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2015年5月

2015年5月31日 (日)

札幌・暑い

五月だというのに札幌は暑かった。

会津高校北海道同窓会総会が開かれ、会長が出席できないため副会長の私が出ることになった。

福島空港から新千歳までの便は一日一便、午前9時50分に飛んで、千歳からは16時45分に戻る。

日帰りも可能だが当然一泊で、総会、講演会、懇親会と出席する。

会津の自宅を8時前に発ったが、河東インターの手前で忘れものに気付く。慌てて電話をして家人に中央病院のところまで持ってきてもらう事にする。中間点で落ち合う段取りだ。

出かける時には「忘れ物ない?」と必ず聞かれて、「ない」と答えてこれだ。

名刺入れをジャケットのポケットから入れ替えるのを忘れた。

まったくもって情けない。プラス、少々呆れられた。

30分ほど時間をロスしてしまったので、高速をぶっ飛ばした。新しいアウトバックは良く走る。空港には25分前に滑り込んだ。

千歳空港から札幌までの電車で、M教頭先生と会う。同じ飛行機だったのだ。札幌までいろいろ話をして、遅めの昼飯にしようという事になる。

タクシーに乗り、ジンギスカンでも食べようかと話していたら、運転手さんが「海鮮で、中央市場なんかどうですか?」と奨めたので、そこにする事にした。

市場に隣接した食堂は昼時を過ぎていたが、まだまだ賑わっていた。

M先生は折角だからと特上海鮮丼、あまりにいろんなものが乗り過ぎているように見えたので私はウニといくらとトロの海鮮丼にした。

生ビールを一杯だけ。勧め上手な店員さんがどんどんお奨めを言って、ビールのお代わりも促すが、会長代理のあいさつもあるし、ここは自重。

それぞれ取ったホテルにチェックインし15時半に会場集合とした。

北海道会津高校同窓会は、会津女子高校同窓会と一緒に開催される。

これは中部、関西など遠隔地の同窓会いずこも同じである。

やっぱり会津高校・会女だ。男子校と女子高という、青春のあの甘酸っぱい日々の思い出が胸の奥底にあるのだろう。両校はなんとなく仲が良い。

非常にスピーディな総会の中で来賓として挨拶をする。最近の会津の話題、同窓会の活動などについて述べて、総会お招きの御礼を添えた。

続く講演会は余市町議でリンゴ農家の吉田浩一さんの「余市町における会津藩士の足跡」。

昨年、十四代と共に回った余市の風景が懐かしく思い出された。なかなか調査の生き届いた、聞きごたえのある講演であった。

しばし休憩の後、懇親会が始まる。

想定外だったのは、ここでもう一度、祝辞と言われた事。

先ほどあらかた話してしまったので困りましたね、と素直に言って、同窓会の高齢化問題、活動を活発にするためにも若い人をぜひ!と申し上げた。

それでも北海道はまだ良い。後ろの席には30代、40代と見うけられる男性・女性の姿も見える。

一昨年、名古屋にお邪魔した時には、何と私が最年少であった。

元・お嬢さまのマジックなども披露され、会は和やかなうちにも大いに盛り上がりを見せた。

最後は両校の校歌、応援歌合戦。白虎隊の詩吟も飛び出し、賑やかなうちに懇親会の幕は閉じた。

さて二次会は、すすきのの某所、歩いて行きましょうと言うので歩いたが結構あった。

「夜は寒いですからね」と、昼間のタクシーの運転手さんは言ってはいたが一向に寒くない。20分ほど歩いて、うっすらと汗をかいた。

これにて無事にお役目を終えて、なんとか開放となりました。

折角のすすきの、味噌ラーメンもいいが、二次会場の行きしな、なんだかすごく気になる、美味しそうな小さな鮨屋があったのを思い出す。

思い切ってそこに戻って、ちょっとつまんで帰る事にする。

