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2017年2月22日 (水)

Oさんの思い出

Oさんが亡くなった。68歳という若さ、とても残念だ。

Oさんは会津屈指のビール飲みだった。喉を開ける様にして、美味そうにビールを流し込む。晩酌でも、大瓶5,6本は軽く空けただろう。

Oさんは肉が好きで、いつも脂ギッシュだった。やたら声が大きく、ひそひそ話が出来ない。

老舗割烹のぼんぼんで、人柄の良さが長いまつ毛のつぶらな瞳に現われていた。

確か昨年の夏ごろまでは元気に玄関に立っておられた。若かっただけに病気の進行も早かったのだろう。

Oさんとの思い出は何と言っても今から四半世紀近く前に、商工会議所青年部、会津EU協会の仲間10人ほどで行ったイタリアの旅だ。

当時はふるさと創生基金の利子運用で、市民海外研修にひと団体100万円まで補助が出た。(今では信じられないような話だけれど)これを利用して、様々な団体、個人が海外へ行った。

確か私の従兄弟のNも、これでメキシコに行ったはずだ。

我々の旅は、会津EU協会の10周年と商工会議所青年部の15周年だったかを記念して、イタリアそして国境近くのスイスのリゾート地・ルガノという観光先進地を視察するという名目。

もうひとつおまけに「白虎隊士の絵」の行方を探るという、なんだかテレビのドキュメンタリー番組になりそうなミッションまで追加されていた。

これらの仕掛け人は、先日叙勲の祝賀会が行われたM氏で、私はいろいろな下書きを書いたり、分厚い報告書を書いたりと、いろいろと勉強させてもらった(アゴで使われたともいう)。

「白虎隊の絵」の話はこうだ。

飯盛山の白虎隊士の墓がある広場に荒鷲の像がある。見た事のある方は分かると思うがなかなかに立派な像で、台座となる石柱は、かのポンペイの遺跡から発掘された石柱だ。

この像はローマ市から贈られているが、実際はイタリアの独裁者ムッソリーニが白虎隊士の忠国の精神に心打たれて贈ったのだと言われる。

ま、諸説あり真偽の程は歴史家にお任せするしかないが、会津若松市にはその返礼として「白虎隊士の絵」(有名な画家の作品ですが忘れてしまった)を、シベリア鉄道経由でローマ市に寄贈したという記録が残されている。

「さて、その絵は今どうなっているのでしょう?」という取って付けたような話を、図々しくもローマ市まで行き、市議会議長さんに面会の上、お話申し上げて来たのだから今思えば、いい心臓していたものだ。

Oさんは当時青年部の会長さんをしていたこともあり、Mさんが団長、Oさん副団長で参加された。

いずれにしても、お題目は大層だが、実のところはそれほど真剣なものでもなく、誰もが初めてのイタリアを楽しんだ、楽しみ尽くしたと言っていい。

基本は一般のツアーに参加し、所どころ我々だけが抜けて行動するという一部オリジナルな旅、それだけに誠に印象深いものとなった。

なにせ、かかる旅費は各人が払った上で、有難き100万円をそっくり団費として使った。道中の食事代やワイン代、ローマ市の表敬訪問やルガノへのバス代など一切をまかなったわけだから、いわばエコノミークラスを使った大名旅行のようなものだった。

会計は若きSくんとNくん、ホテルに着くたびにベッドの上にレシートを広げ格闘していたっけ・・・。まだ、頭も真黒でふさふさだった。

旅の間に、間違いなく100本以上のワインが空いたと思う。(時効ですよね)

この旅でなによりもOさんに教わったのは大人の振る舞いというやつだ。

当時は皆皆まだ若く、海外のレストランでの振る舞いなどとても出来なかったし、何が美味しいのかも、実のところはろくに分からなかったと言ってよい。

Oさんは会津に戻る前に東京の一流ホテルで修業をされただけあって舌も肥え、食べ慣れているし飲み慣れている。そして、なによりもサービスというものの本質を心得ていた。

昼の小さなレストランに行っても、ウェイターのボスにササッとチップを渡して、なんだか万事がうまくいく。

ベネチアでゴンドラに乗れば、船が寄って来てひと際上等なカンツォーネを聞かせてくれる。もちろん添乗員も付いての事だが、添乗員への指示や船頭へのチップもたんまりと惜しむ事がない。

また、その出し方が粋なのだ。

おそらく旅の間に、相当に使ったと思うがあの大きな声で「なに?そんなの、いいよ、いいよ」と終始、豪快に笑っていた。

極めつけはミラノでサバティーニの本店へ出掛けた旅の最後のディナーだった。

当時はアルマーニのスーツに身を包んだ日本人観光客はお上りさん扱いで、下のフロアにまとめて通された。

だが、我々はなぜかイタリア人フロアの奥席に陣取り、素晴らしいサービスを受ける事が出来た。

旬の手長エビやミラノ名物のビフカツなど腹いっぱい満喫し、美味いワインをガブガブ飲んだ。

あんまり陽気に騒いでいたので、「アイツらは何人だ?」と添乗員さんが聞かれたらしい。(一般に日本人は借りてきた猫のように静かなのだそうだ)

極めつけは、シェフがテーブルまで出向きデザートをふるまってくれたこと。

どんな味だったかよく覚えてはいないが、アイスクリームに火を付けてやたら派手なパフォーマンスを見せてくれたことはよく覚えている。

確か当時は10円が100リラだったと思うが、相当な支払いになったはずだ。(なにせ団費が1千万リラですから)

それに加えてOさんも大分心付けを弾んでくれていたんじゃないか、と今になって思う。

『大人と言うのはね、楽しくやるには必要な、それなりの振る舞い方というものがあるんだよ。ま、それが出来て初めて一人前と言うもんだ・・・』と、Oさんには教えてもらったように思う。

あれから四半世紀、ちゃんとした大人になったかどうかは分からないが、齢だけは重ねた。

そして、こんなにも早く、Oさんとお別れする事になろうとは思いもしなかった。

サラサラの雪が一日中降り続く・・・そんな寒い日に彼は旅立って行った。

いろいろありがとうございました。大変お世話になりました。

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コメント

この度は大変お世話になりました。
昨日の告別式を終え、改めて父の人柄を知ることが出来ました。

またイタリアのお話は、よく聞いてました(笑)
父は最後までホテルマンでした。。。。
そして、年末年始もホテルで過ごし、大好きなお肉を沢山食べて、豪快に話してました。
あんなに元気だったのに、こんなにも早く逝ってしまうとは、その頃は思っていませんでしたが、、、、

辛いですが、父の遺志を継ぎ、応援してくださるお客様がいる限り頑張っていきたいと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。老舗ののれんをどうかご家族みんなで力を合わせて守って行ってください。萬花楼のない人生は(会津は)ちょっとつまらないですから。

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