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2015年6月

2015年6月30日 (火)

ヘルメットは要らない?

森の中に置かれた巨大なヘルメット。流線型の未来型競技場、国立。

オリンピックに向けて動き出した日本で、工事が間に合わないなどと言う事態が起こるとは信じられないような気持で聞いた。

日本は工期を厳守するし、いい加減な仕事はしない。多くの日本人は日本人の勤勉さ優秀さに誇りを持っている。

しかし、そう簡単な話ではないようだ。

世界的に高名な日本人の建築家達が、この計画は絶対に無謀であり、変更すべきと箴言するならそうした方が良いと思うのが、至極当然だ、と思うのだが、そう簡単な話でもないようだ。

一旦決定した事は何が何でも守り通すと言うなら、計画の一部修正、変更も止しにした方が良い。

一部修正変更できるくらいなら、がらりとあきらめてもよさそうなものだが、そう簡単な話でもないようだ。

いくら予算が膨れ上がっても出来るというのなら、最初から予算などあってない様なものだ。

どこからが無駄遣いなのか線を引けないのなら、正しい予算など最初から立てられていなかった事になる。

科学の進歩はめざましい。使い勝手が良くて、フレキシブルに変更の効く、丈夫な箱があれば良いのではないかと思う。

どうせ科学技術は日進月歩なのだから、むしろどんどん変わっていけるようなシンプルな箱が良いと思うは素人か?

第一、国立競技場なのにネーミングライツ(名称権)ってあるのかな?と不思議に思う。

「国立ヒュンダイ・スタジアム」とか「国立アップル・スタジアム」なんてことにならないのかしらん?

何よりもそんな事を考えなくてはならないほどお金がないのなら、素直にシンプルな計画でやり直せばいいと思うし、もし国民投票をしたら絶対そうなると思うのだが・・・そう簡単な話でもないらしい。

大体、流線型なんて、すぐに古臭くなる。陳腐になるんじゃなかろうか・・・。

ローマのコロッセオなんて何千年たってもカッコいい。

ま、せめて定礎には、これこれこういう経過で責任者は私でした。ぐらいはしっかりと刻み埋め込んでおいて欲しいと思う、国立競技場のゴタゴタである。

会津は梅雨空、水無月が行きます。

2015年6月29日 (月)

人は聞きたくない事を聞く

それまで仲良く話していたと思ったら、いい歳をした大人が急に怒りだすことがある。

「てめえ!」と青筋を立てて怒っているのだが、言われた方は相手が何に怒り出したのか分からなくてキョトンとしている。

そんな場面に出くわした事はないだろうか?私は何度かある。

言った方にそんなつもりは全くないのだが、妙に相手の怒りのツボにヒットしてしまうのだ。

リスクマネジメントの世界では「人は自分の思っているように聞いてしまう」とよく言われる。自分がこうと思い込んでいると、そう聞こえてしまうもの、そこに危険が潜んでいるのだ。

だから必ず復唱して「これこれこうですね?」と確認することが大事、人は聞きたいように聞いてしまう生き物なのだ。

飛行機だってぶつかりそうになったでしょう。あれはあなたのOKじゃないのに、OKが欲しいから、勝手に自分のOKと聞いてしまうという好例だ。

だが、このブチ切れるパターンはその逆だ。

言った方は、一体どこが悪かったのか分からないから謝りようもない。ただただ、恐縮してしまうしかない。

思い起こせば、このパターンは怒りだす方がエラくて、言った方がペーペーと言うケースが多いようだ。そして勿論、深酒状態での事だ。

「一体おまえはあのお方に何を言ったんだ?」仲裁に入っても「それが分からないんです!」とペーペーは震えているというパターンなのだ。

想像するに、日頃堂堂とエラそうにしている人であっても、叩けば、すねに傷の一つぐらいは持っているものだ。(多くの人間は・・・)おそらくはそこに命中してしまうのだ。

うまいたとえ話が出来ないが「お仕事が山を越えて良かったですねぇ~」とお上手を言ったつもりが、相手は山で起こったあの出来事を忘れたい、隠したい、遠ざけたい状態だったりする。

その「山を越えて良かった」が「山であんたは何をしたんだ!」に聞こえてしまうのではないだろうか?