大正解!「かま田」と言う鮨屋さん、冷蔵のネタケースではなく、昔ながらのような木の箱にネタが入っている。おそらく下から冷やしているのだろう。

しゃりも赤酢を使いちょいと色がある。口に入れた時のしゃりのほぐれ具合が絶妙だ。

シャコ、うに、毛ガニ、ひらめ、玉、あたりをつまんで、冷酒を一本いただいて、樋口一葉さんに少しおまけが付いたぐらいの勘定。

一貫寿司だから高いと言えば高いが、そうでもないと言えばそうでもない。

ネタの良さから言えば大当りと言えた。旅先でこういう店に当たると実に嬉しい。

大将はホヤを勧めてくれた。黄色の身が良い色合いだったが、ホヤの磯臭さだけは苦手なので止しにしといた。

かくして札幌の夜はちょいと更け、それでもまだ風は生ぬるいままであった。

2015年5月28日 (木)

市長さん

市長さんが市長選になるらしい。

現市長ともお友達(と言ってもいいと思うんだが)だし、今度立候補するというH氏も古くからの友人(と言ってもいいと思うんだけど)だ。

つくづく思うのだが、自分もそんな歳になったという事、そしてそれなりにこの街で生きてきたんだなぁ・・・と選挙とは全く関係のない感慨がある。

出る、そして一度は出ない、と言ったものの結局出馬を決めたH氏には、本人が想像した以上の反発があるらしい。

それはそうだろう、後援会長さんや大後援者、先輩などの助言をことごとく翻す形で、出ると決めたのだから。

それにしてもそこまでして決意する気持ちと言うのはどういうものなのか?と想像してしまう。

当たり前だが相当に悩み、自分にはこの道しかない!とヒートアップしてしまったのだろうか?

でも、みんなが、止めなさい、と冷や水を浴びせたと聞くから、それでもヒートアップしたその熱源はなんだったのだろう?

それはご本人にしか分からない。

が、これまでの30年近い政治家としての仕事を通して、この会津若松市を今こそなんとかしなければならないと思う、止むに止まれぬ熱であったと信じたい。

もちろん現市長も同じ気持ちはおありだろう。

「会津の発展」と言う到達目標は同じにしても、そのための手段や方法論が違うということなのだろう。(よく分からないけれど)

だから、このままではいけないと思ったのだろう。

こうなったからにはそこのところの違いを市民誰もが理解できるような、分かり易い、開かれた議論が行なわれて、良き選択が行なわれる事を願うしかない。

くれぐれも、「あいつはバカだチョンだ」と言うような中傷合戦にはならない事を願っている。

基本、選挙には関わらないのが家訓だ。(でもちゃんと投票はします)

とりあえず複雑な気持ち、ちょっと心の痛むような、市長さんの市長選なのである。

7月に行われる・・・あと2カ月と少し。

2015年5月25日 (月)

戦前を生きる

第二次世界大戦をはさんで、戦前派、戦中派、戦後派などという言い方をする。

戦後派の一番上が、もう70歳になろうとしているのだから戦争も遠くなりにけりだ。

しかし先日、ある先生の興味深い話を聞いた。

「我々は戦前派だ、戦後派だ、なんて言っているけれども、当時戦前を生きた人々が今が戦前だなんて意識は、まったくもっていなかったに違いない。」

それはそうでしょうね。

「戦前を生きた人々は、まさか日本が本当に戦争を起こすなどとは思ってもいなかったはずだ。ましてや自分が戦中・戦後の大混乱期を生きなければならないとは考えてもいなかったのではないか?」

そうだったのかなぁ。日本は戦って勢力の拡大をもくろんでいて、国民も一部それを望んでいたのではない?

「おそらく今の私たちと同じように、よもや戦争になるなどとは、と思ってもいなかっただろう。今、安倍さんが押し進めている事も自国を守るためには仕方がない、日本が戦争に巻き込まれるまでやることはきっとない、と誰もが漠と思っている。当時だって同じだったんじゃないでしょうか?」

