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2014年10月

2014年10月31日 (金)

初めての体験

先日、大変な醜態をさらし、赤っ恥をかいてしまった。

ひと言でいえば酔っぱらったのだが、酒を飲み続けて40年、あんな酔い方は初めての事だ。

まず、明るい内から飲んだ、というのが悪かった。

米沢ロータリークラブと会津若松ロータリークラブは姉妹友好クラブになっている。一年毎に相互訪問をし、友好を深めている。

今年は米沢クラブが会津にやって来た。歓迎の趣向を凝らし、会津鉄道のお座敷列車で紅葉を楽しみ、交流を深めることになった。

当日は快晴、会津鉄道に乗り込んだのが14時前だった。車内で例会を開き、車窓からの紅葉を楽しみながら懇親会が始まったのは14時半ごろだったろうか。

要はそこから飲み続けたのである。

電車の揺れに酔いも心地よい。田島駅に到着したのが15時過ぎ。同行の芸者衆が、駅の構内で踊りを披露し、帰りの車内の宴会はまた一層盛り上がった。

出発した西若松駅に戻ったのは17時過ぎ、外はすっかり暗くなっていた。

楽しい錦秋の交流会を終えて、一同、大満足の笑顔で解散!

それで、タクシーを拾って大人しく帰ればそれでよかったのだが、あんなに調子いいと次に行ってしまうのが人情というものだ。

居酒屋へ直行・・・しようと思ったが、なんとなく気が変わりイタリアンレストランでワインを飲むという方向に進んだ。(ここがターニングポイント?)

その後も何人かの友人と顔を合わせ大いに楽しく、いろいろあったのだがそこは省略。

気が付けば一人で2本近くワインを空けて、何人かでピザ屋さんのカウンターにいた。

そこでも初めは気分が良かったのだが、頼んだピザが来た頃に急に身体の塩梅がおかしくなってきた。

ぐるぐると酔いが回る・・・は、経験の範疇なのだが、どうにも頭が上げられなくなった。カウンターに突っ伏したまま、動けなくなってしまったのだ。

次いで、汗が噴き出してきた。まさに頭から汗がどんどん流れるようだ。冷や汗?脂汗?良く分からないまま、カウンターから動けなくなってしまった。

恥ずかしい・・・・。

あの時、ロータリーの仲間Iさんがいてくれたので本当に助かった。3,40分全く動けず、頭を上げられない状態。正直、これは救急車で運ばれる感じ?とも、思った。

とりあえずIさんに励まされて、なんとか少ーし落ち着いた。

とにかくタクシーを呼んでもらい、Iさんに同行を願い家へ送ってもらった。

タクシーの中でも突っ伏したまま、吐いたりはしなかったが、みっともない事この上ない。

家にたどり着いたのは21時前だった。6時間ぐらい飲み続けた勘定になるだろうか?

誰かに送られて帰宅、などという事はこれまで一度もなかったので、さすがに家人も少々焦ったようだ。

Iさんに礼を述べ、上着、コートを受け取る。(上着を着ることも出来ない状態だったのだ。)

そのまま玄関でへたり込み、(何分居たろうか?)、リビングでのたうちまわり(何分居たろうか?)、ダダダ―ッと、寝室へと転がりこんで唸り続けたらしい。

やがて真夜中の3時に目が醒めた。周りはすごく静か(当たり前)

一瞬、ここはどこ?と思ったが、すぐに記憶がよみがえって来た。

でも、あら?思いの外、辛くない。苦しくない。

そうだ!明日はゴルフだった。

あんなにフラフラになった悪酔いならば、完全に二日酔いで起きられない。ゴルフどころの話ではないのだが、なんだか大丈夫なのだ。

これは一体、どう言うことだったのでしょうか???

今までの全く経験した事のない酔い方だった。確かに、昼酒は効くし、第一何といっても飲み過ぎ、それに尽きるのだが、結構楽しかった。(突っ伏すまでは・・・)

あんな風にパンチを食らったみたいに、いきなりのダウンは初めての体験といっていい。おまけに、こんな風に回復するというのも、これまでにはなかった。

歳と共に人間の身体は変わっていくものだ。

自分が一番知っていると思っている自分の身体が、時に思いもかけない行動に出る。それも、加齢のせいなのかもしれない・・・。(全く華麗ではない)

人間、オギャーと生まれて、この世の初体験を重ねて成長していくわけだが、下り坂に入ったら入ったで、表裏でいえば、裏側の初体験を重ねていくものなのかもしれない。

こうした裏側の初体験は、物凄くショッキングなのだけれど、加齢により脳も鋭敏な感受性を失っているので、あんまり気にしないで居られるものなのかもしれない。

これから先、こんな風にいただけない初体験を重ねていくのかもしれない、やだなぁ・・・。

いずれ何事においても、少し、あんつぁま(大人に)ならないといけないと思い知った。

とりあえず今後、酒はしっかりと味わって、チビチビとは言わないまでも、出来るだけゆっくりと飲む事にしよう!

