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2017年2月

2017年2月22日 (水)

Oさんの思い出

Oさんが亡くなった。68歳という若さ、とても残念だ。

Oさんは会津屈指のビール飲みだった。喉を開ける様にして、美味そうにビールを流し込む。晩酌でも、大瓶5,6本は軽く空けただろう。

Oさんは肉が好きで、いつも脂ギッシュだった。やたら声が大きく、ひそひそ話が出来ない。

老舗割烹のぼんぼんで、人柄の良さが長いまつ毛のつぶらな瞳に現われていた。

確か昨年の夏ごろまでは元気に玄関に立っておられた。若かっただけに病気の進行も早かったのだろう。

Oさんとの思い出は何と言っても今から四半世紀近く前に、商工会議所青年部、会津EU協会の仲間10人ほどで行ったイタリアの旅だ。

当時はふるさと創生基金の利子運用で、市民海外研修にひと団体100万円まで補助が出た。(今では信じられないような話だけれど)これを利用して、様々な団体、個人が海外へ行った。

確か私の従兄弟のNも、これでメキシコに行ったはずだ。

我々の旅は、会津EU協会の10周年と商工会議所青年部の15周年だったかを記念して、イタリアそして国境近くのスイスのリゾート地・ルガノという観光先進地を視察するという名目。

もうひとつおまけに「白虎隊士の絵」の行方を探るという、なんだかテレビのドキュメンタリー番組になりそうなミッションまで追加されていた。

これらの仕掛け人は、先日叙勲の祝賀会が行われたM氏で、私はいろいろな下書きを書いたり、分厚い報告書を書いたりと、いろいろと勉強させてもらった(アゴで使われたともいう)。

「白虎隊の絵」の話はこうだ。

飯盛山の白虎隊士の墓がある広場に荒鷲の像がある。見た事のある方は分かると思うがなかなかに立派な像で、台座となる石柱は、かのポンペイの遺跡から発掘された石柱だ。

この像はローマ市から贈られているが、実際はイタリアの独裁者ムッソリーニが白虎隊士の忠国の精神に心打たれて贈ったのだと言われる。

ま、諸説あり真偽の程は歴史家にお任せするしかないが、会津若松市にはその返礼として「白虎隊士の絵」(有名な画家の作品ですが忘れてしまった)を、シベリア鉄道経由でローマ市に寄贈したという記録が残されている。

「さて、その絵は今どうなっているのでしょう?」という取って付けたような話を、図々しくもローマ市まで行き、市議会議長さんに面会の上、お話申し上げて来たのだから今思えば、いい心臓していたものだ。

Oさんは当時青年部の会長さんをしていたこともあり、Mさんが団長、Oさん副団長で参加された。

いずれにしても、お題目は大層だが、実のところはそれほど真剣なものでもなく、誰もが初めてのイタリアを楽しんだ、楽しみ尽くしたと言っていい。

基本は一般のツアーに参加し、所どころ我々だけが抜けて行動するという一部オリジナルな旅、それだけに誠に印象深いものとなった。

なにせ、かかる旅費は各人が払った上で、有難き100万円をそっくり団費として使った。道中の食事代やワイン代、ローマ市の表敬訪問やルガノへのバス代など一切をまかなったわけだから、いわばエコノミークラスを使った大名旅行のようなものだった。

会計は若きSくんとNくん、ホテルに着くたびにベッドの上にレシートを広げ格闘していたっけ・・・。まだ、頭も真黒でふさふさだった。

旅の間に、間違いなく100本以上のワインが空いたと思う。(時効ですよね)