と、彼は言うのです。今がひょっとしてその「戦前」なのではないかとも。

ま、確かに我々は自分がこの先、戦前から戦中になる事は絶対にない、と思っている事は間違いない。

日本は戦争を永久に放棄しているのだし・・・。

いい歳したおっさんたちが♪戦争を知らないこども達~さぁ♪などと大声で歌っているんだから平和、戦争は他人事だ。

しかし、現実には今も世界に戦争が溢れている。

イスラム世界との軋轢は、もはや収拾不可能なレベルにまで達しているように思えてならない。

エメラルドの海を勝手に埋め立て、我が領地である!というようなやり方が平和裏な手法のもとで解決が見られる、とはどうにも思えない。

戦争は我々の意識の中ではもの凄く遠い過去だが、極めて近い今再びの現実なのかもしれないのだ。

自分で放棄したって巻き込まれるという事はある。そのための自衛隊は、巻き込まれても何ら不思議はないというのが世界情勢である、という前提に立っている。

「絶対」なんてものは、絶対にないんだ、と人類は歴史の中で何度も何度も学んだはずだ。

しかも、同じ過ちを繰り返す事をやめられない。

私たちは今、戦前を生きている・・・そんな風にはなりたくないものだと思う。

会津は風薫る季節。

先日、野口英世青春広場で行われた「野口英世をたたえるつどい」の中で、ご来賓の駐エクアドル大使のスピーチが素晴らしかった。

さすが大使と呼ばれる方は、一回のスピーチに全精力を傾けられるものだと感心。その中で俳人でもある大使が一句披露された。

『英世なお 鴻図にありて 風薫る』  鴻図(こうと)=壮大な夢のこと。

百年の時を越えてなお人類愛という鴻図の中に生きる野口英世、それを慕い多くの小中学生が薫風の中に集った・・・・見事な一句である。

「世界平和」と言う鴻図もまた、絶対に描き続ける事をやめてはいけない永遠の夢だ。

2015年5月23日 (土)

気軽には言えない。

子育てはおじいちゃん、おばあちゃんの手助けを得て、お父さん、お母さんも仕事を辞めずに働ける環境・・・とは言うけれど、お年寄りがこどもの面倒を見るのはそう簡単な事ではないと実感させられている。

今週のアタマから娘が孫を連れて帰っている。

生後11ヶ月、まだ歩きはしないが終始、コンバットのような匍匐前進で、床をよだれまみれにして、すごいスピードで動きまわる。

寝ている以外、1秒たりともじっとしている事がない。ぐるぐると動き回り、奇声を発する。

この動きの激しい、愛しく、まったく聞き分けのない人間と一日中一緒に居るというのは、大変な事だ。

離乳食を食べさせ、ミルクも飲ませ、水分補給、おしめ交換、遊びの相手と、一瞬も目を離す事が出来ない。

娘は専業主婦として今は子育て一本だが、よくこれを一人でこなしてきたものだ、と感心してしまう。

我が家は共稼ぎ家庭で、娘も息子も生後3カ月ぐらいから専門の施設に預けてきた。

仕事を終えて迎えに行って、翌日のおしめや肌着の用意をして・・・・と、日々めまぐるしく追われ続けていたが、今になって思えばプロに預ける事が出来たから子育てが出来たのかもしれないと思う。

一日中、育児に専念するというのは本当に大変な事だ。

ましてや、じいちゃん、ばあちゃんが保育施設の代わりをするなど、とても容易にはできる事ではない。

加えて現代の子育ては情報量が多いので、ああするこうする、ああしてはいけないこうしてはいけないと、どうしても神経質になる。

「孫子守り」と気楽には言えないものなのだ、と言う事を風呂入れる以外は何もしない癖につくづく感じているというわけだ。

子育ては体力、若さが必要だ。(あんまりしょぼくれない内に結婚し、子育てした方が良い)

そして、安心してこどもを産み、育てるるためには、やっぱり保育施設の充実が絶対条件。

お母さんへのサポート体制も必須だし、こどもとお母さんを孤立させない社会の暖かな目も忘れてはならない視点だなぁ・・・そんな事を、動きまわる孫のお尻を眺めながら考えていた。

今回、戻って、久しぶりに風呂に入れたら、私の目を見て、泣き声も出さずに両方の目からポロポロと大粒の涙をこぼした。

きっと彼なりにジイジの心を気遣って、騒がずに無言の抵抗を示したのだろう。

今年の会津は、春から初夏にかけて晴天が続いている。このまぶしい日差しの中で彼はまた一回り大きくなるに違いない。

そして、また帰って続く東京の子育ては本当に大変だろうけれど、元気に育ってくれろ!と、孫と娘の健やかな日々を、今から祈るばかりである。

2015年5月18日 (月)

はっけよい、のこった!

