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2017年7月

2017年7月31日 (月)

南京町

神戸の中華街は南京町と呼ばれ、三宮の駅からすぐだ。

南京町は横浜の中華街よりもずっと庶民的だ。飲茶で有名な店、ぶたまんが自慢の店、様々なテイクアウト可のチャイニーズフードが通りに向かって景気良く蒸気を上げて、香りを送る。

店の前の大きなメニューは写真入りで、どれもお手頃値段。若者、女性の姿が目立つ。

通りには高級中華料理店というのはあまりない。別に高級でなくていいのだが、落ち着いてゆっくり食べて飲める店、というよりもガヤガヤと賑わっているお店が多いのだ。

そこで、ホテルのコンシェルジュにもう少しゆっくりできる中華料理店はないか?と尋ねてみた。せっかくの港町・神戸、美味しい本場の中華料理が食べたいではないか。

会津には「黄鶴楼」という中国人のシェフのいる中華料理店があるが、あまり縁が無い。本当にたまにランチで行く事があるが、夜に食べて飲んでというのはない。

鈴木保奈美さんに似たチーフコンシェルジュのMAIさんが、すぐに何軒か調べてくれてお勧めをプリントアウトしてくれた。

ご自分もよく行くらしく、味は折り紙つきだというのでそこに決めて予約をしてもらった。

上海料理の老舗「新愛園」は坂道の上にあった。働いている人全員が中国人で家族みたいだ。

二階のテーブル席に通された。

メニューは沢山あり、特にお勧めには金の丸いシールが貼ってあったが、品名だけで値段が書いてない。

ま、コンシェルジュさんがお高いとは言っていなかったし、店の作りから心配はいらないだろう・・・生ビールと目に止まったメニュー6、7品を頼んだ。

伊勢エビの黒コショウなんとかは、一応値段を確認した。半身で5000円だという。ナルホド、と思ったがその価値は充分にあった。

美味しいエビのプリプリ炒め(?)か、汁気がたっぷり。そのエビをいただいた後の残った黒胡椒の効いたスープでリゾットを作ってくれるのだ。これがまた絶品。

普段あんまり食べた事のないメニューを見つくろい、紹興酒を飲んでワインのハーフボトルも飲んだ。ご馳走さま!

大満足、大満腹でブラブラと南京町まで歩いてみる事にした。

ほんの数百メートル、9時前だったが南京町のピークはもう過ぎたようだった。

通りの入り口付近で飲茶や豚まんを売る店が賑わっていたが、奥の方はもう店じまいしている店も多く見える。

神戸の南京町は、観光客で大賑わいを見せる昼と夕刻がきっと勝負の時なのだ。

通りに戻り、タクシーを拾いハーバーライトホテルに戻る。

「いかがでした?」「いやー美味しかった、満喫しましたよ」「それは良かったです」とあいさつを交わし、部屋に戻った。

「なにいつまでコンシェルジュさんの名刺握りしめてるの?嬉しそうに・・・」と家人に軽くジャブをかまされながら、ゆっくりとジェットバスで疲れをいやす。

この夏旅も3泊目、少々疲れた。

明日は昼過ぎまで神戸観光をして、名古屋に寄り、孫の顔を見てみんなで食事をする事になっている。

そして明後日会津へ。4泊5日・・・思わぬ長い夏旅となったもんだ。

2017年7月28日 (金)

夢で逢えたら

寝苦しい夜の朝ぼらけ、母親の夢を見た。

本当に久しぶりに母の夢を見た。考えてみたら今年、私は母の亡くなった年齢になっている。

夢は、なんという事はない遠い日のひとこまだ。

仕事が終わってそのまま飲みに行ってしまい、「晩ご飯は要らない」と、電話の一本も入れればいいものを、面倒くさいからまあいいか、とほったらかしにする、そんなバカ息子・・・。

あの頃は携帯なんかなかったので、いちいち電話をするのも面倒だったというのもあるが、それでも電話ぐらいしろよ!という話だ。

用意したままのおかずが、寂しくあった。

夢というのは本当におかしなものだ。夢の中では「全くうっとうしいなぁ、このババア」と悪態をつく当時のバカな気持ちでいるのだが、ハッと目を覚めるといきなり、今に戻り「ああ、おかあちゃんごめんな!ごめんな!」となる。

