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2016年1月

2016年1月27日 (水)

居ない、が不思議

中学時代の同級生が亡くなった。

肺の病でかなり苦しい思いをしたようだ。昨秋、偶然病棟で顔を合わせた。あまりやつれた様子もなかったが、肺の病気で参った、と言っていた。

が、11月だったかに行われる娘さんの結婚式にはなんとしても出たいので「退院する!」と、一緒に居た奥様と娘さんの前で意欲を見せていた。

「Sちゃん、あんまり変わらないし、元気そうだから大丈夫だべ」と言って別れた。

その願いは叶って娘さんを嫁に出し、正月も迎えたが、松の内が終わる頃から見る見る容体が悪化し、帰らぬ人となってしまった。

あの頃、若松第一中学校の三年三組はT先生の元、「なんだってまとまってんな」と他のクラスの先生がうらやむほど仲の良いクラスだった。

優等生もそうでない方も、スポーツ派も運痴派も、女子も男子も、何だかみんなごちゃまぜで仲が良かった。

Sちゃんはそんな中、スポーツ万能派の運動委員で成績は真ん中ぐらいだったかなぁ。

将棋の王将みたいにがっしりとしたアゴに黒目がちなクリっとした瞳、赤白帽が実によく似合っていた。

穏やかで口数が少なく、いつも静かに笑っている様な少年だった。

クラスのどんな場面にもSちゃんが居て、三組にはSちゃんがいるのが当たり前の様な、それでいて決して目立ち過ぎはしない、不思議な存在感を漂わせていた。

そんな人一倍元気だった彼があっけなく逝ってしまうのだから、驚いたし、少々気落ちもした。

葬儀には同級生の何人かが駆け付けて来た。きっと喜んでくれるだろうと、有志で三年三組として生花を贈った。

弔辞は幼稚園、小、中と一緒で、また息子同士も同級生という親友のIくんが述べた。

飾らない言葉で、気持ちのこもった良い弔辞だった。

「Sちゃんのことは一生忘れない。どうせ俺もそのうちに行くんだからサヨナラは言わない・・・」思わず声を詰まらせたIくんにつられ、同級生みんなで泣いた。

クルマとバイクが大好きだったSちゃん、今年の会津は雪がなく冬でもバイクに乗れるくらいだ。寒風の中、風を切って天国へ疾走・・・。

足も速かったし力も強かった。いつも端の方でニコニコ笑っていたSちゃん、居る事が当たり前だった彼だけが居ない・・・。

まだ、会場の後ろにちょこんと座っているような、そんな不思議な感覚がして思わず振り返ってしまった。

2016年1月24日 (日)

まさに侍、男だねえ!

ついにやりました。日本出身力士(ようは日本人力士)の10年ぶりの優勝!琴奨菊関31歳、大けがを乗り越えて奥さんと共につかんだ大金星だ。

横綱3人をなぎ倒しての文句なしの優勝です。おめでとう!

大関在位26場所という長い苦労を経ての栄冠、血のにじむような努力は裏切らない(裏切る事もあるけれど)という事を見せてくれた。

あの人のよさそうな笑顔が、大勢の人に勇気と希望と喜びの美酒を与えてくれたに違いない。(なんでも下戸で酒が飲めないらしい)

成績は14勝1敗、その1敗の相撲が実に印象的、感動深かった。13日目の豊ノ島戦だ。

この二人は中学時代からのライバル同士であり20年来の親友でもある。

その豊ノ島も二敗と今場所は好調だった。

悲願とも言える日本人力士の優勝は目前、三横綱を破りこの日の豊ノ島戦に勝てば王手がかかるという大一番だ。

「豊ノ島、空気読めよ!」とか、なんとなく「分かってんだろうな!」的な空気が漂う中、豊ノ島はそんな気配をものともせずに、滅茶苦茶気合いが入っていた。

ただ目の前の戦いに全力を尽くす、それこそが真の友情であり、相手を敬うという事だと改めて教えてくれたように思う。

立ち合い前、あんな厳しい豊ノ島の顔は見た事がない程の激しい気合いだった。

そして、両者とも素晴らしい当たりを見せた。押し込んでくる琴奨菊を一瞬の左からのおっつけでわずかに身体の軸をずらし、豊ノ島が「とったり」で土俵の外に琴奨菊を追い出した。

