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2014年8月

2014年8月29日 (金)

あれより怖い

先日、会津磐梯カントリークラブで警察友の会のコンペが開かれた。

こういうコンペは初めてのこと、常日頃お世話になっているので出席した。各企業の社長さん、また一方、警察官や刑事さんなど合わせて6組ぐらいになったろうか。

メチャクチャに暑い日で、相当にバテタ。

私の組は、私とドクター、後の二名が刑事さんだった。

お一人はベテラン、もう一人は若手。

ベテランの刑事さんは、一見するとブイブイいってる人のほうで怖がりそうな貫禄。オールバックの髪にサングラスがよく似合い、真っ赤なシューズが決まっていた。

若手刑事はどこまでも走って追跡しそうな、とても逃げ切れなさそうな颯爽としたスポーツマンタイプだった。

当たり前だが、警察関係者の中にもゴルフを趣味とする方も結構おられて、年に何回かは署内でコンペのようなものを開催しているらしい。

が、オープンに一般の方々と周るのは極めて珍しいそうで、こうした友の会のチャレンジは良い試みだと、私も思った。

特に緊張したわけではないのだが、ボールが右方向にばっかり飛んだ。

ハーフターンで和やかに昼食、クルマで来たのでもちろん生ビールを1杯だけ、などと飲んだりはしない。

周りながら、また食事をしながらいろいろな話をさせていただいたが、興味深かったのは話題の危険ドラッグの話。

会津では大っぴらに売っているところはないそうだが、あれは覚せい剤よりもたちが悪いと言っていた。

覚せい剤というのは麻薬として確立した薬物だから、どういう症状になりどのような副作用、悪魔性があるかも分かっている。

しかし危険ドラックは脱法ハーブと言われていたように、法の網の目をかいくぐるために分子構造をコロコロと変えていく。

それだけに実際どんな風に効くのか、何をやらかすのか分かっていないのだという。

死ぬかもしれないし、超強烈な幻覚やショック、凶暴性を引き起こすか、なにするか分からない。

「実際のところ覚せい剤よりたちが悪いし、覚せい剤よりも怖いかもしれません」という言葉が耳に残った。

会津には無いと思っているかもしれないが、実際は危険ドラッグ使用で精神科救急に運び込まれる人もいる。

テレビで報じられるような事件は、今や都市部も地方も同時発生なのだ。

一説によると、こうした薬物にハマるのは若者だけに限らず、高齢者が急増しているのだという。

見る見る衰えていく自分、そういう自分から逃避したくなる逢魔が時・・・いかに分別をわきまえた年齢とはいえ、そんな魔の時が訪れるかもしれないのだ。

あれより怖いこれも、そして勿論あれも、お試しなどは決してダメよ、ダメ、ダメ!

2014年8月27日 (水)

家を建てるなら・・・

会津はびっくりするほど突然に涼しくなった。涼しいを通り越して朝晩は肌寒いくらいだ。

窓を開けたままは寝られないし、夏掛けでは寒い。

今年は偏西風が蛇行しているために夏の太平洋高気圧が張り出せなかったらしい。そのために高気圧のへりで前線が活発化して大暴れ、西日本と北海道、各地にとんでもない大雨をもたらした。

