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2015年11月

2015年11月30日 (月)

高齢化

12月5日の封切りを楽しみにしていた007、新聞を見たら11月最後の週末に上映していると出ていた。

早速、郡山テアトルに電話で確かめてみると先行上映でやってますよ、とあっけなく返答。

なんだそれ?じゃぁ、観に行かなきゃなるまいという事で、13時35分からの2回目を目指して行くことにした。

007シリーズは、正直なところショーン・コネリーのボンド以来、あんまり熱心に観ていたわけではない。

だが前作の「スカイ・フォール」を観て、なんだこれは昔の007と全く違うじゃないか!と驚いた。

ボンドが、なんか地味目なダニエル・グレイグになって全く触手が動かなかったが、「スカイ・フォール」を観て感激して「カジノ・ロワイヤル」「慰めの報酬」と遡ってDVDで観た。

この6代目のボンドは、一大ブームを巻き起こしたショーン・コネリー以来最高のボンドという評価が高かったのも大いにうなずける。

ロジャー・ムーアのボンドあたりからあんまり観る気がしなくなっていったのだが、改めてダニエル・グレイグのボンド、007ファンになった。

そんなわけでこの12月のダニエル・グレイグ第4作「スペクター」は心待ちにしていたのだ。

自宅を11時に出て、用事を済ませ会津若松インターから郡山へ。

立ち見になったりすると困ると思い、映画館でチケットだけ買ってから昼飯へ。

「大丈夫、充分座れますよ」という言葉に安心してカツ丼を食べた。

時間になりいってみると拍子抜け。

座れるどころか、むしろガラガラだ。やっぱり先行上映の情報が行き届いていなかったのだろう。

「あ、ちょっと、ちょっと、あの人!」と家人指差す先にK先生がいた。娘のお産の時に大変お世話になったドクターだ。

私が手を振ると、顔を見てびっくりしていた。まさか007で会うとは思わなかったのだろう。(こっちも思わなかった)なんでもK先生、かなりの007ファンらしい。

007シリーズが始まってもう40年になるそうだ。

それだけにファンの高齢化も進んでいるんだなぁと、客席を眺めて改めて思い知った。

ほとんどというか、全員が中高年。10代、20代の若者など皆無なのだ。

今の若者に007って知ってる?と聞いて一体何パーセントの人が知っているのだろう?

「アベックで007観てフィーバーした」などという文章は、全く理解できないかもしれない。

「007 スペクター」面白かったです。

世界中を舞台にしたスパイ映画らしく、舞台もメキシコ、ローマ、雪のオーストリア、砂漠のモロッコ、ロンドンと変わりすぎるぐらい変わる。

アクションシーンも大迫力・・・でも主役のダニエル・グレイグ10年経って少しくたびれたかなぁ、って感じはしましたね。

もしかしてこれが最後かもしれないとささやかれていますが、もう1本ぐらいは彼のボンドが観たい気がします。

ショーン・コネリーの時代から007は観たことないというあなた、今の007は全く別物のスパイ映画です。ぜひ一度ご覧になる事をお勧めします。

高齢化したとはいえ、かなり興奮します。

2015年11月28日 (土)

