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2016年12月

2016年12月30日 (金)

暮れゆく2016

恒例の院内のあいさつ回りも無事に終わった。

11時に始めて4時前には終わった。以前の古い建物の時よりは早くなったように思う。導線効率が良くなったからだろう。

夕刻、恒例の中村屋での打ち上げも無事に済んだ。例年より多くの参加者があり酒もすすんだ。プロレスまがいのじゃれあいも始まったりしたが、怪我だけはするなよ、とピシャリ!

夏以来顔を出していない「オーパス」をのぞく。これも年末恒例の高級ワインのグラス売りをやっていた。(28日と29日に行われる)15本ほどのワインがカウンターにズラリと並ぶ(全部イタリアワイン)

すでに後ろを向いているのは売り切れたボトル。普段のハウスワインよりはかなりお高いが、ほぼ原価提供なので、ワイン好きにはたまらないお祭りだ。

奮発して2500円と4000円のパンチの利いたワインを2杯愉しんだ。一年の締めくくりにふさわしい味わい、美味い!

小腹がすいたので亀井鮨で少しつまんでタクシーを呼ぶことにする。さすが混んでて小1時間。

この時、入り口で介護福祉本部の女性軍に捕まる。「カラオケ行きましょう!行きましょう」と激しく誘われたが、「茶小瓶」のボトル全部飲んじゃっていいから・・・で勘弁してもらった。

トロタクをつまみに、大将に宮崎フェニックスの自慢話「その顔でよく入れた事!」などと茶化され、「良いお年を!」で本年の夜周りも終了した。

30日朝の内に日本一分店へ餅とお供え、餡子を買いに行く。「今日は早いですね」「これからちょっとお客さんがあるので、売切れたら困ると思って・・・」「そんなことはないですけど、良いお年を!」

午前中にスリランカの留学生Cくんが、結婚の報告に奥様のRさんを連れてやってきた。小顔でモデルさんのように細く、エキゾチックな顔をした(当たり前か)美人さんだ。

初めての会津、初めての雪、会津の印象は「グッドタウン・バット・ソー・コールド」だそうだ。

ロータリークラブの新年会参加の打ち合わせをし、明けて2日に我が家で歓迎のすき焼きパーティをすることを約して帰って行った。

とは言え、奥さんは鶏肉以外の肉は一切食べないそうだ。N先生が贈ってくれたすばらしい牛肉があるのだが、残念。

スリランカの女性はあまりお酒を口にしない。飲めるか?と聞いたら、こちらの方はトライしてみると言っていた。

午後から洋画を1本見て、一息ついている。

夕刻から、これも恒例の家族忘年会で「天竹」に行きふぐを愉しむ。今年は3人だ。

毎年暮れには、ばあちゃんが北海道からカニを送ってくれた。そのばあちゃんも3月に亡くなったのでもう届かない。

天竹に聞いてみると、タラバは大丈夫、毛ガニはもし良いのが入る様だったら仕入れて茹でておいてくれるとの事、お願いした。

明日には夢家の玉子焼きが届く。病院の看護師さんの旦那がオーナーで、ここの玉子焼きは美味しいと評判らしい。

また、初めて「しゃとれ蔵」のおせちを頼んでみた。新聞の折り込み広告にあり、手づくり8000円と格安なので頼んでみることにした。それも大晦日の午前中には届く。

だが今年は二人だけの年越し、全部揃ったら余ってしまうかもしれない。

スリランカの新妻はカニも苦手と言っていた。Cくんに頑張ってもらうしかない。

ま、そんなこんなで、幸も不幸もいろいろあった2016年が暮れて行く。

なにはともあれ、家族そろって健康に支障なく新しい年を迎えられるところまで来た。これを「幸福」と感謝しなければ罰が当たるだろう。

そろそろ外も暮れてきた。あと31時間とちょっとで新しい年がやってくる。

2016年12月27日 (火)

