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2014年3月

2014年3月28日 (金)

恋する・・・

看護部のドン、Tさんがこの春退職されることになり、昨晩、盛大な送別会が行われた。

湿っぽいのは嫌い!とばかりに、幹部総出演の盛大なドンチャン宴となった。

私は乾杯担当。春夏秋冬、思い出を乗せて贈る言葉。今日ここに居る人も来られない人も、全員のハッピーと健康を祈り「カンパーイ!」

しばしご歓談の後は、出るわ、出るわ。仮装に、変装に、特殊メイクに、着ぐるみファイト!まぁ、皆さん芸達者揃い、ようやります。

金髪お下げのかつらをかぶって飲んでる人。お茶の水博士みたいな人、ひたすら飲み続ける人・・・会場は笑いと歓声に包まれていた。

そして、トリは結構ベタな「恋するフォーチュンクッキー」、平均AGE48ぐらいの男女混合のクッキーダンス。チェックのスカートが揺れて大いに盛り上がる。

で、アンコールに応えて、3倍ぐらいの人数が舞台に駆け上がりフォーチュンクッキー、もう一回!大汗かいて、ああ楽しい!!!

ここで終わらないのがウチだ。

何と昨晩、H院長が徹夜で本当にフォーチュンクッキーを焼いてきたそうだ。びっくり感心、ようやるよ、です。

全員には行きわたらなかったけれど80個は造ったという、柿の種の親方ぐらいの大きさのクッキーがワイワイと配られる。

中に大当たりの紙が入っていたら、当たりのコーヒー券!大大当たりの赤い紙が入っていたら本当の大当たりで、フルーツジューサーが贈られた。

花束・記念品の贈呈は軽トラ1台分ぐらいあり、うっすら30分近くかかった。

そしてTさんの心に沁みる謝辞。

そしてそして、オオトリは参加者全員での院歌斉唱だ。ピアノはF課長、指揮はもちろんH院長である。

あんなにハチャメチャに騒いでも最後は院歌で終わる、というところがなんとも当院らしくて良い。

会津の医療に貢献し続けて40年、本当にご苦労様でした。

ちょっとの涙はこぼれたけれど、明るく万歳三唱でお別れです。

それにしても、看護部仕切りのこのパワーは絶大である。Tさんが去った後も、これだけの役者が揃っていれば心配は要らない・・・。

そんな思いを強くした、春の一夜でありました。

2014年3月25日 (火)

5月には行きたい

驚いたことに15,6年も日本人の横綱がいないのだそうである。

朝青竜、白鵬、馬日富士、そして今度の鶴竜とずっとモンゴル人(帰化しているから日本人と言うことにもなるが)だ。

顔も日本人だし、言葉も全くたどたどしさがなく、外国人という感じがしない。モンゴルの人って言語の感覚が天才的なのかみんなペラペラだ。

稀勢の里も横綱に手のかかったこともあったが、どうもダメだ。押し切れない。

なぜか?なんて私が分析しても分かるわけがない。ハングリー精神の欠如とか、ゆとり教育の弊害とか、豊かになりすぎたためとか言うけれど、どんな状態でも強い奴は強い。

大変な相撲ファンと言うわけでもないが、周りに好きな人がいて国技館に観に行くチャンスなども何度かあり、比較的好きな方だ。

実際に見ると相撲は実に面白い。ガツンと当たる迫力がまず違う。力士の肌はきれいだし、現場で発する気迫のようなものは、やはりテレビを通しては感じられない。

白鳳なんかが蹲踞して相手を見つめる(睨むわけでもない)と、負ける気がしないのだ。相手も同じように目を合わせているが、勝つ気がしない・・・と言う空気が伝わってくる。

相撲の立ち会いの圧力は、世界中のあらゆる格闘技の中でもトップだという。本当に頭と頭がぶつかって「ゴッツン!」という音が場内に響く。

ヘルメットかぶってもあんな風に頭から当たれるもんじゃない。

大相撲も八百長問題とかいろいろあって人気が低迷、この人気を上向けるには何といっても日本人横綱が誕生するに限る。

期待の星はやっぱり遠藤かな。白鳳も遠藤もテーピングやサポーターなど、ほとんど身体に何も付けないのが良い。

強者の美学、と言うのを持っているのだろう。なかなか顔もいいし、笑うと人の良さがうかがえるかわいい顔をしている。

まだ髷も結えないが今場所は前頭の筆頭だ。来場所は落ちるだろうが、またすぐに上がってくる。出来るのであれば2年ぐらいで横綱まで登りつめて欲しいものだ。

そうすれば相撲の人気も確実に盛り返すだろう。

5月場所、会津からまたバスを仕立てて国技館に相撲見物、ぜひ行きたい。

2014年3月23日 (日)

