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2016年10月

2016年10月31日 (月)

投げなかったね大谷!

日本シリーズ第6戦、日ハムがあっさり優勝を決めてしまった。なんとなく拍子抜け。

何としても7戦まで引っ張ると思っていたが、決める時は決めるんだねぇ。選手もくたびれているし、早く決めたいんだろう。

点が開き過ぎて大谷の出番もなかった。一か所だけ、満塁で打者が中田の時にネクストバッターズサークルで素振りして、出る気配を見せた事。

大谷を出すぞ!とピッチャーのジョンソンに圧力をかけた策士・栗山監督。

それにビビったか結局中田はフォアボールで押し出し。大谷はお役御免、その後のスシ満塁ホームランへとつなげた。

来シーズンは最速のポスティングで大リーグ行きもささやかれている大谷。ひょっとしたら最後の投球チャンスだったのかもしれない。

とんでもない金額でポスティングされるのだろうけれど、大リーグに行ったら二刀流なんてことはないだろうからピッチャーで凄い記録を残すのかな?

いずれにしてもきっと当たり前のように涼しい顔で活躍するのだろう。

それにしても今の若者は凄い、世界をものともしないビビらない感がある!

昨日のゴルフの松山英樹も凄かった。

上海で行われた世界選手権シリーズで他を寄せ付けない23アンダーでぶっちぎりの優勝。PGAで早や3勝目、メジャー制覇も夢ではない。

あのショットの見事さ、もの凄い練習量なのだろう。彼も当り前のように、世界に全くビビらない。

ついでに国内ツアーでは片山晋呉も頑張った。43歳で30勝、オリンピックでは良いところがなかったけれど、貫禄の勝利だ。(このくらいの歳になると世界にビビり感はあり?)

ついでのついでに天皇賞も1番人気のモーリスが快勝!誰も追い付いてこられなかったという勝ち方だった。(買いませんでしたが)

スポーツの秋はなかなか忙しい。

これで野球が終わって、まだまだいろいろあるが、私の中では来月は九州場所か。

豪栄道、綱取りを一発で決めてくれ!一発で決めなければ君に次はない(と私は思う・・・)

横綱になったら、一月場所は何としても会津からみんなで国技館まで応援に行くから、頼むよ!(只今、升席ゲットの工作中)

ぜひともあの大谷くんや松山くんのビビらない感に倣って、15日間の勝ちっ放しを見せて欲しいものです。

2016年10月29日 (土)

投げるな大谷

それにしても今年の日本シリーズはいい試合が続く。

広島で広島が2勝、北海道で日ハムが3勝、地元で強い内弁慶シリーズなどという人もいるが、地元が盛り上がるのは良い事だ。

野球をしっかり見る事はあまりないのだが、ミーハーなので完全な俄かファンになってしまう。

3戦目、北海道での初戦、二次会で流れた「新ちゃん寿司」で広島が2-1で勝っていた。それでも日ハムに賭ける!と言って三人相手に結局勝って調子に乗った。(誠に不純)

第五戦のサヨナラ満塁ホームラン、これで日ハムが王手なわけで、第6戦は大谷と報じられていたが・・・・どうやら増井に決まったらしい。

嗚呼、良かった。これでますます面白くなる。(第6戦に大谷投げないで!と書きたかったわけだが、なんとなく拍子抜け)

それにしてもなんだか7戦までもつれる事が決定したみたいな感じがして、それはそれでなんだか変な感じもする。

ま、第7戦で大谷と黒田の投げ合いになったらどう考えても最高の展開、盛り上がりは最高潮だろう。歴史に残る日本シリーズになるのではなかろうか?

大谷が信じられないような見事なピッチングを見せて優勝!となれば良いなぁ・・・と広島ファンには申し訳ないが思っています。

まるでマンガの様なハイパー二刀流だ。投げて、打って、走って、優しそうで賢そうで、どっから見てもかっこいい。まるで「輝く未来」が野球しているような爽やかさがある。

二刀流なんてありっこない、そんなことさせる監督はバカだ、野球を甘く見てる、などの数多の雑音を吹き飛ばして大谷仁王立ち!

どうせここまでマンガみたいに出来過ぎならば、最後も最高のお膳立てで、マンガみたいなピッティングを見せて欲しいものだ。

男気黒田はシリーズ前の引退表明で、広島ナインに奮起を促す計算だったのかもしれない。

黒田主役の広島のマンガみたいな展開と、日ハムの大谷主役のマンガみたいな展開・・・どっちのマンガが勝つのか?これは見ものという他ない。

会津は寒い朝になりました。

2016年10月28日 (金)

冬隣り

「暑い」はなくなり、すっかり秋が深まりを見せる。気がつけば庭の夏椿もナナカマドも色づいて来た。

先週のゴルフまではまだ半袖(とは言っても見渡す限り長袖だったが)、この次は長袖になるのかな?

