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2016年3月

2016年3月31日 (木)

別れの時

先日、研修医師の卒業式、そして夜には卒業パーティが行われた。

全国各地から会津に集まった8名が当院で学んだ2年間。今年の卒業生の特筆すべきは8人中5人もすでに結婚していること。

研修期間中の結婚も、出産もあった。

そして嬉しいことに3名が当院に残り仕事を続ける事だ。

研修医師の卒業パーティは代々、なぜか小洒落たレストランで行われて来た。

たしか10年前の第一回が今はなき「ポテロン」という店を借り切って行われたので、それを踏襲して若松市内のさまざまなレストランを使って来た。

それがもうネタ切れ、という事もあったのだが、今年の研修医師たちのたっての希望で和室の広間になった。

さくら肉で有名な「よし田」さんの二階で行われた。

何でも研修医の何人かが、病院見学の際に夕食をご馳走になったのがこの店であったらしく「僕らの研修生活はこの店から始まったんです」という声が聞こえた。

一人ひとり個性豊かで本当に良い若者たちだったと思う。

彼らに贈る言葉ではこんな事を言った。

「先生方は幸せにならなくてはならない。幸せな医者と不幸せな医者、その生涯のパフォーマンス量は格段に違うはず。医師を一人育てるには莫大な税金が投入されている。我々国民がその元を取るためにもハッピーな人生を歩み、一人でも多くの人を救い、治してあげてください。そしてもうひとつ、いつまでも想像力の翼を持ち続ける事。人を癒し、励まし、勇気づける、そうした気持ちの根底にあるのは人の気持ちを思いやれる想像力です。それをなくしたらあかんよ!」

ビデオメッセージでは多くの先輩医師がエールを贈り、笑いを取っていた。

それにしても近頃の映像編集能力というものはすごい、とても素人の域とは思えない。

ま、いつもは二次会、三次会と盛り上がるのだけれど、今年は私事身辺いろいろあり。大人しく家に帰る事にしました。

最後に交わした握手、ちょっぴり淋しいけれど花の門出です。

本当に幸せになって欲しい、とはいえ人生そんなに簡単なものではない。上り坂、下り坂は必ずあるが、ま坂の坂の落とし穴を自分で踏み落とす様な事だけはしないで欲しい。

頑張れ!頑張れ!君たちに心からのエールを贈ります。

2016年3月28日 (月)

きつい。

会津の朝が驚くほど早くなった。ついこの間まで6時を過ぎてもまだ薄暗かったのに、5時の声を聞くと明けはじめ、6時にはもうすっかり明るい。

夕暮れ時もずっと遅くなった。

寒風の中で4時の声を聞くともうすっかり日が傾いて心細くなる様な感があったが、5時になっても「暮れなずむ」というにはまだ早い。

光の中で過ごす時間が大幅に長くなっているという事だ。

こうなると朝は歩け、歩け!と急き立てられている様な気分にもなる。

だが、なかなか腰が重い。正直な話をすればこの冬期間に少々体重が増えてしまい、朝の45分サーキットが少々しんどい。

サーキットの内容はこうだ。

歩き出す前に顔を洗い水を飲み、ストレッチをいい加減にやって家を出る。飯盛山の前をとおり大日如来様に手を合わせ、滝沢の旧道を別れ道まで下り、そこから一転、リオン・ドールの前を通って一気に飯盛山の上まで登る。(さざえ堂のある裏道から)

合わせて2キロになるかどうか?

白虎隊の墓にお参りをしてロングブレスを2セット。階段を下りて途中の石の手すりで斜め腕立て25回。

家に戻り、庭でゴルフ用のロングバットの素振り30回、そしてスクワット30回。これでちょうど45分だ。

これが結構効く。

上り坂は体重が増えたことが顕著に分かる。下りの階段は膝にかかる負担が少し大きいのが分かる。

この冬太りを脱するためには、毎朝早くなった朝を愉しみ歩かなければならないのだが、2日続けると3日目には自分の中で言い訳を考えるようになる。

きつくないはずのズボンがきつい。

ゆったりと着るはずの上着が、なんとなく肩周りの動きがぴっちりしている。

はっきりとした自覚症状があるのだから体重計に乗ってみればすぐに結果が分かることなのだが、乗らずに先送り。

見て見ないふり。

この間、あの男にだけは言われたくないと常々思っているTちゃんに言われた。「なんだかちょっと太ったんじゃね?」

あの悔しさを思い出して少し頑張らねば!と思いつつ、昨日もざるそば大盛りを頼んでしまったのであった。

いかん! きつい。

2016年3月23日 (水)

お彼岸なのに

会津で春のお彼岸にゴルフが出来るなんてことはまずない。

第一、会津磐梯カントリークラブの春のオープンが4月1日なのだが、これは希望のオープン日であって大体はオープンできない。ひどい時は半ばか、後半にまでずれこんでしまう。

