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2017年9月

2017年9月30日 (土)

見慣れぬ観衆

「会津まつり」はこどもで始まり、子どもで終わります!と、初日の提灯行列の先導のアナウンスが沿道の観客に知らせていた。

確かに、こども会の提灯行列で幕を開け、最後は日新館童子行列と市内全小学校による鼓笛隊パレードで幕を閉じる。

最終日の9月24日の朝、若松一中の校庭にこども達が集まる。

まつりの三日間まずまずの天気、最後の日が一番良い天気となった。日差しもあり少し汗ばむ。

朝の8時半に歩いて家を出た。

一中までは飯盛山から真っ直ぐの下り坂。20分ほどの程のちょうど良い散歩だ。

若松一中は我が母校、学校に入るのは何十年ぶりだろうか?

PTAのお父さんお母さんが、会場整理に当たっている。当院のPTAも何人かいた。

侍衣装に着替えたこども達、先生方が体育館で勝鬨(かちどき)の練習をしている。

恥ずかしくてなかなか声が出ない。それをお母さんたちが心配そうにぐるり取り巻き見守り、応援している。

9時から開会式、鼓笛隊に出席する学校は、時間差があるため半分ほどの出席だ。

市長さん、教育長、市子連の会長さんなどのあいさつが続く。

「こういう経験が出来る事に感謝して、先人たちの苦労に感謝をささげ、元気よく頑張りましょう!!!」

いよいよ9時半に中央通りの端っこから出発、童子行列は鶴ヶ城本丸まで。鼓笛隊は神明通りの端っこまでを元気に行進する。

よく晴れた秋の空、日陰はすう―っと涼しい。やっぱり秋の空気だ。

先回りして中央通りの中ほどまで行く。すでにびっしりの観客だ。

それも若いお父さん、お母さんたちだ。なんだか、藩公行列の観衆とは全く雰囲気が違うのだ。

考えてみれば市内の全小学校が参加している。その4年、生5年生の父兄、そしてじいちゃん、ばあちゃんがほとんどみんな来ているわけだ。

お父さん、お母さんたちもそれぞれにお洒落で、暴走族上がりみたいな人やモデルさんみたいな人も沢山いる。

会社で言うと元気一杯の主任です!グループリーダーです!みたいな感じの人たちだ。

会津にもまだまだこんなにも大勢の見た事無い人が居るんだ!と感心してしまった。

通りの両側にびっしり、神明通りの先まで続いている。

大きな笑い声、赤ちゃんの泣き声、小さい子の歓声が響き渡り。なんとなく心が弾む感じがする。

12万人を超える人口と言うのはやっぱりハンパな数じゃないんだ。これだけの人々が巻き起こす経済力と言うものも、きっとまだまだ捨てたもんじゃない。

どうも、少子高齢化、人口減少と言われ慣れていて、地方都市はどんどん衰退していくイメージがこびりついている。

確かに人口は減っているけれども、それで残された人達の元気が吸い取られるわけでもない。(ここが肝心)

確かにコップの水は10%ぐらい減っているけれども、残りの90%はフレッシュで元気のいい水、活水なのだと思えば、捨てたもんじゃないという気持ちにもなる。

人口減少を食い止めて、少子高齢化に対応した政策も確かに大事。だが、本当は残りの90%が元気になるような政策が一番大事なんだと改めて思う。

今、いる人たちがいかに元気に幸せに生きるか?

その事を優先させて頑張れば、付随する問題は案外自動的に解決されるのかもしれない・・・。

秋空に響くこども達の勝鬨!人込みをかき分け神明通りの先まで行ってみた。

やっぱり普段見慣れぬ若い観衆で一杯だ。

高い空に響き渡る鼓笛隊の演奏、一斉に向けられるカメラとスマフォ、そして大歓声!

みんな元気だ。

じいちゃん、ばあちゃんもまだまだ若い(悔しいが私よりほとんど年下)

響き渡る拍手を聞きながら、なんだか少し嬉しい気分になった。

2017年9月29日 (金)

正しく笑い、正しく泣く。

秋の初めに悲しい出来事があった。

一人の若者が自らの命を断ってしまった。その原因がなんとも分からない。

ある問題を抱えていた事は分かったが、それが果たして命を断つほどまでの深刻な問題だったのか・・・?