久しぶりに国技館に行った。

おにぎり山から、中日に桝席が四枡取れたと連絡があったのが4月の初め。早速H先生に報告すると、その日は残念ながら別な用事で行けないということだった。

でもせっかくだから、と声をかけて人集めをする事にした。

もちろん大相撲を見たいと思ってる人で、行ったらすごく喜ぶだろうと思える人を誘った。

ギリギリまで最後の1,2名が決まらなかったが、ようやく揃った。

当日は病院前に集合、みんなでバスに乗って国技館へ。枡席で相撲観戦を楽しみ(お弁当、焼き鳥、お土産付き)、またバスで帰る。

お一人様、道中の飲み物代なども入れて3万円なり。意外と安いと思いませんか?

ドクター、看護師さん、栄養士さんなど。そこに加え今回は、「ぜひ一度、観ておいた方が良いよ。きっと役に立つ」と、芸者のMちゃん、割烹の若女将Mちゃんにも声をかけた。

そして、よくワインを飲みに行く「K」のオーナーシェフのご夫婦など、実に多彩なメンバーとなった。もちろんおにぎり山とSちゃんも参加だ。

快晴の中、バスが走り出す。会津村の前でSちゃんを拾って高速に乗ると、早速、ビールが開いた。

今回は差し入れもあってワインが豊富。あっという間に2本、3本と抜かれて、サロン席は昼の宴会場と化した。

まんず、芸者さんまで居るんだから、盛り上がらないはずがない。大笑い、大爆笑のうちにカラオケまで始まる始末だ。

混雑が予想されるため早く入場して欲しいと茶屋から言われていたので、鬼平の世界に変わった羽生SAで最後のトイレ休憩の後、国技館へと直行した。

今回は、調子に乗り過ぎて酔い潰れる人は出なかった。

全員無事に14時前には国技館に入る事が出来た。(外に出たい人は半券を見せれば1回だけ外に出る事が出来る)

14時過ぎには、新幹線で追い掛けてきた若女将のMちゃんとも無事合流し、入場。

席は東17列が二枡、離れて南の17列ぐらいに一枡、そして向う正面の8列というテレビに写るか写らないかギリギリの非常に良い枡がひとつ。

その向う正面には着物で来た「K」ご夫妻に、同じく着物のMちゃん、鮮やかなワンピースがよく似合う若女将のMちゃんの四人を揃えた。(着物だと写るかもしれないしね・・・)

東側の続きの二枡には我々の組、遠い一枡にはSちゃんグループに行ってもらった。

地下で250円のちゃんこ(この日はみそ味)を味わい、土産物屋を冷やかしたり、皆思い思いに国技館を散策し、中入りに備える。

大相撲の観戦体験者は6名、あとは皆初めてなので、酔っぱらいながらも目が輝いていた。

バスの宴会で散々肴にされたKドクターは、お手製の敷物を持ち込み快適観戦体制を整える。

このところしばらく国技館に来なかったが、野球場と同じくビールサーバーを背負ったホットパンツのお嬢さんが生ビールを売り歩いているのには驚いた。去年あたりから始まったらしい。

それまではすべてお茶屋さんが持ってきてくれていたが、冷たい生ビールを可愛いお嬢さんから買えるとあって、よく売れている。

相撲にきれいどころは良く似合う。土俵入りなど、日本の美しさにすっかりはまっていたようだ。

この日の残念は、大砂嵐の休場で白鵬が不戦勝になってしまった事。結びでは馬日富士が逸ノ城を圧倒した。

みなさん大満足の大相撲観戦。国技館前を出てバスは一路会津へと向かう。

途中、佐野のSAで佐野ラーメンを食べる人は食べて、会津へ。

さすがに帰りのバスの中では、あまりお酒が進む事はなかったが、おにぎり山とSちゃんだけは二人気を吐き、酒を手離さなかった。

特にSちゃんの元気ぶりには驚いた。最後の最後までビールを開け続け、大声で話し続けた。

御陽気で実に良い酒だが、とにかくいつまでも元気なのだ。

酔っぱらいもあまりに長時間だと周りを圧倒する。朝の開始から数えるとおよそ14時間、一睡もせずに騒ぎっぱなしだ。

元気は何よりだが、あんまり元気過ぎても困るのが酔っぱらいと言うものだ、という点も今回は勉強になったのであった。

2015年5月16日 (土)

