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2018年2月

2018年2月26日 (月)

コペル君との再会

帯状疱疹による顔面の神経疼痛は、ほぼ、95%ぐらいは回復した。改めてじっと目をつぶるとぼわーん、と少ししびれの様なものが残っているのを感じる。

が、何かしていると全く気にならない程度にはなった。

寝る前に飲んでいた薬は2週間、2クールで止める事にした。

あとは一日三回(結構忘れてしまう)がビタミンB12の薬を飲んで、気長に消滅を待つほかないだろう。

さて、今から80年も前に書かれた児童書(と言っていいのかどうか?)吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」が、マンガ版になって爆発的に売れている。170万部を越えているらしい。

マガジンハウス社からの出版で、羽賀翔一さんというマンガ家が苦労してマンガ化し、読者層を大いに広げた事になる。

主人公中1のコペル君、とその叔父さんとの心の交流を綴った物語。

遠い遠い日に読んでうっすらと覚えている程度だったが、その原本も新たに新刊書になって図書館にあった。

どんなんだっけ?と手にとって読む内に一気に引き込まれた。

確かに読んだ、という記憶はあったものの、内容については全く覚えてはいなかったといった方がいい。

雨の銀座のデパートの屋上から眺める風景の中に、雨粒ほどの無数の人々の流れを見る本田潤一少年。ふと自分もこの宇宙を構成している分子の一つにすぎないんだ、という思いにかられ不思議な気持ちになる。

一年前に父を亡くした潤一少年を温かく見守る叔父さん(インテリだがまだ職が見つからない)が、潤一くんに向けて書いた心のノート、そこには示唆に富んだ言葉が詰まっている。

潤一くんの発想をコペルニクス的な気付きだと称賛し、以後、潤一くんをコペル君と呼ぶ二人の温かな交流ノートは一年間に及ぶ。

天才、友情、約束、勇気・・・さまざまなエピソードの中で語られる言葉は、児童向で平易なだけに、素直に心に沁みるものがある。

葛藤を乗り越えて成長するコペル君、そのコペル君のさまざまな気付き、彼へのメッセージを記した上で、最後の一行はこう書かれている。

君たちはどう生きるか。

「こんな素晴らしい本だったんだ!」という改めての驚きと、若い頃にもう少しちゃんと読んでおけばよかった!という少しの慙愧・・・コペル君との再会はなんだが少しほろ苦いものに感じられた。

本を図書館に戻し、改めて書店で新刊版とマンガ版の両方を買い求めた。

手に取り易いマンガ版でこの名著を再び世に知らしめた功績は大変大きいものがあるだろう。

だが出来ればマンガ版だけでなく、本の方も読む事をぜひお薦めしたい。

文字から想像力を働かせる世界はまた別格、それほどに原著は無駄のない美しい文章で書かれている。

読み終えると何だか自分がコペル君の叔父さんにでもなったような気分になる。そして、この本を誰かに薦めたくなる。

年頃の甥っ子でも居たらきっと買ってプレゼントしたくなる。

そして「良い本だから読んでみ!」と、ちょっと自慢したくもなる。

案外それが今、ベストセラーになっている理由かもしれない。

会津はいつまでたっても寒い日が続いている。

雪は一向に解けない。しかし、この深い雪の下でも、コペル君が見つけたように草木は着実に春を目指して伸びているのだろう・・・。

2018年2月19日 (月)

思い思いの私

花屋さんが出てくる映画を観ていたら、いろいろな色の花が欲しいと急に思った。

花束を買おうだとか、色とりどりの花を飾ってみたい、なんていう欲求がこんな風に沸いたのは初めての事だ。

11月の末から毎日毎日雪で、いい加減に白い世界に飽き飽きしたからなのかもしれない。

でも、今までにもこんな冬はあったのに突然「花が欲しいなぁ~!!!」なんて・・・初めてのように思う。

歳をとると花が好きになるのだろうか?

だんだん花好きになって、そして最後は花を山ほど贈られて、花に埋もれて逝くのだろうか・・・・なんて縁起でもない!