本当にあんなことしてごめんな、いつも心配掛けてばっかりで、それなのに悪態ついたりして、親孝行も出来ずにごめんな!と、夜明けの蝉しぐれ中で目覚め、涙が滲む。

若い時には母親の無償の愛に包まれていることが当たり前だと思っていた。母親だったら当然だろう、ぐらいに思っていた。そんなバカだった。

35歳の時に母親を亡くした。

会津を離れていた二十代の頃、実は泣いた事が無かった。涙も出なかった。

映画を見て感動したなんてよく言っていたが『追憶』も『愛と青春の旅立ち』も、泣けるよなぁ~!とカッコ付けて言ってたものの、嘘泣きだった。

今の若者はよく泣くようだが、若い頃は本当に泣いたりしなかった。というよりも、なぜかそう簡単に涙が出なかった。

大人になって再び自分が泣くんだ、と自覚したのが、母親の死を迎えた時だ。

余命一ヶ月の宣言を受けて日に日に弱りゆく母・・・。

明け方突然に、枕をかじりながら泣けた泣けた、むせび泣く私に家人は驚き、おそるおそる背中をポンポンと叩いてくれた。

母の兄弟たちが最後のお別れに来るというので、会社を休んで駅まで迎えに行かなければならなかった。

その時、なぜか時間つぶしに一本のドラマを見ていた。北の国から「初恋」、真っ白な雪の中の純の初恋、切ない恋物語に涙が止まらなくなった。

「母親が死んだらきっと悲しいだろうなぁ・・・」と想像はしていたが、お葬式の時には想像した何千倍も悲しく、あまりの悲しさに自分でも驚いた。

あれからだ。普通に泣けるようになったのは・・・。

近頃では加齢もあり、普通を越えてむしろ涙もろい方になっている。朝ドラを見ても泣けてしまう日々だ。

夢で逢った母は、当たり前だが死んだ時よりも若い。

色白で、分厚い眼鏡の奥で、優しく笑っている。そして私がどんなに無体な振る舞いをしても、ちっとも怒りはしないのだ。

今思えば、どうしてあの時あんなにひどい事を平気でしたのだろう?あんな言葉を母に言ったのだろう?なんてことばっかりだ。

それでも母はこんな私を、「自慢の息子だ」と言って、微塵も疑うことなく愛し続けてくれていた。

この秋には私も母の年齢を越える。

もう一度、会いたいなぁ・・・「おかあちゃん」

2017年7月26日 (水)

そして神戸

♪神戸~、泣いてどうなるのか~♪ちょうど学生時代に流行った歌だ。

阪神淡路大震災で神戸は壊滅的な被害を受けたが、今はもうそんな傷跡を観る事は全くできない。神戸港を有するお洒落な港町だ。

神戸ポートピアホテルに行ったのは、今からもう35年以上前だと思う。

前々職の時代、全国的にも有名な神戸のタウン誌「神戸っ子」の何周年かの創刊パーティだったか、それとも全国タウン誌大賞の授賞式だったか?