「残念」という以外の言葉が見つからない。

仕事ぶりは全く問題が無かったという。むしろ優良な方で期待をしていた、と上司は話した。

同僚も暮らしの荒廃や、精神的な落ち込みなど全く気付かなかったと言っている。

一人問題を抱え込んで、本人はもがいていたのだろう。

残された部屋の荒んだ風景に、後始末に行ったご家族は息を飲んだという。

離れて住むご家族も、連絡は頻繁ではなかったものの、それほどの変化、問題があった事は全く知らなかったという。

こんなにも、誰にも知られずに一人で深い闇を抱える事が出来るものだろうか?と信じられない気持ちになる。

仕事の合間のちょっとした時に見せる表情やため息、本当に誰も気づかなかったのだろうか?

気付かないとすればそちらの方が問題ではなかったのか?とさえ言いたくなるほどのケースだ・・・。

昼食の間もスマフォを手放さない若者達。

昼休みしか見られないから仕方が無いと言えばそれまでだが、それほど緊密な連絡が必要なのだろうか?

SNS上には三桁を越えるお友達が居るのに、直接、愚痴のひとつもこぼせる相手が目の前に居ない不思議。

昔こんな言葉を聞いた事がある。確かゲーテの言葉だったと思うが、ネットで調べても出てこないのでもしかしたら違うかもしれないが、こんな内容だ。

『友人が悲しみの淵に沈んでいる時、人生の苦しみに悩んでいる時、あなたがしてあげられる事はなにもない。友人として最も大切な事は、その友人が喜びや幸福の絶頂に居る時に一緒になって心の底から笑い合うことだ。』と、こんなような意。

何も出来ないという事はないだろう。そばに居てあげらる事ぐらいはできる。

しかし、問題を解決することが(ほとんど)出来ないのは事実だ。

気の置けない友達と腹の底から笑って遊ぶこと、楽しいひと時を過ごすことは人生を色鮮やかに彩る。

それも本当の事だ。

誰かと思い切り笑い合う出来事、そんな楽しい記憶が沢山あったなら、突然、川を渡って向こう岸まで行ってしまおう、などとは思いもつかないかもしれない。

喜怒哀楽、人生は様々な感情に満ちている。その感情のひとつひとつを正しく味わう事きっとが大切なのだ。

一人、バーチャルの世界で味わう喜怒哀楽、それはどこか希薄で薄っぺらい疑似体験にすぎない。

もしかすると「死」だってちょっとボタンを押すだけ、そんな簡単な選択になってしまっているのかもしれないと思うと、気持ちがふさぐ。

正しく笑って、正しく泣く。

正しく怒り、正しく喜ぶ。

それらを人と人とのぬくもりの中で、味わい体験する事の大切さ・・・・。

『スマフォを捨てて街に出よう!』今は、そんな時代なのかもしれない。

奥会津の空はどこまでも高く、河原のススキが黄金色に輝いていた。

2017年9月25日 (月)

会津まつりを見る

あいづ最大のイベントが秋の彼岸に行われる「会津まつり」だ。

今年は、この連休、四つもお誘いのあったゴルフコンペを全部キャンセルし「会津まつり」を見て回った。

と言うのは、誰が言いだしっぺなのかよく分からないのだが(おそらく市のトップや経済界のトップの方々の話の中から飛び出したプランだろう)、この春に「会津まつりの今後の方向性を考える検討委員会」と言うものが作られ、その委員を委嘱されたからだ。

断っても良かったのだが、正式な委嘱が来る前にある人から直に頼まれいて、断りにくくなっていた。

委員はこれまでありがちな当て職のお偉いさんを集めた顔ぶれとは異なり、実際にまつりに関わっている関係者や若手経済人、また委員の半分が女性と言う顔ぶれの約10名。

その委員会の第一回の会合で私が委員長、旧知の先輩のS氏が副委員長と言う事になってしまった。(ちょいと責任重大だ)

9月のまつり本番までに3回ほど会議が開かれ、わりと熱心な議論が重ねられた。

そして9月の本番には、委員の方々には出来るだけまつりの現状をご覧いただきたい!と言う事になったという訳だ。

家人には経過を話し、今年はどこにもいかない事、また車での移動は出来ないので、出来るだけの送り迎えを頼んだ。

まつりの幕開けは9月22日夕刻から行われる「提灯行列」だ。市内の子ども会のこどもたちによって行われる。本丸で開会式を行い、本丸を出発し、神明通りまで。

この提灯行列の到着を受けて神明通りでは19時から「会津磐梯山踊り」が盛大に行われる。

翌23日はまつりのメインイベント「歴代藩公行列」が行われる。

朝8時半から本丸内で先人感謝祭が行われ、出陣式へと続く。行列は本丸を出て、若松一中へ。昼休みを取り中央通りから本町商店街、山鹿町を通り本丸へと帰陣する。

総延長距離7キロメートルという、時代行列の運行にしてはかなりの長丁場だ。

またその晩も「会津磐梯山踊り」が神明通りで行われる。

そして、最終日の24日には市内の小学生による新館童子行列が若松一中を出発して本丸まで。続いて市内の全小学校が参加する鼓笛隊パレードが(テレビ中継もされる)同じく一中を出て神明通りまで行進をする。

