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2014年12月

2014年12月31日 (水)

良いお年を!

今年の年末年始の休みは曜日の関係で長い。

長いところだと九連休、短くても6連休と言うところが普通だ。

当院も6連休はこれまでで一番長い連休だ。

年末、凍結による転倒、雪おろしによる怪我など救急患者が次々と搬送、休み中でも手術しなくてはならない患者さんが増えている。

そんな中、会津では年越しから三が日にかけて猛烈な風と寒波、大雪の予報が出されている。

救急室も大変な混乱になるのではないかと心配だ。

ともあれ、今年も暮れて行く。泣いても笑っても年は改まる。

昨晩は恒例の家族の忘年会を「天竹」で行った。ここ3年ほど病院職員のIさん家族と同じ日に顔を合わせる。

向こうは4人、こちらは3人だ。これから先は息子君が人数を増やしてくれることに期待するほかない。

途中、思いがけずH先生ご夫妻が顔を見せた。

同級生の先生で先日も博多にご一緒したばかり。奥様とも、「生と死を考える会」の忘年会でご一緒したばかりだ。

なんとなく当院関係者の貸し切りの様な状態になった。

暮れのこの日には「ふぐ」を楽しむことにしている。一年間のご褒美だ。

ふぐ皮に始まり、てっ刺、照り焼き、白子の揚げ出し、てっちり、そして締めの雑炊だ。

ふぐはこの雑炊に辿り着くためにそれまでの過程がある、とさえ言われるほど。ふぐ雑炊は絶品だ。

折角なので大将に頼んで、H先生ご夫妻にもてっちり、雑炊をおすそ分け。みんなで美味しい幸せを分かち合った。

この美味しさを満喫できるという事は、それだけ健康で、またつつがなく一年が過ぎたという事だろう。感謝、感謝、感謝だ。

今年は風呂場を直して、初孫の里帰り出産に備えた。そして、なんとも可愛い、可愛い孫が健康に生まれてくれた。

あの顔に微笑みかけられると100%お手上げ、降参だ。

他人の孫自慢ほど聞いてられない話もないのは重々分かってはいるが、やはり、たまらない。

大晦日の会津、少し緩んで道はザクザク、大きな雪が降ったり止んだり。今は穏やかだ。

本当にみなさんご苦労様でした。お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

健康で、ハッピーの溢れた素晴らしい新年をお迎えくださいませ!

2014年12月29日 (月)

マッサン

NHKの朝ドラ「マッサン」が人気・・・だったがこのところ人気を落としているらしい。

ウィスキーはすごく売れ行きが伸びているらしい。暮れには「竹鶴」が2本届いた。

あの物語の主人公、底抜けに一本気で頑固、仕事の事しか頭にない職人気質の割にはペラペラとよくしゃべるちょっと変わったキャラクターだ。

あの主人公マッサンの性格に、あまりに頑な過ぎて同調出来ないと感じる人が多いところが視聴率低下の原因だろう。

エリーは一生懸命で、けなげだ。そのエリーのいじめ役に回った女優の相武紗季さんも、テレビのインタビューで「結婚するなら、マッサンみたいな人は嫌だ」と言っていた。

ウィスキー作りにたどり着くまでに紆余曲折、そこだけは譲れん!とばかりに夢をあきらめかけることもしばしば。

やっと仕込んだウィスキー、5年も10年も出荷できずに寝かせたままのウィスキーを抱え資金繰りに頭を悩ませる鴨居の大将。

信念は譲れん!と頑固さを貫くマッサンよりも大将の方に同情したくなっていしまう人も少なくないはずだ。

企業人なら会社の方針に従え!と言いたくなる気持ちの方が理解できる、と言う人もきっと多い。

どうなっちゃうのマッサン?!と、エリーはあきれながらもどこまでも耐える。でも、ドラマだから耐えるけれどちょっと現実離れな程、マッサンは常識外れだ。

毎日見る朝ドラの場合、主人公に同感するから見続けるのだろうけれど、変な人!ではちょっと・・・という気がしないでもない。(一週間まとめ撮りのまとめ見ですが)