それなのに今年は3月20日から開けるという。

本当のオープンの4月1日までプレオープンで安くでプレイさせてくれるというのだ。

お彼岸三連休最後の振り替え休日に、急きょ同級生と周ることにした。

重たい日々が続いたので、嬉しい。

天候はまずまずだが風が冷たい。体感温度は冬だ。時折霰なども降り落ちて、寒かったが楽しめた。

キャディさんもまだ3人しか出て来ていないという。みんな4月に照準を合わせてやってきたので、いきなりオープンと言われても出ては来られないというわけだ。

残雪は・・・驚いた事に本当にほとんどない。インコースの日陰にほんの少し残るだけ。信じられないことだ。

シーズン初めという事もあってか皆存分に叩いた。

とかなんとか言い訳ばかりしているが、冬にも何度かやってはいるし、もうこれ以上の進化は無いであろうというのが、本当のところという気がする。

私の場合、ドライバーがなんとかならない限り、今以上の大きな進歩はとても考えられない。

1番でいきなり9点、2番で今年初パー。その後はボギーとダボがほぼ交互に。

10番でパーでその後また9点、15番で初バーディ(嬉しい!)でその後また9点と、なんともハチャメチャなゴルフだ。

ま、それでもしっかり坂道を上り、隣りのコースまで走り、ゴルフを楽しめる健康と体力に感謝しなくてはならない。

今年も一年、下手くそながらお世話になります!といったところだ。

寒い朝、新聞の死亡欄に同級生の名前を見つけて驚いた。

体調はあまり良くなさそうだったが数週間前に奥さん共々、顔を合わせたばかりだったので、なおのこと驚いた。

こんな事がこれから、だんだん起こって行くのだろうなぁ・・・・と思う。

それを考えれば、感謝の中で生きて楽しんで汗する、少しは世のため人のために役立って行かなくてはならないなぁ!とつくづく思う。

私自身が彼岸の彼方に行く、その日まで。。。。。だ。

2016年3月21日 (月)

彼岸の午後

今年の会津のお彼岸は全く雪が無い。会津ではこういう春先の日々を「ポンポンだ!」と言います。

20日、義母の葬儀が行われた。晴れるという予報だったが曇り空、風が冷たかった。

悲しみの葬儀が終わり出棺の時、外で待つ遺族は北風に震えた。

「悪いけど俺は焼き場には行かないよ。親父が死んでからなんとなくあそこに行きたくないんだ。行かない方がいいと思う・・・・」という言葉を素直に家人に伝えて、家で孫とそのパパと私の、男子三人で夕方の夕食使いまで留守番することにした。

家人と娘、息子は骨を拾うという役目を果たすためにバスに乗った。

家に向かう途中、飯盛山の参道で彼岸獅子の一団を見た。「あれ?明日だと思ったけど今日回ってるんだ。来るな、これから・・・」

セブンでちょっと食料を仕入れ自宅へ。急いで孫にお昼を食べさせる。納豆ご飯に玉子を焼いて、味噌汁の残り。パパと私はカップ麺におにぎりとみんなさっと済ます。

食べ終わってしばらくすると「ピンポーン!」と来た。

昨日のうちに準備しておいたご祝儀袋を二つ、我が家の分と、孫一家の分を先ぶれさんに渡す。

今年はなんだか獅子団の人数が多いようだ。若手のお囃子やその練習途中のこども達も大勢いた。

弓くぐりの弓を持った親方みたいな人が優しく笑って、獅子がやって来た。

まずパパに孫をしっかり抱いてもらってから、そおーっと家のドアを開けた。

おそらく獅子を見たとたんに泣きだすのではないかと予想したのだが、意外な事に泣きはしなかった。

しかし、パパ腕の中で完全に固まっている。黒い瞳を見開き、獅子をじっと見てまったく音を出さない。

「怖くないんだよ~」と言っても、獅子に瞳が張り付いたままピクリとも動かない。

お囃子が曇り空に鳴り響くと彼岸獅子は三匹でひとしきり舞い、やがて一匹が弓くぐりを見せてくれた。

なかなか巧みな踊り手、去年の弓くぐりよりはずっと上達していた。

さらに三匹は円陣を組んで舞った。祝儀袋二つ分、少し長めに舞ってます~!ってなところだ。

終わってから記念写真を撮らせて貰った。

孫ちゃんを中心に(もちろんニコリともしない)、親方が獅子たちに手を広げてポーズを取れ!とまで言ってくれた。

やがて笛太鼓の音と共に彼岸獅子の一団は遠ざかっていった。

その一団が角を曲がって後姿が見えなくなった途端に、「上手!上手!」と手を叩き笑い出したので、こっちも大笑い。

撮った記念の写真を見せただけで「いや、いや」と言って泣きそうになるくせに、まぁ、ひょうきんなものである。

ちょっぴり怖かったけど、2016年春の縁起をもらって、こちらはこちらで良い供養が出来た様な気がした、そんなお彼岸の午後でありました。

2016年3月18日 (金)

