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2017年3月

2017年3月29日 (水)

騎士団長

村上春樹著「騎士団長殺し」を読み終えた。

第一部「顕れるイディア編」、第二部「遷ろうメタファー編」。各冊500ページを越える長編だ。

「騎士団長殺し」というタイトルも奇妙、これまでの村上春樹の小説にはない響きだ。

「騎士団長殺し」という一枚の絵にまつわる、、、んー、まつわるはおかしいな。一枚の絵をめぐる、、、めぐるもしっくりこない。ま、そういう絵が出てくる変なお話だ。

言ってみれば難解、とても奇妙な物語だ。

お笑い芸人で小説も書くO氏などは、公然と村上春樹を批判している。何が言いたいのかさっぱり分からない、ハルキストなんて連中は何言ってるか訳が分からない、と。

確かにイディアもメタファーも何だか分からないし、これまでの小説の中でも、これは相当に奇妙な物語だ。

なんとなく共通しているのは、井戸のような、どこかにつながる穴が出てくるところ、音楽に関するとてもマニアックな考察が出てくるところ(クラシックやジャズを問わず)、食べ物や飲み物に対しても独特の趣向、味わいの感想が述べられるところ、そして非常にエロティックなセックスの描写がつづくところなどだ。

ま、音楽や絵画など芸術と呼ばれるもの、また文学や歴史などに全く興味のない人は、読み続けるのが難しいのかもしれない。

『訳わかんね!』と言って投げ出したくなりそうな話なのだが、そうはならない、ところが村上作品の不思議なところなのだ。

思わず読み進んでしまうほどに、ひとつひとつの(始まりから 。 までの)文章の力がすごく強い。書いているというよりも、そこに書かれるべき文章を拾い出しているみたいな気にさえなる。

不思議な穴の中から絵画を抜け出した60センチほどの騎士団長が出て来て「諸君、そうではあらない。」と、この世の精神世界の有り様を物語るのだけれども、実のところよく意味が分からない。

良く分からないのだけれども、読み進めたくなり、結果的にはやっぱり面白いのだ。

そこがお笑いのO氏とは意見を異にするところだ。全く、つまらなくはない。

文章の力がとても強いけれども訳が分からない(うまく理解できない)のだが、なんとなく分かるようなところもあり、千ページにも及ぶ物語の最後には、胸の動悸がするぐらいの感動を覚えたりするのだ。

自分でも一体何に感動しているのかよく分からないというところが、これまた凄いし、少し呆れる。

おそらく解説書を読んでも、結局のところ何を言ってるのか分からないのだろうと思う。

この世にはとても大切で愛おしいものがあって、それらは時にとても見つけにくい。そして、とても簡単に消えてしまうものでもある。

誰かから私に手渡された、恩寵のようなもの・・・そのことを思うと貯水池の広い水面に静かに降り続く雨を眺めている時のように、確かに私の心はとても静かになる・・・そんな気もする。

だから何なの?結局どういう意味?と尋ねられても答えられない。

よく意味も分からないのに、千ページもの長い物語を読み終えて、胸の薄皮が一枚剥がれたような、新しく何かが生まれるようなそんな気持ちになるのだから、文学とはなかなかの力持ちだ!と改めて思う。

そして、HARUKI MURAKAMI はやはりいつの日かノーベル文学賞にその名を刻むのではないかとも思う。

閑話休題。

ようよう白くなりゆく会津の空に、朝歩き開始、飯盛山の白虎隊の墓まで登り始めた。

途中、白虎隊のくぐり抜けた洞門を眺める。

ごうごうと流れる水の量、その暗い洞穴の奥から一瞬、騎士団長が流れ出てくるような錯覚を覚えて・・・「コワい!コワい!」とばかりに足を速めた。

2017年3月27日 (月)

見えない力

日曜の夕方は大興奮した。

横綱・稀勢の里が99.999%は無理!とまで言われた予想を覆して、優勝してしまったからだ。

正直、私も十四日目の鶴竜戦を見て絶対に無理だと思っていたので、驚いた。

解説の北の富士さんも舞の海さんも、出るだけで勝つのはとても無理でしょう、と取り組みの前から消沈気味だった。

おそらくは日本中の誰もが同じ思いだったに違いない。(相撲を見ている人)