今は、その前線が大きく押し下げられて北の冷たい風が流れ込んでいるのだろう。

連日報道されている広島の土砂災害は、本当にすごい事になっている。

何でもあの一帯は何度も土砂崩れを引き起こす、まさ土と呼ばれるもろい地盤で危険度の高い土地だったという。

たび重なる災害は古文書にも記されており、古い地名からもおどろおどろしい災害の記憶が呼び起こされるとか・・・。

どうしてそんなところに?と思うのだが、土地が無ければ仕方のないことなのか・・・。

人間は過信する。土木や建築技術の進歩は不可能を可能にするかのような錯覚を起こさせる。

そして、自分に災難は起こらない、という根拠のない自信を抱く生き物だ。

また一方では「欲」が渦巻き、開発の手は、危険度に蓋をして、際限無く伸びる。これが伸びていけるからまた不思議だ。

ちゃんと許認可を受けて、大丈夫だ!と太鼓判を押した人が居て、大儲けをした業者が居る。

開発を許して置いて、いざとなったらのハザードマップを作り、ここは危険地域だと懸命に訴えるお役所、なんかテンコシャンコな感じがする。

土砂災害防止法という法律がすでに出来ているらしいけれども、ここは危険ですよ、と指定しようとすると住民が大反対をするという。

土地の値段が下がり、財産が失われるからだ。ここにも「欲」。

このところの地球の気象がおかしくなってきているのは、誰もが認めるところであり、実感しているところでもあるだろう。

こうした異常気象、自然災害に対処していくには従来のやり方では難しいのではないだろうか?

民主的な手法も大事だが、そんな悠長なことではお天気についていけないし、人命も救えない。

「欲」は法の抜け穴や、抜け道につけ込むのが好きだ。ダメなものはダメ!と言われてしまったら打つ手がないから、嫌いなのだ。

家を建てる時には、その土地の古老の話をよく聞き、せめて自治体のハザードマップには目を通し、出来るだけ危険度の低い場所にすること。

大事なことだったね・・・私の場合、もう遅いですけどね。

2014年8月21日 (木)

風立ちぬ・・・

会津は残暑の厳しい日が続いている。連日35度に手が届きそうなところまで気温が上がっている。

広島では大変な大災害になった。本当に今年は雨災害があまりにも多い。災害に遭われた方には心からお見舞いを申し上げたい。

我が家も山裾に建っているので、まんざら他人事でもない。

会津若松市の防災ハザードマップの危険区域の沢筋からは少し離れているが、飯盛山の山全体が松くい虫にやられて、このところ大分木を伐っている。

木が少なくなったために保水力も落ち、あまりの集中豪雨に崩れた!などということが起こらないとは限らない。

とはいえ、そうならないことを祈るぐらいしか方法とてないわけだ。

ちゃんと毎朝仏壇に手を合わせ、朝のウォーキングでは地蔵堂、神社、お墓と至る所に手を合わせするしかない。

そんな我が家での65日間を終え、明日、孫のFくんがお父さん、お母さんと三人で東京の我が家に帰っていく。

娘は産む前から居たわけだから4カ月近く居たことになる。

最後の晩のお風呂はジイジが入れて、「東京での暮らしは大変だからな、強く生きるんだよ!」と鼻をくっつけて約束を交わした。

毎日が新しいことの連続だが、今日は自分の親指をようやく発見、チュッチュと指しゃぶりを覚えたそうだ。

左手の親指が赤くなっていた。

家族三人、これからが本当の暮らしの始まりだ。精々頑張って!としか言葉がない。

朝晩の風には、ひんやりと冷たさが宿る。

まだまだ残暑厳しく、会津野に風立ちぬ、とはいかないが、私と家人の心には確実に、かなりきつめの秋風が立っている・・・。

『ゆび吸いを覚えし朝の風白し』

2014年8月19日 (火)

花火の顛末

8月19日19時20分から、創立86周年を記念した納涼花火が無事に行われた。

昼は猛暑、炎天下の中、5,6人の花火職人が工事現場を行ったり来たり、汗まみれになって花火を仕込んだ。

18時からの傘マークも見事に外れ、雨はぽつりとも落ちず。

昼間から何度か行われた館内放送も、15分前にはいよいよ始まる旨を告げる。

どこから観るのが一番いいか?もちろん北側の患者さんは病室から見えるけれども、南側の患者さんはデイルームから。各階のデイルームに続々と人が集まり、道路沿い、道路向かいの駐車場の屋上にも人垣が現れた。

館内の放送以外、なんの広報もしないのに結構な人が集まるものだと感心。

いよいよ、7時20分「多くの先人たちへの感謝と祈りを込めて、花火を行います!」

工事現場真ん中に火が付いた。しばらくボーッと燃えているだけなので「あれ?失敗したの?」と心配したが、長い間をおいて周りの吹き出し花火に点火、一気に歓声が上がる。

市街地なので大きく花開く打ち上げ花火は出来ないものの、10階までは届きそうな色とりどりの花火が次々と空を駆け登る。

ぐるぐる回る仕掛け花火や色とりどりの噴水花火が大きなハートのマークを描いて歓声&拍手!