これが、会津まつりの主要イベントだが、この間に飯盛山での墓前祭や、長命寺、阿弥陀寺での慰霊祭、新撰組祭りなども行われる。

また、本丸での十楽や、会津商工信用金庫さんの駐車場では会津各地の物産を集めたうまいもの市なども行われていて、なかなか盛り沢山なのだ。

この三日間に主要イベントは一通り見た。行列にも着いて歩いたし結構足が棒になった。(真面目なもんです)

ま、これからいろいろと振り返り、検討を重ねなければならない訳だが、三日間を見ての第一印象は「会津もまだまだ捨てたもんじゃないですね」と言うところかなぁ。

こども達も大勢いるし、観光客も決して少なくはない。ボランティアの頑張りも目立っていたし、まつりを喜ぶ(楽しむ)市民も大勢いた。

我々がこどもの頃の会津まつりの賑わいと比べたならば、それは比べ物にはならないかもしれないが、時代の変化を思えばいた仕方ないところもある。

「それでもまだまだ元気だ!」と言うのが率直な印象だ。

ともかく三日間、まずまずの天気に恵まれた(22日の夜の間に雨は降りきった感じ)のが、なんと言っても大きい。

まつりは見ました。

これからいろいろとみなさんと共に考えて、今後の方向性を真面目に、真剣に考えてみたいと思っている。

2017年9月20日 (水)

台風一過、憂さも晴れ。

結局、大運動会は会津が台風の進路にもろにかかっているので、早々に中止が決まった。

実行委員会は入念な準備を進めて来ただけに無念だろう、つい先日カラー刷りのパンフレットや屋台の食券まで配られたばかりだ。

17日、結局は午前中いっぱいは雨も降らずだったが、気持ちの悪い風が時折吹いて、テント設営も大変だったろうし、後片付けはびしょびしょになったろうから、中止の判断は正解だったといえる。

土曜、日曜と時間が空いてしまったのでDVDを借りた。いつも4本借りてしまう。3本ほど見たが、あまり当たりは無かった。

動きの遅かった台風18号は、上陸して九州を抜けるや一気に加速した。時速80キロ以上のスピードで秋田沖まで進んだ。

会津は、幸いな事にさしたる被害もなかった。

この台風で18日の敬老の日に行われる予定だったM市長さんのコンペも、十中八九中止かと思われたが台風の速度があまりに早く、なんとか行われる事になった。

時折、霧のような通り雨には当たったものの、涼しい曇り空でまずまずのコンディション。ただ風がけこう強かった。台風一過の吹き返し、これはいた仕方なしだ。

久しぶりにH先生と回った。

以前は月例の組み合わせが自由に申し込めたのでよくご一緒したが、それが出来なくなった事、またスケジュールが合わず月例自体に全然出られない事もあり久しぶりだ。

強風の中、100点を切ったのでまずまずと言うしかない。

H先生は昨晩、緊急手術で長時間立ちっ放し、あまり寝てないとのことで前半はすっかり生彩を欠いたゴルフ、昼飯を食べてビールに焼酎を飲んだら午後は良くなった。

結局2打負けた。

M市長のコンペと言うが、M市長はラウンドはされなかった。ゴルフはあまり得意ではないらしい。

もっともこの日は敬老の日で、式典もあり市長さんがゴルフを出来るはずはなかった。

その式典も台風で開催が危ぶまれたが、なんとかできて良かったという。

もし中止ともなれば記念品を各自市役所に取りに来てもらわなければならない、そのために市役所周辺は大渋滞をきたすのだそうだ。

年金の受け取り日、生活保護費の受け取り日など、市役所周辺は渋滞するという。

その昔、東宝通りの旅館などは年金支給日になると昼から焼鳥屋さんになって、年寄で溢れていたっけ。飲んで騒いで・・・上が旅館だけに元気なお年寄りには怪しげなこともあったらしい。

