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2016年5月

2016年5月29日 (日)

奇跡の出会い

郡山で葉加瀬太郎さんのコンサートを観た。(聞いたか?)

東邦銀行の創立75周年特別感謝企画という事で、端だったが10列目と割と良い席のチケットが手に入った。

会議を終えて5時前に会津から郡山へ。市内が夕方のラッシュで少し混んでいてギリギリの入場となった。

葉加瀬太郎さんのコンサートは初めてだったが実に素晴らしかった。

彼のコンサートはドラムスやギターの入るエレクトリックな構成もあるらしいが、今回は弦楽にピアノというクラシカルな構成。初めて聞いたのがこれで良かった、と思う。

ヴァイオリン2、ビオラ、チェロ、ベース、ピアノ、そして葉加瀬太郎というのシンプルな舞台のしつらえに、前日の深酒も手伝い「眠たくなるかもなぁ・・・」と家人に言っていたが、とてもそれどころの話ではなかった。

名刺代わりの「エトピリカ」に始まり、(休憩をはさんだが)アンコールの「ひまわり」まで見事なヴァイオリンに魅了され続けた。

まさに音楽家、演奏家、作曲家どの面も超一流だ。

興奮のあまり戻っていろいろと調べてみた。

葉加瀬太郎は大阪市吹田市に生まれたらしい。

特に裕福な家庭の子息という事はなく、父親はソムリエ、母親は美容師という家庭に育ち団地暮らしだったという。

そんな彼が4歳の時に公民館で開かれたヴァイオリンに親しもう、みたいなイベントで初めてヴァイオリンと出会い、強力な磁石に引き付けられたようにヴァイオリンに一気にのめり込む。

まさに奇跡の出会いとしか言いようがない。

めきめきと頭角を現し、コンクールを勝ち抜いていく。しかし、クラシック音楽の世界で活躍する神童を経済的に支えるのは並大抵のことではなかったらしい。

もちろん、本人の努力も並大抵のものではない。小学校の時から体育の授業もほとんど受けなかったらしいし、遠足も行かなかったという。

団地なので9時までしか楽器が弾けないので毎晩9時まではご飯も食べずに弾き続けたのだそうだ。

こういうのを一般的に「努力」というのだろうけれども、単なる根気や根性だけでは限界がある。苦しいだけではとても続かないし乗り越えられないだろう・・・。

周囲から見れば血のにじむような努力だが、彼自身は音楽の神様と遊んでいたのかもしれない。

やがて東京芸術大学のヴァイオリン科に入り、学生時代に「クライズラー&カンパニー」を結成しデビュー、クラシックとポップスの壁を乗り越えた新しい音楽が世に衝撃を与えた。

グループ解散後もセリーヌ・ディオンのワールドツアーに参加するなど目覚ましい活躍を見せて、世界でも最も成功したヴァイオリニストの一人に登り詰めていくことになる。

魂を揺さぶられるような美しい音色、そして時に凄まじいまでの迫力、まさにヴァイオリンを弾くために生まれてきたのは間違いない。

人にはそれぞれに使命や役割、能力があるはずだが、果たしてどれくらいの人が彼のように巡り会えるのだろうか?

自分はこれをするために生まれてきた!と胸を張って言える人は間違いなく幸福だ。

そしてそれを突き詰めた人は、文句なく一人の人間としてかっこいい。

「アフロヘアーのデブだろう」ぐらいに思っていた不明を恥じつつ(ごめんなさい)、興奮して夜の高速をぶっ飛ばして帰ってきた。

2016年5月28日 (土)

両立を目指そう。

先週は検診もあり3日間酒を抜いた。

月・火と晩酌を止めて、水曜日に血液検査をした。その晩、会合があり「二日間酒を抜いても全然平気だ!」と言いう勢いで少々飲み過ぎた。

木曜日に観劇があり、そのままお酒を飲まなかった、というよりも二日酔い気味で飲む気がしなかった。

で、7日中、3日飲まずにいたという、ただそれだけだ。

2日続けて飲まないと、かなり飲みたくなるのかぁ・・・と思ったがそんなこともなかった。

酒を飲まない方が眠りの質は良いのが実感できる。酒を飲むとあっという間に時間が過ぎるが、結構飲んでいる時間は長い。

これから先、残された人生が10年か、20年か分からない(30年はないと思う)が、酒を飲み続ける人生と酒を飲まない人生、残された時間を有効に使えるのは圧倒的に飲まない方だろう。