旅の終わり

宮崎、第一日目は凄く風が強かった。ビュービューという感じ。こんなに強いのも珍しいという。

会津でこの風だったら体感温度は氷点下だが、そこは南国、厚めのシャツにウィンドブレーカー程度で大丈夫だ。

初日のラウンドは、宮崎カントリークラブ、凄く上手なK先生(クラチャンを5年連続もとっているとか)、腕前は普通の薬屋さんYさんが同伴をしてくれる。もちろんT先生は三日間、ぴったりと付き合ってくれる。

強風ながらも、いつものスコアで無事に初日を終えて駅前のホテルにチェックイン。ひと息入れて「杉の子」という地元では有名な郷土料理の店へ。

「宮崎牛のステーキ」「鳥南蛮のタルタルソース」「鳥の炭火焼」と宮崎名物の定番が並ぶ。

ちなみに昼はゴルフ場で「宮崎名物・冷や汁定食」をいただいた。(ご飯お代りあり)

いずれも美味、これまたバクバクと食が進む。宮崎で酒と言えば焼酎だ。「霧島」「木挽き」と2本空いた。

ほぼ完食し、いざ盛り場へ。

Yさん馴染みのバーへ繰り出す。マスター自らボックス席でウィスキーの水割り、ハイボールを作る。お手伝いは宮崎の女子大生が二人というお店。バーというよりはスナックという感じだが、バーと書いてあった。

二日目は抜ける様な晴天。旅のクライマックス、フェニックスカントリーへと向かう。クラブハウスの立派な事、素晴らしく高そうだ。

ゴルフ場へ向かう途中、バブル期に一世を風靡したシーガイアのプールや大きなスポーツ施設は取り壊し工事が進んでおり、無残な姿をさらしていた。(すぐそば)

まさに、つわものどもの夢の跡、そのお隣りの、このゴルフ場はそれを生き抜いたつわものどもの夢の遊び場、と言ったところだ。

何十万本という松防風林の間に「高千穂」「住吉」「日南」の三コースがあり、「高千穂」「住吉」と回るのが、あのダンロップフェニックストーナメントと同じ回り方。

普通はなかなか回らせてくれないらしい。

今回は特別。私の組にはダンロップトーナメントで優勝すると選手に贈られる肖像画、その絵を描いておられるというY画伯が案内役で同伴してくれた。

キャディさんもウェイトレスも、皆、「画伯、画伯」と呼ぶので本当に画伯なのだ。ゴルフはシングル級、まるでフェニックスの主のようにふるまっていた。

夏に冬芝の種をまくというコースは、青々としていてここだけ別世界、異国の様だ。

風ひとつない絶好のコンディション、フェニックスと言えば松林、もちろんそこへはしっかり打ちこみ、ひと苦労もふた苦労も味わい、フェニックスを存分に堪能させていただいた。

不思議な事にスコアはいつもと同じレベル。弘法筆を選ばず、ならぬゴルフ場を選ばず、ともいえる。

夕食は一番人気という鮨店「一心鮨光洋」、カウンターに4人が並んだ。

前日、K先生に「あそこは高いよー」と脅かされていたので、腰はぬかさなかったが、お任せコースに酒(ここは日本酒)で結構行きました。

お銚子は1合で頼むシステムなので、いろいろ飲んで結局、14本も(16かも知れない)飲んだ。

鮨のコースは新物の筍、ノドグロの煮つけ、ふぐの白子なども付いて絶品でした。

前日、宮崎の夜の〆は何と言っても釜揚げうどんだ!!と聞いていたので、何とも捨てがたく鮨の後に、うどんという暴挙に及ぶ。

盛り場へ向かい「織田蒔」(おだまき)という名店へ。普段は並ぶの覚悟の店だが、この日はクリスマスイブ、さすがに空いていた。

メニューは「釜揚げうどん」「釜揚げうどん・大」「釜揚げうどん玉子入り」の三つだけ。後はカウンターのケースに三角のお稲荷さんがあるだけだ。

うどんと言っても細い。3ミリ程度の平麺が湯桶の中に浮かぶ。それをアツアツの汁に付けていただく。玉子入りはこの汁の中に玉子が入る。

この汁、濃いうどんのタレを思い浮かべるが全く違う味。さっぱりで若干中華系の風味でしょっぱい、これまでに食べた事のない味だった。

うどん、汁とも超熱々、かき込むと確かにこれはいける!

