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2014年11月

2014年11月28日 (金)

一週間

四国の帰りに浅草に立ち寄った。

立ち寄ったと言っても本当に泊っただけみたいなもんだ。8時過ぎにチェックインして近くのすし屋で寿司をつまんだ。で、早々におやすみ。

早朝の浅草寺にお参りをする。仲見世通りには人っ子一人いなくて、裸電球が一直線に伸びている。なかなかきれいな風景、カメラを持ってくれば良かった。

浅草寺の扉も開いてはいないが、手を合わせたままじっと動かないオジサンが一人。財布の小銭を賽銭箱に落とし、手を合わせた。

六時の鐘が遠くで響く。振り返ると仲見世の明かりは、ハタリ、と消えていた。

六区の近くまでぶらついて、ホテルに戻る。浅草の佇まいは庶民的で、どこか怪しげでもあり、いい感じだ。

シャワーを浴びて、スカイツリーを眺めながら有機野菜たっぷりの朝食をいただく。日差しがまぶしい。美味しい。

部屋に戻り、さっと荷造りをして8時にはチェックアウト。タクシーで東京駅へ向かった。このまま帰るためにわざわざ一泊、それはもったいないでしょう・・・と、言われるかもしれないが、東京駅で待ち合わせした二人と会って、一緒に会津に帰るのが目的なのでした。

それは娘と可愛い孫、パパに送られて中央口に現れた。

ベビーカーに乗った孫は大分大きくなった。ぶっ、とした顔をしていくらあやしてみても全く反応なし。

娘と家人がお土産を買う間、ベビーカーを動かしながらじっと、にらめっこ状態。あやして笑いかけると、すっ、とそっぽを向く。

赤ちゃんルームで少し休んで新幹線へ。郡山から会津ライナー、大きくぐずったりすることもなく昼前には会津若松駅に着いた。パーク&ライドのクルマで自宅へ。4日ぶりの我が家だ。

14時からママは「あいづ現代舞踊団」の発表会へ。3歳からモダンバレエを続けてきた教室の発表会、これに間に合うように朝一で帰若したというわけだ。

これから一週間、11月が終わるまで孫の居る一週間となる。

さあ、お楽しみはこれからだ。

2014年11月24日 (月)

子規の国

伊予松山は「坂の上の雲」のふるさとだ。

明治を象徴するような人物、正岡子規、秋山好古、真之兄弟、そして夏目漱石も松山で重要な一時期を過ごした。

道後公園から市内を一望、正面に松山城の天守閣が見える。山の上にある、山城だ。

子規記念館を見学し、一応、記念に一句投じてみた。(内緒)

51番札所「石手寺」にお参りする。

さすがに四国、これまでのドライブでもお遍路さんの姿を各所で見た。せめて一カ寺ぐらいお参りしなくてはと、有名な「石手寺」に向かう。

境内は独特な雰囲気に溢れている。手作り感のある千羽鶴や張り紙がそこかしこに貼られて、世界平和を祈る。

お遍路さんの姿が多く、若いお遍路さんも大勢見えた。

線香の煙が境内に漂い、どことなく雑然とした雰囲気に「庶民の祈りの場」という空気が漂っていた。

参道の両脇に古い店舗が並ぶ。中に棕櫚の木の毛で作った手帚を売っている店を見つけた。仏壇の中を、さっさっと履いてゴミを取る。漆に艶も出てすぐれものだと言う。

あまり見た事のないものだ。年末の仏壇の掃除には持って来いかと一本買い求める事にした。一応ひと声値切っては見たが、手作りなのでダメ、5000円。ちと高い。

ここからナビに入れたのが、今治の「タオル美術館」。名高い今治タオルの逸品でも土産に出来ればとの想いで足を延ばすことにした。

これが正解だったか不正解だったか・・・。

とにかく大きなタオル中心の売店という感じ。ジュディ・オングの版画展やムーミン展などもやってはいたが、どうも関心が向かない。

館内は大勢の人人人、周りには何もないお城のような建物で、いかにもバブル期の観光施設、という印象が強い。

結局は何も買わずに、急ぎ松山城へと向かった。昼飯をパスして松山城へ。この城の周辺がとても入り組んでいて分かりにくい。ケーブルカーに乗るには周りの小さな駐車場にクルマを入れるしかない。