『おらおらでひとりいぐも』平成29年下半期の芥川周受賞作品だ。若竹千佐子さんという62歳の新人作家さんの作品だ。

芥川賞の受賞作は、毎月買う文芸春秋に全文が掲載される。新刊書を買わなくても全部読めるのだが、ほとんど読んだ事がない。と言うか最後まで読み切った事がない。

大体つまらなくて途中でやめてしまう。元来、文学的素養がないためになんだかよく分からん!になってしまう。

又吉さんの「火花」は、最近では珍しく最後まで読んだ作品だが、特に惹かれるものもなかった。

『おらおらでひとりいぐも』と言う奇妙なタイトルのこの作品は、パラパラと読んでいる内に文章の力強さに引き込まれた。

74歳の桃子さんという主人公が、最愛の夫を見送り、子どもたちとの距離も感じながら「老い」と向き合う話し、あまり嬉しいテーマではない。

桃子さんは桃子さんの中に、幾人もの、様々な思いを持つ、桃子さんを宿している。

NHKスペシャルでやった人体の不思議、ひとつひとつが脳を持っているかのように動きだす腸内の柔毛突起にたとえ、幾人もの声を聞く。

それが実にリアリティがあるのだ。我々の思考も、日々の暮らしも実はそんな風に出来ているのかと思う。

「おらしあわせだったも。身も心も捧げつくしたおらの人生・・・」 「独りよがりの話はやめでけろ」 「んだ、きれいごどばっかり言うな」

心の中はそんな複雑な編み物のように出来ている。

鬼平流に言うと「一方で仏の様な行いをしながら、鬼畜の様な仕業を平気でする。それが人間と言うものよ」と言う事になる。

その複雑系、多重性、多様性は本人以外に分かるもの(気付くもの)はいない。

そこを剥がしちゃダメでしょう!

というその部分に触れようとするのが文学と言うものの企みなのだろう。

その企みに乗って最後まで読んでしまった『おらおらでひとりいぐも』

身につまされはしないけれども、主人公の桃子さんは私よりわずかに10歳年上のお婆ちゃんなのである。

「会津はさっぱり春めいてこないなぁ・・・」と言ったら「春はまだ先でしょう!」と家人に軽くいなされた。

明日あたり、色とりどりの花でも沢山買って帰るとするか!

「なんで急に・・・・なんかあやしい、とかあらぬ誤解を招くのもつまらないから止めた方がいい」 「どうせ花なの、すぐに飽きるんだから」 「心のままにいけ、このひらめきは大切だから、買え!買え!」

と、私の中の柔毛突起たちが思い思いに話し出すのであった。

2018年2月17日 (土)

ピョンチャンに行く人

初めの内は、まるで南北朝鮮の政治ショーの添え物としてオリンピックが行われていたような感じだったのが、将軍さまの妹さんが帰ったので、ちょっと落ち着いた感じになって良かった。

オリンピックらしくなってきた。

日本は金が取れるか?私は3個か4個じゃないかと思っているが甘いかな?

大穴でカーリング女子がメダルとったりしたら嬉しい。銅で充分。

ところで、南北統一、南北融和と盛んに言うが、恥ずかしながら意味が分からない、と言うか、どこを目指しているのか見当がつかない。

同じ民族であるものの、独裁国家と民主国家が一緒になると一体何になるの?

北の応援団や楽団のみなさんは南の韓国国民もいつの日か将軍様の元にかしずく事を信じて疑ってはいないのだろう、と思う。

南の人々は、いつの日か独裁者が倒れて北の人々と一緒になる事を夢見ているのだろうか?

融和の行きつく先が、分からない。

どういう風になると南北統一が出来るのか?誰か分かり易く解説して欲しいゾ!とテレビに向かってしゃべっています。

それにしても高梨沙羅ちゃんメダル取れて本当に良かったですね。

銅でもいいから取らせてあげたいと、みんな思ってたのではないだろうか?

純朴な涙、ひたむきな努力、小さな体に最大のプレッシャーを一人で受け止めて、それでもK点を越えた。立派なもんです。

スノーボードの「かっこいい!」解説も面白かった。

最初「かっこいい」を連発する解説に「なんだコイツ!」と思いましたが、『かっこいい』『スタイル』『シブい』、がちゃんとした競技の評価になっている事を知って気にならなくなりました。

正直、「かっこいい」とか「スタイル入ってる」がよくは分からないのだけれど、高難度な事を何事もない様に決める、一目でその人と分かる競技スタイル、そいうものがスノーボードの場合、審査員の評価対象になっているという事は分かりました。

