« 2013年12月 | トップページ | 2014年2月 »

2014年1月

2014年1月29日 (水)

熱燗とエロス

酒場で聞こえて来た話し。

「人間の三大欲ってわかりますか?」 「分かるに決まってっぺ!食欲、睡眠欲、そして性欲だよ」 「当たり!その性欲ってのが驚きますよね。食べたり、寝なかったりしたら死んでしまうけど、Hなのしなくったって死なねべした?学生の時に習ったんだけど、なんだそれ?って思いましたよ。それよっか、お金がなくなったら生きていけないんだから、金銭欲の方が大事じゃね???」

ふむ、ふむ。酔っぱらうと、いい歳した大人でも面白い事言うもんだ、とついつい聞き耳を・・・・。

「バカなだぁ、だから女の浅知恵って言われるんだぞ」 「あら、そうがま?」 「第一、性欲と言う言葉が悪いんだよな、性欲って言うとアホはそのものズバリしか考えねぇ・・・」 「あら、他に何かあんのがし?」

ますます、興味深くなってきた。

「君ね、スケベなことばっか考えてっからそうなるんだよ」 「あら?そのお言葉そっくりそのままお返ししますけど」 「なんつぅか、性欲って言うから悪いんで、すなわちエロスよ、エロス。もちろん、肉体的性愛もあるけれど、そのぉ、プラトンが言うところの純粋な精神的な愛よ、愛!」

出ました、プラトンだって。もっと飲んで、飲んで。

「分かるか?愛がなくては人間は生きてはいけないわけよ。エロスだよ、エロス!エロ本じゃねえがら。私はエロ本があったら生きていけます、バカなこと言ってんじゃねえよ!」 「訳わがんねぇ!」

面白れぇ、一本おごりたいぐらいです。

「だからね、そのものズバリだけじゃないわけよ。人間は人に惚れて、ひかれて、愛し合ってね、手を触れあう。それだけでいいの」 「ウソ、よくないくせに」 「あ、バレた?・・・少しは色んなこともする、でも人間、色気がなくなって、愛がなくなっちゃお仕舞いっだってことよ。だからね、命短し恋せよ乙女・・・♪ってわけ。あ、間違がった、恋せよオバサンだ!ウィ~、もう一杯!」

会津酒場放浪記、まさに酒場は呑ん兵衛たちの聖地、時に学びの場でもある。

「オバさんで悪がったなし・・・」 「Hなのしなくっても死なねって言ったべ?語ってんでねぇでがら・・・。人間はね愛がなければ死にます。エロスがなくては生きていけないわげよ。要するにこの三点セットが尽きると人は死んじまうんだなぁ・・・・・あ、俺今いい事言った?カッコいいね」 「三点セットになっちまった・・・・」

笑いwwww笑い。

今年は例年になく寒い冬、雪の量が少ないのは助かるけど、道はテカテカだ。しんしんと冷え込む夜、赤い灯ともる酒場は身も心も温まる。少し火照った頬で暖簾をくぐれば外はまた雪、ふぅむ、エロスねぇ・・・もう一本、熱燗でも行きますか?

 

 

2014年1月26日 (日)

弔辞

悲しいお葬式だった。

62歳で旅立ったN氏を送ろうと大勢の人が訪れた。様々な分野から多彩な人々が訪れた。彼の人徳だろう。「お世話になった・・・」という声が多く聞かれた。

昔の仕事仲間、本当に懐かしい顔も沢山あった。

弔辞は会津を代表する企業でN氏が敬愛してやまなかった社長のK氏。老舗の造り酒屋名物社長のS氏、そして私の三人だ。

会津のお葬式ではまず考えられない組み合わせ、K氏の弔辞というのを私はこれまで一度も聞いたことがないし、考えてみれば私もお葬式では初めての弔辞だ。

K氏は、仕事上の長い付き合い、そしてK氏が会長を務めるボランティア活動での交流を通してN氏の人柄を述べた。

特に、余命が告げられた後、病室に見舞った時のエピソード。自らの先を知りながらも笑顔を絶やさずに握手を交わしたN氏の男らしさをたたえると、会場は嗚咽に満ちた。

S氏はボランティア活動を通して、N氏の見せた謙虚さ、周囲への思いやり、誠実さを称えた。

そして私、「大好きなK社長が来てくれて、S社長も来てくれて嬉しね」と語りかけたが、もう胸が詰まって呼吸困難だ。

「弔辞を書いてきたけれども、果たして最後まで読めるか?それが問題だ」と言って、弔辞に初挑戦。

その出来は参加した方々に聞いていただくしかないが、何度か泣いて読めなくなったもののナントカ最後までは行き着いた。

30数年前の初めての出会い。私が年下の上司で仕事を教えた事。そしてどうして彼が私の興した会社を引き継ぐことになったかの顛末、そして、最後の10年間その会社の社長として彼が輝いた事を話した。

