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2017年10月

2017年10月31日 (火)

フォーラムとマルシェ

10月最後の土日、イベントが続いた。

土曜には第16回を迎えた「竹田地域医療フォーラム」今年のテーマは『目からウロコ~口から食べるってこんなに大切!』、近年注目されている口から食べることの重要性をみんなで考えましょうというフォーラムだ。

様々な疾患で口から食べれなくなった人は、鼻から栄養を入れ、誤嚥性肺炎の危険を回避する。長くこれが当たり前とされてきた。

その先には「胃ろう」と言って胃に直接穴をあけて、栄養満点のミルクの様な食事を流し込む。

どんなに食欲があって食べたいと言っても、誤嚥することのリスクよりは食べない安全を優先させてきた。

しかし、口からものを食べるという事はそんなに単純なことではなく、口から入れて、味わい噛み、唾液を出して飲み込むことで全身の様々な機能が、実は保たれているのだという事が分かって来た。

口腔のケアをして、飲み込む訓練をし、少しずつでも口から入れることで、寝たきりの人が起き上がる、そんな事例が数多く発表されてきたのだ。

当院では数年前からNSTチームを中心に、神経内科、耳鼻科のドクター、専門ナースなどが積極的に活動を続け、『会津を(A)食べる(T)楽しみを(T)あきらめない(A)地域にする(C)計画(K)』=ATTACK運動を展開している。

今回のフォーラムはこの成果のご報告とさらなる浸透を図る事を目的としていた。

例年の事になったが、コーディネーターの宗方和子さんの素晴らしいリードで、非常に良いシンポジウムが行われ、例年よりも少し多い観客が會津風雅堂を埋めた。

特別講演と幕間には竹田混声合唱団「虹の旋律(うた)」のミニコンサートが行われた。これもすっかり恒例になった。

院歌に始まり、世界に一つだけの花、花は咲く、ふるさと、そして特別講演の綾戸智恵さんに敬意を表し「テネシーワルツ」を聞かせてくれた。

特別講演は「家族との関わり~母の介護を通して~」軽妙な大阪弁で、少々えげつない事もさらりと流し、笑いを誘って会場を盛り上げた。

この日の夕方から風が強くなり、また台風の週末となった。

翌日曜に行われた「第一回・会津マルシェ」は竹田第一駐車場を使用の予定だったが、雨のためそのままスライドして立体駐車場の中で行われた。

風がひどくなかったのがせめてもの救い。時折激しい雨が降り、こんな形で立体駐車場が役に立とうとは夢にも思わなかった、といったところだ。

1階、2階に30数店舗のテントが並び、農産物から加工品、地元の民芸品なども並んだ。

3階にはステージも作られて観客席もあり、予定した出し物は雨でお流れになることなくすべてが無事に行われた。

オープニングでは実行委員長のSさんが欠席のため、私が代理であいさつをする事になった。

『マルシェ(市場)とは単にモノを売る場ではなく、地域の食文化や地域の人々の暮らしの息吹が感じられる場所、モノを通して人と人との交流が生まれる場所です』みたいなあいさつをした。

トウモロコシと田楽味噌、塩川牛のメンチカツを買い、ビーフシチューをいただいて失礼した。

何でも1200人ほどが訪れたというから、なかなかすごい。天候を考えれば充分に成功と言えるだろう。

その後、雨を付いて柳津の「齋藤清とムンク展」を見て、新そばを食べた。

ひと休みしてサウナに行って一汗かいて、マルシェで買って来たものを肴に一杯やった、というそんな台風通過の週末であった。

2017年10月24日 (火)

左様ならば

中国から来た研修医師2名の修了式が行われた。

以前は1年の研修期間だったが、半年に短縮されたので本当にあっという間だ。

歓迎会、観桜会、夏の納涼会、共済会の旅行など楽しんでいる内にあっという間に秋も深まり、修了となる。

修了証書を手渡し院長が「本来なら会津の厳しい冬を味わってもらいたいところです。ぜひ、冬の時期にまた来てください」と述べると、このところの寒さにちょっと閉口していたらしく二人とも苦笑いを見せた。

眼科、脳神経内科の二人の女性医師、研修中には家族も日本を訪れ北海道旅行などを楽しんだそうだ。

本当に中国は豊かになった。(限られた人達ではあるのだろうけど)