平野歩夢選手は言葉少ないけれどかなり「かっこいい!」と言うのは良く分かるし、そう思います。拍手

で、あっという間に一週間だ。

さて、O先生は今日の夕方に会津を発ってピョンチャンに向かうらしい。

なんでも女子フィギュアのフリー演技のチケットが当たったとか。それは行くでしょう、少々無理しても・・・。

嬉し過ぎて、はしゃぎ過ぎて、呑み過ぎない事を祈ってます。

くれぐれもスケート会場で寝ほろけてる姿を写されたりしないように!お気をつけて。

2018年2月15日 (木)

襲命

松本白鸚・幸四郎・染五郎の襲名披露公演を観て来た。

松本家から招待状が届いたという訳ではない。

歌舞伎座が新しくなって行く機会がなかったので、ホテルに手荷物を預けブラブラと歩いてみた。

三連休の中日なのでとても入れまい、と思っていたのだが、幕毎に観る立見席の行列が意外と短い。係の人に「入れますかね?」と聞くと「お席は保障できませんが立ち見なら十分入れます」と言うではないか。

チケット発売までおよそ20分、それじゃあ、と言う事で並ぶ事にした。

一幕の「春駒祝高麗」(15分)と二幕「一条大蔵譚」(1時間半)、その後に海老蔵の「暫」があるが、そこまで観ると時間に余裕がなくなる。

二幕でお一人様1800円なり。

行かれた方は分かると思うが歌舞伎座の二階の一番後ろの席二列(約百席)と立ち見台のある通路が、ひと幕毎に切り売りで見る事が出来る特別席なのだ。

ラッキーな事に前列の端に二席がちゃんと空いていた。

なかなか高くて眺めがよい、高いので舞台中央のセリがぽっかり開いているのが見える。こんな上から見ても中の人は見えないようにちゃんと設計されているんだと感心。

「春駒祝高麗」は曽我兄弟が出てくる華やかな踊り。さすが歌舞伎座、規模も迫力も地方公演とは全く違う。

近い記憶では、喜多方で「鳴神」を會津風雅堂で「演目忘れた」を観たが、まず舞台の上の人数がまるで違う。

牛若丸のお母さん・常盤御前が出てくる「一条大蔵」では女形がズラリ、家来がズラリ、本当に美しい。

広い歌舞伎座の隅々にまでセリフが通る。鳴り物の迫力も唄いも、その息遣いまで響く、音響抜群。さすが新・歌舞伎座!

二十代の頃に数度、古い歌舞伎座に来たがあまり記憶がない。

一条大蔵を幸四郎が演じた。

阿呆で有名な大蔵、源氏の復興を願う真の姿になるとまるで別人に変わる。

化粧はそのままなのに眉が垂れたり、つり上がったり、呆けた口元がきりりと締まる。

それが最後列からもしっかりと見て取れるのだから大したもんだ。「いよっ!高麗屋!!!」

襲名とは名前を継ぐだけでなく、命を継ぐものなのだそうだ。

確かに人生を賭けた芸でなければあの舞台はとても努める事は出来ない・・・襲命。

思いもかけず楽しく歌舞伎見物をして、話題の銀座シックスへ。

こちらもただの野次馬根性。

三代襲名披露の飾り幕も草間弥生さんの絵で、銀座シックスの吹き抜けに吊るされたオブジェも草間弥生さんのピンクのキノコ。草間ブームが完全に来ている。

こちらは上がって降りただけ。家人の「どうせサイズ合わないわよ」の声に完全に購買意欲は失せた。

ホテルでバックを引き取って東京駅へ。簡単に遅い昼食。

TYO企画のおまけで一人千円のお買い物券が付く。食品売り場で晩のつまみを買って新幹線へ。二千円はなかなか、嬉しい。

雪のないと東京から、うっすら積もった郡山へ。

そして、トンネルをいくつか抜けると会津は吹雪だった。

「嗚呼・・・」と、いろいろな思いが交錯した深いため息がひとつ漏れるのでありました。

2018年2月14日 (水)