良く覚えてはいないがとても華やかなパーティに出た記憶がある。「会津嶺」というタウン誌の編集長としてだ。

今年はその懐かしいホテルで日本病院学会が行われた。

当院から5人の職員がそれぞれのセッションで発表を行った。その学会参加と応援に神戸へと向かった。

発表までにいくつかのシンポ、講演を聞いたがとても印象に残ったのが『音楽の終わり方』という京都大学教授の講演だった。

クラシック音楽の始まりとエンディング、19世紀、20世紀、21世紀と、世界史の中で人類が抱く空気感を見事に反映しているという切り口がとても興味深かった。

学会1日目には2人が発表、セッションの時間が遅く、最終ブロックで参加者が少なかったのがはなはだ残念だったが、なかなか良い内容で落ち着いて出来ていた。

この日の夜は、例年の事だが参加者が集まりその労をねぎらう宴が開かれる。その時間までには毎年、院長も駆けつけてくれる。

神戸と言えばやはり神戸牛だろう。今年は三宮のステーキハウスを予約した。

ちょうど7人で鉄板を囲みシェフが見事な手さばきで焼いて見せてくれる。

野菜に始まりステーキ、バターライス、食後の焼きアイスクリームまで大いに楽しませてくれた。

柔らかいフィレに舌鼓、その後、追加でサーロインもモリモリ、ワインも気持ち良く空いた。

毎年2月に行われる院内学会で優秀賞に選ばれるとこの病院学会にエントリーできる。

そして、こんな風に学会の開催地に出かけ、ご当地のご馳走を味わえる、それがご褒美という訳だ。

食後、三宮で有名なバーをどこかと尋ねたら、お店から予約をしてくれた。その上、道が分かりにくいから、とお兄さんがわざわざ案内までしてくれた。(恐縮・・・)

これまた素晴らしい雰囲気のバーで一杯ずつ飲んで、解散。

それぞれにホテルが異なるので「明日頑張れよ!」と言って別れた。

我々はポートピアホテルへ。ポートピアホテルの客室には懐かしいタウン誌『神戸っ子』が置いてあった。

翌日、午前中はミニエクスカーションで4名で六甲山へ。

ケーブルカーと神戸港の眺めを楽しみ、三宮で老舗レストランのハヤシライスをいただいた。

そして、午後は発表者の応援に回る。それぞれにご苦労様。

夕刻、学会終了後、院長は会議のため急ぎ東京へ。

職員はそれぞれだが、翌日が土曜で休みなので存分に神戸を楽しむ事も出来たようだ

私はメリケンパークのホテルで家人と合流し一泊、そして神戸をもう少し味わう事にした。

ちなみに来年の学会は金沢である。

2017年7月24日 (月)

夏競馬

福島競馬場が新しくなってからは、行った事が無かった。と言うか、ここ二十年以上競馬場に行ってない。

息子が時々、友達と新潟や福島に行ったという話は耳にしていた。

五月にはクルマを新しくした事もあり、ドライブも兼ねて「福島競馬に行ってみるか?」と誘ってみた。

「いいよ」と結構嬉しそうにしている。

開催3日目だったか、会津から土湯峠を越えて、息子の運転で福島競馬場に向かった。ススキのバレーノと言うあまり見かけない小型車、車内は結構広く乗り心地もまずまずだ。

混むだろうと朝の8時には家を出た。1レースの始まる30分以上前に着いたがそれでも競馬場の駐車場は満車。競馬場前の民間の1500円の駐車場に入れた。

福島競馬場が大そうきれいに立派になっている事に驚く。

5階建てのメインスタンドは総ガラス張りで、冷暖房完備だ。

特別指定席はすでに売り切れだったが、二階のスタンド席に空きがあった。ここなら快適、文句はない。目の前を馬が走り抜けるし、オーロラビジョンの真ん前、すぐ裏手がパドックだ。

すぐに第1レースの発走となる。買い方も忘れた。

ボックスや流しの買い方を息子に聞いて、マークシートで投票する。1レース3千円~1万ぐらいの勘定か。

私の買い方は、4頭~6頭の3連複のボックス買い、時に単勝、複勝なども入れるが基本は、3連複のボックスだ。

4頭で4通り、5頭で10通り、6頭で24通りだ。

息子は明かさないがその5分の1ぐらいの掛け金でワイドを中心に固く行っているようだ。

座席の近くに高校の同級生Kくんを発見、声をかけると驚いていた。なんでも毎年必ず友人のパン屋さんと来ているらしい。

時々、週末の朝、福島行きのバスの停留所で彼を見かける事があったが、どうやら競馬場行だったらしい。根っからのギャンブル好きだ。

しばらくするとソフトクリームの差し入れを持って来てくれた。「親子で良いね~」と笑いながら。

午前中の結果は2勝4敗、でも賭け方がまずくマイナス。昼飯はフードコートで天丼を食べた。この食事の場所は少し暑い。

午後も調子が出ず負け続けマイナス、メインレース前は5百円ぐらいの遊び馬券で「見(ケン)」を決め込んだ。

競馬にはかなり自信を持っているらしい息子は、JRAの出馬表をプリントアウトして持って来て、それだけを見ながら買っている。あまり情報量が多すぎると、かえってダメなんだ、と言う。