新そば

11月25日のロータリーの「新そばの会」は欠席にする事にした。

その夜に會津風雅堂で演劇鑑賞会の例会があったが、こちらも欠席することにした。なんでも日色ともえさんのミュージカルだとか。

というのは、その夜に山都の宮古まで新そばを食べに行くことになったからだ。

院長の肝煎りで毎年11月の末から12月のアタマにかけたこの時期に、研修医師を中心に新そばを食べに行く。今年も行こう、という事になった。

それで昼のそば会をキャンセルしたというわけだ。昼夜と新そばの食べ放題は、いくらなんでもちょいときつい。

参加者は18名、18時過ぎにマイクロバスで出発、およそ1時間半かかる本当に山の中だ。

車中には最低限のビールを準備、あればあっただけ飲んでしまうので一人350ml1本程度。

坂下を過ぎ、山都町の街なかを過ぎると真っ暗のくねくね道だ。冬タイヤにはき替えた古いマイクロバスがエンジンをうならせて登って行く。

院長は新潟大学から直接向っている。そば宿は昨年と同じ「権三郎」さんだ。

1時間20分ほどで到着、あまりの山道に二人が車酔いした。(すぐに回復)院長は一時間近く前について、そば焼酎のそば湯割りを愉しんでいた。

山菜や煮豆、岩魚、漬物など山の幸が次々とふるまわれる。ビールや日本酒も冷蔵庫から適当に持ってきて次々開けた。てんぷらも出る。

中国からの研修医師二人も参加、囲炉裏で焼いた岩魚に「おいしい、おいしい」を連発。荊州は内陸部だけに淡水魚の魚がやっぱり好みなのか・・・。

やがてそばが始まる。まずは水そば、その後は漆の平椀に一枚づつ運ばれてくる。

これを調子に乗って、早いペースでズルズルと行くと、後で腹がパンパンになって苦しい思いをする。

要するに「いやしっこ」はいけませんよ、という事だ。ほぼ毎年来ているのでさすがに学んではいるわけだが、それでもやっぱり食べ過ぎてしまう。

今年のそばは出来が良い部類だと思う。のど越し、香り、噛んだときの歯ごたえ(通は噛まないというが私は噛んでしまう)それぞれに上等、美味い!

8時前について、9時半頃に終了、打ったそばは完食だ。私は平椀3杯、食べたのは7杯、平均4.5杯といったところか。

「もっと食べるならこれから打ちます」と旦那さんが言ったが、さすがにそれには及びません(ゲップ!)と返答。

車上の人となった。帰りの下り道は運転手のSくんも慎重運転、出来るだけ酔わないようにスムースな曲がりを心掛けていた。

病院到着は11時前、風も冷たくめっきり冷え込んで来た。この分だと宮古ももうじき雪だろう。

寒くてふるえるが、そばはやっぱり冷たいのが美味い!

2015年11月26日 (木)

さよなら磐梯

暖かかった11月も下旬になってようやく冬めいて来た。

冷たい風が吹き付け、遠い山に白いものが見える。会津も一気に冬模様、冬タイヤの出番だ。

ガソリンスタンドが減っている。

過疎地にガソリンスタンドが無くなって、冬場の灯油の配達などが出来なくなり、お年寄りにとっては死活問題になっている地域も少なくない。大変だ。

一方、街の中のスタンドもどんどん減っている。

これまでは冬タイヤを積んで来て、午後に取りに来るから、と言ってスタンドに置きっ放しにしてタイヤ交換をしてもらっていたが、そんな風に車を置いて歩いて来られる近さにスタンドが無くなってしまった。

仕方がないので、リタイヤして時間が出来た家人の車のタイヤ交換をまずして、今度は私の車に冬タイヤを積んで、車を交換してまた家人にスタンドに持っていってもらう。

ちょっとした手間だ。

ま、スタンドがなくて本当に不自由されている方から見ればナニ馬鹿なこと言ってんだ!と叱られそうだが、やっぱり不便は不便だ。

先週の日曜、おそらく最後の磐梯をラウンドした。すっかり冬空、雨こそ降らなかったが風が時間が経つほどにどんどん冷たくなっていく。

ボールも飛ばない、頬も凍える。ラウンド後の風呂ではは冷え切った体がしびれた。

さよなら磐梯 また来て100点!腕前を象徴する点数で今年のシーズンも終えた。

また来年の春、4月の後半かな?

それまで雪の中でクローズしているのだから雪国のゴルフ場経営も楽じゃない・・・とつくづく思います。

その後も天気図は時雨模様、北のあちこちに雪だるまが顔を見せている。

我が家の2台の車も無事に冬タイヤにはき替えた。なんだかんだいって結果、例年より少し早かったような気もするなぁ・・・。

ま、後はいつ雪が来ても大丈夫!とは言うけれど出来るだけ来ないで欲しい(スキー場以外には)と願う今日この頃だ。

2015年11月22日 (日)

楽しいワインの会

会津若松ロータリークラブの有志で3ヶ月に一度ほどワインの会を開いている。

このところ開催場所は「厨」さんが続いている。

何せ5千円程度の料金で、料理と参加者が満足する程のワインを出してもらい、またそのワインの解説までもしてくれというのだから、受けてくれる場所も限られてくる。

前回は「ドイツワインの夕べ」で奨学生のI嬢をはじめ20名程度が集まった。

今回は「チリワインの夕べ」とした。(私がこの春から幹事を仰せつかっている)