不思議な男・2

「脱藩浪人」という奇妙な名前の店は、立ち飲み屋だ。

広島県・呉の銘酒メーカーの酒を扱う。15人ほども入れば一杯の店だ。

古い友人のHくんはこの店を一人で切り盛りしている。一間ほどのカウンターの奥に酒の入った大きな冷蔵庫、ちょっとしたつまみを作る水回りがある。

カウンターの端にはいつも常連さんがいて、酒を飲みながら手慣れた店員よろしくHくんを手伝っている。それも楽しそうに。

この店に来るのは何度めだろう。5,6回目だと思うが、前記の様な次第で今回は家人と初めて来る事になった。

本当に久しぶりで何の前触れもなく突然だったが、Hくんは大した驚いた様子もなく、濡れた手を拭い、差し出した。

「いや、ちょっと用事が合って女房と近くに来たんで寄ってみたのよ」「そっか、なに飲む?」「いや、晩飯を食いに来たんだ、ここってわけに行かないからどっかで飯を食ってくるわ。どっかあるか?」

それを聞いていた常連さんが「近くにマルタ料理のおいしい店がありますよ」と言うではないか。「ああ、あそこな、結構美味いぞ」とHくん。

「すぐ上なんでご案内しますよ」と常連さんがフットワーク良く案内まで買って出てくれた。おそらく、マスターの大事なお客さんだと思ったのだろう。

隣のビルの二階、名前は忘れたがマルタ料理の店があって、「二人入れますか?」とまで聞いてくれたが、生憎、満員で入ることはできなかった。

マルタ料理・・・食べた事ないしちょっと興味があったが残念!

「あそこの角の焼き鳥屋さんは有名で美味しいですけど、まずは入れません。焼き鳥大丈夫ですか?」「はい」と言うと、またも常連さんが店まで聞きに行ってくれた。

「ラッキーです!今、二席空いたそうです。ラッキーですよ、まずは入れませんから・・・どうぞごゆっくり」

なんて良い人なんだと思った。

狭いカウンターに陣取る。

カウンターはL字で15人位だろうか。奥には座敷があるようで、入口が別の二階にも店があるらしい。とにかく空き席はひとつもない。

目の前の狭いカウンターには四人も板前(?)が立って、手際良く仕事をこなす。

後ろに店長さんがホール役で立ち、店内を仕切っている。そして女の子が数人。

メニューとガラスケースの中身を見ただけでこの店はかなり行ける!と言うのがすぐ分かる。

二人で十本のコースをひとつ頼み、後は単品を何品か。赤鳥のなめろう、玉子焼き、ポテトサラダなど。コースには生野菜のサラダとスープも付いた。

美味しい焼き鳥を堪能!

名物の取りそぼろ飯のお弁当の大をひとつ、Hくんのお土産に一時間半ほどで店を出た。

例の帯状疱疹の後遺症も少しは残っているので馬鹿呑みはしない。生1、ひや酒2をゆっくり。

もろもろ、大変美味しく値段も手頃でいいお店だった「鳥繁」、また行きたい。

で、Hくんの店に戻るとお客はすっかり入れ替わっていたが、案内してくれた常連さんだけはまだ一人で居た。・・・この人閉店まで手伝っているのだろうか・・・・?