これまでの事の経過を断片的にしか知らない人も多く、最後にこれらの事を伝えることは私の使命だと思って話した。

会場は静まり返り、時に嗚咽が溢れた。

弔辞を終えると、ご遺族が立ちあがって深々と一礼をしてくれた。互いに見合わせた目は涙で一杯だった、それで充分。

弔辞の中でも言ったが、人が本当に死ぬのは、この世にその人の事を思い出す人が一人もいなくなった時だ。その意味では当分の間、彼は会津の空を吹き渡る風だ。

さようなら、そしてありがとう。   

合掌です。

2014年1月24日 (金)

残念な青空

また一人、年齢の近い友人が天国へと旅立った。

昨年8月、極端に体力が落ち、このままいけば週単位で危ないかもしれない、と言われてから5ヶ月も頑張った。

一時は、退院して再起を目指す!と言うまで本人の気持ちも充実してきた。周りも奇跡が起こるのではないかと本当にそう思った。

しかし、末期がん、全身転移の状態でこれ以上の積極的治療は望めないという診断が覆ることはやはりなかった。

残念と言うしかない。

しかし、彼は最後の入院時から、それまでの外科の主治医から、ターミナル期を受け持つ優秀な緩和ケアの専門医師にその身をゆだねた。

そのことは、彼にとっても本当に良かったと思う。

痛みを取り除き、精神の平穏を最大限に保つ。お灸なども取り入れて辛さを出来るだけ取り除く。スピリチュアルなケアも行われ、眺めの良い病棟で最期の時を二人の妹さんたちと笑顔を見せながら過ごすことが出来た。

わずか1週間前まで病棟の廊下をリハビリスタッフと歩いていた。

病と闘う、自分のすべての力を使い切り、数日前から口からモノが入らなくなり、ベッドに横たわり、動けなくなった。

ご姉妹が遠方のため週末ごとに訪れていた。週なかの旅立ちだったために最後に面会したのは私になってしまった。

痩せて、窓の方に顔をむけ目を開いていた。大きな耳に呼び掛けるとそれまで虚ろだった瞳が急に輝きを増し、黒い瞳がギュッツと私と目を合わせた。虚ろな目が「視線」になった。そして視線はあまり長い時間をおかずにほどけた。

酸素も付けては居ない。特に苦しそうな荒い息でもない。静かに何かの訪れを彼は待っていた。

その晩、夜中の2時に目が醒めた。トイレに行って寝ようとすると雪の重みなのか、時折ミシミシと屋根の方が軋むような音がする。それが時々鳴るので眠れなくなってしまった。

翌朝、病棟の看護師長から朝早く彼が旅立ったと告げられた。

夜中に心残りで別れを言いに来たのかもしれない。

人の死に立ち会うと実にいろいろなことを考えさせられる(当たり前だが)

様々な人間模様を見せられる。

本当の人の優しさ、誠実さってなんだろう・・・叶いもしない夢だけぶちまけて悩める人を混乱させるだけの、優しさもどき、心配もどきもある。

「俺が有名な先生に電話してやっから!」と言ったって、末期がんはいかな名医でも手には負えない。本人にとどめを刺すようなセカンドオピニオンだってあるのだ。

ともかくこの5ヶ月、いろいろな人間模様の中で彼は頑張りぬいた。

30数年の縁だった。仕事を共にし、大分助けられもした。酒も飲んだ。旅行にも行った。

大きな声でよく笑う男だった。

彼の笑顔が消えて、会津の空は今日、悲しいほどに晴れ渡り、凍えている。

お葬式には弔辞を捧げて欲しいと言い遺して行った。そんなもん、断るわけにもいかないだろう。

はたしてちゃんと言えるかどうか、それが問題だ。

2014年1月18日 (土)