あっちこっち探しまわってようやく駐車、歩いてケーブルカーへ向かう。ケーブルカー、またはリフト、天気も良く暑かったので行き帰り共にリフトにした。待ち時間がなくて良い。

山の7合目ぐらいまでリフトで登り、そこからは歩きだ。

初めての松山城、予想していたよりもずっと大きく立派な威容だ。

白壁と木でつくられた城、白と茶色のコントラストが青空に映える。これは見なきゃあいけません!かなりの迫力だ。子規が愛した城というのも大いにうなずける。

城から下って、目の前のうどん屋さんに飛び込む。松山はうどんjも美味しいと、高知のタクシー運転手さんが言っていた。まだ新しいうどん屋は「百年うどん」という名だった。

これが当たり。

鰹節ではなく、宗田節というめじかの削り節でだしを取る。しっかりしたコク、鰹や昆布とは、ひと味違う、初めて食べた味だった。付け合わせの宇和島のじゃこ天がまたうまい。

「これは美味しい!」というと店主がじゃこ天をサービスで焼いてくれた。何でも宇和島の決められた職人からしか仕入れないそうだ。良い材料が入らないと作らない頑固者だとか・・・。

こういう偶然の出会いが旅の醍醐味だ。汁は残さず飲み干す。

さて、いよいよ旅も終り。

松山空港へと向かう。レンタカーの返却、ガソリンは16リッター足らず、あんなに走ったのにさすがアクアだ。400キロはゆうに走ったろう。

空港でお土産を買い求め、荷物にして送る。これがなかなか送ってくれる店がなくて苦労したがなんとか無事に送れた。

早めにチェックインして生ビールでのどを潤し、大相撲観戦でひと休みだ。

あとは東京へ、今夜は雷門の馴染みのホテルに泊まることになっている。

2泊3日の、のんびり四国旅。お天気にも恵まれて、楽しい旅となりました。

会津は寒い、と息子からのメール。

さて、北国へ帰ります。

2014年11月23日 (日)

四万十を遡る

高知駅前でレンタカーを借りる。トヨタのアクア、ハイブリットカーだ。

今日はクルマで四万十へ向かい、四万十川のうなぎを食べる。そして、四万十川を遡って宇和島、松山道から松山市の道後温泉へと走る予定だ。

高知市と四万十市は、隣り合わせぐらいのイメージだが意外と距離がある。クルマで2時間ほどかかる。そこから足摺岬まではさらに100キロほどあるから足を延ばすのはちょっと無理だ。

高知を走って気付いた事。

高級車が少ない。ベンツやレクサスなどの大きなクルマ、いかにも高そうなクルマが本当に少ない。会津よりもぐんと少ない感じ。ほとんどが軽自動車やコンパクトカーだ。

高いビルも数少ないし、独特の田舎感がある。

四万十市に付いたのがちょうどお昼。市の観光案内所に立ち寄り、今後の走行ルートを決め、大体の時間を尋ねる。夕方に松山着でちょうどいい感じだ。

昼食はお目当ての四万十川のうなぎ。四万十川沿いの有名店でうな重(天然もの)4200円だったかな、そのぐらいのをいただいた。

隣の席のうるさいグループは中国人観光客だった。

こちらのうなぎは東京のうなぎとは違って蒸しの工程がない。そのまま焼いてタレを付けるやり方。それだけに脂が強く、歯ごたえもある。

「これが四万十の天然うなぎか!」と思うとありがたみもあろうというものだが、やっぱり食べ慣れた江戸前式のうなぎの方が柔らかくて美味しいなぁ・・・とは、口にはしない。