勢い余って土俵上、自分ももんどりうって尻もちをついた豊ノ島が勝ったのだ。

豊ノ島のとったあの態度はまさに侍を思わせる。

一時の評判や他人の評価、無論、利などは一切勘定に入れず、目の前の相手を敬うがゆえに(親友だからこそ)全力で当たる、まさに男の中の男の勝負だ。

それを受け止め負けは負けとまったく引きずることなく、残り二戦を勝ち切った琴奨菊も立派。男の友情を充分に理解していたのだろう。

琴奨菊が負けた時に、凡人は「ああこれでまたダメか、モンゴル人力士が優勝してしまうのか」とため息をついた。

しかし、あの豊ノ島戦の1敗があったからこそ、今回の優勝があり、優勝に箔が付いたとさえ私は思っている。

普段は穏やかな豊ノ島のあの必死の形相、あれこそが大相撲だ。

なんと言っても豊ノ島の男に惚れた初場所でした。

会津は真冬らしくなってます。磐梯山周辺は猛吹雪、気温もぐんぐん低下。ま、それでも市内の雪は少ない方。

水不足にならない程度に山にたっぷりの雪を落とし、平場はこの程度だとすごく助かります。

ただし、今年は雪かたしをまったくしないので、少々太り気味で困っている。

2016年1月17日 (日)

塀はどこへ行ったの?

会津若松市立鶴城小学校が間もなく落成する、というか、もう建物は出来て議員さん方の内覧会も行われたという。

鶴城小学校と言えば、明治6年に栄町小学校として産声を上げ、今年でなんと創立146年という歴史を誇る小学校だ。

我々がこどもの頃は謹教小学校と向い合せに建っていて、その昔の男学校、女学校の名残りだと聞かされていた。

現在、謹教小学校は旧三中の跡に移り当院のすぐ南側、毎年運動会ではその校庭をお借りしている。(ありがとうございます)

由緒ある鶴城小学校のシンボルと言えばなんと言っても小学校のぐるりを取り巻く赤いレンガ塀が思い起こされる。

今から26年前、私は前職の時代に鶴城小学校の創立百二十年記念誌「鶴翔」の編集を手がけた。

その本の表紙を飾ったのは歴史ある赤レンガの塀だった。

傾いた陽を受けて桜の葉影がゆれる。そんな優しい表情を醸すレンガ塀は、鶴城小学校の歴史と伝統を雄弁に物語っていた。

当時、あの一帯、追手門通りではマイロード整備事業というのが行われており、立派な石畳の歩道が本丸入り口まで敷き詰められた。

そのマイロード整備の際も、鶴城小学校の赤レンガの塀は、地域の宝物として大切に、丁寧に保存されて来た。

今回の新小学校の工事中も小学校を取り囲む赤レンガの塀はさわられることなく、レンガ塀の中で工事が行われてきた。

当然のことながら赤レンガの塀は保存され受け継がれていくものと信じて疑いもしなかった。(おそらく市民の誰もがそう思ったのではなかろうか?)

百二十周年記念誌「鶴翔」の中に学校の誇りとして「赤レンガ塀」の記述があり、荒川卯一郎さんという方が調査結果を記されている。

それによると来歴ははっきりとしていない。一時期、若松監獄として使われた時代のものという説もある。

明治38年の台風による甚大な被害を受け頑強な塀が設けられたとする説。

また大正10年に第一尋常小学校の新築工事が行われ、同12年、市の公会堂の落成と共にレンガ塀が整備されたとする説辺りがきわめて有力だ。

いずれにせよ百年になんなんとする歴史を誇る文化財的な価値のある塀であり、いかにも城下町の趣にふさわしい景観であった事は確かだ。

その赤レンガの塀の正門側(つまり学校の正面)の一面全てが、昨年の暮れにあっという間に壊されてしまったのだ。

現在は頑強な、おそらくは耐震構造もばっちりのコンクリートの塀が新しい小学校の前に建っている。

民間の建造物ならまだしも、市の財産である市立小学校でどうしてこのような事が突然に起こってしまうのか?少々信じ難い気がするのは私だけだろうか?