へこたれない善意

小さなこどもを連れて大変そうなお母さんに、「大丈夫ですか?」と尋ねたら「結構ですから、構わないでください」と言われたり、土足で電車のシートに上がる子を注意したら「ウチの子に何するんですか!」と逆切れされたり・・・そんな話は昨今あまり珍しい事ではない。

犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになるとは、希少な事が話題性があるというたとえ話。

そこから行くと、最近の若いお父さんお母さんの信じられないような反応も、ちっとも珍しくはなく、なんとなく自分の善意もそんなしっぺ返しに会って、きっと不快な思いをするのではないかと思えてしまう。

勢い、今の若い人たちには下手に口出ししない方が良いから・・・・と、腰の引けた感覚になってしまいがちだ。

しかし、そんなことで困っている人に手を差し伸べたり、間違っている事を注意したりしなくなれば、社会は益々力を失っていって、やつらの(って誰の事ですか)の思うつぼだ。

日本の美徳と言える、安全で安心して暮らせる社会が音を立てて崩れて行ってしまう。

どうせたいして珍しい事でもないので、こちら側もいちいち深く気に病まないというのも、これからのひとつの手だ。

多少言われても、嫌われてもいいから気にしないで手を差し伸べ、時には叱る。それでちょっとぐらい嫌な思いをしたとしても、気にしない、気にしない!

まだまだ大半の人々は、そうした行為のありがたさや暖かさに、充分に反応する心の持ち主に違いないのだから。

大変そうなお母さんには「大丈夫ですか?」と声をかけてあげる事が出来る。迷惑な人には「みんな迷惑してますよ」と言える。

そう言い続ける・・・というかそうしたへこたれない善意も必要なのではないかと思う。

西日がまぶしい歩道で若いお父さんとお母さんとすれ違った。

押しているベビーカーの上では、ちょうど我が孫と同じぐらいの子が「万歳、万歳」で大はしゃぎ。思わずこちらも手を振ってしまう。すると驚いたのか私を見て赤ちゃんが固まった。

それを見て笑うお父さん、「こんにちは!」と、お母さん。

良かった。変な人とは思われなかったようだ・・・。

さて来週には、娘が孫と里帰りをするという。

初めてママと二人で新幹線の旅だ。

荷物抱えて困った時には、きっと誰かが「大丈夫?」と声をかけてくれる。これから孫が生きていかなければならない社会・・・ずっとそういう世の中であって欲しいと願っている。

へこたれるな!小さな善意!!

2015年5月11日 (月)

今年はなんだかバテました。

5月10日、午後2時から會津風雅堂において「第16回・荒城の月市民音楽祭」が行なわれた。

例年通り、舞台の進行、総合プロデューサーを私が勤めた。

GW前に全体の進行台本を司会の塩野さんに送る。そして、会津JCのメンバーなど舞台周りのスタッフ、観光ビューローの応援隊にも送る。

前日の準備はパスさせてもらい、当日は朝9時から順次リハーサル(出場順とは限らない)が行なわれる。

この時になってみないと、合奏や吹奏楽など、楽器の量や数、スペースなどが把握できない。そこで一つ一つ、MC(司会のしゃべり)の確認をし、出はけの方法や方向なども調整し、グランドピアノの位置など舞台上に場みる(印を付ける)訳だ。