四万十川に沿って国道441号線を宇和島方面へ。

途中、有名な沈下橋を何箇所か見る。四万十の流れは透き通っていて雄大だ。人がいない。沈下橋も所によっては水面からかなり高く、真ん中を歩かないと怖い。

ある橋ではクルマに追いかけられて走った。脇をすり抜けられない事もないのだが、かなり端にに立たなければならないので恐ろしい。走って渡り切った方がまだいい。

441号線はこれが国道か?と思うほどに道幅が狭い。ところどころすれ違えないような場所もある。そこをダンプカーがすっ飛ばしてくるので、これまた怖い。

至る所で公共工事が行なわれている。公共工事が重要な産業の様な感がしないでもない。441号から381号、そして松山道へと出ると道もすっかり良くなる。

四国山脈の山々は急峻で、山のとてつもなく上の方に集落がある。あんなところで暮らすのは大変だろうと、眺める。

カーナビで松山市へ。そして道後温泉へと導かれ、夕方の4時過ぎには今日の宿へと到着した。

宿は数多くあるが何といっても圧巻は道後温泉本館の建物だ。

映画「千と千尋」のモデルにもなったという古風な、そしてどこか怪しさを秘めた佇まい。観光客が取り巻きにしている。

本館に入れるかどうかわからないが、とりあえず湯の用意をして本館へと向かう。湯に入るには、一階の共同浴場のみ、二階の部屋と浴衣付きのコースが二つ、三階の個室コースとある。

二階の上の方のコース、1400円ぐらいを尋ねたらすんなり入れた。

テレビで見たことがある風景、目の前に浴衣の箱が置かれ、約1時間しかいる事は出来ないと説明を受ける。早速、特大の浴衣に着替えお風呂へ。

まずは2階の湯、石張りのクラシックなお湯だ。湯船は10人ほどが入れるぐらい。湯は無色透明でサラサラしている。

ゆっくりと温まり、一旦出て、一階にある大きな共同浴場へ。こちらも話のタネに入らないわけにはいかない。

湯船は三倍ほどあるだろうか。真中に彫り物を施した大きな石の円筒があり、それを取り囲むように人・人・人だ。こちらはさすがに人が多く、少しお湯が濁っている感じがした。

充分に温まって部屋に戻るとお茶と茶菓子が出る。

揃いのTシャツを着たスタッフが忙しそうに立ちまわっているが、実に手慣れて手際が良い。時間に合わせてなんとなく誘導され、着替えると順次、館内の案内をしてくれる。

昭和天皇の来られたお部屋や、三階の坊ちゃんの間、見るところも満載、情緒たっぷりというやつだ。

目の前の温泉街を冷やかし、宿の部屋に戻って、ゆっくり目の夕食をいただく。

この辺りは愛媛牛が名産らしく牛のステーキ、しゃぶしゃぶ、にぎり鮨まで付いた。

温泉満喫、腹いっぱい。ビールに冷酒。

運転で疲れたのか早々にダウン、宿のお風呂は翌朝ということにしてパタリと寝てしまったのでありました。

2014年11月22日 (土)

高知ぜよ

連休を利用してというか、少し前倒しして四国を旅してきた。

土佐の高知から松山へ。

家人は四国には一度も行った事がないという。私は鳴門方面、徳島、高松には何度も行っている。

この夏にも高松に行き、金毘羅さんにもお参りしてきた。阿波踊りだって本格的踊った経験がある。(自慢!)

そこで、ずっと行っていない高知、そして通過しただけの松山へ行く事にした。どちらにとっても新鮮な旅というわけだ。

会津を6時前に出て、羽田から高知竜馬空港へ。わずか1時間10分で四国だ。

高知は40年以上前に一人旅で来た事がある。街中から良さ濃い踊りを練習する鳴子の音が聞こえていたから、8月のよさこい踊りの少し前だったはずだ。

居酒屋で食べたカツオのたたきの美味さ、焼酎のお湯割りを作ろうと焼酎を先に入れたら隣のおっさんに、「お湯を入れてから焼酎だ!」と怒られたのを覚えている。

空港からタクシー観光にした。

簡単に腹ごしらえをして桂浜へ。記憶の中の風景とあまり変わっていないような気がする。坂本竜馬の銅像、同じ高さまで登れるイベントをやっていた。竜馬の視線と同じ高さのやぐらに上に登るという、ただそれだけのことだが、なかなか新鮮な景色だ。

竜馬記念館を眺め、高知市内へと向かう。

路面電車が走り、街中には高い建物が少ない。70万人以上の人口がある街にはとても思えない。なんとなく田舎チックなのだ。

ところどころにアーケードのある古い商店街がある。シャッター通りといえばそれはそうだが、まだまだちゃんと機能している感じだ。人も結構いる。

がっかり名所で有名な「はりまや橋」でペギー葉山の歌声を聴いて、高知城へ。

天守閣の上から見た街並みも、なんだか40年前とあんまり変わっていない感じがした。(実のところは覚えていないが)

