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2016年11月

2016年11月30日 (水)

歩けない

日の出午前6時半ごろ、日の入り午後4時半ごろ・・・すっかり日が短くなった。

朝は起きても真っ暗だ。真っ暗の中を歩く気にはならない。まして飯盛山に登るのは怖い。

で、朝歩きができなくなった。歩けるのは休みの日、6時半頃からだ。

平日はその時間から始めたのでは慌ただし過ぎる。私の朝歩きのサーキットメニューはちょうど45分かかるのだ。

出来るだけ休みの日には歩くようにするが、それも雪が降ると無くなってしまう。

一気に運動不足に陥るので、冬場はエレベーターの使用を止めることにする。

事務所は3階なので大したことはないが、それでも一日に多い時で7、8回は登る。全部足せば飯盛山まで1回は登った勘定だ。せめてもの抵抗。

後は家で思い立ったようにスクワットをしたりする。

朝の飯盛山周辺は散歩ロードで、毎朝お会いする人も少なくない。中には当院のOBさんの顔もある。

先日、OB会でその看護師さんが声をかけて来た。

「もう朝は歩かないんですか?」「暗くなったんでねぇ・・・」「私たちも先日で終わりになりました。春のお彼岸までお休みです」「しょうがないよね・・・また春に会いましょう!」

この冬場の運動不足を補おうと河東のプールに何度か行ったが、やはり億劫で続かない。

運動不足イコール太る、になるのでいっその事冬場は昼を抜いても良いぐらいなのだが、どうにもお腹が空く。

一日に一回ぐらい10階まで歩くか!とも思ったりするが、いい歳して階段でヒイヒイ言っているのもなんだかだ。

ウィンタースポーツから遠ざかると冬の会津はどうしても運動不足だ。加えて去年のように雪が極端に少なかったりするとそれが加速する。

雪かたしはしんどいが、一方で貴重な運動の機会でもあるわけだ・・・。

ほどほどになら、覚悟して冬を迎えます。

2016年11月28日 (月)

賑やかな霜月の日々

丸々一週間ほど、娘が孫を連れて帰っていた。

なんでも夏に、11月に新潟でキルト展が行われるのでそれに合わせて帰りたい、と言っていたのだが、そのキルト展は来春に延期になった。

キルト展は延期になったのだが、会津に帰る、だけは残っていて、当たり前のように帰って来た。

郡山まで迎えに行く。止めてあるクルマの後ろ姿を見ただけで「ジイジのクルマ!」と叫ぶ。

夏以来だが、ますます足も、口も達者になった。2歳5カ月。

ゆっくり歩くという事ができない時期でトコトコトコ、と向いた方を向いて駆け出してしまう。広い場所だと走らせるが、止まらないから危ない。

坂道でもトコトコ行くのでスピードが出て転んだりする。そんなこんなで何度か大泣きして、一度はアゴをすりむいたが、トコトコは止まらない。

口も達者で文章をしゃべるようになった。あいうえお、ABCもひと通り覚えた。すごいすごい!と褒めると調子に乗る。

必殺技が「もっこ!」だ。

「もう一回!」というつもりで言っているのだが、この「もっこ!」が出ると止まらなくなる。

高い高いしても「もっこ!」、滑り台に乗っても「もっこ!」、お絵かきしても「もっこ!」だ。この「もっこ!」を無視すると怒って叫び出す。

「会津弁で、もっこっていうのは、ぶっ壊れている言う意味なんだから、もう知らん!」などとまったく大人げない事を言ってみても通じるはずもない。何回も付き合わされる。

まぁ良く笑う子で、基本いつも笑っているので、家の中は終始賑やかになる。

日頃、口数の少ない息子のKも、この甥っ子は可愛いらしく、よく顔を見に来て、遊びに付き合う。

「KくんはFちゃんのなんなの?」と家人がたずねると、「僕のおじさん!」とは言わない。

にっこり笑って「宝物!」なんて言う。

へーえっ!と周りが驚く。もちろん狙って言っているわけではないのだろうけれど、それにしてもうまい事を言うものだ。

そんな事を言われるからKも胸がキュンとなって、ますます可愛いのだろう。

歩きながら二人、ぼそぼそと何事か話し合っている。

「・・・・でしょ?」「・・・・なんだよ」「Fは・・・・って言ってるでしょ?」「だから、・・・・なの」「わかった!」と、何が分かったかは分からないが二人の間では会話がちゃんと成立しているようだ。

リンゴ狩りに行った。運動公園にも行った。新潟の科学博物館にも、買い物にも食事にも沢山行った。

会津に来たならお風呂はジイジと入るものだ!と思っているようで感心な事に全く嫌がらない。

そうなると早く帰ったり、用事を切り上げたりしても入れなくてはならない気になる。

時雨れて空も鉛色の日が多くなる十一月。冬隣りのなんとなく寂しい日々が一転賑やかになった。

そして・・・それだけに帰ってしまうと落差も大きい。

年の瀬がそこまで迫っているが今年のお正月はどうするのだろう・・・?