この旅でなによりもOさんに教わったのは大人の振る舞いというやつだ。

当時は皆皆まだ若く、海外のレストランでの振る舞いなどとても出来なかったし、何が美味しいのかも、実のところはろくに分からなかったと言ってよい。

Oさんは会津に戻る前に東京の一流ホテルで修業をされただけあって舌も肥え、食べ慣れているし飲み慣れている。そして、なによりもサービスというものの本質を心得ていた。

昼の小さなレストランに行っても、ウェイターのボスにササッとチップを渡して、なんだか万事がうまくいく。

ベネチアでゴンドラに乗れば、船が寄って来てひと際上等なカンツォーネを聞かせてくれる。もちろん添乗員も付いての事だが、添乗員への指示や船頭へのチップもたんまりと惜しむ事がない。

また、その出し方が粋なのだ。

おそらく旅の間に、相当に使ったと思うがあの大きな声で「なに?そんなの、いいよ、いいよ」と終始、豪快に笑っていた。

極めつけはミラノでサバティーニの本店へ出掛けた旅の最後のディナーだった。

当時はアルマーニのスーツに身を包んだ日本人観光客はお上りさん扱いで、下のフロアにまとめて通された。

だが、我々はなぜかイタリア人フロアの奥席に陣取り、素晴らしいサービスを受ける事が出来た。

旬の手長エビやミラノ名物のビフカツなど腹いっぱい満喫し、美味いワインをガブガブ飲んだ。

あんまり陽気に騒いでいたので、「アイツらは何人だ?」と添乗員さんが聞かれたらしい。(一般に日本人は借りてきた猫のように静かなのだそうだ)

極めつけは、シェフがテーブルまで出向きデザートをふるまってくれたこと。

どんな味だったかよく覚えてはいないが、アイスクリームに火を付けてやたら派手なパフォーマンスを見せてくれたことはよく覚えている。

確か当時は10円が100リラだったと思うが、相当な支払いになったはずだ。(なにせ団費が1千万リラですから)

それに加えてOさんも大分心付けを弾んでくれていたんじゃないか、と今になって思う。

『大人と言うのはね、楽しくやるには必要な、それなりの振る舞い方というものがあるんだよ。ま、それが出来て初めて一人前と言うもんだ・・・』と、Oさんには教えてもらったように思う。

あれから四半世紀、ちゃんとした大人になったかどうかは分からないが、齢だけは重ねた。

そして、こんなにも早く、Oさんとお別れする事になろうとは思いもしなかった。

サラサラの雪が一日中降り続く・・・そんな寒い日に彼は旅立って行った。

いろいろありがとうございました。大変お世話になりました。

2017年2月19日 (日)