十三日目に日馬富士と取って土俵下に転落したあとの痛がりようは尋常ではなかった。花道を下がる時にも思わず唸り声が出ていたほどだ。

一体どこを怪我したのか、それも言わない。肩なのか腕なのか、てっきり脱臼かと思ったがそうではなさそうだ。

あの痛がりようで、休場しないという事にまず驚いた。そして鶴竜に軽く押し切られた時にはやっぱり休場だよな、と誰もが思ったと思う。

「十四日目に休場しなかったのだから、千秋楽に休場するわけにもいかないだろう・・・」と、家人に言った。「千秋楽に休場して照ノ富士が不戦勝で優勝なんて事になったら全くしまらない。だったら十四日目に休めよ!ってことになっちゃうもんなぁ・・・」

そして千秋楽本割、負ければ照ノ富士の優勝だけれども、まぁそれで良いんじゃない?とほとんどの人は思ったに違いない。

いよいよ立ち会い、一度立つには立ったが立ち合い不成立で「まだまだ!まだ!」、この時に稀勢の里が右に変わるのがバレてしまった。

今度はどうする?とはいってもまともに当たったんでは勝機はゼロだ。次は左に変わり気味に立った。

互いに組み合い、稀勢の里が左をこじ入れようとするが、痛そう。

まるで痛い痛い!とでもいうように左に回った稀勢の里、最後は「もう、痛いからやめて!」みたいな感じで照ノ富士を土俵際まで引き回し、ドーンと右で突き落としてしまった。

場内大歓声!信じられない!を繰り返す解説者。

結びの一番、鶴竜が勝った後の大一番、「優勝決定戦にござりまする~」

東から上がった稀勢の里、西から上がった照ノ富士、大歓声の中制限時間一杯、立ち合いでまた照ノ富士が一瞬早く突っかけ、「待った!」

もう一度仕切る。どうするんだ稀勢の里?

両者見合って手を下ろす。その時、場内が一瞬水を打ったように静かになった。何の音もしない。

その瞬間、「のこった!のこった!」と言う甲高い行司の声が響き、稀勢の里は照ノ富士をガシッと受け止めると土俵際へ押し込み、渾身の右の小手投げがさく裂、照ノ富士は崩れ落ち、稀勢の里もまた遅れて土俵下へと転がり落ちた。

体育館の天井が抜けんばかりの大歓声が巻き起こる。普通の決定戦とは違い座布団一枚飛ばない場内、感動が場内の空気を大きく揺るがした。

我が家のテレビ前の桟敷席でも、家人、娘、孫と私、みんなで町内に響き渡るほどの歓声と拍手を贈った。

孫は訳が分からずにぴょんぴょん跳ねる。

「上はダメでも下は元気なんでね・・・」稀勢の里はNHKのスポーツニュースでこともなげに言う。そして「お見苦しいところをお見せしました」と君が代斉唱の際に溢れた涙に照れた。

相撲を見て涙が出たのはおそらく初めてだ。まんざら歳のせいばかりでもない、それほどに素晴らしい相撲だった。

新横綱・稀勢の里が見えない力に押されたようだと語った大阪場所の十五日間が終わった。

さて、五月の夏場所にはぜひ応援に行きたいものだが、これでゴールデンがプラチナになってしまったチケット、取れれば良いなぁ、と願っている。

会津は彼岸も過ぎたというのに朝からの雪、なごり雪と言うにはあまりにも冷たい本格的な降り方だ。

2017年3月24日 (金)

獅子と共に

今年も彼岸獅子が我が家にやって来た。

そして、今年も孫と一緒に観る事が出来た。

去年のお彼岸、春分の日は義母の葬儀だった。わりと寒々とした日だったっけ。葬儀が終わり出棺。身内はもちろんのこと斎場へと行くのだが、私は以前にも一度書いたが、父の葬儀以来、どうしても斎場には行く気にならない。

行く気にならないというよりも、むしろ行かない方が良い、という感覚が強く。叔父の骨も拾いには行かなかった。

なので、葬儀場から孫と、そのパパ、私の男三人で我が家に戻って一休みをして、夕食の使いに改めて出直す事にしたのだった。

たしか、帰りがけにセブンイレブンによってちょっとした昼飯を買った。孫のFちゃんは、大好きな納豆巻きだったかな・・・。

カップめんをすすり、しばらくして彼岸獅子の前触れさんが来たのだ。

「今年はどうしらっぺ?」「もちろんお願いします」と言ってご祝儀を渡した。我が家の分と孫の分も渡した。

孫は、パパの腕の中で固まって彼岸獅子の舞いを見つめていた。その時は弓くぐりを見せてくれた。そして、彼岸獅子と一緒に記念写真を撮った。

あれから早一年、今年は朝から良い天気だった。

午前中にお城に行って、会津東山天寧の獅子舞を見る事にした。孫はお城の中を走り回った。

エネルギーをもてあましているらしく、一日に何分か走らないと気が済まないらしい。

夕食が済んだあとでも、昼の遊びが足りないと、居間のこたつの周りを私の腹を乗り越えて、ぐるぐると回る。止めろ!と言わないと20周、30周ぐらいは平気で走る。言っても走り続ける。