ま、新しい年になればいよいよ北海道余市で本格的なニッカウィスキーを作り始めるのだろうマッサン。

その大日本果汁のウィスキーが出荷できるまでを支えたのが余市のリンゴ果汁、そのリンゴをつくったのが斗南藩から海を渡った旧会津藩士たち、という遠い遠いご縁もある。

引き続き応援しますので、もう少し丸くなって円熟味のある味わい深いウィスキーを、一日も早く醸して欲しいものだ。

頑張れ、マッサン!

2014年12月28日 (日)

最後の日曜日

全員が全員、手の中のスマートフォンを見つめ、画面を触り何かをしている。

東京の電車で迎え側の席、横一列ずっとだ。なかなか壮観!と変なところで感心する。

つながっているのか?つながりに行っているのか?

こんなに全員が街中で電波を発信したり、受け止めたりしていて、電波ってこんがらからないのかしら?と、これまた素直に思う。

この光景を見るだけで世の中が確実に変化していく、それも加速度を持って変化し続けて行くことが実感できる。

良い方に、とか悪い方に、とかいう問題ではなく、とにもかくにも変化し続ける現実。

便利さと手軽さと楽しさとを振りまいて、どこかへと向かっている。

最近テレビのコマーシャルを見ていても、一体何をコマーシャルしているのか分からないことがままある。

「赤いキャップのキューピーマヨネーズ!」と、売りたいものを買ってね、と宣伝するのがコマーシャルだがその売りたいものが一体何か分からない。

見て分からない人は、消費者として対象外なので宣伝している方にとっても問題ないのだろうが、なんだか混ぜられてないような感じが少しさみしい。

横一列に並んでいるが、本当はみんなバラバラなのだ。

暮れに会えないので、ちょいと東京に孫の顔を見に行って来た。

午後、ホテルにチェックインしてから孫の元へ行こうとチェックイン。

「あのー、そのお名前は1月27日に予約を受け付けておりますが・・・・」「あちゃー、今日は12月だもんね!」というと、「そうですね」と言いながら受付の女性の目には、心なしか憐みの色がよぎる。

どうすっぺ?どうりで安いと思ったんだよなぁ、年末の土日なのに・・・。

「あのぅ、もう少し上の階で広い部屋ならご準備できますが」「しかたないよねぇ・・・」

そんなドジを踏みながら孫の元へ行けば、これまたすっかり忘れたのか完全無視。顔をむける方向へ目をそらす。

クスリとも笑いもせずに横目でにらまれる始末だ。ま、すぐに慣れるだろうと、ひげを引っ張らせる。

すき焼きを食べて、酒を飲み、孫をいじくりまわしてホテルへ。

御蔭さまでと言うか、図らずも東京スカイツリーがまん前に見える立派なお部屋。財布には優しくないが、どうせ有馬記念の前祝いだ!とばかりに眺めを満喫した。

有馬記念は1着、3着、4着を当ててしまった。2着を忘れたわけではないのだが、浮かびもしなかった。こういうのって惜しいと言えるかどうか微妙なところ。

前祝いが無駄になったことは間違いない。

郡山にクルマを置いた。この方が楽、特に帰路、磐越西線の最後の1時間強が応える。

午前中、孫と遊んで戻る会津路は雪の中だ。これから年末にまた最強クラスの寒波がやってくると言う。

雪国の高齢者の雪かたし事情には、天皇陛下まで心配のお声を寄せられた。

まだ高齢者と言うにはちと早いが、どうぞお手柔らかにお願いしますと祈るばかり

そんな今年最後の日曜日でありました。

2014年12月25日 (木)

