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2016年7月

2016年7月27日 (水)

決定打!

ほぼ月に一度、会津高校の同窓生と麻雀卓を囲む。

今、麻雀をやる人はめっきり少なくなったが、我々の時代は大学の必修科目よりも必修だったみたいに大学の周りには雀荘がいくつもあった。

麻雀はテーブルゲームとしては世界最高のゲームと言える。複雑で波乱に富み、時を忘れさせる。『亡国の遊戯』とまで言われたのもうなずける。

月に一度、半チャン6回、ワインを飲みながらワイワイ卓を囲む。

和やかだが勝負は真剣、その時々で天運・地運・人運が筋書きのないダイナミックなドラマを展開する。楽しい。

勝負事をしていると、どんなゲームやスポーツでも、あそこが潮目!という流れの変わる瞬間がある。

絶対にある。それが分からない(感じない)人はやらない方がいい。

あの一打、あそこで振り込んだ、あそこで上がった事で流れが大きく変わって運気が動く。それは何も上がるだけではなく、敵の失策(エラー)でも起こる。

勝負事は勢いだ。せっかく勢いに乗れる時にビビったり、大胆さを失うとそれもダメなのだだ。思いがけない失策が敵を利することになる。

ゲームではないが選挙もそんなところがあるのではないだろうか。

特に近年のメディア総動員の情報戦では、ほんの数日でガラリと状況が変わるという事がよくある。

今回の東京都知事選挙、前々都知事の長老I氏が応援演説で「厚化粧の年増女に任せるわけにはいかない!」と言い放ったそうだ。

もちろんその前に政策や政治姿勢、国家感などいろいろな事を話した上で飛び出した言葉なのだろうが、強烈な一言は一人歩き、すべてのメディア上を駆け巡る。

彼はこれまで強烈な言葉を放つ事で喝さいを浴び、称賛され続けてきたにちがいない。

対立候補をこけ下ろすことでまたも喝さいを浴びた、とご本にはご満悦かもしれない。

しかし、『厚化粧の年増女』はいただけないだろう。たとえそうであっても、それを言っちゃお終いだ。

何の批判にもなっていないし単なるののしり合い『お前の母ちゃん出ベソ!』と同じだ。

それを感じなくなってしまうところに「老い」の悲しさがある。

結局のところ、女性軽視、男性本位の旧態依然とした体質を露わにしただけだ。

内心では「あの女、嫌い!」と思っていた女性たちでさえも「あんなジイ様にそんなことまで言わっちぇらんにぇがら!」と敵にまわしてしまったかもしれない。

もし、あの女性候補が勝つ事があれば、これは徹底的な潮目だ。

敗北の決定打は間違いなくあの一言だろう。

そして最大の功労者は、皮肉にもそれまで応援演説に立たなかったI氏を壇上に引きずり上げた、自民党の選対本部という事になるのかもしれない。

2016年7月24日 (日)

ポケモンGOのその先

ほとんどニュースの意味が正確には分かっていないと思うのだが、ポケモンGOというゲームが世界中で大人気なのだそうだ。

先日、朝の飯盛山ウォーキングに出かけたら、普段あんまり見かけない親子連れに会った。白虎隊がくぐり抜けてきた洞門の前を二人とも携帯を持って歩いていた。早速ポケモンを探しているのだろう。

なんでも歩かない事にはポケモンを見つけられないらしく、長年引きこもりだった人がモンスターを探しに街に出たなんてことも聞く。

いったい何が楽しくて、どこに夢中になるのか正直私には理解が出来ていない。

恐らくいま世界中の人間は二通りに分けられるのではないだろうか?