磐梯山も中腹より少し下まで赤く染まっていた。

昨年の冬は信じられないほどに雪が少なかった。それだけに今年は凄いだろう、という声も聞こえるが確たる根拠はない。

カメムシが多いとか、カマキリの卵が高い場所にあるとか言われるが実感はない。

そういえば家の庭でカマキリを見かける事が少なくなった気がする。今年は一度も見ていない。

カメムシが多いと家人は言うが、ちっともそんな気はしない。例年だと葉書を使って、厚紙の上にそっと載せて窓の外にピン!とはじき出すのを何度もやっているが今年はまだ一度もやっていない。

休みの午後、急に思い立ってスノーダンプ、スコップ、雪はねを雑巾で拭いて、雪のへばり付かないスプレーをたっぷりかけた。いわゆる冬の準備である。

何時買ったスプレーか分からないが、毎年やらなくちゃ・・・と思っている内に雪が降ってしまい、結局ボッコ(雪がへばりつく事)が付いて往生するんだっけ。

今年は大丈夫だ。だからと言って雪を待っているわけではない。

今週末の雨が抜けると一気に冷え込みが来るらしい。最低気温が10度を切った5度またぎ、最高気温も15度を超えるか越えないかだ。

飯盛山の紅葉はまだだが、一気に進むことだろう。

朝歩きの時間も薄暗く、だんだん気が乗らなくなってくる。それに伴い、ズボンがきつくなり出すのだ。

今週末にはサンルームのファンヒーターを出しておいた方が良い。先週チラシにあった乗せると移動に便利な台も買っておこう。

風呂場の脱衣所のヒーターも、寝室のオイルヒーターも出した方が良いなぁ・・・。

いよいよ会津は冬隣りの季節であります。

2016年10月24日 (月)

人生の友

ちなみに検索エンジンに「ベッドの寿命」と入れて、ベッドの寿命が一体どのくらいなのか調べてみた。

すると、マットレスの寿命は意外と短いとある。3年~5年、10年を越えると次第にガタがくるとか・・・。

チェック項目には、スプリングがきしむとか、凹むとか、朝起きると肩や腰が張るとか、ある。

確かに朝、肩がパンパンになる事はしょっちゅうだが、自分の体質なのかと思っていた。

で、前記のような話を聞くと少し恥ずかしい気もするのだが、なんと28年間も同じベッドを使い続けてきた。

最近、なんとなくそろそろ替え時なのかなぁ・・・と思うようにはなっていた。

もともと固いベッドを使っていたのだが、なんだかスプリングがさらに固くなったような、それにしても肩がこるなぁ~、というような気がしていたのだ。

「ベッドにも寿命ってあるんだろう、そろそろ替え時なんじゃないのかなぁ?」と家人に尋ねると「あらそう?全く感じないけど」とさらり。

常時爆睡で羨ましい限り、うつぶせ寝タイプなので気にもならないのかなぁ・・・と思う。

「でも替えて良く眠れるんだったら、替えてみてもいいよ。もう随分使ったし・・・」と言う事になり、ベッド交換の検討に入った。

残り少ない、とまでは言えなくても決して長くはないこれからの人生、良質な睡眠はめちゃくちゃ大事だ。

「はいコレ!」と簡単に決める事は出来ない。

ネットなどでいろいろ調べたり、実際に家具屋さんに行って寝転んでみたりした。

有名なシモンズベッド、サータベッド、フランスベッド(これまで使っていた)、日本ベッドなどいろいろ見た。また西川の点で支えるマットレスやトゥルースリーパーなどのテレビでよく見るマットレスも頭に入れて、私なりに熟考。

とはいえ、実際に寝転んでみるとどれもこれも快適で良く分からない。あれもこれもと試すほどに、ますます分からなくなる始末だ。

都合三度ほど家具屋さんに足を運んで、ユーザーの声を見たり聞いたりして、結果、ジャジャジャジャーン!   

日本ベッドのシルキーコイルというのに決めた。

今主流のポケットコイルと言う小さなスプリングの集合体、そのスプリンがもっと小さく細かくなって倍も組み合わさって出来ているマットレス。

繊細に体を包むように凹んで良い感じ・・・だと思う。

最後まで迷ったのはマットレスの固さだが、「柔らかいベッドは腰に悪い、は迷信だ!」という話をいくつも聞いた。

なのでこれまでのが固すぎて肩こりがひどいのかもしれない、と思うようになっていた。(単純です!)