以下は仄聞であり真実の程は分からないがこんなやり取りがあったという。

事を知ったまちづくり関係者が工事担当会社の社長さんに慌てて電話をしたそうだ。

「なに、鶴城のレンガ塀、ボッコしっちまったのがよ!まさが、レンガはちゃんと保管されてんだべしたな??」「えー、そうなんですか?すぐ調べてみます」

と言ってしばしあっての返答

「あのー、施主との打ち合わせで壊したそうです。重機で壊したので古いレンガは何も残ってないそうですよ」「なにそれ?どうすんの!」「似たようなレンガのタイルでも見つけて、貼れば良いんでないのがし?」と、洩れ聞いた話。

まさかこんなお粗末な顛末ではなったろうが、消えた塀の赤レンガが保存されているとはトンと聞かない。

市立小学校を設計施工し、壊したり建てたりするのはこの会津若松市を代表する建設会社に違いない。

またそのトップは会津を代表する経済人であり、ふるさと愛も人一倍強い方々だろうと想像する。

そういう方々が何人も集まって、なおかつ市の各分野の役人が大勢集まっていて、どうしてあの赤レンガ塀がいとも簡単に破壊されてしまうのか?

誰も「おかしいぞ?ちょっと待って。ホントに良いのか?」という疑問の声は上げなかったのだろうか・・・?

おそらく法的には何ら問題はないのだろう。

保護者から古い塀はいつ倒れるか分からない、こども達に危害が及んだら一体誰が責任をとるんだ!と言われれば抗しきれない事なのかもしれない。

確かに安全が大切な事は間違いない。

しかし、教育とは危険なものをボッコす事を教えるものではなく、歴史に学び学校の古い宝を大切に思う気持ち、守るためにはどうすればいいかを考える心を育む事なのではないのだろうか。

それにしても・・・・なんだか情けなく、悲しくなる出来事だ。

2016年1月15日 (金)

繰り返すうっすら

会津に寒さは戻って来たようだが、雪は来ないと書いた。

が、このところ全く来ないわけではなく、朝起きると街はうっすらと雪化粧をしている。(1センチほどか)

出勤の際に見る町並みは、江戸の雪景色を思わせる。

薄化粧の様な真っ白な雪が屋根屋根に白く、白と黒とのコントラストになった街はまだ眠っているように見える。

その雪も昼頃には溶け、夕方には影も形も無くなっている。

そしてポンポンの夜の街を歩き、酔っ払って寝て起きるとまたうっすらと雪化粧なのだ。

こんな事を繰り返す真冬の会津なんて、60数年生きて来て初めての事だ。

このまま「根雪」という言葉を使わずに冬が終わってしまうのだろうか?

ホッキョクグマの悲しそうな顔、南極のペンギンたちの戸惑いが思い起される・・・。

タクシーに乗れば運転手さんは「ヒマだなし」という。そういえばそのタクシーを呼ぶために入った店にも客はいなかった。

株は下がりっ放しでいい事はないし、なんだか嫌な空気だ。

先日、久しぶりに「Bar保志」に行ったら、珍しく一人もお客さんがいなかった。

カウンターのど真ん中に座って氷無しのハイボールを頼んだら、すぐに後輩が3人で入って来た。

そしてハイボールが出る頃には、4人組の客が一番奥のボックス席に入り、しばらくするとM新聞社の社長さんが3人で現れ、そうこうするうちにI先生が美女を二人連れてボックス席にやって来た。