と、猛省をした秋の一日なのでありました。家人にも心からお詫び申し上げました。

追: 翌日は予定通りゴルフに行き何事もなくラウンド、スコアも普通でありました。

2014年10月29日 (水)

機種変更

遂にガラ携からスマフォに、iPhone6に変えた。

落としてばかりいて、少しヒビが入っていたし、もう7年ぐらい使った。

案の定、なんだかんだと設定が難しい。

携帯ショップで1時間以上かかった。ま、ネットにつながるというのが何と言っても便利というわけだが、あんまり使わない感じもする。

全体的に動きが早い。サクサク行く。

メールがちゃんと宛先ごとに分類されていて、やり取りの記録も一目了然、これは便利で分かり易い。

カメラはすごくきれいに映るし、いろんな事が出来る。

これで、娘もiPhoneだと、テレビ電話みたいにお互いの顔を見ながら(もちろん孫の)話せるらしい。早速変えてもらおう。

GPS機能も便利だと言うけど、まだ使っていないし、使い方もよく分からない。

まず、電話をかける時にどうするかとか、切る時にどうするかとか、電源はどうするのかとか、基本的操作は変えた時にショップの店員に尋ねた。

研修生という若い女性が丁寧に対応してはくれたが、明らかに「そんなことも分からないんですかー!」オーラが少し出ていた。

どんなにマニュアル通りの対応と言葉遣いでも、なんとなく本心は垣間見えてしまうものだ。

たとえ「そんなことも分からないの!」と心の中で思ったとしてもそのオーラをきれいに消せてこそプロというものだ。お嬢さん、もう少し頑張りなさい!(明らかに年寄りの僻みかもしれない)

「画面は何指で触ればいいんですか?」と、これは半分冗談です。

昔は携帯は電話をするだけの道具だったが、スマフォともなると同年代でも使い方は大分違う。

あらゆる機能を使いこなそうとする友人もいる。いろんなアプリを入れ込み、ゴルフのラウンドなども全て携帯でスコアを付けている。

打数、パット数などすべて記録に残り、それが積み重なれば自分のゴルフライフが見渡せるようになり、とてもよいのだろうけれど、どうにも面倒くさい。

1ラウンド終わる毎に携帯をいじくる。途中でも開く、おそらくコースセッティングや距離も分かるのだろう。

私はとてもダメだ。あんな事をしていたらそっちに気を取られて、ゴルフなどどうでもよくなってしまいそうだ。

とはいえ、いろんな事が出来るのは悪い事ではない。便利に楽しく、使いこなせる日がその内、やって来るのではないかと思っている。

家人は、私がすべてマスターしたらスマフォに変えると言っているが、そんな日を待っていたらいつまでたってもガラ携のまんまになっちゃうよ、きっと。

会津の秋は深まっています。今年の紅葉は、すごくいいという人もあり、あまり良くないと言う人もあり、どっちなんでしょうね?

2014年10月27日 (月)

面倒くさいは危ない兆候?

最近、よく行っていた温泉施設に行かなくなった。

ゴルフによく行く、というのも理由の一つだが、ゴルフが終わっても大浴場には入らずにそのまま帰って家でシャワーを浴びる事が多くなった。

低温サウナで良く汗が出る「大江戸温泉物語・会津」以前は回数券も持っていて、月に最低でも2,3度は行っていたが、このところ休日の午後に時間があってもなんだか面倒くさくなってしまった。

クルマで20分と少し遠いというのもあるのだが・・・。

「富士の湯」のサウナ&アカスリは、月に一度は行っていたが、これもなんだか行かなくなってしまった。

一時、お湯が出なかったり、寒い思いをしたりしたこともあったりしたので、それも遠因だが、なんだかゴシゴシこすられると気持ちいいよりも、身体に毒か?などという思いが少し頭をかすめる今日この頃。

急に冷え込んできたりすると直の事だ。

春先に、里帰り出産で生まれる孫のために風呂場を直した。

それが快適だ、ということも確かにあるのだが、風呂とサウナは違うし、たまに汗をかきたくはなる。

それでもなんだか面倒くさい、が先に立ってしまうのが近頃・・・。

何をするのも面倒くさい、はあまり良くない傾向である。

うつ病の前兆傾向にも見られるし、老化現象そのものかもしれない。

動きたくない。出かけるのが面倒くさい。何をするのも億劫だ。こうなってはいけない。

いい歳してじっとしていられない多動性動物の様なのも困るが、常にフットワーク良く、多少の事では疲れを知らず、仕事にも遊びにも本気で取り組む・・・そういう人で居なくてはいけないと思う。

風呂に行く行かないなんてどうでもいい話なのだが、小さいところに変化の兆しは現れるものだ。

ちょっと気をつけよう!

