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2017年4月

2017年4月19日 (水)

花の宴

歓送迎会、花見会と四月には10回を越える「花の宴」がある。

芸者じゃないが、呼ばれる内が花というものだ。

会費だけではなんなので、出来るだけ一升瓶をぶら下げて行く。時間飲み放題の店が多いので持ち込んで文句を言われる事はない。

会津清酒の消費には大いに貢献していると言える。

今日あたりからはさくらも満開、まさに花の宴が土曜まで四日連続で続く。

どの宴でもなんらかのあいさつは求められる。前にも書いたが、そうした機会をおろそかにはすまい、と改めて心掛けている。

何らか心に残るような、若者を励まし、みんなの心がはんなりとするような、そんな事を言えたらいいなぁ・・・と思っているが、一回一回本気のパッチは容易なことではない。

それでも出来る限り、寝床の中や朝歩きの道すがら頭を働かせるように心掛けてはいる。

ま、出来はどうあれ、心を込めようとしたのと、全く心のこもらぬ饒舌なあいさつでは、きっと何かが違うだろうと思っている。積み重なればなおのことだ。

鶴ヶ城址も満開だ。一度くらいは本丸に流れたいと思うが最近はあまりチャンスがない。

やはり、会津の桜は鶴ヶ城に極まる、と言っていい。

だが、鶴ヶ城址の桜を見るたびに、こんなに限界とおぼしき老木ばかりで、この先どうなってしまうのだろう?と心配になる。

しっかりとした樹木のプラン、次世代の養成は行われているのだろうか??

『春風や闘志抱きて丘に立つ ~高浜虚子~』

テレビのゴールデンタイムのプレバトという番組では盛んに俳句を取り上げている。そこで、苦し紛れにこんな青春の俳句を取り上げてあいさつをした事があった。

季節の変わり目になると何の闘志か分からないけれど、やたらこぶしを握り締める危ない人が増えてくる・・・そういう話ではなく、中の句、闘志のところに自分の心境を置き換えてみてください。

やる気でも本気でも、愛でも夢でもなんでもいいから前向きな気持ちを入れてみて。そして、春風を思って笑ってください。

会津の長い冬を越えて、春風に吹かれて、ここにマイナスな言葉しか浮かばないようでは問題です。

ため息だとか疲れとか、そんな言葉が実はぴったり!なんて人は、ひと休みを心掛けて、仲間や家族、誰でもいいから心開ける人と話す事。

思いっきり春風に深呼吸、一息入れて・・・。

焦る事はない、自分を追い込んだりしないで、愉しいことだけ考えて乾杯しましょう!