我が家の年越し

今さらだが、ちょっとした覚え程度に記しておこう。

私は市内七日町の商家で生まれ育った。いわゆる町うち、会津若松市内の中心部だ。

年越しから正月の迎え方はそれぞれに違うだろうが、我が家の場合は一応旧家ではあるけれども、もとは貧乏侍であり、途中から侍から商家へと形態が変わってしまっている。

従って、よく「家庭画報」などで紹介されるような何百年と続く旧家のお正月というような受け継がれて来た儀式と言うようなものは残念ながら伝えられていない。

ま、途切れてしまっている分だけ、いい加減なところもあり、大した参考にもならないが、我が家のやり方、という覚え書きだ。

なお、現在は七日町から飯盛山の近くに住居を移している。

餅は苦(九)餅とかいって29日についてはいけないということを聞いたことがあるが、餅つきは今ではさすがにやらない。

今の町内(飯盛)で1軒だけ毎年餅つきをされている家がある。30日の日に親戚総出で家の前で餅つきをしている。なかなか良い風景だ。

我が家の餅は、大みそかに甲賀町の日本一分店さんで鏡餅、のし餅などつきたてのものを求める。ここの餅が一番美味しい。

お飾りは一夜飾りはいけないので、28か29日に飾る。玄関のしめ飾り、神棚、居間に鏡餅、そして風呂や台所、トイレなど水の出る蛇口すべてに輪〆を飾る。

ちなみに玄関前の水道は止水栓の締め忘れで、年明けの強烈な寒波で破裂させてしまった。(春まで修理は延期だ)

大みそかは、「ざくざく」というお汁、「塩引き」(塩鮭)、青豆+数の子は必須。後は一般的なごちそうと言うやつ、刺身やカニが我が家の定番だ。

「ざくざく」は「こづゆ」とほぼ同じ作り方だか材料の刻み方が違う。大根やニンジンなど短冊に刻み、汁もたっぷりにする。

「こづゆ」は会津の郷土料理の代表になっているが、私がこどもの頃、我が家では「こづゆ」という呼び方はしなかった。「にざかな」と呼んでいた。町うちは「にざかな」だったらしい。おそらく漢字は「煮肴」だ。

「こづゆ」と「にざかな」が同じものだと知ったのはかなり長じてからだ。

これはおそらく我が家だけの習慣だろうが、大みそかの夕方に風呂に入り一応身を清め、仏壇に供えておいた一升瓶の清酒を(6時頃に)家の周りに蒔く。土地、家の四隅のたっぷり、そして周囲に清酒を蒔いて清める。末廣の一升瓶。

今の家を建てる時に、知り合いの行者さまを呼んで拝んでもらった事がある。その時に行者さまが、「年に一度でいいから土地に清酒を蒔いて清めると良い」とおっしゃったので、それ以来ずっと大晦日の行事にしていると言うわけだ。

ちびら、ちびらではなく1升瓶1本全部蒔く(時々少し飲む)。家の周りにはぷーんと日本酒の香りが立ち込める。(寒いのであんまりは薫らないが)

で、仏壇、神棚に料理と酒をお供えし、家族全員手を合わせて、乾杯!あとは食べて飲んで、紅白歌合戦など眺めながら、ひたすら飲んで食べるだけだ。(太るわけだ)

やがて「ゆく年くる年」、12時のゴーンと言う合図で居間の穴八幡様の「一陽来復」のお札を張り替える。これは会津の風習ではないが毎年必ず東京から送ってもらっているお札だ。年ごとに、貼る方角が厳格に定められているので、我が家の神棚には方位磁石がちゃんとある。

あとは寝るだけ。そのまま初詣でに行ったりはしない。また、この時点では「あけましておめでとうございます」のあいさつもちゃんとはしない。

そう、年越しそばも食べる習慣はない。

元旦の朝、起きると早々に風呂の水を抜いて洗い、新しい風呂を沸かす。そして風呂に入る。家人は朝の支度、おせちとそばは元旦の朝に食べる。年越しちゃってからそば、というわけだ。

こどもの頃はそばが嫌いで、うどんを食べていた。そしてちょっとだけお神酒で乾杯。

のんびりと元旦の年賀状を見ながら昼前に初詣に出発する。ブログにも何度か書いたが我が家は三十数年、一貫して門田一ノ堰の六地蔵様だ。

で、初詣の後に市内の親戚を回り、大体は昼酒が始まり飲んで家人の運転で帰る、というのが普通だ。(今年は家人のぎっくり腰傾向があったため残念ながら昼酒にはならなかった。)

そして、二日の朝は餅。会津ではお雑煮とは言わずに「つゆ餅」という。あとはおろし餅、納豆餅、きな粉、あんこ餅など。箱根駅伝を見ながら食べる。

その時に居合わせた面子によってはまたも昼酒になることもある。(正月だもの)

そして三日の朝はとろろだ。

三日は大体が同級生の初打ちゴルフに出かけるので、前の晩に磨って冷蔵庫に入れておいてくれたとろろを、一人淋しく、焚きたてのご飯にかけて掻きこみ、薄暗い中を出かけて行く事が多い。

