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2013年9月

2013年9月30日 (月)

大運動会

会津、9月最後の週末は素晴らしい天候に恵まれた。

土曜日には二年ぶりに大運動会が開かれた。

素晴らしいお天気。寝不足&二日酔いの東京からとんぼ返りで参加、10時過ぎには勤教小学校のグラウンドに着いたが、当然ながらすでに始まっていて、すごい盛り上がりを見せていた。

思えば去年の今頃は病院の引っ越しで大変な時期だった。たった二日間ですべての患者さんと、すべての病院機能を新病院へ引っ越すのだ。

神業にも似た大移動。当院職員のチームワークの素晴らしさ、真摯に、真剣に、そして自らの持ち場を全うする生真面目さを改めて見せつけられた。感謝!

あれから早いものでもう1年が経つ。

今年はあのチームワーク、団結力を運動会で見せつける!

パン食い競争、借り物競走、短距離走、騎馬戦、綱引き、リレーなど、本格的な運動会で本気でやらないと転ぶ、すりむく。ただし、勝利よりも、ケガなく楽しくが第一だ。

そして、普通の運動会とちょっと違うのは、競技委員が仮装をしている事。参加者の中にもひたすらウケを狙って荒業を繰り出す輩がいる事だ。

早速、借り物競走に駆り出される。看護師に大声で呼ばれ、走る。着外。

一息付いたらまただ。またも走る。2着!借り物の札にはなんと「素敵な人」、それって僕の事?オヤジ、ニヤける。

芋煮、焼きそば、ハヤシライスなど。本格的な露店も出る。もちろん自前で露天商は居ません。すべて職員作のグルメだ。

今年はグルメ審査も仰せつかった。従って、あるもの全部食べなくてはならない。ワッフルやキュウリの1本漬け、唐揚げや、ティラミス大福まで、ちょっと無理でしょう、全部はね。

グランプリはベタだが、タコ焼きに決定。これは本当にうまかった。

あっという間の7時間、クライマックスはもちろん対抗リレーだ。大歓声、青空、天を指す磐梯山の峰、秋の校庭を走る、走る。

最後に外科のY先生があのディープインパクト並みの末脚を見せゴール前で鼻の差で赤組を抜き切った。凄い走りに大歓声止まず!

大きなケガもなく無事に楽しく終わった今年の大運動会。

山盛りの賞品、各賞の発表、表彰、そして互いの健闘をたたえ合い拍手。

実行委員のみんな、本当にご苦労さん。良~い仕事でした。

多くの協賛をいただいた皆様本当にありがとうございました。

そして、今年も職員のチームワークの素晴らしさを確認できたことが、何よりも、何よりも、嬉しかったです。

2013年9月29日 (日)

酔っぱらい

「よーし、マスター、全員に一杯おごってやってくれ!」

新橋駅前脱藩酒亭、立ち飲みの居酒屋はいつも常連で溢れている。

溢れているとは言っても15,6人も入れば一杯、そんな頭数と酒の値段もちらっと計算したうえでの大判振る舞い。

マスターも良くしたもので、「じゃあこれで」と、四合瓶の七福を一本開けて渡してくれる。それを「どうも、どうも」とついで歩く。

「店の全員におごりじゃぁー!」なんてべたなセリフ、案外、ありそうでない。私も言ったのは初めてだ。「おーっ」と店中が盛り上がり、やららとノリがいい。さすがサラリーマンの街・新橋だ。

「俺はねぇ、あいつの同級生。見えねえだろう?先生じゃねえよ、同級生だよ、同級生!」マスターのHがカウンターの中で、うすらヒゲで笑っている。

「知ってますか?『八重の桜』、そう、その会津の男ですあいつもね。私も会津のサムライだぁ。かんぷわぁ~い!」もう完全に酔っぱらいワールド、出来れば頭にネクタイで鉢巻をしてもらいたいくらいです。

「みなさーん、元気ですか?元気が一番!昨日僕の親友が死んでしまいました。エ~ン!みなさん、冥福を祈ってください。知らない?でもいいの、俺の友達だーぃ。死んじゃダメですよ、みなさん。死なないように、カンパーイ!」