2014年10月26日 (日)

やっと揃った

金曜日夜、會津風雅堂で竹田混声合唱団「虹の旋律~にじのうた~」のリハーサルが行われた。

翌日に行われる「第13回竹田地域医療フォーラム」の中でミニコンサートを行うためだ。

糖尿病を考えるフォーラムのため、舞台上に合唱やクラシック音楽の際に使う反響壁を出すことはできない。そこでマイクで少し音を拾い拡声し、舞台上へも音を返さないと歌う方も音が取りにくい。

その調整のためのリハーサルなのだが、前日というのに全員が揃わない。仕事の関係で仕方がないとはいえ、大丈夫なの・・・?

それでもリハーサルを決行、なんとか音は取れるし、会場へも響くということが確認が出来てまずは一安心。あとは当日のリハーサルにかけるしかない。

土曜、午前10時半から本番舞台でのリハーサル開始、昨晩は居たけれども今日はまだ来られないドクターもいる。結局、本番まで全員が揃った練習は出来ないままだ。

3交代勤務もある病院職員が揃って練習する事がいかに難しい事か!全国的に見ても混声合唱団のある病院が珍しいのには、こうした理由が大ありなのだ。

最後に、院長が「院歌」の指揮を練習、あとは本番までリハーサル室で調整するしかない。

土曜・15時25分、混声合唱団「虹の旋律」の登場、今回は総員35名。(毎回の公演ごとに人数が減ったり増えたりする)

この日のためにパートごとに色分けして作ったポロシャツのユニフォーム、ステージに並ぶと名前の「虹の旋律」にぴったりだ。会場からは盛大な拍手が送られた。

まずは院長が「院歌」を振る。続いて神経内科のI先生の見事な指揮で没後25周年を迎えた美空ひばりさんの名曲が披露された。

「真っ赤な太陽~柔~お祭りマンボ」のメドレー、そして「愛燦々」「川の流れのように」と続いた。途中、冷や冷やするところもあったが、会場は大いに沸いた。

観客として来ていた家人が聞き取った会場の声。

「あらー、○○先生だ、△△先生もいっから・・・」「なんだって上手だ事ー!」「あんなに忙しいのに一体何時練習してらんだべー?」などなど。

手拍子はもとより、一緒に歌い出す人も多かった。

精一杯、心をこめた歌声は會津風雅堂のホールに、また当日訪れた観客の心に美しく響いた。(はずだ)

自画自賛と笑われるかもしれないが、医療という厳しい現場の中にあっても心の潤いを失わず、チームワークよくハーモニーを響かせることの素晴らしさ。何事にも真剣に取り組み、真摯で常に笑顔を忘れない姿勢は、じわーっと伝わったのではないかと思う。

会津若松医師会長のK先生からは「素晴らしいもんだね、あれを聞かないのは損だ。この病院のこういう姿勢というのは、口コミでどんどん伝わっていくんじゃないかな・・・」とのお褒めの言葉もいただいた。

本番になってやっと全員揃った、などということは全く威張れたことではないが、各人が全力を尽くした事は確か。

そして観客にはしっかりと届いたと思う。

合唱団の名付け親だけに感慨もひとしお、あらめて心からの拍手を送りたい。

さて、この次は一体何時、発表の機会がありますかね??

2014年10月21日 (火)

打率は?

少子高齢化問題は地方の抱える最大の課題だ。

高齢化は止まる事を知らないが、少子化は止めようとすれば止められない事もない。

夢物語のようだが、若者たちがどんどん結婚し大勢こどもを産んで育て、また一杯結婚するサイクルに乗れば、理論的には解消できる。

が、それが全くそうならないから問題なのだ。

少子化、少子化といってもキツイ現実が我が身に降りかかるのはまだ先の事だから何となく笑って居られるが、深刻。

会津若松市の人口予想は推計によると20年後には三分の二に、高齢化率は35%を越える。

何とかしなくては、と私が焦ってもどうにもなるものでもないが、気にかかる。

実は少子化以前に結婚しない若者たち、目の前の彼ら彼女らが、深刻な問題なのだ。

周りを見渡せば結婚していない若者が大勢いる。

「誰でもいいから取りあえず結婚してみればいいじゃない!」なんてことをうかつに口にするとセクハラで糾弾されてしまう。

そこで「マチこん」や「出会いのパーティ」などが行なわれるが、成果のほどはどうなんでしょう・・・?