いきなり痛いところに手をねじ込まれた体で、「あの野郎だけは許されぬ!!!」となってしまう。

そんな事が何度かある。

そのいずれの場合も日本酒が冷酒だったような・・・・。(会津の地酒かどうかは関係ない)

要は飲み過ぎと言うやつが一番の原因なのだが、「人間は聞かれたくない事を、言われてもいないのに聞いてしまう生き物なのだなあ」と不思議に思う。

・・・聞きたいように聞いてしまうし、聞きたくない事も聞いてしまう、とかく厄介な生き物なのだ。

いずれ、深酒はやめましょう。ケンカはやめましょう。

その歳で手を出したら洒落にもならない。おまけにそれが聞き間違いでは目も当てられぬ。

山の嫌いな人には山の話をしない。お金にうるさい人にはお金の話はしない。

ましてや維新の過ち・・・・歴史の見解の相違を正そうなど、酒宴ではもっての外である。

2015年6月23日 (火)

熱発す

長雨に打たれたのが悪かったのか、週末久しぶりに熱発した。

37度3分、平熱が5度台と低いだけに相当な熱発だ。だが、インフルエンザやMARSとかでない事は分かる。

インフルエンザになると8度台の高熱が出て、意識も少々朦朧とする。

家人が心配するので1度低く言っておいた。しかし、7度台になると節々が痛み、筋肉が熱くなって壊れて行く感じがする。解熱・沈痛剤を1錠飲んだ。

土曜の午前中は事務所に行き、メールやら回覧書類やら決裁書類に目を通し、しばしの留守の間、大した困りごとも起きていない事を確かめ、昼には早退し、すぐに寝た。

夕方まで2,3度目を開いたが、そのまま寝続けた。頭が重い。少し熱が下がったようだ。サバ読み無しの6度台になった。

日曜はゴルフが入っている。

塩梅の良い事に、と言っては同伴競技者に誠に失礼だが、天気が悪く、雷の予報もある。

流れるなら流れるで仕方がない、と思いながらも一応はゴルフに行く体制で、晩飯を食べ酒を控え早めに寝た。

夜中は土砂降りの雨音が響いていた。2時間ごとに目を覚ますような浅い睡眠で朝を迎えた。

朝になって雨は小康状態を保っていたが、会津地方には雷注意報発令。今後の予報も下り坂ばかりだ。昨夜の大降りでコースコンディションもひどいだろう・・・。

友人にメールを送る。「どうする?」「今日は止めておいた方が賢明だね」「そうだね!」あっさり決まった。すぐに仲間に電話を入れて中止を伝えた。

朝飯を食べて、ひと寝する事にする。

だがその頃にはなんだかおかしな塩梅で、空が暗くなるのではなく明るくなってきたのだ。そして少し横になってウトウトしていると青空さえ顔を見せているではないか。

なんだか、あまりにあっさりと中止を決めてしまい申し訳ない様な気分になる。

もし前日に熱発していなければ、もっとしぶとく「行くだけ行ってみてから決めんべ!」ぐらいは言ったかもしれない。

とはいえ、一旦熱が出ると体調は本調子を大きく外れ、元のレールに戻るまでには時間がかかる。だるい。

月曜の東京出張、早々に取りやめにして事務局に連絡、病院にもメールで予定の変更を告げて置く。

東京の帰りに、ずっと風邪気味だと言っていた孫のお見舞いもしてこようと思っていたが、こちらも残念、行けないメール。

全米オープンを見ながらゴロリゴロリの、風邪気味・父の日となったという訳だ。

昼過ぎに出かけ、諸事用足しを済ませて、またもやゴロゴロ。

夕方には平常の5度台の体温に戻った。こうなると、ああ、今日のゴルフは残念だったなと、残念さが増すのだから現金なものだ。

寝たり起きたり、一日が長い。

やっと夕方。『笑点』を見ながら、「あ、そうだ!この間、残した赤ワインが冷蔵庫に入ったままだ」となり、早速、赤ワインをちびりと舐めた。

セラーではなく冷蔵庫なので完全に冷やし過ぎなのだが、熱発明けの身体にはその冷たさがいたって心地良く、美味しいのでありました。

でも、また早寝。

2015年6月22日 (月)

