« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月

2016年4月30日 (土)

風に吹かれて

昭和の日の会津は、気温も低く雨こそひどくはなかったものの風が吹き荒れた。

そんな中、高校同窓生の春季コンペが行われて参加した。

「いやー、寒いし風はビュービューでひどかった!」「好きでやってるんだから仕方ないわね」まさしく!一言もない。

80歳でも矍鑠とした大先輩のNさんは、どんなコンペでも荒天になると必ず休む。

「雨の中までやってらんにぇ」とひと言。ま、ドタキャンで迷惑ということもあるかもしれないが、年齢を考えればいたって当然。

若い頃からそうだったというから、そういう余裕の心(周囲をあまり気にしないマイペースさ)が案外元気の秘訣なのかもしれない。

若い頃バイクに乗っていたが、バイクに乗るときはいくら真夏でも長袖長ズボンだ。転倒した時のけが防止ということもあるが、肌を露出して風に当たると急激に体力を奪われてしまうからだ。

そよ風はさわやかだが、人は風に当たっていると疲れるのだ。

先日はそれを改めて痛感した。時折、前かがみにならないと後ずさりしてしまうような風が吹き荒れる。前から後ろから横から・・・。

パットしようとするとボールが風で転がりそうになる。

体感温度は実際よりも10度近く低く真冬のゴルフという感じだ。体の芯、骨の髄まで冷えた。

プレイ後の風呂の気持ちよかったこと、しばらくは湯船の中で動けずにいた。

風に吹かれ続けたご同輩からは同じような言葉が口をついた。

「なんだって今日は疲れた」「ものすごく疲れた」「なんか早く帰って寝たい」

表彰式でも皆一様に精気の抜けたような顔をしていた。風に吹かれて倍ぐらい疲れたのだ。

またそこに追い打ちをかけるような、風に負けたボロボロのスコア、身も心も強風に完敗の一日であった。

今後の健康を考えると、荒天の日は「ごめんなんしょ」(申し訳ないが許してください)する図太さを身につけるが良い、と思った。

2016年4月26日 (火)

当たり!

オリンピックエンブレム、あれが選ばれればいいなぁ、と思っていた市松模様が選ばれた。当たり!でした。

事前発表で輪や朝顔が下馬評を集めていたのを聞いて、無難にやろう、みんなの意見を聞こうとすると結局こんなのに落ち着くんだよなぁ・・・と、少々がっかりしていたが、審査委員会では一発過半数で市松模様が選ばれた。

さすがだなぁ、と感心しましたよ。

何でも一番人気の輪は1票しかなかったとか。実際、どこにでもありがち、誰でも作れる感じだったものね。

また別の感想だが、これだけ厳正に選び直したと言っているのだから、決まったならばそれでノーサイドでいいんじゃないか、いろいろ言うのはもうやめて!と思うのだが、なんだかんだあやつける人がいるのに驚く。

日本人ってもっと慎み深かったのではなかろうか。

ネットであらかじめA案に決まってたなどと言ってる輩はさておき、感想を求められた偉い先生やデザイナー各位、マスコミがなんとか批判的な意見を引き出そうとするからなのだろうけれど、「もう言わなくていいんじゃない?」と思うようなご高説が多い。

「良いのが選ばれましたね。好き嫌いはそれぞれですから残念と思う人もいるかもしれませんが、素晴らしい作品です。これで東京オリンピックも一歩前進ですね」ぐらいで留め置けばいいものを。

使われ方がどうだとか、レベルが低いだとか、なんだとかんだとか。たとえ思ったって言わなきゃいいのに、と思う。

頭に浮かんだことを何でも口にするのはこどものすることだし、大人でそれをやっている人のことを「馬鹿」というんじゃないでしょうか?

委員会があらゆる角度から検討したって言ってるんだから、あんたがそれを言ったって何にもなんねべした、と思うんだ。

私は初めから良いと思いましたよ。斬新だし新しいしきれいだしスマートで粋だ、と思ってた。

あのエンブレムの入ったTシャツなら欲しいし、あの不思議な(計算された微妙に不揃いな市松)市松模様のシャツなんてあったら絶対買っちゃうな。

ま、ともかくオリンピックエンブレム決定おめでとうございます。そして予想が当たって嬉しかった。

連休前の会津は穏やかな天気が続いています。連休中の雨と交換したいぐらいの青空です。

2016年4月23日 (土)

どっちが文化的?