それで、迷いに迷って家人は普通タイプ、私は柔らかめタイプというマットレスを選択した。

そのベッドが今日届く。

もう決めてしまったのだから仕方がない。万が一合わなかったら、こっちの身体を合わせるしかない。

そして、残りの人生の最良の友として、何としても仲良く暮らしていかなくてはならないのだ。

楽しみだが、少し心配・・・。

28年間もお世話になったベッドには、念入りにお礼を述べた。

10月中旬の会津は天候が安定、晴れの日がベースで時々雲がかかる程度。放射冷却で朝晩の冷え込みもきつくなり、紅葉が一気に山を下りて来ています。

2016年10月23日 (日)

グキッ!からの酒場放浪記、からの・・・。

会津磐梯カントリークラブ13番ホールPar5、前の組は非常に遅い。ずっと詰まり詰まりだ。

グリーンに乗ってからホールアウトするまでがやたら長い。パター、長過ぎ。それもみんなスリーパット以上みたいで下手過ぎ。

やはりゴルフはプレイファースト!(早くプレイする)が一番大切なマナーだ。

待って待ってで、ティーグラウンドの回りをブラブラしてたら、凹みに左足がはまってグキッ!となった。

やばい!と思ったがそれほどひどく体重がかかったわけでもなく、ちょっと痛みが走ったものの、ひどい事にはならなそうで一安心。

「あぶねぇ、あぶねぇ、危うくねん挫しそうになった」と言って、足首をぐるぐると回すと同級生のOくん、「おまえみたいなデブの全体重かかったら一発だべなぁ・・・」と言う。

デブとは聞き捨てならないが、体脂肪率が12%ぐらいしかなくて、全く腹も出ていないOくんからすればデブなのかもしれない・・・。

4人集まらずに3人で回った秋晴れの磐梯。素晴らしい天気で気持ちが良い。スコアは相変わらずだったが、運にも恵まれピーナッツを沢山いただいた。

前の晩にいただいた茹でピーナッツが良かったのかも知れない。

楽しかった!

風呂で温まって痛みが出るのも嫌なので、そのまま風呂に入らずに帰る事にした。

気持ちのいい土曜の夕方、一休みして久しぶりの「酒場放浪記」で、家人と街にぶらっと出かける事にする。

特に痛みも出ていないので歩いて街中へ。およそ40分、以前から気になっていた居酒屋「大統領」と言う店に行ってみる事にした。

こじんまりしているが、清潔感もあってなかなかいいお店。カウンターの端に陣取る。(なぜかこの席だけ禁煙)

歩いてきたためか足がジーンと温かい。

名物だという豚のほほ肉(名前忘れた)、クエの刺身、白子ポン酢、たらのチャンジャ、ニンニクたっぷり餃子、タコ唐、明太子チーズ玉子焼き、おしんこ、とまったく脈絡のない居酒屋オーダー。

生ビールはサッポロ、日本酒は話題どころをズラリと揃えている。

どの料理もなかなか美味しい。特に魚は気を使っているようで新鮮だ。

ただし、ご予約で入ってきた若いお父さんお母さんたちのグループのあまりのうるささには参った。楽しそうで、別に良いのだが、こじんまりしたお店の中であそこまで大声を張り上げる事はないだろうと思う。

ボリュームボタンがあれば絞りたいところ、隣にいる家人の声が聞こえない。

ひと通りいただき、早早にお勘定にした。安い!

店を出かかると、マスターが追いかけてきて声をかけてくれた。「どうも、東山の時に一度来ていただいて、今回で二度目です!」という。

「あっ、そうか!確か新瀧の向かいにあったあの店ね」みんなで二次会に繰り出して大騒ぎした事があった・・・「大統領」、そういえばそんな名前だったような気もする。

「なんだそうなんだ。いやー、美味しかったよ。良い店だ、また来るよ。」と礼を述べてタクシーに乗り込んだ。

家人は「その顔は忘れないんだねぇ~」と改めて感心した様子。

良い心持ちで帰宅。早速、風呂に入り足首を揉んだ。

湯上りに治療、念のために炎症を鎮めるテープをペタペタ張って靴下をはいて固定する。

一応焼酎の水割りを作ったものの、ろくに口にもせずにバタンキュー状態で寝てしまった。

で、翌朝。

トイレに行こうと立つと、左足が痛くて普通に着けない。「イテテー!」の声を飲み込みながら、ビッコになってしまっていた。

歳を取ると疲れも腫れも痛みも、みーんな遅れてやってくるんだ!そんな声がどこからか聞こえてくる。

仕方がない。これはしばらく大人しくしているしかない。

ま、内出血も見られないし大きな腫れもない。きっと二、三日で治るだろう。

それがなかなか治んねえんだわい、歳だもなぁ・・・・またまた余計な声がどこからか聞こえてくる。

加えて・・・家人がどこか笑いをこらえているようなのが、少々気にかかる。

2016年10月20日 (木)