と、その場しのぎの、あいさつになる事もある。

それで大いに滑ったり、失敗したりすると、『後悔抱きて丘に立つ』ってな事になってしまう訳だ。

それでも、気を取り直して翌日の花の宴に向かう、「花の宴」でお酒を飲むというのも、そうそう容易なことではないのですよ。

盆地を走る。

先日の日曜は、抜ける様に爽やかな晴天だった。

光が溢れ、いかにも紫外線が強そうで、空気が澄んで、残雪を抱く遠くの山々までくっきりと見渡せた。

会津盆地全体が日本晴れの真下にあり、北東の端に磐梯山が見事な立ち姿を見せている。

見遥かすあちらこちら、山肌のそこここに、薄桃色の花のかたまりが見えるのどかな風景だ。

朝歩きをして、新聞を読み、朝から「砂の法廷」という映画を一本見た。

何の予定もない日曜日は時間がたっぷりとある。

昼前にはあまりの好天に誘われて、花見がてらのドライブがてら、昼食を食べに行く事にした。

短大の校庭周りの桜並木を眺め、会津大学の桜を見る。開学以来20数年、立派な桜が大学を取り囲み咲いている。ちょうど満開、会津の隠れた名所と言っていい。

車を停めて写真を撮る人、家族で歩く人、犬を連れた人・・・を横目にゆっくりと車を走らせ一周し、学内に入った。

校内の道路をゆっくり走り、大きく育ったポプラ並木を抜けて、また正門に出る。もう一周して河東の「ブルーコーンズ・ダイニング」という店に向かった。

家人は以前に一度、女子会で食べに行って美味しかったらしい。

11時少し過ぎ、我々が一番客だった。すでに予約席の札が付いたテーブルがいくつもある。

テーブルについて注文をしていると次々とクルマが入って来る。ほんの10分足らずで、店は満員になった。

はやっているんだなぁ・・・少しぐらい立地が悪くても評判が良ければみんなやって来る。「美味しい」が一番の集客パワーだ。

私はチーズハンバーグ、家人は日替わりのトロトロ煮込んだポークカレー、食後に胡桃となんとかのケーキをひとつとコーヒーを。

朝は例の甘酒だけだったからかなりの空腹、なんでも美味しい!状態だったが、それを差し引いてもなかなか美味かった。付け合わせのたっぷり生野菜がとても新鮮だ。

ただし、カレーはもう少し辛くても良いかなと思った。

食事を終えて坂下方面へクルマを向けた。

停めておいた車内は暑い。窓を開けて風を入れる。

坂下の入り口で「杉の糸桜」の看板を見つける。その看板に誘われて行ってみる事にした。

医王寺という寺の境内にある、確か「会津五桜」のひとつに数えられた桜だ。会津盆地の西北側の山の際にある。

駐車場に車を停めて道路向かいの医王寺へ。20台ほどのクルマが停まり、県外ナンバーも見られた。

この桜は正直、がっかりだった。

本当に古い木で太い幹の部分しか残っていない。しだれ桜のように枝が何本も垂れ下っているが花芽が見られない。

ほんの一部に花がまとまって咲いていたが、全木に立派に花を咲かせる力は失われているようだ。樹木医の手厚い看護が必要と思われた。

坂下の杉地区から新鶴温泉へ向かってみた。

新聞に出ていた「はったんどう」というカフェの場所を確認するためだ。家人が次回の女子会の候補に挙げているらしい。

新鶴温泉の丘の途中にオレンジ色の可愛らしい建物が日差しを一杯に浴びて立っていた。なんと入口には大勢の行列ができていた。

食事もできて、スウィーツが有名らしい。街からこんなに離れた場所なのに「美味しい」につられて、人はこんなにも集まる。時代は変わっている。

それを横目で見ながら、大いに感心してクルマを自宅に向けた。盆地の半周ぐらいは走っただろう。

鶴ヶ城周辺は、満開の桜で渋滞。そこを避けて帰宅。

女子ゴルフをテレビで応援しゴロゴロ、少し陽が傾いた頃にサウナに行き、マッサージチェアで背中を伸ばす。

相当な汗をかいたので、勢いよくビールが流し込まれた。乾杯の時間もいつもより少し早まった。

朝5時起きで身体を動かし、その倍ほどもグダグダしながら食べて飲んで、長~い休日を満喫した。

2017年4月18日 (火)

やすらぎのひよっこ

夕方帰ってから、もしくは早朝に、録画した連ドラを見るのがこのところの日課になっている。

NHKの朝ドラ「ひよっこ」と民放の昼ドラ「やすらぎの郷」だ。

主題歌部分の早送りなど、もう手慣れたものでチャッチャと見る。

「ひよっこ」はなかなか面白い。その前の「べっぴんさん」はちょっと首をかしげる脚本だった。なんだか大人の学芸会みたいで見ている方が恥ずかしくなるようだった。それに比べたら大分出来が良い。

主演のみね子役、有村架純さんがなかなかいい。「あまちゃん」に出て、お母さんの少女時代を演じて評価を得たらしいが、全く印象になかった。

今回はいい。奥茨城村での高校生のシーンでは、無理やり5キロも太ったというからなかなかの役者根性を見せている。周りを固める役者陣も、良いキャスティングだ。

物語のテンポもよく、次回が楽しみになる。どこまで突っ走れるか、どこまで人気が出るか?楽しみだ。

もうひとつの「やすらぎの郷」はシルバー世代へ向けた連ドラ、倉本聰氏の意欲作だ。

テレビ界の発展に貢献した役者やプロデューサー、脚本家などだけが入れる不思議な老人ホーム。その老人ホームを舞台に繰り広げられる人間ドラマだ。

蛇足ながら、先日、静岡から伊豆、箱根と回ったがその海岸端にあるゴルフ場のクラブハウスがあの老人ホームの建物として使われているらしい。(CGとの組み合わせで)