休みの朝、院内御廟の清掃を行った。5月4日に行われる会津松平家お花まつりに向けての拝殿前の清掃作業だ。

今年は病気や負傷者が出て人手不足が懸念されたが(毎年行っているわけでもないの偉そうに言えた義理でもないのだけれど・・・・)、会津JCのメンバーが10名近く手伝ってくれて大いに助かった。

やっぱり若い力は素晴らしく、頼りになる。

中でもすごい威力を発揮したのは、農薬を散布する道具らしいのだが、ものすごい風圧で落ち葉を吹き飛ばしてくれる機械。

背中に背負いエンジンをかけると、手元の吹き出し口から強烈な風が出る。これで参道の石段の上の落ち葉などガンガンぶっ飛ばせる。

箒で掃くのとはえらい違い、あれは今後、絶対に必要機器だ。

拝殿の中に水をまきデッキブラシで床をこすり、水で流すのだが、こうした作業がものすごく大変になった。

というのは水が来ないからだ。

普段は沢に落ちている山水を拝殿の上の用水路に引き込む、そこから暗渠を通り、拝殿前にある古く大きなつくばいに、水がこんこんとたたえられるという塩梅になっているのだが、それが地震影響もあってか水が通らなくなってしまった。

拝殿前まで水が来ないのだ。仕方なくバケツリレーをするしかない。

おそらく拝殿前の参道の石畳の下を通る暗渠のどこかが崩れてしまったためだ。

これを修理しようとすると容易なことではない。

もちろん費用の面もあるが(それは目玉が飛び出すというほどでもないのだろうけれど)、なにせ勝手にやってはいけないのだ。

重要文化財ということで市の文化課というところが管理をしており、厳密には石一つ動かせないし穴を掘ってもいけないのだ。

なので文化課が国に向けて積極的に迅速に動き、修繕への道筋をつけてくれるか?と言うとそうでもない。

なにしろ御廟全体が文化財ですから、という金看板で調査さえも進められないのが実情なのだ。

水が来ないことで伝統あるお花まつりはとっても大変なことになっている。

融通をきかせてなんとかできないものなのだろうか?

極端な話が、会津松平家の拝殿なので松平家が緊急な修繕を必要とするなら目をつぶるとか・・・・。

それでないならなんとか国に掛け合って市が優先的に進めてくれるとか、ですよね。

確かに、一ケ所に特例を認めてしまえば歯止めが利かなくなるという理屈も分かります。

しかし、拝殿の前の石を少し動かしたところで日本史上の貴重な財産を傷つけることにはならないと思うが、それが役人の世界だと言われれば我々には手も足も出ない。

やはり我慢するしかないのかなぁ・・・と思って、上の容保公のお墓の掃除に登って行って唖然とするものを見た。

御廟の亀石が立ち並ぶその入口部分に真新しく設置された案内板とごっついパンフレット入れ。それが鉄骨で、真新しいコンクリートが、土中にがっちり埋め込まれているのだ。

そこだけピカピカで、なんだかマンガチックな案内図で、この神聖な御廟の霊域に合っているとはとても思えない。

「こんなもの設置していいの?」「やるにしたってもう少しセンスとか配慮っちゃあるもんだべ」「こんなこと平気でする人たちに文化財だとか、文化だと言われっちゃぐねえよな!」

と、憤懣やるかたない声が上がった。

御廟の墓石は、あれだけ巨大なものなのだからおそらく会津産の石なのだろう。それに合わせて慶山石とか何かで作るならまだしも、鉄骨&コンクリートで穴掘ってやっちゃいますかね?(さすがに色は焦げ茶色に塗られてはいましたが)

あんなに文化財に対して無神経で良いのなら、暗渠の修理ぐらい簡単だべ、と思う。

ちゃんと暗渠を直して歴史ある「お花まつり」が出来ようにすることの方がよっぽど文化的行為ではないだろうか?

ボランティアでみんなが泥にまみれてがんばってきた。

せめて拝殿のつくばいにまで水が引けるようにしていただけませんかね。

きっと、あの案内板とパンフ入れを新作する程度の予算があれば、本物の文化財修復が十分にできるのではないでしょうか。

お願いしますよ。バケツリレーですよ、バケツリレー。

2016年4月21日 (木)

ねぐら

ねぐら、棲みか、家、帰るべき場所を失うということは本当に辛いことだろうなぁ、と思う。

熊本の被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

横になれる自分のベッド、布団、それがあるだけでどれだけ休まることか。傾いた家屋はその最低限の安らぎの場も、もう無いのだということを突き付けているようで心痛む。

がんばろう!立ち上がろう!希望を捨てるな!