ただ、どちらが楽しいか?と考えると迷う。

答えは簡単で、有りか無しかの二択ではないということ。

時に酒を飲んで楽しみ、時に酒の無い人生を楽しむ。のべつ幕なし、惰性のように日々酒でエンドマークを打ち続けるような人生は、残された時間を考えるとかなりもったいないという事だ。

外では飲むが、家ではお酒を飲まない。そういう友人がいて、これは簡単なようだが、とても出来ない。

だって家でぐだぐだと、家人の料理を楽しみながら飲むひと時をなくしてしまったのでは人生あまりに味気ない。

曜日によって飲む日を決める、その日に飲む会合が当たったら別日を割り当て、1週間に3日から4日は飲まない日を作る。これならなんとかできそうだが、やろう!という踏ん切りをつけるのが難しい。

思えば何年も前からこんなこと何度も言っているのだ。

早く実行に移せば、もっともっといろいろなことが出来たかもしれないが、過ぎた分の時はすでに遅し。

「嗚呼、酒は良いなぁ~!」と朗らかに酔い、酒で死ぬなら本望だ!と語っていた酒飲みの叔父も、さすがに晩年は酒に手が伸びなくなった。

飲める内が花!ともいえるが、のべつ幕なしは良いことではないとさすがに思う今日この頃。

楽しい酒、楽しい休肝日、その両立を目指すべき時期に来ていることは確かなようだ。

会津は好天続き、初夏を通り越して真夏日も顔を見せている。

2016年5月23日 (月)

映画じゃないか!

快晴の中、会津から新潟へ。特に目的があるわけではないがブラブラと出かけた。

会津盆地のそこここで田植えが行われている。田んぼのまわりに人がいるのが目立つ。植え終えた田んぼには人けがない。

山の緑が目に沁みるほどだ。やはり今年は季節が早い。

雪が降らずに季節が早く進み、果樹の萌芽も進んでそこに四月の遅霜と雪、知らずにいたが会津身不知柿がその遅霜で甚大な被害を受けたそうだ。

ひょっとすると今年はみんなに、会津の秋の便りが送れなくなるかもしれない。

新潟平野に出ると田植えはすでに終わっている。新潟市内に近づくほどに苗も少し伸びているようも感じる。

いつものように万代シティにクルマを入れて、シネコンで映画を確かめる。

今の時間から観られるのは・・・「殿、利息でござる」と「64(ロクヨン)」いずれも話題の日本映画だ。

どうしようかなぁ・・・と迷ったが、家人がどちらでもいいよ、と言うのでなんとなく「64」にした。

ま、今さら言っても仕方がないが後でネットのユーザーレビューを見ると、「殿、利息でござる」の方が断然高評価であった。

とは言っても、つまらない!というわけではなかったが暗かった。そして難しかった。

私は横山秀夫氏の原作を読んでいたが、読んでいない家人には、警察内の刑事部と広報、さらに県警記者クラブとの攻防などは分かりにくかったに違いない。

出演陣は豪華だ。佐藤浩市さん以下、いま日本の売れているスターがズラリと顔を揃えている。

一人だけ突出した違和感が赤井秀和さんだった。どうしたんだろう?活舌は悪いし、周りとの浮き方が半端ではなかった。病気でもされたのだろうか?