10時30分に大勢の人々の見守る中で天寧の彼岸獅子舞いが始まった。お城をバックに春を告げる勇壮で、軽やかな舞いだ。

笛の一人にウチの職員の顔が見えた。聞けばもう20年もお囃子の笛を吹いているらしい。

孫が見えないのでだっこしていたが、重い事、重い事。すぐに手が、腰が痛くなる。

それでも孫はじっと見ている。なぜか彼岸獅子を横目に太鼓の打ち手をじっと見つめていた。

お城から日本一分店さんに回り、おはぎとお赤飯と団子を買って家に帰った。そして、去年と同じ様に私はカップめんと赤飯を食べた。

孫もまた去年と同じように大好きな納豆ご飯を食べた。

昼過ぎに郡山の姉夫婦が線香を上げにやって来た。

団子を食べてお茶を飲み、彼岸獅子を待ったがなかなか来ない。笛太鼓の音は飯盛山の参道辺りにまで来ているが、前触れさんがチャイムを鳴らさない。

しばらく待ったのだが、姉夫婦は痺れを切らして帰って行った。お土産におはぎを渡すと大いに喜んだ。

分店のこし餡の団子は、餅が小さくあんこがたっぷりだ。

おはぎは粒あんだが、このおはぎの餡子が絶品だ。少し塩気を感じるような甘さ、甘すぎず、甘くなさすぎず、半殺しのもち米にジャストマッチ!口の中に春が広がる。

「ピンポーン!」「来た!」3時過ぎにようやく前触れさんがやって来た。「今年はどうしらっぺ?」「待ってたんですよ」と言って、ご祝儀を渡した。

今年は「ご祝儀」ではなくて「春祝」と書いて、名前を記してお渡しした。

やがて彼岸獅子の一団が賑やかに家の前にやって来た。

孫のFちゃんも、ジャンパーを着て、買ってあげた紺色の帽子をしっかりかぶって、緊張の面持ち。彼岸獅子の舞いが始まった。

玄関前に立った孫に向かって三匹の獅子が舞う。一人立つ孫は気を付け!の姿勢でピクリとも動かない。私はその姿をビデオに収めた。

彼岸獅子の一団と共に何人かの小学生が付いて回っている。そして、その子たちがお囃子に合わせて離れて舞いの練習をしているのだ。将来の舞い手は心配なさそうだ。

舞いを終えて、今年はママに抱かれて彼岸獅子と一緒に記念撮影をした。

最近、カメラを向けるとすぐに変顔をしてふざけるのだが、彼岸獅子をバックには変顔はせずに、きりっと写真におさまっていた。

そして、確実に去年よりは一回り大きくお兄ちゃんになっていた。

2017年3月22日 (水)

元々、嘘はありなの?

報道機関がみんな好き勝手に言いたい事言うようになったら、信用しているこっちの方は訳が分からない、事になってしまう。

ので、困る。

ま、一概に報道機関といっても色々あって、初めからウケればそれでいい、と言う姿勢を貫き通しているところもあるにはある。それはそういう顔付きで居るから仕方ない。

しかし、新聞だとか、地上波のテレビだとかは、基本、真実を伝えようとしているのだろうと、凡夫は信じている。

トランプ大統領で有名になったフェイクニュース(嘘のニュース)、あれはあってはならない事だと思うのだけれども、なんだか近頃、「フェイクニュースを発信するのは仕方がないことで、本当か嘘かを見抜く、その責任は聞いたあなたの方にあるんです!」とでも言わんばかりの風潮が勢いを増しているようだ。

なんだか全てのマスコミがそんな方向に傾きつつあるように思えてならない。

居酒屋「籠太」に似ているな、と思った名前のどこかの理事長さん。あの人が一体どんな人なのかも、言っていることが嘘か誠かも分からないのに、朗々とまくしたてる言葉をテレビは延々と流し続ける。