諸行事が重なったのか、今回は14名と参加者が少なかった。が、それだけにこじんまりして楽しい会となった。

チリワインはなんと言っても関税が安いのだそうだ。それだけにリーズナブルで美味しいワインが楽しめる。

解説によると、チリはブドウ栽培には最適で、1900年初頭にヨーロッパを襲ったブドウの病気からも逃れ、良いブドウのDNAが受け継がれているらしい。

料理もシェフがなんとなくチリ風に工夫を凝らしてくれる。

白ワイン2種に始まり、赤ワインが3種、それぞれの味を楽しみながら量もたっぷり、飲兵衛も満足だ。

折角なので一人ひと言、2分間のスピーチをする事にした。テーマは「私とワイン」、これが結構受けた。

ワインとの出会いを語る人、失敗談や思い出・・・熱がこもってはるかに時間オーバーしストップのかかった人、ドンドン脱線して戻れなくなった人など、名誉にかかわるので内容には触れないが、大笑いの内に盛り上がった。

酒宴で、一人ひとりへの気遣いをしながら、会全体が盛り上がるということは意外と少ない。

乾杯!をすると、しばし歓談、それぞれに席を立ちワイワイの内にお開きとなるのが通常パターンだ。

その会、全体が一つの方向を向いてみんなで共通した楽しいひと時を過ごす。パーティではこれが大事なのだ。

スピーチに耳を傾けながら、時折入るチャチャやヤジもセンスが問われる。スピーカーを盛り上げながら、時に盛り下げながら、大爆笑が起こる。

ああ、あの人ってあんな一面があったんだ。なかなか楽しい人なんだなぁ、とか笑いのセンスが粋、など思いがけない気付きや発見もある。

「いやー、本当に楽しかった!」とみんなが口をそろえて言ってくれたという事は、こんな風に酒と会話をとことん楽しむ酒宴が、ありそうでないという事の表れでもある。

こういうのもロータリアンとしてのトレーニングになるかもしれない。

ま、楽しいと言っていただければ幹事冥利に尽きるというもの。

価格がリーズナブルだけあってワインも通常の1・5倍程空いた。中には自分がスピーチで話した事を全く覚えていないという猛者もいた。

この会、冬場はちょっと休み、次回はおそらく3月頃になるだろう。オーストラリアかニュージーランド辺りのワインでやってみたいと思っている。

日本にも素晴らしいワイナリーが続々誕生していると聞く。その内に、日本産ワインでもぜひやってみたいと思っている。

ゲストの参加も受け付けているので、出てみたい方は是非!特にレディは大歓迎です。

2015年11月20日 (金)

こぼれ落ちた。

昨晩の日韓戦、悪夢の9回で大逆転負けを喫してしまった。

7回まで、大谷投手の素晴らしいピッチング、それを受けて則本の8回のピッチングも見事だった。3点差、もう誰もがこのゲームはいただきだと思った事だろう。

「勝つと思うな~、思えば負けよ~」この負けよ~は、負けですよー、ではなくて負けるであろうの、負けよ~だ。

小久保監督も半ば勝利を確信した事だろう。則本で行くと決めていた、その則本が期待通りにピシャリ、あとアウト三つだけだ。

決めていた継投策がズバリと決まったかに見えた。そのズバリが「則本で正解!則本は大丈夫!」との思い込み、しがみつきにもつながるのだ。

9回、一人目のピンチヒッターにいきなりのヒット!でも、則本は大丈夫!が断然勝っている。

もし野性的な感を持つ監督ならば、「あれおかしいぞ?」がすぐに頭をもたげるはずだ。

いきなり走って行ってピッチャー交代を告げるかもしれない。そうはしないまでも、次の打者にピッチャー返しのヒットを打たれ、その打球が則本投手の足に当たった時には、きっと動いただろう。

人間、成功体験からはなかなか抜けきれない、そんな典型のように後手後手に陥る。

またも打たれ1点かえされさらに1、2塁、あそこで松井に変えていればまた違ったかもしれない。

続いてのデッドボール、結局はノーアウト満塁で弱冠二十歳の松井に託すことになっていしまう。

それも前回リリーフであんまりピリッとしなかった松井にだ。

なんと押し出しのフォアボールという最悪の結果、慌てて増井投手へ。

ガラガラと勝利の方程式は音を立てて崩れ落ちた。

一旦イケる!と思ってすぐにやっぱりイケない!とハンドルを切るのはすごく難しいという事だ。

あー、もう一回やらせて!と言っても決して戻らないのが時計の針だ。トーナメント戦は負けたらそこでお終い、勝利が手のひらからこぼれおちた。

分かっていたはずなのに後悔は残る。

勝負に、たら・ればはない。

ないけれどもなんと言っても7回、8回のチャンスにもう2、3点取れていれば・・・それが一番のたら・ればかな。

悔しいー!