それなりのスタイルがあるものだ。周りの人も皆それぞれだ。

競馬新聞に事細かに書き込みを入れている人、全レース色分けして綿密な分析を行っている人、分厚い紙の束を何度も何度もめくりめくりしている人。皆それぞれの愉しみ方がある。

私は「勝馬」と「ニッカンスポーツ」の2本立て。その日の騎手の調子と馬柱の濃淡、あとは勘とテキトウだ。

10、11Rと立て続けに当たりはしたが本選ではなく結果はトントン、このままではマイナスのままだ。

息子はこの日は絶不調らしく、裏目裏目に来て大分負けが込んでいるようで、機嫌も悪くなってきた。

メインレースが終わったところで「帰るか?」と聞くと、「どうせだから最終もやろう」という。

最終レースは、ほぼ無印だが本日すごく調子の良い騎手がまたがる馬を入れての5頭ボックスにした。

これが来た。最終レースで9810円が付いた。これでプラスに。

「ガソリン代だ」と言って息子に補てん金を渡してクルマを出すともう陽は大きく傾いていた。

思えば、1レース~最終レースまで全レースを買ったなんて人生初の経験かもしれない。

帰りもハンドルは息子、競馬の話以外はろくな話もせずに、少し寝て会津へ。

真夏の一日、夏競馬、それも息子と二人、こんな休日も悪くはない。

2017年7月23日 (日)

京都で飲む

久しぶりに京都に行った。と言うより立ち寄ったと言った方が正確か。

神戸での学会出席の前日に京都で古い友人と飲んだ。

京都駅から東本願寺へ。一応、真宗の門徒なので京都に来た時には時間があればお参りすることにはしている。なにかとお願いの向きもあるもので・・・。

修理も終わったようで大きな本堂の囲いはもう無い。

建物があまりにも大きく、人影がまばらだ。平日の午後、祇園祭の山鉾巡行とあと祭りの間の空白期、と言う事を考えればこんなものか。

広い本堂で静かに手を合わせ、願いの筋を聞き届けてもらえるよう祈った。

靴を履いて、砂利の上を歩くと一気に汗が噴き出る。やはり夏の京都は蒸し暑い!

三条堺町のイノダ本店で涼もうかとも考えたが、あまりの暑さにホテルに逃げ込む事にした。

御池のホテルオークラ、京都の定宿だ。

ホテルに着いた事をMくんにメールをすると5時前には迎えに来てくれるという。

それまで涼しい部屋で大相撲観戦で時間を潰した。

17時と早い予約をしてくれたのは祇園の「きた山」という小料理店、一力の筋の一本西側の細い路地、一見、お茶屋さんにしか見えない格子戸の中に店がある。

この時期はハモ、京野菜のしし唐、冷やし茶碗蒸しなどいかにも京都らしい料理でビールから冷酒にすすむ。

Mくんは至って元気そうだ。

以前、私からこんな事を言われたらしい。「おまえはいつも黒い服ばっかり着て、黒ずくめじゃないか。自分じゃカッコいいと思ってるかもしれないが、歳とって真黒なんて貧相にしか見えない。大体が痩せて貧弱なんだから貧乏臭くっていかん。もう少し明るい服を着たらどうなんだ!」と。

酔っていたとはいえまぁ、ストレートな事を言うもんだ我ながら・・・。友達だから言える事だ、許して!

で、Mくんはもっともだと思ったらしく、黒づくめは止めたらしい。その日はなんと真っ白なパンツに、ターコイズブルーとでもいうのだろうか、すごくきれいな色の緑のシャツを着ていた。