ホテルにチェックインして一休み。食べログで見つけて予約しておいたカツオのたたきの人気店までは歩いて20分ほどだが歩くことにした。見慣れぬ街は歩いてもすぐに着く。

目の前で有機農業の藁であぶったカツオのたたき、香ばしい香りがして「これはうまい!」なかなかのもんだ。

だが、他はあんまり大したことはなかった。名物が最高だったので、これはこれで良しとするほかない。

帰り道もアーケードの中をぶらついたりしてホテルまで歩いた。何といっても暖かい、それなのにダウンジャケットを着ている人の多い事、こっちはシャツ1枚なのに・・・。

ホテルの窓からはライトアップされた高知城の天守閣が見えていた。

本日の歩行距離は約7.5kmぜよ。

2014年11月19日 (水)

健さん・・・

健さんが亡くなった。10日に亡くなっていた。

悪性リンパ腫、血液のがんだ。3か月前にはCMの撮影をしていたと言うから、急死といってもいいだろう。

日本の映画俳優最後の大物。ほぼ、映画一筋で205本もの映画に出演し、そのほとんどが主役だ。

健さんファンだった。

学生時代には任侠映画に酔いしれた。東映を独立してからもほとんどの作品を見ている。映画館で観たものが多いが、DVDで観たのも沢山ある。

まぁ、器用な俳優さんではなかったから、どんな役をやっても健さん以外の何者でもない。役によって誰だかわからないようなもの凄い変貌を遂げたりはしない。

ヤクザをやっても刑事をやっても兵隊さんでも、大石内蔵助でも健さんそのものだ。

大根だ、などという人もいるが、あの良さがまさに映画俳優なのだ。

高倉健の演じる世界こそが映画であり、他の誰にも真似できない健さんワールドを作り出す。上手いとか、下手だとかいうレベルの話しではない。健さんの世界が好きか嫌いかだ。

「すみません」健さん演じる男はよく謝る。自分の生き方を曲げられないから謝る。易きに流れればそれでお仕舞いなのに、それが出来ないから健さんは謝る。そして、バカだと言われようと、愚かだと責められようと、その想いを貫き通す。

そんな健さんを周りは決して嫌いになれない。

任侠映画のシリーズは別格として、独立以後の好きな映画。

「駅」いしだあゆみがきれいだった。倍賞さんも良かったなぁ。「夜叉」あの時の田中裕子は最高です。「あ・うん」健さんらしくない健さん、でも健さん。「居酒屋兆冶」大原麗子最高!加藤登紀子さんも良かった。

しかし、こう考えるとすごい女優さん達が健さんとの化学反応を起こして、名作を残してきたんだなぁと思う。

「ぽっぽや」のオープニングの蒸気機関車は会津野を走るD51でした。「あなたへ」は嫁入り前の娘と二人で観に行きました。

とにかく好きだった、健さん。

心からご冥福をお祈りいたします。

そしてあなたの爪の垢ほどでも、男らしく、人に優しい男として生きていきたいと思います。

2014年11月18日 (火)