会津は暖かい11月だ。昨日乗ったタクシーの運転手さんがこんな事を言っていました。

「いやー、こんな暖かい11月は初めてだなし。まだ、ストーブもコタツも点けないで我慢してんだし、節約して・・・。まぁ、朝晩も暖房なしでいられる11月なんて初めてだなし」

なる程、我が家は普通に点けているが、確かに暖かくて、よく消す。

2015年11月17日 (火)

二つの美術館

「生と死を考える会・会津」の研修旅行で静岡方面へ出かけた。

静岡と言えば富士山だが、初日は雨の中を走り、翌日の午後には青空も見えたが、富士山はチラリとも顔を見せることはなかった。

研修先は「ねむの木学園」の訪問。学園自体はお休みだったが、学園運営のレストランで食事をし、美術館、文学館をゆっくりと見学できた。

ねむの木学園にいる間は不思議な事に雨は止んでいてくれた。

ねむの木美術館には、ねむの木学園のこども達の作品が展示されている。

学園に絵画教育を取り入れると、驚くような能力を発揮し始める子どもたちが次々と現れたという。

そんな子供たちの絵が数多く展示されている。

キャンバス一杯に描かれた無数の花畑や色鮮やかな町並み、色彩の爆発の様な強烈な色の塊、どれも思わず「スゴイ!」と息を飲む。

もの凄い細かさだ!そのすべての線に全くよどみがない。一本目に引いた線と、おそらく何時間も作業を続けて引いた線が全く同じ。

「これは普通の人では出来ないわ!」と言ったりするとそれこそ宮城まり子さんに「それこそが偏見と差別だ!」叱られてしまうかもしれないが、やはり常人には出来ない。

身体障害、知的障害を持った大勢の子どもたち、彼らが描いた絵を見ると、障害というものもひとつの「個性」なのだという事に改めて気付かされる思いだ。

夕刻、静岡市内のホテルに入る頃にはまた雨脚が強まり、食事会もその後の静岡おでんでの二次会の間も、ずっと雨は降り続いていた。

翌日は、久能山東照宮、三保の松原と巡る予定だったが、どうみても雨模様・・・三保の松原を急きょ静岡県立美術館に変更することにした。

知らなかったが、静岡県立美術館はロダンの彫刻を一堂に集めている事で有名らしい。

そのロダン館には32体の彫刻があり、あの「地獄の門」も展示されている。

思いもかけず、芸術の秋を堪能することになった。

企画展では写真展をやっていたがなんだかよく分からなかった。なんと言っても圧巻はロダン館だった。

正面にあの地獄の門がそびえ立つ。その両側に「考える人」はじめ「カレーの市民」などの大きな彫刻が並び立つ。なかなかの迫力だ。

ロダンの彫刻が圧倒的な迫力を醸し出しているのは、その今にも動き出しそうな手足の力強さ、大きさだ。

普通の人間の身体バランスとは全く合っていないほどの手の大きさなのだが、不自然さが全くない。

力強い手が、足が、モノを言っているようにさえ感じる。

「考える人」・・・3メートルほどもある像の正面に立つと、悩み俯く人が、いきなりその手を開き、首を絞めるのではないかと思えるような迫力がある。

沈黙の中に息づく生命の躍動、ロダンの手は生命の象徴なのだ、ガバッとその手に掴まれそうだ。

なかなかいいもの見せていただきました・・・。

もし雨が降らなくて良い天気だったなら、おそらく一生訪れる機会も無かったであろう美術館だ、なんとなく儲けた気にさえなる。

富士山は姿を見せてはくれなかったけれど、考えようによっては雨の景色もまた乙なもの、雨だからこそ出会えるラッキーもあろうというものだ。

何事も、ものは考えようです。良い方に良い方に考えてまいりましょう。

素敵な二つの美術館でありました。

2015年11月16日 (月)