まるで皆が時間を示し合わせたかのように、あっ!と言う間に店内は賑やかになった。

バーテンダーが「なんか、仙台四朗みたいですね!」と私に向かって言った。

「そう、俺って仙台四朗よりすごいって言われてるんだよ。俺が来るとなぜかどんどんお客さんが来るんだよ!」と言ってみたが、どこへ行ってもオールフリーの仙台四朗さんの様に「勘定無用」というわけにはいかなかった。

冗談はさておき、このまま会津に仙台四朗の様な福の神が来てくれないと本当にやばい事になりかねない。

とりあえずは、雪をもたらす冬将軍様が福の神なのかなぁ?(いやだけど・・・・我慢します)

2016年1月13日 (水)

ファミリーパワー

長年外国に住んでいる日本人は大勢いる。NY旅行の時に半日ガイドをしてくれたKさんもそんな一人だ。

もう30年以上NYに住み、日本での暮らしよりも長くなったという。ミニバンに我々を含め6人ほどの観光客を乗せて見どころを周る。

運転するその間中、話しっ放しだ。よくしゃべるガイドさんだった。

もの凄く情報量が多く、頭をフル回転させても追いつかないほどだった。特に歴史が好きらしく、NYの生い立ちから、この奇跡の様な街を創りだしたアメリカ人の精神文化にまで解説が及ぶ。

建設不可能と言われたブルックリン橋を築きあげた親子三代にわたるフロンティアスピリットの下りはなかなかに聞かせた。

要はアメリカ人は困難にくじけないという事、たとえ人が死んでも(犠牲を払ってでも)目的を達成するためには決して怯まず、戦い抜くという精神だ。

(それが今、世界の混乱に拍車をかけている様な気がしないでもない)

ま、ここはそういう話ではなく。彼が雑談の中で語った事に「へぇ~、そういう見方もあるんだ」と思った事。すっかりアメリカ人思考なんだなぁ、と思った事があったという話し。

日本の芸能界、DAIGOさんと北川景子さんの結婚の話題だ。

ま、どうでもいいと言えばどうでもいい話だが「北川景子さんは超玉の輿ですよね」と彼は言った。

それはお金の問題ではなくて、総理大臣を輩出したファミリーの一員となる事、その玉の輿が凄いというわけだ。

ご存知の様にDAIGOさんは竹下元総理のお孫さんだ。

で、売れないロック歌手だったわけだが、結局はおじいちゃんの七光りをきっかけに人気者になった。

アメリカには貴族階級も王室も無い。しかし、ロイヤルファミリーに近い様な扱いを受けるのが大統領を輩出した一族だ。

最も良い例がケネディ家だろう。ケネディ家はどこまで行ってもケネディ家、アメリカを代表する名家なのだ。

その感じと、竹下家の一員となる北川景子さんを重ねての言葉だろうと思う。

なるほどそういう捉え方もあるのか・・・と妙に記憶に残った。

真逆と言えば真逆だが、「ゴッドファーザー」もファミリーの結束、ファミリーのパワーを見せつけた映画だった。

総理大臣を生んだ家族の一員になる。そんなにすごい事なのかなぁ・・・彼に言わせると超玉の輿なのだそうだ。

そんな風に思ったことはなかったが、みなさんは思いましたか?

会津にも真冬の寒さがやって来た。

だが、やってきたのは寒さだけで真っ白な雪は、まだ来るのを忘れたままだ。ここまで雪が少ないと様々なところに支障をきたしてくる。

除雪費用が流れなければ冬の会津の経済は動脈硬化をきたし、詰まり詰まりになってしまう。

「いやー、雪がなくて良い塩梅だなし」などと軽々に言うと「どこがいいんだ!」と尖った言葉が返ってくる事もある。

やはりあるべきものはあった方が、みんながうまく行くという事なのだ。

2016年1月 7日 (木)