学ぶという事

先日、介護の実務者研修、終了の卒業式があった。

この実務者研修は新しい制度で、今後この研修を修了しないものは介護福祉士の資格試験を受ける事が出来なくなる。

半年をかけて学ぶ厳しい講座で、学ぶ方も教える方も初めての経験。定員20名のところ初回参加者は8名、これはこれでスタートとしては互いに良かったのではないかと思う。

実務者研修だからすでに当財団の介護施設で働いている人、また他の施設で働いている人など立場は様々、仕事を終えてからの夜の学びはつらく厳しかったようだ。

介護研修の卒業式では必ず最後に一人ずつ、感想を述べてもらう。

8人がそれぞれに思いを語ってくれた。その言葉がとても感動的だった。

たび重なる看取りの現場の辛さから「辞めたい」と思った人、子育てとの両立に悩み「辞めたい」と思った人、自分のふがいなさに「辞めたい」と思った人。

8人が全員、途中で投げ出そうと思った、と正直な気持ちを語ってくれた。

それを思いとどまり続けられたのは、同じ研修を受けた仲間の励ましと友情があったから。

そしてなによりも「学ぶ」事によって、必死に勉強することによって、前向きな気持ちに転換できたからだ、と誰もが似た感想を述べた。

人は学ぶことによって困難を乗り越えられる生き物なのだと言う事が改めてよく分かる。

別な話だが、当院のリスクマネージャーは哲学や仏教の本をよく読んでいる。ニーチェやブッダの言葉に救われると言っていた。

厳しいリスク対応が続けば心が折れそうになることもしばしばだろう。彼はそれをかわすために学ぶ・・・・。

確かに多くの金言が彼を救うのかもしれないが、実はそれ以上に自分自身が学ぼうとする心、その精神こそが気持ちを前に向かせ、折れそうな心を支えてくれるのかもしれない。

人はいくつになっても学ばなければならない。学ぶ事は新しい自分の発見であり、成長だ。

何もそんな大層な事でなくてもいい、趣味の延長でも遊びの延長でも、そこに「学びたい、学ぼう!」と言う心があれば、人は前をむける生き物なのだ、きっと。

そんな事を、8人の卒業生に改めて教えられたような気がした。

裏返せば学ばなくなったら人間お仕舞いです、と言うことだ。

辛くなったら学ぼう、悲しくなったら学ぼう、追い詰められたら学ぼう。

酒や一時の快楽に逃げるよりも、「学び」というクスリの方が、ずっと良薬で効きが良いに違いない。

会津はすっかり雪の中、この後、年末年始に向けて小、続いて大の寒波がやってくると予報されている。

2014年12月24日 (水)

師走博多 2

今回の旅のメインは、「芥屋カントリー倶楽部」と「クウィーンズ・ヒル・ゴルフクラブ」といういずれもPGAツアーを行う名門ゴルフ場でのプレイだ。

初日は芥屋(けや)、海辺のコースは寒く風が強く、時々雪も舞うコンディション。さすが名門高麗グリーンがものすごく速い。下りの順目に付けた日にゃ、触っただけでツーッと転がってしまいサヨウナラだ。

クラブハウスは絶景、玄界灘に白波が立っている。

冷えた身体に熱燗が浸みる。名物の鯛茶漬け美味。早速、冷凍便で自宅に送る。正月の疲れたお腹には最高なはずだ。

コースを楽しみ、コースに遊ばれ、ベスグロが100点と言うていたらく。102点の私がハンデに恵まれて優勝した。参加料により現金配布。

絶景の大浴場に慰められて博多へと戻る。

二日目の夕宴は名物の屋台だ。TVにも出たとかで幹事のTちゃんが予約をしてくれた「かじしか」と言う変わった名前の屋台。中州からは少し外れた場所にあった。

タクシーを使わずに歩いていくか?と言うことになったが、地理も知らずに出たのでかなり歩くことになった。ハーフぐらい歩いたかもしれない。

ようやく到着、本当に小さな屋台だ。先客は、いずれも観光客。関西と静岡あたりだったかな?