今年は、それも間に合わずに夕刻戻ってきてからとろろをいただいた。

すっかり松も明け、甚だピント外れの我が家の年越し&正月の覚えである。

2014年1月15日 (水)

ポエム

昨夜のNHKの番組、クローズアップ現代の「ポエム?」という、現代に溢れる優しいポエムのような言葉の裏側にあるものを炙り出す切り口には考えさせられた。

優しさと愛と思いやりに溢れ、生きがいと情熱と友情に満ちた甘美な世界。口に出して言うのもテレるような詩的な言葉に彩られた日々。

居酒屋や介護、エステシャンや美容師など、若者たちが働く職場の意欲や満足感を競い合うナントカ甲子園と言うのが数々あり、その参加者は数万人にも上るという。(まったく知らなかった)

悪い事ではないのだろう。

しかし、「僕はこの店でお客様に幸せな時間を提供し、その喜びを共有できることに生きがいと夢を感じるんだ!」そんな言葉を絶叫し、涙さえ浮かべるその姿にはどこか違和感を覚えた。

16時間を越えるようなキツイ仕事を自らが望んでこなし、眼の下にクマを作りながらサービスに努める若者たち、まるでトランス状態に陥っているような情感に満ち満ちた朝礼。

最大限の残業と300万円を切る年収でいきいきと働く姿は、どこかで見た宗教団体の儀式のようにさえ感じられた。

一歩間違えばブラック企業のレッテルを貼られかねない中で、生きがいを見つけだしている若者たち。

そこには美しい言葉で覆い隠されたものはないのだろうか?

解説者の言葉が印象的だった。「そこにあるのは納得した上の連帯というよりも、同調だ」

仲間同士が同調し合っているところに「?」を押しはさむ余地はない。

「なんで?」なんて、そんなシラける事言うなよ!その瞬間に集団からはじき出されてしまう同調と錯覚の世界・・・?

ポエムな言葉は物事の本質を、いっぱひとからげに覆い隠すことが出来る。

5W1H、それは何で、どうしてそうなって、その先になにがあるのか?そんな素朴な疑問は一旦、置いてきぼりを食らう。

幸せを分け与える仕事、それは一体何ですか?

美しい国、それは一体どういう国なんですか?

お客様の笑顔がすべて、それで僕はどうなるのですか?

そんなこと言っているから君はダメなんだ!夢も希望も愛も語ることのできない、つまらない人間なんだ!

だって訊ねたくもなるじゃないですか、人間だもの・・・。

考えさせられたね。

確かに今の世の中、ポエムな言葉に溢れている。そんな甘い言葉で何かを覆い隠そうとしている、そんな自分も居るのかもしれない。

優しい言葉、易しい言葉、正しく伝わる言葉、大切なのは着飾った言葉ではなく、そんな言葉たちなんだなぁ、と改めて思う。

会津は寒気にすっぽり覆われている。朝はマイナス8度。昼出かけた時には日差しに溢れていて雪も少なくて、まるで春のような景色だったが車外はなんとマイナス2度。

光溢れ、晴れ渡ってはいたけれど、その本質は冷たい真冬日なのでした。

2014年1月14日 (火)

大変なことじゃないの?

20年も前に政界を引退した細川元総理が東京都知事選に立候補を決めたという。小泉元総理の全面支持、応援を受けて脱原発の旗印の下、立つという。

こりゃあ結構大変なニュースだが選挙の関係もあり、あまり大々的に報じて候補者の利になるような事は憚られるのだろう、なんとなく普通のニュース的扱いだ。

しかし、これは大変な出来事だと、私は思う。

後世になって振り返れば日本の大きな転換点ともなるような重大ニュースではなかろうか?

細川のお殿様は総理大臣の椅子もぽんと投げ捨てて陶芸家になったように、権力に対する我欲などほぼない。

熊本に行けば細川家と言うものが、現代においてもいかに特別な存在であるかを実感できる。お金だって名誉だって有り余るほどあるだろうし、文化人として発言の場もいくらでもある。

それなのに、鉢巻、タスキで選挙戦を戦おうというのだから、原発にはよほどの危機感を持っておられるのだろうと拝察する。

そこに加えてあの、ケンカ上手の小泉さんも全面応援を宣言した。

小泉さんは早速、「これは原発がなくても日本は発展できるというグループと、原発がなくては日本はやっていけないというグループの戦いだ」と言ってのけた。

郵政選挙と同じように、一つの争点で白黒つけようという腹だ。

違うのは、郵政民営化は国の仕組みの問題だが、原発の有無は将来の国体そのものを揺るがす大問題だということだ。

ここから先、この国のあり方を決定付けるといって過言ではないと思う。

チェルノブイリで人類は原発事故の恐ろしさを知り、東日本大震災で安全神話の崩壊を見た。人知の及ばぬ大自然を相手に「絶対」などと言うものはあり得ないということを痛いほど思い知らされた。

そして、その後始末の方策さえも、実のところは霧の中なのだ。

アベノミクスの片隅に追いやられたような感さえあるが、今も福島の地では汚染水が、だだ漏れ中なのだ。

そんな原発に対してYESかNOか?