今は昼からカラオケ店か?カラオケは健康に良いらしいから、老人の泥酔よりは健康的でずっといい。

さてゴルフコンペ。

表彰式から市長さんがお出ましになった。ハンデホールも全くハマらずに順位は下から数えた方がはるかに早かった。

すごく地味な長そでのポロシャツをいただいた。秋からの朝歩きに最適か。

賞品をいただいた際に市長さんから「竹田さんがこんなに成績が悪いなんて意外でした」とのお言葉をいただく、この市長さんはひと言多いと言われる事でも有名なのだ。

H先生はハンデが付いてトップテン入り、瑞々しい梨を一箱もらっていた。

「久しぶりにワインでも飲もうよ」と言う事になり、同伴組でそのまま「厨」に流れた。

三連休の最後の休日なので(病院は2連休でしたが)、空いている店もあまりない。

店内は顔見知りの人でほぼ一杯だった。

難題山積でH先生が相当疲れている事は分かっていたので、笑いっぱなしの時間が長く続くような馬鹿話で盛り上がったのは、実に良かった。

ホン軽くのつもりが、あっという間にワイが3本も空いた。

飲んで笑って肉を食べて。運動会中止の憂さも美味しいワインですっかり晴れた。

2017年9月15日 (金)

おすわり

中学時代によくおすわりをさせられた。

中学2年、3年と女性のT先生が担任だった。体育の先生で新体操の指導者、バリバリに元気な先生だった。

この先生には本当にお世話になった。高校受験時に母親が福島医大の病院に長期入院してしまう事態になり、周囲は大分心配した。

本人はわりと平気で難なく受験を乗り切ったが、実際はT先生のサポートのおかげだったと思っている。

そんな事もあり、今もお付き合いをさせていただいている。

そのT先生は女性という事もあって体罰は反対派だったのだろう。代わりによく、「おすわり」を命じられた。

机の脇に正座させられるわけだが、5分もすると足がしびれて来る。結構きつい。

私は特にかわいがられていたのかもしれないが、よく職員室に呼ばれて、先生の机の脇に座らされた記憶がある。

他のクラスの男の先生がやって来ると「なんだ、またオメか、今度は何やったんだ?あんまりT先生を困らせんじゃねえぞ!」と冷やかされる。

T先生は涼しい顔で、机の上でせっせと採点に精を出している。ひどい時には小一時間もおすわりさせられた。

「先生もういいべ、勘弁して~」「ダメ!」「分かった、反省してます」「全く反省してないと顔に書いてある」

そんなやり取りを経て、解放されるとすっかり嬉しくて、なんで怒られたのかも忘れている始末だった。

その、おすわりや立たされるという行為も今では体罰と認定されていると、恥ずかしながらつい最近知った。

南会津の中学校で生徒に正座を命じたという新聞記事が、三面ではあるがデカデカと出ていたので驚いた。

教師の暴力事件と同じ扱いだ。

座らされた方は、何で座らされたのかよく分かっていない。

読めば確かに先生の一時のヒステリックな怒りが引き起こした不条理な出来事にも思えるが、それにしてもだ。

誰もが告発者になれる社会は、ある意味、誰もが必殺仕置き人になれる社会なのかもしれない。

それも、この世の悪を闇に葬る、という勧善懲悪だけではなく、単に自分が気に食わない奴を痛い目に合わせる、という程度の身勝手な仕置き人にもなれる。

新聞沙汰になった教師にはそれなりの処分が下されて、日々が変わる。

おすわりさせられた足のしびれは消えてなくなるけれど、事件になってしまった疵は多くの人々の心に残り、長く尾を引くに違いない。

2017年9月13日 (水)

強い言葉

「完全に一致しました」「一点の曇りもありません」「もしそんな事があれば総理大臣も国会議員も辞めるという事はハッキリと申し上げておきたい」

強い言葉はリ―ダーシップを感じさせる。言い切る姿勢が信頼感を高める。

一般に、政治家というと曖昧性を好むというイメージが強い。

~とか、~など、~と言うように思う訳で、前向きに善処してまいりたく、今の時点では考えてはいないという事でございます。・・・といったように。

たとえ言質を取られても言い直しが効くような、どうでも取れるような言い回しを巧みに使う。

でも、安倍さんは少し違う。

完全に一致したのでは返って不安になるようなトランプさんとさえも、電話会談で完全に一致してしまう。

強いリーダーシップは言葉を濁さない、という信念をお持ちのようだ。

強い言葉は正直さの表れなのか?国民に対しての真摯な姿勢の表れなのか?