ポケモンが理解できる人間と、理解できない人間とに。

歩きスマホが危険だってことは誰でも分かっていることだ。

下を向いて人にぶつかったり、怪我したり、怪我させたり、それでも止められないほどだから問題なのだろう。

非常識な場所に入り込んだり、そこにいる人々と軋轢を起こしたり。そんな事も良くない事は分かっている。

しかし、ゲームの前では「ならぬことはならぬものです」も非力だ。

とんでもなくいろいろな問題が次々と起こって、怪我人や死人、争いまでも起こるだろう。このポケモンGOというゲームの魔力で。

訳の分からない時代になったものだ!との嘆きが巷に溢れるだろうが、私が本当に怖いと危惧するのはその先だ。

ポケモンGOが当たり前に世にはびこる。

それがひとつの社会現象などというのんきなニュースで済むのかどうかという問題だ。

価値観のあまりの落差が、それまで平和だった社会、コミュニティー、社風などにすごくイヤーな空気を作って行くのではないだろうか?という恐れ。

人と人とのチームワーク、団結、信頼というものにひびを入れていくのではないかという老婆心だ。

会社や学校でゲームをやってはいけない、とは当たり前の考え方だろう。

しかし、昼休みや休憩時間にはどうだろう?全部禁止、と簡単に言えるかどうか?

社内でポケモンを捜し歩く姿を「アホか!」と思うのは、我々の世代では当たり前。

が、「もちろんです!」と殊勝な事を言う20代や30代の頭の中で本当に当たり前なのか?は分からない。

インターネットというものが世に生まれてから、人間の倫理感や道徳、そうした心の問題が少しずつ変わってきている事は明らかだ。

会った事も見た事もない人々の思想に感化されて、海の向こうの人間が本当にテロを起こしてしまうなどという事は、ひと昔前なら考えられない。

犯罪の陰には首謀者が居て、巨悪が手下を操るのが通り相場なのだが、特段操られたわけでもなく自立してテロリストになってしまっている。

ポケモン欲しさに何事かをする、その何事かは果たしてどこまで許されるものなのだろうか?

信仰の自由です!に近い事を言われてまともに反論できるのか?社会の規律は保たれるのだろうか・・・?

会津だってもう幾万のモンスターに溢れている。

なんでも病院の郵便局、駐車場わきのお地蔵さんでなんとかアイテムが手に入り、三角屋の角にはすごいモンスターが居るらしい・・・。

配信から数日でこれだ。

訳分からないとばかりは言っていられない、やはり敵を知り備えなくてはならない。

2016年7月21日 (木)

職業の自由

マッサージを受ける事がよくある。

スリランカでもアロママッサージを2度受けた。両方とも若い男性の施術者で結構上手だった。

下呂温泉でも足のオイルマッサージをしてもらった。このオバさんもうまかった。

先日、場所は記さないが30分の足裏マッサージを頼んだ。で、やってもらおうとしたら施術者が手にビニールの薄い手袋をかけてやろうとするのである。

「え?それでやるんですか?」「このほうが手が滑らなくていいんです」「でも気持ち悪いし嫌だな」実際、手袋ではよれて非常に不快なのである。

第一、なんか汚いものでも触るようなそんな雰囲気がして、やってもらうこっちも気分が悪いじゃないですか?

「えー、じゃあ悪いけどキャンセルしてもらえるかな・・・」「そうですか・・・・」

先払いで支払いを済ませていたので「じゃあ、悪いから普通のマッサージしてもらうかな」といって、椅子から立って横になってもんでもらう事にした。

うつぶせに寝転んでタオルをかけて足腰を押すのだが、なんと驚いたことにその際も彼女は手袋を外さなかったのだ。

こっちがいやだって言っているのに、バスタオルの上から触るのに手袋を外さないってどういうこと?