趣味

還暦というのは多くは一応の定年の歳である。

私は定年がまだ先なので実感はないのだが、市役所や官公庁など、多くの同級生の人事消息が新聞などで報じられ、「ああ、彼も、、、あいつも定年なんだ・・・」と、少し感慨がある。

定年退職はサラリーマンの宿命だ。

もっとも多くはいったん退職しても65歳までの雇用延長があったり、天下り的に別会社へと移ったりするわけだが、いずれそれまでとは違ったステージで生きなければならない事は間違いがない。

自分の年齢を考えても、まったく新しい事を始めるのは本当に大変なことだと思う。

もっとも個人商店や開業医など、どこまでやればいいのか分からないというのも、それはそれで大変なのだ。

なにはともあれ、がんばれー!、御同輩!!だ。

先日、同級生のY君と話したが、彼は一秒でも早くリタイアしたいと言っていた。退職したいのだが役職もあり、求められてなかなかそうもいかないのだという。

一日でも早くリタイアして、趣味の無線に打ち込みたいのだという。アマチュアとは言えない域に達している生涯の趣味の事を嬉しそうに語った。

豊かな老後(こんな言葉は嫌だけど)それを実現するためには、もちろん経済的余裕というものもあるのだろうが、問題はそれだけではない。

引退したら全てをかけて打ち込む趣味があるのがやはり最高だろう。

私の場合、恥ずかしいが、ちっとも持ち合わせてはいない。

確かに好きな映画を観たり、本を読んだりするのもいいだろう。が、それをなにか体系的な研究にまで高めるというのなら話は別だろうが、ただ観ているだけではやがてよっぱらになってしまうに違いない。

毎日ゴルフをやってもそれほど楽しくない気もする。

やはり、人間はたとえ趣味であっても社会や人と何らかのつながりがなくては楽しくない違いない。

それが極めて狭い世界ではあっても、ひとつの社会性を持っていることが望ましい。

ただ、ただ、自分だけでやっているのは、趣味とは言っても弱い様な気がする。

将棋や碁の世界、盆栽や菊、アマチュア無線もそうだが仲間が沢山いるようなもの。

その世界に入れば趣味の共通語で誰とでもすぐに話せて、仲間になれるようなものが、本当の「趣味」と言えるのではないだろうか、と、この歳になって改めて思う。

そんな趣味に、この怠け者の小生が、これから出会う事が出来るのだろうか?

やっぱり、そういうものがないとこの先、ちょっと淋しいのではないか?と、そんなことを改めて考えるとちょいと暗くなってしまいそうな・・・・弥生の朝である。

会津も来週は少し暖かくなるそうである。

2014年3月17日 (月)

大川荘

「なにそれ、何ヶ月ですかそのお腹!」と娘が私の冬太りの腹を見て憎まれ口をたたく。

久しぶりに自分が大きなお腹をして帰って来た。里帰り出産のために会津の病院の診察を受けに戻った。

旦那さんが付き添って新幹線。その日はもう安定期にも入ったことだし、久しぶりに家族で温泉へ。本当に久しぶりに芦ノ牧温泉の大川荘に泊った。20年ぶりぐらいかなぁ。

昔からいるTさんも、すっかり出世して支配人。眺めのいい角部屋を取っておいてくれた。

やっぱり大川荘は眺めが素晴らしい。ロビーに滝が流れ三味の音が響きわたる造りも、遠い日のバブリーな感じを思い起こさせてくれる。懐かしい。

この大川荘を興した、と言うよりも芦ノ牧温泉自体を有名温泉地とした、伝説的な人物B氏のインタビューをし、自伝の小冊子をまとめたことがあった。

それこそ30年近く前のことだ。

すっ短気で、おっかないが、お茶目で、愛嬌のある人だった。

「なんだ、そんなことも知らねのが!」「そうでねぇ、さっきも言ったべー!」何度、怒鳴られたことか。

それでも出来あがった本は大いに喜んでくれた。

半世紀近くも前から日本に観光省が必要だと訴え、参議院議員の全国区に打って出たりもした豪傑だ。

『力道山か、大川荘か?』こればB氏が考えた迷コピー。当時日本で人気ナンバーワンの力道山と誰も知らない会津の山間の温泉旅館を、勝手に並び立ててしまうところが凄い。ジャンルも全く違うのにだ。

