勤の理事へとスライドした形だったので、おもねるとはあまり関係のない立場に最初からあった。

トップにはおもねるのが普通だが、それが下手だ。

これまで多くの職員を観ていると、いろいろなパターンがある。

誠実だが上におもねる事が下手で誤解を招く、不器用ですから・・・というタイプ。

とにかく誰にでもおもねる、単純ごますりタイプ。

権力構造を見極めて、ポイントにはおもね、他には強く出る、狡猾タイプ。

表と裏の顔を完全に使い分けている、二面性タイプ。

実力本位か?育ちの良さか?おもねるという態度を始めからとらない、純粋培養タイプ。

・・・善し悪しはさておき、病院という組織にはかなりの多様性が見受けられる。

その点、銀行からの出向者を見ていると(何人も来た)極めて一律的だ。

上が絶対であり、おもねて当たり前、ヒエラルキーを崩すような発言も行動も絶対に取らない。

もっとも出向者なので一定期間を無事に過ごせばそれで良い、という心理が強く働くからだろうとは思うが、そうでない(一部就職した)者を見ても似ている。

この一律感はサラリーマンとしての訓練が行届いていた、証しだろう。

その組織の持つ価値観(物事を計る尺度)を徹底的に叩きこまれて一人前のバンカーになる。出来ない者は去るのみだ。だから、同じ様なのだ。

で、組織のために君はどうするか?

風通しの良い組織、縦割りではなくフラットな組織、思うところを堂々と述べて伸び伸びと、失敗の自由のある組織・・・。

言葉で言うのは簡単だが、難しい。

難しいがそういう人材を育て、組織を育てていかなければこれからの困難な社会は乗り切る事が出来ないのも事実だろう。

自分を殺し、ひたすら上におもねる、実はその方がずっと楽チンなのだ。だが、それだけでは組織は弱体化するばかりだ。

自分で考え道を切り拓く精神。かの福沢諭吉先生も言っていた「自立」の大切さである。

おもねる事が悪いとは言わないが、「自立」の心をなくしてはいけないだろう。

ま、いい歳して今さらおもねる人にはなれるはずもない。

会津は雪解けが進んでいる!(雨と少しの温度上昇)

窓から見える道路の両側にはほとんど雪が見えなくなった。が、一歩、東西の細い道に入ると、まだまだ雪は残っている。

2018年3月 6日 (火)

心からの万歳

毎年、3月2日には万歳三唱の音頭を取る。

この日、看護専門学校の卒業式が行われ、夕刻謝恩会が行われる。

その中締めを毎年、まかせられるからだ。

若者たちの門出を祝い、幸多かれと願うにはやっぱり「万歳!」しかないでしょう。

出征兵士を見送るような悲壮なものではなく、心からの愛を込めて手刀を天高く突き上げる。

今年、第47回期の卒業生は33名、そのおよそ8割が会津に残り当院に勤務することになる。

国家試験に合格すれば、と言う条件付きではあるが、その賽はすでに投げられている(試験は終わっている)ので、とりあえずみんなおめでとうと言う事でパーティは続く。

毎年、学生たちが考える余興や歌で会場は盛り上がる。

今年は、味を当てるクイズ、チョコレート、お茶、ポテトチップスのはじめに食べたものを1~3番の中から当てる。少々地味系のクイズだった。

私はチョコレート当てに挑戦、高級チョコを当てた。

続いて歌があり、ビンゴで会場は大いに盛り上がった。(ボールペンが当たりました。ありがとう)

最後は毎年恒例のスライドショー、胸に沁みる楽曲とぴったりと合ってみんなの目が潤む。

暗い会場が明るくなって、目を赤く腫らした人がたくさんいる中、プログラムは進んで、中締めとなる。

今年は時間とカーリングの話をした。

君たちのアタマは乾いたスポンジで、私なんか水浸しのスポンジ、残された時間の長さが違うのは当たり前だが、その質も吸収率も全く違う。そんな時間を大事にしなくちゃダメよ!

そしてカーリング娘たちの「そだね~」は高等戦術だということ。決して相手を否定しない。そだね~、と一旦受け止めてから、でもこっちはどう?と提案する。みんなが納得して、最初とは違う「そだね~」になる。

そして最強の笑顔だ。

どんなときにも笑顔を絶やさない。笑顔は仲間を励まし、患者さんを励ます。乗り越える力、踏ん張る力をくれる。そして何よりもあなた自身を助けてくれる、それを忘れず笑顔絶やさぬ人生を歩め!

ということで、万歳です。

結構アルコールも入り勢いも付く。大きな声で33三名の門出を祝う、本当に心からの万歳!!!!

年に一度、本当に気持ちのいい万歳なのである。

2018年3月 5日 (月)

笑う空海

通路の前の席、Fの9と10番。その席に小柄なおバアさんが座ろうとしていた。

「すみません。何番の席お持ちですか?」「Kの10番です」「ここはFなんです」というとおバアさんは笑った。

後ろのK列の席まで案内して「ここですね」と言った。

それにしてもあのおバアさん、「空海~KUーKAI~」ってこの映画、弘法大師様のありがたい伝記映画だろうと思って観に来たんじゃないの?とちょっと心配になった。

そう思って、周りを見るとご高齢の方が結構多い。

「空海」が奇想天外なファンタジー映画だという事を果たしてご存知なのだろうか?