長い付き合い

会津若松市を代表する割烹「萬花楼」、代表するというか、他に日本庭園のある割烹・料亭が無くなってしまった、と言った方が当たっているのかもしれない。

その昔は、日本庭園のきれいな料亭が軒を連ねていた。

飯盛、慶山からの清冽な水の流れに沿って、「梅屋敷」「米熊」「白龍」、「新たつた」「万松」などという古い名前も浮かぶ。

それぞれ、駐車場やテナントビルに姿を変えた。

萬花楼だけが今も池に満々と水を湛え、錦鯉が泳ぎ、流れ落ちる滝の水音が、広々とした庭の芝生に響く。

この池の前で従兄弟たちと撮った写真が古いアルバムにある。坊ちゃん刈りの半ズボン姿だからまだ入学前だ。

おじいさんかおばあさんの法事でもあったのだろう。池の鯉に餌をやって、みんなではしゃぎまわって従兄弟のH夫が調子に乗って池に落ちた。

あれから、この料亭に何度お世話になった事か。

七五三、歳祝い、父・母の葬儀の夕食使い、法事、娘の婚約などなど数えきれない。人生の節目、節目の思い出がある。

広い池を取り囲むようにある座敷、庭の趣は今も変わらない。(植物は成長しているのだろうけれど)

当院の臨床研修医第一期生は、素っ裸でこの池に飛び込み、翌年からは池にピアノ線が張られる羽目になった。

父の十三回忌、母の二十三回忌では、遠来の親戚のために芸者衆を上げて昼の宴を楽しんだ。

娘の婚約者と食事した夜は、軒にも届くほどの大雪だったっけ・・・・。

昨晩、会津若松ロータリークラブと姉妹友好クラブの米沢ロータリークラブとの合同例会が萬花楼で開かれた。

小一時間ほどのまじめな例会の後、芸者衆も入り賑やかな宴となった。

とても10月とは思えない暖かな陽気で、座敷の戸を開け放ち、庭からの風が心地よい。

宴は大いに盛り上がり、やがてお開きに・・・。三々五々、カラオケに、スナックにと夜の街へ散って行く。

開け放った庭の風があまりに気持ちが良いので、なんだか帰りそびれてしまった。

酒好きのOさんが残っていたので、「もう少し飲みましょうよ」と、庭に誘った。

座敷の椅子を庭に持ち出して、残酒をちびりちびりと飲む。

滝の水音が耳に心地よく、風が実に気持ちが良い。まったく寒くもなく、暑くもなく。

こんな夜はめったにあるものではない。たった一つ惜しいのは、月がまだ出ていなかった事、空は晴れていたが、まだ昇ってはいなかった。

後片付けに忙しく立ち働く仲居さんたちも「あらあら、そんなところで・・・」と言いながら笑って見てる。

「少し入っているから、これを飲んだら・・・」とママちゃんが、残り物の玄宰を冷蔵庫から持ってきてくれた。

帰り客で賑わう玄関先を眺めながらご相伴、秋の冷酒が実にうまい。

本当に長い付き合いだ。こんなお髭の中高年になって、こんな風にこの庭で一杯飲むとはねぇ・・・!

で、特に嫌がられるでもなく、迷惑がられるでも、呆れられるわけでもなく。なんとなく優しいみんなの笑顔に包まれての酔っ払いなのだ。

嗚呼、こんな風に穏やかに和やかに、楽しく生きて行く事がこれから先の人生にとって一番大切な事ではなかろうか・・・。

冷気を感じる事もない、10月の珍しい夜風にそんなことまで思ったりもした。

そして加えて、ここまでくればもうこの料亭は街の宝だ、これを無くしてはならないなぁ・・・とも思う。

「まさひろさん、お車が来ましたよ」「はいよ、じゃあOさん行きましょうか」「もう行くのかよ?」「まぁまぁ、これ以上いると嫌われるよ、、、」「んじゃ、お世話様」

久しぶり・・・・本当に美しい秋の夜だった。

『十六夜の渡る池あり萬花楼』

2016年10月16日 (日)

十五夜の再会

T先生は、ビックリするほどの回復ぶりだった。

この5月に芦の牧に見舞ったときは、ベットから起き上がれずに顔つきもすっかり変わられて寝ていた。話す言葉にも元気がなく、少々頓珍漢だった。

その後、退院されて自宅へ。デイサービスセンターへ通い始めて少しずつ回復されたという。

先日、その教え子たちが集まった。遠方からはるばる会津に来た人もいた。正式ではないミニ同級会。

その日の前に介護をしている息子さんに電話を入れてみた。「なんか、本当に良くなってきてあの頃が10点だとすると、息子の贔屓目かもしれませんが7、80点は行っていると思います」という。

