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2017年6月14日 (水)

病弱でした。

こどもの頃はよく天井を見て過ごした。

仏間が寝室だった。その天井の木目をよく覚えている。

あそこに座ったお坊さんがいて、あっちに逃げ出してる馬がいて、窓際に猿がいる。流れる木目がそんな風に見えたのだ。

なぜそんなに天井を見ていたかというと、こどものころはきわめて病弱だったからだ。

よく扁桃腺を腫らして、熱を出した。

高熱でひきつけの痙攣をおこすこともたびたびあり、舌を噛み切るほどの痙攣に父が慌てて指を突っ込み、父の太い親指の爪が紫色になっていたのを覚えている。

その時以来、熱を出して寝込むと枕元には必ず割り箸が置かれるようになった。ひきつけを起こした時に口に突っ込むためだ。

真夜中に我に還り目を開けると、よくY先生のはげ頭と白衣が見えた。あの頃の町医者は夜中でもいとわず往診してくれたのだ。

Y先生には「お化け扁桃腺」とあだ名され、中学前には手術しないとダメだと言われていた。

が結局、その扁桃腺を抱えたまま今に至っている。

よく学校を休んだ。四年生の頃には、腎臓を悪くして長期にわたって休んだ。

その頃は、U歯医者、Y耳鼻科、N眼科と近辺のあらゆる医者にかかって居たような気がする。

本当かどうか今となっては分からないが、四年生から五年生に進学するのに出席日数が足らなくて、インチキで進学したんだ、と聞かされた事がある。

その証拠と言えるかどうか分からないが、引き算の位を繰り上げるやり方が大きくなってもよく分からず、そればかりが原因ではないだろうが、以来、やたらと数学が苦手になってしまった。

一旦熱を出すと一週間ぐらい寝込んだ。

じっと天井板を眺めた過ごした。

治る時には決まって同じ夢を見た。誰かに追いかけられて逃亡するのだ。映画に出てくるようなきれいな女性と逃げて逃げて、「嗚呼、もうダメだ!!」というすんでのところで目が覚めると、不思議と熱がすーっと下がってさっぱりとした気分になっていた。

「ああ、治った」と自分でも分かった。

病弱な小学生時代を過ごしたが、中学に入ると急に丈夫になった。

蓄膿症で耳鼻科に通い、毎日机の中が一杯になるくらい鼻をかんだ思い出はあるが、寝込む事はなくなった。

高校では身体を鍛えた方がいいと端艇部に入り、一時期アホほど運動をした。

運動音痴の緩みきった身体も、ひと夏を越える頃には腹筋がきれいに割れ逆三角形になった。

冬場の指導者の居ないウェイトトレーニングで、腰をこわしてしばらく動けなくなり、ボートを漕ぐのはあきらめた。

一気に軟派に宗旨替えをしたが、あの一年間の猛烈な量の運動が、その後の健康をくれたものと感謝している。

また、腰痛も辛かったが、以来、若さで無理はしても無茶まではしなくなった。

一病息災ではないが、一度腰をやったという事がなんとか今まで腰痛に悩まされるような疾患にまで至っていない一因だとも思っている。

という事で、この年まで入院、手術というものを経験することなく、健康に過ごせている。

誠にありがたい限りだ。

厳密にいえば、腕のできものを切り取った小手術、大腸ポリープを取ったのも手術と言えば言えない事はないが、いずれにしてもその程度だ。

朝歩きの時に、建築中の家の前を通り木目の天井を見たら、急にこどもの頃の仏間の天井を思い出したのだった。

そして病弱だった幼少期を思い、大病もせずに現在に至る幸せ・・・・。

飯盛山を巡る朝の45分間のサーキット。サボりたくもなるが、今の健康を思えば罰も当ろうというものだ。

・・・そんな事を考えつつ、15度にも満たない冷涼な会津の朝を歩いている63歳、お蔭さまで元気です!

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