かなり頭にきたが、ここで言うと泣きだしたりして揉め事状態になりそうなので、こらえた。

で、早く終われ!と思っていた30分が終わり早々に帰ろうと、隣の部屋を見ると、もっと体格もがっちりして愛想良さそうでマッサージの上手そうな施術者が普通に素手でやっているではないか。

なんなんだ!と頭にきたが二度と来るもんかとそこも堪えた。

結局、彼女はお客様の体を素手で触るのが嫌だから手袋をしていた、そういう事になる。

それはあまりにも失礼ではないかと思うのは、私だけだろうか。

世の中には職業の自由がある。

そばアレルギーの人はそば屋さんにならなくていいし、魚を触れない人は魚屋さんにならなければいい。

同じように人の体を触るのが嫌な人、人をマッサージして喜んでもらおうとも思わない人はマッサージ師にならなければいいのだ。

それだけです。

不愉快だったですね。

会津はカーッとした夏が来ない。朝晩は窓を開けっ放しでは肌寒いほどだ。

2016年7月19日 (火)

言葉

2歳1カ月のこどもがどのくらいの言葉を話すのか?自分の子育ては遠い昔のこととなり、あまりよく分からないのだが、ウチの孫は男の子にしてはすごくよく話す、とどこに行っても言われるらしい。

人見知りなのにへらへらしているのだ。

こうだね、と言うと、こうだね、とオウムのように繰り返す。

聞いていないような顔をしていながら大人の会話はちゃんと聞いている。

私が家人を「君はいつも大袈裟なんだから・・・」とか言っていると、次の日急に「バアバ、は大袈裟でしょ」とか言ったりして周りを大笑いさせる。

笑ったりすると一層調子に乗って「大袈裟」を繰り返す。その意味が分かるのはいつ頃なのだろう?

もちろん意味が分かって使っている言葉もある。色の名前や、好き嫌い、イヤ、ヤリタイ、あっち行く!

「ジイジ、イヤ!」とはよく言われるが「ジイジ、嫌い!」とは言われた事が無いので、少しは気を使うほどのニュアンスの違いも分かっているのだろうか?(そんなはずはないと思うけど・・・)

「大好きか?」と聞くと「大好き~ぃ、じゃない!」と言ってケラケラ笑う。

これも「じゃない!」と言うとなんとなくウケることを知っていて、大人をからかっている感じがする。

言葉を知ることで人間は考え、自分を少しずつ形作って行くものだ。

悪い言葉は覚えないで、良い言葉だけで考える人になればいいのにと夢物語ったりするけれど、残念ながら悪い、汚い言葉の方がすぐに覚える。

だからこどもの前で話す時には気をつけなくてはいけない。

何かの本にあったが『人間は愛し合う事よりも憎しみ合う事の方がずっと得意だ。だから世の中には戦争や争い事が絶えないのだ』なんとなく分かる。

手に出来ないからこその『ラブ&ピース!』なのだろうか?

群衆に突っ込むトラック、逃げ惑う人々を掃射する銃、人間の争いは戦いは、次第に歯止めの効かない方向に向かって進んでいる気がしてならない。

こどもたちの未来はどうなってしまうんだろう?と真面目に考えるとなんとなく気が沈む。

それでもやっぱり会津のジイジは「ラブ&ピース!」と言って、遊んで、かまって、抱きしめることしか出来ない。

美しい言葉が君の人生に満ちる事を祈って!

2016年7月17日 (日)

シギリアロック

スリランカの旅。

スリランカ観光の最大のハイライトと言えば「シギリアロック」ではないだろうか?どの観光パンフレットにも必ず取り上げられる巨大な岩峰宮殿の跡だ。

緑の森の中にいきなり赤茶けた姿を現す巨大な石の山。ものすごく大きな豚の角煮みたいな形で頂上部分が平らになっている。

5世紀、この岩峰の上に宮殿を築き住んだ王様が居た。父親を殺して王位を奪ったカッサパ1世、狂気の王と言われる。

その罪悪感と迫りくる敵から身を守るために岩山の上に宮殿を築き、誰も攻められない様に天空の城でおびえていた。

四方を見渡す見張りたち、足元の池には人食いワニを放ち、徹底的に敵を恐れた。だがわずか7年で命を奪われてしまう。

その岩峰の上に今は宮殿はないが、城跡の石積みははっきりと残されている。

そのシギリアロックに登るには2千段以上の階段を登らなければならない。

イメージとしては飯盛山に12,3回登るような感じか?