あんなに攻め立てられても、全く物おじせずに話せるその強心臓に『すごいなぁ』と、感心はする。ワイドショー的な興味もある事はある。

ああいう人って、大なり小なりどこにでも居る。

役人も政治家も使えるものは使わな損!とばかりに何度も何度も、相手が閉口するほどお願いしまくって、「なぁに!なんと思われようが通した方が勝ちだ。私は人になんと思われたって一切気にしません。世間体なんてもんは犬の餌にもならない!」とかいう人。

「あの人には参ってしまう・・・」人ってどこにでもいるんじゃないのだろうか。(かなり桁は違うかもしれないけれど)

役に立つであろう名前や権力は総動員し、一度会っただけで「すごく、よく知ってる」と言う人、一緒に飲食でもしようものなら「親友だ」とかいう人。

有名人と握手した写真を額に入れて一杯飾っている人。

それに似たような人の自宅に、あろうことか野党の代表たちが招き入れられて一方的な話しを聞いて「総理大臣から100万円もらったんだって!」と、嬉しそうにテレビカメラに向かって話す。

それを、スルーでそのまま流す。

ちょっと冷静に、巻き戻してみてみれば『世も末だ!』と嘆きたくなるのも分かる。

と思ったら、新たにキャラの濃い人物がいきなり現れ、くだんの理事長さんの代弁者みたいな事を言い始める。「内閣が二つぐらい吹き飛ぶような・・・・・」

「ホンマかいな?」とは誰も言わずに、その人の背景や経歴など何も報じることなく言った事を全てオンエア、彼は一躍有名なジャーナリスト(?)になる。

よくよく調べてみて、さすがにあの人はまずいんじゃないのと思ったか、翌日からピタッと流れなくなった。

インターネットの発達により、どんな情報でも発信できるし、溢れている。

自殺の仕方、殺人の方法、武器や不正薬物の入手法、警察に捕まらない方法、大儲けの出来る方法・・・・結局、本当かどうかは自分で調べなさい、と何でもかんでも最後は自己責任だ。

でも、報道もそうだと、困ると思う。

基本、フェイクは無しですよ。嘘で人を貶めるような事をマスコミはしませんよ。

でないと凡夫は正直、困ってしまう。

何を信じて良いか分からないから、みんな自分で勝手にやって!では世の中、グラグラしてくる。

今、世界で、この国で何が起こっているのか?

会津盆地の中で暮らし、空を眺め、耳を澄ましただけでは何ひとつ分からない。

人間だから間違える事はあったとしても、嘘は無しにして報じてもらわなければ、やっぱり世の中おかしくなるだろう。

『天使のように大胆に、悪魔のように繊細に・・・』

大体において無邪気な天使よりも、悪魔の方がずっと狡猾で頭が良い、というのが通り相場だ。

もちろん私は天使じゃないけれども、天使並みに頭が良くないので困るのだ。

報道機関そのものがフェイクでは、世の中、いろいろなところがグラグラしてきてしまう。

2017年3月15日 (水)

新学部設立の夢

近頃、会津若松市の未来へ向けた明るいニュースが報じられている。

日本たばこのJT跡地に市が建設を進めるICTビルに大型の入居予定社が決まったとか、また町なかのサテライト施設に入居するICT関連企業、スポーツ関連企業の決定も報じられている。

室井市長がそれぞれの企業の代表と力強い握手を交わし、喜ぶ姿が新聞紙上を賑わした。

今話題のAI、IoT、など目まぐるしく進歩するICT分野の企業が続々と会津に目を向け、やって来るというのは素晴らしい事だ。

人口減少を食い止めるには新しい産業を興し、人々を流入させるだけの魅力をその地域が持つ以外にない。

ICT産業への人材供給の一翼を担うのは会津大学だ。

会津大学の今年の入試倍率は過去最高らしい。より優秀な人材が会津に目を向けている事の表れともいえる。

室井市長はICTの分野に明るく、会津大学を核として、ICTによる地域振興に力を注ぐ政治姿勢を明確にしている。

ぜひ頑張って欲しいと願っている。

八方美人的に、みんなに良い顔をして選挙のために敵を作らず、結局はすべてが中途半端で何もできなかった!などと言うよりはずっと良い。

もし、このまま何もしなければ、多くの地方都市はまさに『座して死を待つ』様な結果になりかねないところまで、時代は来ている。

また一方、市の経済界を引っ張る商工会議所の新会頭さんは観光分野に精通した渋川氏だ。自ら「観光のカリスマ」の資格(資格なのかどうか分からないけど・・・)も持っている。