ま、Hくんはこんな風にいろんな人に『もてる、好かれる』を今も続けているんだなぁ、と改めて思う。

以前に来た時も、客か、店の人か分からない様な人が楽しそうに手伝っていたっけ。

十年近くも、それも新橋のほぼ駅前でたった一人で店を切り盛りするなんて、並の人間に出来る芸当ではない。

次から次のお客さんをさばき、前掛けのポケットに勘定を入れて釣銭を渡す。まるで昔の八百屋さんみたいだ。

「これ土産だ、そぼろ弁当、息子にでも食べさしてやって」まだチビだと思っていた息子も、もう高校生だそうだ。

「前の奥さんの息子さんは大阪で何軒か店をやっているらしいですよ。親父よりかなり羽振りがいいらしい」と常連、「うるさいな、言わんとけ!」

「そっか、Hはいろんなところにこどもがいるからな・・・」と笑って、家人はビールに私は小さなグラスに吟醸酒を一杯もらった。

思えば今日は一日、結構歩いた。会津から成田山そしてここ新橋だ。

5分ほどで「じゃぁ、今日は疲れたから帰るわ」と別れを告げ、記念にと、家人も入れて三人でシャメを撮ってもらった。

「へえ~、マスターもこんなに嬉しそうに笑うんですね」と常連さん。

そう元来、不愛想な顔なんだ彼は、それなのになぜか人が付く。

この歳になると実は・・・その訳がなんとなくわかる。

Hという男は、人を妬む事がない、いたずらに羨ましがったりしない奴なのだ。

どんな時も自分は自分だからと、人と比べたりする事がない。

そういう男には卑しさがない。二心(ふたごころ)がない。

だから誰でもがHと居ると安心するし、信用出来る。

シンプルでストレート、だから女も男も『惚れてまうやろ!』なのだ。

この歳になると、人を妬まないで生きると言う事がどれほど難しい事か分かる。そして、そうできる人間が尊いのも分かる。

「おう!」いつ、どこで会っても堂々としているH、本当に不思議な魅力を持った男だ。

そして・・・この歳になるとそんな友人を改めて尊敬する気持ちも湧いてくるのだった。

2018年2月13日 (火)

不思議な男

久しぶりに銀座に泊まった。(五丁目あたり)

夕食の当ても特になかったので「みしらず、という店に行ってみようか?」と家人に聞いた。

新橋にある居酒屋で、その名の通り会津の身不知柿から取った名で、会津出身者も多く訪れるという店だ。

以前からその名は聞いていたがまだ行った事は無い、というか一度行こうとしたが場所が分からず行き着けなかった。

その「みしらず」のマスターが家人と中学校の同級生だと聞いて驚いたのは4,5年前だったろうか。

で、東京での研修の際によく行ったというSさんにメールで場所を聞いてみた。

『烏森口を出て横断歩道をパチンコ屋の方へ向かい公園を突っ切って・・・』分かるようで分からない。

あっち行ったり、こっち行ったりしたが、結局スマホでググって電話をかけてみた。

すると、さすがサラリーマンの街・新橋のお店、土曜は多くの会社が休みなのでお店も休みらしく、一向に出ないではないか。

「こりゃダメだな。確かこの辺にHのやっている店があるから、せっかくだから覗いてみるか」「それって、立ち飲み屋なんでしょ」「そうだよ。そこでメシ食ったりしないよ、顔出すだけ」

Hくんとは、青春の一時期を京都で過ごした仲だ。

大家さんのガレージの上の二部屋、ひとつに私が住み、もう一方に彼が住んだ。4年ほどの時間を一緒に過ごした。

彼は実に不思議な男で、どこに行ってもよくもてる。友達が多いという言葉よりも、男女を問わず『もてる』という言葉がしっくりくるのだ。

色々な無茶もするが、必ず誰かが助けてくれる。それもそこまでするか!というぐらい親身になってだ。

『もてる』そして『惚れてまう』・・・男女を問わずそんな感じがする不思議な魅力を持った友なのだ。(顔は決して美男子とは言えない)

その店は「脱藩浪人」という。呉の大きな造り酒屋のアンテナショップとして人気の立ち飲み店だ。

Hくんは呉に住んで所帯を持ち、事業も、そして好きで始めた飲食店も成功させていたが、突然、全てを手放して今の奥さんと一緒になる道を選んだ。

そんなHくんを造り酒屋の社長が会社に招き、彼は酒造りの仕事から覚え、営業もやって、今はこの新橋のアンテナショップの店長をたった一人で務めている。

家族と一緒に東京に移り、もう10年近くになると思う。

5坪ほどの小さな店に立った一人、カウンターの脇にはいつも常連さんが居て、半分店員さんのように手伝う、そんな店だ。

路地の奥にその店を見つけて、ガラス戸の外から中を覗く。

Hと目が合った。

「おう!」「おう!どうしたん?しばらくだなぁ・・・」と時計の針がぐるぐると巻き戻る。

「奥さんか?」「そうだよ。あれ?初めてだったかな?会った事なかったっけ?これがHだ、古い仲なんだ・・・・」

つづく。

2018年2月12日 (月)

成田山新勝寺

2か月近く一緒に暮す事になった娘と孫が名古屋に戻る日が来た。

クルマで郡山まで行き、一緒に新幹線で東京駅まで出る。東京駅には名古屋からパパが迎えに来てくれる手はずだ。

我々、ジイジとバアバはそのまま息抜きを兼ね成田山にお参り、東京一泊と言う事にした。

あの有名な成田山新勝寺、実は一度も行った事がなかった。

友人のYくんは毎年必ず年初にお参りして木のお札をいただいてくる。

先代の父君が会社を興してから必ずその事だけは続けて来たらしい。

そんな父君が突然倒れて、会社を一身に背負う事になってからも同じように成田山参りは続けているという。

「そんなに信心深い訳でもないんだけど、俺の代で行かなくなって、もし何かあったら嫌じゃない?だから、俺が行ける内は行こうと思ってるんだ」と毎年、奥さんと一緒に成田山参りを続けている。