クライマックスは東西に据えられたユンボーの大きな腕の間に張られたワイヤーから火花が滝のように流れ落ちるナイアガラ、ひときわ明るく観ている人たちの笑顔を浮かび上がらせた。

エンディングは真っ白な火花を拭き上げるお別れの花束。

およそ12分の納涼花火は大勢の人々に笑顔を届けて無事に終了した。

早速、携帯が鳴った。「いやー、見事な花火で感動しました。来年もぜひやってください!」

それは無理でしょう…工事が進めば上げる場所はもうなくなってしまうのですから。

もうもうの白煙がやがて夜空に溶けていく。ちょっとした祭りの後・・・盆過ぎの会津に秋風が立ったような気がした。

2014年8月18日 (月)

花火の急告

先日8月8日に行う予定だった創立記念の花火は、会津地方一帯のゲリラ豪雨のため中止となった。

で、急きょ、8月19日(火)19時20分より、再挑戦を行う事といたしました。

これがまた、県の許可を取ったり関係諸省庁に連絡をしたりで結構大変なのです。

市街地なのでドッツカーン!の打ち上げ花火は上がりませんが、結構凝った仕掛け花火が楽しめるはずです。

あとで、「なんだあんなすごいのやるなら知らせてくれればよかったのに・・・」と、言われても困るので再度、急告です。

夜7時20分から、総合医療センターのデイルームからご覧いただけます。短い時間ですが、結構見ごたえありますよ。(そのはずです)

療養中の皆さまのご快復を祈りつつ、86周年の感謝をこめて!

夏休み最後の思い出に、お子様、お孫様連れでお楽しみください。

2014年8月14日 (木)

お宮参り

生後1カ月でお宮参りをする地域もあるそうだが、会津は50日を過ぎて行うのが一般的らしい。

そこで8月10日に我が初孫くんのお宮参りを行った。

孫のFくんはどうやら内弁慶の様だ。一ヶ月検診の時も、非常におりこうさんで全く泣きもしないかったという。

お宮参りは蚕養国神社へ。

おばあちゃんとなった家人に抱かれ、パパの実家から送られてきた立派な掛け衣装を着けて待機。

先に本殿に上がった赤ちゃんはいきなりの太鼓にびっくりしたのか、元気な声で鳴き続けている。

Fくん平気の、しらんぷり。

いよいよ本殿へ上がり、お祓い。神主さんが清めの太鼓を打ち鳴らす、一発目の「ドン!」で少々ビクッとしたものの、それっきり。祝詞の間も実に大人しいものだ。

本殿前で写真を撮り、予約した写真館へ。

写真館のご婦人に抱かれても、ポーズをつけられ大声であやされ、バチバチシャッターを切られても、平気の平左、泣き声一つ発しない。

家にいるとおっぱい欲しさに結構ぐずるのだが、外に出るとまったくママを困らせない。

その後に祝いの小宴を、と考えたわけだが馴染みの割烹は当日休みだという。

赤ちゃん連れの大変さや、他のお客さんのことなど考えると面倒くささが先に立つので、先輩である「天竹」のオヤジに頼み、弁当と刺身盛りを作ってもらうことにした。

休みの日曜なのに恐縮だったが、快く引き受けてくれた。

Fくんとパパ、ママは真っ直ぐ帰宅、我々は弁当を引き取り帰った。

「祝いだから赤飯にしたから」と、朝から赤飯を炊いてくれた。刺身も祝いだと言って鯛を一匹おろしてくれた豪華版である。

家に戻ると早速おっぱいでグズグズ開始、先までの良い子ちゃんは一体どこに行っちゃったのかな???と、みんなに言われてる。

出かけてから帰るまでちょうど2時間。

全員がすっかりくつろいだ格好に着替えて、乾杯!