言ってみれば各出演者にとっては、30分リハーサルの一発勝負見たいなものだから、リハーサル後に変更を申し出て来る出演団体も出る。

「やっぱり、どうしてもあの位置ではピアノの音が聞こえないのですが、真ん中にしてもらえませんか・・・」などなど。

この音楽祭の基本姿勢は、演出側の考えを押し通しても仕方がない、参加する市民の方々が満足して歌声や演奏を届けられることにある。

出来るだけ出演者の意向に沿って、スムース進行に努めるのが肝だ。

とはいえ、舞台は舞台だ。一旦、幕が開いたら「なにやってんだべ?う~、段取り悪い事!」と観客から思われても仕方がない。

緊張感を持って安全に、出来るだけスムースに、を心掛けなければならないわけだ。

今年は思いの外、楽器が多く、特に前半の段取りが大変だった。

楽器の入れ替えが多いため、実行委員長と市長さんには「あいさつを若干長めにお願いします」と、あらかじめ申し上げたが、ご両者とも十分な心配りで、逆に予想以上に長引いてしまった。(これも致し方ない)

リハーサル中に若者軍団のような男女10名ほどがホールに入ってきた。

関係者以外入れちゃだめじゃないか!と喉まで出かかったが、よく考えたら小学校のPTAの父兄だ。

昨今のお父さんお母さん、メチャ若いし、みんな派手だ。

その中の髪の長い一人のお母さんが私の方に向かってにこやかに手を振っている。

「誰に手を振ってるんだ?」と思ったが、どう見ても私に向かって振っているようにしか見えない。

ウチの看護師さんかな?それにしては、馴れ馴れしい。

するとそのスタイルの良いお母さんが私のところに駆け寄ってくるではないか。「なにしてんのー?こんなとこで」余計な御世話だ!と思ったがようやく判明。

時々(たまに?よくか?)行く店のチ―ママさんだった。

「ウチの娘がトランペット吹いてるのー」という。「ああそうなんだ、そうなのね」こんな場面で顔を合わせると、ステージの明るさがなんとなくこっ恥ずかしい。

かくして、開場を5分ほど遅らせて全てのリハーサルが終了した。

弁当を食べる間もなかった。今回はなぜこんなに大変だったのだろう?

手慣れたスタッフが少なかったから?自身の能力が落ちているから?手間のかかる団体が多かったから?おそらく少しずつ、全部だろう。

ともあれ14時に舞台の幕は開きました。

そして最後の全体合唱まで、何と30分も時間が押してしまいました。

私の読みより、これほど時間がずれた事は今までにあまり経験がない。

申し訳ありませんでしたね、みなさん。

多少のドタバタはありましたが、今年も無事に音楽祭を終了する事が出来ました。ありがとうございました!

私は後片付けも早々に、「本日ハ、バテマシタ!」と申し上げ、急ぎ帰宅、熱い風呂にどっぷりとつかり、足を揉みほぐし。

ひと汗かいた後、自分へのご褒美とかこつけて家人と二人、丑若丸でうまいうなぎをいただいたのでありました。

あ~、くたびっちゃ!

2015年5月 8日 (金)

隠れた趣味

隠れた趣味という言い方もおかしいが、私なりのストレス解消法として「アカスリ」があった。

サウナに入り、韓国出身の専門のおばさんに全身のアカスリをしてマッサージを少々、たっぷり1時間程度かけて行う。

初めての人でもかなり垢が出るのだが、継続して行くようになるとさらに「いい垢」が出るようになる。

いい垢、というのもおかしいが出がよくなり、白っぽい垢がするりと出て、サッパリ感が半端ない。(汚いですね)