観光を核として、まちづくりを進めて来た人物だ。

聞くところによると、渋川氏を中心に魅力的な建物である福西本店の蔵、七日町の芳賀家のレンガ蔵などの再開発がすすめられるという。

これまた、会津若松市にとってはグッドニュースと言えるだろう。

そういえば、神明通りのアーケードもようやく出来る事が決まったと報じられたっけ。これも「良かった!」かな。

ICTによる地域振興、観光&まちづくりがもたらす活性化、それらによって会津がもっともっと元気になって、人口減少に歯止めがかかれば、これほど素晴らしい事はないだろう。

それに加えてもうひとつ、会津が元気になる流れをさらに決定付けるものがある、と私は夢見る。

それは、会津大学の新学部の設立だ。会津大学が一回り大きくなれば会津はもっと強くなるに違いない。

一学年、百人~二百人?優秀な人間が安定的に会津に集まれば、どれほどの化学変化が起こるか分からない。

特に具体案があるわけではないのだが(スミマセン)、コンピュータ理工学に近い、バイオテクノロジー関係の学部が出来たら凄いなぁ、と勝手に思っている。

農業とバイオの未来を結び付けるような新しい学部を、第二の國井先生(会津大学を作った天才的な初代学長)みたいな人が現れて、ガンガン引っ張ってくれないだろうか、と勝手に夢見ているというわけだ。

ICT産業の育成、観光振興とまちづくり、そして会津大学の新学部設立、この三つ、まさに三本の矢(最近、三本の矢は折れたりもするようですけれど・・・)が力強く翔んで行けば会津の未来はかなり明るい気がしてならない。

会津大学に新学部を!

誰か動き出さないものかなぁ・・・・その時は、一所懸命応援します。

2017年3月10日 (金)

充電ケーブルを手に入れるのは大変だ、の巻。

スマフォの充電ケーブルを無くしてしまった。

東京のホテルで充電したまま置いて来てしまったようだが、電話で確認したところ忘れものにはないと言われた。落としてきたか?

スマフォの充電ケーブルは、買ったショップに売っているのかどうか?一体いくらするのか?確認しないと無駄足になるので、Dショップに電話をしてみた。

ところが電話は「今、出られません」とか言って全然つながらない。

会津若松市内にある3軒のDショップに電話してみたがどこにもつながらない。

営業日を確認すると年中無休だ。営業時間内であることは間違いないので、基本、電話には出ないのかもしれない。

でも、電池マークが3割を切ってるような絵なので、ないと困る。

昼に、一番近いだろうと思われるショップへ行ってみた。

するともちろん店は開いていて、お客さんも一杯だ。携帯ショップに電話は通じないという事を初めて知った。

まるで、用事があるなら来なさい!と言われているようで「なんかなぁ~」と思った。

玄関口には只今の待ち時間は30分~60分と書いてある。

店内に入って「充電ケーブルはありますか?」と尋ねると「すみません番号札を取ってください」と冷たく言われた。

「あの、あるかないか教えてはもらえないんですか?」「ありますよ、何種類か」「それを買うのにも並ぶんですか?」「番号札をお取りください。ケーブルだけだったら早めにご案内できると思いますので・・・」

というので番号札を取って、待った。

年のせいか5分も待って嫌になった。

とりあえずショップに行けばあることは分かったので空いている時間に買った店に行こうと思って「すみません。帰ります」と番号の紙を返そうとすると「あ、次にお呼びしますよ」と言う。

それでは。と、待って契約カウンターではなくて支払いカウンターみたいなところに呼ばれて行った。

「充電のケーブルを無くしたので欲しいのですが・・・・」

「何メートルですか?」「買った時付いてたやつと同じで良いんですけど」「じゃあ、1メートルですね」と言って求めた。

ケーブル一本でも、コンピューターで登録とかしてなんだか面倒くさい。

ようやく手にして、クルマに乗ろうと思ってよくよく見ると、コンセントに差し込む部分が無いみたい・・・。

「あのー、すみません。コンセントに差し込んで充電したいんですけど、その部分は別なんですか?」「ケーブルと言われたので、それはケーブルだけです」

(充電ケーブルを無くしたと言ったんだから、差しこみ部分が無いとダメなんじゃないですか!)と、ちょっとムッときたが、彼女の美しい瞳には(あ~、面倒くさいオヤジだなぁ・・・)と、はっきりと書いてあったので、黙って「すみません。差し込むところもください」と言った。