人間臭い

こんな事を書くと怒られるかもしれないが、あのベッキーさんが初スキャンダル、それも不倫報道と聞いて、やっぱり普通の人と変わらないんだな、とちょっとほっとした。

ベッキーというタレントさんをそんなによく知っているわけでもないが、なんでもすごい潔癖症でふざけて男性タレントが身体に触れたりすると「ドント・タッチ・ミー!」と、すごい剣幕で怒っている。そんなところを見た印象が強い。

それだけ清潔感と明るさで売って来たわけだ。

そんな彼女が男の才能に惚れて、恋に落ちる。それもいけない間柄。

万が一、ばれた時に自分の失うものの大きさ、それと今手にしているモノを秤にかければ、天秤がもの凄く大きく傾いている事を、聡明な彼女が分からないはずはない。

それでもやっぱり軽率なことをしでかしていまうのが、人間と言うものだ。

「バカだなぁ・・・」と言われる事をやってしまうから人間だとも言える。(バカの種類もいろいろあって一概には言えないが、煩悩に囚われる人間的なバカだなぁ、のバカ)

いつの世もブルースや演歌になる様な、バカ野郎のお話しってやつだ。

多大なご迷惑と心配をおかけして・・・そして、夢から醒めて我に返ってみると、少々青ざめる程の「実害」。

離婚が成立するまで待てばよかったのに・・・誰もが思うのは結果論。

ま、こんなスキャンダルなど乗り越えられるだけの才能を顕示出来ればいいのです、それがアーティストであり芸能人と言うものです。

あの日に時計の針が戻らないだろうか・・・何度、後悔の涙を流す事でしょう。

他人の不幸は蜜の味というのではなくて、まるでお人形さんの様な冷たい美しさだったけれど、やはり人間臭い感じがして、好感持てるなベッキー!って感じの芸能ネタでした。

さて、福島民友新聞のK支社長が御栄転なさるとの事。

営業で6年、支社長で6年と実に12年の長きにわたり会津勤務をされた稀有な経歴。会津のために本当にいろいろとありがとうございました、という事で有志での送別の宴が開かれた。

まちづくり関係の方が顔をそろえた宴、途中から支社長そっちのけで喧々諤々のまちづくり論議!

M様、喜寿を越えてもまだあそこまで熱くなれるという事は健康である証しです。

K支社長も取材メモに何やら書き込んで・・・良いですなぁ、酒を飲んでガンガンやり合っても次の日に持ち越す事はない旧知の仲。

こちらも人間臭くって、なかなか良いもんです。

2016年1月 5日 (火)

そういえば

去年の話しになるが、12月10日に例の「春画展」をとんぼ返りで見に行って来た。

東京目白にある永青文庫、熊本の細川家のお屋敷の脇にある洋館、そこで日本で初めて十八歳未満入場禁止の美術展「春画展」が行われている事は、一度このブログに書いた。

秋の会津会の帰りに立ち寄ろうとしたら月曜日が休館日でがっくり、おまけによく調べたらまだ始まっていなかったというあのいわく付きの展覧会だ。

9月中旬に始まり12月の末には終わる。すごい人気らしいが、どうも出張など、ついでのチャンスがみつからない。

私のブログを読んだ女性からは「仲間で行ってきました。すごく面白かったです!」というお礼のメールまで届いた。

そこで昼の年末のあいさつ回りをキャンセルし、夜の忘年会までには戻る段取りで、思い切って行くことにした。

永青文庫、初めてだったが、東京でも超一等地のこの一帯を細川家が所有しているのだからすごいもんだと思った。

同じお殿様でも、戊辰で負けた会津のお殿様とは大分違う(ご無礼!)