そのB氏の思いを受け継いで、現在の大川荘を造ったのが息子のT氏だ。奥様と共に当時としては全国のベスト5に入るような旅館を造り上げた。

残念ながらバブルの波にのまれ経営は移り、T氏も若くして亡くなられたが、このエントランスからロビーへの導入部分の感動的な造りは、まったく色褪せてはいない。

目の前に広がるのは深い渓谷を挟んだ眼前の山、新緑、紅葉、そして雪。。。。この景観の素晴らしさはどんなにお金を積んでも造り出すことはできない。親子二代の見事な産業遺産と言ってもいい、傑作旅館だ。

新しくできた棚田のお風呂も良かった。料理もまずまず、朝食はすごく美味しかった。

建物はやはり大分歳を取ったけれども、まだまだ元気な感じがしましたね、大川荘!

娘たち夫婦も大満足のご様子でありました。

2014年3月14日 (金)

こんな冬は

もう三月も半ばになろうとしているのに天気予報のカレンダーには、まだ雪だるまが並んでいる。

少し前になるが、8日に那須へ同級生とゴルフに行った。本当に久しぶりのゴルフだった。前日も雪だるまマークだったので念のためゴルフ場に確認の電話を入れたらOKとのこと。

朝はカチカチの雪の中だったけれど、出かけた。

1台に相乗りして、久しぶりのお友達ゴルフなので車中の話しも弾む。磐梯、猪苗代、磐梯熱海、郡山まで、来ても田んぼには雪がある。

矢吹、辺りもまだ雪だ。そして寒い。

「本当にこれで出来んのかぁ?」「白河の関を越えると違うんだって!」と、言いながら走る白河にも結構な雪がある。

あの2月の15日の雪は本当にすごかったんだなぁ!と今さらながらに感心。

会津にいるとごく普通の雪だっけれどもが、中通りは本当に大打撃だったんだなぁ・・・と、分かった。

那須SAで降りて、那須伊王野というゴルフ場を目指す。インター付近は雪も見えなかったが、ゴルフ場の近くになるとまだ日陰には結構な雪が残っているではないか。

「本当にこんな冬は初めてだよな。浜通りも、中通りも、那須も一斉にゴルフが出来なくなったんだからなぁ・・・こんなことはない」

実際、ゴルフを始めて以来、記憶にない。

結局、ゴルフはワイワイ言いながら充分に楽しめはしたが、山すそや日陰には雪が結構残っていた。気温も低かった。2,3回雪の中からボールを拾い出して脇から、打った。

ズボッと雪に飛び込んだ友人のボールがいくら探しても見つからなかった。雪に落ちたところは見ていたのでロストにはしないで、続行。それにしても、これが3月の那須での話ですから信じられん。

本当に久しぶりのゴルフ、大いに楽しんだものの、何と4人が4人とも100点を切れず。「本当に下手だよなぁ」と互いの腕前を改めて確認するに至った。

「やってもやっても下手になる、信じられんね」

「それが還暦オヤジの現実よ」

「そうかな―?」

「もう少し気温が高くなれば、もうちょっとは良いんじゃねえの?」

そうだ、そうだ、気温のせいだ、こんなに下手のは!とこんな冬は初めての体験であることと、低い気温のせいにして一同納得。

帰りの車の中では皆くたびっちゃのか、言葉少なに自分自身を励ますのでした・・・。

そんなオヤジ連をあざ笑うかのように、トンネルを抜けると会津はまだまだ雪の中だ。道路もテカテカに凍り、サラサラの真冬の粉雪が道に舞い踊っているのでありました。

嗚呼、春よ来い!!!!

2014年3月11日 (火)

揺れる思い

3年前、私は一人の部屋にいた。14時46分、グラグラッ、と来た。で、グラグラグラと来て、「おい、おい」と独り言が口をついて、普通なら大体その辺りで揺れが収まり、「アー、驚いた」で済むのだが、揺れは続いた。