スリランカ4日目、大分体にカレー臭も沁み込んだ会津組5名が前夜の酒を少しだけ控え挑戦した。

出来るだけ朝早くと、9時前には登り始めた。この日は天気も味方してくれた。カンカン照りの快晴ではなく薄曇り、気温の急上昇も少なく、視界は遠くまできいた。

グループ全体でで14名ほどだったろうか?

登り始めるとスリランカのガイドたちが付きまとう。ライオンの入り口からの登りの階段で体を後ろから押してくれるのだ。

ここで「ノー!」とはっきり断らないとどこまでも付いてくる。私は「ノー!」ときっぱりと断った。

しかし、ここで彼らは品定めをしているのだという事が後で分かる。

ちょっと押すとその人の体重も大体分かる。それに加え、年齢、体型、顔色などを見定め、これは、という人にしっかり着いて行くのだ。

このシステムは一見乱暴なようだが非常に合理的、彼らが目を付けた人は十中八九、バテてその内、青息吐息となる。

その時に後ろから押し上げ、前から引き上げして、助けてくれるのだ。

もうこうなっては意地も見栄も体裁もない。助けてくれるその手に有難くその身を任せ、それでもなおヒー、ハーと汗まみれになる。

数名がこのガイドたちのお世話になったようだ。

お世話になってしまっては御礼もはずまないわけにはいかない。まさに持ちつ持たれつとはこのことだ。

確かに汗まみれにはなったが、早朝の飯盛山ウォーキングで少し鍛えていたせいか、私はガイドは不要だった。

頂上間近の8合目広場、ここでKさん1名が脱落。とはいってもヘタバッタわけではない。前夜、おバカだから睡眠導入剤を3個も飲んでしまい(酒のせい)、眠くて眠くてフラフラになってしまったのだ。

涼やかな風が抜ける広場で彼はしばし夢の中。

最後の急登を登りきると、頂上の宮殿跡に着く。雨水をためる大きなプールの跡、それを見降ろすように玉座の跡がある。

優雅だが孤独極まりないこの宮殿で、女たちをはべらせ酒と美食に溺れながら、かの王様は何を幸せとしたのだろう?

ジャングルを渡る風は乾いてはいないものの涼やかだ。どこまでも続くジャングル、所々に真っ赤な赤土の道が見える。

溢れ落ちた汗がすうーっと勢いを失って行く。

『雲湧きて360度の孤独かな』

行きはこわいが、帰りもこわい。

膝の労をねぎらいながらゆっくりゆっくりと下りた。

2016年7月11日 (月)

かなりのロングドライブ

朝8時、会津若松ICから磐越道を走り新潟中央ICの手前のパーキングに停車。カーナビに名古屋の中心部・栄にあるホテルの電話番号を入れる。

すると斜め下の方に向かって中央道を通り、長野、松本から名古屋に向かう道筋が示される。およそ7時間、夕方の4時頃には着くという。

「ああ、そうですか」と素直に従うしかない。

北陸道を通って富山の方からずっと南下していくのかな?と思っていたが、どうやら日本列島の真ん中を行くらしい。

特に異議はないのだがなんとなく、そうなんだ・・・・という感じ。

とはいえさっぱり道は分からないわけだから、ナビさんの言うとおりに行くしかない。

娘夫婦の住んでいる名古屋へ。夏休みを少しとって孫の顔を見にロングドライブを決め込んだ。

スバルのアウトバックに乗り換えて一番の遠出。ま、7,8時間ならなんとか行けるだろうとの挑戦、と言うほど大げさなもんでもないが晴天の中を飛ばしてみた。

長野、松本方面を抜けて中央道を走り東名に入り名古屋へと向かう。景色は良好。途中お昼を食べた梓川SAでは36℃もあった。

ま、とにかく言われるがまま。あっちへ合流、そっちの工事に気をつけろ、ほらそこで左だと、ナビさんに言われるまま頑張って走り(途中家人が1時間ほど運転)名古屋のど真ん中のホテルに無事到着。

