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2016年7月 1日 (金)

途上にあらず

開発途上国という言い方があるが、どうも違う気がしてならない。

上から目線で、自国よりも遅れた国だ!と蔑む印象が否めない。

高層ビルの立ち並ぶ姿だけが「発展」というものでもあるまい。

誰もが開発された世界を目指し、GDPの低い国がすべて「途上」というものでもないような気がする。

スリランカの人々を見ていると「どこかを目指す途上」という感じは全くしない。

自分たちは好きで今のスリランカを生きている、という感じがしてならない。皆楽しそうだし、よく笑う。

確かに都市部には非常に近代的な部分と強烈な貧困のスラム街が共存している。

しかし、一歩都会を離れると、何を持って貧しさと言うのか、豊かさと言うのかよく分からない感じになる。

サンダルで歩く人、裸足の人、バイクを駆る人、牛車を操る人、皆白い歯を見せてよく笑う。

太った人はほとんど見かけない。暑そうに汗をかいている人(汗をタオルで拭うような人)は皆無、身体のメカニズムが違うのだろう。

大都市コロンボには信号機が数か所あるが、一歩街を離れれば信号機もない。

かといってクルマが無いわけではなく、道路は混み合い三輪車のバタバタはウンカのごとく走り回っている。

でも、あんまりぶつかったりしない。大渋滞の中、クラクションを鳴らしっぱなしで強烈な割り込み(数センチ単位の神業的割り込み)を見せるが、双方、あまり怒りもしない。

ぶつかりそうにされた方も結構ニコニコしているのが不思議。きっとこの混沌の中に我々には分かり得ない調和が存在しているのだろう。

国民の8割以上が仏教徒という仏教国、それだけに凶悪な犯罪はあまりない。

バスを降りると物売りの人々(ほとんどがペンダントなどの飾り物)が群がってくるが、激しいしつこさはない。

物乞いはあまりいない。寺院などにいる体の不自由な物乞いに施しを与えているのは観光客ではなく、スリランカの人々だ。

寺寺での祈りはとても熱心だ。一日をかけて家族で祈りを楽しむような姿も多く見た。祈ることそのものが安らぎの楽しいひと時なのだろう。

岩窟寺院、お釈迦さまが悟りを開いた菩提樹の子孫が伝わる古寺など、その古い歴史を重んじるものの、建物や仏像などモノに古さや歴史を求めてはいないようだ。汚れればすぐに金ぴかに塗り替えてしまう。

どの仏像も同じお顔の同じスタイル。半眼に祈る人を見降ろし、優しいほほえみを浮かべる。この像が一番!とかいうのもないようだ。同じお姿の仏像が何百体もズラリと並ぶ。

巨大な仏舎利塔は満月まつりに合わせて毎年きれいに塗り替えられている。

つい7,8年前まで内戦の続いた国だ。今も北部には渡航注意が求められており、ガイドたちも国の北部には行きたがらない。

が、我々が旅した中部までは内戦の痕は全く感じられなかった。

会津に来た多くの留学生たちが同じように口にするのは、もし内戦が無かったら国を離れる事はなかったかもしれない、という事だ。

それほどに土着性の強い民族、スリランカ人はスリランカが大好きなのだと強く感じさせられた。

『幾億の祈りを担い仏舎利は戦下』

『砲弾の下孔雀羽広げ求愛す』

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