励ましの言葉は容易に口を突くけれども、実際に自分があんな被災をしたらどうなるのかわからない。

年齢もあるだろう。自分の年齢を考えて本当にやりなおしが出来るの?

そんなネガティブなことばかり考えていたら何もできない、と言われるのは分かるけれども・・・本当にお見舞い申し上げます。

一時期話題になった「レジリエンス」、逆境力というか回復力というか、折れない心を育てるためにはどうすればいいかという啓発本がいっぱい出た。

折れない心とは、強い鋼のような心ではなく、硬さではなくむしろしなやかさだと言っている。

しなやかな柔軟性。一つの物事を多面体に捉え、さまざまな角度から見ることができる柔軟性な心だ。

ネガティブに凝り固まるのではなくポジティブな面を探してでも見つけられるやわらかな心だ。

年をとると一番失われるのが柔軟性だが、人によって心についてはそうでもない。

難しいとは思いますが心を柔らかく持って、どうかこの困難を乗り越えてください。

とはいえ、何をおいても「ねぐら」だ。なんとか、それぞれにねぐらを確保し休めるようになればと祈るばかりです。

遠く会津の地からは何事もできない。とりあえず家人が日赤でわずかながら寄付をしてきてくれた。

院内でも義援金を募っている。募金箱の設置も予定している。

朝歩いて、大日如来様に白虎隊士の墓に、自分のことばっかりではなくて九州のこともお祈りするようにしている。仏壇にも同じく。

落ち着いたらまた、出来ることを考えていこう。

「飲んでばっかしいる場合か!」言われると心苦しいのだが、花も散ったのに「花見の宴」が続く・・・。

なんだか、すみませんねぇ・・・・・・・・・・・・・・・。

2016年4月18日 (月)

それでも恋は恋?

世の中に恋や浮いた話がなくなれば、どれだけ景気が悪くなるかわかったものではない。

ハッピーな気持ちは世の中を明るくするし、たとえそれが破れた恋でも勘違いだとしても、人の気を動かしお金を動かす。

浮いた話はうきうきさせるし、水道の蛇口をひねるように気もお金も放出させる。

経済の何分の一かは無駄なもので出来ていて、その中心にあるのが「男女の仲」であり「恋」だ。

この部分がしぼんでいけば、経済全体が悪くなるのは確実だ。

盛んに心配されている高齢化人口減少、「恋」の数が人口比で減るのだから影響は甚大。

さらに心配なのは若者たちが「恋」を面倒くさいという風潮だ。

わずか数十年前の我々世代までそれは面倒だとか面倒くさくないとか、そういうものとは全く別なものだったはずだ。

ものを食うのが面倒くさい人がいたらおかしいように、さらに言うなら空気を吸うのが面倒くさいという人がいないように・・・・。

恋に恋して憧れて叶うことなく傷ついて、それに疲れて面倒くさいというなら仕方もなかろうが、鼻っからするのが面倒くさい、では何をかいわんやだ。

ものすごく離れた平行線。

「恋」もいらないクルマもほしくない。酒なんてうまいと思わないし、別に偉くなりたくもないしお金を沢山稼ぎたいとも思わない。旅行も面倒くさいし、レジャーやスポーツなんて危険じゃないですか・・・?

そんな若者が決して珍しくないのだから、冷静に考えれば景気が良くなるなどというのはオヤジ世代の共同幻想であってもはや絶対に有り得ないことなのかもしれない。

人が人を好きになることに政治が介入する隙間などない!

それは当たり前なのですがその結果、結婚する人がどんどん減り人口がどんどん減るという社会状況は、今や政治が解決しなくてはならない最大課題となっている。

なんか変でしょう?

結婚式をやらないのがごく普通のこと、世の中そんな風潮になったあたりから風向きがおかしくなったような気がする。

「出来ちゃった婚」は恥からハッピーに大変身。

個性の名のもとに何でもありの青春時代、何でもありだから若者は戦う必要がない。逃げ道だらけで、なにがなんでもの欲はない。

欲望が世界を動かしているのにその大もとがしぼみつつあるように思えてならない。

花見の時期、昔は何度も花見をしたような記憶がある・・・。

花のある間、何度も何度もお城に行った。下心満載の日々。

ぺロパン(一文無し)になっても平気で、飲んで笑ってはしゃいでいた。そして、それでも恋は恋~、などと嘘ぶいていた。

危なっかしいけれど今から思えば健全な若者だったような気もするなぁ。

・・・会津若松市内の桜はもうすっかり散りました。

2016年4月17日 (日)

あの人だって、あんなことするんだ!

