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2017年5月19日 (金)

大きな声で

誠に緑が美しい。庭の夏椿の葉に朝の陽射しがたっぷりと降り注ぐ、空気が澄んでいるものだからその緑の鮮やかな事、眼に沁みるようだ。

その下には真っ白なツツジが花を開いている。

朝歩きもサングラスが必要なほど、朝は早くなった。西に向かった下りはまだいいが、回って東向きに登り出すと朝日がもろに顔を照らす。

朝歩き用は、赤いフレームのサングラス。どう見ても500円には見えないだろう。

お天気にも恵まれて「第49回・野口英世博士をたたえる集い」が野口英世青春広場で開かれた。

この時期なのにインフルエンザで城北小学校が学級閉鎖と言う事で、急きょ欠席になったが会津若松市内の小中学校の代表、およそ200人が集まった。

野口英世博士の命日は5月21日、この日か、曜日によってはそれに近い日の午後3時から例年行われる。

献花をし、祝辞をいただき、作文をささげ、校長会の当番の先生からお話を聞く。野口英世の歌をみんなで歌い、野口英世博士の偉業を偲ぶ集いだ。

野口英世博士顕彰会の主催、昨年からその会長を仰せつかっている。

従って、幕開けに主催者あいさつをいなければなない。

集いは全体で50分程度、ちょうど授業の1時限と同じくらいの長さだ。その間、子どもたちが集中して話を聞くようにするにはこの頭のあいさつが肝心だ・・・と言う事を昨年やってみて強く感じた。

頭にごく普通の、誰誰様に感謝を申し上げ、博士の遺徳を偲び云々・・・こども達には難しい漢字の多いあいさつをしてしまうと始めから感心が薄れ、聞く耳を持たなくなってしまう。

昨年も少しは気を付けたつもりだったが、ちょっと難しく、説教口調になってしまったきらいがあった。

そこで今年はちゃんと書いたものを読んだ。耳で聞いて分からないような言葉は使わずに、分かり易く。そして、かなり恥ずかしかったのだが、大きな声で朗読した。(実は朗読が一番苦手なのだけれど)

博士の偉業は次に続く方々が述べるに決まっているので、時節柄、差別や偏見、壁を作ることの愚かしさについて話した。

『もしも、東洋人に対する差別や偏見で博士の才能を潰してしまったなら、何万、何百万という人々の命が救われる事は無かった。人を隔てる壁は築くものではなく壊すものだ。博士と同じ会津という風土に生きている事に誇りを持って…』

と言うような事を、できるだけ簡潔に短く、大きな声で話してみた。

去年よりもずっと子どもたちの食い付きが良かったように思う。みんな顔を上げて、じっと見ていてくれた。そして、聞いてくれた。

『では、これからの集いで博士の事を学び、考えてみてください!』

そう。お説教を聞くのではなく、一人ひとりが考えてみて欲しい。偉い!っていったい何が偉いのか?どこが立派なのか?自分なりの答えを見つける事が肝心、そのための集いなのだ。

75点ほどの出来ではあったが、こども達の心を惹き込むという目的はなんとかできたように思った。その後のプログラムを含めちょうど一時限、50分間があっという間だった。

祝辞も、作文も、校長先生のお話も、みんな良かった。ママさんコーラスの歌声もきれいでした。

そして空は青く若葉が輝き、時折、爽やかな五月の風が吹き抜ける。英世が感じたのと同じ風が、こども達の頬を撫でてゆく。

終了後の後片付け、椅子を片づけているとコーラスのお母さんの一人から「会長さん、すごく素敵なあいさつでしたね。感動しました」と、褒められた。

いくつになっても褒められればやはり嬉しいものだ。

やっぱり、人は褒めて伸ばさなくてはならない・・・。

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