髪の毛も全く薄くはなっていないし、至って若々しく見える。そう、その方がずっと良い、と思いながらもかなり負けている感があった。

Mくん、飲むペースが早い。

話は近況報告から、親の亡くなった話、遺産相続のあれこれにまでに及ぶ、これもまた歳ゆえの話題だ。

遺産云々は難しい話だ。

自分のお金なら自分のものに違いないが、遺産となるとその権利は自分ばかりか親族にも及ぶ。そう簡単な話ではない。

ましてや、お金に対する考え方(感覚)は十人十色で、どんなに近くても分かり得ないデリーケートな部分がある。

だからお金は怖いものなのだ。

どうやらMくんは、その辺りでいろいろとストレスを抱えてもいるようだが、立ち入って見ても詮ない話なのでその話はお終い。

関西人の中で、不器用で朴訥な会津人が生き抜くのは決して容易なことではないのだろう・・・と、心中お察し申し上げた。

店を出てもまだ明るい。暑いのでタクシーに乗り、町屋を改造した「ザ・ドアー」と言うお洒落なバーへ向かった。

このバー、美人のバーテンダーが人気でMくんも一度行ってみたいと思っていた店らしい。

ちょうど良いのでダシにされて連れて行かれた訳だが、なんと!残念ながらその日は女性バーテンダーがお休み。昔っからこういう運の無さはMくんの得意技だ。

代わりに小倉久寛さんに似たバーテンダーが居たので笑えた。

なんでも、方々のホテルでバーテンダーをつとめていた有志が集まって作った店らしい。ホールも、カウンターの中もさすがに、皆ビシッとしている。

氷なしの冷えたハイボールが美味かった。

ここでもMくんハイピッチ、あっという間に3杯ほど飲んだ。

かなり出来上がったMくん「あそこはな~、おまえを連れて行きたくないんだよなぁ~」と言いながら、最近行きつけらしい非常に家庭的な小料理屋へと、三軒目。

『ももてる』という小さな店、カウンターに10人ほどで一杯の店だ。

エプロンをしたふくよかな、ももえママが全ての料理を目の前で作る。飲み物と雑用に娘みたいな年頃の女性が二人。二人合わせて、ももえママと同じぐらい(ふくよかさが)に見えた。

気取った料理は無いが、すべて手をかけた優しい味、煮物や小鉢、どれもうまい。

淀みのない流れる様な京都弁で客あしらいも見事なもの、店の中は満員だ。

焼酎を飲んで30分もするとMくんは前傾姿勢になり、帰りたい体制に。もうだいぶ出来あがって来たようだ。

このままいると酔い潰れて、お気に入りのももえママにみっともないところを見せてしまいそうだ、という防衛本能が働いているのだろう。

「なんだ、もう帰るのか?じゃあ、帰っぺ!」と言って店を出た。

千鳥足で四条通を渡り、Mくんの事務所のある四条高倉の角で別れた。

ちょっと足取りが心配だったが、こどもじゃないんだから、この歳して酔っ払いの介抱もないだろうと、おっぱなした。

「おまえ、だいたい早く飲み過ぎなんだよ!」と言うとMくん、「こんな風に飲める奴が居ないんだよ~」と言ってふらふらと通りの奥に消えて行った。

もう40年以上も前になる、この街で何度Mくんと酔いつぶれた事か・・・・。

人間、幾つになっても寂しい時は寂しいし辛い時は辛い、飲みたい時は飲みたいもの、潰れたい夜があるものなのだ、と思った暑い京都の色気ない一夜の出来事でした。

2017年7月18日 (火)

心細い

「ノーサイド」とはラグビーの試合終了。

全身全霊をかけて闘い、どんなに激しいぶつかりあいだったとしても、一旦試合終了のホイッスルが鳴ったなら、勝ち負けに拘らず相手の勇気と闘志をたたえ合おう、という美しいスポーツマン精神だ。

それを、何でもかんでも「ノーサイドにすっぺ!」と言って憚らない輩がいる。

自分たちの不手際や落ち度はすべて棚上げにして、どうしてこんな結果になったのかという総括も一切ないまま、「そろそろノーサイドに・・・」などと、図々しい事極まりない。

そういうのは「ノーサイド」と言うのではなく、「臭いものには蓋」と言うのだ。

「ノーサイドにしよう!」一聞、カッコいいが全てを棚上げにして「なかった事にしよう!」では、意味が違う・・・。

人は奢り、傲慢になりやすい生き物だ。

その傲慢さが見えた時、それまでの尊敬は、一変に嫌悪感に変わる。

人は一度、大嫌いになった人をまた好きになる事ができるのだろうか?