特に都合があるわけでもないのだけれど・・・早めに決めてね。

2016年11月25日 (金)

そばの里へ

今年も宮古のそばを食べに行った。

研修医が中心で、中国からの研修の先生2人も参加、残念ながら院長先生のオペが長引き間に合わなかった。

新そばの季節、会津でも一番おいしいそばをたらふく食べに行く、14名の参加。

宮古まではおよそ1時間半、かるくアルコールを入れて途中、山都のコンビニでトイレ休憩&アルコールの補充をする。

宮古へ向かう道は真っ暗だ。これまで何度か雪に会ったが、今年は寒いが道路は乾いてポンポンだ。

今年も「権三郎」さんにお世話になる。先方も我々が来るのを楽しみにしていてくれたようで大いに歓待をしてくれた。

岩魚の塩焼き、そばがきや山の幸いろいろ、特別なお酒もふるまっていただき、そばが出る前に出来上がりそうだ。

中国の先生たちも、美味しい、美味しいと大喜び、特に岩魚を美味しいと言って目を細めていた。

この二人、お酒はほとんど飲めないという前触れだったのだが、なんの!そんなことはない、結構ぐいぐいといく。

研修も間もなく終えて12月10日に帰国が決まった事もあり、大いに化けの皮をはがしているのかもしれない。

「カンペー!カンペー!」の嵐となる。

いよいよそばだ。水そばから始まる。この水そばが美味しいと感激するのは本当のそば好き、と言っていい。

宮古の湧水にそばを浮かべただけ、新そばの喉越しと香りを楽しむ水そば。2杯も食べる者もいるが、私は1杯で充分だ。

それからは、いわゆるざるそば、これを何杯お代わりしてもOKだ。大体平均3、4杯。私は今年は調子良く、例年よりも1杯多く4杯いただいた。

中国の先生方は2杯で後は酒だった。

若い研修医が最高7杯を平らげ満腹の夜は更ける。

途中、オペを終えた院長が悔しくて市内の山都そば・吉兵衛に行ったようだ、という情報が入る。

そこで早速電話をかけてみたら、本当に居た。

代わる代わる電話であいさつ、中国の先生方とは言葉が通じたのかどうかは怪しいが、慰労の言葉を交わしていた。

夜9時半、たらふく食べてマイクロバスに乗り込む。

行き帰りの運転を毎年車輛のSくんに、そばを食わせる、だけでお願いしている。

病院に着いたのは11時前、毎年ここで解散となるが、このそば会の後に二次会に流れたという話はこれまで一度も聞いたことがない。

私も満腹を抱え、すぐにタクシーへと乗り込んだ。

2016年11月23日 (水)

寝心地その後

ベッドを取り替えた話を書いた。

その後どうなったかという事だが、思ったほどの大きな変化は無い。少ない変化、とは言っても悪い方ではなく良い方なので、まぁ、良かった。

凄く硬いマットレスから思い切って「柔らかい」に変えたのだから身体が感じる変化は大きい。

普通のコイルベッドの倍もある細かいコイルで構成されているマットレスだけに、身体の形、重量によって微妙に細かく沈み込む。

寝ると、身体が沈み込んで包まれるような感じだ。

柔らかくて結構気持ちが良い。これに比べれば前のは本当に硬かったなぁ、と思う。

で、良く寝られるようになったか?と聞かれると、そこはあまり変わらない。夜中に同じように起きるし・・・そうだなぁ、2回よりは1回の方が多くなったかも知れないが、断言はできない。

一番違うと感じるのは、温かい、という事だ。

これはベッドと同時に長年使った綿毛布も変えたので、どちらのせいなのかは分からないが、私はマットレスのせいだと思っている。

ウチは綿毛布と羽毛布団、これだけでほぼ一年間通すわけだが、新しいマットレスが身体に沿って沈み込んで行くので、布団と身体の間の隙間が無くなるのではないかと思っている。