ベッドに寝転び、ひたすらこすられる。タオルで目隠しされてじっと押し黙っているあの時間がなかなかいいいのだ。いろいろな事を深く考えられる。

身体をゴシゴシやられている分、結構、邪念から開放されるような気がする。で、いいストレス発散になるという訳だ。

50代にはほぼ月に2回、多い時は3回、その内の一回は家人と共に行くようになっていた。

それが60代になってだんだん回数が減り、何となく、足が遠のいてきている。

ストレスが無くなったというのではなく、むしろ逆なのだが自然と、行きたいという気持ちにならなくなっている。

これはきっと歳のせいだろう。

全身ゴシゴシと、因幡の白ウサギよろしく垢の層を剥がれると、気持ちよさよりも、なんとなく心もとなさの方が勝るようになってしまった。

特に寒い時期などは身体に悪い、風邪ひくんじゃないか?と、考えるようになった。

以前は新陳代謝が盛んになって風邪もひかないし、爽快、爽快!などと思っていたのだが、少々情けない。

ま、歳と共に過激なものは自然と避けるようになる、それが当然のことなのだろう。

先日、気温も高いので、半年以上ぶりにその「アカスリ」に行ってみた。

「ヒサシブリネ、全然コナカッタネ!」と言われた。

ま、出るわ出るわと言うやつで、「イッパイデルネ」と褒められ(?)た。

体重が500グラムは減った感じ。そして少しスースー、涼しくなったような感じがした。

そして、また今度行く気になるのは・・・なんだかだいぶ先のように感じた。

会津のGW、これほどの晴天が続いたのは近年記憶にない。

大勢の観光客も訪れたようだ。観光にとって、レジャーにとって好天に勝るサービスはない。

2015年5月 6日 (水)

こどもの日

5月5日のこどもの日は、旅行に出かけていない限りゴルフをする事になっている。

と言うのは会津高校同窓会のゴルフコンペが、例年この日に会津磐梯カントリークラブで行われることになっているからだ。同窓会副会長という立場上、出来るだけ出席しなくてはならない。

今年で第7回目を数える。

参加人数は例年150名前後という一大コンペで磐梯カントリーが貸し切りになる。

上は80歳代から下は30代まで、先輩後輩が個人戦+学年対抗で腕を競い合うのだ。

プレイする際、70歳以上の方はシルバーティを使用する。違いはそれだけ。あとはぺリアの運次第。

こういう事が出来るのが、ゴルフと言うスポーツの素晴らしさだろう。80歳と30歳が互角に戦えるスポーツと言うのは他にはまずない。

同日、市内では囲碁と将棋の戦いも行われている。囲碁、将棋、ゴルフを通して同窓会の親睦を深めていこうというものだ。

今年は素晴らしい好天に恵まれた。暑くもなく寒くもなく、青空に残雪の白を残した磐梯山の雄姿がよく映える。

天気晴朗なり、下手の言い訳はない。「実力です!」以外にない。

夕方6時から中の島で囲碁・将棋も合わせた大表彰式が行われる。この表彰式、協賛品が山ほどあり全員に賞品が行き渡る。それを一人ずつ手渡すだけでも一苦労だ。

酒も入り、名物のソース煮込みカツも入り、会場は大賑わいとなる。勢い、司会者は声を張り上げることになる。

ここで優勝した(参加者上位三人のスコアの合計)学年が、翌年の幹事となるので、優勝するとエライ事になる。

幹事が嫌で実力を出さないわけではないのだが、我が学年は過去に一度も優勝をした事がない。

今年は椿事が起こった。

個人の部優勝が、ぶっちぎりで同窓会幹事長のOさんになり、学年優勝が何と始まってから三度目の第十三回卒チームとなった。それも連続優勝である。

もちろん仕込みも何もない。

公明正大な優勝!役員が優勝していけないという決まりもないので、O幹事長は豪華賞品を受け取った。

ちなみに優勝賞品は、当院でのPET検診(15万円相当)である。

ある年の優勝者は、このPET検診で早期がんが発見されるという幸運が続き、今も元気にプレイされている。

ちなみに吾輩は100位!ピタリ賞でさぞや豪華な景品が・・・と、思ったが思いの外、凄くはなかった。

老若男男(元男子校ゆえに、いまだ女性の参加者は現れない)童心に返ったこどもの日であった。

2015年5月 4日 (月)