実は私も世話焼きオヤジぶりを発揮して出会いの場を作った事がある。

1対1で引き合わせてみたり、5対5で食事会をしてみたり、何十人かの出会いパーティを応援したこともある。

だが、これまで成果が上がったということは、残念ながら聞いていない。打率でいえば0割0分だ。

それほど現代において「縁を結ぶ」というのは難しい事なのである。

今の若者たちは互いに求めあう力が弱い(少ない)ように思えてならない。それほど切実にパートナーを求めては居ないのかもしれない。

とはいえ、やはり何とか一人でも多くの若者に幸せをつかみ取って欲しい。

家庭を築くことの楽しさ、自分の子どもと過ごす時間の素晴らしさを味わってもらいたいと願っている。

だから打率が0でもめげたりはしないのだ。

無理にはやらないが、自然にひらめいたり、ひょんな機会が生まれたりしたら、世話焼きは続けたいと思っている。

先日も知人のご子息と、ご息女を引き合わせた。

その後、何の連絡もないのだが、ここいら辺りでヒットが一本欲しいところなのであります。

2014年10月20日 (月)

孫がいる

いずれ東京の人は良く働く。東京とは限らないのだろうけれど都会のサラーリーマンの働く時間は(通勤時間も含めて)長い。

娘の旦那も一週間ほとんど帰宅が10時、11時というような日が続くらしい。営業業務なので仕方がないところもあるのだろうが、身体を壊さなければいいが、と思っている。

そんな事で、孫の風呂入れも一人、一日中ぴったり寄り添った子育ての日が続いている。新米ママさん奮闘の日々だ。

当然ながらちょっと里帰りもしたくなるだろう。・・・なるとこっちは嬉しい。

連休に家人が東京まで迎えに出て、初めての御里帰りと相成った。生後4カ月、新幹線に乗って会津へ。

孫は少々ビビりなのか、ベビーカーに乗って外に出ると大人しく固まっている。極めて良い子で、ぐずったり、泣いたりもしない。

久しぶりに見た寝姿は、ひと回りもふた回りも大きくなっていた。手を大きく開いてほっぺが垂れ下っている。

背も伸びて手足もパンパンのボンレスハム状態。「アー、ウー、フー、ワォー」とよく声を出して手足をばたばたさせる。顔を見るとよく笑う。

だが、泣かない。

泣かないなら泣かないで、泣かせたくなったりもするが、まず泣かない。ま、上機嫌なので問題はないだろう。

早速、風呂入れの日々、無尽系の集まりはこの一週間、キャンセルとした。

季節は秋だ、風呂もよく温まるように、少し時間が長くなった。風呂好きなのは変わっていないようだ。

風呂からあがって着替えると決まって3,40分、指をチュパチュパと吸いながら眠る。この間に新米ママは、夕食を済ませる事が出来ると言う。よく心得たものだ。

久々の家族揃っての夕食は、家人もいたって機嫌がいい。

目を覚ましたならそばに連れて来てあやす。いよいよ腹減った!と吠えだしたらミルクを与え、ゲップをさせて寝かせるとまた、すぐに寝てしまうのだ。

良く寝る体質は、父方、母方双方から受け継いでいるらしく、人一倍寝るようだ。

朝起きれば孫がいる。夕方帰宅すれば孫がいる。

ちょっとお出かけして、美味しいものをたくさん食べて、楽しい一週間は「あっ」という間に過ぎた。

そして、楽しかった分だけ静かで寂しい・・・そんな一週間の幕が開く。

2014年10月15日 (水)

平等院鳳凰堂

10円玉には国宝の平等院鳳凰堂が刻印されている。京都府宇治市にある有名な建物だ。

思いもかけずその平等院鳳凰堂へ、高校生の修学旅行以来だから45年ぶりに訪れることになった。

とはいっても本当に駆け足、平成の大修復が行なわれこの春に再公開がなった建物をホンの5分ほど眺めた。

・・・日曜の夕方、H先生からショートメールが入っていた。N先生のご尊父様が亡くなられたとのこと。通夜は月曜、葬儀は火曜とあった。

麻酔科のN先生には、地方病院の医療崩壊が叫ばれた一時期、本当に助けていただいた。京都から会津へ家族揃って移られて、医師不足の困難な時期を支えていただいた。

大柄でたくましい体躯、穏やかそうだが怒ると怖い。熱血医師を絵に書いたような先生だった。酒もゴルフも強く、私よりは年下だが気も合い、公私ともに仲良くさせていただいた。

北海道にゴルフツアーに出かけたことなども懐かしい思い出だ。

そのN先生が会津を離れて2年ぐらいになるだろうか。関西に戻られてからも、医師情報など、なにかとお世話になっていたし、娘の結婚式にはお祝いの品まで贈っていただいた。