チャンチャンと

よくまあ、トップがいない間に話がチャンチャンと進むものだと、そっちの方に感心してしまう。

日本を旅立つ時には解散など全く考えた事もない、と言いたげだったが、9日間の外遊を終えて帰国したら全てが決まっていた感じだ。

GDP速報値を見て、消費税引き上げを18カ月延長して衆議院を解散する。告示日、投票日までしっかりと決まっている。

まるで台本が出来ていたのを、丁寧になぞったような感じだ。

GDPの速報値がマイナスだった事が番狂わせの様にも言われるが、一国の首相があらかじめ知っていたとしても不思議はない様に思える。

ともかくもう、選挙は既定路線だ。

国民の7割近くがなんで今やらなきゃいけないの?と考えているにもかかわらず、国民に信を問いたい理由があるということなのだろう。

なんだか、選ばされることに飽き飽きの感が強い。

選びたくもない選択を強いられ、これが民主主義だ!自分の意見を反映するにはこの一票しかない!と、言われると「分かってまんがな」とため息が出る。

乗り換える船がない。

あのハチャメチャを一度味わったいるだけに、あんな思いはもうこりごりとしか思えない。

「やがまし!んじゃ、にさ、やってみろ!」と言ったってどうせ出来ない事は分かっている。

野党もそんな事になるはずもないから、気持ちよーく、批判しているようにしか見えない。茶番だ。

『誰か私の気持ちを受け止めて!』と、どうしていいか分からない国民の叫び声が聞こえるようだ。私も叫びたい・・・。

「ミライ」という水素で走るクルマをトヨタが売り出すという。水素と酸素でエネルギーを起こし、排出するのは水だけ。まるでSFの世界から抜け出してきたようなクルマだ。

市販するわけだから、ちゃんと走って、悪路も冬の寒さや暑さにも負けない、ガソリン車と同性能のクルマというのだからすごい!

こんな夢の様な車が走り回る日はずっと先の事だと思っていたので驚いた。

こんなすごい事が出来る日本が沈むはずがない、と信じたい。

で、そんな思いを一票に託すとなると、一体どういうことになるのでしょうか?

チャンチャンと選挙にはなったが、国民の思いはチャンチャンと割り切れるものではない。

会津磐梯山は、大分下の方まで白くなっています。もう、2,3週間もしたら里にまで雪が降りてくるだろう。14日の討ち入り日(投票日)は雪かな???

2014年11月13日 (木)

その坂の途中で

同級生のXくんからメールが来た。時間を取って欲しい、会って話したいと言う。

珍しい事もあるものだと、快諾。翌日、コーヒーショップで待ち合わせた。

仕事柄いつもラフな格好のXくんが珍しくスーツでびしっと決めていた。細身で背も高いのでスーツがよく似合う。

「どうしたんだ急に」「いあやね、実は僕最近こういう仕事を手伝っているんだ」と名刺を出しながら言う。

聞けば、父親から継いだ家業を実質たたんだのだそうだ。職人さんを何人か抱えてきたのだが、高齢化やいろいろあって整理したのだと言う。

そして、自分で出来る部分の仕事だけを残し、会社としての業務は仕舞いにしたのだと言う。

「とはいっても遊んでもいられないからね。ま、65ぐらいまでは隠居と言う訳にも行かないし・・・」という。そんな彼を見込んで、名刺の会社から口がかかったのだそうだ。

小さいとはいえ会社を切り盛りしてきただけに、その才、人柄、人脈などを惜しむ人があるのも、もっともなことだ。

その会社の業務と病院とは全く関係がないとも言えない。それが彼が時間を取って欲しいという理由だった。

話を聞いたが、残念ながら期待には添えない。出来ること、出来ないことは、はっきりしておいた方がいい。

「残念だがそれは難しい、申し訳ないね」

人生の坂道、大分登って来たこの歳で新しい仕事に挑戦するのは並大抵のことではない。相当なエネルギーが要るだろう。

出来る事なら応援してあげたいが、やはり難しい。

「いやそんなぁ、申し訳ないはこっちだ。時間を取らせて・・・。また、なにかでお願いすることがあるかもしれないから、とにかく今後ともよろしく頼むよ」彼は屈託のない笑顔を見せた。

大学を出てすぐに家業を継いだ彼、改めていい育ちをしてきたんだなぁ、とその笑顔を見て思った。

「どうにかなるさ、きっとうまくいく」そういう、いい意味での楽天主義が、身に沁みついている。前向きで明るい笑顔だ。

我が身に置き換えて、彼のように笑えるだろうか?と思うと、あまり自信がない。

もちろん、口にできない事もいろいろとあるに違いない。しかし、そんな事は聞いても仕方がないから聞かないが良い。

大切な友人であり、大事なゴルフ仲間である事に変わりはない。

まだまだ坂の途中、お互いに頑張ろうな!と言う以外に、今のところ出来る事はない。

会津は冬型の気圧配置に向かう。山の天気には雪だるまが現れてきた。

2014年11月11日 (火)