上がりのラーメンはもう食べない歳にはなったが、このうどんならいける、と充分に納得した。

満腹オジサン4人、ふうふう言ってホテルまで帰るのもひと苦労の夜となった。

三日目は、前二日とは打って変わった山岳コースの「レイクサイドゴルフクラブ」。

三日目ともなるとさすがにヘロヘロ。カートがなければ死んでましたね。

スルーで回り、昼を食べて空港へ。ゆっくりと買い物その他で時間をつぶし(私は足裏マッサージを)夕刻のフライト。

連休最終日の混雑で飛行機が若干の遅着となり、東京駅で新幹線に今度は本当に乗り遅れた。

次便の自由席に飛び乗り、30分遅れで郡山へ。

しびれる足腰、眠い目をこすり、さすりして、シンデレラタイムの少し前に無事、会津若松市に辿り着いたのであります。

あ~、くたびっちゃ!あ~、おもしぇがった!!

チャンチャン!

2016年12月26日 (月)

旅の始まり

T先生は、奥様ともども宮崎県の出身だが、福島医大で学び、その後、縁あって当院の病理診断を長く一人で支えてくれていた。

大のゴルフ好きで、当院のゴルフクラブではトップハンデ、ギューンと曲がる個性的な球を打つ。

病理もゴルフも同じで、難しければ難しいゴルフコースほど燃えるタイプだ。

そのT先生がご両親の関係もあり、故郷・宮崎に戻られて早いもので4、5年になるだろうか。

たまに連絡を取る度に「ぜひ、一度遊びに来てください」という話になったりするが、なかなか実現はしなかった。

こういうのは思い切るかどうかが肝心。

今年の初めに「宮崎に行こうじゃないか、あのフェニックスでゴルフをやろうじゃないか!」と決め、H先生、H・S先生、O先生と日程だけ決めてしまった。

12月22日夜発で25日の夜までに帰るという旅程。

それをT先生に連絡するとゴルフ場の手配などはまかせてくれとの返事が来た。

T先生のプランによると、到着後すぐに宮崎カントリー、翌日あのフェニックスを周り、最後はスループレイでレイクランドと、まるで学生のゴルフ合宿の様な強行スケジュール。

それもどこも予約を取る事さえ難しい名門コースばかりだ。

ほどなくゴルフ場の手配完了の知らせが来た。

春にはO旅行社のHくんに航空チケット&ホテルの手配を依頼、夏にはすべての手配がうまいこと出来た。

後は東京までの新幹線を発売時に取るだけだ。

そんなこんなで「いつかは宮崎へ」が実現する事になった。

とはいえ、先生方は相当に忙しい身、年末に本当に大丈夫か?という心配は心配。

11月に旅行代金を払い終えても、なんとなく心配は付きまとった。

忘年会のピークを終え22日夕刻、私のクルマで予定通り郡山駅へ向けて出発!

ここまでくれば後はもう大丈夫、と一安心だ。

順調に郡山市内に入ったが、そこから駅までクリスマス連休前の大渋滞に巻き込まれてしまった。

会津から郡山ICまでよりも時間が掛り、危うく新幹線に乗り遅れそうになる。

ヤバい、ヤバい!ヤバい!

駐車場に車を放り込み、新幹線ホームまで走る走るオジサン4人、コロコロを引っ張り汗まみれ、危うく乗り込みセーフ!