ナビがなきゃ、とても来る事は出来ない。

昔は道路地図と首っ引きで走ってたんだからすごい、都会の道路はとても田舎者には走る事の出来ない迷路だったに違いない。(東京のタクシーの運転手さんもよくナビを使っているもんな)

ホテル隣のタワーパーキングにクルマを入れてチェックイン、早速ビールで無事到着の祝杯をあげた。

ここからは地下鉄で娘のアパートに行ってみる。家人は何度か来ているが、私は初めて。

すぐそばの「バロー」でというスパーで飲み物やアイスなどを仕入れていると、娘が孫を連れて道向こうを歩いてきた。私が手を振ると、孫は私を見つけ・・・固まった。

なかなか間取りの良い部屋、ま、我々の若かりし頃の住まいを考えれば実に豪華なものだ。

部屋で過ごす内にようやく記憶の回路が繋がったのか孫が笑い出し、ぐるぐる回り出した。

最近はぐるぐる回りが得意らしい。

ひとしきり遊び、ひと息ついて栄へと戻る。

せっかくの名古屋、うまいものを食べようと盛り場をブラブラ、こういう盛り場でここぞ!という店を見つけるのが楽しい。

が、あんまりピンと来る店構えが見当たらない。

そこで酒のスパーの前にいた(というか電球交換で忙しそうにしていた)店員さんに「この辺で評判のいい鮨屋はあるかね?」と聞いてみる。

するとすぐそばの「吉野」という店を教えてくれた。

暖簾が無い店でなかなか開けにくいドアだったが思いきってのぞいてみる。

中は木造りの落ち着いた造りだ。「予約なしですが大丈夫ですか?」「・・・・・・・おひとり様ですか?」「いえ、二人で」「…どうぞ」

躊躇感はハンパ無かったが、カウンターの端の椅子を進めてくれた。「今日は予約でいっぱいで!」と一言のもとに、断られなくて良かった。

当たりでした!肴も酒も良好、三重の魚が多かった。特に三重のウニというのはなかなか絶品だった。裏返して箱に入れてあるので見た目は悪いが北のウニとはまた一味違った濃厚さがあった。

大将も口数は少ないが歓迎してくれているのが良く分かる。旅先でこういう旨い店に当たると嬉しい。最後には大将と写真まで撮ってしまった。

ちなみに翌日の晩は名古屋コーチンの「一鳳」、次の昼に「なまずや」という日本料理屋で櫃まぶしを食べた。

曇り空で一転涼しくなった翌日は、夏休み前ですごくすいていた明治村でSLに乗ったりチンチン電車に乗ったりしてのんびり遊び、犬山城を車窓見学。

土曜にはパパも休みを取ってみんなで下呂温泉へと行った。

当初はそこで別れるわけだったが計画変更、名古屋の猛暑から逃れて一週間ほど、孫が一緒に会津に来る事になった。

突然決めたわけではなく、2週間前にパパからのお許しが出たとのことで荷物はしっかり積んできている。

当然ながら帰りの車に同乗だ。

下呂温泉からカーナビに自宅を入れると、41号線から高速に乗り、富山へ抜けて北陸道を通るルートが示される。最初に想定した道だ。

およそ8時間、頑張って走りました。この日もまた晴天、今度は海を見ながらのドライブとなる。

やはり途中100キロぐらいは家人が運転を交代してくれ、夕方の5時前には涼しい会津に到着したのである。

想定外と言えば孫があまり寝なかったという事かな、新しいベビーシートがどうもしっくりこなかったようだ。

とはいえ泣き叫んだりすることも無く、まずまず大人しく。所どころ不機嫌なのは眠いから仕方がない。

機嫌が戻ると「アンパンマンはヒーローしゃぁあ!」の歌を、壊れた蓄音器みたいに何度も何度も繰り返した。

というわけで全走行距離1330㎞強、なかなかのロングドライブであった。

もうしばらくは車を運転しなくていい、腰が痛い!