若き日、初めて勤めた印刷会社のA社長さんも成田山の熱心な信者だった。

毎年必ず元旦に一人で電車に乗って成田山を詣でる。

正月休み明けの会社の神棚には、必ず真新しい大きな木札が飾られていた。あれは高かったろうなぁ、と思う。

そんなこんなで、一度はかの有名な成田山新勝寺をお参りしなければ、と思っていたので、TYOでホテルも合わせて取って行く事にしたという訳だ。

「じゃあな、明日からは三人で頑張るんだぞ!」と言うと、孫は元気にバイバイ!と実にあっさりしたもの。

パパと会えた嬉しさに会津での日々も一気にぶっ飛んだようだ。

我々は東京駅から成田エクスプレスで1時間、成田第二空港ビルから京成電車でひと駅戻り、成田駅前からタクシーで一番近いところまで行ってもらう。

急な石段を登ると山門には阿吽の仁王像。その先を上ると大きな本堂が見えた。

さすがに立派、節分にはどこで豆撒きをするんだろうか?などと考えながら手を洗い口を漱ぐ。

お賽銭は紙幣を奮発、孫の元気と第二子の無事、その他あれやこれやと盛りだくさんにお願いして手を合わせた。

本堂内ではちょうど護摩の御祈祷が始まるところ。靴を脱いで正面の空いているところに座った。

広い本堂に数百人はいるのだろうけれども、本当にだだっ広いので思いの外、空いている感じがした。

「ド・ボワーン、ドワーン」もの凄く大きな太鼓が、打ち鳴らされる。皮が古くて伸びきったような奇妙な音だ。

何人もの僧侶がすごい勢いで念仏を唱え始める。

大きな声、早いテンポ、鐘や太鼓の音も合わさり、気分はグングンと盛り上がって行く。

やがて、正面の護摩壇の前の一段と位の高そうな僧が火を入れる。

すぐ脇で役僧が手際よく炎を立ち上がらせると、右奥、左奥から次々に僧侶、また黒紋付の男たちが現われて、願いを込めた木札を次々と火にかざしては下がる、を繰り返す。

なるほど、この火にかざしてお祓いした木札をありがたく頂くという訳だ。

次から次とお札やお守りを火にかざす。

するとお参りしていた人たちがゾロゾロと奥の方に集まって行く。

黒紋付の男たちが、その信者たちから預かったカバンを両手に提げて火に近づき、火にかざす。

次から次へとカバンを受け取り火にかざすのだ。

「へえー、あんな事やってくれるんだ。カバンや財布にご利益が移るという訳ね。やってもらったら?」と家人に言うと「いやだ~、いいよ」という。

あっさりとした信心の二人、一応、火を見ながらおしりの財布をポンポンと叩いてみた。

お参りを済ませて帰りは参道を駅まで歩く事にする。

大行列はうなぎ屋だ。店先で焼くだけでなく、うなぎをさばいて串を打つところまで見せている。うな重、三千円~四千円と言ったところ。

うなぎ屋が多く、漬物屋さんも多い。

特に土産を買う当てもなし、ブラブラ眺めて駅へ。

またひと駅戻って、成田エクスプレスで東京へ。

ホテルは銀座の五丁目ぐらい。結構歩いて、まずはお疲れさまでした。

2018年2月 5日 (月)

スピーチ・十句

少し時間が余るので、出席委員会の担当ですのでスピーチお願いします。

と言われていた一月最後の会津若松ロータリークラブの例会。

近づくにつれて、結構時間が余りそう、時間作りますから、みたいになって3分スピーチが20分以上も時間をいただき、結局ゲストスピーチのようになった。

一応こういう事もあるだろうと、準備をしておいて良かった。

常日頃どのようなチャンスであっても、人前ではしっかりした話をしなくてはならないと心掛けているのだが、いきなりとなるといつも後悔するばかりだ。

今日も一番肝心な部分を抜かしてしまい、なんか経過報告だけの様なお粗末な話になってしまった。(あとから後悔しきり、よくある事)