あいさつは・・・

自分の事は棚に上げた話だと、あらかじめお断り。

つくづく、人前でのあいさつは難しいし、あいさつというのはかなり大切な仕事なのだと思う。

百人の人の前であいさつをする機会を得たとする。

知った人もそれまで知らなかった人も織り交ぜて、少なくても数分間はその人の話す事に全員が耳を傾けてくれるわけだ。

考えてみればそんな風に、あなたの話しに耳を傾けます!という場面設定はなかなか無い。

そのチャンスに聞く人の心をとらえる様な、心打つような話しが出来れば、一瞬に百人もの人の評価が動く事になる。良い方へ。

もしその逆だとしたら、一瞬に百人もの人に呆れられることにもなるわけだ。

「あの人、何言ってっか分からない。結局何を言いたいわけ?あの人は・・・」と、評価はガタ落ちだ。

それだけにあいさつの機会というのは大事にしなくてはならない。決して慣れ切ってしまってはいけない仕事なのだ、と改めて思う。

私がこれまで凄い人だなぁ・・・と思ったのは、故・高瀬喜左衛門元市長さんだ。凄いインテリで、業界業界に合わせたうんちくのある話しをされた。

なるほどと思わせ、その場で言うべき肝心なツボは決して外さない。

年末年始など、日に何度かごあいさつを聞く事になっても、決して通り一遍のことは話さない。その場にいる人たちに合わせて、心を惹きつける。

日に三度聞いて全て違う内容のあいさつだったこともあり、その完成度の高さに驚いた。

会津若松市長ともなれば当然秘書課が会合ごとに原稿を準備するわけだが、それを読んでいる風でもなく、いつも物静かな口調で、ゆっくりとかみしめるように話された。

あの市長さんのあいさつを書かなければならない秘書課も大変だったろうなぁ・・・と、想像する。

昨今、人は発信する手段を様々持っている。

SNSもそうだし、メールや携帯など他者とのコミュニケーションはいともたやすい。それだけに改めてのあいさつを少々軽んじる傾向があるように思える。

様々な場所で何度もあいさつされる方ほど、そういう傾向が強いのではないだろうか。

いわゆる「慣れ」なのだろう。

しかし、前記の理由で慣れて流してはいけないものが、あいさつというものだ。

政治家にはスピーチライターみたいな、あいさつの参謀が付く。ライター次第で首相や大統領にも成れてしまう。そんな事もあるのだからあいさつ(演説)は大切だ。

ああこの人は参謀役の部下がいないんだろうなぁ。あいさつを作る部門が無いんだろうなぁ。軽く考えて準備などしてないんだろうなぁ。とか、思う時がある。

反対に小さな会合でも、出来はさておきしっかりと準備する真面目さに嫌な思いをする人はいないだろう。

それほど多くあいさつの機会があるわけではないが、やっぱり大切に大切に、しなければいけないし、下手なあいさつは損なんだなぁ、とつくづく思う。

己を振り返り、黙っているだけでも誤解を招く風貌なのに、話すたびに「なんだべ?あの人は!」では本当に嫌われ者になってしまう。

と、いうことだ。

2017年2月17日 (金)

かさぶた

「生と死を考える会・会津」の二月の学習会はNPO法人の寺子屋方丈舎理事長の江川和弥さんを招いて「会津のこどもの貧困の現状を知る」と題して講演を聞いた。

今、全国的にも話題になっている「こども食堂」を運営している江川さんは、その現状も紹介してくれた。

講師なので先生、と呼んだ方が良いのかもしれないが、私と江川さんは「江川くん」と呼ぶ方がしっくりくる。

大学を卒業後、彼が社会人として初めてついた仕事の上司が私だったからだ。タウン誌を作る仕事を教え、任せて来た。

学習会の最後のあいさつでも話したが、若い日、仕事をする(覚える)に当たっても何事もよく立ち止まって、納得するまで考えるそんな男だった。

良く言えば慎重であり思慮深いともいえるが、反対から見ればドン臭い(江川くんが自分で言いました)一面があった。

その後、互いにステージが分かれ、彼は教育委員会関係の仕事を学び、20年近く前に不登校の子供たちのためのフリースクール「寺小屋方丈舎」を立ち上げた。

その活動はしばしば報道などで目にしていたが、その度に彼は彼なりに一番良い「居場所」を見つけたんだと感じていた。

案の定、というか思った通りというか、フリーススクールにとどまらずこども達の未来を守る様々な活動の輪を広げて行き、今やその世界では全国区の有名人となっている。

今回は当会の事務局長のKさんが江川くんの講演に心を打たれ、勉強会にお呼びする事になった。

当日、前の会合があったので時間ギリギリに行ったが、江川くんが「実は私、会長さんの元部下だったんです」と話していたらしく、会員・役員のみなさんは少し驚いた様子だった。

わずか1時間の講演だったが、江川くんは相変わらずよく通る良い声で、内容も明快だった。初めて知る事も沢山あった。

会津若松市の生活保護受給率は人口比で県内トップであるという事実。生保の子どもさんは百数十名(要保護)だが、学費や学用品の補助を受けている義務教育のこどもは1300人(準要保護)に達しているという事実。

貧困と貧乏は違う事。貧困やDV、片親家庭など様々なマイナス因子によってこども達の成長の機会が奪われている事。「孤立・孤独」が負の連鎖を生み重大な事件事故につながってしまう事、などなど。