それで、温かい空気が籠って温かい、という事になるのではないかと思っているのだが、家人は「そうかぁ?」と言って、あまり感じないらしい。

「そっちのは普通の硬さで、こっちは柔らかいにしたから微妙に違うんだ。もしくはあんたが鈍感なんだ」と口ごたえすると「フン!」とかわされる。

これから寒さに向かうので、この感じはとても良いのだが、「ひょっとして夏はメチャ暑いんじゃね?」と余計な事まで心配になる。

いずれにしても、寝付きが悪くなったり、よく眼が覚めたり、とか言う事はなく、一応胸をなでおろしている。

しっかり寝てしっかり目覚める。

いつも半分寝ているようじゃダメ!しっかりと起きている人生を、まだまだ元気に楽しまなくてはならない・・・。

会津の天気予報、週の中頃には雪だるまが出現している。

2016年11月22日 (火)

思い出してください!!

いつもより遅めに目が覚めた。

こんなことはめったにないが、家人が先に階下に降りて弁当作りを始めていた。

歯を磨き、テレビをつける。

ポットに水を入れスイッチを入れる。

ふーっ、と一息ついたところで右や左から警報音が響き出した。「何事?」と思ったが、すぐに携帯の地震の警報だと気付いた頃には、ぐらぐらと揺れ出した。

ぐらぐらぐらっと来て、少し横揺れのように揺れて、がががががー大きな揺れが来た。

あの時に似てる!と誰もがきっと思ったはずだ。

家人が台所から出てきて腰を低くしている。ダイニングのカーテンボックスの上にズラリと並んでいる土人形がカタカタと揺れ、一番手前の小さな人形が転げ落ちた。

もっと来るのか?と思ったが揺れは次第に収まった。

テレビが一斉に大きな地震を伝える。すぐに福島県沿岸には津波による避難警報が出された。

アナウンサーが叫ぶ。「すぐに逃げてください、海から離れてください。逃げてください。身の安全を確保してください。大声で周囲の人に避難を呼び掛けてください・・・・東日本大震災を思い出してください!」

ズキン!とあの時の思い出がよみがえる。

震度5弱、会津は震度4。太平洋側沿岸には津波警報、注意報がズラリと出ている。福島県沿岸だけが赤い。危険!

すぐに病院の警備室に電話をする。被害の届けはない。

病院のすぐそばに住む総務課長に電話をし、念のため病院に向かうよう指示を入れた。

「昨日の夕焼けがものすごくきれいだったのよ、ピンク色で。東日本大震災の前の日も、もの凄く夕焼けがきれいだったんだ」と家人。

今週、会津にいる娘と孫「何だかこの人、3時ごろから起きて、5時ごろからぐずぐず言い出して・・・分かるのかなぁ・・・」とママ。

子どもは無垢なので大人よりは予知能力があるのかもしれない。

起きては来たが、なんだかぐずって眠そうだ。

テレビはすべての局が一斉に避難を呼び掛けている。

明日からめちゃくちゃ寒くなるらしい。ちょうどあの日もそんなだった。

雪の中をやってきた自衛隊の救急車両、観光バスに乗せられた透析患者・・・。

何台もの緊急車両が、雪の上に付けたタイヤの跡が妙に心に焼き付いている。

あの日の事を思い出してください!

そう、この世に「絶対」なんてことは絶対にないんだと思い知らされた痛い痛いあの日の事。

ちょうど前夜のニュースでは原発の地下水を堰き止めるための凍土壁が写しだされ、担当のお役人が「硬く凍ってますね~」と嬉しそうに地面を叩いていた。

地下水を堰き止めるために大地を凍らせて壁を作る・・・そんな事が本当にできるのだろうか?

人間の浅知恵をまるであざ笑うかのように震源地は福島県沖。

マグニチュード7・4の揺れが、いろいろな事を忘れかけようとしている故郷を襲った。

2016年11月21日 (月)

プレゼント好き

そうは見えないとは思うが、人にプレゼント、贈り物をするのが嫌いではない。

無論、財布に打撃があるのは痛いけれど、こういうのをやったらあの人喜ぶだろうなぁ・・・と考え、あれやこれや売り場を散策するのは嫌いでない。

モノをあげても気に入らないと嫌だからギフト券を贈るのが一番だ!という説もあるだろうが、あなたはきっとこういうのが似合うと思うのだけどなぁ・・・と考え悩んで贈るのは一味違うし、贈られた方も嬉しいに違いない。

男性の場合は、無難にネクタイを贈る事が多いが、選ぶ基準はきっと似合うだろう・・・だけではなく、もうひとつあって、自分ではなかなか買わないだろう、という事に気を使う。