常に話しながらも考えて話す、そういった余裕を持てればいいのだが、中々そうはいかない。

今朝の新聞に、すごくあがり症だった人が、あらかじめ書いたメモ等を読むのではなく、メモに頼らず聴衆の顔を見て考えながら話すようにしたら上がらなくなった、というコラムがあった。

が、そもそもあがり症だから考えながら話す事が出来ないのではないかと思う。

顔を見て考えながら話すような余裕たっぷりな事が出来るなら、その人は始めっから上がり症ではないのだと思うのだが・・・・どうも納得いかないコラムだった。

ま、それはいい。

長くなっても短くなっても良い様に、二つの話(それも関係ない話)をくっつけた。

ひとつは平均寿命と健康寿命の話。健康寿命を延伸する事が大事で平均寿命ばかりにこだわっても仕方がない。むしろ平均寿命(寝た切りや植物状態の時間)を下げても、平均と健康の差を出来るだけ小さくした方がいいという話。

もうひとつはその健康寿命を心豊かに過ごすためにも、最近プレバトで人気の「俳句」の話。

私の選んだ十句を紹介、句の解説を添えれば長くなるし、時間がなければ端折ればいいという事にしておいた。

結果、後半を端折り、それでも2分ほどオーバーしてしまった。(ごめんなさい)

折角なので当日選んだ十句を。

かなり、その時の気分で変わるがこの寒い冬はこんな感じでした。

聞いていたクラブの仲間が楽しんでくれたかどうかは、不明。

・海に出て木枯し帰るところなし       山口誓子(19011994

・秋の暮大魚の骨を海が引く         西東三鬼(19001962

・鶏頭の十四五本もありぬべし        正岡子規(18671902

・一月の川一月の谷の中           飯田龍太(19202007

・湯豆腐やいのちのはてのうすあかり     久保田万太郎(18891963

・遠山に日のあたりたる枯野かな       高浜虚子(18741959

・芋の露連山影を正しゅうす         飯田蛇笏(18851976

・分け入っても分け入っても青い山      種田山頭火(18821940

・方丈の大庇より春の蝶           高野素十(18931976

・戦争が廊下の奥に立っていた        渡辺白泉(19131969

 

2018年2月 4日 (日)

山形は新幹線が走っている。

週末、小さな学会があり山形市に行って来た。

会津から山形市へは、なんといってもクルマが一番便利だ。喜多方から大峠を越えて米沢へ、米沢から南陽道を越えて山形市へ。

雪のない季節なら2時間、雪道でも2時間半を少し超えたぐらいだ。

磐越西線経由郡山、新幹線で仙台からそのまま山形新幹線のルートだと大変だ。

学会参加の職員3人と同乗し、金曜夕方に山形市に入った。

この日の夜に学会前の理事会が行われる。私も監事役を仰せつかっているので参加しなくてはならない。

この日、山形新幹線は朝から信号機の故障で止まっていたらしい。事務局は大慌てで連絡を取り合い、理事会の開催を1時間遅らせた、と連絡が入った。

数日前にはJアラートで蔵王の噴火警戒レベルが2に引き上げられてというニュースもあった。

あの蔵王は宮城県側で、学会一日目終了後のエクスカーション『樹氷ツアー』には影響ありません!と事務局を慌てさせたばかり。

押し寄せる寒波に噴火、信号故障と本当にハラハラドキドキだったろう。

理事会、会長招宴も無事に終わり、翌日朝からいよいよ学会の始まりだ。

この日の朝、ホテルの朝食を食べに行ったところ、学会長のT先生とエレベーターで一緒になった。医学界でこの人の名を知らない人はいないというほど著名な先生だ。

「和食は2階ですよ」と言うと「じゃ僕も2階にしようかな・・・」と言う事で、思いがけずご一緒させていただく事になった。

ゆっくりと食事をし最後の紅茶まで、小一時間の時を楽しい話付きでご一緒させていただいた。

思わぬ大きなお土産をいただいた感じ、めったにお話できる先生ではないので嬉しかった。

学会は学会長であるN先生の思いが色濃く溢れるプログラムで進められた。

基調講演、一般口演・質疑応答、特別講演、シンポジュウムと朝から夕刻までびっしり。

終了後、職員と共に食事をしたが、人気の酒「十四代」が頭に沁みる様な気分を味わった。(それだけ、難しかったのかな・・・・。)