そんなお世話になった先生なので月曜の朝、H先生と打ち合わせをし、病院代表として急きょ、宇治のお通夜に行くことにした。

11時に病院を出て16時過ぎには京都八条口のホテルに着いた。

着替えて宇治市の葬祭場へ。電車でゆられ、駅からはタクシー。もう外は真っ暗だ。どうやら宇治川の川辺の道を走ってるようだった。

葬祭場へ着くと、N先生そっくりのお兄様が喪主としてお客様を迎えていらした。

「えー、まさひろさん!」と、N先生が驚いて現れた。奥様もびっくり感激!会高の後輩になる娘さん、息子と同い年の次男坊とも懐かしく挨拶を交わす。「それにしてもわざわざ、驚きました!」とN先生。

「院長以下みなさんから、くれぐれもよろしくと託ってきましたよ」

葬儀のやり方というものはところ変われば、まったく変わる。

通夜式の開始まで前列の椅子に座って待つ。N先生もお客様の対応に忙しく、ゆっくり言葉を交わすことはできない。

「ご導師様の入場です」とアナウンスがあり、鉦の音が響き読経が始まった。するとすぐに「前列の方からご焼香をお願いいたします」という。

ご焼香を済ませ、立ち並ぶご遺族の前で一礼をすると、そのまま外へと導かれる。おしぼりを渡され、会葬御礼の封筒と香典返しを渡された。Uターンは出来ない。

「えー?これで終わりなんですか??」ものの1,2分の出来事。そのまま玄関口へと案内されてしまった。

仕方がないのでまた京都へ逆戻り。N先生とは翌朝、電話でいろいろと話すことになった。ま、顔が見れただけでも良かったとしよう。こちらの念は充分に通った事と思う・・・。

で翌朝、「あ、そうだ!折角だから」とひらめき、平等院鳳凰堂へと向かったというわけだ。

快晴。

「池のところまで行って、ご覧になったら逆戻りして来てくださいね。資料館の方へ行ったら間に合いませんから」と、タクシーの運転手さんに言われて5分間の観賞タイムと相成ったわけなのである。

極楽浄土を思わせるという鳳凰の建物。朝日を浴びた姿はさぞや美しかろうと感心・・・。

で、取って返し、慌てて新幹線に飛び乗って、会津に着いたのは6時前の事でありました。

2014年10月14日 (火)

あの日の事

11日、12日と「生と死を考える会・会津」の研修旅行が行なわれた。今年は石巻赤十字病院の見学、そして花巻温泉に一泊し、世界遺産の平泉中尊寺を回る。

台風18号の襲来を前にして、会長の日頃の心掛けのせいか素晴らしい晴天が続いた。

会津を出て松島で昼食、いよいよ石巻赤十字病院へ。あの日、津波に流された石巻の街で市民を救い、人々の心の支えにもなった病院だ。

前年の秋に免震構造の新病院として沿岸部から4.5㎞の場所に移転した赤十字病院、もしこの病院が以前のままだったなら、石巻はさらに壊滅的な、無医療の地獄と化していただろう。

あの日のことを災害救護係長のTさんが丁寧に説明をしてくれた。

何が起こり、どう対応し、どのような日々を過ごしたのか・・・生生しい映像を交え、あの日の事を振り返る。

ちょろちょろと押し寄せる水が、あっという間に濁流となり、さらにせり上がり壁となって押し寄せる津波の恐怖。

病院のロビーに急きょ設置されたトリアージエリア、緊迫する職員たち、あっという間に怪我人で埋め尽くされるベッド、トリアージタグの色・・・緑、赤、そして黒。

参加者は28名、聞き入る会員の目にもいつしか涙が浮かんでいた。

大切なのは忘れない事、備える事、そして伝えていくことだ。

映像の中で忙しく立ち働く石巻赤十字病院の職員たち、彼ら全員に家族が居て、今すぐにでも職場を離れて迎えに行きたい愛する人々がいたのだ。

その日の夕方、全員に、持ち場を離れず人々の救護にあたるように指示が伝えられる。

どれだけ辛かっただろう、どれだけ大変なことだったのだろう。

「みなさんはクルマの窓ガラスを割るハンマーを積んでいますか?クルマから逃げ出せなくて溺水した方がどれほどいたか・・・騙されたと思って是非一つ買っておいてください。980円ぐらい安いもんです!」明るく語るTさん。

研修後、看護師長さんが「Tさんのご両親も津波にのまれたのですよ・・・」と、そっと教えてくれた。

『のど元過ぎれば熱さを忘れる』、加えて加齢でドンドン忘れっぽくなっていく・・・。

ちょうどあの日から3年と7カ月、もう遠い、遠い日の出来事のようにも思える。

しかし、心の深い傷が癒えることはなく、「もう」ではなく「まだ・・・まだ」という時を生きている人が大勢いると言う事を忘れてはならない。

2014年10月13日 (月)