国を離れて、家族を残し研修するという悲壮感などは全くない。

毎日スカイプで顔を見ながら電話で話せるし、翻訳ソフトで意思の疎通にもそうそう苦労はしない。

まして二人での生活、ホームシックなど無縁のようだ。

帰る時のお土産の購入額などには当院の通訳のKさんも目を丸くしてしまう。まさに爆買いだ。

翌日の夜には市の国際交流協会の主催の送別会が「タイム」で行われた。

市の代表、日中友好協会など、一応オフィシャルな送別会だ。

乾杯のあいさつを頼まれた。

病院を代表し、関係諸団体に御礼を述べ、離日まではもう少し時間があるものの彼女たちと盃を交わすのも最後のチャンスみたいだったので、みなさんの前で贈る言葉を述べた。

当院に来た中国の先生方には同じ様に贈った「左様なら」の意味と願い。

あなた方が健康で幸せに!会津で学んだ事を活かし一人でも多くの人々を救ってあげて欲しい。そして我々の友情が日中友好の一助になるよう、左様であるならば私は嬉しい、という願いを込めた、それが「さようなら」の言葉・・・。

別件もあったので、握手をして中座した。

「ぜひ、中国に来てください!」と熱いお誘いを受けた。

中国の友好病院を訪問してからもう8,9年になるだろうか?その後、会津に来た研修生もかなりの人数になる。

その間、当院のから理事長が何度か訪問しているが、その度に同行の通訳のKさんは「院長とヒゲの理事はどうして来ないんだ?」と質問攻めになるらしい。

新そばの会へつれて行ったり、大相撲へつれて行ったり、飲食をともにし、楽しい体験を共にし面倒を見るのが得意なので、印象深い人だ!と思ってくれている修了生も多いみたいだ。

「ぜひ来て欲しい!」と言われている内が花。

来年あたり院長や数名の医師を連れて、本格的な病院訪問(講演会・研究会などの医学交流も入れた)のチャンスを作ってみようかなぁ。

なんでも大袈裟な国だが、きっと大袈裟ではなく熱烈歓迎をしてくれるはずだ。

懐かしい顔に会い「カンペー!」を交わす・・・ただし、あの白酒(パイジュ)は強烈なので飲み過ぎには注意しなくてはならない!

2017年10月19日 (木)

真打登場

今日はまだ10月半ば、なのにこの寒さ。季節は一気に冬隣りだ。

この週末にでも・・・と言っていたが、今朝コタツを出してしまった。

出してしまったというのは正確ではない。

コタツそのものを座卓として生活しているので、座卓の天板を外して、コードをつないで、炬燵掛けをかけてまた天板を据えると、座卓がコタツになるということ。2,3分で早変わりだ。

一瞬にして居間の佇まいがガラリと変わってしまう。早くも冬場の真打登場だ!

庭の木立ちも急に寒そうな顔になる。まだ紅葉落葉もしていないのになぁ・・・。

それにしても記録的な寒さらしい。

磐梯山の上の方は雪で白くなった。まだ10月。

会津だけでなく東京が寒い寒いと大騒ぎしているから、全国的におかしな天候なのだ。

こんな感じで冷たい秋雨が続き、そこに、はるかかなたの台風21号が襲いかかってきたら錦秋の会津路はどこかに行ってしまうのではないかと心配。

観光会津、稼ぎ時の10月がすっぽり抜けちゃうような感じです。

稼げるときに稼ぐ、それはどんな業種でも大切な事。

お金は天下の回り物で巡り巡ってみんなが良くなるわけだから。

改めて、人間って気温に敏感なんだなぁ!と思う。

「芋煮会」真っ盛りの時期なのに、この寒さだと何だか「忘年会」の方が頭に浮かんでくる。

あ?そんなのは私だけですか・・・。

2017年10月18日 (水)