全て手作りのなかなかの弁当だ、うまい!

この日は少し暑さも和らいだ一日だったが、炎天下の正装はたまらない。

こういう、祝い事もありだな、と思った一日なのでありました。

2014年8月11日 (月)

夏の庭

夏の我が家の庭はさながら野草園のように草に覆われている。

見方によっては、その緑陰は涼しげでもある。

大きく枝を張ったナナカマド、真っ直ぐ伸びて枝が好き勝手に張り出した夏椿、サクランボの木が二本、隣家との境には10本ほどの名前は分からないが、塀のところによく見かける杉の様な木がある。

そして下は雑草がわが世の夏を謳歌している。

今年は凄い事になったし、娘と孫もひと夏を過ごすので、少しきれいにすることにした。

とはいっても怠け者の私が一念発起するなどということは考えられない。

まずは以前にお願いしたことのある造園業者に電話、ところが無しのつぶて。やたら忙しいらしいか、または、小さな庭の刈り払いなどやっちゃくないのだろう・・・。

そこでシルバー人材センターにお願いして見ることににした。

もう1カ月以上も前の話をしている。

「お盆過ぎまで手配がつかないかもしれませんねえ」と言った割には、翌日早速、ご老人から電話がかかって来た。仕事が空いたのでこの土曜に伺いたい、というのだ。

「では、お願いします」

おばあさんとおじいさん(ご夫婦ではないと思われる)二人が朝の7時に庭の草むしりにやって来た。「これはやりがいがあんなし!」「お願いします(自分と相手の歳を考えるとちょっと申し訳ないような・・・)」

お二人は朝から夕方まで、炎天下をモノともせずに黙々と草をむしり、大きなゴミ袋30個ほどにまとめ上げた。すごい量、すごい体力だ。

それから10日ほどして今度は剪定のチームが来た。いかにもベテランそうなおじいさんと、まだ若い同年くらいの大男おじさん。

おじいさんは庭の木を担当し、大男は玄関前の大きなもみじの木を担当した。「分からないのでお任せしますが、玄関前のもみじは見栄えの良いようにお願いします(プロなんだろうから)」

その日も草むしりの日と同様に炎天下。私はよんどころない事情でゴルフコンペに出場し大汗をかいていた。

家人から聞いたところによると、あの猛暑の中、おじいさんの方はいたって元気で、大男は途中、熱中症の様になって日陰に倒れ込んでいたそうだ。

庭の木々はきれいに選定され庭がすっきり明るくなった。

驚いたのは玄関前のもみじだ。バツバツと切られてなんだか禿げモミジの様になってしまっているではないか!

家人が「そんなに沢山枝を払わなくても…」といっても大男は熱中症の熱にうなされたのかバツバツ、ギコギコと切り落としたのだという。

枯れてしまわないか心配なほどだ。

心配してもやれることは朝晩の水やりぐらいしかない、しばらくは丁寧に水やりを続けた。

さて、刈り払われた枝は荒縄でくくられて山積みにされていた。このすべてをおじいさんの方が一人でやったのだという。

草むしりのおじいさんおばあさんに続き、恐るべきは、老人パワーだ。

第一、仕事に取り組む恰好が違う。ご老人たちは長袖長ズボンに地下足袋、頭も首元もしっかりと固めている。

一方大男はGパン,Tシャツにキャップといった軽装、やっぱりこんなんじゃダメなんですなぁ。

かくしてわが家の庭はこの夏、きれいさっぱりと(一部さっぱりし過ぎたが)なった。

私は毎週火曜と金曜、ごみ袋いっぱいの草と、荒縄でくくられた枝木を小分けにしてごみの集荷場まで運んだ。一気に出すにはあまりに大量だ。

3週間ほどをかけてきれいさっぱりとすべてのごみを出し切ると、まるで自分がこの庭をきれいにしたような気分になるから不思議なもんだ。

一時は地面に何もなくなったわが家の庭、このところの雨で端っこからもう、緑の草が目立ってきている。草力おそるべし!