坂道を登る

先日、と言っても赤い月が出た夜だから、もうだいぶ前の話だ。

友人たちと出資したSLSと言う会社の、簡単な、半ば旧交を温め合う酒宴が目的の様な株主総会が開かれた。

スチューデン・トライフ・サポートの頭文字を取ってSLS、会津大学の学生食堂、売店などを運営する会社fだ。

開学当初は、別な会社が運営を行っていたが不採算と言う事で撤退してしまった。それを引き受けようと言う会社が現れない。

そこに地元で喫茶店などを経営していたT氏が手を挙げてくれた。しかし、県側としては個人と契約するには二の足を踏んだ。

出来れば地元経済界の有志が力を合わせて応援してくれるという形がいいのだが・・・と言うのももっともな話。

そこでT氏を応援する仲間10人ほどが共同出資をしてSLSを立ち上げたというわけだ。

出資とはいっても、実質の運営はT氏と、これも仲間のI氏、K氏がサポートしている。どうぞ存分に、という気持ちでの応援だ。

当然ながら大きな利益は望めない。

が、なんとか赤字にはにせずに、地元の雇用を産み、学生のアルバイトなどの面でも役に立ちつつ、会津大学生を応援する会社なのだから株主の一人としても悪い気はしない。

その、シャンシャン総会の後の酒宴で、いきなり乾杯の音頭を!と振られた。

全く何も考えていなかったし、第一遅れて着いたという不届きものであったが、みんなの顔を眺めたら自然にこんな言葉が出た。

「我々も大分坂道を登ってまいりました。足が痛くなったり、故障者が出たりと言う便りも聞こえてきます。ま、お互いいい歳になりましたが、まだこの先も、もう少し坂道は続くようです。声を掛け合い、励まし合って、これからも健康には充分に気を付けて、頑張って登って行きましょう!」

まさに『人生は長き坂道を重き荷を背負うて行くが如し』(家康でしたか)であります。

坂道を登るために必要なもの、愛情、友情、人情、そして飲み物(特にお酒)、ほかに何があるかな・・・。

配当金ゼロ、かろうじて黒字、と言う決算ではありましたが、いずれ、楽しい仲間との和やかな宴でありました。

2014年11月10日 (月)

紅葉晴れと紅葉曇り

こんな言葉があるのかどうか知らないが、晴れの日はいわずもがな、しっとりとした曇り空の下の紅葉もまた良いものだと、つくづく思った。

秋晴れの日差しに映える真っ赤な紅葉、ブナや楓、ヤマモミジなど千変万化の色が混じり合う。

その色に大照明が当たった様に色鮮やか、まさに錦秋の会津だ。

紅葉の冴える朝はグンと冷える。朝霧が流れ、日差しが差し込むようになっても冷たい空気が地面に張り付いたままだ。

弱い日差しが徐々にその勢いを増して、朝霧を消していくが、人々の背中は丸まったまま。

日中は一気に気温が上昇し、皆の背中も伸びる。

光をいっぱいに浴びた山々、水と錦が織り成す風景に人々は感嘆のため息をつく・・・紅葉晴れ。

穏やかな曇りは曇りで、これまたいいものだ。

しっとりとしてひんやりとした空気、そびえる磐梯の峰、山裾に広がる秋の野は、見渡す限りどこにも影がない。

煌煌と照らされた色鮮やかな赤も黄色もなければ、深く暗い影もなく、全てが平面的に穏やかに佇んでいる。

風もなく、雨の気配もない。ただひたすらに優しい空気で曇っている、そんな天気が秋に一度は訪れる。

「静か」と言う言葉がぴったりの風景、それが紅葉曇りの会津だ。

土曜は紅葉晴れ、日曜は紅葉曇り、どちらも甲乙つけがたい会津の秋を満喫した週末なのでありました。

2014年11月 9日 (日)