他の俳優陣はなかなかの芸達者ばかりだ。しかし、その役作りにはかなりの不満が残った。

どの俳優さんも、どの俳優さんもテレビドラマの役からそのまま出てきたみたいだ。ヘアスタイルもテレビで見かけるまんまだし、皆、洋服の青山のスーツを着ているみたいで、衣装や小道具、ヘアやメイクなど、全く映画に出ているような役作りがされてはいなかった。

やっぱり、テレビと映画は違うでしょう。

先日、奇しくも日本映画を変えたともいわれる「仁義なき戦い」が出来るまでのアナザーストーリーをBSでやっていた。

「悪くないけど微妙に違うんだよなぁ・・・」と言って一切妥協を許さなかった深作欣二監督の厳しい目。

衣装係はやくざ、チンピラの一人に至るまで細心の注意を払い、衣装でその役を表現しようと苦悩した様が写された。

それを見た後だっただけに、なんだか「64」の役作りの小道具ががすごく手抜きに見えた。

佐藤浩市さん、綾野剛さん、瑛太さんなどの名優もテレビから出てきたまんまで、なんかTVドラマ撮影の合間にちょっと抜け出てきて撮っているみたいで、とても入り込めなかった。(みんな芝居はうまいけどあんな髪・格好の警察官居る?って思わせちゃだめでしょう)

映画なんだから、もう少しお金かけてちゃんとそれらしい役になるように気を使ってはくれまいか。

背広のシルエットとか、ズボンの細さ、スカートの長さ一つにしてもこの人ならこんな感じ、というリアリティがあろうというものだ。

ヘアスタイルや衣装でその人となりもある程度は分かろうというものだ。

あんなヘアスタイルをしてあんなセリフ吐く様な奴に見えないよ、ってのがあるでしょう。

役者が全員芸名そのままで、役名になっていない。ま、そんな映画でした。

たった一人椎名桔平さんがすごく良かった。一度も笑みを消さずに、キャリア組のいやらしさを見事に演じた。

今回観たのは前編で、6月11日に後篇が公開されるという。

文句ばっかり言っても、やはり観ないわけにはいかないのだろうなぁ。

2016年5月20日 (金)

最大の功績

次から次から、まさに芋づるだ。

こどもの頃遊んでいて引っこ抜いた子芋のつるを思い出す。どこまでも続いていて次から次から、パチンコ玉ぐらいの芋が土から顔を出す。

引っこ抜かなければそんなことにはならないが、一度引っこ抜いたらどこまでもだ。

首都のトップの素性、一度引っこ抜いてしまったならこんな風になることはおそらく、長い付き合いの人は皆、薄々感づいていたに違いない。

人の性根がそんなに変わるはずもない。ましてやケチはどこまで行ってもケチだ。

それなのにどうしてああいう人が、様々な関門をくぐりぬけてトップにまで上り詰めてしまうのか?そっちの方が不思議でならない。

金銭感覚の違いはまさに千差万別で、理解できそうでなかなか難しい。

どんなにお金を手にしても、ぜったにお金を出したくない人はいる。(見たこともある)

そういう人は出さずに済むことならなんでもする。

黒いところまではしないにしてもグレーゾーンならなんだってする。

だって、グレーであってクロじゃないんだから悪いことではないし、グレーで出さずに済むのに金を出すバカがいるか!とうそぶく。

どんな立場になってもケチの性根は変わらない。(変えられない)

表ざたにならなけらばお金を出さなくて良いのだから・・・やっぱり出さない、絶対出したくないよー!

エラくなるとむしろひどくなると言えるかもしれない。グレーゾーンの範囲がどんどん拡大して行き、いろんな捉え方、解釈の仕方ができるようになるからだ。

「でも立場が立場なんだから、いくらなんでもパンツやシャツぐらい自分で買えば?」と言ってみても、ケチな人にとっては出さなくてすむものを出す人の心の方が分からないのだ。

金を出さずに済むなら見栄や体裁も、恥ずかしいも関係ないべした?と、当たり前のように考えるからこそケチであり、吝嗇家なのだ。

どんどん周りが見えなくなくなっていく。権力は多くのものを手に入れることができるのだから・・・。

周りが見えなくなってやり過ぎに拍車がかかる。そして、やがて足元をすくわれる。

あの金曜日の記者会見、もはや「醜い」としか言いようがないが、案外、「大したもんだ。気持ちは分かる!」という人もいたりするのが世の中だ。

別な話だが、昔からあの人の顔がとても嫌いだったけれど、改めて『顔の悪い人というのはやっぱり悪い人である』という自論にも自信を深めた。

東京都でリコールを行うには140万人ぐらいの署名があれば出来るらしい。

このネット社会、ネットを駆使すればそんな数の署名はすぐに集まるような気もするのだけれど、どうなのだろう。

世界に冠たる大都市の首長がリコールで失脚させられる。

ネット社会における住民参加の容易性、民主主義の怖さを世に示せば、政治家の襟を正すことにつながる。

もしそんなリコールが実現したら、それが彼の最大の功績になるかもしれない。

今週の会津は好天続き、さわやかな五月の風が吹きわたっています。

田んぼに一斉に水が入り、朝晩は少しの間ストーブを付けるくらいひんやりとします。

2016年5月17日 (火)