終わりの無い物語

胸のすく映画は、ヒーローが最後に悪をやっつけて終わる。

あの傑作「ダイ・ハード」、ビルを占拠したテロリストたちをたった一人のついてない刑事が見事やっつけるからスッキリする。

テロリストたちはもの凄い悪だくみで大金を略奪し、逃亡を図る。それを阻止するヒーローの大活躍、その闘いがあってこそ映画になる。正義は勝って物語は終わる。

それがもし、犯人が金も欲しくなく、逃げようともせず、自身の命を惜しむ事もなく、ただひたすらに攻撃を加える人殺しだけが目的だとしたら、そこには恐怖が残るだけだ。

フランスで起こった凄惨なテロ事件にはそんな恐ろしさがある。

無名のテロリストたちは攻撃を加えるだけ加えて、後は自爆してしまう。

出来る限り証拠も関係性も残さぬように、全く惜しげもなく聖戦に身を捧げる。

一人一戦、やるだけやって終わり。そしてまた使い捨ての兵士が次々とウンカの様に湧いてくる。

これは終わりの無い恐怖の物語だ。

どうしてISなどという恐怖の軍隊を生んでしまったのだろうか?

わずか60数年生きてニュースを眺めて来ただけで、そう簡単に理解できるものではないだろうけれども、どんどん悪くなっていく様な気がしてならない。

フセインやカダフィ大佐など砂漠の狂人のように言われていたが、彼らが存在していた時の方が危うげながらにも安定していたように思えてならない。

砂漠には砂漠の、イスラムにはイスラムの安定があったのだ。

たとえそれが我々の側の常識からは、遠くかけ離れていたとしても「間違い」でも「悪」とも呼べるものでもなかったように思えてならない。

結局、一番悪いのは、あの砂漠地帯に眠る巨万の富を狙い、似非正義のボッコを付けて、意のままに操ろうとした人間たちの「強欲」だ。

それは間違いない。

ベトナム戦争でも、中東の戦いでも、民族や宗教の壁を越えて(破壊して)、世界を都合のいい一色に塗り替えることなど出来やしない、と分かったはずなのに、過ちは繰り返えされる。

激情的な怒りには「殲滅」という答えしか浮かばないだろう。

しかし、絶対に「殲滅」など出来はしないのだ。皆殺し、なで斬り、根絶やし・・・は不可能だ。

生き残った怒りは、さらにモンスター化する。それこそがISだ。

答えは一体どこにあるのだろう?

フランスは怒り空爆を激化させる、そしてさらにテロは繰り返されるのだ。

その舞台の片隅に、日本だって、この会津だってすでに乗っかっていることは間違いがない。

ああ、おっかねなし!

2015年11月15日 (日)

「ごそ」の付けどころ

民話の語り部をなさっている、女性からなるほどと唸らせられる様な話を聞いた。

「ごそ」というのは会津弁で訛っているので「~だからこそ」の「こそ」の付けどころというお話だ。

会津のとある村の娘に初子、次子、末子という三姉妹がおったとさ。初子、次子はなかなかの器量良しであったが、末子は父母の悪いところばかりをかき集めた様なブーちゃんだったそうだ。

初子、次子は早々に縁談の話しが持ち上がり、さっさと嫁いで行った。

だが、二人ともひと月もしない内に出戻ってしまったんだと。

二人の言う事には「あんな酒飲みの怠け者の婿様なの、たまったもんでね」と言う。「とんでもねぇ、婿様だ。私だからごそ一ヶ月も我慢して持ったのだ。普通なら2,3日で逃げ出してしまうわい」と言ったそうだ。

やがて末子にもようやく嫁入りの話しが来た。

父母は器量の悪い娘だけに大いに心配して、何時帰ってくるか?追い出されるのではねえか?と案じぬ日は無かったと。

ところが末子は戻って来ない。お盆には大きなおなかを抱え、山程の手土産を持って嬉しそうに里帰りしたんだと。

末子が言う事には「あの旦那様だからごそ、あの父様だからごそ、あの母様だからごそ、私はこうして幸せに暮らしていけるんだ。来年にはやや児も生まれる。本当にありがたい事だ・・・」