先が思いやられる旅の始まりとなった。

2016年12月22日 (木)

晴れ男のクリスマス休暇

今年の忘年会は今日も含めると10回あり、9回出た。今日は夕方から出かけるので出られないので「飛露喜」を1本届けた。

クリスマス明けにもう一つあり、29日に打ち上げがあり、30日に家族の忘年会と称し、毎年「天竹」さんで、ふぐを味わう事にしている。

娘が嫁に行き息子と三人、いつか息子の隣にもう一人増えてくれないかと念力を込めながら日々願っているが、気配もない。

今年は二次会、三次会にはあまり行かなかった。お蔭で二日酔いもあまりなかった。

なぜか?たまたまチャンスが無かったのと、プラプラしないで帰る事が増えた。

歳のせいではないけれど、なんだか回っても楽しい店が無くなってきた。(夜のネオンにわくわく感が無くなるのを歳だ!というのかもしれないけど)

加えて、二次会に流れる周囲の勢いが弱まってきたという事も言える。職員に誘われれば、まずは付き合うのだが、それが少なくなってきた。

というのは、私が嫌われてきたという分析ではなく、誘う方の職員もそれぞれに歳をとり、家族や健康やいろいろなしがらみが増え、勢いが弱まってきているというのが当たっていると思う。

そんなこんなで、私のせいではないだろうが会津の夜の街はあまり景気が良くないという声が聞こえてくる。

この秋に東電の補償が打ち切られた企業、業態も多く。それも大きく影響しているともいう。

避難して来た人々の流出も一層進み、それもまた影響しているともきく。

いずれにしても、雪はまだ積もってはいないが街が冷え込んでいるのは事実のようだ。

もうすぐクリスマスだが、皆に良いクリスマスが訪れ、今年よりもっと良い年がやってくればいいと願うばかりだ。

クリスマスと言えば、去年のクリスマスはNYに居たんだ。なんだか信じられない。

異常気象で凄く暑かったっけ。

私は元来晴れ男で旅行で好天はあっても荒天に当たった事はあまりない。が、NYはこれまでの旅で一番天気が悪かった。

雨、曇り、霧、結局、青空は一度も見なかった。でも、楽しかった。

今年のクリスマス休暇は、また出かける。

今年は家人を置いて宮崎へゴルフ旅。

今夜、東京に泊まり、明日朝早いフライトで行く。

先ほど、宮崎からのメールでは本日雨、されど滞在三日間のそのまた先も雨、居る間だけ信じられないような晴れマークです、と言ってきた。

どうやら今年は、晴れ男健在らしい。

予報では会津は相当に荒れるらしい・・・なんだかすみません。

行ってきます。

2016年12月19日 (月)

大丈夫ですか?

「大丈夫だったですか?」とO君に聞かれた。

「何が?」「いやー、先日の野球部の納会の出席者から続々インフルエンザが出たんです」

なるほど!と思い当った。風邪気味でやばい感じがしてたんだ。

土曜日の連携部の忘年会の頃から少し風邪気味で、葛根湯を飲み続けていた。それでも二次会へ行った。

「ビル」という缶詰バー、なかなかユニーク。

で、次の日、風邪気味で喉も痛かったが新潟にクリスマスのプレゼントの買い出しに出かけた。毎年あげているみんなの分を求めに、いろいろ買い物を楽しんだ。(相手の喜ぶ顔を想像すると買い物は楽しい)

それで遅くならないように帰り、ゆっくり風呂で温まり早めに葛根湯を飲んで休んだ。

夜中に続々と背中に寒気を感じた。「あっ、やばいぞ!」と、これまで何度もインフルエンザにかかった経験から、急に熱発するのを感じたので、すぐに階下に行って残っていたタミフルを飲んだ。(いつのだって話しですが・・・)

で月曜朝、少々迷ったが、もう一錠タミフルを飲んでとりあえず午前中は寝る事に決めた。熱は幸い6度5分(これでも私にしては高め)程度で上がってはいない。

昼に起き出し、仕事もたまっているので仕事場に向かった。

そこで例の「大丈夫ですか?」を聞いたのだ。

やっぱりインフルエンザだ。

予防注射をしているので、かかる寸前の寸止めみたいな感じだというのがなんとなく分かる。(そんなのあるんでしょうか?)