これまで様々な場面でものを言ってきた知識人、文化人、芸術家、タレント、ミュージシャン、そういう人々も静観することはできない「踏み絵」を突き付けられたようなものだ。

片やエネルギー問題と都政とは違う!と論点を懸命に外そうろするだろうが、この問題はそういうことでは方が付かないだろう。

日本全国から選挙権のない(都知事選の)人々が勝手連として声を上げ、立ち上がるだろう。

都知事選ではあるものの、全国民が他人事では済まされない「大きな問い」を突き付けられたといっていい。

特にここ福島県、「私は会津若松市民だから関係ない」で済まされる問題ではなくなった。

もちろん1票を投じることはできないけれど「では、あなたは細川さんを支持しますか?」と聞かれた時に何と答えるか???

いくら東京都知事選挙ではあっても、この議論を避けて通ることは、ちょっとできないんじゃないでしょうか・・・。

あなたは何と答えますか?

2014年1月11日 (土)

少なめですか?

今年の会津の初市・十日市は「十日市は荒れる」という言葉に半分ぐらいい当てはまった。

寒波で気温はかなり低かったが、雪が降り続くということはなく、昼間などは晴れ間も見えて、暗くなってからちらほらと雪が降った。

あんまり冷え込むと雪は降らない、と言う言葉もあるが、ある程度は当たっているのだろう。

冷え込んだ日の雪はサラサラで、肩の雪もサッと手で払える。ボサボサと降り積もる雪の日は、寒いことは寒いが、足元の雪がキュッキュッと鳴るような夜とはちょっと違う。

どんなに寒くても初市には縁起を求めに出かけないわけにはいかない。

ちょうど新年会とぶつかっていたので、そうそうゆっくりと人混みを眺めることもできなかったが、なんだか今年の人出は例年より少ないように感じられた。

アベノミクスで景気も上向き、今年こそは!と思う人々が列をなして大変な賑わいなのかな?と想像していただけにちょっと肩すかしな感じがした。

例年だと6時過ぎは、勤め帰りの人々も足を運ぶ時間帯で、この頃には神明通りのアーケード下が歩けないような状態になる。

が、今年は神明神社まで結構スイスイと進んだ。

特に会津中合の跡地がだだっ広い空き地になったままなので少し少なめ且つ、淋しげな感じがしたのかもしれない・・・。

笑っている起き上がり小法師は嫌いなので、鈴木屋利兵衛商店で昔ながらのシンプルな起き上がり小法師を求めた。

数については迷ったが、我が家が家人と二人なので2+1=3、息子が一人住まいなので1+1=2、娘夫婦が二人+お腹に一人なので3+1=4、と大盤振る舞いで求めた。

そして風車をひとつ。

いっ時、この起き上がり小法師もインフレで1個150円や200円ぐらいのものがあったが、今年は極めて普通の1個100円、風車の大が千円だった。

で、市神様へのお参りは、ちょっとお賽銭をはずんだ。

早々にお参りを済ませ、家人と分かれて医局の新年会へと遅れそうになったので足早に向かった。

が、折角の十日市に寄ってから来る人も多いようで、今一つ集まりが悪い。中には知り合いの露店に引っかかったまま、お神酒で出来あがった者もいたようだ。

何はともあれ松の内の会津の風物詩十日市、市神様に祈り、新年に交わす挨拶は決まっている。

「本年も何とぞよろしく。家内安全、無病息災、商売繁盛!」

2014年1月 9日 (木)

寒波

年が明けて寒い日が続いている。この週末は第一級の寒波が日本列島を包み込むという。

あまり言いたくないが、歳とともに寒さが堪える。

今の住宅は高気密住宅で家じゅうが同じ温度で暖かいという。(我が家は早いもので築25年ほどになるのでそういう仕様ではない)

若い頃は、「そんなの気持ち悪い、家ん中なんて暖かいところと寒いところがあった方が、ピリッと引き締まっていい・・・」などと言っていたものだが、今はそういう暖かい家に住んだ方が身体のためにもいいし、快適なんだろうなぁ…と素直に思う。