「ひよっこ」は、屋外ロケやセットでの撮影など大掛かりな舞台で見せるが、「やすらぎの郷」は全くの好対照だ。

ひと部屋の中や、ロビー、バーの一角での芝居で見せる。それも長回しでの一発撮りが多い。大きな動きはないがセリフも多く、細かな心理描写で見せる。

まるで一回、一回が20分間の舞台演劇の様だ。

それがきっとたまらないのだろう。

主役の石坂浩司さん、浅丘ルリ子さん、加賀まり子さん、八千草薫さんなど、いずれもご高齢の名優たちが実に楽しそうで、嬉々として演じている空気が画面から伝わってくる。

脚本家の倉本聰さんも80歳を超えている。それでいて全120回の台本をもう書き終えているというのだから、凄まじいエネルギーだ。敬服。

このドラマ、俺も、私も出たい!という名優たちからの声が引きも切らないそうだ。

案外、好評で120回では終わらないかもしれない。

今のテレビにはシルバー世代が安心して見られる番組が無い!そのアンチテーゼとして描いたドラマだという。

高齢化社会にその挑戦がどう受け止められるのか?それもまた楽しみなところだ。

15分、20分、タイトルやCMを早送りをすると2本合わせて20分ぐらいかな。

ささやかな楽しみが増えた春である。

会津五桜を巡る観光ツアーの大型バスが、石部桜の蕾もまだ固い頃から引きも切らない。

「全く咲いてもいないのに可哀想だこと・・・」と家人と話していたが、ここに来てようやく石部桜もほころび始めた。

ここからの約一週間は、見事な孤高の一本桜に誰もがため息をつく。

2017年4月17日 (月)

新隠居論

週末に静岡の米山梅吉記念館を訪ねた。

会津若松ロータリークラブの研修旅行で、初めて記念館へ行った。これまで何度かチャンスがあったのだが日程が合わず、叶わなかった思いが実現した。

米山梅吉という人は日本のロータリークラブを作った人だ。

幕末に生まれた大秀才、青雲の志強く、ジャーナリストを志しアメリカへ渡る。帰国後、「提督ペルリ」という書を著わすが成功にはいたらず、実業界に転身、三井銀行の近代化に尽力、わずか十数年で取締役にまで上り詰める。

その後、三井信託銀行の社長を務め、人生の後半は社会奉仕に尽力する。

三井報恩会の理事長を務め、ハンセン病患者の救済、社会的弱者の救済、教育にも情熱を注ぎ、日本にロータリークラブを立ち上げるなど、まさに奮迅の活躍をする。

没後、米山梅吉氏のあまりに大きな功績をたたえ、またその遺志を継ぐ形で東京ロータリークラブが「米山梅吉記念奨学金」を創設、全国のロータリークラブが賛同するところとなり、今では民間最大の奨学金制度となっている。

日本に学ぶ留学生を支える米山奨学金。この奨学金は単に生活の援助にとどまらず、各地のロータリアンとの国際交流をも合わせ求めている。

勉学に精励する事はもちろんの事、クラブとの交流を通し日本文化を学び、日本という国を正しく理解して、その学びを母国に伝えて欲しいとの願いが込められている。

そうした正しい国際理解こそが真の世界平和の道を拓く!との思いが込められているのだ。

返済義務が無く高額であり、この奨学金に助けられた学生は今や世界中に広がっており、すでに一万数千人を数える。

この奨学金制度を米山梅吉氏が唱えたわけではないのだが、彼の社会奉仕・国際交流に注いだ情熱が色濃く反映されている事は間違いない。

記念館はそんな梅吉翁の生涯をコンパクトに紹介し、専属の学芸員さんの丁寧な解説が付く。

梅吉翁は40代で「新隠居論」なる構想を打ち出している。

実業の世界で満身の力をふるった後は、すみやかに後進に道を譲り、社会奉仕に邁進せよというのが肝だ。(私はそう理解しています)

「社会奉仕」というと、また「隠居」などというと、どうしても一丁上がりの後の余生を悠々と、時に少しはボランティアでも・・・などと考えがちだが、そうのんびりした論ではない。