一見しただけでは貧困のこども(何事かに困窮しているこども)は全く分からないという。スマフォを持ち、普通と全く変わらない服を着て笑っている。

その陰に隠れた「孤立と孤独」、その負の連鎖にくさびを打ち込むのがこども食堂だ。

こども食堂は食べるに困っている貧乏なこども達のためのものではない。

独りで過ごさなければならないこども、独りで食事をしなければならないこども、独りで誰かを待ち続けるこども、そんなこども達と一緒に過ごし、ご飯を作り、話し笑い、食べる。

ボランティアとの交流を通して大人たちの生き方も見せる。そんな場だ。

小さな事のように思えるが、そうした事のひとつひとつがこどもの心に何らかの変化をもたらしていくことは間違いない。

「そんなこども達が様々な機会を奪われて大きくなってまた生活保護を受けるようになるのか、反対に抜け出して自立し納税者になるかは大変な違いです!」

こども食堂はボランティアによって運営されている。十代から七十代まで様々な出来る事を持ち寄ってこども達を見守る。

現在市内で3軒、今年中に福島県内で30軒のこども食堂が運営されていく事を目指すという。

江川くんは「我々の仕事は傷口に、寄ってたかって集まってなんとか治していく。傷口が広がらないように手当をしてく、そんな仕事です。」と言っていた。

条例、法律、規則、そんな事に足を引っ張られてばかりでなく、とにかく出来る事をする!やってみる!それが大事だとも言っていた。

そしてこれまでやってきた事の9割は失敗で怒られてばっかり来たのだとも。

それでもへこたれずに手を差し伸べる勇気、周りを見渡してから考えるのではなく、一番困っている人を真っ直ぐ見て行動する事の大事さを教わった。

傷口に集まる人々、人を助ける事が出来るのは人でしかない。そして孤立、孤独からこどもを救えるのはコミュニティの力しかない。

責任の一端は我々にもあるという事だ。

その傷口にみんなが集まりかさぶたができて。やがて傷が癒えてかさぶたが自然にはがれおちる、そんな日が来ることが一番望ましい。

かさぶたばかりが増えて、真黒になってしまうようなそんな世の中にしてはいけないという事だ。

2017年2月14日 (火)

ひかえる。

このところ、周囲で酒をひかえている、という話を耳にすることが多い。

A先生は、ゴルフの時もウィスキーのストレートを飲んだりしていたが、このところ酒をひかえているらしい。宴会でもノンアルコールで、ほとんど飲まないらしい。どうしたんだろう?