あんまり好きじゃなくても付き合ってみたらすごく心根の良い人で、好きになるという事はあるだろう。

だが、好きだった人が大嫌いになって、また好きになる事はかなり難しい事だと思う。

新聞で内閣支持率の急落が報じられた。

これまでの支持率は今の首相が頼りになる、という積極的支持が多かった。

それが一転、あの人が(だから)嫌い!になっているだけに事は深刻だという解説があった。

なるほど。

一点の曇りもないと言いながら、周辺の登場人物があまりにも胡散臭い。

喋りまくるモリさん、雲隠れのカケさん。そして飛んでる奥さん。逃げ回るお役人さん。

このまま放っておいても、どんどんその胡散臭さは増すばかりだ。

できる事ならばご自分の言葉でこの暗雲を吹き払って欲しいものである・・・。

もの凄い暗雲が梅雨前線沿いに停滞している。

発雷、集中豪雨、普段は災害の起こらない地域でも次々と異変が起こっている。

会津も夜中じゅう、もの凄い雨音、雷鳴が鳴り響いた。

奥会津には避難警報の出ている地域もある。

本当に地球の気象はぶっ壊れて来ているように思えてならない・・・。

こんな時に頼れる、国民が信頼できるリーダーがいなくては、ますますこの国は心細い事なってしまう。

2017年7月14日 (金)

常軌を逸する

常軌を逸するとは『常識から外れた言動をする事』と、辞書にある。

だが常識外れな振る舞いは、見世物としては面白い。

だからワイドショーも進んで取り上げる。面白いもの見たさの視聴率が稼げるからだ。

民放にとっては何よりも大切な視聴率が取れるのだから、外せないという事になる。

最近、連日のように流される女優さんの画像、ユーチューブ用に自撮りした様な単純な映像だが、かなり怖い。

流れて来るとすぐにチャンネルを変える事にしている。

気味が悪いのだ。

映画「危険な情事」のグレン・グロースを思い出させる・・・恋愛、嫉妬、独占欲が次第にエスカレートして、何時しか「狂気」へと転がり落ちて行くあの恐怖映画、グレンの怪演が気味が悪くてとても最後まで観られなかった。

どうして女優さんの一方的な告発を放送に乗せるのだろうか?

・・・怖いもの見たさ、気持ちの悪いもの見たさ、人の不幸は蜜の味で、やっぱり大勢が見るからだ。

実に悪趣味だが、一番の悪趣味なのは、視聴率が取れるならなんでも流してしまえ、というさもしい根性だろう。

ああいうのは、ウチでは一切取り上げません。と言えば世間の多くの人は知る事もないし、注目もしない。

そうすれば常軌を逸した言動も、異常に増幅・増長することなく、この世の片隅で常軌を逸したまま、消えて行く。

それでいいのに。

いずれ、法律や医療の関わりが必要な事態にまで進んでいくであろうことは、すでに明白だ。

それを面白おかしく流す方も見る方も、社会全体がすでに常軌を逸しているともいえる。怖いなあ~。

会津の朝晩がヒヤッとしていたのは何時の事だったでしょう・・・?と思うほどに毎日暑い。

寝る時もエアコン、起きてもエアコン。湿度が高く、暑さがじっとりと肌にまとわりつく日々だ。

2017年7月11日 (火)

大汗の後、絵を求む。

会津がとてつもなく暑くなった。

いきなり猛暑日の連続で、全国でも3番目ぐらいの気温を記録したりして、名前が売れている。

なんでも7月に3日続けての真夏日は記録なのだそうだ。

その37度近い、ドピーカンの日曜日に同級生とゴルフをした。週の初めの天気予報では「雨でお流れか・・・」などと心配していたのだが、雲ひとつないドピーカンとなった。

7時39分の一番スタートだったが、皆揃ったので7時半前に早々にスタートさせてもらった。

前には誰も居ない貸し切りの様な夏の快適ゴルフ。天気晴朗、なれど早くも暑い。

今年初めて、氷を詰めたドリンクボトルを持ってきたが、どんどん減って行く。

パターで下を向くと帽子のつば先からぽたぽたと汗の滴、皆大汗、それでもワイワイ言いながら回った。

10時前にハーフを終わり、休みが1時間半、仕方ない。

スイカを食べた。

危険なのでアルコールは避け、スタート30分前にライス少なめのカレーを食べた。

進行は後半のアウトコースも順調、午後1時前には上がる事ができたので、比較的涼しい中で助かった、と言える。(スコアは冷や汗もの)