お見事な人生

また悲しみがひとつ増えた。

叔父の葬儀の読経の時に胸の携帯が震えた。『さきほど静かに息をひきとりました』

家人の母親、義母が緩和ケア病棟での3週間を終えて、静かに、本当に穏やかに旅立っていった。美しい春晴れ。

葬儀の2時間前、病室で手を握り「ちょっと息が苦しそうだね、でも頑張ってな」と声をかけるとしっかりと私の目を見つめて答えてくれた。

享年90歳の誠にお見事な人生でした。

家人の生まれた年に、ご主人と事業を起こし順調に成長させて来た。そのご主人には53歳で旅立たれてしまう。

父親の看病で東京の会社を辞め、父親を見送った後も家人は母親を支えた。

一人息子が自立できるまで、と義母は女社長として事業を懸命に守り続けた。

家人も東京に戻ることなく母親を支え共に会社を守った。ので、私と出会う事になったのだからこれもまた人生の不思議な縁だ。

当時まだ大学生だった弟もやがて一人に前になり、家業を継いで働きだす。

安心して彼に会社を任せられる日まで義母は社長として、母としてひたすらに働いた。

小柄で実によく動く人だった。

会社の中でもいつも肝っ玉母さんよろしく薄茶色の割烹着姿でそろばんを片手に忙しく事務仕事をこなしていた。

郵便局や銀行など、クルマの運転ができない(おそらく自転車にも乗れなかった?)ので、どこに行くにも歩きだった。そんな日々が丈夫な足腰を作り、義母の命を支えたのだろう。

会社はコツコツと安定経営を続け、財をなしてもなお、威張る事などまったくない人だった。

何事にも感謝の心を持って臨み、修養団体の活動にも熱心だったときく。

息子が成長し会社を任せてからは、すっぱりと第一線から身を引いた。

北会津の家の庭に小さな家庭菜園を設け、野菜作りに精を出した。また、地域のお年寄りたちとも楽しく過ごしたようだ。

夏になるとキュウリやさやえんどうなどを沢山いただき美味しかった。

『人はその人が生きて来たように亡くなるんですよ』とは多くの死を見つめて来た医師の言葉だ。

まさにその通りだと思った。

10年以上前の大腸がんが、また同じ辺りに出来てじわじわと進行し、体調を崩す事が多くなった。

大きな手術は80歳代後半の身体にはあまりに負担が大きいと、最低限の人工肛門増設の手術をする事にした。それはとても良い判断だったと思う。

それまで排便の不安がありあまりものを食べようとしなかったが、手術後は美味しい美味しいと言ってなんでも食べるようになった。

二月には小康を得て一時退院したものの、間もなく再入院、外科から緩和ケア科のお世話になることとなった。

とはいえ意識が無くなる様な事はなく、最後まで食べる楽しみを失わず、死の前日までアイスクリームをなめ、かき氷をなめ、「サンドイッチが食べたい」とまで言った。

日々孫たちの訪問を受け、孫たちの手を握り、痛みも苦しみも無く穏やかに微笑んでいた。

末期の病床にあっても、人には一切苦しいところは見せず、誰に対しても当たったりすることや我がままを言う事も全くなかった。

何かをしてもらうと必ず「ありがとう」と言い。看護師さんが血圧や体温を測りに来て「良いですよ!」というとVサインを見せた。

大好きだった大相撲春場所の始まる前日「明日から相撲が始まるよ」と言うと「楽しみだなぁ・・・まだ楽しみは一杯ある」と答えたのには少し驚いた。

なんと前向きな人だろう・・・。だからこそ人生の荒波を乗り越えてくる事が出来たのだ。

「琴奨菊が優勝すれば横綱だよ」「そう?じゃぁ応援すんなんねな・・・」と言いながら笑っていた。

その甲斐あってか琴奨菊は初日から勝ちっ放しを続けたが、義母が旅立ったその日に初黒星を喫してしまった。

「なんだべ、ばあちゃん、今少し応援すんなんねのに・・・・」   

ねぇ?

人を怨まず怒らず、常に感謝の心で愛する人々の幸せを願い続けた人生。

本当にお見事な人生でした!お疲れ様でした。

2016年3月16日 (水)

悲しみは雪の如く

会津は本当に雪が降らないまま春が来る。さすがにもう、ドカン!と大雪はないでしょう。

雪は積もらないが悲しい気持ちは積もるものだ、となんとなく思う。

叔父が危篤だと知らされた時、もの凄く悲しい夢を見た。もの凄い悲しさで夢を見ながら泣いて目が覚めた。

それは20年も愛してきた猫が死んでしまった夢だった。正直、ナンデあんなに悲しかったのか分からない。

第一、猫を飼ってもいないし、ましてや猫が好きなわけでもない??