また、S先生にこの間会ったら「俺は酒をひかえてるんだ」と威張っていた。聞けば宴会以外では飲まない、家では酒を飲まないようにしているのだという。

飲まない日はどれくらい?と聞けば週に2、3日は飲まないな、と言う。

しかしながら彼の場合、反動で宴会でよくベロベロになってしまうらしいから、良いのかどうかよく分からない。

飲みに出るといつもベロベロの論客となるYくんも、家では一切アルコールを口にしないと言うからあれも驚きだ。

それぞれ酒をひかえるようになった理由はよく分からないのだが、ひかえた方が体調が良いからには違いないだろう。

健康はもちろんだが、歳を取って来ると酒を飲んだ時間が惜しい!というのも大きな理由としてある。

確かに酒を飲んでしまえば、あとは寝るまで仕事や創作などは、ほぼできない。人生の残された時間を有効に使いたいと言う事で、飲まない選択は一理ある。

あのトランプ氏も酒は飲まないらしい。バーボンなどぐいぐい呷りそうに見えるが。

フィリピンのドゥテルテ大統領も、一升瓶の2、3本転がしそうに見えるが(フィリピンに一升瓶はないか)お酒を飲まないらしい。

人はみかけによらないものだ。

先日、一月の末にすごく胃の調子が悪くなった。胸や焼けが出て、いつもなら太田胃酸のひと呑みで収まるのが、なかなか収まらない。

週末の間、ずっと調子悪くなんだか心配になった。

月曜日、昨晩から絶食していたのでW先生にすぐに胃カメラをお願いした。念のため血液検査、腹部エコーもやってもらった。

結果、かるい逆流性食道炎の傾向はあるものの特に異常は無し。

よく効くと言う胃酸を抑える薬を10日間飲んだらすっかり調子が良くなった。

翌週の健康診断では、体重が3・5キロ減少、腹囲が7センチ、昨年より減っていた。

ので、結構調子に乗っているところがあるかもしれない。

この頃、一日二食(一食は玄米のあまざけ)をやっていて感じるのは、確かにこの歳になるとオーバーカロリーよりは、腹八分目か七分目のカロリー摂取の方がなんだか調子が良いという事だ。

運動を怠らず、カロリーを減らし(適量に)、酒をひかえればもっと調子が良くなるのは間違いない気がする。

が、今のところは酒をひかえようなどと言う気は全くない。でも、その内ひかえようという気になるかもしれない。

私の場合、外でしか飲まないようにするのが良いか?それとも曜日を決めて週の半分は飲まないようにするのが良いか?

朝にサイコロを振って、丁なら禁酒、半ならOKなんてのもスリリングで良いかもしれないなぁ。

案外、9時過ぎたら飲まないなんてひかえ方も行けるかも?9時過ぎたら二次会に行ってもノンアルコール、その内きっと二次会にもあまり流れなくなってお財布にも優しいだろう。

もし9時以降飲んでしまったら翌日は禁酒と決めれば、付き合いの不義理なんて事も気にかけなくて済む・・・ま、いろいろ考えては見るが今のところは踏み切れない。

万事、少しひかえ目ぐらいでちょうど良いお年という事だ。

会津は寒い朝が続く。

思ったほどの雪にはならなかったが週末、また寒波らしい。

2017年2月13日 (月)

雪国からポンポン、そしてまた吹雪の中へ

久しぶりにいわきにゴルフに行った。いわきと言っても茨城県との県境に近い五浦庭園ゴルフクラブ。

大雪注意報の出ている会津を早朝6時に出て(迎えに来てもらった)吹雪の中、除雪車の後ろを走って雪の磐越道をノロノロ向かった。

郡山を過ぎて阿武隈山系あたりまで雪の中、これで本当に大丈夫?と思うのだが、東の空は明るく輝いている。

会津が雪なら浜はピーカン、西高東低の典型的な冬型のお天気、豪雪地帯からポンポンの乾燥注意報まで、福島県は東西に全く違う表情を見せる県だ。

表日本、裏日本という言い方は今は使わないらしいが、冬のこんな日の天気はまさに表裏の表現がぴったり、鳥取県ではまたも例年の10倍とか言う大雪が人々を悩ませているという。

車中およそ2時間、ゴルフ場にはスタートの1時間前に着いた。快晴、雪なし、風が少し吹いて気温はさすがに低めで、陽辺りの悪い斜面には木曜日に降ったという雪が少しだけ残っていた。

スタート前にいわき出身の酒井美紀プロに会った。凄く立派な身体、それでもテレビで見たよりは少し細い。若々しくお顔もチャーミングだ。

「スプーンでティショットを打つようなちまちましたゴルフはしないんだ!」などと大見えを切って1番ホールでドライバーを振ったら頭叩いてゴロゴロ。

1ヶ月ぶりのゴルフだが相変わらずドライバーの悩みは消えない。

2番以降はずっとスプーン、昼飯を食べてアルコールも入り気が大きくなって10番でドライバーを再び握ったがまたゴロゴロ、またも封印。

スプーンのティショットはよく飛んだ。

同組のドライバーのナイスショットよりも前に行く。「これだけ飛べばスプーンで良いべ!」と言われるが、やっぱりドライバーを振るのがゴルフなんだよなぁ。(今年もこの悩みは尽きなそうだ)

愛用のスプーンは10年以上前のテーラーメイドのVスチールというモデルだ。これが折れたりしたら困るなぁ、と思い昨年ゴルフパートナーで中古品(中古しかないが)を探してもらった。