はたまた、『俺の言う事は誰にもひっくり返せはしないんだ』という、権力者の奢りの表れなのだろうか?

始めのうちはとても心強く響いたアベノミクスの言葉達も、時の曲がり角を曲がると「なんだか口ばっかじゃないの?」と空しく響くから不思議なものだ。

総理の任期を延長してまでもオリンピックの晴れ舞台を踏みたかったようだが、たとえ任期が伸びても、人気が持たない事が見えて来た。

「完全にコントロール下にあります!」と大見え(大嘘ですか?)を切った、強い言葉のツケが回りまわって・・・・・・来たのかもしれない。

三連休の会津、台風でいきなり雲行きが怪しくなってきた。

日曜日の大運動会、大丈夫なんでしょうか???

2017年9月10日 (日)

シーーッ!

世界陸上だったかオリンピックだったか、陸上競技のスタート前、「位置について、ヨーイ」の前に、会場全体に「シーーッ!」という声が響き渡ったことがある。あれは実に良いと思った。

静かにしてね、の「シーーッ!」は世界共通らしい。あの声で会場が鎮まる、静まる。

そこで選手は落ち着いて、スタート位置に付けるのだ。

あの「シーーッ!」をコンサートやお芝居の前にもぜひ取り入れたらいいんじゃないかと思う。

先日、郡山に五輪真弓さんのコンサートに行った。休日の昼下がり、会津若松駅前からバスで往復送迎付き、チケット代込みで7千円ちょっと、お土産までいただいた。

会津芸文センターのなかなか粋な、お得な企画。

今や完全に懐メロだが、何十年前に聞いた懐かしさから申し込んだ。

行きのバスから一杯やっていけるのがいい。(飲んでいたのは私一人でしたが)、ハイボールと水割りを空けた頃にちょうど郡山文化センターに着く。

ほろ酔いで、音楽を楽しむにはちょうどいい感じだ。

五輪真弓さんも御歳66歳だ。とはいえ、全く衰えない歌唱力には感心した。若い頃とほとんどキーが変わらない。声はのびやかで、艶やかで美しく響いた。

2部構成の省エネコンサート(あまり動きまわらないという意味)は最後までさすがの歌声で大いに満足の素晴らしさだった。

特に、後半の「少女」から「恋人よ」への繋ぎでは、会場全体が大いに沸いた。80年代、90年代を代表するメロディメーカー、姿かたちはその頃と全く変わらない。

すぐ近くでどんなお顔になっているのか見てみたかったが、それは見ないが花だったかもしれない・・・。

そのように、コンサートは満足だったが、後ろの席のおばさん達には少々閉口した。

予鈴が鳴ってもおしゃべりの音量は全く低くならない。

始まってないんだからいいでしょ?と言えばそれまでだが、いよいよ始まりますよ、の期待感に溢れた静けさがあっても良い。

それもコンサートの事を話しているならまだしも、全く関係ないゴルフやまんじゅうの話なのだ。

せめて開演の2分ぐらい前には、あの「シーーッ!」を会場に響かせて欲しいと思った。あれは良いよ絶対に。

バンドメンバーがステージに登場しても、まだしゃべくっている。

そして大きな拍手の中、遂に本人が登場、歌い出し・・・「あ、前髪切ったんだ」「あれ、かつらがよ?」「なんだってきれいな衣装だこと・・・」と、心の声が全部声になって出ている。

これは、我々も注意しなくてはいけない事だが、思った事がそのまま実際の言葉になって出てしまっていることがよくある。

完全に老化現象の一つだろうが、それも自身が思っているよりもずっと大きな声で口から出てしまっているのだ。

いわゆる『心の声が外に出ちゃってます症候群』

とても気に障って仕方が無い。よっぽどふり返って「シーーッ!」とやってやろうかと思ったが、なかなかそんな勇気もない。

ん~、これ以上続いたら・・・・と思うと、急にピタッと止む、その絶妙な間の悪さがオバチャン軍団の武器だ。

第2部が始まる前・・・また「あー、そうなの?」「そんなごどねぇべした~」、一体何をギリギリまでしゃべる必要があるのか、不思議でならない。

そして始まっても「アラー、きれいな色だこと」「あのスカート、横にプリーツが入ってんのな・・・」全部、大きな声になって出ています。完全に歌声にかぶっちゃっています・・・。

「シーーッ!」と言われれば、そうだ!私は今静かにしなくてはならない場所にいるのだ、という自覚が蘇る。

人様に迷惑がかかるとか、傍若無人にふるまっていい場所ではないとか、マナーと言うものの存在にも気付かされるのではないだろうか。

五輪真弓さんのコンサート、見渡せばおそらく平均年齢は65歳を超えているだろう。ま、60歳は間違いなく越えている。

このように、心の声が外に出ちゃってます症候群の方が多い場所では、あの「シーーッ!」という会場全体への警告音、かなりいいんじゃないでしょうか?