戊辰戦争150周年

なんでも戊辰戦争以来、再来年で150周年になるのだとか。

日本の国の形を変えた明治維新を成し遂げるため、会津が徹底的に敗れたあの戊辰戦争だ。

薩長土肥の西軍連合はすでに、この機を活かそうと様々なイベントを企画し、地域を大いに盛り上げようと動き出しており、鼻息も荒いようだ。(ただし、この前の地震が少し出鼻をくじく形になっているようだけれども)

敗れた側の会津も何かしなければと、ようやく動き出すと聞く。

戊辰戦争の記念に会津が一体何をするのか?これは難しいところだ。

百五十年も前に起こった国内戦、勝者側では日本の夜明けをもたらした輝かしいメモリアルとして華やかなイベント、英雄回顧、自画自賛など、いろいろと考えられるだろうけれども、負けた方は、そうそうはしゃぐわけにもいかないだろう。

百五十年を記念した大法要などは、なんとなく眠りに付こうとしている歴史を呼び起こすようであまり感心しない。第一、イメージが暗い。

戊辰戦争の本当の意味を考えるシンポジウムなど豪華ゲストで考えがちだが、もう少々飽き飽きだし、年寄りばかりの寄り合いのようで面白いとは思えない。

いっそのこと、百五十年を記念して再度戦うのは面白いかも。

囲碁・将棋・麻雀・ゴルフ、これじゃあまりにも俗っぽいか?

剣道・柔道・マラソン・トライアスロン、肉弾戦。

そうだ!いっそのこと知力・体力・気力が必要なゲーム&スポーツを組み合わせて十種競技など(十二や二十でも構わない)で争うのも受けるかも。

地元の食材を使ったグルメ合戦「料理の鉄人」!やっぱ食材が乏しいから会津は不利かな?

先日、面白い記事を見た。サイクルスポーツを楽しむ人々にとって日本で一番憧れの地が会津なのだそうだ。

これは地理的に魅力があるからだろう。

会津に入るには四方八方どこから来ても峠を越えなければならない。この地政学的要素が会津の歴史を作ってきたと言っていい。

その峠を、ハァハァ喘ぎながら登ったり降りたりするのが楽しいという自転車乗りの人々が全国にたくさんいるのだから驚く。(私にはとても分からない世界だが)

そうした人々が盆地の真ん中にベースキャンプを定め、どっちに向かって行っても最高のツーリングができるというのが会津であり、温泉、酒、美肴がそれに大輪の花を添えているということなのだろう。

会津の観光政策もこうした情報をいち早く仕入れ、どんどんそんな時代の流れに合わせて舵を切って行かなければならないのではないだろうか。

思えば30数年前、会津のアウトドアガイドブック(その本のタイトルが『会津に会いたい』なのです)を作った時に、会津1周200キロサイクリングというのを紹介した。

会津若松市を出て柳津、三島と奥会津を走り、只見から田島に抜け、会津若松市へと戻る1周200キロのサイクリング、雄大な峠越えをいくつも味わえて素晴らしい!と、当時の自転車愛好家たちが言っていたので実際に走ってもらった。(もちろん私は車で追いかけました)

ちょっと時代の先を行き過ぎていたのですかね。今になって会津が自転車乗りたちの最高の憧れの場所とは・・・。

ま、話があっちこっちになったが、そんな自転車を利用した150周年イベントも面白いかもしれない。

戊辰戦争百五十周年、いずれきっと素晴らしい企画を有識者と呼ばれる諸氏が考えるのでしょう・・・。

それが、ご法事のような高齢者の集まりではなく、次世代につながる、次世代が担う・・・どうせやるならそういう明るく前向きなイベントを考えていただきたい!と思っているという事を言いたかったのでした。