それは値段とかではなくて、派手さとか、渋さとか、大胆さとか、そういうところの、自分ではなかなか買わないだろうなぁ、だ。

自分でネクタイを買う時にはどうしても無難なもの、どこに行っても間違いがない範囲のものに落ち着いてしまう。

こんな大きな柄の、こんな光ってる素材の、こんな目立つようなの・・・というモノを選ぶのがまた楽しいのだ。(ネクタイに限らず、男女に限らずですが)

実際にそれを身につけてみたら、とても評判が良くてお気に入りになった、という事になればかなり嬉しい。

万一、思惑が外れて全く身につけてもらえないとしてもそれはそれ、同額のギフト券を贈るよりはずっといいと思っている。

プレゼントの品物にはコミュニケーションがある。そこに思い出があり、物語が生まれる事もある。

「私の事をこういう風に思っていたのか・・・」とか「これを見るたびにあの頃の事を思い出す・・・」とか。

ま、そこまでいかなくとも、単純にもらって喜ぶ笑顔が嬉しいのだ。

歳を取るごとに人にプレゼントをするような機会は減るし、あったとしても社会的なつながりでオートマチックな感じの贈り物になりがちだ。

「あの人にこれを贈りたい!」などという高ぶった感情は薄まる一方、ただ孫だけに沸騰する日々だ。

しかし、そういうのはなんだか淋しい。

なので、チャンスがあればできるだけ考えて贈り物を、自分自身も楽しみたいと思っている。

少し残念なのは、プレゼントを会津で求めるよりも、どうしても新潟や郡山、東京で・・・という事になるのが多い事だ。

2016年11月17日 (木)

悲しいお別れ

A先生は83歳になられる。そして、まだ75歳の奥様を見送らなければならなくなった。

A先生はいつも明るく陽気で笑いが絶えない。犬の散歩で足腰を鍛えゴルフもいまだ現役、近頃は負けなくなったが数年前まではよく負けた。

全く知らずにいたのだが、奥様の発病は10年前だったそうだ。

10年前にがんが見つかり手術を受けて順調に回復、それ以来、病気の話は禁句で人生を楽しむ事を心掛けて過ごして来たという。

残念ながら3年前に再発。時間は充分過ぎたのだからまた新しいがんが出たという事なのだろう。

今度はなかなか厳し戦いで入退院を繰り返された。

それでも最期の2週間ほど前まではA先生のご飯をちゃんと作っておられたという。

先生の言葉を使わせていただけば「お父さん、身体が鎧を着たようでもうどうにも動かない。病院で休ませてください」と言われたそうだ。

それが最後の入院となり、最後の三日は先生も泊まり込みで過ごされたそうだ。

もう8,9年前になるだろうか。A先生のお宅に飲み会の後に数名で押しかけた事があった。

突然の来客に奥様は全く驚いた様子もなく、明るく実に手際よく応対してくださった。

一緒になって酒も飲み(飲んだような記憶がある)、大いに笑って楽しいひと時を過ごさせていただいた。

その底抜けに明るい奥様は実に多趣味で、スポーツウーマンでもありゴルフではホールインワンを2度もしていると聞いた事がある。

鎌倉彫の腕前はプロの域に達しておられ、お弟子さんが何人もいたそうだ。

A先生の喪主としての挨拶には、皆涙がこぼれた。

泣きながら病気の経過を話され、弔辞を贈ってくれた友人の方々にお礼を述べ、奥様を偲ばれた。

そして最後に「思いっきりやりたい事をやって、楽しんで、悔いのないいい人生だったと思います。今頃あっちでニコニコ喜んでいると思います」と締めくくった。

ご自身の生涯の伴侶に対して、良い人生だったと自信を持って言える夫、これも素晴らしい愛の形、自分はそんな言葉が言えるだろうか・・・。

A先生はポケットからハンカチを何度も出して涙をぬぐう。

そのハンカチが、やがてひらりと伸びて頬をぬぐう度に大きく揺れた。

それはまるで遺影の奥様に、ハンカチを振りながら別れを告げているようにも見えた。

晩秋の会津に冷たい涙雨が降る。

2016年11月16日 (水)

無礼にもほどがある。

ある団体の会議の議事録が送られてきた。

その出席者の中に見慣れぬ名前があった。誰だっけ?こんな人いたっけ?と思ってよくよく見たら私だった。

なんと苗字も名前も両方漢字が間違っている。確かに読み方はそうかもしれないが、あまりに見慣れぬ字面で他人の名前に見えた。

ま、これまでも名前の変換ミスはあったが、苗字も名前も両方というのは初めてだ。

それも長く所属している団体の議事録だけに少々がっかりした。

私の場合、名前の方の変換ミスよりも、苗字の変換ミスでの間違いの方がなんとなくムカッと来る。

それは私の仕事が、私の苗字と同じ名の組織に属しているからだろう。

それも、会津ではそうそう多い名ではない。

それを間違えられると、一体どこの誰だと思っているんだ?と言いたくなるし、なんだかひどく軽んじられているような気にもなる。

(山田総業の山田太郎さんを耶麻田汰朗さんと記したような感じでしょうか?)