彼には驚かされます。

彼というのは私の同級生で会津地区経営者協会の専務理事をしているAくんだ。ここまで書いたらすぐに本人を特定できるので実名で書いても同じことだ。

名物専務の彼は、やることなすこと実にそつがない。経営者協会はもとより、会津芸文センター、産学懇話会、などの事務局長も兼ねており、多くのイベントに手腕を発揮している。

企画、演出、実行、気配り、と何をやらせても心憎いばかりの出来栄えで、地元経済界の大御所各位から絶大な信頼を寄せられている。

特に、長老の信頼厚く『年寄りキラー』とも呼ばれるほどだ。

頭の回転、気配りも一流だが、身体能力もすごい。真夏のゴルフでも全くカートに乗らないどころか、ほとんどジョギング状態で走り通す。

また、精力絶倫とのうわさも高いが、そちらの方は『ハゲは絶倫』という都市伝説から来たものか・・・想像の域でしかない。

先日、会津芸文センター50周年の記念式典が会津若松ワシントンホテルで盛大に開かれた。

式典といっても、芸術文化を広める芸文センターだけに堅苦しい事は一切省いたディナーショー形式の粋なパーティだった。

ゲストは歌手の沢田知可子さん、ギタリストの大萩康司さん、素晴らしい演奏と歌だった。

各アーティストともステージ上から「日ごろお世話になっているAさん、Aさん」と何度も名前を出すほど、業界でもすっかり有名人だ。

華やかで和やかな雰囲気の内にパーティは終了、目出度く会津芸文センターの50周年を祝ったのであった。

その数日後、Aくんから封書が届いた。中には1冊の小冊子が入っていた。

Aくんは書物の編集においても非凡な才を発揮する。

過去にも書いたが故・川島廣守さんの心訓抄(これも彼の造語かもしれない)『魂の感動』や『会高剣舞会百年史』など、プロも顔負けの素晴らしい編集力を披露している。

その彼が編集した『鎌田喜之の目』という小冊子が一冊入っていた。

鎌田氏は福島民報新聞社の現在の文化部長、東日本大震災をはさみ会津に長く赴任していた元・報道部長さんだ。

その鎌田氏が会津に居る間に執筆を担当した『あぶくま抄』、新聞の一面に載るコラム(天声人語の様な)のことだが、その数が会津に居る間に百本を越えたのだという。

それを一冊の冊子にまとめ、ところどころに有志の応援メッセージや感謝の言葉、写真などを挟んで仕上げた一冊である。

あとがきによれば、鎌田氏との親交大変に深く、鎌田氏の51歳の誕生祝いにこの本を作り51冊プレゼントしたのだという。

そのおすそわけということになる。

もちろん私も鎌田氏とは知己を得ていたが、『あぶくま抄』のことは知らなかった。言われてみれば、時折、会津の話題が鋭い視点で描かれていたのを思い出す。

あらためて一冊にまとめられた百本を読み返すと、鎌田氏の造詣の深さ、誠実な取材姿勢、また確かな筆力に感心する。

唸った!

また、編集子としてこれをまとめたAくんの、人を喜ばせることに一切の労を惜しまない生き方にも感心させられた。

出来そうで出来ない、否、出来なさそうで出来ないと言った方が正しい事を、事もなげにサラリとやってのけるのだ。

彼には時として心から驚かされる。

同級生をあまりに褒めるのもなんなので、あえて彼の欠点を言えば、女性に異常にウケようとするところぐらいか・・・。

病院の窓口だろうが、免税店だろうが、ホテルのフロントだろうが相手が女性と見ると「ハイ」ひと言では決して済まない。

「お客様のお部屋は16階の58号室になります」と言われたりすると「私、今年61なんですが大丈夫でしょうか?」みたいな、笑うに笑えないような微妙なギャグを飛ばすのだ。

それが男性が相手だと全く出ない。

が、女性を目の前にすると頭とベロがフル回転するらしい。

同級生も「また始まった・・・」と慣れっこだが、彼は決して手を抜かない。

それも美人度が上がるほどに口数が一層多くなる。そんな時の彼のパワーにも、これまた少々驚かされるのである。

2014年10月10日 (金)

赤い月

皆既月食、会津もいい天気で見ることが出来た。

ちょうど8時頃、月がうっすらと赤くなった。ブラッドムーン、赤い月というらしい。

朝の三択問題では、アップルムーンの通して間違えてしまった。

その時間、SLSという会社の株主総会で仲間数人と食事をしていた。SLSとはスチューデント・ライフ・サポートの略、いわゆる会津大学の学生生活をサポートするために、学生食堂、売店を運営する会社だ。