久しぶりの新潟、あまり観たい映画もかかっていなかったので別に観なくても良かったのだが、ふと『たまに大画面で、最新のコテコテのCGのファンタジーを観るのも悪くないか・・・』という気持ちが湧いた。

で、「空海」を観る事にした。

予想通りと言うか、期待しなかった通りと言うか、よくわけのわからない映画だった。

もの凄く早い場面転換、中国の都長安で繰り広げられる妖怪譚。

若き日の空海と李白が玄宗皇帝の愛した楊貴妃の死の謎に迫るという突拍子もないお話し。

別に主人公が「空海」でなくても全く問題ない。史実とはこれっポッチも符合しない。

妖術使いと化け猫の飛び回る映像紙芝居。こういう映画を企画する人の意図が理解しかねる。面白い人は面白いのだろう。(当たり前だけれど・・・)

ま、『あなたは今後、この手の映画は観なくて結構!』と言うアドバイスを受けたと、前向きに理解する事とした。

映画と言うよりも、次々と場面が進んでいくロールプレイングゲームの画面を見せられているような気持ちだ。

あのおバアさん、きっとビックリして訳も分からず、やがて寝てしまったのではなかろうか・・・・。

空海役の染谷将太くん、なかなか良い役者なのだが、とっても変だった。

どんな場面でも妙に空海は笑っているのだ。アルカイックスマイルとでもいうのだろうか、危機に及んでも常に奇妙な笑みを蓄えている。

中国人監督のイメージする日本高僧と言うものが、きっとあんな感じなのだろう。変な感じ!頭を剃ってまで臨むほどの役ではなかったのではないだろうか?空海が誰だって良かったように、役者だって誰だって良かった感じがした。

映画を終えて、万代シティのバスセンターのTVで有名になった黄色いカレーを食べた。

普段は長い行列でなかなか足が向かないのだが、寒く4,5人しか並んでいなかった。

ワイドショーで有名な!と書いてあるカレーライス、470円普通盛り。

なのにビックリするほど盛りが良い。いっぱいのご飯の上に黄色いカレーをどバットかけて、赤い福神漬をドバッと乗せる。

遠い昔にスキー場のロッジで食べたあの粉っぽいようなカレーの味だ。ただ黄色い分、結構辛い。量に負けて、ご飯を少し残した。

ま、一度は話の種に食べてみたかったカレー、体験出来て良かったと、これも前向きに受け止める事にしよう。

伊勢丹で家人がヨガや太極拳の時に着るスポーツウェアを求め、私は春物のネクタイを一本買った。

地下で晩飯用の買い出しも済ませ、向う会津への家路。

新潟の田んぼは、畔に沿って黒い部分がどんどん広がっている。

会津に近づくほどに雪は深くなり、坂下のトンネルを抜けると広がる会津盆地は見事に真っ白だ。

薄紅色の夕日を浴びた磐梯山は、まだまだ真っ白けの三角が天を突く。

「春」という言葉を口にするまでは、もうちょっと時間が必要な美しい風景だ。

2018年3月 4日 (日)

言い訳

この頃PCの調子が悪い。

先日もブログを書いてアップしようと思ったら、ぐるぐる長い間時計が回り、結局のところサーバーにつながらなかったみたいで、エラーになった。

それと同時に、書いた文章もどこかに行ってしまったのだ。

結構ショック、そんな事がこれまで2、3回あった。

で、念のために、とアップする前に文書のコピーを取るべきだ!とは思ったのだが忘れた。

なんとか修復する方法があるのかもしれないが、私の文章は遠いどこかへ消えたままだ。

そんなこんなで、ブログをさぼっているような形になっている、という言い訳。

雛祭りの日に、東京の至善寮(会津寮)の理事会があったので午後からとんぼ返りをした。

午前中に雛祭りの和菓子(毎年、吉田菓子舗さんにお願いしている)を、病院に持って行って配った。

義理チョコバレンタインのお返しは、毎年お雛祭りに、これを配る事にしている。

で、昼前に郡山までクルマで行き、新幹線に飛び乗り、理事会を終えて、寮の卒業パーティは失礼してとんぼ返り。

昼も軽かったし、晩飯時になって腹も減ったが、妙に天丼が食べたくなったので20時(帰若の見込み時間)まで我慢する事にした。

新幹線の通路を挟んだ反対側の席では、派手なワンピースのおば様とダメージジーンズをはいたお兄さんがぺちゃくちゃ話しながら、恋人握りをしていた。

文春砲に叩かれる有名人もきっとこんな感じなんだろうなぁ・・・とチラチラと眺めた。

郡山はもうとっぷりと暮れていた。

クルマでさらに1時間、途中、セブンイレブンで最近お気に入りのカフェラテを買って空腹を紛らす。

天竹に直行して上天丼を頼んだ。

ノンアルコールビール、つまみに貝の酢の物(美味かった)を出してくれた。

久々の天丼に大満足、海老、キス、ホタテ、かぼちゃ、ナスに蕗の薹が春の苦みを添えて絶品、やっぱり天丼は美味い。東京から我慢した甲斐があった。

食べ終える頃に、知り合いの先輩が来店。

「今日は飲んでないんですよ」「へえー、珍しい、そんな事あんだ!」と言われて帰宅。

十六夜の月が飯盛山の上にぽっかりと浮かんでいた。

さて、長い言い訳、今度はちゃんとコピーしてからアップする事にしよう。

うまく行きますように。

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