印刷業に身を置いた若い頃、「名前だけは間違えるなよ!」とよく先輩に言われた。

気にしないよ、という人もいれば絶対に許さん!という人も大勢いるからだ。

事実、名前の間違いで刷り直しになった事は山ほどあった。

印刷物として後世に残るものだから納得できん!という抗議にはなかなか逆らえない。

「全部刷り直せとは言わないから、俺の分だけは刷り直して持ってこい」と言われて、頭を抱えるような事もあった。

それだけに今も院内の印刷物の校正に目を通す時には、名前だけは二重三重に確認させるようにしている。

たった一枚の議事録だ。それほど目くじらを立てる事もないとは思うが、長い付き合いで苗字も名前も両方間違われると、頭にくるというよりもなんだか悲しくなる。

議事録なんだから、校正しなくてすみませんでした、は通用しないだろう。

それとも、私の存在自体が希薄なのかなぁ・・・と、そっちの方を反省しなくてはならないのかもしれない。

会津はスーパームーンは全く見えず。十六夜の月が叢雲の中から時折姿をチラ見させてくれていました。

2016年11月14日 (月)

みんなハズレです。

アメリカの大統領選挙はビックリした。

どんなに差が詰まっても結局はヒラリーさんが勝つ、と信じて疑わなかったがトランプ氏が勝って本当に大統領になる事が決まってしまった。

マンガの中から抜け出てきたいなキャラクターで、ふわっとしたかつらの様な金髪、眼の下が妙に白くて、いつも怒ったように興奮して話す。

過激な言動で場受けはするが結局は泡まつ候補だ、と誰もが思ってきた。

なのに、なんだかズルズルと勝ち進み遂には共和党の候補者になってしまった。

それでも共和党の中からあんな奴は大統領にできないとか、トランプが大統領になったらアメリカを逃げ出すという有名人、知識人が続出し、まさか最後に当選なんて事は絶対にないだろうと、誰もが高をくくっていた。

これはまさにマスメディアの敗北だ。この事だけでも時代が大きく動いたと言える。これまでの既存のメディアの限界を示してしまった。

みんなハズレです!

これほどまでに予想が外れるという事は、マスコミが報じて来たトランプ氏の実像そのものが全く的外れなものだったのではないか?という気さえしてくる。

本当はもっと違う魅力を沢山持った人物ではなかったのか?とも思えてくる。

なんでも、アメリカで放送されたトランプ氏のキャラクターを活かした「おまえはクビだ!」みたいな番組は、相当な人気番組で受けもよかったという。

それほどの人気番組なら日本でもちょっと見せてくれてもよかったんじゃないかと思うくらいだ。

この驚きの選挙結果を受けて今後世界はどうなる・・・???などと学者・文化人が雁首並べて解説する絵面も、一体どれだけ信用できるものか?と思えてしまう。

トランプ氏は既存のマスコミをこきおろしSNSを多用、支持者も世論調査には偽って答えた。

まぁ、マスコミは総じて立つ瀬がなくなったという事だ。

ここは場当たり的な対応ではなくて、トランプという人物を一からじっくりと研究して、今後の世界の行く末を教えてもらいたいものだ。名誉挽回のためにも。

いかに嫌いだ!おかしい!と言ってみてももはやこの結果は変わらない。

まさかトランプ氏が選挙中に言っていた事を全部そのまま実行するとは思はないが、世界が大きく変わって行く事は確かだろう。

その行く末を見る事ができるのかどうかもあやしい歳周りではあるが、子どもや孫、その子の代につながる大きな変化のとば口いる事は間違いない。

さて、日曜の会津は非常に穏やかな晴天、気温も上がり、白河高原ゴルフクラブでのラウンドは暑いくらいだった。

風もない最高のコンディションの中、最低のゴルフをしてしまった。どうしてなんだろう?結構楽しみに備えたのになぁ・・・少々がっくり。

帰り路、山際にかかる大きな大きな十四番目の月に「うまくいかないな~」と呟いてみた。

「残念ながら明日のスーパームーンは曇りで見られません。今日はこんなに素晴らしいお天気なのに、これまたうまくいきませんなぁ~!」と

お月様が答えてくれた。

2016年11月12日 (土)