当初、生協がやっていたが割が合わないと撤退、そこで地元の会社が手を挙げたということだ。

だが、県立大学ということもあって、一企業に託すというのも難しく、地元の青年経済人が共同出資して会社を立ち上げ、その会社が運営するという絵を描いたわけだ。

その青年経済人も、すっかりオッサンになった。

会津大学はこのほどスパーグローバル大学に選ばれた。公立大学では2校のみ、これはすごい事らしい。

内容はあまり良く把握できていないが、年間億単位の補助金が出て、大学を世界に通用する大学に育て上げると言うプロジェクト、その大きな期待が会津大学に向けられたということだ。

おめでたい事には間違いない。

そうした明るいニュースもあり、我がSLSも昨年度の赤字を今年は少し挽回したので、なお一層頑張りましょう!という株主総会。(配当金は、残念ながらずっとありません)

秋の夜長、やっぱり日本酒だと、その晩は「花春」づくしでいただきました。純米甘口、新しい切り口ですが、なかなかいけると評判上々。

宴の途中、そろそろ行ってみっか!と庭に出て月を眺めたオッサン、今夜は6名。

「こんなロマンチックな月の力を借りて、彼女をくどいている奴が一杯居るんだろうなぁ・・・・」と、誰かさん。

そういうこと言うからまさに正真正銘のオッサンなのですよ、あなた!

2014年10月 8日 (水)

有名な方と話す。

10月4日、会津エンジン009の夜会が会津の各地で行われた。

翌日行われる会津エンジン、様々な文化人を招き会津大学を使って、多くの講座を開く知的地域興しイベントの前夜祭にあたる。

それぞれの飲食店に講師を招き、地酒を飲みながら語り合おうという趣向だ。

初めて、その夜会に参加した。

場所は萬花楼、講師は脚本家の倉本聰さん、詩人の和合亮一さん、とうほう地域総合研究所の阿部隆彦さんの三名。倉本聰さんは、何らかの都合で1時間ぐらい遅れて到着された。

この会津エンジンも来年で10年を迎え、来年が最後になるらしい。元々全国各地を巡る地域興しイベントで○○エンジン、ということで全国を回って行った企画。それを実行した会津有志が、1度きりでは仕方がないと、ここまで10回も続けてきた。

これを続けた関係諸氏の努力はなみなみならぬものがあり、心から尊敬に値すると思う。

その中のイベントには過去に何度か参加したことがあるが、一番印象に残るのは、會津風雅堂で行われた布袋友康さんのコンサートならぬ、トークショーだ。ギターをまったく弾かずに熱いロック魂を語った。

「I am HERE!」俺はここにいる!それがロックの叫びだ・・・・良かった。

で、萬花楼。

まず和合亮一さんとお話出来た。福島の詩人、震災以降その活動はめざましくまさに全国区になった詩人だ。誠実そうで優しい高校の先生、教師を辞めると言う選択肢は私の中にはありません、とおっしゃっていた。

阿部隆彦さんは当院の評議員もお願いしているお馴染、銀座で開いた物産展をしきった話、その後の反省会の飲み屋の話など与太話をした。

倉本聰さんは遅れて到着されたが、少々お疲れで、空腹のご様子。芋煮、栗ご飯をムシャムシャ食べられていた。血色もよく、以前お会いした時よりもお元気そうだった。

富良野塾解散公演が素晴らしかったこと。来年の「夜想曲ーノクターンー」を楽しみにしています、とお話しした。

翌5日は、例の雨風の中の過酷なコンペ。

実はこの日、新しくできた「ゆがわ・ばんげ道の駅」で「ふるさと映画祭」が行なわれていた。

ゲストに倍賞千恵子さんとパートナーの作曲家・小六禮次郎を迎えてトークショーが行われた。

ゴルフコンペの表彰式の後、その映画祭の打ち上げに回った。結構飲んでいるのに・・・。

倍賞さん、小六さんを囲んで、映画祭の仲間が20人ほど集まっていた。そばの「吉兵衛」さん貸切。

結構お酒も回り、実に賑やか。

倍賞さんとは2年ぶり、小六さんとは初めてだった。結構いろんな話をさせていただいた。病気の話や音楽の話、歯の話などなど。

こわもてな小六さんと小さな倍賞さん、「仲睦まじい」という言葉がぴったりだ。話しながら互いに向け合う眼差しがあたたかく、なんだか当てられたような感じさえした。

今年の映画祭はなんにもお手伝いが出来なかったのに、お開きの中締めを仰せつかった。

この日の夕方、倍賞さんが小六さんのピアノで嘉永蔵で歌ったらしい・・・それが聞けなかったのを悔しいといったら、倍賞さんが「歌おうか?」だって。みんなびっくり。

アカペラで、小六さんと少しハモって「しあわせについて」(さだまさし作)を歌ってくれたのだ。

年齢は書かないが、まだまだ美しく張りのある声。

一同思いがけぬプレゼントに大感激!最後はみんなで元気よく「三三七拍子」で締めた。

9時半、外は雨。

この二日間有名な方々と、結構お話をさせていただいたというお話でした。

2014年10月 6日 (月)