その昔、叔父たちと二家族で暮らして来たこどもの頃、当時はお菓子屋をやっていたのでネズミよけのために切らさず猫を一匹飼っていたが、特にかわいがったわけでもない。

あの頃の猫は大体5、6年で死んだりいなくなったりした。名前は全部「ミー」でどれがどれだかも記憶にない程だ。

それなのにあんな夢を見る。夢とは本当におかしなものだ。

とにかく・・・溺愛した(してもいないのに)猫が死に、魂が抜き取られる程の悲しみを感じたのだ。

夢だと分かって目が覚めても、ものすごく気分が落ち込んだ。

おそらく精神科医にでも聞けば、あの夢が象徴する何らかの意味というのがあるのだろうが・・・やっぱり、なんのこっちゃ?だ。

それなのに胸には得体のしれない悲しみの塊のようなものだけが残った。

で、現実世界では、日々痩せていく義母を見舞ったり、叔父の現実の死を味わったり・・・。

何度も涙の滲む、こぼれる、流れる、様な感情を味わうと「悲しみ」は雪の様に積もっていく感じがするわけだ。

「どうしようもない!助けてくれ~!」などとという深刻な事態ではないのだが、なんとなくショボンとしている自分がいる。

昨日、酒を買いに行ったが、少し季節の遅れた会津娘の「雪がすみの郷」を買ってしまった。

なんでだろう?

相変わらずうまいが、3月中旬に買う酒ではなかった。

雪がすみの中では、胸に積もった雪は溶けない。

ま、いずれにしても春の淡雪だ(と思おう)。寒中よりは溶けるのも早いだろうと思っている。

悲しみは雪の如くこの胸に積もる・・・この先まだ、もう少し積もるのかもしれない。

2016年3月15日 (火)

憎きインフル

孫がインフルエンザにかかったそうだ。B型だという。

その数日後に今度はママがかかった。それがA型だという。そんな事ってあんだべか?と思うくらい珍しい話だ。

熱が出て機嫌が悪く、それを面倒見るお母さんの方もふらふらだというから大変だ。幸いなことにパパが全くうつった様子も無く元気だという。

ここはひとつ頑張ってもらうしかない。

お互いに治って、今度はA、B交換してもう一回なんて事はないだろうなぁ・・・とあらぬ心配までしている。

20日から会津に帰って来ることになっていたが、これも体調次第でどうなる事かまったく分からなくなってしまった。

義母、娘からすれば祖母の容体も予断を許さない。叔父の葬儀もある。どうにも気の休まらない日が続く。

21日には、このところパス続きのゴルフに行こうかとも思ったが、「止めておけ!」と友人に諭されてしまった。ま、それもそう、ごもっともな話だ。

こんな事を書くのも不謹慎だが、近々の予定で心配なのは、20日の夜の劇団四季ミュージカル「コーラスライン」だなぁ・・・。

そういえばこの間のNHKの「明日へコンサート」あれはすごかった。

會津風雅堂から全国中継されたが、とても會津風雅堂の舞台とは思えない大仕掛けな舞台、出演者も凄かったし、内容も良かった。

びっくりしたことが二つ。

八代亜紀さんの歌が以前とは全く違ってしまったこと、最近JAZZを歌っているらしいが、なんか声量も無く口先だけの様な歌い方で、あれは八代亜紀の「舟歌」じゃない!と言いたくなった。

それともうひとつは、あんな場所にはおよそ似つかわしくないS先生がどアップで、笑ったゴリラ顔で2度も映った事だ。

通路側の席で、目じりを下げてSMAPの中井くんに手を差し出していた。

家人が「ウソだ、ウソだぁ~」というので、録画を早送りして確認した。

どアップになったところで止めると「ホントだ、信じられない。なんでS先生が抽選に当っちゃうわけ??それにしてもこの顔、笑える!!」

今度会ったらじっくりお話しを聞いてみようと思っている。

インフルエンザから大分ずれた。

2016年3月13日 (日)