「今日は平日だからいいですよ。土日なんか2、3時間待ちはザラらしいから・・・」とタクシーの運転手さん。このところ永青文庫までというお客さんが急に増えたんで一体何をやっているんだ?と思っていたらしい。

「春画ですよ」と言っても、「しゅんが」という言葉の響きが全くピンとこないようだ。「ま、浮世絵ですよ」と言うと「あ~ぁ、浮世絵ですか」というが、どうも分かっていなさそうだ。

この日は待ち時間もなく入れたが、中は結構な人だ。展示ケースの前を二重、三重になって移動して行くという感じだ。

かなり古い時代のものから、もちろん江戸が中心だが明治まで。肉筆、版画、豆本など数百点が揃った。

どれが素晴らしいかは好みによるが、美術書などで見た事のある有名なものも数多い。(特に版画に)

老若男女、女性連れの鑑賞者がやけに目立った。私の前に居たOL風の女性二人連れは、しゃべりながら進んでいく。

「えー、これどうなってんの?」「女の足があっちで、男の足がこっちよ」「すげー、股関節柔らかっ!」と、そういうもんでもないだろうが、完全に自分達だけの世界に入り込んでいる。

「春画」と言うエロティックな言葉の響きに対する恥ずかしさの様なものは全くない。

こんな会話を後ろで聞いているだけでも笑える。

会場が狭いからか静寂感はなく、話しながら鑑賞している人が多かったように感じた。やはり、これも「春画」ならでは、というところか・・・。

全体の印象としては、これだけの作品を一堂に集めて見応え充分なのだが、どうも解説文がつまらなかった。

学術的に気取った感があって、あくまでもこれは芸術ですからね、と構えているようだ。

どうせ十八禁という思い切った挑戦をしたのだから、解説ももっと「春画」の核心に迫る十八禁の内容でも良かったのではないかと思う。

「世界が先に驚いた。」が、この展覧会の宣伝コピーなのだから、もっと挑戦的に春画に肉迫し、分かり易い言葉で見るものをニヤリとさせる様な名解説が欲しかったなぁ、と思った。

そこがちょっと残念だったが、たっぷり2時間ほど楽しみとんぼ返り。

夜の忘年会では立ちっぱなしだった足の痛さも忘れ、大いに盛り上がったのでありました。

2016年1月 4日 (月)

名画の旅

NYのお話し。

3つの美術館へ行った。定番といっても良いメトロポリタン美術館とニューヨーク近代美術館(MoMA)、そしてぜひ行きたいと思っていたノイエ・ギャラリー。

メトロポリタン、MoMAはNY観光の定番スポットだ。

とにかくもの凄い収蔵品の数で(特にメトロポリタンは)「そんなに集めてどうすんの?」と言いたくなるほどだ。

あれだけの収蔵品を整理・管理し、研究する。表には見えない人の数も、仕事の量も膨大なものだ。

じっくり見ていたら時間がいくらあっても足りないし、足が棒になってしまう。

特に自分達が見ていて楽しい、近代絵画の部門を集中して観て歩いた。

ゴッホ、セザンヌ、マチス、ピカソ、モネ、ゴーギャン、その他なんでもといっていい。

教科書で知っている芸術家ばっか、というやつだ。各人の傑作が1点なんてせこい話ではなくズラリと並ぶ。

驚いたのは、絵画の数はもちろんの事だが、みんなバシャバシャお気に入りの絵の前で写真を撮っている事だ。その絵の前に柵も何もない事だ。

絵から5、60センチの足下に「これ以上は近づかないでね」といったテープがさりげなく貼られているだけだ。

隅々に警備員が目を光らす事もない。もっともあれだけの展示室の隅々に警備員を配置したら一体何人必要なのか・・・千人でも足りないだろう。

これはある意味すごい。それだけ事故も起きないし、そんなバカなことする奴もいないという事なのだろう。

「アメリカ人って結構いい加減なのに、こういうところはちゃんとしてるんだ・・・」なんて言うと怒られるか?