身体も精神も健勝な内に本気で社会奉仕をするべきである!爺さんの片手間とは程遠い、積極的で元気な隠居の姿なのである。

梅吉翁は社会奉仕に打ち込んでからもその活躍、働きぶりは実業界の時と全く変わらないくらいにハードだ。

日本にあった全てのハンセン病施設を訪問している。

まだ鉄道もほんの少ししか敷設されていない時代、北海道から九州まで、その実情を知る旅は時に馬、時に歩きのハードなものだったに違いない。

隠居と言っても、まさに水戸のご老侯様みたいなものだ。

十六歳で出奔、アメリカに学び、欧州の銀行システムを吸収し実現、二人の息子さんに若くして先立たれるという大きな悲嘆も味わった波乱の人生・・・。

その屋敷跡にたてられた米山梅吉記念館を今も日本中のロータリアンが訪れている。

ガラスケースには酒も煙草もたしなんだという梅吉翁の愛した身の回りの品々が大切に展示されている。

「これらをもし、なんでも鑑定団に出したなら・・・ビックリするような高価なものは何一つありません」と学芸員さん。

その梅吉翁の墓碑には自筆で次のような句が刻まれているという。

『いさかいもなく 水漫漫の 青田かな』

2017年4月13日 (木)

春の朝

耳元で「スキ!スキ!スキ!スキ!」と囁かれているような、そんな声で目が覚めた。

甲高い声で「チュキュウン!チュキウン!チュキュウン!」と元気に啼いている野鳥の声だった。

朝の空気を震わすように大きな声で啼いている。庭のナナカマドの枝の先だ。

二階で寝ているので、ちょうど同じぐらいの高さの枝で啼いている。

ので、そんな風に聞こえたのだ。寝ぼけてしばらく聞いていると、パタパタとどこかに飛び去った。

何という鳥かは分からない。

カーテンの外はもう明るい。夜明けもどんどん早まっている。

朝歩きで歩きだすと、すぐ近くの山で「ホー、ホッケキョ~」と鶯が啼いた。今年の初啼きだ。まだきれいに啼けない、練習中の鳴声だ。

例年初めて聞く鶯の声は「ホー、ホッケッチョ、チョ」となまっていたのだが、ケチョではなくケキョ~と、今年は澄んでいる。

家の周りの鶯が、違ったDNAの一族に入れ替わったのかもしれない。

鳥の種類が分からないので何でもかんでも「鳥だ!」で済ましてしまうが、飯盛山一帯は日本野鳥の会の会員なら結構楽しめる野鳥の天国かもしれない。

先日、飯盛山の白虎隊士の墓の前の広場を掃いているオバさんに、今年初めて会った。

このオバさんは凄く細身で、いつも目深に帽子をかぶりマスクをしていて、ひたすらに広場を掃いてくれている。

女性だという事は分かるが顔つきなどは全く分からない。

たった一人で広い広場を掃くと、石段の参道も掃き(もちろん何日もかけてだ)、石段がきれいになる頃にはまた、広場に枯れ葉や枝が散乱し、また一から掃き始める、これを繰り返しているのだ。

偉い人だなぁ~、といつも感心するが「おはようございます」と、あいさつしかしたことが無い。

その掃いているオバさんに、散歩で登って来たオバさんが突然「あら~!」と声をかけた。「今年も始まったのかよ~」という。

すると細身のオバさんが、帽子を取ってマスクを外してほほ笑んだ。

初めて「ああ、こういうお顔をしてらっしゃるんだ。やっぱり、優しそうなお顔だ」と、思った。

日に日に、早朝の飯盛山近辺に現われる人の数が増えて来ているようだ・・・。

カンショのような石段登り男にも会った。(ナント20回も登り降りする。会津では超オタッキーな感じの珍人をカンショといいます)

毎朝会うお散歩集団にはまだ合わないが、もうすぐ始まるのだろう。

白虎隊士の墓の裏山一帯、どこまで見上げても白いものは見えなくなった。

この山肌にすっかり雪が消える頃には、会津磐梯カントリークラブのコースも目を覚ます。

3月末からゴルフの機会が無い。来週末には行けそう、その日が待ち遠しい。

それまで少し朝歩きの回数を増やし、なまり切った身体を戻さないといけない。

耳元で「好き!好き!好き!」と囁かれるような日々が帰って来る事は決してないだろうが、せめてこの辺りでの現状維持は、出来るだけ長~く続けなくてはならない。

2017年4月 9日 (日)