ウォーターホール

雨の軽井沢、昼の空き時間を利用しタクシーを飛ばして、H先生を誘い「軽井沢千住博美術館」に向かった。

水墨画ではない、白と黒の世界。「ウォーターフォールシリーズ」

まっさかさまに流れ落ちる滝の大迫力を岩絵の具で描きだす。今、世界でも最も売れっ子の画家だ。

流れ落ち、はじき飛ぶ水しぶき、それを包む黒は、藍から紺、濃紺から漆黒へと姿を変えて行く奥深い黒だ。

そして・・・滝は鮮やかな色に姿を変えて行く。

あのドバイの最高級ホテルを飾っていると言われるシリーズは、砂漠の中に紅や群青、黄金の水しぶきを降らせているという。

砂漠のホテルに似つかわしい、無限に流れる水しぶきだ。

千住博氏の素晴らしいコレクションを展示している建物もまた実にユニークだ。

建築界の俊英・西沢立衛氏が設計の建物は不思議だ。

入り口に小さな受付テーブルがひとつ、そこから奥へと川底の様に展示スペースが大きく流れて行く。右に左に千住氏氏の絵が見え隠れし、床は地べたの形状そのままに下っていく。

館内に平らな床がどこにもない。ベビーカーや車いすはとてつもなく大変な美術館だ。

なかなかへんちょこりんだが、それがまた千住氏の絵にピタリとはまっている。

大作、幅15メートルはあろうという「ウォーターホール」。

絵の前にある池にそのまま滝が写り込む。流れ落ち、また水底から立ち昇る水しぶき、思わず「うぉーっ!」とため息が漏れた不思議な空間で、しばし時の経つのを忘れた。

篠降る雨で館内は閑散としていた。それがまた良い。ほんの2時間ほどの、軽井沢の小さな旅を楽しんだ。

会津から軽井沢は予想以上に近い。

会津を出てクルマで50分、郡山から大宮まで新幹線で50分、大宮から軽井沢まで北陸新幹線で50分という感じの近さだ。

16時前に軽井沢を後にした。

大宮を越えて那須にさしかかる頃、シトシトと続いた梅雨のウォーターフォールがようやく上がって、空が明るくなってきた。

2015年6月21日 (日)