さらば叔父よ

父の一番下の弟だった叔父さんが旅立った。

私は父が40歳を迎えてのこどもだった。叔父と父は20ほど年が離れている。

昔は歳回りからいって、私が叔父の息子だと勘違いしている人も少なくなかった。

おまけに中学に入るまで、七日町の家に私達家族、叔父家族が同居していたのだから、叔父とはいえ、半分、親父みたいなもんだ。

まさに豪放磊落、酒を愛し、スポーツ万能、山っ気たっぷり、儲け話大好き、器用で菓子職人で料理人。手掛けた飲食店は6、7件に上る。

大きな声で怖いもの知らず、やんちゃ坊主がそのまま大きくなった様な人だったが、永遠の無邪気さが多くの人に愛された。

こどもが大好きで、可愛がり過ぎて最後は泣かせてしまう、そんな叔父だった。

「あれだけの大酒飲みで享年85歳は出来過ぎだ」などと憎まれ口を叩く人もいるが、納得はしつつもやはり淋しい。

心臓が悪くなり、酒は何度も医者に厳禁!を言い渡されていたが、入退院を繰り返し、家に帰るたびにまた飲んだ。

決まった口癖が「もう、80のじい様だぞ、酒で死ぬなら本望だわい!酒だ、酒だ!」

その酒にも、さすがにここ1、2年は手が伸びなくなった。

昨年から入院が続き、年頭には一時期介護施設に移るまで回復したが、3月に入り急激に弱った。

施設での看取りを家族も了承したものの、一時小康状態を取り戻す。

最期は落ち着いた環境で、と当院10階の緩和ケア病棟で引き受けていただいた。

入院当日、私が呼びかけると目を開けていた。

「分かるか?分かるか?」と耳元で何度も呼びかけると、少し目をむいて「わがるぅ」と言ったように口を動かした。

「おっ、しゃべった!」と驚いたが、それが私との最後のコミュニケーションになった。

いつも明るくご陽気で、ひそひそ話が出来ないほど声が大きい。顔の真ん中のでっぷらした大きな鼻は、痩せてピノキオの鼻の様にスマートになった。

我が家にある本家の仏壇、父の兄弟達に報告したら、涙が吹きだした。

「やっぱし、酒は良いなぁ・・・!」飲むほどにしみじみ笑う、あのどら声が耳から離れない。

『春寒や酒吞童子のままで逝く』

2016年3月 9日 (水)

名前には魂がこもってる。

「名前は世界で一番短く美しい詩だ」とこんな言葉を聞いた事がある。

名前にはそれを付けた人の願いや祈り、限りない愛がこもっている。

と思うのだけれど、マンガみたいなニュースもある。

二つの政党が合流してどういう政党名にするか、一般公募をするのだという。

政治家は信念の人だ、と思うのだけれど。どうもそうでもないらしい。

政党名というものは政治家がその信念と理想を掲げるものなのだから、当然自分達で付けるに決まっていると思っていたのは私だけだったのかもしれない。

人気投票って、動物園の赤ちゃんが人気者になるようにやるイベントじゃないんだからね・・・。

このマンガには続きがある。公募した名前の中間発表第一位が元の党名だという。

おっきいほうが小さい方と合流して、そのおっきほうの支持者は「めんどくさいこと言ってないで吸収しちまいなよ」という事なんでしょうね。おそらく。

一番多く票を集めた名前を付けるのが民主的な方法・・・と言った場合の民主は、民主主義の民主なのか?民主党の民主なのか?日本語は難しい。

人は、もしも違った名前だったら別な人生を歩むのだろうか?

あの桂三枝師匠も桂文枝に襲名してから散々だ。

ご自分で名付けた紫艶さんに「私怨」を買ってしまったみたいで本当にお気の毒なニュースだと思う。

あの芸は惜しい、師匠、変な気は絶対に起こさないで下さいよ!

高校生の頃、会津から遠く離れた大阪の電波をわずかに拾い、耳をそばだてて一晩中聞いていた大阪吹田・毎日放送の「ヤングタウン」。

その司会者だった桂三枝、その若く軽妙な司会は当時の芸能界には全く無い新しいジャンルで、あまりの面白さにハートをわしづかみにされたのを覚えている。

出てくるゲストや素人バンドなど、誰からも笑いを引き出す。今の明石家さんまの芸風につながる発火点だ。

創った創作落語の数も凄い。映画にもなった「ゴルフ夜明け前」などは、まさに名作と言っていい。

いっそ文枝をやめて三枝に戻ればいいのに。

襲名も良いけれどあまりに長く板に付いた名前をかまぼこみたいにはがすのは可哀相というものだ。捨てられた三枝の名が怒っているのかもしれない。

彼の実績・功績から言えば「三枝」を大名籍にしても良いくらいだと思う。

脱線、政党名。

どうせなら占いで、少しでも日本が良くなる様な画数で決めてもらった方が私は嬉しいと思う。ま、どうでもいいけど。

その政党名に、こもっている魂の有りや無しや?

