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2016年10月 4日 (火)

Tくんと呑む

男同士、差しで呑んだのはどれくらいぶりだろうか?

それも仕事や業界などの付き合いも全く関係ない。ただ酒を交わすためだけに人に会うのは本当に珍しい。(イベントの流れや二次会で、というのはあっても)

Tくんは私の小学校の1学年後輩だ。子どもの頃から顔だけは知っていた。

野球少年で運動神経抜群、端正な顔立ちでいつもどこでも女の子の人気者だった。後輩なのにこちらが憧れの目で見ていたような遠い記憶がある。

長じて、私の親友Mの兄と彼のおばさん(歳が近くずっと姉だと思っていた)が結婚したりして、遠まわしに縁が続き、顔を見ればあいさつをする程度の仲だった。

そんな彼が詩を書いているのを知ったのは、私がタウン誌の編集長をしていた頃だ。

会津の現代詩人の会に所属し、村野井幸雄(蛯原由紀夫)先生に師事している事を知った。

確か「ねぶくろ」という名の詩集が送られてきたっけ。

そこで、タウン誌の巻頭詩を、彼も含めた詩人仲間にお願いすることにした。

そんな縁で頻繁ではないものの、たまに盃を交わすこともある仲となった。

こんな事もあった。

コミュニティFMの「エフエム会津」が始まる前年、チャレンジ放送が城前の特設スタジオから1週間行われた事があった。

その一週間の番組構成、にわか放送作家を私がつとめた。

いろいろ試験的な番組を盛り込んだが、その中で、会津の詩人が自らの声で自分の詩を読む、というコーナーをやった。

今、詩人の谷川俊太郎さんがやっているようなあんな感じだ。

もちろんTくんにも参加してもらった。なかなか、面白い試みだった!という事だけは強く記憶に残っている。

Tくんは古いお茶舗さんなので、おふくろの時も、確かオヤジの時もお葬式のお返しにTくんのところのお茶を使わしてもらった。

・・・そんな縁だ。

先日、彼の師匠ともいえる村野井幸雄先生が亡くなられた。その席上、久しぶりにTくんと会った。

会ったのは久しぶりだったが、この春に彼の「胡桃」という詩集が手元に届いていた。

それで、あまり久しぶりな感じはしなかった。

弔いの間中、隣同士に座った。交わした言葉は二言三言だったが、なんとなく彼の温かさの様なものが心に残り思わず「今度、一杯やんべ」と言った。

それが実現したというわけなのである。

「吉兵衛」という蕎麦屋のカウンター、蕎麦屋と言っても繁華街のど真ん中、存分に飲んでから、お蕎麦、という落ち着いた店だ。

いつ行っても混んでいる。

蕎麦のうまさはもちろんだが、女将さんの手作りのアテと酒がまたいい。

生ビールを一杯ずつ飲んで、純米酒・末廣山廃のぬる燗にした。

やっぱり語り明かすには日本酒がいい。それも銚子とお猪口、冷酒はあまりにキューッと行きすぎる。

小学校から数えたら半世紀を優に超える長い時が流れた。

まあ、差しつ差されつ、いろいろな事を話して酔った。

酒に酔っているのか、話に酔っているのか、この雰囲気に酔っているのか・・・全部だろう。あっ!という間に時は流れた。

本来なら・・・本来という事もないが、この後、河岸を変えて流れるのが常套だろう。

だが、これ以上二人でヘロヘロになるまで呑んで、やがて何を言ってるのか分からなくもなり、翌朝二日酔いの頭を抱えるのは、誠にもったいないような気がした。

「明日早いから俺はここで帰るわ。今日は楽しかった。ありがとう!」と言って別れた。

翌翌日、一片の詩の様な葉書が届いた。

『お世話になりました。 あれから 場末の灯りを食べて 12:00に 無事帰宅しました。では又。   御礼まで T』

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