昼酒が続く 2

その週の土曜は、職員同士の結婚式があった。

一年ぶりぐらいの結婚式の出席だ。事務職と検査技師の美男美女、同期同士の結婚だ。

新入職員の職員研修は一週間行われる。多職種、全ての職員が一緒に行う。以前は研修医師は全くの別メニューで行ってきたが4,5年前からは同じにした。

それだけに同期の絆も強くなり、カップルの誕生も珍しくない。

先だっても女医のS先生が情報システム課の職員と結婚した、と聞いた。一体、どこに接点があったんだ?と思ったが、聞けば研修医で来た時の同期だったそうだ。

多職種入り混じっての研修が無ければこういう関係はなかなか生まれない。

13時半、写遊庭。レストランウェディングのお洒落な結婚式だ。

パティオに新郎新婦が現れ、参加者全員からフラワーシャワーで祝福を受ける。

みんなで写真を撮り、二人の幸せを願い、会津の空に風船を飛ばして披露宴の始まりだ。

「花嫁の父です」と言われて、どっかで見た事がある・・・・誰だっけ?と思っていると「よくお風呂でお会いします」というではないか。

たまにいく大江戸温泉のサウナ、行った時には必ず会う常連さんの一人だった!

会う時はお互い、当然ながら素っ裸、それがタキシードに眼鏡をかけているとさすがにすぐにぴんとは来ない。

先方は私の事を知っておられたらしいが、プライベートの場だからと一切あいさつはしなかったそうだ。

そんなサウナ仲間がお父さんというのもなんだか妙だった。

結婚式は実に良い。目出度くて良い。

新婦の姪御さんと思しき女の子(6歳ぐらいかな)がピンクのドレスを着て式場を駆け回る・・・というか少しでも花嫁のそばに行きたくて仕方がないようだ。

きっと嬉しくって、嬉しくって仕方が無いんだろう。

ご両家の御親戚のみなさんも人の良さそうな方ばかりで、お爺ちゃんお婆ちゃんを大事にした進行が温かい。

ここの司会者は昔仕事をしたというか、いろいろ教えたA嬢だ。ちゃんと名前を見つけて開宴前にあいさつに来てくれた。

お酒は飲み放題だが、院長以下、日本酒好きが多い事を新郎新婦もちゃんと心得ており、「会津娘・吟醸」と「風が吹く」が用意されていた。

ので、また酒が進んだ。

友人のあいさつも一人ずつ、とても丁寧で心がこもっていて良かった。

最後の新婦が読んだ手紙、涙を流しながら両親への感謝の言葉を述べる。もちろんこちらも、もらい泣きだ。

ウチの娘は絶対に泣いて無理、と司会者が代読したんだよな・・・・確か。

どちらも職員という事で、お呼ばれも職員が多い。

普段は制服姿の職員達も、おめかしして皆きれいだ。馬子にも衣装だ!などというとぶっ飛ばされるので、グッとこらえた。

カーテンで室内が暗くなっていたのでその気になってしこたまいただいたが、お開きとなって会場を出るとまだまだ明るい、雨も降らない土曜の昼下がり。

翌日の日曜にはゴルフを入れようか、とさんざん悩んだが止めにした。

今週はこれで月曜から土曜まで、久しぶりの一気通貫の宴会ウィーク。

何もない日曜は骨休めに当てよう。

そうだ、サウナでも行くか!と思ったが止めにする。

だって昨日の今日で、新郎のお父さんと裸の付き合いもないだろうから・・・。

2017年4月 7日 (金)

昼酒が続く

このところ休日に祝い事が続き、昼からの酒が続く。

4月2日には新城猪之吉さんの褒章受章を祝う会があった。60代で褒章をもらう人は、70代になると勲章をもらうというから大変だ。

新城さんは会津高校の良き先輩で親交も長い。お蔭で、いろいろなところにも引っ張り出されて(というか引き立てられてと言うべきか)、お声をかけていただき役も増えた。

会津高校同窓会は新城さんのキャビネットとしてお声をかけていただき、副会長を仰せつかっている。

会津学生寮は、学校が京都なのでほぼ関係はないのだけれど。新城さんのお声掛かりで理事になった。

寅さん映画の撮影監督を務めた高羽哲夫さんを顕彰する映画祭は、始まりの時から手伝わされてもう18年になる。

新城さんの御尊父が作った「会津ホスピス研究会」は十年ほど前に「生と死を考える会・会津」と名前を変え今に至るが、縁あって今の会長は私だ。

そんなこんなで多方面にアンテナを張る新城さんだが、褒章の対象はもちろん本業の酒造業での業績だ。

家業の末廣酒造はもとより、会津酒造組合、県の組合、東北、全国の組合など役職を歴任し、トップとして東日本大震災の困難に立ち向かい、世界へ向けて日本酒の売り込みに奔走して来た。