10時ごろのスタートだったらすごい事になっていたに違いない。

早々に清算を済ませ、早々に家に立ち帰り、シャワーを浴びて、エアコンを効かせて冷たいアイスを流し込み、人心地ついた。

BSでやっていた「シン・ゴジラ」を横目で眺めながら、いつの間にかうたた寝。

夕方、ギャラリー「三遊」へ行ってみた。

遠い遠い日の同僚、今はタウン誌・会津嶺を編集している吉田利昭さんの初の個展をやっているという事で行った見た。

吉田さんは、もともと器用でどんなイラストでもかける。野口英世の絵本や、昔話しの様なコミカルな絵も描く。動植物など写実的な絵も描けるし、挿絵なんかも本当に上手だ。

そんな彼が、水彩で会津の風景を書き続けていたらしい。

ギャラリーのオーナーYさんに勧められて、書きためて個展にまで漕ぎ着けたのだという。

ラーメン屋の「大一」に何枚か水彩の風景画が掛っている。署名が無いので分からなかったが、吉田さんのタッチに間違いないとは思っていた。

聞いてみたらやっぱり吉田さんの絵だった。これまでお店に飾る絵は署名を入れていなかったらしい。

でも、個展を開いたんだし、これからはちゃんとサインした方がいい。

飾られた絵はおよそ30点ほど。いずれも優しい色合いの会津の風景だ。

すでに四分の一ほどに売約済みの赤いシールが付いていた。結構売れて良かったじゃないですかね。

久しぶりの吉田さんも元気そうだ。ちょっと太ったが昔から髪の毛が無く、あまり変わらない。オーナーのYさんもお久しぶりでした。

飾られた中でこれは一、二番の出来だと思えた「観音沼の秋」がまだ売れずにあったので、求める事にした。

「そんなに気を使ってくれなくていいんだよ・・・」と吉田さん、自分の絵が売れるという事態にまだ慣れていないようだ。

ま、値段相応の、良い絵です。

会津、を前面に打ち出しているお店(飲食店や宿など)にまとめて飾ればなかなか喜ばれると思う。

「それじゃあ、リオン・ドールで買い物でもして帰りますわ」と言って別れた。

夏野菜を買い込み、冷やし中華をリクエストして、帰宅。

気温はまだ30度を下らない。

西日が強く差し込む居間で、ずっと我慢していたビールを勢いよく、高速で流しこんだ。

朝も早よから、あっち行ったりこっち行ったり、大汗かいて、なかなか充実した一日となりました。

2017年7月 8日 (土)

チリのワイン会

先日「厨」さんでチリのワイン会があるとの案内をもらった。限定13名で6000円(税別)だったかな。

誰が来るか全く分からないが、何かの「ご縁」が生まれるかも知れないと出掛けてみる事にした。

当日は寝不足で体調(舌調)不良状態、前日麻雀で遅くなり、お疲れモード、眠かった。

仙台在住で、チリワインの輸入会社を設立したHさんという女社長さんが自らワインを紹介してくれる。

海外青年協力隊に始まり、商社勤務など合わせて都合8年、チリワインに魅せられてチリで暮らしたというHさん。

チリの風土、特性、チリワインを取り巻く環境などを、パワーポイントと多くの写真を使って説明してくれる。

まずはシャブリの白、から始まり、赤は2005年、11年をなめる程度の味見。

2015年、2016年のワインをほぼ満足するほど味わった。

当日「厨」の料理も、銘々で気合が入ってなかなか美味かった。

そう、当日集まった13人は女性が4人に男性が8人。ほとんど見た事のない人ばかりだ。

時々「オーパス」で顔を見るワイン通の男性が「あ、どうも・・・さん」と名前を呼んでくれたが、私の方は、ちゃんと名乗り合った事が無いのでどなたかは分からない。クルマ屋さんらしい。