中でも一番状態の良い3番と7番を予備に買っておいた。1本3000円、なんとまぁ安上がりなもんだ。

ちなみに、安倍総理大臣のドライバーは200ヤードほど飛んで、トランプ大統領は250ヤード以上飛ばすらしい。トランプさんはハンデがシングル、安倍さんは20とあったから、似たようなもんだろう。

昨年からドライバーの悩みでハンデキャップは全く減らない。人一倍ハンデを持って居ながらまたも優勝を逃し準優勝だった。とても褒めたもんじゃないが、まぁ嬉しい。

帰り、情報では会津に大雪警報が出ているという。

一緒に来たNさんはせっかくの温泉なので風呂に入ると言うので、まっすぐ帰るHちゃんの車に同乗させてもらいS先生と軽く酒盛りをして帰る事にした。

家人は今日から名古屋の孫ちゃんのところに行って居ない。

暗くなって冷え切った我が家に帰るのもなんだかなので、帰りを急いだ。

郡山が近付くと、雪を積んだ対向車がどんどん走って来る。

「これは向こうは雪だわ。見てみ、あの真っ暗な雪雲、あそこに向かって帰んなんねんだぞ。嫌になるなぁ・・・」とワインをあおりながらS先生。

今朝の壮快な朝焼けと違って、暗い方角へ向けて走るのは確かに少々気の滅入るものがある。

トンネルをいくつかくぐったら、そこはもう間違いなく雪国。

これが冬の会津のゴルフライフなのであります。

2017年2月 8日 (水)

なんでも入る箱

城前にあった県立病院が昨年中に取り壊されて更地になっている。

その跡の広さを目にした誰もが驚く。「こんなに広いんだ!」

今は雪が積もり、真っ白な雪原のようになっているのでその広さがなおの事目立つ。

何千坪なのか詳しくは知らないが、こんなに広い土地が会津若松市内に出る事は今後二度とないだろう。

この跡地に一体何ができるのだろう?市民も興味津津といったところだ。

県立の武道館、と言う話が聞こえた事もある。確かに城下町会津には武道館はふさわしいかもしれない。

大型商業施設や観光施設、またどこかの病院が買ったんだと、という未確認情報の類は山ほど飛び交っている。

いずれにしても、最終的に会津若松市が主導権を握って会津の将来のために有効な使い方をして欲しい!と多くの市民が願っているに違いない。

私はなんでも入る箱、ホールまたはドームのようなものが出来れば一番いいのではないかと思っている。

今や様々なイベントを行う設備や機材の進歩はめざましいものがある。

なんでも入る箱があればどんなイベントでも出来ると言って良い。

畳を敷いた柔道場、剣道場にもなるし、時にはスケートリンクにでもコンサートホールにでも早変わりする施設が実際にあるのだ。

ホール内に大型トラックが乗り入れて重機であっという間に化粧が変わる。

客席も大きくなったり小さくなったり、非常にフレキシブルな使い方が可能なのだ。

そんな最先端のなんでも入る箱、何でもできる魔法のようなホールができれば一番いいのではないかと思う。

最大3000人位~200人位まで、もの凄く懐の深い、そんな入れ物が出来たなら会津の可能性は大きく広がるのではないだろうか?

もちろん、使用を定めた専用ホールのクオリティには及ばないかもしれない。結局、器用貧乏のような事になってダメなんじゃない?という声もあるかもしれない。

しかしこれまで、いつでもどこでも最大公約数で!みたいな事をやってきたのに世界に冠たる一点突破は結局無理というものでしょう・・・。

だったら明日の会津を拓くなんでも入る箱、それがビックリ箱になったって良いんじゃないの、と思う。

・・・・・・・ま、そんなお金とスポンサーが一体どこにいるんだ?と問われれば全く答えのない夢物語ではある。

ロト7が10億円になっても、ちょっと(どころか、かなり)足りないよね柳葉君!