その部分も結構高い。

あんな充電ケーブルで合わせると5千円近くになる。それじゃぁホテルの忘れ物でも出てこないかもしれない。(と、思った)

大体、品物があるのかないのか電話でも聞けないし、行けば並んでください!なので、いくらするんですか?と尋ねる事も出来なかった。

携帯ショップに行くたびに感じる事だが、『こんな事も分からないんですか!』感が漂っている気がする。

この一件を家に帰って家人に話すと「そう、携帯ショップって感じ悪いんだ~、なんか偉そうで。ご本様じゃないとダメです、できません!とか、もう少し優しく言えばいいのにねぇ」と、同じ様な事を感じた事があるみたいだ。

パソコンだとか、スマフォだとか、まずはよく分からない・・・が先に立つものは厄介だ。

丁寧に優しく対応してくれないと、どうしてもひがみ根性みたいなのが先に立ってしまうのかもしれない。(買いますでなくて、売ってください、とお願いしてるみたいになる)

加えて携帯ショップの店員さんはほとんどが女性で、それも若くて、化粧ばっちりみたいな子が多い。(それも強く出られない一因だ)

なぜか、行くたびに人がコロッと変わってるように見える。(出入り激し過ぎ)

いずれ余計なお世話だ。

Dショップにしか行った事は無いが、SとかAは違うのかな・・・・?

教訓1。

よく分からないんですが教えてください・・・と言う人と接する時には気を配ろう。普段の倍ぐらい優しく丁寧でちょうど良いという事だ。

みんな気をつけよう!

そして、充電ケーブルは無くさないように、忘れないようにしよう!

2017年3月 8日 (水)

サムライ

サムライ流行りだ。

サムライ日本、サムライジャパン、サムライシティ・・・記者会見に向かうおじいちゃんまでがサムライを口にし、果たし合いに行く心境だとのたまう。

サムライは強い、サムライは引かない、サムライは常に全力を尽くし、卑怯な行いはしない。

サムライ・・・武士と言い換えても良いかもしれないが、武士とは何ぞや?と言うのでこんなのを聞いたことがある。

『武士は全く生産性のない階級であり、ひたすら己を鍛錬する事に日々を費やす。それなのに支配階級でいれるのは、一朝、事が起こった時に全てを投げ出し忠義のために働くという無言の約束があるからだ』おおよそこんな事。誰が言っていたかは忘れた。

要するに、万が一の事態、ここぞという事態が起こった時には我が身を一切、惜しむことなく事に当たるだけの鍛錬を日々しているのが武士なのだ。

事に対して死を惜しむ、死を恐れるという、ものさし自体を持たないのが本物のサムライだ。

ちょんまげの時代に日本に来た外国人はその思考回路に大いに驚いたという。

なんといっても己の名誉のため、恥を雪ぐために、義を貫くためには、自ら腹を切ってしまうのだからすごい事だと。

ということは、自分で『私は恥だとは思いませんね』というサムライは、腹を切ったりしないということにもなる。

自らが最高責任者の立場にありながら、みんなで決めた事ですから私だけの責任ではない。もし私だけ責めるんならば、裁判で争っちゃうから!と言って、恥じない。

あれを見ると日の本のサムライも高齢化が進み、運転免許証のように認知症検査が必要な時代になって来ているのかもしれないと思う。

アトムの時代、科学は絶対だった。

絶対と言えばいいのか、ひとつだったと言えばいいのか?

科学的な正解はひとつで、お茶の水博士の言う事は絶対の真理だと思っていた。

ところが、原発がおかしくなった辺りから、科学的な判断にもいろいろなものがあるんだなぁ・・・と分かるようになった。

真実は一つなのだろうけれど、異論なことを言う人が、多角的に存在する。

絶対安全と絶対危険が、まるでコインの裏表のような話もたくさん聞いた。

科学的立証、というやつが、経済を優先させるための免罪符になっているような事もあるのではないだろうか?