そこで、先生を見舞う予定はなかったのだが急きょ行ける者だけで、会の前に行ってみる事になった。ちょうどその日はデイサービスで家におられるという。

当日、誰が行けるかはっきりしなかったので私が訪ねる事だけはあらかじめお伝えしていた。

そこに教え子が4人も一度に見舞いに来たので「あららー!!!」とたいそう驚かれたが、なんと一人ひとりフルネームで出席を取ったのにはこっちも驚いた。

ベッドの上に起き上がり、昔とあまり変わらぬ張った良く通る声で話される。

腰椎の圧迫骨折から動けなくなり認知が進んだ・・・そういう人でもあきらめずに立ち上がる努力をすればここまで回復するものなのだ。

もう80歳も半ば、人間の秘めた力は千差万別だ。一人ひとりに生き方、死に方がある、という事を改めて教えられた。

秋晴れの午後、30分ほどを恩師の部屋で過ごし、何度も握手をして別れた。きっと間違いなくまた会える。

市内へ戻り一休みの後、夕刻から11名が集まっての食事会となった。男女ともども、当たり前だが同い年だ。老けたとは言うまい!

卒業以来半世紀、それぞれに思いの深い人生がある。

盛り上がるような、そうでもないような、不思議な雰囲気の中であっという間に2時間が過ぎた。そのお開きの時間から結局、気がつけばまた2時間、あっという間に時は流れた。

これは飲酒のせいか?はたまた思い出を辿るが故の時間軸のズレか?

私は、ゆっくりと飲んだ。

一人だけ、嬉しさが過ぎたのか相当早いペースで飲んで帰り際に立てなくなったが、それも大事に至らず無事にタクシーに乗り込んだ。(良かった)

その会のはじまりには、一月に旅立ったSくんに黙とうをささげた。

「次はオメの番だ!」「イヤ、おめは憎まれっ子だからなかなか死なね!」など冗談も飛び交ったが、会うたびに黙とうの回数が増えるのだけは勘弁願いたいものだ。

「みんな元気でな!」と、十五夜の満月が煌々と映える中、二年後、恩師の米寿の年に再会する事を約して、手を握り合って方々に別れた。

2016年10月11日 (火)

僕もそう思います。

殿様からはスコア計算禁止令が出た。

会津磐梯カントリーは見事な秋晴れ、風もなく絶好のゴルフ日和、この日、奉賛会のメンバーで二組を組んでいたが、T氏のご母堂が亡くなられて、急きょ一組に。

T氏の代わりに私が入り、爺ことM氏、奉賛会ご指名の芸妓M嬢、そして十四代と私。最高のコンディションにもかかわらず、一同揃ってたっぷりと叩いた。

なんでも十四代とM氏は翌日ボナリカントリークラブで、静岡商工会議所のトップたちとのラウンドがあり、その練習ラウンドということだったが、果たして練習になったかどうかもあやしい。

ま、スコアはさておき、秋晴れの下、大いに楽しんだ事は間違いない。

この日、奉賛会のH会長の計らいで夜は5人での小宴が開かれた。私が近頃、馴染みの七日町の「ウノ」、会津の殿様はワイン好きなのだ。

ナパのいいワインが入ったという事で、カリフォルニアのワインでまとめた。

はじめのカキが絶品でシャブリを1本、オードブルの盛り合わせ、きのこと牛肉のソテーなど、あとは赤ワインが進んだ。

この店は初めてという人も多く「美味しい!いける!」と評判は上々だった。

『靖国に白虎隊を合祀するなどというふざけた話がある!』などと、会話の方はなかなか濃厚な話題で盛り上がった。

翌日の事を考え一次会で解散となる。皆、満足の小宴であった。

私はめったに話した事が無いOくんと少しばかり流れる事にする。

O君はまだ40代なのに今年の春に脳出血を起こした。一時は皆をびっくりさせたが、幸いに出血の場所が良く、何の後遺症もなく回復した。

しばらくは大人しくしていたが、先週は仕事でNYに。来月にはパリに行くのだと、すっかり昔のペースを取り戻している。

彼の父上とはロータリークラブが一緒、お父上の方が長い仲だ。

そのお父上の最大の悩みの種は、長男のO君がいまだ独身だという事。もう結婚はしないのではないか?という歳になっている。

そんな彼が、飲んで帰ってトイレの前でひっくり返り、父親の車で救急に運ばれたというのだから親不幸もいいところだ。

「しかし、良かったなぁ~、何の後遺症もなくて!でも、これでもう君は拒否権を失ったと思うしかないな。君にできる最大の恩返し、親孝行は結婚することだわ。万が一、どなたか奇特な人が現れたなら、君にはもう拒否権はないと肝に銘じる事だ・・・・!」

