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2017年4月17日 (月)

新隠居論

週末に静岡の米山梅吉記念館を訪ねた。

会津若松ロータリークラブの研修旅行で、初めて記念館へ行った。これまで何度かチャンスがあったのだが日程が合わず、叶わなかった思いが実現した。

米山梅吉という人は日本のロータリークラブを作った人だ。

幕末に生まれた大秀才、青雲の志強く、ジャーナリストを志しアメリカへ渡る。帰国後、「提督ペルリ」という書を著わすが成功にはいたらず、実業界に転身、三井銀行の近代化に尽力、わずか十数年で取締役にまで上り詰める。

その後、三井信託銀行の社長を務め、人生の後半は社会奉仕に尽力する。

三井報恩会の理事長を務め、ハンセン病患者の救済、社会的弱者の救済、教育にも情熱を注ぎ、日本にロータリークラブを立ち上げるなど、まさに奮迅の活躍をする。

没後、米山梅吉氏のあまりに大きな功績をたたえ、またその遺志を継ぐ形で東京ロータリークラブが「米山梅吉記念奨学金」を創設、全国のロータリークラブが賛同するところとなり、今では民間最大の奨学金制度となっている。

日本に学ぶ留学生を支える米山奨学金。この奨学金は単に生活の援助にとどまらず、各地のロータリアンとの国際交流をも合わせ求めている。

勉学に精励する事はもちろんの事、クラブとの交流を通し日本文化を学び、日本という国を正しく理解して、その学びを母国に伝えて欲しいとの願いが込められている。

そうした正しい国際理解こそが真の世界平和の道を拓く!との思いが込められているのだ。

返済義務が無く高額であり、この奨学金に助けられた学生は今や世界中に広がっており、すでに一万数千人を数える。

この奨学金制度を米山梅吉氏が唱えたわけではないのだが、彼の社会奉仕・国際交流に注いだ情熱が色濃く反映されている事は間違いない。

記念館はそんな梅吉翁の生涯をコンパクトに紹介し、専属の学芸員さんの丁寧な解説が付く。

梅吉翁は40代で「新隠居論」なる構想を打ち出している。

実業の世界で満身の力をふるった後は、すみやかに後進に道を譲り、社会奉仕に邁進せよというのが肝だ。(私はそう理解しています)

「社会奉仕」というと、また「隠居」などというと、どうしても一丁上がりの後の余生を悠々と、時に少しはボランティアでも・・・などと考えがちだが、そうのんびりした論ではない。

身体も精神も健勝な内に本気で社会奉仕をするべきである!爺さんの片手間とは程遠い、積極的で元気な隠居の姿なのである。

梅吉翁は社会奉仕に打ち込んでからもその活躍、働きぶりは実業界の時と全く変わらないくらいにハードだ。

日本にあった全てのハンセン病施設を訪問している。

まだ鉄道もほんの少ししか敷設されていない時代、北海道から九州まで、その実情を知る旅は時に馬、時に歩きのハードなものだったに違いない。

隠居と言っても、まさに水戸のご老侯様みたいなものだ。

十六歳で出奔、アメリカに学び、欧州の銀行システムを吸収し実現、二人の息子さんに若くして先立たれるという大きな悲嘆も味わった波乱の人生・・・。

その屋敷跡にたてられた米山梅吉記念館を今も日本中のロータリアンが訪れている。

ガラスケースには酒も煙草もたしなんだという梅吉翁の愛した身の回りの品々が大切に展示されている。

「これらをもし、なんでも鑑定団に出したなら・・・ビックリするような高価なものは何一つありません」と学芸員さん。

その梅吉翁の墓碑には自筆で次のような句が刻まれているという。

『いさかいもなく 水漫漫の 青田かな』

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