2017年2月 7日 (火)

だから斗南

先日、市民手づくり舞台の脚本演出を手掛け、高校演劇では大沼高校を全国区に押し上げてきたS先生と会食をした。

ご一緒したのは会津出身で、会津の船乗りたちの歴史を調べておられるHさん。東京からわざわざ帰郷、その弟さんご夫婦も加わり、5人での楽しい宴となった。

この宴を、そもそも繋いだのは私と言う事になるのだろう。

Hさんは自らも商船大学を出られ、世界の海を駆け回った海の男である。

退職後、日本の商船史になぜか会津出身の船乗りたち(それも一級の)が数多くいる事を知り、その歴史を調べ始めたという。

その研究の成果を母校・会津高等学校の同窓会の特別講演会で話されたのが三年前になる。

それはまさに目からうろこのような内容だった。

会津藩は沿岸警備の任についてきたことから早くから海に目を向けていた。海運の重要性に気付き自らの港を持ちたいと新潟港を譲り受けるべく幕府に強く働きかけて来た。

当然ながら船(帆船だけにとどまらず西洋の近代船)を操船できる人材の育成も目指していたのだと言う。

もっとも強烈に印象深かったのが斗南への移藩を決めたその理由への考察だ。

あの時、会津には二つの道があったとされる。猪苗代の地か?下北の最北の地か?だ。

多くの書物には、会津藩の再興を願い、新政府の覚えがめでたい様に敢えて困難な下北の道を選んだと記されている。

「挙藩流罪」ともいえる過酷な道を選ぶことで会津藩の再興を願ったという、なんとも悲劇的なお話だ。

だが、当時の若き藩の指導者たちはそんな悲壮な思いだけで斗南を選んだわけではない、というのがHさんの説だ。

斗南には海がある。会津藩が港を持つ事が出来る。

海運の振興によって藩の再興はもとより、他の雄藩をも凌ぐほどの発展を手にする事も決して夢ではない・・・・・!

だからこそ斗南だったのだ!事実、会津藩は尾張藩から五千両の借金をし二艘の船を買い入れていたと言う。

単に戊辰戦争の悲劇の上塗りのような話ではなく、本当は前向きだったんですねぇ・・・と、目からうろこの想いを味わった。

「これは面白い!」と思った私は、2018年に行われる市民手づくり舞台の脚本・演出を担当することが決まっていたS先生に、芝居のネタとしてこんな面白い話があると紹介したという訳である。

S先生もそれは面白い、という事になり改めてHさんと連絡を取り、様々な資料を送っていただいた。

のが、もうだいぶ前になる。

あれからもう一年ぐらいたつだろうか、S先生も私も胸の中に悶々とアイデア的なものがあり、来年の舞台へ向けて昨秋ごろから運営委員会も動き出した。

そこで今回、一度みんなで会いましょう、という事になったという訳なのだ。

席上、乾杯もそこそこにHさんは様々な資料のコピーを準備して会津の船乗りたちの話を熱く語り出す。

なぜ会津に優秀な船乗りが育ったか?誰が岩崎弥太郎と彼らを繋いだか?会津の船乗りたちは戦争(第二次世界大戦)にのめり込む日本をどう見ていたか?などなど、など。

話は尽きる事が無い。

S先生は面白い、面白い、と興味津津。このテーマで次の芝居を書く気持ちは充分に固まったようだ。

一体どんな話になるのか、今のところ雲をつかむような話ではあるが、私も微力ではあるが、なんでもお手伝いしたいと思っている。

もちろんHさんも会津の船乗りたちが芝居になるのならどんな苦労もいとわない!と協力的だ。

奇しくも来年は戊辰150年という記念の年だ。

戊辰と言えば会津落城の悲劇、だが会津は負けて泣いてばかりいたわけではない。

七つの海をまたにかけて世界勇躍の大志を抱いていたのだ、と思えば胸を壮快な風が吹き抜ける思いだ。

亀山社中の龍馬だけが海を目指したのではなかったというわけだ。

「北斗以南皆帝州」(北極星より南はすべからく天子様の地である)から取ったと言われる斗南藩の名前。

だからどこに住んでも我慢できる・・・じゃなくて、だからどこからでも飛躍出来る!