私は知らなかったが、日本の科学者の権威という人がこぞって豊洲は安全だ!と言っているらしい。

そんな事は知らなかった。

日本中の科学者が胸を張って豊洲は安全だと言っているのに、小池都知事はいたずらに豊洲移転を遅らせ税金を無駄遣いしている、というふうに聞こえたけれど、そうとは知らなかった。

『科学が風評に負ける。これは国辱だ!』と言い切るだけの論法が成立するという事を、初めて知った。

本当なんですか?と、知識人と言われる人に教えてもらいたい。

毎日のニュースを見ていても本当なのかどうかは良く分からない。

日本の権威と呼ばれる科学者が集まって「豊洲は安全です!」というならば、それはそれで、移転しても良いのではないかと思う。

そうしてもらえばすっきりする、という人も多いのではないだろうか?

自らをサムライといったおじいさんが、権威と言われる人たちを連れて来て都民、国民に話してもらえばみんな、ある程度の納得が出来るのではないだろうか?(移転するという事に関しては)

青嵐の季節もめぐり、やがて葉は落ち、朽葉となる。

冬枯れて死んだようにも見える木々にやがて若葉が芽吹き、新しい葉々に新たな青嵐の季節が訪れるだろう。

朽葉は、新しい芽ぶきのための確かな滋養になっている。

サムライシティ・会津は春を前にゆっくり足踏み、冬型の冷たい粉雪がとめどなく落ちて来て、街を覆っている。寒い。

2017年3月 5日 (日)

こんな夢を見た

「夢」という黒沢監督の映画をBSでやっていたので、録画して見た。

会津東宝映画館で見たのはもう30年近く前の事ではないだろうか?

遠い昔だが、所々の映像は強烈に印象に残っている。

「こんな夢を見た」で始まる黒澤明の見た夢、制作総指揮は黒澤監督を尊敬してやまないあのスティーブン・スピルバーグ監督だ。

幼い日の黒澤が見た、天気雨の中の「狐の嫁入り」、伐採されてしまった桃畑の桃の木の霊たちが見せる「桃畑の雛壇」・・・と夢のように美しい映像で物語は綴られていく。

10~15分ほどの夢が連なるオムニバス映画だ。その美しくも不思議な夢には黒澤明の思想・哲学が色濃く反映されている。

自然破壊への警告、トンネルの中をさまよう兵士たちは無言のままの行進を今もなお続けている。絶対安全といわれる原発も富士山の噴火と共に大爆発を起こす。

鬼となった人間達が餓鬼のようにさ迷い、滅びの道を進む。

その一方で桃源郷の中では「足る」事を知る人々の、まるで祝宴のような花の葬列が進んでいく。

自然破壊を続ける人間の横暴、反戦、反原発、安全神話の危うさと、一旦事が起これば取り返しのつかない事になる危険性を黒澤明監督が見通していたことを「夢」という映画は証明している。

そして、彼の没後に夢の一部は現実のものとなってしまった。

あの原発の大爆発!一番驚いたのは、黒澤明監督だったかもしれない・・・・。

それからしばらくして 私が「こんな夢を見た」

火事の夢だ。細かくは胸の中に秘めて置くが、如月の最後の日の事。

リアルな夢なので目覚めてもしっかりと覚えていた。

夢占いと言うものがある。気になったのでググってみた。

すると、火事の夢は吉夢だとある。縁起が悪いどころか、燃え盛る火が大きければ大きいほど大吉夢なのだという。

「これは当たっている!」と完全に思い込み、確信とすることにした。

とりあえず、その日の内にグリーンジャンボの宝くじは買った。(すぐに思いつく事がセコくてすみません)

一体、これからどのように物事が好転していくのか楽しみにしているわけだが、数日して今度は刑務所に入る夢を見た。

刑期もしっかり決まっていていついつまでだ。と嘆いた。

犯した罪は大したことなく、詐欺事件に巻き込まれてしまったような事だった。

じゃあ、この夢は何なんだ?と思ったが、ググって調べる事はしなかった。

もちろん、せっかくの大吉夢が帳消しになるような事だとつまらないからだ。

でも・・・結局気になって調べてしまった。

すると何だか夢そのままで「自由を束縛されている。自分を押し殺して耐えている状況下にある」という。

そう言われてみれば、私は耐える男だ。(どこが?という声の方が圧倒的に多いが、世間と自分は考え方が違う)

ま、見た夢は前後したが、この窮屈な事態から解き放たれる大吉夢が確実に訪れるぞ!という事で今は納得している。

そして、これ以上強烈な夢を見ると何だかややこしい事になるから、どうでもいい様な夢だけにして欲しい、と思っている今日この頃なのである。

そんな事を考えてしまうので・・・・なんとなく寝付きの悪い日が続いている。

2017年3月 4日 (土)