もう大分経ってしまったが今年のマスターズゴルフ、びっくりするようなことが起きた。

昨年に続いて二連覇を狙うアメリカのジョーダン・スピース、今や誰もが認める世界ナンバーワンプレーヤーだ。

大きな期待を背負いながら初日からトップを譲らない強さを見せつけた。

最終日、ハーフターン時で7アンダーと、ほぼ独走態勢。確かに2位に4打差ぐらい付けていた。

誰もがスピースが二度目のグリーンジャケットにそでを半分以上通しかけていると思って疑わなかったし、松山くんがいくら頑張ってもダメだよなぁ・・・と思っていた。

ところがそうは行かないのがゴルフ、どこに魔物が潜んでいるか分からない。

特にアーメンコーナーと言われる11番、12番、13番。

この3ホールはコース上の高い丘の部分に位置し、風を読むのが非常に難しいといわれ、これまで何度も何度も劇的なドラマを生んで来た。

その12番、155yards、par3でスピースの放ったショットは、ピンに向かっていったがあと数ヤード届かずグリーン手前の斜面に落ち、その斜面を転がり落ちてポチャンと池へ落ちてしまった。

「どうしてあそこを狙うんでしょうか?やっぱり左の、バンカーに入っても良いから左サイドを狙うのが常套手段でしょ?」と解説者は何度も繰り返したが、打ってしまったものは仕方が無い。

本当は左を狙ったんだけど、右に行っちゃったんじゃないの?とも思うが、そこは私らのレベルとまったく違うんだから、スピースはやっぱり果敢にピンを狙ったのでしょう。

だが問題はその後だ。少し傾斜のあるドロップエリアより下がり、およそ80ヤードの平らなところから打った第3打、それをなんとダフってまた池ポチャしてしまったのだ。

一体何が起こったか?一番訳が分からなかったのは当の本人だろう。

あの名手が、わらじ程の芝をざっくり飛ばしての大ダフリ、「まるで俺みたい!」「あそこからなら俺でも乗せられる!」と、どれほどの人が思ったことだろう。

結局、このコースでなんと7打も叩いてしまい、好調のダニー・ウィレット(イングランド)に逆転を許してしまったのだ。

次のホールでバーディをとったもののそのショックはあまりにも大きく、最終的には3打差をつけられて2位に沈んだ。

そして失意の表彰式、前チャンピオンのスピースはダニーに栄光のグリーンジャケットを着せてあげなくてはならないのだ。ちょっと残酷。

勝ったダニーが憎らしいわけではないが、自分に負けてしまった自分が悔しくてならなかったはずだ。

可哀相だったけど、これがゴルフです。

日本の松山くんもイーブンパーの7位だったけど、これはスコアの差以上に惜しかった。

後半惜しいパットが4回連続で外れた。テレビを見ながら「ああ~、あ~あ」の連続だった。すべてがカップをかすめた。あれが入ってれば優勝もありだった、ぐらいの惜しさだった。

もちろん勝負に「たら・れば」はないというが、たら・ればがあったらメジャー初制覇ですからね、ちょっとは言いたくなるのも人情だ。

松山くんは、構えてから打つまでがちょっと長いのが難だと思うのだが、メジャーに一番近い日本人である事は間違いない。

ちなみに「なんでスピースは・・・・、なんでスピースは・・・」を繰り返していた解説の中嶋常幸さん、彼は続く13番par5のアゼリアのホールでなんと13打も叩いたという珍記録を持っている。

この豪快な記録は、長いマスターズの歴史の中でもいまだ誰にも破られてはいない。

たかがゴルフ、されどゴルフ。

あの人だってあんなことするんだ、と実はちょっぴり勇気づけられたあの一瞬・・・。

会津は例年よりも3週間~4週間ほど早いゴルフシーズンを迎えています。

2016年4月16日 (土)