自分に「だからごそ」を付けるのではなく、人様に「だからごそ」を付けられる感謝の気持ち、ありがたい、ありがたいと微笑む末子の顔はなんとなく輝いて見えたんだと。

と、こんな様な粗筋だ。

自分の事は棚上げし、自分は正しい、間違っていない、そんな風にすぐに突っ張ってしまう事は少なくない。

人間、誰だって多かれ少なかれ自己中であるのは致し方ない事だ。やはり自分がかわいい。

だがそれでも他人への感謝を忘れてはならないということだ。

感謝の気持ちをなくした顔は、きっと相当にブーたれているに違いない。

「ごそ」をどこに付けて考えられるか?語れるか?

そういう事を考える気持ち「ごそ」が、大事なんだなあ・・・と思います。

2015年11月12日 (木)

身不知柿

身の程知らずに実るから「身不知柿」(みしらずがき)と言われるという。

会津の秋には欠かせない味だ。

毎年、同級生のIくんに頼んで、遠く離れた親しい人に会津の秋の味覚を送る。

Iくんは米と柿の農家だ。9月には新米が出来る。玄米30キロの袋を3袋、これで我が家の1年間の米はほぼまかなえる。

一袋が8000円程だから合わせて2万4千円、ひと月2千円程の勘定だ。これなら1ヶ月1万円生活もそう難しくはないんじゃないか?と思うが、きっとそう簡単なものじゃないんだろう・・・。

で、米が終わるとIくんから柿のDMが届く。

昨年送った一覧がプリントアウトされており、そこに追加したり、削ったりしてファックスで送り返す。

すると11月の声を聞いた頃に、どこどこに送りました、あちらへは明日発送します、などというメールが携帯に届くのだ。

そして最後にIくんが我が家の分を直接届けに来てくれて、お金を払うという段取りだ。

先日届いた4Lの柿を食べてみた。

もともと身不知柿は大好きだが、今年の出来の良さには驚いた。

渋柿をさわして生まれるあの独特な爽やかな甘み、その甘さが今年は一段と強い、それでいてくどくない。

加えてあの果肉の絶妙な歯触り、間違いなく今年は当たり年だ。

嬉しくなって早速Iくんへ、今年の柿は素晴らしいとメールを打った。

私のところへも送り先から、美味しい、びっくりしたという御礼のメールが届く。

Iくんからはそう言われると作り甲斐があります、という返事、私も送り甲斐があると嬉しくなる。

美味しいものは幸せを呼ぶ、その幸せが循環すれば、世の中も柿の様に角が取れて丸るくなろうというものだ。

良いものは自慢していい、口に出して褒め称えよう。嬉しい笑顔が、きっと笑顔を呼ぶ。

そんな会津の実りの秋深し・・・である。

2015年11月 5日 (木)

加賀百万石・最終回

二日目のゴルフは雨となった。とはいえ風はなく、それほどの大降りでもなく、充分に落ち着いて出来るゴルフ、コースも素晴らしい。

なかなか調子の良いゴルフで4ホール目まで2オーバーで来たが、5ホール目でティショットのミスからずっこけた。5番、6番の2ホールでナント20点も叩いて終わってしまった。

が、楽しかった。

名物ホールのショートコース、グリーンの真ん中に小さなバンカーがある。残念がらワンオンせず、ボギー。

この日の成績はT先生が二日連続優勝、私はBB。でも賞金も入り、パットが決まって握りも大きく勝利。

温泉の浴場に浸かり冷えた身体を温める。金沢・香林坊に戻ったのは夕暮れ時となった。

今夜は東京のYくんの知り合いの紹介という新興のお寿司屋さん。近江町市場近くにある「歴歴」という店、なんでも名店からののれん分けで、金沢駅にも支店があるらしい。

昨日とは違いボックス席、8千円ほどのコースを頼んであったそうだ。ここでも「黒帯」を飲んだ。

つまみが続き、寿司はそれぞれに12貫ほどが並ぶ。変わっているのはすでに味付けがしてありそのままいただけるという出し方、ネタは新鮮、シャリの小ぶりでパクパクと行ける。

