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2016年7月24日 (日)

ポケモンGOのその先

ほとんどニュースの意味が正確には分かっていないと思うのだが、ポケモンGOというゲームが世界中で大人気なのだそうだ。

先日、朝の飯盛山ウォーキングに出かけたら、普段あんまり見かけない親子連れに会った。白虎隊がくぐり抜けてきた洞門の前を二人とも携帯を持って歩いていた。早速ポケモンを探しているのだろう。

なんでも歩かない事にはポケモンを見つけられないらしく、長年引きこもりだった人がモンスターを探しに街に出たなんてことも聞く。

いったい何が楽しくて、どこに夢中になるのか正直私には理解が出来ていない。

恐らくいま世界中の人間は二通りに分けられるのではないだろうか?

ポケモンが理解できる人間と、理解できない人間とに。

歩きスマホが危険だってことは誰でも分かっていることだ。

下を向いて人にぶつかったり、怪我したり、怪我させたり、それでも止められないほどだから問題なのだろう。

非常識な場所に入り込んだり、そこにいる人々と軋轢を起こしたり。そんな事も良くない事は分かっている。

しかし、ゲームの前では「ならぬことはならぬものです」も非力だ。

とんでもなくいろいろな問題が次々と起こって、怪我人や死人、争いまでも起こるだろう。このポケモンGOというゲームの魔力で。

訳の分からない時代になったものだ!との嘆きが巷に溢れるだろうが、私が本当に怖いと危惧するのはその先だ。

ポケモンGOが当たり前に世にはびこる。

それがひとつの社会現象などというのんきなニュースで済むのかどうかという問題だ。

価値観のあまりの落差が、それまで平和だった社会、コミュニティー、社風などにすごくイヤーな空気を作って行くのではないだろうか?という恐れ。

人と人とのチームワーク、団結、信頼というものにひびを入れていくのではないかという老婆心だ。

会社や学校でゲームをやってはいけない、とは当たり前の考え方だろう。

しかし、昼休みや休憩時間にはどうだろう?全部禁止、と簡単に言えるかどうか?

社内でポケモンを捜し歩く姿を「アホか!」と思うのは、我々の世代では当たり前。

が、「もちろんです!」と殊勝な事を言う20代や30代の頭の中で本当に当たり前なのか?は分からない。

インターネットというものが世に生まれてから、人間の倫理感や道徳、そうした心の問題が少しずつ変わってきている事は明らかだ。

会った事も見た事もない人々の思想に感化されて、海の向こうの人間が本当にテロを起こしてしまうなどという事は、ひと昔前なら考えられない。

犯罪の陰には首謀者が居て、巨悪が手下を操るのが通り相場なのだが、特段操られたわけでもなく自立してテロリストになってしまっている。

ポケモン欲しさに何事かをする、その何事かは果たしてどこまで許されるものなのだろうか?

信仰の自由です!に近い事を言われてまともに反論できるのか?社会の規律は保たれるのだろうか・・・?

会津だってもう幾万のモンスターに溢れている。

なんでも病院の郵便局、駐車場わきのお地蔵さんでなんとかアイテムが手に入り、三角屋の角にはすごいモンスターが居るらしい・・・。

配信から数日でこれだ。

訳分からないとばかりは言っていられない、やはり敵を知り備えなくてはならない。

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