不思議の森

ホテルの部屋で、何の気なしに付けたテレビの番組に思わず引き込まれた。

NHKスペシャル「明治神宮 不思議の森」東京のど真ん中に広がる明治神宮の森が実は人工の森で、原生林に近いこの豊かな森はわずか100年で作られたのだという。

正直、ぶったまげた。

常緑広葉樹の原生林など何百年もかけてようやく誕生する自然の造形だと考えていた。

それが、わずか100年前にはただの荒れ地だったのだという。

そこに三人の天才学者が森の設計図を描き慎重に何十万本もの木を植えた。

そしてあとはひたすら放置し、自然の力に任せる。人間はなんの手も出さない。

大きな針葉樹の下に広葉樹を配し、やがて広葉樹が針葉樹との闘いに勝って森が成長をしていく。150年後に循環の森が誕生するよう壮大な構想を描いた。

唯一、彼らの想いと大きく違ったのは、150年ではなく100年で自然の力が彼らの思い描いた森を誕生させた事だという。

東京のど真ん中に、森の王者オオタカが巣食い、子育てまでも成し遂げた。それを支える豊かな森には、昆虫や魚、菌類や粘菌類、哺乳類、鳥類と生命が溢れている。

わずか100年でこんな事をしでかす自然の力。そして構想を描き実現させた人間の力。その両方に驚きと敬意を払わずにはいられない。

人間が手を添えた事と言えば唯一、参道に舞い落ちた落ち葉を掃き集め森に戻すという事だけ。

あとは時間が全てを行った。

100年でこれだけの事が出来る。

それは100年先、200年先を考えなければいつかは滅びていくという事でもある。

会津鶴ヶ城の100年後、そんな事を真剣に考えている人がこの街に居るのだろうか?

と、釘付けになったテレビの向う側に、我が町の森の事を思った。

2015年5月 3日 (日)

かぶり物は嫌い!

どうやら私の孫は、かぶり物が極端に嫌いらしい。

私は結構好きで、忘年会などにいろんなものをかぶらされる。また、帽子もよく被るがこれは必然と言うものだ。

GWに会津から東京まで出向き、初節句を祝った。

折角なので兜を折ってかぶらせようとするのだが、瞬時に叩き落す。どんなにあやしても一瞬に取ってしまうので写真も撮れない。

それでは、と帽子など試しにいろんなものをかぶらせてみたが、何でもバシッと叩き落とす。

これから夏になるのにちゃんと帽子もかぶれないようじゃ、どうするの?と、要らぬ先の心配までしてしまう。

久しぶりの再会では、床に這った姿のまま完全に固まった。しばし、目だけで私を追い、声をかけると知らんぷりをする。

それでは!と、抱き上げてみると泣きはしないが目を合わせようとはしない。

四六時中、ママと二人の育児奮闘記だ。

いきなりジジババが来ても、ちょいと戸惑いますよ、ってなもんだ。

その昼に東京駅について、久しぶりに従兄弟と会った。

一応リタイアしていたが、今度、友人の新しい仕事を手伝う事になったという。

元商社マンの彼ももう60代後半だ。なのに、これから新しいものを売り込もうというのだから根っからのビジネスマンだ。

「まるで止まると死んじゃうマグロみたいなもんだね」というと、そうかもしれないね、と笑っていた。

彼の長男夫婦と次女夫婦は海外赴任中。自身も長くシンガポールに住み子育てをした、国際派の一家だ。

いろいろ聞くと海外での子育ても大変らしい。何よりも環境の激変に耐えなければならないこども本人が一番辛いらしい。

そんな自らの経験もあったからか、長女は絶対に海外勤務がない人と結婚したのだという。まさに人生いろいろだ。

土曜のオフィス街の中華料理店はガラガラに空いていた。よく打ち合わせに使うらしい。

昼酒と美味しい料理をごちそうになった。

それから向った孫の元。

小一時間もするとようやく慣れて時折、雄叫びを聞かせてくれるようになった。

こんなに小さくても内弁慶なのがよく分かる。外に連れ出すと実に大人しいのだ。時折上げる雄叫びは家の中でしか聞けない貴重な声だ。

実は私もこどもの頃は極端な内弁慶だった。ので、似たのだろう、あまり言えない。

心づくしの料理と、ワインで祝った初節句。

本人はお腹も膨れてご機嫌になったか、ケラケラと笑っている。

その声を聞いて思わずこっちも笑ってしまう・・・こどもが笑えばみんなが笑う。正にこどもは宝物、笑う門に福よ来い!

笑って笑って、大きくなりなさい。

人よりすべてがゆっくりだけど、それもまた良し。時間をかけて育てばいい。

でも、やっぱり帽子をかぶらないと熱中症になっちゃうぞ!

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