たっぷり食べて、支払いは昨晩の6割5分と言ったところか。

ここでタクシーを頼み2組に分かれた。我々、TくんとYくんのワインバー組は、東の茶屋街を目指す。

昔は「東の廓」と言っていたが整備も進み、「廓」という言葉のイメージは良くないという事で茶屋街と呼ばれる様になった。

格子戸の街並みに明りが灯り、情緒たっぷり。観光客が多くぶらついている。

見上げれば夜空が美しい。

明るい白い雲が流れて、そのずーっと高い奥の空が真っ黒だ。漆黒と薄白のコントラスト、こんな珍しい夜空はめったにない。宮崎駿のアニメの空みたいだ。

そんなお茶屋さんの中のひとつ「照葉」(てりは)、ここもYくんの知り合いのおすすめの店だ。

店の中は畳敷きで、足のおろせるカウンターが伸びている。奥に箱庭も見えて良い感じだ。

「いいねぇ、いかにも金沢に来ましたって感じだよね~」フランスワインと、南アメリカのワインが空いた。

女将が「先週、新城さんがおいでなったよ」という。末廣の社長・猪之吉氏、全国どこにでも出没している。

酔い覚ましに茶屋街をぶらつき、写真などを撮ってホテルへと戻る。

あっという間に明日はご帰還だ。フロントで朝食を頼み、Y君と私は9時に待ち合わせて別れた。

翌朝、Yくんと歩く。

兼六園を周り、小洒落た店でオジさん二人がコーヒーを飲み、21世紀美術館へ。一度行きたいと思っていた美術館だ。兼六園、金沢城のすぐ近く、街中にある人気の美術館。人が一杯だ。

『誰が世界を翻訳するのか』という現代アート展が開かれていた。めったに接しない現代アート、思わず楽しいひと時を過ごすことになった。いくつか印象的な作品に遭う。

昼、金沢駅で皆と合流、すでに大分出来あがっている者もいる。聞けば朝の7時から飲んでいるとか。丈夫だ!健康だ!おバカだ!

13時04分発の新幹線に乗車、帰りは行程表どうりの切符でびっくりポン!は無し。

大宮でYくんと別れ、全員無事に会津着いたのは18時前だった。

有難いことに家人が迎えに来てくれていた。皆に挨拶をし「じゃあな」といって別れた。

秋の三日間、こんな風に遊び呆ける事の出来る立場と、健康、家族に感謝して・・・Aくんを送って、帰路に着いたのでありました。

終了。

2015年11月 4日 (水)

加賀百万石2

会津から電車を乗り継ぎ5時間強で金沢に着く。

今回もゴルフ場の手配はT先生、「加賀カントリークラブ」「朱鷺の台カントリークラブ・眉丈台コース」といずれも名門コース、ジャケット着用だ。

一日目のゴルフ(加賀カントリー)は素晴らしい天気に恵まれた。この名門コースもキャディさんは5人しかいないという。しかもキャディ付きのプレイは我々2組だけという。これもご時世というものか。