2016年7月 2日 (土)

早く言ってよ!

成田空港に9名の会津組、加えて中通り、浜通りのロータリアンとその家族、合わせて先発のB組20名が集まった。

ガイド役のスリランカ人C・Mさんが元気にあいさつをする。今回のスリランカ学友会の設立に大汗をかき、幾多の困難を乗り越えて実現に漕ぎ着けた功労者だ。

我々の旅の手配の一切も引き受けてくれ、添乗員役までも買って出てくれた。まったくもって頭が下がる。

加えて日本側の功労者のK先生が、ご自身の出発は三日後のA組なのにわざわざ見送りに来て下さる。

K先生はロータリークラブで米山奨学会に長く携わられてきた大先輩だ。

先生と呼ぶのは彼が泌尿器科医師だから。当院の当該科が人手不足で困っていた折に大いに助けていただいた。

お蔭で今は泌尿器科もすっかり立ち直り、ダヴィンチによる手術も東北でも有数となっている。なのでやっぱり先生だ。

先発のB組全員集合。

C・Mさんが私のところに来て「今夜コロンボに着いたら、Cくんのお母さんと、妹さんが来て一緒に食事するよ」と告げた。

「エー、それはすごい!」

「驚いたでしょ?サプライズだよ、私、驚かそうと思って言わなかったね。ちゃんと手配してますよ、そこまで・・・」と、私の顔を見てお茶目にウィンクをして見せた。

Cくんというのは、私が会津でカウンセラーをつとめたスリランカの学生、会津大学のドクターを取るために今最後の詰めの段階まで進んでいる学生だ。

昨年、お父さんを亡くした。そして今年の暮れにはスリランカでお嫁さんをもらう事になっている。

先日会って食事をし、そんなこんなの近況を話し合ったところだった。

年末の結婚式にぜひスリランカへ!と誘われたが「さすがに12月は厳しい、今回行くのでお母さんにでも会ってごあいさつ出来たらいいね」と話していたが、バタバタして今日になってしまっていた。

内心、あんまり無理を言っても・・・と思ってはいたのだが、裏でC・Mさんらとちゃんと手配をしていたんだ。

「エー、それはすごい!」と一応喜んだわけだが、その「エー」にはもう一つ意味が含まれていた。どうせサプライズなら、昨日言って欲しかったなぁ、の「エー」だ。

だって、昨日分かっていればちゃんと会津のお土産も準備できた。

万一何かの時に備えて日本手拭など、ちょっとしたものはカバンに忍ばせてきたが、それじゃぁね・・・。

急きょ、成田空港の日本土産店で祝いの図柄の漆の飾盆、飾り物にも出来る華やかな絹の風呂敷を求めた。

漆のお盆は当然会津塗ではなく、風呂敷の華やかな図柄は京都の祇園祭だ。

会津でメンバーにお願いして求めればもっと高価なものが格安で揃えられたはず・・・。

でもC・Mさんを責めるわけにはいかない。無邪気なサプライズで気持ち良くしてるし、ここまでのご苦労はきっと大変だったろう。

Cくんの家族はコロンボからクルマで1時間ほどの街に住み、お母さんは教師を退職されたが、妹さん夫婦はお二人とも教師、今日は平日だし会いに来るのも容易ではないはず。

コロンボ到着。シナモン・レイクサイド・ホテル、5星。

バイキングディナーの席でCくん家族と初めてお会いすることが出来た。

本当に優しそうなお母さん、そのはにかんだような頬笑みは日本人のような感じがした。

妹さんはCくんとよく似ている。はっきりした目鼻立ちのダンス(スリランカ舞踊)の先生だ。その旦那さんは細身でなかなかのハンサム、スリランカ人の中では肌の色が薄く、黒いヒゲがよく似合っていた。彼は音楽の先生だそうだ。

