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2016年8月 3日 (水)

あらかじめお掃除

旧会津藩・大窪山墓地というのをご存じだろうか?

会津藩士の共同墓地として保科正之公が創始し、寛文四年(1664)に整備されたと言われている。

どこにあるのかというと、小田山のてっぺんにある田中玄宰のお墓の裏手のV字谷一帯。

市内から見ると竜宮城の門のような山門のある善龍寺の南側の高みに青木団地と呼ばれる公営住宅が建ち並んでいる。そこから少し登ったところに入口がある。

市の史跡に指定されていて、真新しい石碑や案内板もあり、ある程度の整備も行われている。

この入口から登るとV字型の谷あいになっていて、その両側に古い墓石が約4000基も上の方までズラーッと並んでいるのが見える。

なかなか壮観、これだけの規模の藩士共同墓地が残されている例は全国でも極めて珍しいらしい。

保科公は火葬を禁じて土葬を奨励したという。なんだか時代に逆行している感じがしないでもないが、昔の火葬というのはガスバーナーがあるわけでもなし、本当に大変だったのだろう。

墓石は4000基というけれども、そこに埋められた人数はどれほどか見当もつかない。

何万、何十万という仏様が眠っているはずだ。

行ってみると、なるほどここは普通の場所とは違う!という静謐な空気が漂っている。(大体は人っ子一人いないので静かなのは当たり前だが)

うっそうとした木々に囲まれ一帯は草また草である。

木漏れ日の差し込む谷間に朝霧が流れ(線香の煙りのような)なにか平素では感じる事の出来ない凛とした、敬虔な、素直になるような、そんな気持ちが確かにする。

ちょっとした聖域、会津の隠れたパワースポットとも言える。

この墓地は、上部に行けばいくほど藩士としての位、家の格が高くなると言われる。

我が家の墓は下から四分の一程度のところにあるから、決して上級武士とは言えなかったのだろう。

七、八坪ほどのエリアにL字型に苔むした墓が並ぶ。墓石の形をとどめ、かろうじて家名や年号が読める墓石が5基ほど、倒れて苔むした石だけのものがやはり5つほどある。

我が家の菩提寺は日新町の西蓮寺、明治以降のご先祖様の墓はそこにある。その墓の脇に、ゴロリとした石がひとつ建っている。

この石が大窪山から運んだ石だという。お墓の形をした墓石を運ぶわけにもいかないので運搬可能な大きさの元・墓石をここに移したのだろう。

そういうわけで、父も母もじい様ばあ様も皆この西蓮寺のお墓にいるのでお盆の十三日には墓参りをしてお迎えに行く。

しかし、大窪山のお墓もほったらかしというわけにもいかないので十四日の朝に、家人や息子と出かけ、30分ほど草むしりや掃除をしてそこらじゅう蚊に食われて、汗だくでお参りするというのが例年の我が家のお盆なのだ。

この春、西蓮寺の先代が亡くなられ若が住職に就任された。(就任で良いの?)

で、何かの席で大窪山の墓地の話が出たところ、そういう場所がある事も全く知らないという。

それなら、ここ何十年もお経など上げてもらった事もないから一度お参りしていただけませんか?ということになったのだ。

今週末の早朝、大窪山で法事をすることになった。

で、あらかじめお掃除という事で、先週末に大汗をかいた!という事を書くのにここまでかかってしまった。

少々ねんごろに、小一時間をかけて草をむしり、堆積した落ち葉をかき集め、いかにも清掃しましたよ、という程度にまでは三人掛かりで頑張った。

水をかけ、線香を焚き「来週来ますからね」と手を合わせ帰って来た。

というわけで、今年のお盆は例年とはちょいと違う変則型になる。

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