一転

降ってわいた様に始まった総選挙は、一瞬、野党再編で安倍政権転覆か!との期待を持たせたが、あっという間にその希望はしぼんでしまった。

K都知事の支持率はこの夏まで80%を越えていたというが、選挙中に初めて不支持が支持するを上回ってしまったという。

わずか数週間の間に何千万人もの人々の心変りが起きるのだから、考えてみれば空恐ろしい。

きっと、ずっと温めていたのだろう。マスコミもここぞとばかりに『みどりのたぬき』呼ばわりに一転した。

右から左まで合わせ飲んだ政党をそのまま丸呑みするのはおかしい・・・それはそれで間違ってはいないと思うのだが、今それを持ち出してはダメだったんだねぇ。

安倍政権を終わらせる!というのが本当に第一義であったなら、その目的のために野党砦に集まったすべての戦士を受け入れて総力戦で戦わなければならなかったという訳だ。

まずは独裁政権を倒す!その目的達成のためには手段を選ばない、それが政治なのだ。

手段を先に選んでしまって仲間割れを起こしたのでは巨大な敵の思うがままになってしまう・・・んですね。

緑は希望、白は潔癖、赤は情熱、青は誠実、いろんな色を混ぜると益々汚い色になってしまうのは分かるけれども、結局、黒に飲み込まれたのではみんなが黒になってしまう。

もはや320議席を越える大勝利だと、予想屋は叫ぶ。

「権力は暴走する」とは言うが、すでに「権力は暴走している」最中に行われた総選挙、ブレーキではなくてアクセルをドンと踏み込む事になってしまうのかもしれない。

ペダルの踏み間違いによる誤発進、残念がら安倍車には衝突防止のためセーフティ機能はまだ装備されてはいないようだ。

冷たい雨の会津、一気に冬隣りまで季節が進んでしまったみたい。

そんな会津でも自民党候補の優勢が、日増しに度合いを増しているそうです。

選挙区の組み替えがあったためなのか、まだ一度も、どなたの選挙カーにも出くわしていない不思議な選挙です。

2017年10月14日 (土)

ひょんなことから

戊辰150周年を記念して「オペラ白虎」が来年上演される事になった。

このプロジェクトのリーダーというか、仕掛け人というか、オペラを実現させた張本人のM氏から実行委員会に名前を連ねてもらえないだろうか、という連絡が入った。

初演を見ていたく感動したので、私で役に立つなら、と顔合わせの会に参加する事にした。

その席に前会津大学学長のTご夫妻がいらした。

顔合わせは順調に済んで、お酒も入っていろんな話になった。

いきなり、T夫人が俳句の話をし始めたのである。

聞けば郡山のカルチャースクールに通い出し、俳句にはまっているらしい。日本語の素晴らしさ、俳句の面白さを絶賛する。

とはいえ、彼女の俳句の話を引き受ける人がいない。

なんとなく「私も全くの素人なんですが、俳句は好きなんです・・・」みたいな事になった。

父が会津ではそこそこ有名な俳人で、高齢者学級で教えていたりした事。俳句は難しい、高度な言葉遊びだ、などという事を言うと、俄然食いついてきた。

どんな俳人が好きか?とか、誰誰は素晴らしい、とか。

おまけにご自分が最近詠まれたた句などもご披露された。なそれがかなか新鮮で悪くない。

私も調子に乗って、実は以前から句会というものを一度やってみたいのだが、宗匠になって指導してくださる先生がいない事を口にした。

「小沢昭一さんや永六輔さん、吉行和子さんなんかの句会の話を読むと憧れますよね~」みたいな事を言うと「私が探してあげるわよ!」という話しにまでなった。

なんでもカルチャーセンターの先生が郡山でも有名な先生で、その娘さんが会津高校の国語先生でこの夏に俳句甲子園で松山に生徒を連れて行って、特別奨励賞かなんかをもらったんだそうだ。