日本人の礼儀正しさ、公共心の高さはよく褒められたりするが、案外こういうところはダメかもしれない。

芸術品との距離感、そのかけがえのなさというものを小さな頃から徹底して叩き込まれて育つのだろう、と思った。

メトロポリタン美術館でゲップが出るほど美術品を鑑賞して、東に2ブロックほど歩いた角にノイエ・ギャラリーがある。

こちらは四階建のこじんまりとした洋館だ。ドイツ、オーストリアの退廃的なアートを収集したギャラリーだったが、数年前にクリムトの「アデーレ」、アデーレ・ナンタラカンタラの肖像という名画を156億円という価格で手に入れ、一躍有名になった。

金ピカの衣装に包まれた世界一高価な美女と言われる絵、ご存知の方も多いだろう、あれだ。

時々小雨が落ちる中、30分程並ばされた。ギャラリーの中が狭いので(と言っても2階、3階とかなり広いが)人で溢れてしまう。出てきた分だけ、入れるという塩梅だ。

この列には日本人は一人も見えなかった。

ギャラリーの2階に上がると目の前にあの「アデーレ」が飛び込んでくる。人だかりで一杯だ。

想像した以上に絵は暗く、アデーレの顔色も青ざめているように見える。お天気のせいもあるのだろう、一説によるとこの絵はNYの夕暮れ時、摩天楼が赤く染まる瞬間が一番美しいのだという。

それでもやはり素晴らしい。しばし見とれて、その他数点のクリムトも楽しんだ。

ドイツ帝国の崩壊前夜、退廃的な香りのするその他のコレクションもなかなか面白かった。

「アデーレ」、こんな絵が一枚会津にあれば観光客も倍増するんだろうなぁ・・・。

156億円の元を2千円の入場料で採ろうと思ったら・・・7800万人??気が遠くなるのでやめにしましょう。

2016年1月 3日 (日)

暑っつい!はないだろう?

会津のお正月は穏やかを通り越してちょっと変だ。

年末にちょっと降った山の雪もどんどん溶けて、寒さがどこかに行ってしまっている。

部屋のストーブなんか20度に設定しておいても室温はどんどん上がり、25、6度にまでなってしまう。「暑っつい!」

これじゃ滑降可能のスキー場も間もなく閉鎖だろう。

この異常気象は世界的なもののようだ。

年末に訪れたNYも全然寒くなく、イブの日には22度もあった。

NYは大体、青森、札幌と同じぐらいと言われている。防寒対策を万全に整え、出発前にネットで週間予報を確認すると信じられない数字が並んでいた。

低い日でも12度ほど、高い日は20度を超えるとある。

もう一度荷物を見直し、ぶ厚い股引やセーターは置いていくことにした。それでも滑るといけないからと持っていった家人の冬のブーツは一度も履く事なく、終始スニーカーで過ごした。

私はオーバーもやめて薄いダウンにしたが、あちらでは一度も着なかった。ジャケットでコートなし、マフラー手袋もなしで充分だった。

充分どころか、美術館や劇場では「暑っつい」話だ。汗を拭かずに居られないほどだ。(人一倍汗かきなので)

外国人はすぐに半袖になるが、クリスマスのNYの街はなんと三分の一が半袖だった。

飛行機の中ではずっとノースリーブのオバサンも居た。さすがに「あの人寒くないのかなぁ?」「あの腕だからね、きっと大丈夫なんでしょ」とこんな会話。

4日間滞在したが結局、ダウンは一度も着ることがなかった。必要だったのは傘、雪じゃなくて雨だった。

10ドルで二人で入れるでかいのを1本買った。

セントラルパークのスケートリンクにはクリスマスソングが流れ、歓声が響き渡っているが、眺めるこっちは汗をぬぐうほど「こんなNYは初めて、びっくりポンだ!」といろんな人の声が聞こえた。

「Unbelievable! Bikkuri Pon!!」

温暖化、温暖化と言われるが、このところの実感させられぶりはすごい。(変な言い方)

どうせ他人事でしょう、という脳天気な人は今やもういないだろう?

暑い冬、寒い夏、熱帯の雨、溶ける万年雪、すぐ身の周りでSF映画で見た様な光景が繰り広げられている。それも間違いなく地球規模で・・・。

何を何とかすればいいのか分からないが、とりあえずストーブの設定温度を下げてみる。

でも、暑っつい!