基本は串焼き、メニューの端からは端までひと通り、3本ずつ頼みあとはお好みで、ということにする。酒は熱燗や焼酎、ビールは寒くて進まない。

酒で体が少し温まると注文も進む。焼いても焼いても追いつかない。屋台占拠状態。

酒は、もっきり1杯を麻雀の手役風に数えて、満貫、ハネ満、倍満、3倍満まで飛び出した。3倍満はもちろんTくんだ。

ほろ酔いならぬベロ酔いの身に風が冷たい。中洲までぶらぶらと歩くのもいいがとにかく寒い。三々五々、タクシーを拾いホテルへと戻った。

最終日は「クィーンズ・ヒル」のラウンド。うって変って快晴、気温もどんどん上がり汗ばむほどだ。

こちらは100点切りが2名、ほんの少しは面目を施した。私は昨日よりも10点も多く叩きボロボロだったが、4位で済んだ。

朝一からのスルーラウンド、そのままバックを送り一路空港へ。2時にはクルマを返して。空港での遅めの昼食。さすがにここでは、と思うも・・・またも生ビールが並んだ。

みんなとにかく元気だ。元気が一番!

16時過ぎの便で新潟へ。

新潟は雪の中、前日にかなり降ったようだ。クルマを出して一路会津へ。会津はさらに深い雪の中だ。

会津が近付くにつれて、何とはなしに口数が少なくなる。一人降り、二人降り、家に着いたのは7時半ごろだった。

家の前は雪が山積み「雪かたし、大変だったんだから・・・」とお迎えの家人の愚痴に無事、現実世界へと引き戻されたのでありました。

三日間、ありがとうございました。楽しかったです。

終わり。

 

2014年12月22日 (月)

師走博多 1

年の瀬の連休、博多へ。

仕事ではなく全くのオフ、高校同窓生のゴルフツアーだ。

還暦を過ぎると「いつまでこうやって遊んでいられんだべな?」という言葉が何度も聞かれる。

せいぜい元気な内は楽しくやろう!ここまで頑張ったんだ!と、言い訳をあらかじめ用意して、各人家族の了解を得ることになる。

8名、ま、いずれこんな師走に遊びに行けるのだ。健康とおかれた環境に心から感謝しなくてはならない。ありがとう。

7時に会津を立ち、新潟空港へ。空港まで我慢した自分は偉い!とばかりに、待合室で朝ビールを。天気が心配されたが、無事に離陸。機上でも、そこここで酒の香りが漂う。

クルマ2台で移動のため、常時2名はハンドルキーパー。私は初めから運転免許を持っていくのを忘れた。

昼に福岡空港着。東京からの1名と合流しレンタカーで駅前のホテルへと向かう。新しくなった福岡駅9階10階の「食うかい」という飲食街で遅い昼食。すごい人でごった返している。

中華料理店を見つけ一息。

いつもの旅行のように団費として数万円を集め、旅中の飲食はこれで賄う。足りなくなったらまたざるまわし。

絶対に割り勘負けしないTくんを除いては、ほぼ一直線かな?飲めない食べないと言うのがいないのも、こうしたお友達旅行が上手くいく秘訣かもしれない。

なかなかの中華料理を食し紹興酒まで入り(さすがに1本でやめた)終了。市内を軽く散策し、ホテルチェックインの後は夕方まで自由行動。

こどもと同じで前の日から目が冴えてしまって、ほとんど寝ていないのでさすがに眠い。昼寝を決め込む。

夕宴はいけす料理で有名な「稚加栄」へ。

私が以前一度訪れて皆が大いに喜んだので推薦した。今回もイカの生き造り、アラ鍋など新鮮な魚にみんな大満足。酒も大いに進んだ。

驚いたのは気の効いた仲居さん達が、ビールを飲んでも大丈夫なんだと言うこと。

若手のももちゃんにはみんなが集中して注いでいたし、写真も撮った。

たっぷり飲んで、たっぷり払っての初日、博多の夜は更けて行ったのであります。

2014年12月19日 (金)