雨の軽井沢

もう40年以上も前の事だ。

日本海にそった国道を走り京都を目指そうと思っていた。オートバイで。今は亡きTくんと二人で。

あの頃流行ったイージーライダーを気取って、オフロードの250ccのバイクに、着替えと寝袋だけを積んで旅に出ようとしていた。

しかし、朝のテレビのニュースは台風がやって来るとがなり立てていた。山陰から北陸、新潟に向かって雨風共に大荒れになるという。

どうせ気ままな旅だ。台風に向かっていくこともないだろう、と118号線を真っ直ぐ南下するルートに変更することにした。

日光から軽井沢、長野、松本、木曽路へと日本列島のど真ん中を抜けて行こう、と17歳の二人はのんきに考えたのだ。

しかし、このルートも雨だった。真夏なのに冷たい風が身体を襲った。確か碓氷峠のドライブインだったと思う。もう日も、とっぷり暮れた頃だった。

熱いラーメンをすすって一息ついたが、二人ともどうにも腰が上がらない。

そこで図々しくもドライブインの店主に「すみません。雨風でどうにも動きが取れないので、畳の部屋で朝まで休ませてもらえませんか?千円で」と願い出た。

「しようがねえなあ。8時過ぎたら俺らも下るから、誰もいねえよ」と言ってポットひとつに熱い茶を入れてくれ、二階の部屋で朝まで寝かせてくれたのだ。もちろん寝袋だ。

まったくもってのんきな時代だった。

翌日になっても雨は残ったまま。雨と霧の軽井沢をバイクで走りぬけたのを、うっすらと記憶している。

ひょっとすると軽井沢はあれ以来かもしれない。

旅行の途中に観光バスなどで通り抜けた事はあったかもしれないが、少なくても軽井沢の駅に降りた事は一度もない。

日本病院学会が軽井沢のプリンスホテルを会場に行われた。

この日も40数年前と同じように雨と霧だ。よっぽど軽井沢とは相性が悪いのかもしれないなぁ。

改めて軽井沢は美しい町だ。

駅から見渡しても3階建て以上の高い建物が1軒もない。街全体、建物全体が緑の中に埋もれているような佇まい。緑が雨にぬれて目に沁みるようだ。

コンビニもファミレスも看板は地味な色合いに変えられ、少し走れば洒落た洋館のようなお店が点在、そんな表通りの奥には別荘が広がっている。

人口2万数千の町に1万数千の別荘があるという。夜の11時にはコンビニも営業を終え、自然保護のためほとんどの街灯も消されるのだそうだ。

さすが歴史と伝統のリゾート地、まるでここだけ異次元の世界と言う感じがする。

雨は期間中の二日間、絶え間なく降り続いた。

1日目の夜、口演発表を終えた職員、発表を明日に控えた職員を集めて宴を開く。毎年どこに行っても行われる恒例の慰労会だ。

旧軽に近い洒落たそばどころのテラス席を予約していた。が、雨のため室内へ。

蕎麦屋なのにちょっとイタリアンが入ったような料理も顔を出す、コース料理。

ひと通り、満足の味わいではあったが「そばも清酒も、やっぱり会津の方が上だ!」と小さな声で全員が納得しながら、宴は大いに盛り上がった。

例年ならこのまま二次会までは連れて行くのだが、軽井沢には遅くまでやっている店もないようだ。ましてこの雨・・・タクシー3台に別れ、それぞれの宿へとフェイドアウトした。

45年前、雨に打たれながらも胸をときめかせて、バイクで走りぬけたあの軽井沢・・・そして45年後の同一人物は、木々に囲まれたホテルの部屋で窓を伝う雨のしずくを眺めながら、遠い遠い日の事を思い出してみた。

時折、大きく揺れる木の枝、ん、思い出した!と思った頃には、もう完全に眠っていた。

2015年6月18日 (木)

いくつになっても顔は変わる

人間、35歳を過ぎたら自分の顔に責任があるという。

親からもらったこの顔、男前だったり、美人だったり、キュートだったり、ブスだったり、生まれついてのものは仕方がないと言うものの、35歳とは言わず、人間の顔は自分の心掛けで確かに変わるものだ。