もうすぐお盆、会津の人口が確実に増えて来ているのが実感できる今日この頃です。

2014年8月 9日 (土)

雨のちゴジラ

会津は8日の午後3時頃にもの凄い降りとなった。

雨と言うより水のカーテンが風に打ちつけられるように、何度も何度も地面を叩く。あっという間にそこいら中が水浸しになり、側溝からはガボンガボンと水があふれた。

雨で曇って視界も効かない。

走る車は屋根よりも高い水しぶきをあげている。風景の中から人影も一気に消えた。

何度も何度も水のカーテンが街中を打ちつける。

この雨で1時間に何㎜の雨なのだろうか・・・?

時間にして20分ほどだったが、あんな降りが1時間も続いたら本当に恐怖心を感じるだろう。

近頃の台風は日本中に、こんな熱帯雨林に降るような大雨を運んでくる。

猛烈な雨は花火師たちのヤル気にも冷や水を浴びせた。

とりあえず8日夜に行われる予定の創立記念納涼花火は中止にした。

延期でもいいのだが、スケジュールが読めないので中止、その先のことは後で考えるしかない。

皮肉なことに16時以降は、大した雨は降らなかった。

開けて9日、台風はまだ遠いので久しぶりに新潟へ、本当に久しぶりに映画館で映画を観た。「ゴジラ」だ。

新潟まつりの日で街の中はいつもより人が多い、なのに映画館で我々と一緒にゴジラを観たのは8人だけだった。人気のはずなのに、ちょいと淋しい。やっぱりみんな折角だから3Dで見るのかな?

映画は、CGを駆使し、めちゃリアリティがあって大迫力の映像だが、典型的な怪獣映画の伝統を受け継いでいる。

怪獣が街の中で激突する。猛烈な破壊、崩れ落ちるビルビル、ビル!

破壊神ゴジラはどことなく人類の想いを反映するような怪獣だ、怪獣なのだけれども人間寄りの心を持っている。

ハリウッドの作った正統派ゴジラは、巨大で、強力でなかなかにカッコ良かった。青白い炎まで噴いちゃうところに、東宝ゴジラへの尊崇の念が感じられた。

残念ながら一番中途半端な役が、ケン・ワタナベが演じる芹沢博士だった。

なんか妙にゴジラや怪獣に詳しいのだけれど、なんかそれだけ。怪獣おたくの生物学者って感じだった。

どうせならもっとゴジラの心にも精通していて「ゴジラは必ず来る!ゴジラは負けない!」ぐらいなこと言って、もっと自信満々の科学者を演じて、ゴジラと共に闘って欲しかった。

なんか怯えているのか、感動しているのか、絶望しているのかよく分からない芹沢博士・・・謙さん、ちょっと外れでしたね。

☆2.8個ぐらいのゴジラを見て、1時間ぐらいちょちょっと買い物をして、祭りの混雑と大雨にあたらないように、急ぎ会津へ帰る。

台風はまだ四国、トンネルを抜けるとしっとりと湿った会津盆地の緑が目に痛いほど鮮やかでした。

2014年8月 5日 (火)