入場料割り引け!なんて気持ちにはならなくて済む。

会津へは夜9時の到着。

帰りのバスでも飲んでいたのは私一人でありました。バス送迎付きならではの特典をしっかり満喫させていただきました。

2017年9月 2日 (土)

ビンタ

トランペッターの日野皓正氏が中学生を指導していて、かなり頭に来てビンタをしたという出来事が、映像と共に報じられている。

コメンテーターと称する学者や教育者、芸能人などが偉そうにコメントを述べる。

決まって「暴力はいけない。そういう時代じゃない。教育の現場であってはならない事・・・・」まるで自分が聖人君子であるかのように、しごく無難な意見を言う。

確かに日野さんほどの人がこどもに手を上げた、それも衆人監視の前で、と、そこだけを切り取って聞かされれば驚く。

キレる老人、キレる中高年の延長かと。

ある調査によると、駅員への暴行事件はそのほとんどが中高年以上の人が起こしているらしい。

キレる若者、というイメージがあるけれど、実際は切れないイメージの年寄がキレる時代なのだ。

これは一体、何に起因しているのか分からないけれども想像するに、まず現代の中高年は、昔の中高年よりはるかに若く元気だという事がひとつある。

そして中高年の人々は総じて体罰が当たり前の教育を受けて来ており、その青春時代も今よりはるかに暴力が身近な環境だったという事ではないのだろうか。

学校には不良が必ずいたし、番長やスケ番など会津にも居たもんなぁ。

喧嘩は日常茶飯事だったし、先生が手を上げるのも珍しい事ではなかった。

私の行った中学には国語のB先生という怖くて面白くて人気のある先生が居た。その先生が叱る時の得意技は『ゲンバク』というアタマゴツン!

直径が3センチほどもあるぶっとい万年筆をいつも上着のポケットに入れており、その万年筆のお尻で、脳天を「ゴツン!」とやるのだ。

何回か食らったが、痛くて涙が少し出た。

もちろんそういう体罰がいいと言っているわけではない。

しかし、なんでも暴力反対!と言えばいいというものでもないだろう。

世界的なジャズメンである日野氏は教育者ではない。音楽、それも中学生にジャズを教える先達なのだ。

元来、芸術や芸事の世界は、その師に習いたいから教えを請うものだ。

そこにはその師の人間性全てをひっくるめて了とし、いくら叱られようが、灰皿を投げられようが、それでいいですよ、という暗黙の了解がある。

「この手の動きが悪いんだ!」とピシリと竹鞭で手を打つ指導を、果たして暴力と言うのだろうか?

その師に習いたいから習っている。

習いたくなければ(その師が嫌なら)逃げ出す自由は生徒の方にある。

今回、みんなが見ている前で怒ってしまった自分に一番傷付いたのは、日野皓正氏本人ではなかろうかと思う。

そんな事を言うと、子どもの人権を何だと思っているんだ!とお叱りを受けそうだが、当の子どもがバンドを止めないで!と言っているのだから、すでに彼と両親、日野氏の間では解決済みの出来事ではなかったのだろうか。

まるで一大スキャンダルのように、週刊誌の売上部数を伸ばすために取り上げるような話題では鼻からない。

手を上げる・・・これはやっちまった側にも大きな傷を残す。

娘がまだ小学校前の時に、原因が何だったかも忘れたがもの凄く頭に来てしまい、思わずスリッパで彼女の頭をかなり思いっきり叩いてしまった事があった。

娘は大泣きしたが、やっちまった自分も相当に落ち込んだ。

その事は、今もずーっと忘れない。右手のひらにあのスリッパの感覚が今も残っているようだ・・・ゴメンネ。

暴力なんか、しない方が良いに決まっている。でも、愛していればこそ止まらない(やっちまった!)、止められないものだってあるんだ。

中学生の彼がドラムを叩き、日野さんがラッパを吹いて・・・お互いの演奏で心が通じ合える。

そんな素敵な世界の、ちょっとした出来事に目くじらを立てる方が、醜い。

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