と、酔いに任せて父親になり変わりくだをまいてやった。

すると意外にもOくん、素直に塩らしく「・・・本当ですね。僕もそう思います」とのたまわった。

今度の事は本当に骨身に沁みたんだなぁ・・・と思ったらなんだか可哀想になってしまった。

「ま、心機一転だ!」と肩を叩き、もう一杯おごってあげた、そんな一日だった。

2016年10月 9日 (日)

パスク・トクガワーナ

「徳川の平和」とでも訳せばいいのだろうか?250年戦争のない平和が続いた徳川時代。

ややもすると鎖国によるがんじがらめの不自由さの中で、北朝鮮の様な独裁政治が行われたと誤解されかねない(そんな誤解をする人はあまりいないか?)

そんな徳川時代を見なおそうとの主旨で始まったという「徳川みらい学会」、これまで駿府の地・静岡で行われてきたが、先日初めて静岡を出て、ここ会津で行われた。

基調講演に学会長・芳賀徹氏(静岡県立美術館館長)、続く鼎談に徳川恒孝氏(徳川宗家十八代当主)、松平保久(会津松平家十四代当主)、磯田道史氏(歴史学者)を招いて行われた。

ご高齢のせいか少々、冗長な基調講演となったがその意は充分に伝わった。

鎖国という禁令下での対外交流をうまく進め、世界的平和外交政策をとっていた。究極の循環型社会システムが構築されており、人々は活き活きとした暮らしを楽しんでいた。長い平和により学問と芸術の華が開き、高度で洗練された文化の発展が実現していた・・・。

そんな事を様々な芸術作品を通して解説していただいた。

続く鼎談では、テレビでおなじみの磯田氏の闊達なコーディネートで、徳川家と会津松平家との関係、戊辰の歴史にまで踏み込んだ様々な話が繰り広げられた。

徳川時代が、様々な意味で魅力的だったという事は数多くの時代劇、歴史小説、映画などを見ても良く分かる。

ペリーの蒸気船が日本に夜明けを告げたなどというのは大間違い、まさに太平の世に別れを告げる汽笛を鳴らしたのだ。

ま、これ以上、俄かお勉強の浅知恵をさらしても仕方がないのでこの辺に。

続いて17時からは懇親会が行われ、静岡からの大勢のお客様との交流会が開かれ、そちらにもちょっとだけ顔を出した。

この夜は掛け持ちで、そこから中の島で会津高校同窓会の役員会へ、会議を終えて懇親会はパスし、植木屋酒店で祝儀の一升瓶を一本求めて中村屋へ。

そこではもうすでに出来上がった当院の若い衆が大勢、先の大運動会の反省会が佳境を迎えていた。

遅ればせながら生酒をあおり、普段はなかなか話せない若い衆の声や、ちょっとした恋バナまでワイワイ言いながら聞いた。

大いに盛り上がり、頂点付近で中締めを。

『人生は院長の大好きな自転車と同じ、漕ぎ続けないと倒れてしまう。誰の言葉か忘れた深いい~い話みたいな言葉の意味は、まず漕ぎ続けられるだけの健康が大切、そして漕ぎ続けられるだけの夢とか希望とか目的とか、それがなきゃダメよってこと!おまえたちみんな頑張れー、クァンパーイ!!』

その後の二次会にも招かれたが、流れる道すがら古い馴染みの居酒屋へ。

焼酎一杯、と言ったら一本入れて!と言われて素直に従い、少しヘロっとなってタクシーを呼んでもらった。

二次会で若い衆の声を聞けなかったのは残念だったが、明日は殿様(松平十四代)とのゴルフが控えている。

人け(家人が留守で)のない我が家に帰ったのは11時前ぐらいだったろうか・・・。

パスク・レンチャンノ~ミ、は四日間続く。

2016年10月 6日 (木)

人には分からない

分かるようでで分からないのが他人の痛みだ。他人でなく肉親でもなかなか分からない。

身体の痛さだけではなく、心の痛みというものもあるが、ここでは「痛いー!」方の痛み。

真っ赤に腫れていたり、血が出ていたり、見た目にも痛そうならなんとなく痛さが分かり、同情もできるのだが、外見では全く分からないのに、「痛い!痛い!」というと、精神的なもんじゃないの?などと心ない言葉が思わず口を突いて出てしまう事がある。