ざわざわと背中に寒気を感じ、洟が出て、ノドも痛い。うがい手洗い、タミフルの予防投与を続け。なんとなく収まりかけている。

この週末には会津を離れ宮崎に行く予定がある。

それもゴルフ三昧だ。このまま熱発したんではどうにもこうにもアウトだ。ここは一発、何としても直さなくてはならない。

さすがに酒も抜き、大人しくはしているが治り加減も、今だ6割5分と言った感じだ。

2016年12月14日 (水)

ディランのメッセージ

ボブ・ディラン氏がノーベル文学賞をとった。

発表されたその時、どよめきが起こった。歌手のボブ・ディランが文学賞って???

へーえ、そういう事があるんだ!と村上春樹氏になれば良いなぁ、と思っていた私も少し意外な感じがした。

ボブ・ディラン世代というのがあるかどうかは分からないが、私たちは少し遅れた世代だ。

ひと通りの歌は聞いたことがあるが、大ファンというのとは違う。歌詞も難解で難しい歌が多かった。

むしろ日本のフォーク歌手が訳詞(なのかどうかも分からないが)をして歌った方が親しみやすく、いい曲だなぁと思ったりした。

「アイ・シャル・ビー・リリースト」とか、もちろん「風に吹かれて」なんかも。

ともかく、音楽だけに限らず、世界にもの凄く大きな影響を与えたアーティストだという事は誰もが認めるところ。ノーベル賞の受賞には、驚きはあっても異議は全くない。

過日、ノーベル賞の授賞式が行われ、日本の大隅博士などの晴れやかな姿が誇らしかった。

その授賞式にディラン氏は欠席でメッセージが代読されたという。

欠席の理由が「先約があるから」で、代読をしたのがアメリカ大使だというから、やはり只者ではない。

そのディラン氏のメッセージが各新聞に載った。多くは要約であった中、福島民報紙は全文を翻訳付きで掲載してくれた。

そのメッセージを読んでもの凄く腑に落ちたし、やはり素晴らしい言葉を生み出す人なのだなぁ!と朝っぱらからいたく感心をした。

心からの謝意を述べるとともに、自身がノーベル賞をもらう事への驚きを述べながら、ボブ・ディランという芸術家がノーベル文学賞に値する訳を解き明かしてくれている。

中でもシェークスピアの一節に、なるほど!と唸った。

(以下引用)

『私は文豪ウィリアム・シェークスピアの事が頭に浮かびました。彼は自分を劇作家だと考えていたと思います。文学作品を書いているというような考えはなかったでしょう。彼の文章は舞台のために書かれました。読まれることではなく、話されることを意図していました。「ハムレット」を書いている時、彼はいろいろな事を考えていたと思います。「ふさわしい役者は誰だろう?」「どのように演出すべきか」「本当にデンマークという設定でいいのだろうか」。創造的な構想や大志が彼の思考の中心に会ったことは間違いありません。しかしもっと日常的な事も考え、対処しなければなりませんでした。「資金繰りは大丈夫か」「後援者が座る良い席はあるか」「(小道具の)頭蓋骨はどこで手に入れようか」。シェークスピアの意識から最もかけ離れていたのは「これは『文学』だろうかという問いだったと確信します。』

そして自身もシェークスピアのようにあらゆる日常的な物事に追われ、十代からひたすら歌を作り続けて来たことを語っている。そしてこう結ぶ。

『これまで「自分の歌は『文学』なのだろうか」と自問した時は一度もありませんでした。

そのような問い掛けを考える事に時間をかけ、最終的に答えを出していただいたスウェーデン・アカデミーに感謝します。

みなさまのご多幸をお祈りします』

かなりの長文だが、実に名文だと思う。

意外にも文学賞を受賞した歌手が、その驚きと謝意、自らの心情を素直に綴り、これほど多くの人々にしっかりと伝わる文章はそう簡単に生まれるものではない。

思わず息子に「これをちゃんと読め」と言ってしまった。

ボブ・ディランという芸術家の偉大さに改めて触れるとともに、改めてかなり好きになった。

・・・会津は寒くなりました。週後半からは雪ダルマが並びます。が、大雪の気配は全くありません。

2016年12月12日 (月)