我が家には庭からそのまま入れて土間が続いているサンルームと称するタイル張りの空間がある。ここはスペースとしての使い勝手はとてもいいのだが、寒さの点で問題がある。

大きなガラス戸、天井部にもガラスの開放口があり、全体にとてもひんやりとしている。

これまでは電気ストーブをちょっとつけたりして過ごしてきたが、この冬からはちゃんとファンヒーターを焚くことにした。

初冬にK‘s電気でお買い得で、タンクのでかいのを見つけて来て使っている。

二階まで階段が吹きぬけの様になっているのでそれほど高温にはならないが、火の気があると全然違う。

入浴時に一番怖いヒートショック、それを避ける目的もある。脱衣所のドアを開けておけば結構温まるという寸法だ。

風呂場の事故で死亡する人は何でも年間1万7千人もいるらしい。全国の交通事故死が1万人を切っているのだから、うっすら倍の人がお風呂で亡くなっている。その8割がヒートショックだという。

そういう一切合切を考えると家というものは老年期に入ったら、もう一度住みやすいように安全で、身体が多少効かなくなっても快適に暮らせるように、建て替えた方がいいのかもしれない。

しかし、宝くじでも当たらない限りそういうことは一般人には難しい。長~く、仲良くしていくしかない。

私と同じ歳で一人暮らしのNさんは、昨年階段で転んでろっ骨を折った。そこで、すべて1階で暮らせるように思い切ってリフォームを敢行したという。「私、一人だから早めの備えをしないとね」と言って退職金をつぎ込んだらしい。

人生設計、思い切りも必要だ。

身体機能の衰えは、お金でなんとか補てんして生きて行くしかない。要は歳をとったらとったでお金がかかるようにできているということだ。厳しいね。

なんか、松の内にはそぐわず、淋しくなるような話題だった。

アメリカではこの寒波で逃げ出した囚人が、寒さに負けて自首したという笑い話のようなニュースもあった。その凄い寒波が週末日本列島へ流れ込んでくるという。

会津は雪国、そして寒い。

この週末、夜の宴会も(2次会、3次会などと調子に乗って)そこそこにしないと、この寒波に完膚なきまでに打ちのめされてしまうかもしれないゾ。

ブルッ、ブルッ!

2014年1月 8日 (水)

スプーン使い

ゴルフの第一打、長くてヘッドの大きなドライバーで豪快に飛ばす、1ヤードでも遠くに飛ばしたい、これはゴルフの醍醐味であり、ゴルファーの夢だ。

そのドライバーが全然打てなくなってしまってダメなのだ。

ここの所、ほとんどティーショットは3番ウッド、いわゆるスプーンと言う、ドライバーの一つ下のやつでしか打てない。

広いところでたまにドライバーを使ってみるのだが、何とまぁ情けない当たりで、ドライバーの距離が全然出ない。スプーンの方がずっといい辺りで、飛ぶ。

まあ、飛ぶとはいっても私の場合スプーンで200ヤード行くか行かないか。やっぱりドライバーで230~250ヤードぐらい飛ばさないと、ゴルフは面白くない。

多少曲がっても、飛んだ方がずっといい。

なんでこんなことになったのかなぁ、とつくづく情けなく思う。

始めた頃はバカっ飛びで、スコアはめちゃくちゃでもドラコン賞の一つぐらいは必ず取っていたのだが、飛ばない。

身体が大きいので「さぞや飛ばすんでしょうね」と言われたり思われたりしているのだが、まったくの期待外れ、言われる分だけ情けなさが募る。どうなってるの?と言うくらい飛ばない。

それ以外のクラブは一応それなりの距離が出るので、筋力低下だけの問題ではないはずだ。

この気持ち悪さを例えるのは難しいが、一流の懐石料理を箸を使わずに、スプーンで食べている様な、みっともなさと、かっこ悪さ、それと大人としての矜持を傷つけられるような情けなさがある。

「何だ、ドライバー打たないのか!」と、口さがない同級生はからかい半分で言う。

ムカッと来るが、スプーンの方がはるかにまとまる。

どこに飛ぶか分からなくても飛ぶのであれば思い切り振るのだが、まるで飛ばないというのが、がっくりなのだ。

一度ちゃんとした人に習うしかないだろうが、本などを見るとドライバーもアイアンも振り方は基本一緒だ、などと書いてある、ならばなぜドライバーだけがへなちょこなのだ?