改めて分かっていないという事が分かった。

熊本県を中心に九州に大変大きな地震被害が出ている。

心からお見舞いを申し上げます。

熊本は縁ある病院もあり、何度も訪れた街だ。

娘が結婚する前に家族でも行ったことがある。この家族旅行は、香港マカオに行くつもりだったがSARSだったかが流行して、九州旅行に切り替えた。博多、鹿児島、熊本、別府と回った。 

黄昏時、熊本城の周りをゆっくりと歩いて一周し、その石垣の見事さに驚いたのは良い思い出だ。

その石垣までも崩れてしまった。そして、驚いたあの揺れが実は前震で、遅れて本震がやって来た。

南阿蘇の方面での山の崩落など、もの凄く大きな被害が広がっている。

もうこれ以上揺れない事を心から祈りたい。

こういう大地震を知る程に、人間は全く地震を予知することはできないのだなぁ、と痛感する。

起こった地震を観測し分析する事は出来るが、そのメカニズムをあらかじめ予知することはできないのだ。

まして、活断層の揺れなどまったく不可能と言っても良い。新幹線の脱線が示すように地震が起こるとも思わなかったところにあれほどの地震が起きているのだ。

原子力発電所の再稼働に際し大問題となるのがその活断層の存在。

そこに活断層がある事は分かる。しかし、それが動くか動かないかなどという事は実際のところ全く分からない、という事が良く分かる。

何千年も動いてないから動くかもしれない程度のことで、今日動いて、明日またそれ以上に動くかもしれないことさえ、全く分からないのだから、そんな事は何の根拠にもならない。

幸い現在稼働中の原発には何の支障も無いらしい。

でも、今回の大地震の起き方、そのすさまじさを見るにつけ、やっぱり原子力発電は人間が行って良いものではないのだ、という思いが改めて強くなる。

地震で建屋が壊れるだけならいい。

だが、暴走したものを止める手立ても、片づける手立てもまだ持っていないのだから、それでもやるというのは、どこをどう考えても無責任なエゴでしかないだろう。

『貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人の事だ』(ホセ・ムヒカ大統領)

原発が無ければこの国の経済は成り立たない・・・とはよく言われる言葉だ。

本当だと思いますか?

会津の朝は穏やか、飯盛山ではまだ啼き方の下手くそな鶯が盛んに啼いている。

これから天気は下り坂、九州はひどい雨になるとの予報もある。この際、なんとか予報の外れてくれることを願うばかりだ。

2016年4月15日 (金)

十人十色

今年から臨床研修医の受け入れ枠が10人になった。

10人になってフルマッチをし、一人も国家試験を落ちることなく目出度く10人がこの春、会津へやって来た。

会津出身者は二人、あとは県内も含め全国に出身地が散らばっている。

初めの1週間は恒例の新人研修、今年は110名の新入職員が入職した。

研修医師は一般職員とは全く違った研修を行ってきたのだが、5,6年前からこの一週間は全ての職種が一緒に新人研修を受けるように変えた。

これがとても良かったと思う。

時代はチーム医療の時代だ。ドクターを頂点としたピラミッド型からフラットな、専門職がそれぞれのプロとして連携し患者さんを治して行く時代になった。

そんな時に若者達が職種の壁を越えて親しくなるというのはとてもいい事だ。

ドクターが天狗になったり世間知らずに陥る事も、なんとなく防げるように思う。視野が開ける。

この研修期間に1時間の講義を受け持つ。基本は「個人情報保護法について」だが、後半には望むべき人間像を私なりに話させてもらう。

もちろん、こっちは全く顔を覚える事も出来ないが新人諸君はなんとなく変なオジサンとして私を認識してくれる。

研修医は最終日の夜に医局主催のパーティを開き、病院幹部や担当医師と杯を傾ける。会津清酒も入りいっぺんに親しみを増す。

今年の若者たちはまさに十人十色、なかなか個性的なメンバーが揃った。指導にあたる先生方もなかなか大変だろうと思うが、ぜひぜひ頑張っていただきたい!