なにを先生

卒業の季節がやってきた。

一日には会津高校の卒業式に同窓会副会長として出席して来た。

毎年、父兄席にはだれかしら当院の職員の姿がある。もちろん知らずに行くのだが、顔を見てあらー!となって口だけ動かして無音で「オ・メ・デ・ト・ウ」と言う。

今年は混声合唱団部長のI先生の姿が見えた。もう数人はいたはずだけれども大勢過ぎてそれ以上は見つけられなかった。

来賓紹介で、ハイ、と返事をして「おめでとうございます!」というのだが、なんだか緊張して(感動してなのか)いつも声がひっくり返りそうになる。

おひな祭りの三日は看護専門学校の卒業式だ。第46回と歴史ある学校を今年卒業するのは35名。

高校に比べるとこじんまりはしているが、ここでの三年間は「看護」と言う同じ目的のために集い学び、励まし合ってきただけにその絆は強く、卒業の喜びはひとしお(濃密)と言えるだろう。

今年、H院長が贈った言葉は『至誠一貫』、誠実な思いを貫き通すことできっと道は拓ける、医療は素晴らしい仕事、それを支えるのは人の真心だと、伝えた。

恒例の、まわれ右してお世話になった、ここまで見守ってくれた父兄に向かっての「ありがとうございました!」の言葉。

講堂に響き渡るこども達の声に、毎年ジーンと来る。

その日の晩に行われる祝賀会、今年は東山温泉の御宿東鳳さん。磐梯酒造の「乗丹坊」純米吟醸を祝いにぶら下げて参加した。

恒例の写真と動画による思い出の三年間の映像、曲も相まってこれまたジーンと来る。スクリーンいっぱいに溢れる若い笑顔がまぶしい、まぶしい。

余興の歌、みんなでゲーム、ビンゴ大会など会場は大いに楽しく盛り上がって、やがて中締めのあいさつとなる。

このあいさつを毎年まかされることのお礼をまず述べた。前途洋洋の若者に対し、措辞ながらも言葉を贈れるのは光栄なことだと。

今年は「なにを先生」の話をさせてもらった。

私が、彼らよりほんの少し年上だったころ。会津初のタウン誌を作った。

その創刊号が出来てすぐに、立ち上げたプロの編集者が病で倒れて東京に戻ってしまったのだ。

さあ大変!止めるか続けるか道は二つに一つ、見よう見まねで私が編集長にならざるを得なかった。

もちろん大勢の人々に助けられた。しかし、実際に指導を仰ぐ人はそばに無しだ。

そこで何をするにも心の中で「なにを先生」に訊いてからやる、という事を自らに課した。

「君はこれから何をするんですか?インタビュー記事を書くの?特集記事?依頼原稿?情報版?」それによって何が一番大事で、なにが求められるかは全部違う。その、なにを?をいったん立ち止まって考えてみる。

この「なにを先生」きっとこれから社会に出る若者たちにも役に立つと思った。

なにせこの先生はいつでもどこにも来てくれるし、授業料もとらない。

猛烈に多忙な看護の現場、あれしてこれして次は何、とこちら側の都合で仕事を消化してしまいがちだ。

そんな時だ、一息入れて「なにを先生」に訊いてからやってみるのは。

そうすれば、同じ処置をするにもその人の背景、置かれた立場にも心が向くはず。

初めての手術にいら立って、たとえ辛く当られたとしても、ちっとも腹立たしくない看護師の自分がいるはず・・・・。

そんな「なにを先生」に、ぜひ君たちも教えを乞うてください。と言って、声高らかに万歳三唱を行った。卒業生35名に幸多からんことを心から祈って。

今朝、おまけがあった。

「あのう、一応ご報告までですが同じテーブルにいたOくん、今朝救急にかかってインフルエンザA型だったそうです」「えー、困ったな。去年のタミフルが残ってるから一応のんでおきますわ・・・」

これから、東京の会津学生寮に向かう。

理事会の後、初めて寮生の卒寮式と言うものに参加する。3名だけ(内1名はインフルエンザのため欠席)らしいが、わざわざ会津からの出席と言う事で、先日「ひと言ご挨拶をお願いします」と寮長から電話があった。

なにを話すかは新幹線の中で「なにを先生」にでも聞いてみよう。

このところ「あいさつは大切ですからね~」と家人からプレッシャーをかけられる。

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