楽しいお手伝い

先週、「会津ふるさと映画祭」の実行委員メンバーの一人として、東京の下町・葛飾で行われたイベントのお手伝いに出かけて来た。

青砥駅から徒歩20分ほどのテクノプラザ葛飾というホールで行われたイベントは湯川村が主催し、ふるさと映画祭の実行委員会がお手伝いという形。

なんでも就農支援相談会がメインで、今回のイベントはその前哨戦、大勢の人に湯川村を知ってもらおうということらしい。(手伝って!という事で出かけたのであまりよく内容を把握していませんでした)

寅さんの映画を上映し、その後、湯川村の親善大使である倍賞千恵子さんと三澤村長さん、実行委員会の新城会長のトークショーという内容だった。

我々は、寅さん映画の撮影監督だった高羽哲夫さん(湯川村出身)の記念の品を展示したり、受付をしたり、最後に湯川村の新米で作ったおにぎりを配ったりという、まさに兵隊さんの一員だ。

日本一と言われる湯川村の新米で握ったおにぎりを無料でプレゼント!とデカデカと宣伝すれば良かったのに、担当者がそんなことしてあまり来過ぎては困る、と肝心のプレゼントをチラシに載せなかったもので、なんだか寂しい人出になってしまった。

集客には「タダであげます」より強いものはない、プレゼントは絶対に書かなくちゃ!

やがて映画が終わり、トークショーへ。その頃にはなんとか動員もかけて会場は格好がついた。

ちょっとパラパラの会場に気をまわしてか、倍賞さんがいきなり湯川村の村民愛唱歌(倍賞さんが歌っている)アカペラで歌い出した。

さすがである。

会場の雰囲気が明るく一変した。その後のトークショーは終始和やかな雰囲気の内に進んだ。

終わった後のおにぎりとお茶、思わぬプレゼントに来場者は皆感激、倍賞さんは記念写真も気軽に応じてくださった。

終了後。我々は後片付けを済ませて新横浜のホテルへチェックイン。倍賞さんがお住まいの新横浜で交流食事会が行われる。

「あおい」というお寿司屋さんの座敷に13人ほどが入り、会津から「玄宰」8本届けられている。

酒も良し、肴も良し、おまけにスターの倍賞千恵子さん、ご主人で作曲家の小六禮次郎さんも加わり、なんだか申し訳ない様な素晴らしい宴会だ。

ご相伴にあずかるとはまさにこの事、全く遠慮なく食べて大いに飲んだ。玄宰の生、ひと際旨し!

翌朝はゆっくりと発ち、上野の国立博物館で「禅」展をみて、会津へと戻った。

旅費、ホテル代、日当が実行委員会に支払われているという。財布は全く痛む事がなく、なんだか申し訳ない様なお手伝いであった。

2016年11月 6日 (日)

良いもの見ちゃった!

なんでも無類の花火好きの人物が実行委員会を立ち上げたと聞いた。

その「第一回會津全国煙火競演会」が11月5日に行われた。

煙火バカと言われるぐらいの人々が集まってやるのだからその辺の・・・と言っては失礼だが、いわゆる花火大会とは大きく一線を画していた。

俗に言う藤室街道の東側、町北町の収穫が終わった広大な田んぼを使って行われ、打ち上げ花火もあれば地面から吹き上げるような花火もある。

花火だから市内中、どこからでも打ち上がったものが見える事は見えるが、なるほどこれではちゃんとした桟敷の観覧席(要するにちゃんとお金を払っての席)からでないと感動は半分以下だ、と納得できる。

稲刈りを終えた後の広々とした会津の夜空の、下から上までを存分に使った煙火の饗宴だ。

6時から開始、およそ1時間の煙火競演会、なにせ普通の、それも小規模な花火大会しか見た事がないので興味津津だ。

この日はちょうどよく京都から友人のMくんが、翌日の法事のため会津に来る日に当たっていた。

新潟空港から高速バスで会津に向かっている。連絡を取り合い、夕方16時半にワシントンのロビーで落ち合った。

そこからは歩きで会場へと向かう。

会場周辺にすごい数の露店が出ている。焼き鳥、お好み、ラーメン、芋汁、カレーと何でもある。

大勢の人で賑わっていた。あまり見た事もない様な露店も沢山あった。日本国中を花火と共に移動するような露店もあるのだろうか・・・・?