波状寒波

寒波が半端ない。

暖冬だエルニーニョだと言われているのに、会津は吹雪の日々だ。

磐越西線、磐越道ともに近年よく止まる。

特に磐越西線は、ひと冬に度々、運行中止になる。昔、我々がこどもの頃はもっともっと大雪だったが、鉄道が止まることはめったなことではなかった。

おそらく、安全基準というものが引き上げられており、風速何メートル以上、積雪何センチ以上など、細かい基準のひとつにでも引っかかると運休になってしまうのだろう。

安全第一で、走らせない。

高速はそれよりは頑張るが、やはり地吹雪がひどく視界が聞かなくなると通行止めだ。

レールの上を走っていれば、先が見えなくても衝突する事はないが、道路はそういうわけにはいかない。

高速が止まると、国道49号線は生活を守るためにも何としても通行止めを回避すべく必死の除雪作業が続けられるわけだが、そんな時に限ってどこかの坂道でトラックが横向きになって道をふさいだり、横転したりして、結局は通行止めになってしまう。

そうなると今度は猪苗代湖の南岸を回り込んで郡山へ抜ける道を狙うか、反対に会津若松市から南の下郷町に向かい甲子道路で白河へ抜けて、白河から新幹線で東京へ、というルートも考えられる。

会津ー新潟間がまだ通行止めでない時には、思い切って新潟まで行って上越新幹線で東京に行くというルートもあるが、これは相当な裏技である。

これらがすべて止まってしまうと陸の孤島ということになってしまうわけだが、めったにそうはならない・・・が、たまになる。

冬はまだ入り口だ。先が長い。

12月からこんな風に何度も何度も寒波の波状攻撃では参ってしまう。

案外、1月2月になったらそうでもないのかなぁ・・・などと都合いいように考えて、ひとまずはこの年末年始をなんとか乗り越えたい!

2014年12月15日 (月)

当選者二人

福島四区の選挙は大接戦となった。その結果、維新の小熊慎司氏が勝つという「大」といってもいい番狂わせが起きた。

自民党の菅家一郎氏が敗れた。

比例区での復活当選は果たしたものの菅家氏にとっては、市会議員から始まって県会議員、会津若松市市長、そして衆議院議員と長い政治家生活の中で、初めて負けた選挙となった。

なんとも言えないほろ苦さを味わったことだろう。

業界が応援してきた候補なので心境もいささか複雑だ。

自民党の有利が伝えられ、最後の最後で票が流れたのだろう。

最後の最後まで手綱を握り締めていくのは難しい事だ。

緩んだとしても差の開いた相手なら「危なかった!」で済むが、競っている事態では、思いもかけず手の中から滑り落ちる。選挙は水ものだ。

選挙には関わらない家訓なので特別な感慨はないが、ちょっと驚いた。

とはいえ、現職二人の議席は守られたのだから、二人とも会津のために、また福島のために大いに働いていただきたいと願うばかりだ。

復興の言葉は躍るが実感は伴わない、そう答える人が大半だ。

それはこれまで物事を一つ一つ、ちゃんと決めてこなかったからではないだろうか?東電任せ、国任せの時期はとうに過ぎた。

中間貯蔵施設はつくるしかない。今後、たとえどんな政治家が立ったとしても福島県は完全廃炉を目指す。何をどうやるか明確なロードマップを作る・・・などなど。

少なくても10年後、20年後がイメージできる地図を描いて、次世代と約束を交わすことが大切だ。

あの池上彰さんは、福島県のこどもたちに『君たちは何も悪くはない。全ては私たち大人がやったことです』と、語ったという。

その子どもたちに、良くても悪くても、正直に未来の姿を示す責任があるのだ。

福島県の国会議員さんは、与野党の枠を越えて力を合わせて、これだけは進めてもらう他ない。

何せ特殊地域なのだから、仕方がない。

人知による完全解決は出来ないほどの大事故を起こしてしまった。

しかし、癒し、治すのはやはり政治にしかできないことだ。

こうなれば、お二人の一層のご活躍を心から祈るほかない。

2014年12月 9日 (火)

ハートの問題?