昨年、お父さんが亡くなった事のお悔やみを述べ、また今年の暮れの結婚式にはとても来られないことを詫びた。

その分、結婚後にCくんの奥さんが会津に来たらしっかり面倒みるから安心して!とも言いお土産を手渡した。

早速、目の前で開けて、その華やかさに大いに喜んでくれた。でも、私の心の中では「もう少し早く言ってよ!」の言葉がついつい・・・・少々、残念。

とはいえ、いろいろな事を話し楽しい時間はあっという間に過ぎた。

スリランカ初日の夜の出来事でした。

2016年7月 1日 (金)

途上にあらず

開発途上国という言い方があるが、どうも違う気がしてならない。

上から目線で、自国よりも遅れた国だ!と蔑む印象が否めない。

高層ビルの立ち並ぶ姿だけが「発展」というものでもあるまい。

誰もが開発された世界を目指し、GDPの低い国がすべて「途上」というものでもないような気がする。

スリランカの人々を見ていると「どこかを目指す途上」という感じは全くしない。

自分たちは好きで今のスリランカを生きている、という感じがしてならない。皆楽しそうだし、よく笑う。

確かに都市部には非常に近代的な部分と強烈な貧困のスラム街が共存している。

しかし、一歩都会を離れると、何を持って貧しさと言うのか、豊かさと言うのかよく分からない感じになる。

サンダルで歩く人、裸足の人、バイクを駆る人、牛車を操る人、皆白い歯を見せてよく笑う。

太った人はほとんど見かけない。暑そうに汗をかいている人(汗をタオルで拭うような人)は皆無、身体のメカニズムが違うのだろう。

大都市コロンボには信号機が数か所あるが、一歩街を離れれば信号機もない。

かといってクルマが無いわけではなく、道路は混み合い三輪車のバタバタはウンカのごとく走り回っている。

でも、あんまりぶつかったりしない。大渋滞の中、クラクションを鳴らしっぱなしで強烈な割り込み(数センチ単位の神業的割り込み)を見せるが、双方、あまり怒りもしない。

ぶつかりそうにされた方も結構ニコニコしているのが不思議。きっとこの混沌の中に我々には分かり得ない調和が存在しているのだろう。

国民の8割以上が仏教徒という仏教国、それだけに凶悪な犯罪はあまりない。

バスを降りると物売りの人々(ほとんどがペンダントなどの飾り物)が群がってくるが、激しいしつこさはない。

物乞いはあまりいない。寺院などにいる体の不自由な物乞いに施しを与えているのは観光客ではなく、スリランカの人々だ。

寺寺での祈りはとても熱心だ。一日をかけて家族で祈りを楽しむような姿も多く見た。祈ることそのものが安らぎの楽しいひと時なのだろう。

岩窟寺院、お釈迦さまが悟りを開いた菩提樹の子孫が伝わる古寺など、その古い歴史を重んじるものの、建物や仏像などモノに古さや歴史を求めてはいないようだ。汚れればすぐに金ぴかに塗り替えてしまう。

どの仏像も同じお顔の同じスタイル。半眼に祈る人を見降ろし、優しいほほえみを浮かべる。この像が一番!とかいうのもないようだ。同じお姿の仏像が何百体もズラリと並ぶ。

巨大な仏舎利塔は満月まつりに合わせて毎年きれいに塗り替えられている。

つい7,8年前まで内戦の続いた国だ。今も北部には渡航注意が求められており、ガイドたちも国の北部には行きたがらない。

が、我々が旅した中部までは内戦の痕は全く感じられなかった。

会津に来た多くの留学生たちが同じように口にするのは、もし内戦が無かったら国を離れる事はなかったかもしれない、という事だ。

それほどに土着性の強い民族、スリランカ人はスリランカが大好きなのだと強く感じさせられた。

『幾億の祈りを担い仏舎利は戦下』

『砲弾の下孔雀羽広げ求愛す』

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