小腹もすいたが、花火の後で会食の予約をしておいたのでここは眺めるだけにする。

藤室街道の道路自体が桟敷席となり、地面に舛割がされていて、その中央に番号の記された袋が置かれている。

中には小さな折りたたみ椅子4つとLEDライト、ごみ袋などが入っている。

我々の舛は本部テントから100メートルほど離れた場所でちょうどいい。

本部前だと知った顔ばかりで挨拶するのが大変だ。

おもちゃの様な椅子に座り、バッグに忍ばせて来た焼酎「黒霧島」で乾杯し、打ち上げを待った。

全体が8つのパートに分かれている。会場全体に響き渡るよう田んぼの中にスピーカーがいくつも配置され、音楽と共にテレビ局の女性アナウンサーが軽快に進行する形だ。

オープニング花火に始まり市民花火やミュージックスターマイン、中に競技花火の二部門をはさみエンディング花火まで進んでいく。

オープニングの花火から圧倒された。

下から上から色鮮やかに夜空を染める花火、頭上ではじける爆発音が腹にズドーンと響く。音楽に合わせ舞い踊り、弾け、突き上げる。

競技花火というものは初めて見たが、はじめに標準玉というのが打ち上げられる。こういう花火ですよという見本。続いて1番から名前、解説付きで10番まで打ち上げられていく。

「3番がいいなぁ、いや俺は5番だ、やっぱり9番だべ」とお気に入りに熱のこもった拍手を贈る。

競技会の結果は、後日HP上で発表されるとのこと。

バーンと破裂してからバババババーン、と星が飛び散る部門。これもまた様々な工夫が凝らされていて見応え充分だ。

市民花火はゆずの「見上げてごらん夜の星を」に合わせて打ち上げられた。

見上げる夜空に流れて行く白煙のかたまり、打ち上げ終わった空からは冷気が降ってくる。大分冷え込んできた・・・。

あっという間にエンディング花火だ。

最後を飾るのは長野県の青木煙火の花火だ。なんでも花火の世界では世界的に有名な花火師さんらしく、芸術の域にまで達しているとの評判なのだそうだ。この方の追っかけが全国に大勢居るらしい。

噂にたがわぬ見事さ、あれほどの花火は初めて見た。

サラ・ブライトマンの名曲に乗せて夜空から降り落ちる火の粉、まるでスローモーションのように地面すれすれまで悲しげなオレンジ色の火が降り落ちてくる。

一瞬、夜空に描く「静寂」・・・・。

一転して華やかで鮮やかで、次第に胸を突き上げるような見事なテンポで次々と打ち上げが進む。

あっという間の3分間、終わった後は一瞬、あっけに取られて拍手さえも忘れてしまった。

「いやー、思いもかけず良いもの見ちゃったなぁ~!!!」Mくん、家人ともども、全くの異議なし!

慌てて公衆トイレに駆け込み、ホッと一息。

興奮の内に帰る人の流れに沿って七日町へ。ウノでOくん夫妻と待ち合わせての会食となった。

初顔合わせながらMくん大いに酔っ払い、とてもエキサイティングな宴となりました。

「會津全国煙火協議会」最低でもあと2回は続くのだとか・・・。

会津の新しい名物になれば良いなぁ、と素直に思います。

「おっつたまげ、たまや~!」

2016年11月 5日 (土)