青空の下、スコアはさておき素晴らしいゴルフだった。

最近ようやくドライバーが振れるようになったので、それだけでも楽しい。パットも好調、途中がいまいちだ。

全員総握り、コンペは新ぺリアでハンディキャップは天井なしなので、大叩きしてもスコアが悪くても誰にも優勝のチャンスがある。

初日はT先生優勝、私は2位だった。

金沢のホテルからは車で約1時間、ゆっくり風呂に使って金沢・香林坊のホテルに戻る。

夕飯までは自由時間。隣りのデパ地下でつまみを買ってワインを開けるもの、マッサージを頼むもの色々。私は金沢城、兼六園辺りを1時間ほどゆっくり散策してみた。

兼六園には来た事はあるが、金沢城をゆっくり見た事はなかった。

周りの石垣だけだが、さすが加賀百万石、スケール感が違う。街中には茶道、能楽などの加賀文化の影響を色濃く受けた落ち着いた店構えの老舗が並ぶ。

何度か来てはいるが、こんな風にゆっくり街中を歩くのは初めてだ。

金沢城から犀川べりへ、そしてまた香林坊へとぶらりぶらり。

骨董屋でもあれば冷やかそうかと思ったが、骨董屋は見つからなかった。

今夜の晩飯は金沢一ともいわれる「千取寿司」。

カウンターにずらりと6人の席を用意してくれた。おまかせのつまみに始まって焼き物、そして握りをお好みで。これまた食べるわ、飲むわ。

板前さんも圧倒されてる感じ。燗酒はすぐそばの蔵元・福光酒造の「黒帯」だけ。ぬる燗が抜群に寿司に合う。

和らぎ水もまた蔵元の水だそうだ。

ぬる燗二合とっくりで15本強、冷酒三本、焼酎割も何杯か。東京のYくん、ここでも飲みっぷりに呆れかえる。

たっぷりと食べて、たっぷりと払い。香林坊へ戻り解散。

日曜の夜という事もあり休みの店もちらほら。コンビニに仕入れに行き、明日の朝に備える。

ゴルフ場行きが速いので、ホテルの朝食は付けていないので、各自の手配だ。

明日は雨の予報、なんだか、どんどん降水確率が上がって来る。

これはさすがの晴れ男もダメかなぁ~、ひどい天気にならねいことだけを祈り、、酩酊す。

 つづく

2015年11月 3日 (火)

加賀百万石

北陸新幹線の開業を祝して金沢に行って来た。

祝して、などというと偉そうに聞こえる。かこつけて、と言った方が正しいかもしれない。

同窓生のゴルフ旅行、今年は6人の参加となった。(昨年は8人だったが、11月はどうしてもというので今回は残念ながら2名がパス)

今回も旅行の一切をTくんが幹事として手配してくれた。こういうまめな人間がいないと、とてもうまくいかない。

行程表に合わせて、10月31日の2時過ぎに会津若松市を出発。磐越西線に乗るや、早速ビールで乾杯し旅の無事を祈った。

郡山着、東北新幹線へ。ここでビックリポン!発生。

行程表通りなのだが、みんなが手にしている切符が、乗車予定の一本前の新幹線なのだ。という事は、切符の列車はすでに郡山を出ている。

なぜ?なぜ?こうなったのかはTくんだけが知るのみだ。

仕方がないので、行程表通りの新幹線の自由席に並ぶ。いい歳したおっさん連中が「なして?」「なんでこうなったの?」「行程表は合ってるのに切符が違うっちゃ、どういうこと?」などと大騒ぎ。

よっぽどおかしかったのか、列の前の女性が顔をうずめるようにして笑いをこらえていた。

オジさん6人、なんとか自由席にバラバラながらも席を得て大宮へ。その間にTくんは、車掌さんを捕まえて繫ぎの北陸新幹線の座席をなんとか確保してくれた。

見事なお手並み。

結局、行程表の列車ではなかったものの後発の列車の方が停車駅が少なく、3分ほど遅れただけで金沢駅に到着した。

1人だけ東京から参加のYくんは改札駅を出たところで待っていた。Y君に送られた切符は行程表通りにだったのだ。それなのになぜ会津組は??

とても不思議な間違いなのだが、これ以上、詮索してみても仕方がない。

駅前で手配のレンタカーを借りて無事6名乗車。飛び石連休のさなか、ようやく取れた香林坊のホテルへとチェックインとなった。

8時前に香林坊の居酒屋へ(こちらもちゃんと予約済み)。

金沢名物や地の物、本日のおすすめなど、次々と注文、すごい勢いで食べ且つ飲む。とても62歳の食欲、飲みっぷりとは思えない。

東京から参加のYくん曰く「俺も東京じゃ酒飲みで通っているが、君達を見てると俺なんかほんのたしなむ程度だよ」

昼から飲み続けだからすごい。私もたしなむ部類かな・・・?

居酒屋を出ると香林坊は若者で溢れていた。そう今夜はハロウィンナイトだ。

会津若松市とは違い盛り場は仮装した若者で溢れている。

ゾンビやバニーガール、血だらけの看護婦さん、ドラキュラなどが手を振るとみんな「イエーィ!」と陽気に応えてくれる。

行きかう人々が一夜限りのあいさつを交わす。

陽気なディズニーグループが私をつかまえて「あっ!ハイジのおじいさんだ」と叫ぶ。

ちょっと、ちょっと、こっちは仮装していませんけど・・・・と言いたかったが、素直に仲良くカメラに収まった。

波乱含みの出発、そして賑やかなハロウィンの金沢、さてこの後どうなります事やら。

 つづく

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