祝辞で述べられる功績を聞くと改めて凄いオッサンなのだ、という事を思い知る。

来賓も多彩だ。倍賞千恵子さん、小六禮次郎さんご夫妻、福留アナウンサーなどの芸能界の他、政財界、教育界、文化団体と実に多彩な顔ぶれが会場を埋め尽くした。

祝辞(5人)に続き、倍賞さんの祝い歌のミニステージがあり、乾杯までは1時間45分ほどかかった。

それだけに、という訳でもないだろうが乾杯の純米吟醸酒の美味しかった事!五臓六腑に沁みた。

この日は11時に始まり、13時半からは叔父の一周忌がひかえていた。

ま、2時間あればある程度は出席できるだろうと思っていたが、乾杯後、15分ほどしか時間はない。

主賓の新城さんに中座の無礼を詫び、昨年秋に横浜で鮨をご一緒した倍賞さん、小六さんご夫妻にご挨拶をした。

あとは目に付いた主だった人に慌て挨拶を済ませ、予定よりは10分ぐらい遅れて会場を後にした。

西蓮寺本堂での一周忌法要。この間、長男のNは西蓮寺に新しい墓を設けている。

本堂での読経、焼香を済ませお墓へ。写真の叔父は満面の笑みで『腹減ったよ~、もういいから早く一杯やんべよー』とほほ笑んでいる。

会場を「田事」に移しての会食。

初めから少し入っていたので出だしから快調。隣りの家人の席(この日は運転手)を叔母さんの甥に当たるSくんと変わってもらい、差しつ差されつで日本酒を飲んだ。(どうもこのところ日本酒の消費が増えている)

宴も盛り上がり良い感じ、ひ孫たちもはしゃいでいる。

酒も子どもも大好きだった叔父は、きっと目を細めて喜んでくれているに違いない。

帰りはSくんを送って行く。天寧寺町なので通り道だ。このSくんの奥さんは私と中学校が一緒なのだ。

玄関前に着けると、どうしても一杯飲んで行けという。

というか、一杯よりも3月に逝った叔父に続いて初夏に亡くなったお父上の仏壇に、まだお線香をあげていなかったので、そちらの方が気にかかった。

「せっかくだから」とお邪魔して仏壇に手を合わす事が出来た。

家は洋風の立派な家、広い、今にあるワインセラーは60本ぐらいは入る大きさだ。

夫婦そろって東京電力に勤めていたから、やっぱり違う。

家人はコーヒー、こちらはワイン。

内心、いい加減にしなさい!、とどやされるのではないかと気にしつつも1本開けてしまった。

窓の外は湯川のながれだ。陽も大分傾いたので、さすがに失礼する事にする。

ぜひ、「また飲みましょう、今度は家人も!」と約束をしてお邪魔しましたと戻れば、早や日曜の夕餉の時間である。

良い気持ちで一っ風呂を浴びて上がると、家人はビールをゴクゴクと飲んでいた。

お土産のわっぱ飯を食べたら完全にイッチョ上がり、大河ドラマを録画してもらい早早に床についてしまったのでありました。

昼酒、翌週に続く。

2017年4月 2日 (日)

四月

今年も95名、と大勢の新入職員を迎えた。

若々しい顔がみな緊張して、頬を染めている。

ここから始まる新しい人生、思いっきりぶつかって、負けないで、汗もかいて、時には涙も流して、結果的に笑えるところまで。

頑張って、一人ひとりが幸せをつかみ取って欲しいと心から祈ります。

昼前の異動辞令、ピンチヒッターでお役目、40名近くいるというので、エイプリールフールかと思ったが、本当だった。

当たり前だが、辞令に以下同文はないので、全部読まなくてはならない。結構大変、部署役職と漢字ばっかりのところもあり、とちらないで読むのも結構大変なのだ。

喉も乾いた。

日々ときめいて、仕事に慣れ切ることなく、奇跡に出会えるような気持ちで頑張って欲しいとエールを贈る。

当り前だけれど、会津にも春が来ている。確実に。

四月の風はまだまだ寒いけれど、もう芯の冷たさはない。

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