ま、ここまで酔っぱらうと、涙も枯れました。

でも心の底のどこかが醒めていて、騒ぐだけ騒いで25分ほどで(そのぐらいだと思うんだけど)早々に退散。

そしてMと、クンクンと良さそうな店の匂いを探りながら、入ったこともないワインバーへ。これもなかなかいい店だったが・・・浮きまくり。

間もなく深夜を迎える東京の夜空。あんなに晴れ渡っていたのに星は見えない。地上の星が瞬き続けているばかりだ。

酔っぱらったなぁ、でも酔わないなぁ~。「こら、M!死ぬなよ」と言って二人は握手をして別れた。

合掌。

明日の朝一番で僕は故郷会津へと帰り、僕の人生を生きなければ。

2013年9月28日 (土)

さようならです。

声が詰まる、とはなるほどこういうことなのかと思った。

友人の葬儀は無宗教。参列者全員が祭壇に花を捧げ、喪主の奥様Mちゃんが経過も含めて挨拶をした。知らなかったことばかりだ。

涙がこみ上げる。横には京都の友人M夫妻も駆け付けている。

で、友人代表としてたった一人、私に挨拶してくれと頼まれた。断るのもなんだろう・・・人生でまだ弔辞なるものを述べたことはないが、引き受けた。

棺と遺影の前へ。

とてもじゃないが写真を見てなど話せない。涙で言葉が出てこない。奥さんが「こんなにおっきいのに同級生なんです!」と笑いを誘って、励ましてくれる。

泣いてしまうと、声って出ないものなのだと初めて知った。のどが詰まって声帯が開かない。首を絞められたような声しか出ない。それでも、止めるわけにもいかず、思いつくままに少しずつ話した。

30年前、彼らの結婚式であいさつをしているときに、家人は分娩室で唸っていたこと。それで娘の誕生日と結婚記念日が同じなこと。

よりによって私の誕生日に亡くなったこと。もう少し時を選べと言いたかったこと。

そして会津若松市立第一中学校で初めて出会い。もう一人の親友M(隣のクラスにもかかわらず)と三人、周りが異常に感じるほどに四六時中一緒に過ごした頃のことを思い出す。

休み時間、放課後、休みの日も何時も一緒にいて三人はあらゆることを話をした。学校でも仲の良さが有名な三人だった。

僕らは、僕らを取り巻く世界のありとあらゆることを話した。音楽のこと、映画のこと、愛のこと、戦争のこと。

駄洒落にハマると三人で一週間連続で駄洒落ばっかり言い合った。まるで何かを訓練でもするかのように、頭を使い、感性を鍛えあった。

どうしてあんな風に時間を過ごすことができたのか?そのことを周りも、三人の家族も許していたのか?とても不思議な気持ちになる。

おそらく、ぼくら三人は、三人と出会い三人で話し合うことで人格形成が出来るように決まっていたのではないのだろうかと思う。

きっとあの三人が出会い話すことでしか、ぼくらはうまく大人になれなかったに違いない。

大人になってからの道はそれぞれに大層違っていた。しかし、僕らにはあの中学生時代のひと時が何としても必要だったのだ。

Tは60歳という若さでこの世を去った。Mは東京にいて深い心の傷を負っている。そして僕は一人、会津にいて日々飲んだくれている。

現在のこうした時間にも、きっと何らかの意味があるのだろう・・・。

短かったものの、音楽を愛し、サッカーを愛し、酒を愛し、温泉を愛し、なによりもかけがえのない伴侶Mちゃんを深く深く愛したTの人生。

きっと「いい人生だった」と心から思って旅立ったに違いない。

Tよ、さようならだ。そして、ありがとうな。

2013年9月26日 (木)

友達が死んだ!

26日、とうとう60歳になってしまった。若い頃、60といえば完全に老人、というイメージを抱いていたが、いざ自分がその歳になってみるととても「老人」という感じはしない。

よく、現代の年齢は昔の8掛けだというが、6×8=48、自分自身のイメージとしてはちょうどそんな感じだ。(図々しいと言われるかもしれないが・・・)

ともあれ、そう若くはないという事だ。

とくに大きなイベントはなく過ぎた。当日、会津演劇鑑賞会の例会があった。誕生日にふさわしく楽しいコメディだ、と期待して行ったのだがどうにもいただけなく、半分の休憩で帰って来てしまった。

家人と二人、自宅に戻りささやかな乾杯をしようとした時に携帯が鳴った。(よからぬ予感・・・)

「もしもし、Tの家内のMですけど・・・驚かないでくださいね」「どうしたの?」「今日夕方、Tが亡くなりました」「ぐぇ~え~!」

まったくもって驚いた。東京に住む彼は中学からの同級生、親友といっていい仲だ。全く知らずにいたが、4年前に大腸がんが、かなり進んだステージで見つかり、以来、闘病を続けていたのだという。全く知らなかった。