2016年5月12日 (木)

どこでも言ってるんですね・・・。

GW前にいろいろな所へ行くと、(いろいろな所とはなじみのお店とか、院内の様々な部署とか、知り合いのところとかだ)決まって「GWは孫ちゃん帰ってくるの?楽しみでしょう?」と、ご機嫌を伺われた。

「どうして私に孫がいることをご存じなんですか?」などとは愚問も良いところだろう。

まぁ、なんだってどこに行っても孫の自慢話をして歩いているんだ、と自分でも少々恥ずかしくなる。

もちろん誰にでもというわけではないが、かなりいろんな人に孫が来た話やスマフォの写真を見せて喜んでいるということだ。

馴染みの飲食店では少しお酒も入り孫の自慢も・・・というのは分からないこともない。

が、スナックなど俗に言うオネエチャンのいるお店でもそんなことしてるんだ、と思える節がある。

この辺りの事は(孫のことや家族の自慢話)は、人によってそれぞれに美学が異なっているようだ。

友人間でもよく話す人間、全く話さない人間とそれぞれだ。

いつも笑顔のAくんは三世代で住む大家族だ。いつも楽しくヘラヘラしているので、さぞや孫自慢などしそうなのだが、孫の自慢話は聞いたことがない。

改めて考えると不思議な感じもする。

家族の話をあまりしない人間もいる。(とくに問題を抱えているわけではないが自分からはしないということだ)本当に問題があって話さない奴も、もちろんいる。

また、問題を抱えているにもかかわらず堂々と孫の自慢話をする奴もいる。人、それぞれだ。

いずれにしても「親バカ」という言葉があるように、他人の孫の自慢話を聞いてもこっちが思うほど楽しくないに決まっている。

「まぁ可愛い!」の言葉が欲しくて、押し売りをしている「爺バカ」だと腹の中で思われているに違いない。

でも、分かっちゃいるけどなかなかやめられない・・・。

ちなみにこのGWは、会津とは反対方向の沖縄に家族で遊びに行ったそうで、残念ながら孫は来ませんでした。

2016年5月10日 (火)

まとめてみたら

福島民友新聞に3年間にわたって連載した「みんゆう随想」。結果、3年で31篇も書かせていただいたことになる。

せっかくなのでまとめてみたらという声もあった。新聞社に確認すると切り抜きのコピーををそのままに印刷してまとめても良いという返答だった。

そこで切り抜きを版下にして31篇、途中「あいづ中学生新聞」と言うのに頼まれて書いた分を追加し、まえがき、あとがきを添えて都合40ページほどのA4版の小冊子を作ることにした。

新聞の切り抜きは、読み易いように15%ほど拡大した。

編集の一切合切は「卓上出版 キノピ」さんにお願いし、タイトルは「随想」とした。部数は迷ったが400部を印刷してもらった。

経費は・・・外食の際に家人に「こういうのを作るのでよろしく」とお願いした。

GW直前に出来あがってきた。

100円ショップで封筒を大量に買い求め、普段ご無沙汰の親戚や、お世話になっている人、遠くの友人などに約百数十部を郵送、その後に開かれたいくつかの会合で親しい人々に配布したりした。

結果、思いがけない反応もあり、縁遠かった人からの手紙や電話、メールが相次いだ。

普段よく会う人々にも違った一面を知ってもらえることにもなり、私自身、その反響を結構楽しみながらここ数日を過ごしている。

かかった手間とお金の分よりもはるかに大きな「何か」が返ってきたような気がしている。

また老後の楽しみにもなるだろう。

改めて福島民友新聞社、また当時の会津支社長で、執筆を薦めてくれた菅野芳美氏には心から感謝したい。

一冊にまとまったものを読み返してみると、ここはこう書いたほうがよかったかな?というところが何箇所かでてくる。

しかし、わずか千文字足らずの随想だ。書いた当時もA案か、B案かかなり迷った上に、こっちを選択したに違いない。

それがいま読み返してやっぱり、A案だったかなぁ、と言っているようなものだ。

人はその時の置かれた状況、コンディション、気持ちの有り様で「どちらでもいいようなどちらか」を選んで生きているものなのだ。

案外、そんなことの積み重ねで人生あっちに行ったり、そっちに行ったりしているものなのかもしれない。

あの時はそれで良い、間違いない!と下した判断も、案外あやしい・・・。

あやしいが、そんな風に考えた今とは違うあの時の自分もなんとなく愛おしい様な気もする・・・。

まとめてみたら、そんなことも考えるのだから、面白い。

2016年5月 8日 (日)

花はどこへ行ったの?