続いて、続いて・・・「オイ、オイ、ほんとかよ?」と情けない声が出て、書棚のロッカーがものすごい音を立てて崩れ、パーテイションがバタバタと倒れた。

「え、これってビルも崩れる?崩れたら死ぬ?」となんだか、ゆっくりと思った。

まだ揺れている。バタバタ、ドカーンと何かが落ちている。思わず机の下にもぐりこんだ。

走って逃げだすという感じでは全くなかった。

それほど揺れた。その場にへたり込むのが精一杯。7階のフロアにたった一人だった。ようやく、揺れが収まり静けさが訪れた。

「これは尋常なことではない!」と鈍い私でも分かった。

我に返り、階段を駆け下りる。階下には患者さん職員が一杯だ。「とにかく避難だー!」

また揺れる、余震、余震、「キャアー!」と叫び声が館内に溢れた。

そこからの1週間は、誰もが「ウソだろう?夢であってくれ!」と願い続けた。そして、頭の中が真っ白になるような瞬間を何度も迎えた。

日本が終わりだとまでは思わなかったが、少なくても福島県はもう住めまい、会津の地も去らねばならないことになるだろうと、本気で覚悟をした。

すでに逃げ出した人も大勢いた。

・・・あれから3年の月日が流れた。

あれほどの思いをしたにもかかわらず、人間はのんきなものだ。また日々の暮らしに追われ何事もなかったかのように振舞っている。

もちろん!大切な人を亡くし、故郷を追われたままの方々の時計はそんな風には動いてはいないだろう。本当にお気の毒だ、という言葉しか見当たらない。

NHKのニュース番組で被災地の方と復興大臣が直接話しをしていた。

「私たちは具体的に先のことを示してほしい。いい事でも悪い事でも、はっきり先を示してほしい」と言う被災地の声に「福島の復興なくして日本の復興なし!」と言うお題目を繰り返す大臣。

現実を示せという被災者と、頑張る!を繰り返す政治家、このズレこそが、物事が進まない「何か」なのだろう。

『あの日のことは忘れたい。でもあの日までのことは絶対に忘れたくない』

断腸の叫びが、風に揺れている。

2014年3月 9日 (日)

泣くまで

我が家の家系は総じてこども好きである。

叔父さんや年長の従兄弟が、甥っ子、姪っ子など親戚の小さい子をとてもよく可愛がり、面倒も見るのだが、可愛がり過ぎて最後は泣かしてしまった、などと言う遠い日のエピソードは枚挙にいとまがない。

もちろん何の悪意もないのだが、歳の差を考えないというか、距離感が分からなくなるというか、夢中になるというか、難しいところだ。

特に、遠くに離れた子だと言葉も違う。会津弁で「おめは本当にめげぇなぁ!」などとまくしたてられても、言われた方は褒められているのか、怒られているのかよく分からない。

加えて家系的に皆声が大きいときている。

部屋の中でなにもそんなに大きな声でしゃべらなくてもいいのに、と思うほど大きな声プラス興奮度が加わると、小さな子どもにとっては恐怖に近いものになる・・・・などと言うことは本人は露ほども考えない。

ま、分かったように言っている私も似たところがあるので注意しなくてはいけない。

こどもだけに限らず、最近の若者(とは限らないが大人)との付き合い方と言うのも距離感が大事だ。

面と向かってコミュニケーションを取っていればまだいいのだが、ネットだとこれまた厄介だ。

今流行りのLINEと言うのも、いつ誰が開封したかちゃんと分かる事がまずは内輪もめの種だという。(やってないので分かりませんが)

仲間内で話しているのに、面倒くさいから(忙しいから)黙っているとシカとした事になってしまうらしい。

これに近いことはフェイスブックや単なるメールでも起こる。

「了解」とか「ハイ」とだけ返事していると、「君はいつも冷たいね(つれないね)」とか言われたりする。

文字だけのやり取りで、どこにどんな風に感情がこもっているかを見極めるのは難しい。

気を使う相手であればその分、長々と書いたり、丁寧に書いたりしなくてはならなくなる。面倒くさいわけだ。

私は比較的書く事に抵抗はない方だが、文章を書くのが嫌いな人にとっては、こまめなメールやフェイスブックほど厄介なものもないだろう。

黙っていると、何の返事もないのは失礼だ!とか言われかねない。

通信手段、コミニュケーションの手段が進めば進むほど、人と人とは近付くように思えるが、その実、距離感の取り方と言うものは逆に難しくなってくるものだ。

・・・それにしても会津のこの寒さと雪はどうしたんだろう?もう三月の初旬も終わろうというのに真冬のような寒気だ。春までの距離感は・・・まだかなり遠い気がする。

冬将軍も、なにも泣くまでは居座らくてもよさそうなものだ。

2014年3月 6日 (木)

試練のサンドイッチ

5日、看護専門学校の卒業式が行われ31名が学び舎を巣立った。

卒業式に理事長が出られないため、代わりに挨拶をした。「頼もしさと真面目さ」について。初めてだったので少しあがって68点ぐらいの出来だったかな。

誰かに評価を聞いてみたいが、誰も何も言わなかった。まずかったということなのかな・・・?

