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2014年9月15日 (月)

一周忌

友人の渡部隆巳くんの一周忌が行なわれた。快晴。

奥様とご親戚の方々、友人は私とHくんが参列した。

開け放った本堂は爽やかな秋の空気に満ちている。祭壇中央に人の良さそうな笑顔を見せる隆巳の遺影。

「メチャクチャ人のよさそうな顔しているけど、こんな良いとこばっかりのヤツじゃなかったわよねぇ・・・」と、奥さんが笑う。「そうだ、そうだ!」ともいえず私も笑う。

中学3年の時に作詞作曲した「愛の泉」という曲がトワ・エ・モアのヒット曲になり、有名人になった。

確かに少々鼻もちならないところもあったが、そんな彼と一番親しく飲んだり旅をしたりしたのが私であったことは間違いない。

大学に入った頃には当時の学生では考えられないほど大金の、印税を手にしていたはずだ。

現金でとトヨタにセリカを買いに行って、未成年者のため売ってもらえなかったなどという武勇伝を持っている割には、我々と同じように貧乏くさかったよなぁ・・・。

金の話などしたことはなかったが、すごい残高を持ちながらあんな学生生活を過ごしていたのだとしたら、それはそれで大した奴だ。一時の金に全く溺れなかったということだ。

おごってもらった記憶もないし、同じ様にバイトにも精を出していた。その一方で大学時代に2台の新品のセリカに乗っていた、確かに。

音楽と女の子には湯水のように使っていたのかなぁ・・・が、そうも思えない。

学生時代には考えたこともなかったが、彼の金銭感覚はどうなっていたのだろう?

と、お経の間につまらない事を考えた。

焼香、そしてお墓へお参りをする。

奥さんが東京からネットで探したレストランで食事会。

お母さんのあいさつ。「こどもに先立たれることほど辛い事はない。お盆の13日に片づけをしていたら『隆巳の思い出』という段ボールが突然出てきた。中から隆巳が雑誌に投稿した記事やら、昔の新聞の切り抜きが出てきた。それを読んでいて、隆巳に改めて励まされているような気がしてきました・・・」

それらの記事のコピー、そして一番後ろに8月30日に私が民友新聞の随想に書いたエッセイのコピーも添えて、簡単に製本したものを参加者全員に配ってくれた。

当時の高2コース、高3コース、という学生誌に彼が書いた記事だ。

オートバイで旅した京都、大阪、奈良。旅の相棒はもちろんこの私だ。バイクの前で子犬のようにじゃれあう二人の姿が写っている。

おまけに私が作詞し、彼が作曲した曲の譜面まで載っていた。(顔が赤くなる)

遠い遠い青春の日、イージーライダーやウッドストックに憧れて何度か破天荒な旅をした。

会津からヒッチハイクで大阪まで行った旅。バイクで会津から関西の旅。これは高校生の時だ。

大学時代には京都から長崎までヒッチハイクをしたこともあった。

よく行ったもんだが、親もよく行かせてくれたものだと思う。

「私なんか、帰ってくるまで心配で心配でお茶断ちしてたんだから」と隆巳のお母さんは言った。私の母もきっと同じだったろう・・・。

家に戻り、懐かしいコピーを読みながら一息。

まさに青春時代、あんなことをして、こんな人間になっているのだなぁ、と思うと感慨深い・・・・と思う間もなく寝入っていた。

いつになく深い眠りの午睡であった。

庭に秋風、空が高く吹きぬけて会津はいまだ快晴。

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コメント

存じ上げませんでした、渡部さん4年以上前に他界されてたんですか…
先ほど、かつてトワ・エ・モアさんが歌った札幌冬季オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」をYoutubeで改めてきいていたら、ふと「愛の泉」のことを思い出し、検索エンジンにて改めて調べてみて、このブログを拝見した次第でした。

「愛の泉」を作詞作曲、トワ・エ・モアさんの出世にも一役買ったのが渡部さん、と後輩の一人だったわたくしも高校時代にはその快挙のお話を音楽の時間に当時のI教諭から散々、聞かされたものでした。渡部さんというのはどんな人だったんだろうなあ、とわたくしも覚束ない思いを覚えたのを今も思い出します。

わたくしが会津から首都圏に出た後も、トワ・エ・モア、愛の泉、という二つの名は多くの人たちが知っていましたが、渡部さんが会津出身ということを信じてくれる人が少なくて、残念に思ったことが何度もありましたね。
そして今回、お母様と奥様を残して先立たれたとのこと、本当に悲しい報せというしかありません。

お亡くなりになった後とはいえ、今後ますます渡部さんの成し遂げた快挙を、日本中(あるいは世界中)の人たちに知って頂ければなあと改めて感じております。
もし宜しければ、やがてヒッチハイクやオートバイ旅行の写真など、一般の方たちに公開しても構わないものがありましたら、インターネットにホームページなど開設して見せて頂ければと思いました。
以上、簡単ですが改めて渡部さんのご冥福をお祈り申し上げます。

ケロロ軍曹様
遠い日の日記にコメントありがとうございます。ネットで探すと色々なところに行きつくものなのだなぁ・・・と、改めて感心しています。この一年前頃の日記にも書いたように、渡部隆巳くんの死は私にとってあまりに突然で衝撃的でした。闘病をしていたとは全く知らせず、知らずだったもので・・・あれも彼のダンディズムだったのでしょう。
彼は昔、こどもを作らないのか?と言う私の問いに「これから先の世の中を自分のこどもに背負わせるのは酷だ」と言った事がありました。こどもが出来なかった言い訳だったのかも知れませんが、近頃、まんざら大袈裟な杞憂でもなかったのではないか?と思ったりもします。
どうぞ末永く、彼の事を忘れずにいてやってください。
温かいコメントありがとうございました。

まさひろ様
昨日はわざわざご返信頂き、大変ありがとうございました。
たしかに7年前の東北大震災と福島原発事故の後、日本の国ががらりと変わってしまいましたが、遠い未来のことも渡部さんには予兆が感じられていたのかも知れません。中学・高校生の時に一躍、名を成してしまわれたような方ですからね…それもあり得たような気がしてまいりました。
もう少し落ち着きましたら、インターネットのホームページであれ、または実際にちょっとした記念館として地元にオープンする形であれ(多くの地元ゆかりの人たちが支援すると思います)思い出の写真などを見せて頂ければ、また多くの方たちが渡部さんをしのぶよすがとなるのではないかと思います。
わたくしはブログも何もインターネットでは運営しておりませんが、「任意」の欄にわたくしのメールアドレスも記入しておきましたので、何かお手伝い出来ることがありましたらやがて気軽にメールを頂ければ幸いです。
では、会津はまだまだ寒さが続きますので、時節柄どうかご自愛下さい。

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