蔵の二階

私は会津若松市七日町で生まれ育った。

七日町通りに面したお菓子屋で、奥に細長い大きな家だった。

通りに面した店の部分に二階があった。中ほどは蔵造りになっていてその蔵にも二階があったが、二階同士は全くつながっていないおかしな造りだった

台所を挟んでさらにその奥は大家族の居住スペースで、そこにもまた別な二階部分があった。通称、裏の二階は座敷をつなげると二十四畳ほどの広間にもなった。

これはその中ほどの、蔵の二階での思い出だ。

まだ幼稚園の年中さんぐらいの歳だったと思うが、蔵の二階には祖父と祖母が居た。

ある日、なぜか店にも工場にも、誰もいなかった昼下がりのことだ。

「まさぼう、まさぼう!」と呼ぶおじいさんの声が今も耳に残っている。

呼ばれて周りを見渡しても誰もいない。そこで恐る恐る、声のする蔵の二階に上がってみた。

恐る恐る、と言うのは蔵の二階に上がる階段が急なので、一人で上がってはいけないと固く禁じられていたからだ。

しかし、おじいさんが何度も呼ぶので手をついて這うようにして、上がった。

蔵の二階の天井は低く、奥に置かれた長火鉢の脇におじいさんとおばあさんが微笑んでいた。

「よぐ、来たな。ほらこっちゃ来てみろ」とおじいさんが優しく微笑んだ。

私はおじいさんの膝に抱かれて、とりとめもない話をし、栗饅頭を食べた。おばあさんは茶色いお茶を入れてくれた。

ただそれだけの思い出なのだが、私の中には鮮烈で「おじいさん」「おばあさん」という言葉を聞くと蔵の二階のあの風景が思い出された。

それからだいぶ長い時間が流れ、高校生になった頃のことだ。

祖父の法事で親戚縁者が集まった。

宴席となり、思い出話となった。

私が祖父について記憶しているのはあの蔵の二階の栗饅頭だけだったので、その思い出話を披露した。

すると、叔父が「そんな訳ねえべ。ばあちゃんはお前の生まれる前に死んだんだし、じい様だってお前の生まれた年に亡くなったんだから、覚えているわけねぇわ・・・、第一、蔵の二階になんかじい様たちは居なかったもの」と言うではないか。

驚いた。

確かに祖父、祖母の記憶はあの栗饅頭を除いては何一つない。

自分では実際にあったことと信じ切っていて、これまで確かめたこともなかったのだが、言われてみれば確かに時間軸がおかしい。

しかし、あの時のおじいさんの声、蔵の二階の風景、栗饅頭、茶色いお茶は確かに在ったこととして、私の記憶の中に鮮烈に残っているのだ。

古いアルバムには、生まれたばかりの私が祖父に抱かれた写真が一枚だけ残っている。祖母との写真はもちろんのこと、無い。

あれはいったい何だったのだろう・・・・遠い日の白昼夢だったのだろうか?

お盆が近付くと、そんな蔵の二階の出来事をよく思い出す。

花火の予告

きれいな花火が見られるという予告をします。

来る8月8日、午後7時20分から、10分間程度ですが、夏の夜を彩る花火が見られます。

場所は、会津若松市・竹田綜合病院北側の工事現場。本館、中央病棟、研究棟の解体工事が終わり、だだっ広くなった更地で行われます。

8月8日は竹田綜合病院の86回目の創立記念日。また、これほど広大な更地が出現しているのは今だけです。

ここは病棟の跡地ということもあり、数多くの御霊が旅立って行かれたという歴史もあります。

86年の感謝と、数多くの先人達、また御霊の安らかなることを祈って行われる、たった一回きりの感謝と祈りの花火です。

市街地なので大きな打ち上げ花火は上げられませんが、工夫を凝らした仕掛け花火で入院患者さんを中心に楽しんでいただく予定です。

観覧場所の制限もあり宣伝や広報は行いません。

たまたま通りがかった方は北側の道路からどうぞ。

また、総合医療センター内のファミリールームなどをご利用いただけば、ゆっくりとご覧いただけるはずです。

お盆も間近、もし時間があれば美しい花火をご堪能ください。

職員の皆さんは感謝と祈りを忘れずに!