決して美人ではないけれど、ニコニコして好感度抜群の人もいる。どことなく味のある顔、またどことなく嫌味な顔と言うのもある。

顔はその人の心理状態、性格、日々の心構えを反映するから、持って生まれた顔以上に自分で作る顔(人生によって獲得した人相)の方が、ずっと大きいという訳だ。

先日、久しぶりに酒を飲んだ大先輩がいる。

失礼ながら、その時先輩の顔を見て少々驚いてしまった。

それまではそんな事は全くなかったのに、黙っていると眉間に皺が寄り、への字に結んだ口元から真っ赤な下唇が飛び出しているのだ。

大病をされたとは聞いていた。

しかし、その後回復され仕事にも復帰されていると言うが、半端ない孤独感と言うか、孤高の人と言うオーラが強く強く漂っているのだ。

それがぐっと口を結び、なおかつ飛び出している真っ赤な下唇に現れている。

「お前の話なんか聞かない。俺は孤独を生きている」と背中に書いてあるのではないかと思い、トイレに行ったついでに思わず先輩の背中を見てしまった。

35歳と言わず、いくつになっても人の顔は変わるのだ。ポーの小説で「渦」に巻き込まれた男は、その恐怖から一夜にして白髪になってしまったという。

どうせ変わるなら、にこやかに、好好爺と言われる落ち着いた穏やかな世界に自分を持っていきたいものだ。

しかし、人生はそう甘くはない。

過酷な運命が人の顔をいくつになっても変えるんだ、と改めて思った。

自分の顔は変わってしまう。人の事言っている内に、自分が卑屈で世をすねたような顔になる、なんて実は簡単な事なんだ。

美人じゃなくて構わない。美男じゃなくて構わない。それほど長くはないこの先の時間、自分の好きな、好みの顔の人と長く付き合っていきたいものだと思う。

先輩、私でお力になれるならなんなりと言ってください・・・。

会津は梅雨入りの様です。

2015年6月14日 (日)

納棺夫日記

映画「おくりびと」の元となった本、「納棺夫日記」を書かれた青木新門さんに会津文化センターで行われる「第28回生と死を考える会津セミナー」の講師をお願した。(6月13日午前10時~開催)

「生と死を考える会・会津」のメンバーの一人が、福島での講演を聴講し感動、ぜひ会津にもお招きしたいという事になり、図々しくもネットで直接お願いしたところ、快諾をいただいた。

前日会津に入られ、宿泊先のホテルで会の役員10名と食事会を開いた。

77歳の新門先生は非常に精力的で、なおかつ気さくなお人柄であった。

食事会の直前までお部屋で仕事をされていたようだ。

「先生はお酒は召し上がりますか?」「酒飲まなかったらもっとちゃんとした人生を歩んでいたね・・・」と人懐っこそうな笑顔で微笑まれる。

ビールに続いて、会津の清酒を注ぐ、箸も盃も会話も和やかに進んだ。

俳優・本木雅弘さんとの出会いやその人柄、富山の話や戦争の話、文学を志したという新門先生の引き出しは無数にあるようで、話題は尽きない。

みんなで大いに笑い、飲みかつ食べた。

宴の中盤からは出来るだけ偏らないように、普段あまり出しゃばらない人へも話を振った。

新門先生の懐の深さがなせる技なのだろうか、思いもかけない心情の吐露が相次いだ。

T氏は、若き日の母への想いと、その父親との葛藤を熱く語った。

そんな中でも誰もが少し驚いたのは、いつも言葉少ないNさんが、54歳で亡くしたご主人の事を語り始めた時だ。

ご主人を亡くされている事は知っていても、その事をこの会でNさん自身の口から聞く事はなかった。

Nさんは、新門先生の死ぬ瞬間に誰もが光り輝くという話にひかれる様に、初めて最愛の人を亡くした瞬間を語り出した。

辛い別れの瞬間、そしてそれを受け入れられずに死ぬことだけを考え続けた日々・・・Nさんの頬にも、聞いた会員の頬にも一筋の涙が流れた。

そんなNさんに向かって新門先生はぐいっと身を乗り出し、温かい微笑みを一杯に浮かべていた。

翌日の講演会を前に、「生と死を考える会・会津」の役員一同、思わぬ感動の時間をいただくことになった。

やがて笑いと涙の内にお開きに。

明日の準備もあるので一次会で解散となったが、なんとなく少し歩きたい気分だ・・・。

寒くもなく暑くもなく、いい季節の会津の夜の街を一人。

若干、右に左に引っかかりながらも月夜の中、千鳥足になるような事もなく家路へとついたのでありました。

2015年6月 9日 (火)

LGBT

テレビで見たニュースの話。LGBTって知っていますか?