今年の会津松平家お花まつり(5月4日10時より)は、あいにくの雨だった。

午前6時に御廟の拝殿前に集合、先々週に大まかな清掃をすませてある拝殿内の準備、飾りつけに取り掛かる。

前回は水に苦労したが、今回はぬかりなくNくん手配のポンプが登場。上の水場から蹲(つくばい)まで、ポンプで水を送り続けた。それでも大きな蹲がたっぷりになるまでには優に1時間はかかった。

朝方はパラパラの雨模様、上がるか上がらないか分からないが、本年はすべて拝殿内で執り行うことに決めて作業に取り掛かる。

例年は神主さんだけが拝殿内で神事を執り行い、拝殿前の広場に参列者が並ぶという格好だが、今年は参列者も拝殿内に座ってもらう形で準備をする。

拝殿前には雨をしのぐテントを3張り張る。

先に水を流しデッキブラシで洗っておいた板床の上に御座を敷き詰める。一斉に雑巾がけ。

奥まった拝所の奥の戸を開け放つと、目に鮮やかな緑が飛び込んでくる。

そこに竹竿を渡し、藁で作った12個の花筒を吊るす。

ここ御廟には2代様から13代様までの歴代藩主が眠っておられるので12個と言うわけだ。

その花筒には例年東山の奥から取ってきた山桜、八重桜などの花を生けるのだが、今年は開花があまりに早く、いかに山奥でも桜はもう無い。

花はどこへ行ったの?

仕方がないので今年はカーネーションを買い求めて花筒を作った。ピンクのカーネーションは遠目には八重桜に見える。

祭壇まわりにお供え物を並べ、拝殿内には床几を並べる。およそ40基。

拝殿前の両側、蹲のまわりも山の花で飾るのだが、例年使うヤマブキはもう終わってしまい、これまたどこにもない。

拝殿前の両脇には、山躑躅を切ってきて、緑には辺りの木の枝をあしらい切り生けた。

蹲の飾りは新緑のもみじ、なでしこの花を少し摘ませてもらって飾る。これら花の飾りつけは、ここ何年か私の役目となっている。無論、何の心得もなくテキトーだ。(男の生け花)

たっぷり2時間はかかった準備、雨がしとしと降り続く。

どうやら寒冷前線が通過しているらしく、風がどんどん冷たくなってきた。

汗をかいた体には毒なのだが、毎年恒例の東山芸者・真衣さんのおにぎりの差し入れが届かないことには誰も帰って着替えられない。

8時半ごろにようやく朝飯が届いた。梅、シャケのおにぎりプラス焼きおにぎり、卵焼きに名物のタコウィンナー、煮物に漬け物、実にうまい!

ぺロりと3個もいただき一旦帰宅。冷え切ったので風呂につかって体を温めた。

コーヒーを飲んで再び山へ。

10時からの式、やはり雨は止みそうもない。拝殿内の神事にして正解だった。

殿様(十四代)、奥様、市長さんや教育長さん、各種団体の長の方々で拝殿内はいっぱいになる。

詩吟の奉納をされる方々など、はみ出した方々が拝殿前のテントに並んで、今年もお花まつりが始まった。

一人ひとり、座っての玉串奉奠は例年の倍以上の時間がかかった。およそ1時間ですべて終了。

すぐに拝殿内の床几を片づけて、木の机を出す。恒例の卯のやの弁当、甘酒を並べ直会の準備だ。

かなりバタバタしたが、今年もナントカカントカ、直会の甘酒による乾杯まで辿り着いた。

この後の後片付けがまたまた一苦労なのだが、昼には郡山の姉の家族が揃って来て、我が家で昼食をとることになっている。(口実が出来て好都合・・・すみません)

後ろ髪をひかれる思いだったが(?)今年はここで失礼させていただくことにする。

最後に殿のもとへ行ってごあいさつ、「殿、すみませんでした。今年は山桜も八重桜もなく、あの花筒、実はカーネーションなのです」「あ、そう。母の日も近いから良いんじゃない?」

そういうことで、今年も無事にお花まつり終了です。

2016年5月 7日 (土)

優勝!喜んでいいの?