お知らせでした。

2014年8月 4日 (月)

全部読んでる

先日、会高同窓会の幹事会でお逢いしたU先輩、高校の前身、会津中学の卒業だから大先輩だ。

80歳を過ぎてなおかくしゃくとされて声が大きい。あいさつの際も明快で短い、頭がクリアな証拠だ。

その大先輩の健康の秘密は、特にこれということはしていらっしゃらないそうだが、社会との関わりを持ち続けることだそうだ。

もう何年も前から視覚障害者のための朗読ボランティアを続けていらっしゃるという。

本や雑誌など印刷物を朗読して、テープに吹き込み視覚障害の方に届けるのだそうだ。

一番リクエストの多いのが市政だより、当然だろう、会津若松市で暮らしていくうえでの重要な情報が詰まっている。

「そのほかには?」とお聞きすると「僕は会津嶺を読むんだよ」という。

私が30年以上前に創刊にかかわり、編集長を務めた会津のタウン誌だ。

その会津嶺を初めから最後まで一字一句漏らさず読むのだそうだ。さらにそれを聞いて校正するボランティアの方がいて、読み違いを訂正して録音し直し、そうやって完成品がようやく視覚障害の方に届けられるのだという。

あたやおろそかに本づくりをしているわけではないだろうが、こういう人がいるのだから仕事というものはしっかりやらなくてはいけない、と改めて思う。

タウン誌一冊を初めから最後まで全部読んでいる人がちゃんと居るのだ。

「じゃぁ、この間私が書いたの読みました?」実は数ヶ月前に30周年とかで寄稿を頼まれたのだ。

「もちろん読みましたとも!」

そこには「ただ読んだ」だけじゃなく一字一句丁寧に読みましたよ、というプレッシャーがある。

「文章にも読みやすいのと読みにくいのってあるでしょうね?」「ああ、もちろんあるね」「私のはどうでしたか?」「あなたのは読みやすい、調子が良い」 ほっ!

文章にリズム感があり、頭に入り易いのだろうと適当に拡大解釈をして自己満足。

活字になるものは怖い、とはよく聞く話だが本当だ。活字になったものは長く残るし、まわりまわってどこで誰が目にするか(耳にするか)分からない。

視覚障害者の方は私とすれ違っても決して分からないだろうけれど、実は「あなたの書いたの読みましたよ」という人が、市内だけでも確実に何十人か居るということだ。

作る側の励みにもなるだろう。そして書く側の気を引き締める材料にもなる。

これは印刷物だけの話ではない、世の中は広く、風が吹けば桶屋が儲かる、というように人の世は分からないところでぐるぐると回り回って、つながっているということなのだ。

どうせだれも見ちゃいない・・・と思ってしているいろいろな事・・・どこかで見られてますよ、あなた。

2014年8月 1日 (金)

許されざる者

検察審議会は、東電の元幹部を起訴すべきと断じた。「原子力の安全神話の中にいたからと言って、その責任を免れるものではない」としている。

もっともだと思う。

取り返しのつかない、何百年も修復の効かない、人類始まって以来の大事故だ。

万が一、事故が起これば、取り返しのつかないほど悲惨な事になることは分かっていた。分かっていたからこそ、絶対に事故は起きない!という安全神話を作るしかなかった、と言っていい。

この時期にこういう判断がなされて、良かったのではないだろうか?

東電の元幹部はもちろんだが、原子力を推し進めた政治家や自治体の長、安全神話を信じてプルサーマルを推し進めたトップも、その責任は同じように逃れられないということだ。

「私は東京電力にだまされた」という論理は、たとえそうだとしても責任ある立場としてはそれでは済まない、許されないということだ。

これで様々、動きが出るだろう。

許されざる者!と断じられた人が選挙に出るわけにはいかないだろうから、誰かが新しいリーダーになるわけだ。

当たり前と言えば当たり前の話だと、私は思う。

8月の会津、良い夏になることを祈りたい!

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