良い度胸

ロータリーの米山奨学生で、私がカウンセラーをつとめたCくんの結婚式が間もなく、母国スリランカで行われる。

私にも出席の打診があったが、師走のこの時期はとても無理。

たまたま、6月にスリランカ学友会設立パーティが行われたので、それに出席しスリランカという国に始めて行った。

その際にCくんのお母さん、妹さんご夫婦にはお会いして挨拶をすることができた。

その辺りの話は7月の初めごろのブログをご覧いただければ、何度かに分けて書いているはず。

暮れの結婚式には会津から数名のお友達が参加するという。

その中の一人に当院のカスタマーサポート室で通訳業務をしているW嬢がいたので、ご祝儀は彼女に託した。

Cくんはまだ会津大学の博士号取得には至らず、正式な就職もしてはいない。

その辺りの今後の見込みは正直良く分からないのだが、クリスマス過ぎには、いきなりその新妻を連れて会津に戻るのだという。

出発前にC君から直接電話があった。

それによると新妻を迎えるためにアパートも移り、しばらくはIT関連会社の仕事を続けながら、会津で過ごすのだという。

その先は、博士号を取ってちゃんと就職するのか(出来るのか?)、東京へ行くかもしれないなど、確実なところはよく分からないのだが、至って元気で嬉しそうだった。

ので、「帰ってきたら連絡しなさい。正月は遊びにくればいい」と告げた。

C君は確かもう30代半ば、彼女も30歳ぐらいではないだろうか・・・。

日本での恋バナも何度かあったらしいが、結局、母国スリランカのお母さんの友人の娘さんとお見合いのような話がまとまり、1年ほど交際して結婚に至ったらしい。

一度、写真を見せてもらったがなかなかの美人さんだ。

それにしてもだ。

まだ自身の身の振り方も見通せないのに、またよりによって冬のこの寒い季節に南国から花嫁を会津につれて来るという勇気というか、度胸というか(世間知らずと言った方が当たっているのかもしれないが・・・)その無邪気さにも似た一本気には感心する。

「Cくんが引越したアパートはどうやらうちの近くらしい。正月には遊びに来いって言ってやったよ」というと「そうなの、そうだね」と家人がすんなり喜んでくれたので、良かった。

新妻は、まだ生まれて一度も雪というものを見た事が無いらしい。そんでもって、大雪だったりしたらどうなってしまうんだろう・・・と要らぬ心配が先に立つ。

エキゾチックな顔立ちの花嫁さんが、寒い寒いと泣いている姿が浮かんでしまったりする。

今の世の中いつだってスマフォで顔を見ながら国の両親とも話せるんだ。

こっちが思うほど大ごとではないのかもしれない。(そうある事を祈りたい)

この暮れから正月にかけて、孫ちゃんは来ない事になったが、別な楽しみが出来た。

ま、私の作った美味しいすき焼きでも食べさせてあげよう!

2016年12月 7日 (水)

本当に良かった!

二歳の暦ちゃんという女の子が生きていた。本当に良かった。

山間の畑で突然姿が見えなくなり、大慌てで探したが見つからず夜になった。

その一夜を生き抜き、元気でいた。

とても幸運な天候で、夜中の3時に最高気温を記録したという。13度なにがしと言っていたから、その温かさが彼女を守ったのだろう。

神様か、ご先祖様が小さな命を見逃さずに見守っていてくれたに違いない。

ちょうど同じ年ごろの孫が居るので、なんだか身につまされた。行方不明のニュースを聞いた時には、正直、助からないだろうなあ、と思った。

ちょうどトコトコ歩きができるくらいだったから良かったのだろう。2キロも離れたところで見つかったというから相当歩いたには違いないが、思い切り登ったり、思いっ切り下ったりはしない。