逝く秋

友人のお母上が、そして同級生のお父上が相次いで亡くなられた。

八十代半ば、寿命といえば寿命とも言える年代だ。

還暦を過ぎ、並みの親子関係(年齢差の事)だと、ちょうど今が親の介護、看病、看取りなどを経験する時期にあたっている友人が多い。

私の場合、母親を35歳の時に63歳で亡くした。父親は84歳だったが、遅く生まれた子なので、もう見送って十三回忌をとうに過ぎた。

そういう意味では、今、社会問題になっている「多重介護」などの心配はない。

親を30代で送る時、40代で送る時、60の坂を越えて送る時、やっぱり気持ちや落ち着きも違うだろう。

30代で母親に死なれた時は、「母親が死んだら悲しいだろうなぁ・・・」と想像していた百倍も悲しかった。正直、あまりに悲しくてびっくりした。

あのぐらいのショックを受けると、どんなに鈍感な人間でも少し変わるものだ。

「人生観が変わった」などと言うと恰好いいが、確かに何かが変わった。

何がどう、とは言えないけれど、人として、人と接する時の立ち位置が、あれ以来少し変わったような気がする。

そして、いろんなことに涙が出るようになった。

オヤジの時は40代後半だった。自分の会社を持っていたので冷静に、とは心掛けたが、そうもいかなかったなぁ・・・。

母親の時は親父が喪主だったので、脇で泣いていればいいだけだったが、親父の時は自分が喪主なので何度か挨拶をしなければならなかった。

紙に書いて読もうとしたが、通夜の席ではボロボロ。告別式はまだましだったが、でもオロオロだった。

あれに比べれば、友人はさすがに落ち着いたものだ。

御礼の最後に「本当にありがとうございました!」声がひっくり返りそうになって大声になったSくん。

「なんだって元気いいなぁ」・・・って、そうじゃないんですよ、感極まって泣き出しそうになるのを堪えると、あんな風になっちゃうの!

そういうことが分かって肩のひとつも叩いてあげられる、そういう人間になるということかな。

親を送った先輩として、あの気持ちよーく分かります。

会津は冷たい涙雨です。

合掌。

2014年11月 2日 (日)

冬隣り

今年の秋は足早に過ぎていくように感じられる。

友人の農園から身不知柿(みしらずがき)の案内が届いた。

今年の価格表と共に昨年の送付先がきれいに打ち出された紙があり、同じならチェックを入れるだけでいい。変更箇所が書き込めるようになっていて、新規の注文も書き入れられるようになっている。

自分の農園から送る柿の全てをコンピュータで管理している事が一目瞭然でわかる。去年まではここまで進んでいなかった。

同級生なのでPCを駆使するのも一苦労ではないかと察する。(もちろん全く逆の同級生もいるが)一つ一つ積み上げて、しっかり頑張っているのだなぁ・・・と、少し感心する。

今年も会津の秋の味を送ろう!

秋は美味しいものがたくさんあるが、会津の秋といえばやはり身不知柿が一番に思い付く。

渋柿をさわして、渋を抜いて食べる柿だ。

もちろん渋抜きを自分でやったりするのではなく、柿が届くころにちょうど渋が抜けて食べ頃になるようにして送ってくれるのだ。

実が大きく、種がない。渋柿から転じたその甘さには独特の清涼感がある。酒を飲んだ翌朝などに家人がむいてくれたりするとたまらなく嬉しい。

柿は身を冷やすと言うが、コタツに足を突っ込んだりして冷たい柿を食べるのがたまらないのだ。

こどもの頃、我が家の庭には「にょろうど」(どう言う字を書くのか分からない)という品種の甘柿の木があった。実にびっしりと黒い点々(ゴマ)は入り、すごく甘かった。

甘かったのだが、どうもその柿はあまり好きではなかった。実がうれて真っ赤になりにゅるにゅるになったものなど、柿好きにはたまらないらしいが、どうも気持ち悪くて苦手だった。

やっぱり柿といえば身不知柿に限る!で、こどもの頃から来た。

この時期会津では、ちょっとした店の料理の最後にはちゃんと身不知柿が添えられる。

和・洋を問わず、料理人が会津の人なら必ずと言っていいほど出してくれるものだ。

また、きれいなお姉さんの居るお店に行っても身不知柿をむいてくれる。

『身のほど知らずに飲みなさんなよ!』と、忠告してくれているわけではないだろうが、にっこり笑って「おひとつどうぞ!」と、勧めてくれる。

この柿は一体一片いくらに付くんだろう・・・は野暮。

と、思いつつ「身不知柿か、いいね」と頬張ると「へーぇ、これってミ・シ・ラ・ズ・ガ・キって言うんですかぁ?私、柿かと思ってました~!」

もう二度とこの店には来るまい、と心に誓うのはそんな時だ。

11月の下旬には芳賀さんの農園でリンゴの実をもいでくる。

びっしりと蜜の入ったフジだ。それもほとんどを知人に配って歩く。自分が丹精込めたわけでもないが、喜ぶ顔が嬉しいし、なんとなく自慢なのだ。

足早の秋、早や冬隣りの11月。

もう少しゆっくりお願いしたいと思う今日この頃なのである。

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