ま、大した悩みとは言えないが、本人にとってはかなり深刻なのだ。

会津は雪の中。

2月までに2回ほどゴルフに行く予定があるが、当面スプーン使いから抜け出せるような感じはまるでない。

2014年1月 6日 (月)

0&0

オーじゃなくてゼロです。年末年始にゼロの付く映画を2本観ました。

1本は暮れに新潟で「ゼロ・グラビティ」という宇宙の映画。そしてもう一本はお正月に「永遠のゼロ」という零戦の登場する映画。どちらも話題作だ。

そしてどちらも現在のCGの技術がなければとても作れない映画だ。

「ゼロ・グラビティ」は、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーほとんど二人しか出ないパニック映画。スペースシャトルの船外活動中に宇宙に放り出され、そこから地球まで辿り着くという荒唐無稽な、でもなんとなくありそうな話しで、一瞬たりとも息をつかせない迫力だ。

一体どうやって撮影したんだろうか?と思わせる無重力空間での演技。次から次と襲い掛かる危機、宇宙人も怪物も出てこないけれど、息を呑むシーンの連続と大音量!90分足らずの映画だけれど観終わった後の家人のひと言「あーあ、疲れた!!」

本当に「くたびっちゃ!」と言うやつ。立ち上がって買い物して、また会津まで帰るのが一瞬億劫になってしまった。

映画館の出口でS夫妻とばったり。最近ご無沙汰だ。「あら久しぶり、これからかよ?」「いや、ゼロ・グラビティ観て来たんだ、疲れたわ」「そうがよ、俺たちはこれから『永遠のゼロ』観るんだ・・・」

その「永遠のゼロ」は年が明けてから観た。これまた話題作、今をときめくベストセラー作家の百田尚樹原作の零戦が主役の戦争映画だ。

こちらもCGの技術なくしてはとても作りえない映画だ。空中戦のシーンはかなりの迫力だ。

天才的な零戦乗りであった祖父は一体どんな人物だったのか?その謎を追っていく内に辿り着いた感動の真実。

臆病者、ひきょう者、天才、人間愛にあふれた人・・・・何としても生きて帰りたいと望んだ男が、最後は特攻に志願して散っていった。宮部久蔵と言う一人の戦闘機乗りを通して描く戦争の不条理と悲惨さ。

これが遺作となった夏八木勲さんのセリフが心に沁みた「こんな話は珍しいものでもない。誰もがこうした傷を負って戦後を生き抜いてきた・・・」

となりの高校生らしいカップルが大泣きしていたのが印象的だった。

こちらは郡山で観た。郡山は新潟の半分の距離、やっぱり帰りは近い。(それでも1時間チョイ)

どちらも☆四つであります。

2014年1月 3日 (金)

ジャムおじさん

長い正月休み、いろいろと腹案はあったが、大方は腹の中に仕舞ったまま、終わってしまった。

予定通りできた数少ないことの中に、ジャム作りがある。

先にブランデーのナポレオンと会津高田梅を使って見事な梅酒を作り上げた(ただ漬けておいただけだけど)事を書いたが、その中の梅を取り出しジャムを作ってみようというのが年末の挑戦プランのひとつであった。

一応、ネットで各種ジャムの作り方を調査、するとかなり簡単で使うものは砂糖とレモンぐらいなものだ。煮込んで砂糖を入れて、レモンを入れてジャムにすればいいという感じだ。

砂糖についてはグラニュー糖と書いてあるのが多かったのでグラニュー糖1キロ購入。レモンは輪切りにして煮込んだりしたらレモンの皮はどうなるの?という素朴な疑問もあったので100%のレモン果汁にした。

大みそか前日にいざトライ!

まずは瓶の中から梅を取り出す。網目のオタマ見たいなので1個ずつボウルに入れる。1キロ千円という破格値で譲ってもらった極上の高田梅、玉も大きい。15個も取りだすとボウルは一杯になる。

それを台所で剥く。種が簡単に取れるのかと思ったら半年漬けたぐらいではまだ実も固い。包丁で少しずつ剥く(と言うか削る)15個剥いたら手が攣りそうになった。

片手鍋にいい感じに一杯。それを煮込むわけだが焦げ付くんじゃないかと思い、100ccほど水を足した。ぞして火にかける。

問題はこのカリカリの梅をどうやってジャム状にするかだが、ミキサーなど掛けたらトロトロになってしまい返って美味しそうじゃないのではなかろうか、と思えた。

グツグツ煮込みながらスリコギ棒で潰すことにトライ。段々煮えてきた。グラニュー糖投入、目分量で適当に。レモン汁投入、これも適当。

だがスリコギではうまくつぶれない。どうしようかと思っていたところに家人の助け船。穴のあいたオタマのそこでぐいぐい押し潰したらどうだという、なるほどこれは潰れ感がいい。

弱火で煮込みながら根気よく潰して、煮込む、煮込む。味見しながらグラニュー糖投入、全部で400gぐらい入れたかな。

やがて濃い緑にちょっと茶色がかったジャムが完成した!