2016年3月 8日 (火)

贈る言葉

看護専門学校の卒業式の季節となった。

今年の枕詞は「会津とは思えないほど雪の少ない冬を越えて・・・・」だ。

第45回生、36名の若者達が看護の学び舎を巣立った。

この卒業式ですっかり有名になったのが本院H院長の祝辞だ。毎年必ず見事な筆でしたためた贈る言葉。その紙を卒業生の一人に持たせる。

今年の言葉は「照于一隅」、一隅を照らすものこれ国の宝なりという最澄の言葉だ。

看護の道を通して一隅を照らし続ける人であらなければならない!との激励と祈りを込めたあたたかな言葉だ。

そしてこれもまた恒例。全員起立回れ右!後ろにご臨席のご父兄に向かって、「ありがとうございました!」と感謝の言葉を述べさせる。

「ありがとうございました!」と元気のいい声が講堂に響き渡ると、お父さんお母さんたちの瞳がたちまちに潤むのだ。

およそ1時間半の卒業式は、校歌と共に無事に終了した。

その日の夕刻から学生たちが主催の卒業祝賀会が開かれる。

年毎に工夫を凝らして和やかな祝いの宴がくりひろげられる。

会場もまちまち、出し物も様々だが、毎年、出席するたびに心がほっこりとする楽しい宴だ。

ここ何年か、この祝賀パーティの最後、中締めのあいさつを私が任されるようになった。

院長の贈る言葉に始まり、私の中締めと万歳三唱で卒業の一日が終わる。(公式行事は、という事で学生たちの二次会三次会は果てしなく続くらしいけれど)

今年はやはり東日本大震災以来5年目という事もあり、震災に関する出来事にも触れた。

自然発生的に病院に古着や衣料品を届ける人がどんどん増えたこと。それは病院に届ければきっと人の役に立つだろうという「信頼」があるから。

そして不安の中、毎日病院を眺めに来ていたおばあちゃんについても話した。病院の存在そのものが社会を安定させ安心させてくれる公器だという事。

そして卒業生諸君はこれから「超能力」を手に入れるんだとも話した。医療者にしか出来ない癒しとケア、それは超能力とも呼べる素晴らしい力だ。一般人の差し伸べる手よりも間違いなくそのパワーは強い。

超能力を持った仮面ライダーやスパイダーマンが正義を守り地球を護る使命を持っているように、君達も悩める人々を助け地域社会に貢献する(出来る)「使命」があるという事、そしてその「誇り」を決して忘れるなと。

「使命」「誇り」「超能力」、変な事を言ってたオジサンの言葉を時に思い出し、力強く荒海を乗り越える事を祈り、全員で「万歳三唱」をした。

半分与太話の様な中締めのあいさつだが、歳をとる程に年々力が入ってしまう様な気がする・・・。

卒業生の75%が当院就職だという。今年は高率だ。

進学する者、会津を離れる者、道はそれぞれだがこの会津で学んだことを忘れずにいて欲しい。

そして全員がハッピーで素晴らしい人生を送って欲しいと心から願ってやまない。

本当に卒業おめでとう!

2016年3月 7日 (月)

我慢していたんだねぇ!

週末、祖母のお見舞いに急きょ娘が会津に帰って来た。

当然、こどもを置いて来るわけにはいかないので孫も一緒に連れて名古屋から急ぎやって来た。

借りたままにしていたクルマ用のベビーシートがまた役に立った。

彼は(孫は)またもよそよそしく目をそらす。抱き上げても泣きはしないが、微妙に目を合わせない。

後列のベビーシートにしっかりと座らせて、私が前の席に座り、振り返って「こんにちわ!」と改めてあいさつをすると、その手の届かない距離感に安堵したのか「えへへへへ~」と笑った。

そのまま病院へ向い祖母を見舞う。

弱った病人はこどもにとっては怖い存在だ。しっかりと私に抱かれたまま恐る恐る、おっきいばあちゃんを見た。

病室を出たがるので家人と娘が病室に居る間、ファミリールームで絵本を読んだりして二人で待っていた。大人しい孫だ。

その夜、私は看護学校の卒業祝賀会に出席のため不在。

翌日は運動公園で少し遊んでラーメンを食べた。そして、もう一泊した明日の朝には名古屋へと戻る慌ただしいスケジュールだ。

そんな中でも一回だけ一緒にお風呂に入り、家人と娘が病院へ行っている間に二人で晩御飯を食べた(私が食べさせた)

食べたら、お気に入りのスヌーピーのぬいぐるみを抱いて布団の上でごろごろしてそのまま寝入ってしまった。なんと手のかからないこと、びっくりだ。

家人たちが戻るとしばらくしてごそごそと起き出し、夕餉にまざった。

なぜか家に木のマトリョーシカというおもちゃがある。もう二十年以上前に、新潟のロシア村に遊びに行って家族みんなで絵付けをしたものだ。

それがお気に入りで、木の人形をパカッと開けるのが楽しい。

だが1歳8カ月にはなかなか開かない。それを必死で引っ張り開ける顔が面白いのでみんなが笑う。笑われると本人も笑って益々おかしな顔をして引っ張る・・・。

それを真似て、彼を笑わそうと鬼の形相で開ける真似をした。

その私の顔を見たとたん、なんと火が付いたように泣きだしたのだ。めったに泣かない子がボロボロと涙をこぼしてママに抱きついた。

「ああ、やっぱり心のどこかで私のことが(本当は)怖かったんだなぁ・・・」とバレた。

二人で大人しくしていたのも相当に気を使ってのことだったんだ。それが堰を切った様に大粒の涙となって溢れた。我慢してたんだねぇ・・・相当に。

翌朝、元気に起きて来ても、私に気付くと全く目を合わせようとしなくなってしまった。

お別れの時も「ギュウして!」というと、申し訳程度に肩に手をまわしてはくれるが目を合わせようとはしない。

参ったなぁこりゃ、おふざけが過ぎた!