夕刻からは卒業祝賀会が開かれ、大いに盛り上がったが、どこか少しだけ例年とは違った空気が流れていた。と言うのは、本年度の卒業生たち、先の大雪でバスの中に閉じ込められ、看護師の国家試験を受けることが出来なかったのだ。

卒業おめでとう!ではあるのだが、試験を終えて晴れて看護師の道へ!というわけにはいかない状況なのだ。そこが例年とは違う。

この大雪は看護師の国家試験が始まって以来初めての椿事らしい。600名を越える各地の学生が3月19日に再試験を受けることになっている。

看護学校の学生生活の締めくくり、最大の関門突破が先延ばしになっているという状況なのだ。

振り返ってみればこの学年は試練にサンドイッチされたような学年だ。

入学の年、3月11日14時46分にあの東日本大震災が起こった。入学の決まっていた学生たちは不安のどん底に叩き落された。

無論、学生たちだけでなく、私たちも皆、震災後の1週間は頭が真っ白だったはずだ。

原発のクラッシュ、本当に死を考え、故郷を捨てなければならないと覚悟した、ところまで行った。

そんな不安の中、4月に入学式が行われ、混乱する日々の中、「頑張ろう日本、頑張ろう東北、頑張ろう会津!」の掛け声に励まされ学びを続けたのである。

もちろん、あの震災で、看護師になって人を助けたいという思いを尚一層強くした学生も少なくない。ある意味、大災害が夢を励ましたともいえる。

そして・・・ここに来てあの2月の大雪だ。

みんなで受験場である仙台へと向かったバスは、結局どこにも行きつけないまま会津へと戻って来た。実に28時間である。

始まりも試練、そして出口にもまた真っ白な試練が待っていたというわけだ。

しかし、こんな辛い経験がきっと笑える日が来るさ、それは必ずやってくる。

祝賀会であれだけ盛り上がって、大騒ぎしたのに今日からまたお勉強。可哀そうな気がしないでもないが、ここは頑張るしかない!国家試験が受からなければ、ただの人です。

第43回31名の卒業生諸君、試練のサンドイッチを受けた君たちはずっとずっと忘れられない卒業生になるよ、きっと。

なにはともあれ卒業おめでとう!&全力で頑張りぬけ!

2014年3月 4日 (火)

wish

二月と三月の関係と言うのはなんとなくだまし討ちに合った感がある。

二月は、これっきし寒くて、冬真っ盛りと言う感じで、会津でも各地で雪まつりが行われる。

なんとなく春はまだまだ先だなぁ…といろいろな事をのんきに先送りしていると(している方が悪いのだが)なんだか急に二月が加速したようになって、28日(29日)で急に尻切れトンボのように終わってしまう。

すると当たり前だが三月になって、1日から県立高校の卒業式があり、いろいろなところでの卒業、異動、退職などが次々と押し寄せる。

さっきまで気分は真冬だったのに、3月3日は桃の節句でいきなり春になるような、そんな感じに襲われるのは、とぼけた私だけでしょうか?

とにもかくにも三月の声を聞くと何もかもが慌ただしくなる。

甥っ子の進学も決まった。入学祝いもあげなければならないし、退職者の送別会が次々と予定に入ってくる。

おまけに今年はひときわ感慨深い事を、この三月中に行わなければならない。

それは一つの会社を整理清算することだ。

25年前に私が興した会社、ベースはコピーライトだが企画やデザインなどを手掛けた会社。私は15年間その会社の代表を努め、10年前にN氏へと託した。

そのN氏が、先にも書いたが病に倒れ亡くなった。その会社を整理するために現在、1ヶ月半ほど私が再び社長に登記上戻っている。

35歳の時に夢に燃えて、一人でも多くの人の希望を叶えたいと願って付けた会社の名前は「wish」。

ちょうど四半世紀で役目を終えて3月31日に消える。

私が15年の間にお世話になった数多くの人々、また引き続きN氏が10年間お世話になったさらに多くの人々、みなさんに心から御礼を申し上げたい。

そして、多くのご心配、ご迷惑をおかけしたことを心からお詫び申し上げたい。

どうか志半ばにして倒れた、N氏の無念に免じてお許しいただきたい。

現在、私は全く違う形ではあるが、やはり一人でも多くの人々の「wish」に応えるべく汗を流さなければならない立場にある、という心意気だけは同じく、持ち続けているつもりではいる。

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