まさしく梅ジャムである。あれだけ煮込んだのでアルコールはほとんど飛んでいると思うが、少しはあるかもしれない。

「うまい!」我ながら実によくできた。さわやかな甘さに梅の酸っぱさがあり、実にうまい。これは手前味噌、自画自賛、の極みだ。

大きめの弁当箱ぐらいのタッパに一つ「会津高田梅で梅酒を作った梅で作ったジャム」が完成した。

まぁ、こうなると語る語る。正月になって会う人ごとに、梅ジャムの自慢をひとしきり。

年始のあいさつ代わりにひと瓶あげたら、義妹が褒めるものでますます鼻高々。「パンにつけるのはもったいないぐらいだ。肉とか、ハムステーキなんかにつけたら絶品だ!」とかなんとか・・・。

実際、ロースハムステーキにつけて食べたら本当に美味しかった。

ジャムおじさんと言えば、あのアンパンマンの生みの親である。

かくしてジャムは一応美味しくできた還暦のジャムおじさん。アンパンマンには及びもせぬがこの一年、一人でも多くの人に笑顔やハッピーを届けられるような、そんな生き方をしたいものであります。

ジャムに添えた年頭所感でありました。

2014年1月 1日 (水)

立春大吉

明けましておめでとうございます。

会津は比較的穏やかな元旦を迎えています。思ったほどの大雪にもならず、冷え込みも穏やか。しずかな元旦を家族三人で迎えております。

ミーハーなので紅白歌合戦の話。

なんだかんだ言って毎年必ず見ています。好きといえば好き、習慣といえば習慣かな。父も母も紅白好きで、こどもの頃から大晦日は必ず家族全員が揃って見ていたもので、なんとなくそれ以外の事をする気は起きない。

昔は、紅白に出てくる歌手を知らないという事はなかったが、最近は三分の一ぐらいは初めて見たり聞いたりする人やグループ、歌だ。それでもやっぱり毎年見る。

今年の紅組司会は「八重の桜」山本八重さん役の綾瀬はるかさん。よく天然ボケと言われる彼女だが、本当に天然で愉快だった。

紹介のセリフは忘れる、噛み噛みで言い間違える。時々かたまり、本当に恥ずかしそうに顔が真っ赤になる。

審査員の杉良太郎さんに奥さんの五代夏子さんの事を、歌の前と終わりに二度聞き、するなんて大笑いだ。それでもまったく憎めない、人柄の良さが溢れているからだろう。

人間、やっぱり善き人であらねばならないという典型だ。周りがみんなで応援したくなっている。

考えてみれば完璧な司会を求めるのであれば、司会素人の女優さんになんか頼まなければいい。司会のプロに頼めばいいのだ。

綾瀬さんが連発するので、白組の嵐も噛み噛みになり、みんな何時もの年より緊張の糸が緩くなったようだ。いろんなトチリも笑って許せる、そんな緩い雰囲気が感じられた。

これから紅白歌合戦の在り方も変わるような気がする。4時間を越える生放送、多少のトチリはむしろ歓迎、歌手は歌をしっかり聞かせればそれでいい。

いくらトチっても、あの「花は咲く」を歌う際の綾瀬はるかさんの大粒の涙、歌い出すまでのあの間・・・全てを持って行った感じ、やはり花のある大スター、只者ではない。

泉谷しげるさんは、なんか伝わらなかったなぁ。何をイライラしているか?我々中年がイラついている時代だ。そんな中、ひたすら頭に来ているような年越しはいただけなかったなぁ。

三輪明宏さんは今年も聞かせた。AKBの卒業は紅白とは何の関係もない。紅白を利用するな、って感じ。

ま、いずれにしても、これまでにないゆるい感じで、今年もほろ酔いの内に年越しの一夜を過ごし、明るい曇りの元旦を迎えました。

八重・はるかさんに教えられらたのは、善き人であれ、心がこもっていればきっと伝わる、一生懸命やることとうまくいくかどうかは別問題、明るく笑っているところに光が射すという事かな。

立春大吉、笑門来福。

今年も楽しく、ハッピーにまいりましょう!よろしくお願い申し上げます。

« 2013年12月 | トップページ | 2014年2月 »