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2016年12月14日 (水)

ディランのメッセージ

ボブ・ディラン氏がノーベル文学賞をとった。

発表されたその時、どよめきが起こった。歌手のボブ・ディランが文学賞って???

へーえ、そういう事があるんだ!と村上春樹氏になれば良いなぁ、と思っていた私も少し意外な感じがした。

ボブ・ディラン世代というのがあるかどうかは分からないが、私たちは少し遅れた世代だ。

ひと通りの歌は聞いたことがあるが、大ファンというのとは違う。歌詞も難解で難しい歌が多かった。

むしろ日本のフォーク歌手が訳詞(なのかどうかも分からないが)をして歌った方が親しみやすく、いい曲だなぁと思ったりした。

「アイ・シャル・ビー・リリースト」とか、もちろん「風に吹かれて」なんかも。

ともかく、音楽だけに限らず、世界にもの凄く大きな影響を与えたアーティストだという事は誰もが認めるところ。ノーベル賞の受賞には、驚きはあっても異議は全くない。

過日、ノーベル賞の授賞式が行われ、日本の大隅博士などの晴れやかな姿が誇らしかった。

その授賞式にディラン氏は欠席でメッセージが代読されたという。

欠席の理由が「先約があるから」で、代読をしたのがアメリカ大使だというから、やはり只者ではない。

そのディラン氏のメッセージが各新聞に載った。多くは要約であった中、福島民報紙は全文を翻訳付きで掲載してくれた。

そのメッセージを読んでもの凄く腑に落ちたし、やはり素晴らしい言葉を生み出す人なのだなぁ!と朝っぱらからいたく感心をした。

心からの謝意を述べるとともに、自身がノーベル賞をもらう事への驚きを述べながら、ボブ・ディランという芸術家がノーベル文学賞に値する訳を解き明かしてくれている。

中でもシェークスピアの一節に、なるほど!と唸った。

(以下引用)

『私は文豪ウィリアム・シェークスピアの事が頭に浮かびました。彼は自分を劇作家だと考えていたと思います。文学作品を書いているというような考えはなかったでしょう。彼の文章は舞台のために書かれました。読まれることではなく、話されることを意図していました。「ハムレット」を書いている時、彼はいろいろな事を考えていたと思います。「ふさわしい役者は誰だろう?」「どのように演出すべきか」「本当にデンマークという設定でいいのだろうか」。創造的な構想や大志が彼の思考の中心に会ったことは間違いありません。しかしもっと日常的な事も考え、対処しなければなりませんでした。「資金繰りは大丈夫か」「後援者が座る良い席はあるか」「(小道具の)頭蓋骨はどこで手に入れようか」。シェークスピアの意識から最もかけ離れていたのは「これは『文学』だろうかという問いだったと確信します。』

そして自身もシェークスピアのようにあらゆる日常的な物事に追われ、十代からひたすら歌を作り続けて来たことを語っている。そしてこう結ぶ。

『これまで「自分の歌は『文学』なのだろうか」と自問した時は一度もありませんでした。

そのような問い掛けを考える事に時間をかけ、最終的に答えを出していただいたスウェーデン・アカデミーに感謝します。

みなさまのご多幸をお祈りします』

かなりの長文だが、実に名文だと思う。

意外にも文学賞を受賞した歌手が、その驚きと謝意、自らの心情を素直に綴り、これほど多くの人々にしっかりと伝わる文章はそう簡単に生まれるものではない。

思わず息子に「これをちゃんと読め」と言ってしまった。

ボブ・ディランという芸術家の偉大さに改めて触れるとともに、改めてかなり好きになった。

・・・会津は寒くなりました。週後半からは雪ダルマが並びます。が、大雪の気配は全くありません。

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