本当に楽しい時

ゴルフレッスンのマンガで宮本藍ちゃんが、板前のゴルファーを諭す場面があった。

「仲間とワイワイやって楽しむゴルフもいいけれど、ゴルフをやって一番楽しいと思う時は真剣にプレーして、いいスコアが出た時よ」

確かに!と思った。

同級生と握ってワイワイやるのは最高に楽しいが、そんな中でも結局は良いスコアの時が一番楽しい。スコアがぼろぼろで楽しいゴルフなんてない。

崩れてどうでもよくなった時のみじめさ、自分はなんと人間が出来ていないんだろう・・・と反省する。

5日の竹睦会のコンペは、遠いはずの台風18号の影響か、風、雨にたたられた。

しかし、一旦出てしまった以上、どんな条件下でも真面目に、投げずにやるのがゴルフだ。が、なかなかそうは出来ない。

まともに当たらなく戦意喪失。そうした自分を反省し、表彰式の宴で反省の弁を述べたらA社長に「本気でやってもたいして変わらないから・・・」とグサリと言われてしまった。

確かに!と納得できてしまう自分が悲しい。

だが、藍ちゃんの言うようにどんな時でも一生懸命にやるというのが大事だと、そっちの方を反省したわけで、結果よりもプロセスだ、ということを言いたいのですよ、と負け惜しみ。

下手くそなりのへ理屈を・・・。

ま、物事何でもそうだ。仕事も遊びも中途半端な気持ちでやるよりは、本気で取り組んだ方がずっと楽しい。

まぐれで良い結果が出ても、楽しい事は楽しいが、そこに至る努力が反映された結果の方がもっと楽しい。

何でも本気でやる方が楽しいということだ。

本当に楽しい時は時間を忘れる、それほどの真剣さ、没頭感がなけりゃダメだということだ。

最近それほどに没頭できる事っていくつあるだろうか・・・・?

ちゃんとやろう、ちゃんと生きましょう。と、思ったのでした。

朝から家の周りの、風で飛びそうなものをチェックし、如雨露やバケツはサンルームに入れた。

会津直撃ではなさそうだが、結構強い台風18号が今日は本当にこっちにやって来る。

2014年10月 2日 (木)

ワインを楽しむ会

今年最後の、という時期ではまだないが、会津若松ロータリークラブの「ワインを楽しむ会」の今年最後の会が開かれた。

七日町通りの「ウノ」で、参加者は秋口にはいろいろあるらしく、10名と少なかった。

かく言う私も前日、46年間も勤めた職員の送別会があり、したたかに飲んでよっぽどパスしようかと思ったのだが、出て良かった。

今回はマスターの好意で、ナパバレーのワインを出血大サービスだった。スパークリングワインに始まり、白、そして赤のタイプ別を2本。なかなか、良いワインばかりだった。

品名を書いて来なかったので紹介できないのが残念(覚えているはずないよね)

壁にナパの地図を貼り、ナパバレーの概要も説明してくれた。ナパは北が暖かく、南がどちらかというと寒冷らしい。国道29号線だったか・・・その両側に400ものワイナリーがあるという。

私は普段飲みで買うのは、イタリアかアメリカのナパのワイン。値段(1500円~3000円程度)の中では、フランスやスペインのワインよりもずっと口に合っているような気がする。ま、そんなに分かるわけではないのですが・・・・。

それを10人で軽く空けて、会の予算が少し余っているということで、もう1本、なんと一万円のを1本追加、料理も美味しく、4,000円の会費では超お得なワイン会となった。

次回の12月と真冬の2月はお休みで、次回は4月になるということだ。

それまで、ないのは実に淋しい。なんだか、最近本当にワインが好きになって来た。そして日本酒も好きになって来た。

人間、歳をとると醸造酒に傾くのかなぁ・・・・と言いながらウィスキーも好き、芋焼酎もいい。

相変わらず節操はないのだけれども、さすがに酒なら何でも!という程のガサツではなくなった気もする。

今日はこれが飲みたい。このお膳ならこれ、と・・・・。

ま、結局は小うるさいオヤジになったということなのかな?

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