私は全然知らなかったが、性的少数派のみなさん、Lから、女性同性愛者のレズビアン、男性同性愛者のゲイ、両性愛者のバイセクシュアル、そして性同一性障害のトランスジェンダーの頭文字なのだそうだ。

近頃、同性婚とかいろいろ話題になっているが、そうした性的少数派への偏見と差別をなくし、法律も変えていこうという運動が盛んになっているというニュース。

私自身は、性的趣向にそんなに偏見も差別も持っていなくて、お好きにどうぞ!という感じだと自分では思っている。

しかし、実際にこれまで身近で「エッ!困った」というような事を経験したことがないので、もしそうなったときに果たして心がどう動くのか、正直よく分からない。

ま、差別と偏見をなくすというのはもちろん賛成、が、法律まで替えるという事になると慎重に考えてみなくてはならないだろうと思う。

性同一性障害などは、完全に自身が望んでいない取り違えのようなものだから、医学的に検証して間違っていたなら救済されるべきだろう。戸籍の変更とか。

同性婚ってのは、良い気もするが、その子どもとか、そのまた子どもとかに、考えてもみなかったような問題(法的な)が起こりそうな気もするので、相当考えないと、軽々には言えないだろうとは思う。

その他にも、いろんな法の壁があるだろうが、何でもかんでも取っ払えば良いというものでもない気もする。

そのニュースには、若い頃から悩み続けた同性愛者が、自ら会社にカミングアウトしたという、男・女それぞれのケースが出ていた。

ただ周りの人にはカミングアウト出来ても、親にはカミングアウトできないというケースも。

また、親にカミングアウトして一時関係が断絶したという話も。

長い間悩み続けた本人もかわいそうだが、カミングアウトされた親御さんも驚がくだろうし、そこから始まる苦悩の日々、親も辛いだろうなぁ、と見てた。

ま、そんな現実に直面しているわけではないので、私が思い悩む事もないわけなのだが、そうばかりも言ってはいられない問題でもあると思っている。

会津地域に一体どれほどそういった人がいるのだろうか?

年間、病院にかかる人は述べ何万人にもなる。

身体の外見(男性が女性化していたりその逆だったり)と実際の性、心の性・・・病室は男?女?

もし生命にかかわる情報の場合、家族とはどう言う関係の人まで?また、本人の希望通りにいくの(いっていいの)?

具体的な例は分からないが、きっと頭が△になるような事が起こるんじゃないかと思う。

リスクマネジメントや事故対応など、多くの事例集、ケーススタディがあるが、実際に現場で起こる事はそれとはまた違う、思いもよらない事が起こるものなのだ。(これは長年の経験則)

リスクマネジメント、安全管理、医療倫理など様々な分野で、LGBTについて考え、想定しておかなくてはならない時代になってきている事は確かなようだ。

悩める人を癒すための場所なのだから。

2015年6月 7日 (日)

孫帰る

愛しい孫が晴天の中、帰京した。

朝ごはんを食べて、うんちを2回ほどして、眠そうな目で記念写真におさまり、元気に帰って行った。

土曜日にパパがクルマで会津まで迎えに。

夕方には、パパとママは久しぶりのお食事会。

ジジ・ババとご飯を食べて風呂に入り、夕飯の団欒に叫び声で花を添え、その内にすっかり眠くなってお着替えで久々の大泣きをして、コロっと寝た。

パパ・ママは10時過ぎまでゆっくりと楽しんできた。

で、日曜は出来るだけたっぷり寝て、午前中の帰京となったという訳だ。

あっという間の三週間、大いに楽しませてくれた。

我が家のリビングにある20センチほどの段差が、彼を一気にたくましくしてくれたようだ。

初めは上りも下りも出来なかったが、すぐにスルスルと障害物を越えるようになった。

ソファアにつかまり立ちをするようになり、居間の座卓も手でつかまり、口まで使って噛みつくようにして立つ事を覚えた。

つま先立ちのような頼りなかった足も、べたっとかかとまで付くようになった。

飲み物を見るとなぜか「カイクゥン、カイクゥン!」と言うようになり、ママもジジもババも誰でも「パッパ」と言う。

初日にははらはらと大粒の涙を流したお風呂も、バシャバシャとケラケラで大はしゃぎをするようになった。

怪我もなく、発熱やお腹を壊す事もなく1キロは太った。

土曜には久々に会ったパパの顔を見ると「アッツハハハハハァ!」と大笑い。それまで聞いた事もないような大きな笑い声だった。やっぱり親子だ。

これからまたしばらくは(昼間は)ママと二人の東京暮らしだ。

本当に大変だと思う。(孫よりも親の方がくたくたになるのではないかと案じてしまう)

「頑張れよ!」以外に言葉が見つからない。

「バイ、バーイ」と何度も手を振り、取り残されて居間に戻り家人と二人、お茶を飲んだ。

外はいい天気、まぶしいほどの光に溢れている。

時折、家人と目を合わす・・・「静かだなぁ」の言葉しか出てこない。

2015年6月 6日 (土)

花燃えない?