だから斗南だったのだ、とするこの一説。

ここから飛び立ち素晴らしい芝居ができる事を祈りたい。

まだ影も形もありませんが、市民手づくり舞台は来年の7月の公演予定です。

2017年2月 3日 (金)

やな感じ

飯盛一帯は散歩コースで犬を連れている人も多い。

今は雪で歩かないので会う事はないが、ゴールデンレトリバーやポンターみたいな猟犬やラブラドールなどを連れ、いかにも愛犬家、と言うような人に多く会う。

そういう人たちはウェストポーチとかバックとか持ってしっかりと糞の始末などもしているのが良く分かる。

しかし、中にはなんか手ぶらで犬だけ連れて歩いているような人にも会う。

そういう人がちゃんと糞の始末をしない、とは言い切れないが、ポケットからビニール袋を出して糞を入れた袋をまたポケットに入れる様な事は誰だってしたくないだろうな、と思う。

そんな手ぶらの人が数名、家の前を散歩で通るのを時々見る。

そしてものすごく頭に来るのだが、何度か、玄関前に放置された犬の糞を発見する。

犬にさせている現場を見たわけではないので、なんとも怒りの持って行き場が無いのだが、あまりの非常識に呆れかえる。

今朝もだ。

真っ白な粉雪の上に犬の足跡が玄関前まで進み、そこに黒い糞が雪を汚してあった。

人の家の前で飼い犬に糞をさせてそのままで立ち去ってしまうと言う人の神経とはどうなっているのかまるで分からない。

見て見ぬふりをするのか、全く気が咎めないのか、面倒くさいのか・・・放って置くのだからいずれ心は平気なのだろう。

口さがない奴に言えば「おめは、よっぽど嫌われてるんじゃねえの?」などと、言われかねない。

が、第一、好きだ嫌いだと言われるほど濃密な人間関係はないし、ご町内としての、どぶさらいや共同作業は欠かさずに、というくらいの節度ある関係しかない。(町内の人とは限らないのではあるが)

これで4,5回も糞があるとさすがにこれは異常でしょう?と思う。朝からとても嫌な感じだ。

とりあえず町内会長さんに、こういう事で困っているがどうすればいいか?と電話を入れてみた。

ま、緊急回覧でもしてくれてそれで止めば良いのだが、本当はそれだけでは気が済まなくて謝らせたい気もあるが、ひと揉めするのは面倒なので、やっぱり止めば良い事にするしかない。

会津、という土地柄はそんな恥ずかしい行為をする人がとても少ない。「ならぬ事はならぬ」だから、と言いたいところだが残念ながらそうでもないようだ。

以前になるが、こぎれいな女性が小さなパピヨンみたいな犬を連れているのを見た。

その犬が歩きながら単四電池ぐらいな小さな糞をピョコっとしたのだ。

後ろにいた車の運転席からしっかりと見えたし、女性もそれを見ていたはずだ。

だが、彼女は急に空を見たりして、自分は飼い主だが糞をした事自体に気付かなかった、歩きながら糞をするなんて思わなかったわ、と言うようなあからさまな演技をし出したのだ。

「おい、おい、おい!」と思いつつクルマをとめて注意する勇気はなかった。

まさに放置した私も公共的には同犯なのです。

ああ、いやだ。世話をできない人は犬なんか飼わないでください!

ひとの家の前のウンコには100万円ぐらいの罰金を科して欲しい!

人様に嫌な思いをさせておきながら、当たり前のように、可愛い、可愛いと犬を撫でて居るバカがいるかと思うと・・・ウンコで起こるのも大人げないような、バカみたいな気もするが、本当にやな感じだ。

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