これを取り戻し再び仲良くなるには、また大分時間がかかりそうだ・・・トホホ。

2016年3月 6日 (日)

言ってたけどなぁ・・・。

昨年の暮れにNYに行った時、出会ったガイドさんやドライバーさん、アメリカに長く住んでいる日本人(もうアメリカ人?)の人たちが皆同じように言っていた事だけれど「トランプなんて大統領になる気なんて初めっからないよ。それはアメリカ人も皆分かっている。言いたいこと言って、只で宣伝して金儲けしているんだ」

という様な言葉を何度も聞いた。

そのトランプさんが、何だか本当にアメリカ大統領になってしまうんでないのか?というような勢いだ。

不動産王トランプ氏を象徴するトランプタワーと呼ばれるオフィスビル&マンションはいくつも建っているが、皆ひと目でトランプタワーと分かる同じような造りだ。

超高層でまっ黒けのガラス張り、一階ロビーには豪華なシャンデリアが見えて内装は金ピカピカ、黒と金の成金趣味満載なのだ。

トランプさんは成金でもないのだろうけど、あれがアメリカンドリームの象徴とでもいうのだろうか・・・。雲に隠れた上層階には、あのビオンセなどスター達が大勢住んでいて、思わず見上げてしまう。

あまりに破茶滅茶な暴言でテレビ討論会では「うるせ―、うるせ―、お前のかーちゃん出べそ!人の言う倍ね、ハイ俺の勝ち!」と言っているようにしか聞こえない。

それにしても北朝鮮の将軍様のルックスといい、あのトランプさんのファッションといい、どうみてもマンガチックでキャラクターデザインがされているようにしか思えない。

見事に変わっていて、一瞬目を離せなくなる。

あの刈り上げは一体どういう発想なんでしょう?あの金髪はどこからどんなふうに生えているんでしょう?

刈り上げで将軍様なら、金髪が大統領になっても不思議はない、なんて理屈でもあるまいに・・・。

泡沫だ、泡沫だと笑っていた評論家たちは、軒並み確立論を語り出す。

それも80%とか70%とかいう充分にありうる数字を上げて言うから、何なの?と思ってしまう。

どういう経過を辿るかは分からないけれど、あの人がアメリカの大統領になることは絶対にない、と私は思っている。

だって彼を大統領にしたら一番大変な事になるのはアメリカでしょう。

ま、「絶対なんってことはこの世にない」と書いたのも私だから当てにはならないとしても、そう思います。

会津は暖かい日が続いています。神明通りで半袖の人も見かけました。

雪は全く無く、山々の姿も例年よりは1ヶ月半以上は季節が進んだたたずまいを見せています。

2016年3月 5日 (土)

見たくない。

5年目の3・11が近付いている。

先日、地方新聞の随想に「これを機にもう一度、何が起こったかしっかりと向き合ってみる事が大切だ・・・」みたいなことを書いた。

そんな事をエラそうに書いておきながら、あの日のことを振り返りたくない自分がいるのに気付いた。

あの日が近付くにつれ、テレビでは様々な特集番組が組まれている。ニュースやワイドショーなどでも3・11を取り上げる事が多くなってきている。

そんな番組が始まると、決まってすぐにチャンネルを変えてしまう自分がいる。

「この後に津波の映像が流れます。ご覧になりたくない方はチャンネルを切り替えてください」などとわざわざ言われなくても、見たくなくて、心が重たくなる様な気がしてカチャっと別な番組にしてしまう。

原発事故を考え直すもそう、風評被害や原発の今、などという話題もここに来てなんだか避けたくなっている自分がいる。

逃げないでしっかりと次の世代のことを考えなくてはならない・・・のだけれど、とにかく見たくない。

無意識に自己防衛本能が働いているのだろうか、すぐに変えてしまう。

ほぼ被害を受ける事のなかったここ会津に居てさえこれなのだから、実際に水をかぶったり、ふるさとを追われた人の心はいかばかりなのだろうかと思う。

とにかく、何だか近頃胸が落ち着かなくて、地震や津波や原発事故の映像一切を見たくないという事なのだ。

見たくない人は見ない方がいい、と言えばそれまで。だけどここへ来て、一体急にどうしてなんだろう?と思う。

この日に日に高まる拒否感の正体は何なのだろうか?と考えてしまう。

嗚呼、春と共に「あの日」が巡って来る。

・・・のを、見たくない。

2016年3月 3日 (木)