寒い日が続く。特に体調が悪いわけではないが、なんだか今年は寒さが骨身にしみる感じがする。

南国のイメージが強い四国で大雪によって閉じ込められ、死者まで出るなんて驚きだ。

一息付いたら「またすごい寒波が襲ってきますよ!」という聞いた事のない警報まで出されている。

会津はまだ、ポンポンだ。市内には雪が全くない。周りの山々も低いところは黒々としている。

しかし朝は氷点下、水があれば凍る。雪がないとスリップしないように思ってしまうが、思わぬところで滑るので注意が必要だ。

タクシーに乗ると暇だと嘆く。レストランもキャセルが相次いだと言っていた。選挙の間は、要らぬ誤解を招くような会合は、中止か先送りされる。

本当の忘年会の喧騒が街に戻るのは、14日以降かもしれない。

この選挙を予測していたわけではないだろうが、今年の忘年会は、なんか後ろの方に集中した。

この後、週末はダブル、トリプルブッキングとなっていて、移動しながらになってしまいそうだ。

個人的には、まだまだ今年を振り返る、などという気持ちにはならないが、一年の活動を総括してあいさつしなければならない場面も出てくる。

野球部の納会などはそうだ。

今年は野球部、シニアチームともに成績が振るわなかった。少し自信と誇りを失っているのではないかという、厳しい話しをした。

職場の理解と協力を得て試合に臨んでいるという感謝の気持ちは当然だが、その前に自分たちは病院の名前を背負って、代表して試合に臨んでいるんだと言う矜持を忘れずにいて欲しい。

歴史あるチームを創った創始者は、宣伝や娯楽のためだけに創った訳ではない。

野球を通して健康な心(スポーツマンシップ)の醸成、職場のチームワーク&チームプレイの鍛錬を目指して創ったのだ。

選手諸君は、それを体現する代表者だ。その強い心を持って戦わなければならない。

そこが弱くなっているからあと1点が届かない、逆転される、追いつかれるんじゃないか!と、ハッパをかけた。

今のチーム力なら十分やれる、と野球協会のお偉方も分析されていた。足りないものはむしろハートの方だ。

ぜひ頑張って、来年は全国大会に出場して欲しい。

応援に行く、という楽しみをぜひ私にプレゼントして欲しいと願っている。

頑張れー!竹田病院野球部!!

2014年12月 3日 (水)

天国の映画館

『傷だらけの天使』の主人公は、健さんと文太に憧れてこどもに「健太」という名前を付けたっけ。

まるで健さんを追うように、菅原文太さんが亡くなった。

文太さんと言えばなんといっても「仁義なき戦い」だ。映画監督・深作欣二はそれまでの様式美とも言えるような映画作りを一変させた。

走り回るカメラ、ギラギラした群像をとらえたカットは一見して誰が主人公なのか分からない。いたずらにアップしたりせずに、いたるところではじける生命力をスクリーンに焼き付けた。

「仁義なき戦い」で役者としての新境地を拓いた人は数知れない。小林旭しかり、梅宮辰雄、山城新五、北大路欣也、松方弘樹しかり、ピラニア軍団の面々しかり、みんな芝居が一皮むけた。

その中心に居たのが菅原文太だ。

耐えに耐えて、最後には殴り込みをかける任侠映画とは一線を画し、金と力にたなびく人間の弱さ、根性無しの親分に翻弄される男たちの悲哀を描いた。

この後、菅原文太は「トラック野郎」などの人気シリーズで、コミカルな演技の新境地も拓き、絶大な人気を博していく。

残念なのは、その後、健さんと違って代表作と言えるような映画に恵まれなかった事だろう。

テレビではNHK大河ドラマ「獅子の時代」で会津藩士を演じた。逆賊の汚名を着せられた幕末・明治を耐えて生き抜く男の姿・・・残念ながらあまり内容は覚えていない。(すみません)