その先生が指導してくれるのではないか、という。

その晩はT夫人も大そう上機嫌で、右と左に分かれたのだが、その後の反応がすごく早く驚いた。

お父さんから娘さんへ、その都合やこちらの要望など伝えて、話はとんとん拍子に進んだ。

福岡のゴルフ行の旅先へ何回か電話がかかって来て、ご指導いただけるというM先生とも直接お話をする事も出来た。

私自身、少々酒も入ってヘラヘラと話した事がこんなにもとんとん拍子に進むとは思わなかったので少々面食らった。

第一、句会をやってみたいと言ったのは私一人であって、句会なんぞやってみたいという人がいたわけではない。

まずはメンバーを探すところから始めなくてはならない。

それが思い浮かんだとしても、あの人は今ひとつ、あの人では愉しくなかろう・・・、あの人は堅すぎるなど、そう簡単ではない。

どうしたもんか?と考える暇もなく、宗匠のM先生も(女史)大いに乗り気で一度仕事場まで会いに来てくれるという。それでは恐縮ですというと、通り道ですからという。

で、直接宗匠にお会いする事になった。

まだ40代だろうか。俳号もちゃんと持っていらして、とても気さく、その上、教え好き、というのがキラキラした瞳によくあらわれている。

「お電話した時、私青森にいたんです」と、青森のお酒とニンニク醤油のお土産までいただいてしまった。

なんでもご主人が青森に単身赴任中なのだそうだ。

ここまできたら憧れの句会、本当にやってみるしかあるまいて。

8人から10人程度が良いんじゃないでしょうか?とのアドバイスをいただいた。

全員が初心者である事はご了解いただき、只今一人で人選中というところなのである。

「一ヶ月程度はお時間ください」「私の方は全く構いません」

曜日は木曜日が良いでしょうとの事。合評の後はお酒もOKとのお許しもいただいた。

ひょんな事から本当に実現しそうな句会・・・。

どうなる事やら、ではあるものの、ささやかな楽しみがまた一つ増えました。

2017年10月10日 (火)

博多へ

会津高校の同窓生で行った還暦旅行から続いて、毎年秋にゴルフ旅をするようになり今回で早いもので4回目になる。

福岡、北海道、金沢と続き、今回はまた福岡へ。

私は北海道は欠席だったが、五分の四というなかなかの出席率で参加している。

その都度、メンバーの出入りは若干あるが、8名で2パーティ、出来るだけ名門のコースを2ラウンドする、2泊3日の旅だ。

同窓生、同級生というのは、誰にとっても一番気が置けない大切な仲間、といえるだろう。

60歳過ぎまで生きて来ると自動的にいろいろなものがふるいにかけられて、気の合う、気心の知れた、気を使わずに済む奴らだけが残るものだ。

健康面にしても、経済面にしても、また性格や癖など、合わない人間とは自然に縁遠くなってしまい一緒に旅行に行ったりはできないものだ。

それを思うと、旅の帰り路には誰からともなく決まってこんな言葉が出る。

『嗚呼~滅茶苦茶楽しかったなぁ。しかし、一体いつまでこんな風に遊べるんだべな?ゴルフして飲んで食って、まさに健康あってこそだよなぁ~、感謝しなきゃな。』

オヤジどもは腹の底から笑い、心の中では天に向かって手を合わせるのであります。

さて、今回は全く酒を飲まないし運転も上手、ゴルフもドライバーだけはプロ級というOくんが初参加した。

これ幸い、とばかりに旅行中のハンドルキーパーを一任、出発時からコンビニで酒をたっぷりと買い込んだ。

新潟空港経由で福岡行き。開業医のTくんが居るので出発は午後になる。

新潟空港で寿司をつまみ、すっかり出来上がった一行は一路博多へ。チェックインが9時過ぎ、各自思い思いに中洲に散った。

私は東京から合流のYくんを誘い、ニッカBar「七島」を訪ねる事にした。博多に来る度に何度か訪れている。

会長バーテンダーは御歳85歳、今も現役でホワイトコートを着てカクテルを作る。チーフバーテンダーはそのご長女、博多でも老舗のBarだ。

久しぶりのあいさつをして会長と一緒に一枚写真を撮らせてもらった。

この店から50メートルほど離れたビルの3階にこれまた老舗の「ルリ子」という会員制のスナック(クラブ?)がある。

どんなに偉い人でも紹介が無ければ入る事が出来ないという店、この店も以前に七島の会長に紹介してもらった。

「ちょっと行ってみようか」という話になった。

入店した時はほぼ満員だったが入れ違いにお客さんがすう―っと引けた。

客席が25席ほどの店に女の子が10数人いる。それも皆きれいで実に感じが良い。チイママの炯眼と躾が行届いているのだろうと感心する。

あんまり調子に乗らないように・・・明日はゴルフで朝も早い、2、3杯で切り上げた。

Yくんは大いに気に入った様子。仕事で年に数回は博多に来るらしく「博多に来る楽しみが増えたよ」と、ぶっとい眉毛を和ませた。

一日目は「志摩シーサイドカンツリークラブ」、二日目はプロのトーナメントも行われる「芥屋カントリークラブだ」

とても10月とは思えない暑さ、雲ひとつない青空が広がり、まるで夏の様な日差しが降り注いだ。特に二日目の暑さはハンパ無く、30度を越えた。

この高温下の連チャンのゴルフが堪える事は、スコアが如実に物語っていた。

もちろんコースの難度もあるが、あまりにも違う。一日目のベスグロは85点、私も95点と頑張り、メンバーの多くは100点を切った。

それが二日目はベスグロが102点、あとは推して知るべし、書くのも憚られるような情けないスコアになった。みんな揃ってだ。

「やっぱ歳だなぁ~」が偽らざる感想、しかしそんな事に負けている一行ではない!

一日目のゴルフを終えた宴会は前回も行った「稚加栄」、いけすの魚が美味しい名店だ。

嬉しい事に前回付いてくれた仲居さんが、なんとなく覚えていてくれてあいさつに来てくれる。

獲れたてのイカに関アジ、懐石コースをたいらげ、シャブリ4本、日本酒・ビールはカウント不能なぐらい飲んだ。

私のゴルフは一日目が優勝、二日目がBB(ブービー)という大波な成績。賞金、ニギリ分を合計して若干のプラスという事で、まずまずと言ったところだ。

あっという間の2泊3日を終え、帰りの磐越道は真っ暗だった。

行く時は、みんなで吉田拓郎を合唱したりして、まるで子供の遠足みたいだったのに、どことなく空気も重い。

さすがに酒も、もう進まない。

「来年どうすんだ~?」「来年なぁ・・・」「四国とか、名古屋とか・・・」

「な、な京都はどうだべ?京都で一杯やるのもいいんじゃね?」「このメンバー、京都が似合わないような気もするけどなぁ」

「んな事ねえべ、京都もいいべした、滋賀県には有名なゴルフ場も多いし」「そうだな、当たってみっか!」

という事で少しは元気を取り戻した一行、10時過ぎには各々、現実世界に戻って行ったのでありました。

みんな、元気でな。まだまだ脱落するんじゃないぞ!!

2017年10月 5日 (木)

幼稚園

孫ちゃんもいよいよ来春には幼稚園に入る。

住んでいるところの近くの幼稚園をいろいろ見て歩き、一番近い幼稚園がやっぱり一番良さそうだと狙いを定めたらしい。

私立の幼稚園なのでそこに入るためには、受け付け順なのだそうだ。

従って月曜朝の受け付けを目指して、とにかく並ぶ以外に手はないのだという。

iphonの発売日みたいに、徹夜覚悟で並ぶしかないという。

可愛い孫のためなら仕方がない、と家人は金曜日に会津を発った。自分が並ぶわけではないがパパ・ママのサポート、孫の面倒を見るためだ。

家から近いので並び具合はすぐにチェックできる。

土曜日の夕方には誰も並んでいなかったらしいが、19時過ぎに見に行くともう5,6人が並んでいる。

「すわ、大変!」とパパが用意した椅子と敷物を持って家を飛び出した。

それからひと晩を道路で、次の晩には園庭に入れてもらってさらに一夜を並び通した。時折、家人が代わり、食事やお風呂、トイレを済ませてまた並ぶを繰り返したというから大変だ。

ママは孫が離れないので並ぶわけにもいかず、家人が大いに活躍する事になった。

月曜の朝、30数名の定員の前三分の一ぐらいの順番で無事に入園手続きを済ませて、入園権を獲得したという。

なんといっても一番頑張ったのはパパ、一番ほっとしたのはママ、訳も分からず「やったー!やったー!」と騒いでいるのが孫のFくんだ。

月曜にお祝いをして、アレコレと孫に買ってあげて、火曜の夕方に家人は疲れ切って会津に帰って来た。

夕方、駅へ迎えに行き、駅前のピッボットで刺身と寿司を買って久しぶりの乾杯。

少々、興奮気味に事の顛末を細かく話してくれました。

そして、誕生日にFが私の似顔絵を描いて送ってくれたので、今回は自分の絵を描かせて嬉しそうに持って帰って来た。

入園決まって良かったね、おめでとうFくん!