居ないと同じ

秋の救急講演会があった。充実の内容で良かった。

だが講演中にちょっと気になる事が・・・救命救急士の方の講演中のこと。

中央にスライドがあり、下手に講演者、その後ろに音響の卓があり女性の係員が一人澄まして立っていた。

卓の左奥にドアがあり、バックヤードに通じている。

そのドアが開いていて、バックヤードの音が聞こえてくるのだ。

はじめはカチャカチャぐらいだったが、宴会の準備で食器を並べているのだろうガチャガチャになり、ガタンガチャンと結構な音が響く。

それでも卓の前の女性は澄ました顔で立ったままだ。

せめて注意を促しドアを閉めるくらいしたらよかろうに!と思うのだが、講演会に気持ちが行っているのか澄ました顔で動かない。

会場全体のスムースな運営管理があなたの仕事なんですよ!と言いたいが、あの雑音が聞こえないのか阿呆なのか・・・。

そこに係員がいる事は居るが、これでは居ないと同じ事だ。

主催者側が見かねて、ドアを閉め注意をした。

それでも会場の係員は卓の前に済まして立っているだけ。呆れた。

気が効く、気が効かない、とはこういう差なのだ。

そしてこれは元来その人に備わっているもので、案外直しようがない。気が効かない人はどこまで行っても気が効かない。

人は与えられた仕事をしっかりとこなすことが大事だが、その過程ではいろいろな事が起こる。

気が効く人間と効かない人間では、よーいドン!でスタートしても行きつく先は大分違う事になってしまう。

それは指示されていませんから、と言えばそれでお終い。

たとえ指示されていなくても、こうしなくちゃ、と常識的な判断さえできないようでは話にならない。

「静かにして講演の邪魔でしょ!」という注意ぐらい出来ないのでは、居ても居ないと同じ事だ。

「気が効かないなぁ~!!!」この言葉を口にすると不思議と、どんなきれいな顔でもおブスに見えてくる。

サービスを提供する現場で呆れるぐらいに気の効かないのは、やはり罪だと思う。そういう方は自分を活かせる違うフィールドを早く見つけた方がよい。

サービスを提供する側、受ける側、どちらにとっても不幸だ。

休憩時間、卓前の女性が近くに来たので「すみませんが講演中はバックヤードで雑音を響かせないようにしてもらえませんか?」と優しく言った。

すると「何度も注意をしてるんですけどねぇ~、ドアも閉めてるんですけどねぇ~」という、嘘ばっか言って!う~、みったぐねえごど!

居ても居ないと同じ人にはならないように、しなくてはならない。

会津は冷え込みが強まる。磐梯山も五合目ぐらいまで(半分の少し上)うっすらと白くなった。

2016年11月 2日 (水)

紅葉狩り

まずまずの上天気、10月最後の日曜、ぐるっと会津ひと周りのもみじ狩りへ出かけた。

9時半に家を出て、コーヒー、水、チョコレートをセブンで仕入れ高速へ。乗ってすぐだが、坂下インターで降りて柳津へと向かう。

前を観光バスが走る。反対車線の観光バスともすれ違う。

この時期、紅葉を愛でる旅で奥会津へも大型バスが結構な数やって来ているようだ。

柳津の街中を通り抜けてみる。

粟まんじゅう屋さんの店先からは勢い良く白い蒸気が噴き出し、お客さんの姿も見える。

虚空蔵様の紅葉、まだ少し早い様だ。

国道に戻り、三島の道の駅に立ち寄る。もう車が沢山入っている。きのこ汁、松茸の炊き込みおにぎりなど、外で食べられるように席が設けてある。

あけび蔓で編んだかごの十分の一ぐらいの値段の買い物かごと小さな箒を買って、松茸のおにぎりを買った。

只見川沿いの雄大な景色が続く。紅葉は水に映える。だがまだ、全山紅葉とまではいかない、もう一週間ぐらいしたら最高の見頃になるだろう。

金山の道の駅にも立ち寄る。有名な金山かぼちゃを買うつもりだったが、もう季節は終わりです、と言われ無かった。

ドライブはいたって快調、もちろん信号は全くない。

有名になった金山の天然の炭酸水、トイレが新設され水場まで行けるようになっている。少し離れているので、写真を見て行ったつもりでパス、只見へと向かう。

只見の役場前、何度も立ち寄った四つ角の食堂はきれいさっぱりなくなって更地になっていた。

田子倉ダムの上まで行ってみる。

ダムの駐車場は車で一杯だ。こうして停まる度に売店で胡桃や花豆などなんだかんだ細かなものを買っている。合計すれば結構な額になるんじゃないだろうか。

ダムから降りて、川辺の駅というところで遅めの昼食、そばにした。

なめこおろしそば大盛り、かも南蛮そば、なかなか盛りがいい、特盛りという感じ、ノド越しつるつるで思いのほか美味しいそばに当たった。腹いっぱいになった。

さて、只見から伊南村へ。さらに駒止トンネルを抜けて田島へと出る。

伊南川沿いを走る。只見川沿いの山々とは全く山容が違う。木々も違って広葉樹がドンと多くなる感じだが、やっぱり一週間ほど早い感じだ。

加えて鮮やかな赤が少なくなっている感じがした・・・。

午後はピーカンの、本当にいい天気になった。

田島を抜けて大川沿いに下郷へ向かう。下郷のセブンでトイレ休憩をして、すぐ隣の店でかりん糖を買った。

一路、自宅を目指す。

ぐるっと会津およそ200キロの紅葉ドライブ、そんなに飛ばしたつもりはないが、3時半前には自宅に着いた。

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