もう30年以上前、骨肉腫の痛みに耐えかねていた母に対して「痛い痛いと思うから痛いんだ」などひどい事を言ってしまった事は、今でも反省し後悔している。

私の娘が、ここ数年、そんな苦しみを味わってきた。

手の親指の底深くに何かがあり、寒くなると痛むらしい。変な角度でぶつけると飛び上がるほど痛くて、冬場は洋服のボタンをはめるのも難行苦行なのだそうだ。

だが、その指を見ると全く何もなくて、腫れたり色が変わったりもしていない。

まちの医院や、いくつかの病院へも行き精密検査を受けてもその原因が全く分からない。

夏場は痛くないし、押しても痛くなかったりもするので本当の痛み、辛さは本人にしか分からない。

飛び上るほどの痛みと、気のせいじゃないの?の溝は底深く、病院に行き、分からないと首をかしげられるたびに娘は心も傷付き痛んだようだ。

その謎の、奥深い痛みの正体がようやく分かった。

何人かの手の専門医、皮膚科医などを経てようやく、N大にいるこの珍しい腫瘍の専門家が診断を付けてくれて、このほど除去手術を行うことになった。

ここまで3,4年が経った。

腫瘍と言っても悪性なものではないらしいが、取り除くのは極めて難しいらしい。

1個は確実にあるがその脇に小さいのがもう一つあるかもしれない・・・でも、それは取れるかどうか分からないという。

手術して開けるのにそんな話あるかい!と突っ込みたくなるが、肉眼でも腫瘍とは分かりにくい、極めて厄介なやつなんだそうだ。

そう言われれば、よろしくお願いしますとすがるしかない。

どうしてそんな腫瘍が私の娘に?と思うが、私の母はいろんなところにがんができて、骨肉腫にまでなった。その母に似て娘は色白で体系も何となく似てる。

やっぱり、できものができやすい体質なのかもしれない。

ま、それが悪性でないだけでも喜ばなくてはならないのかもしれません・・・。

日帰りの手術だが右手の親指だ。

数日はおさんどんも、孫の世話にも困るだろうと、家人が助っ人のため会津を発った。

で、4,5日は一人になる。

すべてが無事に何事もなく過ぎる事をひたすら祈り、静かな朝の仏壇に手を合わせた。

2016年10月 4日 (火)

Tくんと呑む

男同士、差しで呑んだのはどれくらいぶりだろうか?

それも仕事や業界などの付き合いも全く関係ない。ただ酒を交わすためだけに人に会うのは本当に珍しい。(イベントの流れや二次会で、というのはあっても)