本を読む

歳をとると話が説教くさくなる、とはよく言われることである。

間違いではないが、歳をとってようやく真実に気付く、それゆえになんとなく説教くさく聞こえてしまう、という一面もあるのではないかとも思う。

若いうちから気付けよなぁ・・・と、言われてしまうかもしれないが、その昔『蛍光灯』と言われたぐらいだから、パパッとは行かない私なのだ。

(ちなみに『蛍光灯』とは、スウィッチを入れてもグロウランプが瞬いて、しばらくしてから点灯するところから、少々鈍い人のことを指す。)

最近、改めて分かったのが「本を読むことの大切さ」だ。

こんなのはごく当たり前の話しで、自分も後輩達に言っていたくせに、その芯のところを痛感したのは最近だ。

「本を読みなさい!」というのは本を読んで勉強しなさい!という事だとずっと思っていた。

が、この言葉、本当は「本を読みなさい!別にどんな本でもいいのです。好きな本、興味のある本をどんどん読みなさい」とまで言って、初めて納得がいく。

字を読んで考える。字を読んで書かれている世界を想像する。字を読んでその先の世界に想いを馳せる・・・というトレーニングが人間にとって大切な事なのだという事が、今になって良く分かる。

それが「本を読みなさい!」なのだ。

小説でも伝記でも、ノンフィクションでも官能小説でも何でも構わないのだ。

文字から理解し想像する。想像して創造できる、これは人間だけだ。

人間にとって非常に大切な想像力というものを育んでくれる最良の友が本なのだ。という事に改めて気付いた。遅っ!

世の中にはいろいろな人がいる。

驚く様な考え方をする人、恥知らずな行いをなんとも思わない人、相手のことなど二の次三の次、というか全く想像力を働かせようとしない人。

人の数だけ個性があるのだから、いくつになってもこんな人がいるんだ!と驚かされることは度々ある。

そんな時、(ここからは独断と偏見と取っていただいて構わないが)最近つくづく感じるのが、そういう人って本を友としたことが無いのではないか?という事だ。

人間の価値を乗っているクルマや持ち物でしか判断しない人。結果がすべてでそこに至る手段は選ばずと言ってはばからない人。人の痛みが分からないからパワハラという概念そのものが理解不能な人・・・いろんなバカがいる。

改めて孫には読書の習慣をつけさせるようにしなければならない、と説教くさい事を考えている。

「何でもいいから本を沢山読め!本も読まない様ではろくな人間にならないぞ」と。

会津は冬型から春へ。真っ白になった街もあっと言う間に雪が消えていきます。

2016年3月 1日 (火)

幸せのパーツ

幸せというものがいくつかのパーツ(部品)からできているとして、その部品の組み立て方がうまくいかないために形にならない、そんなケースってあるものだ。

家もある。仕事もあって奥さんもいる。こども達も孫もいる。一般的に言うところの幸せに必要なパーツは充分揃っているように見えるが、奥さんとは別居、こども達ともバラバラの淋しい日々を過ごしている・・・こんな話しは珍しくない。

「なんでうまくいかないんだ?」と外野が野次ってみてもそんな事は当事者にしか分かるはずがない。

ま、多くの場合に足りないパーツとして上げられるのが「お金」ではあるけれども、「お金」の力で無理やりに貼り付けたパーツのせいで壊れてしまうという事もあるから、なにも金がすべてではない。

ジグソーパズルの様に、なんとなく形は似ているけれど違うパーツを無理やり押し込んでみても、人生のパズルは完成しない。

ある程度のパーツが揃っていながら完成させられないのは、実は自分自身に責任があるのだ!というところに思い至るまでには少々時間を要する。

また、実は完成しているのにも関わらず、もっと大きく、もっと大きくとひとつひとつのパーツに無理強いをしたあげくボッコしてしまうケースだってある。

人は、つまづいて初めて自分の生き方を見直す様に出来ているらしい。

それは多くの場合、病気だったりケガだったり、やっぱり誰かの助けが必要で、人は一人では生きてはいけない(生きて行きたくはない)と思い知るようなケースだ。

そんな時に、誰かが少しだけ力を貸してあげて、もう一度パーツを組み直す気にさせられるなら悪いことではない。

そしてもし、それでなんとかもう一度新しい形に組み上がるのならばそれに越したことはないだろう・・・。

時には誰かに背中を押して欲しい!そんな時には我を張らずに素直に押してもらえばいい話だ。

「幸せのパーツが揃っているのに、なにも不幸になっていることはない。ただ少し足りないのは『お金』かもしれないけれど、それだって力を合わせれば十分にクリアできる範囲じゃないのか。自分の周りにある幸せのパーツを良く見直してみたら?」

友人に言いたいことはそういうことです。

会津は三月の声を聞いた途端の雪、春の雪解けの歓びを忘れないために、天がちょっぴり配慮したのでしょうか?

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