NHK大河ドラマの「花燃ゆ」が不調だという。

伊勢谷友介さん演ずる吉田松陰がなかなか良くて観ていたが、松陰亡き後、用事で観られない週が続き、たまに観ても半分寝ているような事で見なくなってしまった。

主役の井上真央さんもいい役者だと思うが、なんとなくこの役にはリアリティがない。

元々、まったく知られていなかった吉田松陰の妹と言う役どころ、知られていなかった点はあの山本八重子さんとも同じだが、その人物が持っているドラマという点では大きく違うと思う。

「八重の桜」の山本八重子さんは、知られていなかっただけでその人生は非常にドラマチックだ。

一方、文さんは架空近い物語を実在の人物に乗っけようとしている感じだ。

会津の「八重の桜」に対抗して、安倍晋三首相の肝いりで長州の「花燃ゆ」が決まったとかなんとか、ホントかどうか知らないが噂はある。

ドラマは長州の歴史上の人物を、文にからませた青春群像劇なわけだから、どうしても一貫して長州賛歌にならざるを得ない。

吉田松陰にしても久坂玄瑞にしても高杉晋作にしても、こういう人々が明治維新を成功させ、日本を近代国家の道に導いたのですよ、という結論になる。

昨今、『明治維新という過ち』(原田伊織著、歴史春秋社)という本が話題になっている。

明治維新は長州テロリストが引き起こした国家転覆の革命だ。その後の近代日本史は長州新政府によっていい様に書きかえられてきた。と、いった少々極端な内容ではあるものの、全てがすべて暴論とは言えない。

大河ドラマ「花燃ゆ」の中で暴れ回る長州の若者達、結果的には彼らの活躍によって日本の近代化は進み、欧州列強の植民地にならずに済んだ・・・と、そういう話になる。

なんだか昨今の政治情勢が重なって二重写しにも見えるような。

安保法制、集団的自衛権、憲法学者達は次々と違憲を唱えるが、そんなの無視。

結果はやがて歴史が証明してくれる、長州の安倍についてくれば間違いがないんだ!とばかりに突っ走る総理大臣。

なんだかなぁ・・・。会津だから長州が嫌い、なんてのではないけれど・・・・少々鼻につきます。

松陰が死んで芯のある良い役者も居なくなってしまったし、どうも進んでみる気がしなくなってしまった「花燃ゆ」なのであります。

2015年6月 4日 (木)

朝の虹

朝歩きの眺める先、会津湯川村方面に虹がかかっていた。

昨日降った久しぶりの雨に田も空も、ホッとしているのかもしれない。

今日は送別会がある。その彼は60歳を迎え、雇用延長をしてまだ頑張ろうという矢先にがんが見つかった。

手術をし、化学療法を受けて大分痩せた。

一時すっかり抜けた髪も生え始め、抗がん剤の効きも良い様で一旦は職場に戻ったが、やはりしばらくは治療に専念するということだ。

職員の数が多いと病気になる者も多い。大病となるとやはりがんが目立つ。胃、食道、子宮、大腸などが多い。

中高年(50歳から65歳)で、まだまだ働き盛りの時期をがんは容赦なく襲う。

本人はもとより、家族、職場、仲間がみんなで力を合わせて戦わなければならなくなる。

大体は勝つのだが、春に逝った看護師のように、40歳を前に旅立たれると心が痛い。

早期発見が何よりも有効だが、発見は「運」のような一面もある。

今回の彼は、胃の透視(バリウムの検査)で引っ掛かり、すぐに胃カメラを飲んだら、怪しい場所とは別のところにがんが見つかったという。(私の姉と同じようなケースだ)