翌日のお昼までが学会の公式スケジュール。

一日目は山形駅近くの山形テルサが会場で、二日目は山形大学医学交流館が会場だった。

スケジュールは15分押しで、最後の最後まで活発な議論が行われた。

学会長N先生の総括を含めた熱い閉会の言葉は、会場の大きな拍手を誘った。

この日の午後、おまけとしてポストカンファレンスが行われ、我々も出席予定だったが、N先生に「雪になると大変だから帰って、帰って!」と、追い出されるようにして帰若する事となった。

案の定、大峠は吹雪、正解だったようだ。

さて、山形市だが、南陽道から山形市へ入って来ると様々な工場(それも大きい)が立ち並んでいる。有名な「でん六豆」や自動車工場、電気機械工場などが並ぶ。

道路沿いのファミレスやスーパーなども、なんだか一回りは大きい感じがする。そして山形大学、医学部付属病院・・・。

車で走っただけだが、仕事の場が多くあり、会津の静かな佇まいに比べると見るからに活気があるようだ。

経済的な振興が強く感じられた。

駅前にも高いビルが立ち並び、さらに大きな工事中の箇所も見受けられる。どんどん発展している感じだ。

そして山形新幹線が駅ビルに滑り込んで行く。

すれ違う人々の言語がチンプンカンプンだったりする。(山形弁と言う意味ではなく、インバウンドの外国人が目立つという意味)

『やっぱり新幹線が通るというのは違うんだなぁ…』と、改めて思った。

それでも、夜の街でちょっと聞いたところ「山形も景気悪いですよ、ひどいもんです」との声。

これでそうなら会津はどうなっちゃうの?と、すぐに夜の街からその土地の景気を推し量ろうとする悪い癖が、また出た。

2018年2月 1日 (木)

手ぬぐい

一月も終わりの頃になると、居間のサイドボードの上にが「年賀」と書いた手ぬぐいが並ぶ。

が、今年は無い。

新年会で芸者衆に会うと、「おめでとうございます」と言ってそっと手渡されるのが、名前を染め抜いた芸者さんの手ぬぐいだ。

「何本もたまって社員に配ったら喜ばれた」とか言う社長さんもいる。

私はせいぜい5,6本と言ったところだが、1本もないというのも少し淋しい。

帯状疱疹になり、その後の神経疼痛で新年会にほとんど出てない。芸者衆に一人も会っていないのだから、年賀の手ぬぐいがないのも当然と言えば当然だ。

たった一度だけ、ノンアルコールで割烹萬花楼にいったので、萬花楼の手ぬぐいだけはある。

酒も相当にブレーキをかけて控えている。というか、まだそれほど呑みたい、飲みたい、にならないのだ。

一週間でビール2杯、ハイボール2杯ぐらいだろうか。可愛らしい量だ。

昨晩、「生まれて初めて2杯目を飲んでみるか!」とふざけて、そば猪口に二つ、日本酒を飲んだらかなり酔っ払った感じがした。

やはり、飲まないとアルコールも弱くなり、酔っ払い効率が良くなるようだ。

少しで酔えばそれはそれで良い事だ。

これからは日本酒やワインをじっくり味わって、ほど良く酔って、我を失うことなく会話を楽しみ、いつもシュッとしている酒飲みになるのも悪くない、と思ったりする。

食事の時は何人かでワインを1本開ければ充分・・・日本酒にしても一合ほどの上級酒をちびりちびり。

ほんわり酔って、帰った頃にはかなり醒めて、風呂で温まって熟睡、なんて具合に行ったらいいかもしれない。

「六十過ぎたいい大人が一升酒なんて、君たちはいつまでたっても酒を味わうという事を知らないんだから・・・」とか言ってね。

酒を飲まないと夜が長い、と言うが、孫と一緒に寝てるのでメチャ早い。

さすがに早く目が冴えてしまう朝もあり、そんな時はDVDを観たりする。「ダンケルク」なかなかの映画でしたね。

二月にも新年会がいくつかある。

二月はなんとか出る事が出来そうだ。遅ればせながら手ぬぐいがたまるかどうか・・・。それまで芸者衆の在庫が持つだろうか?と、要らぬ心配をしたりしている。

南岸低気圧でまた東京には雪の警報が賑やかだ。今回は、かなり列島を離れているので前回ほどの事は無いと思う。

会津は久々に緩んだ感じ、良く晴れて自動車の走行音が「ビシャビシャビシャ――――」になっている。

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