歩きやすい、歩けるところを歩いていたから崖や沢に落ちる事もなかったのだろう。

暦ちゃんを見つけたお父さんの友人の方も偉かった。

居そうなところはみんなが探しているのだから、我々はとても居そうに無いところを探そう言って皆とは反対側の山の斜面で見つけたという。

こどもはとても考えもつかないような事を平気でする。だから、とんでもない事故が起こってしまうのだ。

幼子は山中で一体どんな夜を過ごしたのだろう?泣いて泣いて泣き疲れて、ぐうぐう眠ったのだろうなぁ・・・。

自分の置かれた状況を認識できる年齢ならば、とても不安で眠れないだろう。

その点、こどもは図太い。朝日を浴びて「ああ、よく寝た!」ぐらい言って、ご機嫌で目が覚めて、それから誰も居ない事に気づいて、また泣いたのかもしれない。

大人たちはおそらく、気も狂わんばかりの辛い夜を過ごしたことだろう。

思いっきり抱きしめて、そして彼女の小さな心の中から山中の一夜がきれいさっぱり消えて無くなってしまう事を祈りたい。

会津はこれから冬型が強まり冷え込んでくるらしい。

浜通りお日さまマーク、中通りもお日さまマーク、そして会津は雪ダルマ、そんな季節となりました。

2016年12月 6日 (火)

大山鳴動

小池百合子東京都知事に向かって「大山鳴動鼠一匹ではないか?」などと、明らかに不快感をあおって、キレを誘うような質問が浴びせられる。

週刊誌の見出しには小池都知事限界説や化けの皮が剥がれた、とまで攻撃的な文字が躍る。

あれだけ持ち上げておいて、今度は引きずり下ろすのを楽しんでいるかのようだ。

人がけ躓くほど面白い事は(週刊誌が売れるネタは)無いのかもしれない。

しかし、このジェットコースターのような上げたり下げたりにはどうにも違和感を感じる。

小池さんのファンだったわけでも、肩を持とうという訳でもないが、東京都知事になって彼女が取り組んでいる事は、どれも人の尻ぬぐいの様なもので、そこまで彼女を責めるのはお門違いの様な気がする。

豊洲の問題も当時の知事、議会、都の職員がやらかしたことだ。

オリンピックの予算が膨れ上がってピンチなのも同じだ。

もし、限界があるとすれば、豊洲をあんな事にした張本人を縛りあげられなかった事ぐらいで、これは小池都知事の限界というよりも、日本社会の限界だ。

小池百合子流の見直しを応援ではなく、なんとかして止めたい勢力が居る。

なぜ止めたいかと言えば、お金にならない(減る)からだ。

そんな単純な構図ではない!とご高説を垂れる人々も多いが、そういう人もきっと利権につながっている。

儲かる人、損する人、構図は単純だと思う。

オリンピック会場、全部元に戻ったって予算が見直されたのだし、国民の目も向くようになったんだからそれで良いじゃないですか?

豊洲だって、なかった事にして移転することなどもう出来はしないのだから、手続きを踏むしか仕方ない。安全だ、というお墨付きがなければ食べ物は扱えない、それが道理でしょう。

他のどこにもない議会の200億円の隠し予算だって、それを取り上げられて怒る気持ちは分かるけど、おかしいのであれば改めるしかない。

利権を失う人々が、百の反論(屁理屈)をこねて、なんとか都民を言いくるめようとする。

結局、最後は醜いスキャンダルの暴露合戦にならなければいいがなぁ・・・・。

大山鳴動して鼠一匹ではなく、どうせなら大山鳴動してドブネズミ百匹ぐらい飛び出してくるのが一番いい。

小池さん、とことん頑張ってみてください!と、今は応援したくなる気持ちです。

師走の会津、全く雪の気配はない。いつ来るか、いつ来るかと覚悟はしているものの、やっぱり来ないと街は楽だ。

2016年12月 3日 (土)

賭ける

ギャンブルは嫌いな方ではない。むしろ好きな方だが溺れるほどではない。

学生時代には、はまりかけた事もあったが乗り切った。競馬、競艇、麻雀、ビリヤード等の他、書かない方がいい賭け事もいろいろと体験した事がある。

最近はお遊び程度で、競馬もほとんどやらなくなった。

日頃、「競馬は紳士のたしなみだ」などと言っているので、さすがに年末の有馬記念ぐらいはは参戦しようと思っている。

パチンコはやらない。

カジノも好きで、韓国のウォーカーヒルや済州島、オーストラリアのゴールドコースト、中国のマカオなどへ行ったことがある。そして結構やった。グアムのドッグレースなども何度か行った事がある。