先日、職員食堂で一人そばを食べていると周りの席に「いいですか?」と言って新人研修医の何人かが座った。

「どうだ?」と声をかけてちょぼちょぼと話す。

「なんか困ったことがあったらいつでもな」と言って先に席を立った。

変なオジサンとして敬遠されるのではなく、周りに集まってくれるなんて嬉しい限りだ。思わず顔がほころんだお昼のひと時・・・近頃はちょっとダイエットでかけそば1杯だけにする事が多い。

2016年4月10日 (日)

氷解の春

人の心とはつくづく分からないものだなぁ、と思う。

同じ夕焼けを見ても胸に描く思いは様々だ。

ましてや人の世に起こるまざまな出来事、半分ぐらいは思い違い、勘違い、見解の相違、価値観の違いで出来ている。

分かり合えているようで実はまるで分からない、そんな関係が山ほどある。

そういうものは普段はあまり露見しないのだが、お金が絡んだり、男女の情が絡んだり、見栄や意地が絡んだいすると、とたんに厄介になる。

「そんな風に考えるとは思ってもいなかった」「どうすればそんな風に思えるわけ?」

すれ違いは容易に修正できないし、修正不可能というところまで行ってしまう事も少なくない。

こどものケンカはすぐに仲直りが出来るけれども、大人のケンカは一度やったらそのまんまというのが多い。夫婦喧嘩は別として。

世の中には、あの人とあの人はNGです!なんて関係は山ほどある。

それほど一旦こじれた人間関係は修復が難しい。

愛や思いやり、優しさが良好な人間関係を築くのは、実は壊れる前の話しだ。

それらが接着剤、修復材、傾いたバランスを修正する重りになったりするのは、壊れる前の話し。

一度壊れてしまった関係を元に戻せる特効薬があるとしたら、それはおそらく「時間」だけではなかろうか?

それもちょっとした時間ではなく膨大な時間、何で怒ったのかも忘れてしまうぐらい長い時間だ。

だから結局のところ、壊れないようにせいぜい気を使わなければならないのだ。が、人の心はつくづく分からないものだ!とふり出しに戻る・・・。

こんなことで心煩わすことなく過ごしたいのは山々で避けて通ればいいのだが、そうばかりも行かないのが組織の中の人間関係だ。

これだけいるといろんな人間が居る。そしていろいろな衝突や行き違いが生じ、問題になり、かく乱を引き起こす。

「職場」で起こったそれらを放置はできない。

何らかの解決をつけ組織というものを壊さずに前に進めていかなくてはならない。

厄介至極、だが宿命。なんとかするしかない。

会津の桜は今や満開。ひとひらの花びらも落ちることなく見事に咲き誇っている。

石部桜、鶴ヶ城、塩川の御殿場公園と桜を楽しんだ週末。

咲いた花が散るように、様々のことが氷解の春を迎える事を祈りたい。

2016年4月 3日 (日)

左様なら

福島民友新聞に連載してきた「みんゆう随想」も3月の末の回でいよいよ最後となった。

会津地区の執筆者の急遽の転勤でピンチヒッターとして1年間だけ引き受けるつもりが、「もう一年」、「好評だから」などとおだてあげられて、結果、3年間にわたって書くことになってしまった。

一人の執筆者が書くのは3年が最長、という事でこの春でお役御免という事になったというわけだ。

およそ千文字の原稿を一年間に10回書く。

月に一回にもならないのだからちょろいもんだろうと思うのだが、月日の経つのは本当に早い。

書いたと思ったらまた次の締め切りが迫る。結構追われる。

それを30回も書いたのだから、我ながらよく頑張ったと少しは褒めても良い。

第一回の「八重さん、捨松さん」に始まり最後は「左様なら」で締めた。

ネタ帳というわけではないが、ところどころに書き留めてあった思い出や随想の元になりそうなものも、今の段階では大分使った感じがする。

ま、日々生きているのだからネタ切れなどという事はないだろうけれども、遠い日の思いでネタは結構書いた。

医療や病院に関する話は、鼻につかないようにすることに気を使った。

露骨な宣伝にはなっていないが、遠回しに結構良いイメージアップに貢献したのではないかと思っている。

書いたものを一冊にまとめてくれ、という声もある。

この際、小冊子にでもまとめてみようかと思ったりもしている。

ま、少しはお金をかけても家人も許してくれるだろう。初夏の頃までには形にしてみたいと思っている。

「左様なら」は祈りの言葉、もしあなたが左様で(その様で)あるならば私は嬉しいよ、という相手を思いやる言葉だと書いた。

振り返れば本当に良い経験であり、改めて良い勉強をさせてもらえた。

関係者の皆様には心から感謝申し上げたいと思う。

「さよならだけが人生だ」という名言がある。つくづく身に沁みて感じる歳になった。

そして、またひとつの「左様なら」だ。

でも、気分はとてもすがすがしい。

« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »