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2017年9月 2日 (土)

ビンタ

トランペッターの日野皓正氏が中学生を指導していて、かなり頭に来てビンタをしたという出来事が、映像と共に報じられている。

コメンテーターと称する学者や教育者、芸能人などが偉そうにコメントを述べる。

決まって「暴力はいけない。そういう時代じゃない。教育の現場であってはならない事・・・・」まるで自分が聖人君子であるかのように、しごく無難な意見を言う。

確かに日野さんほどの人がこどもに手を上げた、それも衆人監視の前で、と、そこだけを切り取って聞かされれば驚く。

キレる老人、キレる中高年の延長かと。

ある調査によると、駅員への暴行事件はそのほとんどが中高年以上の人が起こしているらしい。

キレる若者、というイメージがあるけれど、実際は切れないイメージの年寄がキレる時代なのだ。

これは一体、何に起因しているのか分からないけれども想像するに、まず現代の中高年は、昔の中高年よりはるかに若く元気だという事がひとつある。

そして中高年の人々は総じて体罰が当たり前の教育を受けて来ており、その青春時代も今よりはるかに暴力が身近な環境だったという事ではないのだろうか。

学校には不良が必ずいたし、番長やスケ番など会津にも居たもんなぁ。

喧嘩は日常茶飯事だったし、先生が手を上げるのも珍しい事ではなかった。

私の行った中学には国語のB先生という怖くて面白くて人気のある先生が居た。その先生が叱る時の得意技は『ゲンバク』というアタマゴツン!

直径が3センチほどもあるぶっとい万年筆をいつも上着のポケットに入れており、その万年筆のお尻で、脳天を「ゴツン!」とやるのだ。

何回か食らったが、痛くて涙が少し出た。

もちろんそういう体罰がいいと言っているわけではない。

しかし、なんでも暴力反対!と言えばいいというものでもないだろう。

世界的なジャズメンである日野氏は教育者ではない。音楽、それも中学生にジャズを教える先達なのだ。

元来、芸術や芸事の世界は、その師に習いたいから教えを請うものだ。

そこにはその師の人間性全てをひっくるめて了とし、いくら叱られようが、灰皿を投げられようが、それでいいですよ、という暗黙の了解がある。

「この手の動きが悪いんだ!」とピシリと竹鞭で手を打つ指導を、果たして暴力と言うのだろうか?

その師に習いたいから習っている。

習いたくなければ(その師が嫌なら)逃げ出す自由は生徒の方にある。

今回、みんなが見ている前で怒ってしまった自分に一番傷付いたのは、日野皓正氏本人ではなかろうかと思う。

そんな事を言うと、子どもの人権を何だと思っているんだ!とお叱りを受けそうだが、当の子どもがバンドを止めないで!と言っているのだから、すでに彼と両親、日野氏の間では解決済みの出来事ではなかったのだろうか。

まるで一大スキャンダルのように、週刊誌の売上部数を伸ばすために取り上げるような話題では鼻からない。

手を上げる・・・これはやっちまった側にも大きな傷を残す。

娘がまだ小学校前の時に、原因が何だったかも忘れたがもの凄く頭に来てしまい、思わずスリッパで彼女の頭をかなり思いっきり叩いてしまった事があった。

娘は大泣きしたが、やっちまった自分も相当に落ち込んだ。

その事は、今もずーっと忘れない。右手のひらにあのスリッパの感覚が今も残っているようだ・・・ゴメンネ。

暴力なんか、しない方が良いに決まっている。でも、愛していればこそ止まらない(やっちまった!)、止められないものだってあるんだ。

中学生の彼がドラムを叩き、日野さんがラッパを吹いて・・・お互いの演奏で心が通じ合える。

そんな素敵な世界の、ちょっとした出来事に目くじらを立てる方が、醜い。

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