しかし、運は気紛れだ。

最近の芸能界の訃報のように、見つかった時には余命宣言という事態もある。

3年前に亡くなった知人のSさんは、田舎の病院では不安だと半年に一度、東京の大病院で2泊3日の人間ドックを受け続けていた。

事業に成功し、暇もお金も充分に使った身体の点検だった。にもかかわらず肺の具合がおかしいと診察を受けてがんが見つかった。その肺がんはステージ4という末期だった。

Sさんは怒り心頭に達して『病院を訴える!』と震えたが、葛藤の末、そんな事をしても治るわけではないと思い直し、余命を旅やお遍路に費やし、穏やかに逝った。

見つかる事もあれば、運悪く見つからない事もある。これは仕方のない事でどんな一流病院であっても「絶対」ではない。

今日、送別の彼は、要領の悪さを優しさで補ってきたような温厚な男だ。

音楽を趣味にもち、院内でバンドを結成したり、慰問の演奏を行ったりもしてきた。

一気に暇になることだろうが「趣味」と言う強い味方がいるようなので、あまり心配はない。

なんとなくその気になって、今日、送別の一句を贈る事にしている。

『轟きて 雨来ぬままの 半夏生』

山々に轟く雷鳴に生涯のプランも少し違ったものになった事だろうが、これ以上の雨に打たれない日々を祈りたい。

2015年6月 1日 (月)

こっちを向いて

この歳までに、友人の多くが四十肩、五十肩に悩まされてきた。

私は、幸いなことにそういうものが一切なく過ごしてきたが、一か月前辺りから様子がおかしい。

五十肩は一般に腕が上がらなくなるのだが、そういうのではない。

肩関節と言うより、二の腕の筋肉が痛み出した。それも終始痛むというのではなく、腕をぎゅーうっと伸ばしたりすると結構な痛みが走る。筋肉全体が酸欠になった感じで、ぎゅうっと締め付けられる痛みに襲われ、しばらく(30秒ほど)すると収まるのだ。

そんな事を繰り返している内に、右肩関節の前面が痛み出した。それも終始ではなく、ぐいと動かしたり、圧がかかったりすると「いててて!」となる。

腕は普通に上がり、腕を持ち上げても痛くはないが、おろすとジーンと鈍痛が走る。(ジーンだが陣痛ではない)

五十肩にしてはおかしな症状だが、H先生に話すと「老化だね!」と一言の下、ばっさりと切り捨てられてしまった。

ゴルフも出来る。プレイの時は気になるので一応鎮痛剤を飲むが、そうすると全く気にせずにラウンドできる。

症状がどんどん悪化しているという感じはないが、この一ヶ月、モノを取る度、なにか動いた拍子に「痛て、てて、て」となって、笑われている。

消炎テープを張ったりしているが、収まる事もなく、いつまで続くのかな?と思う。

困るというか、不便なのが寝る時だ。

私は大体、右肩を下にして寝るのが基本姿勢なのだが、そうすると痛い。仕方なく、あまりしっくりこない左肩を下にした格好で寝なくてはならない。

そうなると、常に隣りの家人の方を向いて寝ることになる。

長年の習性と言うものは恐ろしいものでこれがしっくり来ない。

誰かに常に監視されているような感じがして、近頃眠りも浅く、よく起きる。

友人のA君は、耳が不調で片方が聞こえなくなっている(手術で治るらしいが)。

そのAくんは、寝る前に奥さんと話をする時に、どうしても聞こえる方の耳を上にしなくてはならないそうだ。

そうなると奥さんに背中を向けて、半分不貞腐れたような格好で互いに寝物語をしているのだそうだ。

これも笑える(失礼!)が、こっちを向いて見つめ合うというのも笑える・・・。

5月の会津は晴天が続いた。この帳尻を合わせるとなると梅雨は多雨と言う事だろうか?

なんとなく気の沈みがちな6月が来た!

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