そのカジノを日本にも作ろうと安倍さんは凄く焦っているようだ。この延長国会の間にどさくさにまぎれて法律を通してしまおうとしている。

カジノが日本の成長戦略のために必要だと言っている。

インバウンドを4000万人まで増やし、観光を人口減少社会を乗り越えるための重要産業として位置付けて行くためにも、カジノが必要なピースだと思っているらしい。

近隣諸国に負けないためにも、カジノが必要だという事を言っている。

観光は「光り」を観る、事だと言われる。日本の「光り」を求めて、多くの外国人がはるばる訪れる。

その「光り」の中にカジノが入るのかどうか?という事を考えなければならないだろう。

ギャンブル依存症の人が増えるかどうかは、実のところあまり問題ではないと思う。

公ではないにしてもこれだけ大っぴらに換金できるパチンコやスロットなどが市中に溢れている。競馬、競輪、競艇もどこでもできる。

カジノが無くてもギャンブル依存症は増えるだろう。

世界中を旅した人が、日本ほど良い国は無いという言葉をよく言う。

それはなによりも安全で清潔で、人々が教養高く親切で、自然や歴史が魅力的だからだろう。

震災の時、日本人の礼儀正しさ、公共心、道徳心の高さは世界の称賛を浴びた。

こういう安定した社会・国民を作るにはとてつもなく長い時間と、さまざまな蓄積が必要だ。

要はとても一朝一夕には、他国ではできないという事だ。

だからこそ外国人は日本に惹かれる。

カジノはその「良い国・日本」の延長線上に位置するのだろうか?・・・むしろ、ま逆なように思える。

ギャンブルの世界が広がれば広がるほど、社会は安定性を失うだろう。

ギャンブルとはそれ自体を楽しむスリリングな時間のほかには、幸運と不運、有頂天と地獄以外には何も生まないものだ。

カジノが無いことで多国間との観光競争に本当に負けてしまうのだろうか?

たとえそんな事が一時的には起こったとしても、結局のところ有り得ないと思うし、その逆だと思う。

欲望の都・ラスベガスはどこまでも成長し続けるだろうか?そんなことはない。

もはやマカオに抜かれているが、マカオなんてもの凄く感じの悪いカジノだった。(3年前に行った)

あまりにインフレでベット(かける金額)の最低金額が高額過ぎてとても楽しめない。日本円で百万円単位のお金を使うつもりでなきゃ、カジノで遊んだとは言えないほどだ。

ギャンブルを楽しむ、というよりも一攫千金を夢見た大博打、もの凄く賑わってはいたが極めて不健全だった。

きっと近い将来バブルは弾ける。

冷静に考えてみれば、カジノは日本の観光をブラッシュアップするどころか汚しにかかる敵ではないのだろうか?

オリンピックはいずれ来る。

そのもっともっと先、この美しい日本の安定と平和と清潔が保たれ続けるなら、それ以上のブラッシュアップは無いだろう。

放っておいても「光り」を観に来る人々は、増え続けるに違いない。

カジノは他国にやりに行けばいい。だってすでに凄いところがいっぱいあるんだから・・・・。

あの大阪のカジノ構想の凄い想定図見ましたか?

近未来を描いたようなパース、もの凄い開発工事、そういうもの(土木建設工事)をどうしてもやりたい人々が寄ってたかって、この国の未来を捻じ曲げる。

政府高官もカジノ視察というならば、せめてひと晩、ズッポリはまってギャンブルを楽しんでみればいいんだ。(身銭で)それからモノを言えばいい。

IR法案なんていう大博打に出るのは、とんでもない間違いじゃあないでしょうか。

カジノなんかにこの国の未来を賭けたくはありません。

師走の会津、まだ雪は遠そうであります。

今年は大雪、少雪?

賭けます?

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