隣りの男性も病院の近所のお店の社長さんで、私の事は知っているらしい。

お向かいの方も、完全に知っているものとして話しかけて来た。どうやらおおよその人が私の顔は見知っているようだった。

すみません。誰も知らないなどと言って・・・。

ワインは、小規模ながらも非常に手をかけた醸造所のものを自信を持って輸入しているというだけに、なかなか良い。ただ価格帯に合っているのかどうかは、良く分からない。

特に素晴らしい「ご縁」という事ではなかったものの、なかなか楽しい夜でした。

寝不足、おネムなのでタクシーを頼んで直帰。

帰りにシャブリの白を即売で1本買って来た。

お盆に会津に帰って来るであろう娘と飲む事にしたいと思う。それにしても6000円はちょっと高かったかな・・・。

太いボトルなので、現在野菜室に眠っています。

2017年7月 4日 (火)

佳い土日

7月アタマの土日は充実していた。

土曜昼前に異動辞令式を済ませて、郡山市公会堂へと向かった。

その前に「大一」で今年初のつけ麺を食べた。どんなもんじゃろ?と大盛りの上の特盛りを頼んでみたが、麺が二皿に分かれて来たので驚いた。

これは無理かな?と思ったが、一気に食べたら案外いけた。家人は山塩ラーメン。

五百川のサービスエリアで少し休んで、公会堂へ。

初めて来たが、なかなか味わいのあるホールだ。今日はここで「第一回朗読パフォーマンス声人(こえびと)コンサート・つなぐ命」が行われる。

この声人の代表は、先日会津でいのちの講演会をお願いした宗方和子さんだ。

彼女が指導して来たカルチャースクールや専門学校の生徒さん達が行う初めてのステージ、これまでにない新しいつタイルのコンサートだ。

第一部は郡山の詩人・高橋静江さんの詩集「梅の切り株」の朗読。そして第二部では私が脚本を手掛けた「ザ・ゴールデンデイズ~大山捨松の生涯~」の第一幕が、朗読劇で行われる。

以前、捨松さんの芝居が見てみたいという事で、DVDと脚本を宗方さんに送った事があった。

その後、この芝居を朗読劇でやってみたい、というリクエストを受けたのだ。

もちろん私に異存はなかったが、市民手づくり舞台で上演された作品だけに、会津若松市の文化振興財団の許可が必要だと思い、許可を取ってもらった。

財団は、手づくり舞台の上演作品である旨を明記していただければ問題無し、という事で今回の朗読劇が実現したという訳だ。

第一幕は、幼女山川咲子が鶴ヶ城の籠城戦を戦い、最果ての斗南へ、その後、日本初の国費留学生として、捨松と名を変えてアメリカに渡り、大学を卒業するまでが描かれている。

それを10名の出演者が複数の役をこなして見事に演じきった。時間はおよそ60分。

もう12,3年前に書いた脚本だ。所どころうる覚えだがほとんど忘れてる、と言っていい。

本当にこれを自分が書いたのだろうか?とちょっと不思議な気持ちになった。

ピアノ、ヴィオラ、尺八、三味線などの生演奏と効果音、あとは声人たちの声の熱演で、舞台の感動が蘇った。

大きな拍手が鳴り響く中で、原作者として紹介され、花束までいただくという嬉しいサプライズもあった。

少々照れくさかったが、ちょっと興奮した。

コンサート終了後、郡山の姉の家に立ち寄って孫たちの顔を久しぶりに見た。みんなで美味しいケーキを食べて会津に帰って来た。

翌日は朝歩きをしっかりして運動、久々に二度寝をして、本を読んで、映画を一本見た。

夕方からは會津風雅堂で平原綾香さんのコンサートだ。5年ぶりの会津公演、5年前には急用が入り残念ながら行けなかった。

その後の郡山のコンサートも行けなくて、三度目の正直だ。

抜群の歌唱力、単なる歌手というよりも音楽家と言った方がぴったりくるような、非常に素晴らしい内容のコンサートだった。

素晴らしい歌声に完全に酔っ払いました。

二日連続でこころが大きく波打った・・・・そんな非常に心地佳い土日でありました。

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