5月5日は毎年恒例となった会高同窓会の囲碁・将棋大会そしてゴルフの一大コンペが行われる。

この日は会津磐梯カントリークラブが会津高等学校の同窓生で貸し切りとなる。

この日のエントリーは170名を超えおり、OUT、INから44組が8時からスタートをして行った。

80代から30代まで同じように楽しめるのがゴルフというスポーツの素晴らしいところだ。

キャディさんの数は限られるので、高齢者組からキャディさんが付く。

我々の学年は3組12名が参加、学年毎の参加人数では最多だという。

個人戦はもちろんのこと、学年対抗の団体戦も行われる。学年の上位3名のスコアで学年優勝が決まるという仕組みだ。

8時35分にスタートを切った我が24回卒チーム、私はそのふた組目で回った。

素晴らしい晴天ではあったが風が強い。どうも今年の磐梯は強風にたたられる。

気温は24度ほどの予報で半袖の上に一枚薄手の長袖のパーカーを羽織って出た。

が、結局一度も脱ぐことはなかった。風に吹かれて、暑いとはとても言えない体感だった。

同伴プレイのN君、OUTは44点で所々叩いた。後半は51と大叩きのホールも出て崩れたのだが、その叩いたところがすべてハンデホールとなった。

誰もが風に負けたスコア(もちろん私も)で、結局90点を切ったのは一人きりという体たらくだったのだが、それでもわからないのがゴルフというやつだ。

表彰式は18時から中の島にて行われた。

囲碁・将棋の表彰式は一足早く17時から3階で行われ、一応役員ということで顔を出したら乾杯の音頭を仰せつかった。

しばしビールでのどを潤し、酒を注がれる。下のゴルフ会場に行った頃にはもう会場は満員の人で溢れていた。

コンペから表彰式の段取り、賞品の手配のすべてを幹事となった学年が行わなければならない。学年優勝をするとその幹事をやらなければならないということになるので大変だ。

なかなかの大仕事!幸いなことに我が学年はこれまではかすりもせずにやって来た。

そこに今日の晴天強風コンペ、まさに風のいたずらが起こったのだった。

同組のN君に恐ろしいほどのハンデ(25・2)が付きぶっちぎりの優勝となった。おなじハンデのY君が4位、A君が24位で、何と我が学年が学年優勝になってしまったのである。

その優勝者が発表された頃には、会場内すっかり酒もまわり、盛り上がりは頂上に達しようとしていた。

次いで学年優勝、「優勝は24回卒です!」

勝ち名乗りを告げられた時にはいい歳したオッサンたち、「やったー!」と年甲斐もなく雄叫びを上げ、こぶしを突き上げてしまった。

全員が舞台上にあげられて、恒例の一生盃で勝利の美酒を回し飲み、やんやの喝さいを浴びた。

そして優勝者の弁、まるで結果を知っていたかのような見事なご挨拶だった。

続いて学年優勝代表者の弁、「おめだ、おめだ!」と私が中央に押し出されてしまった。

あんまりよくは覚えていないが「我々24回卒は、昭和28年生まれ、かつて花のニッパチ、花のニッパチと持てはやされた年代ですが、いったいどこが花なんだ?と言われ続け苦節10年、ついにこの日を迎えることができました。ありがとうございました」とかなんとか。

全く何の貢献もしていない私が、苦節10年、などとウソをつくのも問題なのだが、会場は拍手で大いに沸いた。

後日、後輩から言われた感想。「しかしまぁ、うれしそうだよな、あの人たち!と言ってたんですよ。我々の学年なんてあんなに集まらないし、みんな仲良さそうで羨ましかったですよ」