2017年10月 2日 (月)

二つの百年

二つの百周年記念式典に出席した。

一つは「会津弔霊議会財団法人設立百周年」そしてもう一つは「会津学生寮百周年」だ。

百年という歴史はハンパなものではない。

それを作り育み、守り通した先人たちの労苦、それを受け継ぎ後世に伝えて行こうとする今を生きる人々、そしてこれから先も必要とする未来人があって初めて刻む事の出来るものだ。

「会津弔霊議会の百周年」は9月24日会津まつりの最終日に行われた。

弔霊とは、あまり聞き慣れない言葉だ。辞書を引いても出てこないが、まさにその文字の著わす通り、多くの霊を弔うための会だ。

戊辰戦争によって会津は大きな犠牲を強いられる事になった。若い白虎隊士はもとより、老人、婦女子、子どもと数多くの命が戦争によって失われた。

攻め込んだ西軍の兵士も合わせると数千名もの屍が会津を埋め尽くした。

そうした先人たちの霊を慰めようと大正2年に会津弔霊議会は設立され、大正6年に財団法人の認可を得た。以来百年という事になる。

ちなみに私の父は大正2年生まれだったから、生きていれば今年で104歳という事になる。

設立以来百年にわたり、阿弥陀寺や長命寺、飯盛山での墓前祭を欠かすことなく、また県内外のゆかりの地での祭典などにも参列。さらに各墳墓、史跡の維持・保存・改修などにも努めて来たというから頭が下がる。

百年かけてなお霊を弔い続ける。会津における戊辰戦争の傷跡はかくも大きく、悲惨だったという事だ。

当日の式典では、まず剣舞の奉納が行われ、その後、粛々と式典が進められた。

続く記念講演では会津松平家十四代当主・松平保久氏が「戊辰百五十年に思う会津の魂」と題して講演を行った。

そして、盛大に祝賀会が行われた。

『戊辰の役における旧会津藩戦死者の霊を祭祀するとともに、旧会津藩士の果たした歴史的役割及び精神的遺産を顕彰し、後世に継承する』

この会の理念はこれからも長く受け継がれていくに違いない。

もうひとつの「会津学生寮百周年」は10月1日に東京の会津寮で行われた。

本来であればホテルなどの会場を借りて盛大に行われるところだろうが、百周年の記念事業のために集められた寄付金、浄財は出来る限り学生たちのために使おうという事で、式典、祝賀会も簡素に会津学生寮の食堂で行われた。

会津学生寮「至善寮」は、東京文京区千石の地に大正6年、木造二階建ての寮として産声を上げた。

寮は首都圏で学ぶ学生(苦学生)に健康で文化的な環境を提供しようとの目的で、多くの先人達が私財を投じて建てた。

昭和34年に現在の鉄筋コンクリート4階建ての建物が完成し、開寮以来の卒寮生は1397名を数え、日本の発展に大きく寄与してきた逸材も数多く輩出している。

記念事業では、寮の老朽化に伴い不便極まりなかった浴室のボイラー入れ替え&水回りの整備、トイレの様式化ならびにウォシュレット化を行った。

寄付金が予想以上に集まったためさらに、1階フロアー・食堂のリフォーム、玄関整備、個室の配管撤去工事なども行う事が出来、学生の生活環境は大いに向上したものと思われる。

東大に歩いて通学が出来、また他の有名大学の通学にも好立地の会津学生寮、全室個室・朝晩2食のまかない付きでなんとひと月47000円という信じられない寮費である。

リーマンショック以降、入寮希望者が増え続けているが部屋には限りがある。毎年2月に会津で選考会が行われるが、希望者が4,5倍という狭き門だ。

その選考会には地元にいる理事として私も参加している。

学業への情熱、加えて経済的事情を鑑み、ふさわしい若者を真剣に選抜しているつもりだ。(責任重大なのです)

さて、紅白幕の張り巡らされた食堂にパイプ椅子での百周年記念式典、祝賀会は立食で食堂のおばちゃん手づくりのオードブルを味わった。

もちろん入寮生も参加し、和やかな雰囲気の内に行われた。

『先人達、両親に感謝し一生懸命勉強して社会に貢献できる人物になれ!またこの寮での暮らしを一生の宝と出来る様な素晴らしい青春を過ごせ!』

と、式辞も祝辞も、先輩たちの言いたい事はこれに尽きる。

弔いの百年、人づくりの百年、会津は心ある歴史を刻み続けている。

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