2016年1月 2日 (土)

笑う正月

暮れの27日にNYから会津に戻ったのが19時過ぎ、それから、一週間遊んだ分のバタバタであっという間にお正月を迎えた。(書きたいことも沢山あるのだが、ブログを更新することまままならず年は明けてしまった)

29日に院内挨拶周り&打ち上げ、30日には正月の準備をして夜には恒例の家族でのふぐ忘年会を楽しんだ。

大晦日にはいよいよ娘夫婦と孫がやって来る。

「郡山まで迎えに行ってね」と言われていたので一人で行くのかと思っていたら、結局、家人も一緒に行くらしい。早く孫に会いたくて仕方がないのだ。

名古屋に転勤になってから初めての会津だ。郡山までは乗り換えを入れておよそ4時間だ。

久しぶりなので泣かれるかもしれない・・・。

なんでもジイジに慣らすために携帯の写真を見せていたら、条件反射で写真を見るたびに泣くようになてしまったらしい。(余計なことをして・・・)

ベビーカーに乗って表われた彼は、一瞬、私と目を合わせるとすぐに知らんぷりをした。近づくと案の定、泣き出しそうになる。

そこで間髪を入れず、大好きだという機関車トーマスのミニチュアを取り出した。

ゴードン、ヘンリー、ジェームス、ヒロ、と買い貯めておいたんだ。

少しご機嫌が治り、クルマのベビーシートに座り、走り出す頃にはもう笑っていた。

実によく笑う孫で家の中は一気に賑やかになった。

大晦日、騒ぐだけ騒いで食べて早々に寝てしまったが、ジイジは頑張って紅白歌合戦を最後まで観て、12時にはちゃんと穴八幡の「一陽来福」のお札を貼りました。

元日、我が家の初詣は30年来、一ノ堰の六地蔵様と決まっている。

その足で親戚を2軒回る。

昨秋、施設に入り正月の帰還は叶わなかった叔父の家には孫や曾孫たちも集まっていた。

叔父を施設に残し、叔母は少し元気なく見えたが「なんだって、ニコニコしてめげぇな!」と孫を見て笑った。

義母は暮れから少し体調を崩しているが小康状態。あまり顔色は優れないが声を出してけらけら笑う孫に「なんだって、よく笑う子だこと!」と目を細めた。

その後、長いお昼寝の後に目覚めたらパパもママもお出かけで、ジジ&ババしかいなかった時にはさすがに大泣きをした。

両目から大粒の涙がポロポロとこぼれた。それも透き通ったきれいな涙だ。(まさに孫バカです)が、テレビでトーマスを見せるとすぐに泣きやんだ。

大してぐずることもなく、すぐに機嫌を直し三人で元旦ディナー(すき焼き)の買い出しに行った。

とはいえ、スーパーの押し車に乗せても妙に大人しかったが、戻ってようやくパパ・ママの顔を見るとまたケラケラと笑い出して、周りのみんなも笑った。

こんなに笑うお正月も久しぶりだ。

ひとつ歳をとって、なんだか孫に教えられたような気がしてならない。

改めて・・・笑顔の大切さ。笑顔が様々な事を解決してくれる、癒してくれる、乗り越えさせてくれるという事。

笑顔のないところに、ハッピーな人生なんてないんだという当たり前のこと。

「まずは笑う・・・」「とはいっても笑ってみる」「にもかかわらず笑う事」

昨年秋には名古屋へ転勤して大変だったパパとママ、結局、二人を慰め支えていたのは一番小さな彼の笑顔だったんだな、って事がよく分かる。

まぁ、この小さな宝物を、泣かせずにお風呂に入れることが出来るかどうか・・・この正月三が日の大きな課題である。

泣くな、きっと。

旧年中は大変お世話になりました。本年もいろいろとよろしくお願いいたします。本年がみなさまにとって笑顔多き一年となりますようお祈りいたします。

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