そう言われれば悪い気はしない。が、来年の幹事役は大仕事だ。

いちいち打ち合わせをしなくてもこういうイベント事の中心になるのはAくんと決まってはいるが、それでも皆が力を合わせないと大変だ。

まずは大喜び、ま、年が明けたなら来年はみんなで一汗かくしかない。

あの日以後、「優勝おめでとうございます」といろんな人に言われました。

(私は・・・130位なんですけどね、すみません、目立っちゃって)

2016年5月 2日 (月)

ハードな研修

ゴールデンウィークに少しかかって行われた「医療コンフリクトマネジメント」研修が無事に終了した。

医療の現場で起こる様々なコンフリクト(葛藤や紛争)を対話によって解決していこうとする手法を学ぶ研修会だ。

要するに人は見たいものを見たいように見てしまう。互いのコミュニケーションをしっかりと取らなければそこに誤解とすれ違い、齟齬が生じるのは決して珍しいことではない。

そういう人間の心理、心のあり様に対する理解を深め、紛争状態に陥った場合の処し方、また紛争に至らせない為の対処の仕方、いきなりの起訴や訴訟ではなく、対話を通じてこんがらかった糸をほどいていく事の大切さを学ぶのだ。

そして、組織にそうしたコンフリクトの種を産まない文化を根付かせていこう!というのが狙いだ。

二日間にわたり一日8時間というハードな研修なので、初めはみんな嫌々なのだが、寝ている間もないほどにスピード感があり、ロールプレイが多く取り入れられるので、結構夢中になる。

一回の研修に参加するのは24名、3年前に3年間続けて行い、その後、3年間を空けての今回だ。

この分野においては日本でも第一人者のW先生、N先生のツートップで行ってきたが、今回はN先生と地元福島のS先生においでいただくことになった。

ドクター以下、看護師、薬剤、リハビリ、事務職など多職種が参加してくれた。

今から10年前・・・何につけてもガチンコの攻撃(防御)姿勢で『何としても病院を守る!一歩も引かんぞ!』の態度でもめ事に対処することの限界を感じていた。

そこで出会ったのが今回の研修の基本的な概念である「医療メディエーション」だ。

そこで早速、東京に出かけ、自ら研修を受けた。

その時、教えを乞うたのが、W先生、N先生のお二人。

医療の現場でのコンフリクトは、実は対立しているばかりではなく、患者さん側も医療者側も同じ葛藤を抱えているケースが多い、と目を開かされた。

「真実を知りたい。原因を究明したい。再発を防ぎたい。」

その思いの衝突を、相互理解へと導く医療メディエーション、目から鱗だった。

そこで早速、トラブルを扱う管理課、医療安全管理室のスタッフにも研修を受けてもらい、また院内の講演会なども開催し、医療メディエーションの考え方の普及に努めたわけだ。

以来、両先生には当院は大変可愛がっていただいている。

そして、あの頃から当院のリスクマネジメント対応は大きく変化(進化と言ってもいいと思うのだが)してきたと思っている。

普段は誰もが避けたいトラブルの現場、今回の研修も受けてみて初めて分かる部分が山ほどあったに違いない。

受講者の評判はすこぶる良く、研修は無事に終了した。

おまけもあった。

日頃は超多忙のN先生が、今回は何ともう一泊し、翌日会津観光をしたいとおっしゃったのだ。

恩師とも言っていい先生だ。これは一肌脱がなければと案内を買って出た。

その日は朝からの雨模様、少々残念ではあったが新緑の会津は洗われたようにきれいだった。

石部桜、飯盛山、武家屋敷は車中からの観光。雨の御廟の静謐な空気には大変感激された様子。

御薬園で緑を愛でお茶を一服、白木屋さんで伝統の会津漆器を眺め、坂本漆器店で漆のアクセサリーを楽しまれた。

私はそこでお別れ。その後、O参与とともに野口英世記念館、喜多方ラーメンを楽しまれ無事お帰りになったそうだ。

これまで観光などとは全く口されたことのなかったN先生、GW中ということもあったとは思うが、やっぱりハードワークで、少しお疲れなのかなぁ・・・と要らぬ心配も。

まだまだ、これからも元気いっぱいのご指導、よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

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