強く記憶に残るのは、秋の会津まつり、歴代藩公行列に参加した時の姿だ。

有名タレントは馬か、オープンカーなどに乗って行列するが、文太さんは「獅子の時代」の浪人の姿そのままに、浪人姿で一日を歩きとおした。

大柄で、かつらのよく似合う笑顔だった。よれよれの着物がまたカッコ良かった。

健さんと文太さんはほとんど共演の作品がない。不仲だなどと言われたこともあったが、そんな事はないだろう。

互いに認め合い、尊敬し合っていたに違いない。

個性が強烈過ぎて、スクリーンではうまく混じり合わせられなかったのだろう。

こんなに近い時期に二人が揃うとは、天国の映画関係者も全く思わなかったに違いない。深作監督もいる事だ。ここは一本撮るしかないだろう。

そうだ、二人とも尊敬しながらも縁の無かった黒沢明監督もいる。二人の黒沢作品もぜひ一本、観てみたいものだ。

いつの日か向こうに行ったなら、そんな映画をガンガンやっている「天国の映画館」があるのかもしれないなぁ。

2014年12月 2日 (火)

透けて見えるもの

孫が東京に帰ってしまい、師走がやってきた。

このせわしい年の瀬に総選挙をするのだと言う。2日告示、14日投票。

会津は福島4区、前回同様、自民党が勝ち、維新の党が比例復活で決まりだろう。

きっと自民党が大勝ちし、安倍さんが調子に乗るんだろう・・・。

それでいいいのか?とも思うが、野党はあの体たらくだ。

白票という抗議をしたところで、声が届くわけではない。勝てば官軍、その事は会津人は特に身にしみているはずだ。

11月の連休の最後に興農園でリンゴをもいできた。小振りの二本の木から200個ぐらいだろうか。真っ赤なリンゴは蜜が一杯に入り、瑞瑞しい。

今年は特に水分たっぷりな感じだが、甘さが例年より少し足りない感じ、日照時間や何かの関係なのだろう・・・でもすごく美味しい。

このリンゴを知り合いに配り歩く。真っ赤なリンゴ、喜んでもらえたらこっちも嬉しい。

そういえば、今年の初めにがんで亡くなった私の友人はリンゴが好きで、ある政治家と親戚だった。

その先生は親戚なりに気を使ったのだろう。がん末期の友人を何とかしようと、いろいろネットで秘書に調べさせたようだ。

にわか知識を得た先生はこんな事を言った。

「陽子線治療か、遺伝子療法、それなら助かるかもしれない。陽子線治療を行っている病院のトップは知り合いなので、なんなら連絡を入れよう・・・」と、おっしゃった。

残念ながらもうすでにそういう時期は過ぎていた。

が、一旦は死を受け止めようとした友人の心を、先生の言葉は大いにかき乱した。そして、家族をも混乱させた。

彼の妹は医療者であったので、不用意に叶うはずもない希望の種を振りまいたその言動に心を痛めた。

無論、悪気はない。悪気はないが、何でも言えばいいというものでもない。が、政治家とは元来、そういう生き物なのかもしれない。

結果、紹介状を携えて妹さんは郡山と東京の病院を回った。そして、当然のように、もうこちらで出来る治療はありません、と言われた。

当事者である彼は大きな落胆を味わって、また、深く深く落ち込んだ。

この一連の出来事を、私は傍観するしかなかったが、かなり複雑な思いを味わった。

最後まで出来る事はすべてやった。そういう心境に達したのであれば、本人にとっても家族にとっても決して無駄ではなかっただろう・・・。

死に向かう人と対峙する時、人は何を口にするか?口にできるのか?

そんな人生の一場面に立たされた時、本当の人間としての厚み、品位というものが透けて見える、そんな事を学ばされた思いがした。

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