Tくんは私の小学校の1学年後輩だ。子どもの頃から顔だけは知っていた。

野球少年で運動神経抜群、端正な顔立ちでいつもどこでも女の子の人気者だった。後輩なのにこちらが憧れの目で見ていたような遠い記憶がある。

長じて、私の親友Mの兄と彼のおばさん(歳が近くずっと姉だと思っていた)が結婚したりして、遠まわしに縁が続き、顔を見ればあいさつをする程度の仲だった。

そんな彼が詩を書いているのを知ったのは、私がタウン誌の編集長をしていた頃だ。

会津の現代詩人の会に所属し、村野井幸雄(蛯原由紀夫)先生に師事している事を知った。

確か「ねぶくろ」という名の詩集が送られてきたっけ。

そこで、タウン誌の巻頭詩を、彼も含めた詩人仲間にお願いすることにした。

そんな縁で頻繁ではないものの、たまに盃を交わすこともある仲となった。

こんな事もあった。

コミュニティFMの「エフエム会津」が始まる前年、チャレンジ放送が城前の特設スタジオから1週間行われた事があった。

その一週間の番組構成、にわか放送作家を私がつとめた。

いろいろ試験的な番組を盛り込んだが、その中で、会津の詩人が自らの声で自分の詩を読む、というコーナーをやった。

今、詩人の谷川俊太郎さんがやっているようなあんな感じだ。

もちろんTくんにも参加してもらった。なかなか、面白い試みだった!という事だけは強く記憶に残っている。

Tくんは古いお茶舗さんなので、おふくろの時も、確かオヤジの時もお葬式のお返しにTくんのところのお茶を使わしてもらった。

・・・そんな縁だ。

先日、彼の師匠ともいえる村野井幸雄先生が亡くなられた。その席上、久しぶりにTくんと会った。

会ったのは久しぶりだったが、この春に彼の「胡桃」という詩集が手元に届いていた。

それで、あまり久しぶりな感じはしなかった。

弔いの間中、隣同士に座った。交わした言葉は二言三言だったが、なんとなく彼の温かさの様なものが心に残り思わず「今度、一杯やんべ」と言った。

それが実現したというわけなのである。

「吉兵衛」という蕎麦屋のカウンター、蕎麦屋と言っても繁華街のど真ん中、存分に飲んでから、お蕎麦、という落ち着いた店だ。

いつ行っても混んでいる。

蕎麦のうまさはもちろんだが、女将さんの手作りのアテと酒がまたいい。

生ビールを一杯ずつ飲んで、純米酒・末廣山廃のぬる燗にした。

やっぱり語り明かすには日本酒がいい。それも銚子とお猪口、冷酒はあまりにキューッと行きすぎる。

小学校から数えたら半世紀を優に超える長い時が流れた。

まあ、差しつ差されつ、いろいろな事を話して酔った。

酒に酔っているのか、話に酔っているのか、この雰囲気に酔っているのか・・・全部だろう。あっ!という間に時は流れた。

本来なら・・・本来という事もないが、この後、河岸を変えて流れるのが常套だろう。

だが、これ以上二人でヘロヘロになるまで呑んで、やがて何を言ってるのか分からなくもなり、翌朝二日酔いの頭を抱えるのは、誠にもったいないような気がした。

「明日早いから俺はここで帰るわ。今日は楽しかった。ありがとう!」と言って別れた。

翌翌日、一片の詩の様な葉書が届いた。

『お世話になりました。 あれから 場末の灯りを食べて 12:00に 無事帰宅しました。では又。   御礼まで T』

2016年10月 2日 (日)

老いて益々

映画「ハドソン川の奇跡」(原題は「Sully」)あのハドソン川に不時着して乗客全員が助かったという事故を描いた映画、タイトルからどうせアメリカンヒーローを称える映画だろうと、あまり観る気も起らなかったのだが、監督があのクリント・イーストウッドだと知って、俄然、観る気になった。

ダーティ・ハリーでおなじみのクリント・イーストウッド。

監督としては「許されざる者」(1992)でアカデミー賞を獲った事ぐらいは知っていたが、特に心惹かれる作品でもなかった。

むしろ「マディソン郡の橋」(1995)では、自身が主演するにはあまりにおじいちゃん過ぎるだろう、と批判的だったくらいだ。

で、特に気にもかけなかったのだが何の気なしに観た映画「ミスティック・リバー」(2003)で凄い衝撃を受けた。なんと見事な作品、これぞ映画だ!といっぺんで彼のファンになった。

以来、彼の作品は封切られるごとに見続けている。

多作なので好みの差はあるが「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)「硫黄島からの手紙」(2005)「グラン・トリノ」(2008)「インビクタス/負けざる者たち」(2009)「アメリカン・スナイパー」(2014)「ジャージー・ボーイズ」(2014)などは特に心に残る名作、秀作だ。

彼は1930年生まれだから今年83歳と高齢だ。しかし、その創作意欲は全く衰えていない。監督だけでなく制作や音楽までも手掛ける。

何かの雑誌で読んだが、父親、母親も長寿で、自分は長寿の家系だからまだまだやれる、と語っていた。確かにそうだろう。

「ハドソン川の奇跡」が封切りされたので久しぶりの買い物も兼ね、新潟へ観に行った。

いつもの万代橋のシネコン、Tジョイは椅子が大きく非常にゆったりしており、私のサイズには実に快適だ。

前日少々飲み過ぎたので、居眠りしてしまうのではなかろうか、との不安も多少あったが、そんなのは見事に吹き飛んだ。

バードストライク(鳥との衝突)で両エンジンが停止、空港へは引き返さずにハドソン川への着水を選択した機長の物語。

真冬のハドソン川に着水し乗客乗員155名、全員が助かった。だが・・・。

なんという構成力、テンポの良さ、事故だけに焦点を当て、余計なぜい肉をすべて削ぎ落とした激走の96分。お見事!

名優トム・ハンクス、アーロン・エッカートの演技も光るが、二人が番宣番組で語っていた「ダーティ・ハリーには逆らえないよ・・・」の言葉通り、監督クリントの腕が冴えわたっている。

世に名監督と呼ばれる人は多いが、いずれも年齢と共に老成し円熟味を増すというのが常だ。

晩年の黒澤明監督もそうだった。今なお盛んな山田洋二監督もそういう感じが漂う。

ところがクリント・イーストウッドだけは違う。あのスピード感、様々なテーマに挑戦し続ける野心的な映像など、微塵も年齢を感じさせない。

『どうなっての?ジイさん!』 嬉しい突っ込みを入れたくなるような出来栄えだ。

こういう人がいるんだなぁ、と思うとこの歳で「老いだ、老いだ」などと言っている自分が恥ずかしくなる。

あやからなけれないけない。

帰り道は、行きよりも15分ぐらい早く会津に着いた気がする。

少しも眠くならなかった。きっと少しアドレナリンが出てアクセルを踏み込んでいたのだろう。

ちなみにではあるが、クリント・イーストウッドは何度かの結婚をし、5人の女性との間に7人の子どもがいる・・・『英雄色を好む』も当てはまる映画界のヒーローだ。

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