先日の会津高校の還暦同窓会でも彼のうわさは出た。お盆の中学校の還暦同窓会でも彼のうわさは出た。

彼はちょっとした有名人でもあった。高校生の時にNHKの『あなたのメロディー』という素人の曲作り番組でグランプリをとり、レコード化されるという夢の様な経歴を持っていたからだ。

それだけにたまに会っても彼の消息を聞く声はよくあった。小生と仲が良かったことは周知の事実だったので、誰もが小生に尋ねた。「ああ、元気だと思うよ、このところ会ってないけど・・・」

今年の正月にも年賀状のやり取りがあり、二日にはTから電話があった。時間がとれたら会わないかと。しかし、色々あって時間が取れず、「悪いなぁ」で、そのままになってしまった。

その前に会った時には「お前は全然太らなくて良いな、昔の体型が保てて。何か運動でもしているのか?」「いやぁ、とにかく歩いているからね、それだけさ」

それにしても痩せているな、と思った事をなぜか覚えている。痩せていて当たり前だったわけだ。

4年間の闘病生活、大きな手術、再発におびえながらも再発、そして転移、がんは容赦がない。

思えば、彼の闘病が始まってしばらくした頃にこのブログを書き出した事になる。おそらく、彼は熱心な読者でいてくれたのだろう。

コメント欄に彼の声が書き込まれたことはないが、時折、忘れた頃にこのブログへの感想や内容に触発された思いが、直接、私へメールで寄せられた。

ま、自分なりに丁寧に返信していたことが救いではある。

27日に通夜、28日に告別式という。

6月生まれ、60歳の友達が死んだ!

ナントカばんたん繰り上げて、せめて通夜だけでも駆けつけなければなるまい。

とりあえず、東京へと向かう。

2013年9月23日 (月)

飲み飲みの日

今日22日(日曜日)は午後から結婚式があって、そのまま会津まつりの時期恒例の十四代を囲む会がある。

28日に行われる予定の大運動会に備えてこのところちゃんと朝は歩くようにしている。事務所へもエレベーターは使わずに階段を上るようにしている。

従って朝はちゃんと歩いて既定の運動をこなした。で、時間がもったいないのでDVDを一本見た。

サム・メンデスの最新作「ランズエンド」、暗かった。結婚式前に見る作品じゃないね。大いに選択ミス。

15時からの開宴。高校弓道部同級生の若いカップルは、爽やかで微笑ましかった。

乾杯のあいさつをつとめさせていただきました。贈る言葉『美しい唇でいたければ美しい言葉を話しなさい。美しい瞳で居たければ相手の良いところだけを見つめなさい』(byオードリー・ヘップバーン)

会場名は書かない。だって料理が・・・マリネと言ってマリネしてなかったり、白身魚も活きは良いが、妙な移り香があった。

でもそんなものを乗り越えて余りあるほどに楽しく、心温まる式だった。やっぱり結婚式は良いなぁ。心にキャンドルが灯る感じがする。(すぐに消えるけど)酒もすすんだ。

18時、家人に迎えに来てもらい次の会場へ。引き出物の大きな袋があるのでタクシーでというわけにもいかない。

春に続いての十四代を囲む会、もう秋になったということだ。今回も前回に引き続いてNHK解説委員長の柳澤秀夫氏が参加、特別会員に名を連ねるらしい。

相変わらず、和やかなうちに宴は進んだ。酒も進んで、まさに飲み飲みだ。

宴もハネて、殿と柳澤氏を、明日の行列に出るタレントさんと内藤プロデューサーが飲んでいるという田希野までお送りし、近くのBarでタクシー待ちの、上がりの一杯。

何とか潰れずに一日が過ぎた。

さて帰ったら撮り置きの「八重の桜」と「半沢直樹」(最終回)見ねばなるまいて・・・・。

起きていられるはずもなく15分撃沈で、長い一日が終わったのでありました。

2013年9月22日 (日)

移行期?

土曜の夜に二年ぶりに「ONE VOICE LIVE in 会津」を楽しんだ。

会津の誇るゴスペルグループ、会津マスクワイア、ちょっとお年を召したジュビリー・クワイア、会津こどもクワイアなどが出演する楽しく迫力あるステージで、毎年できるだけ出かけることにしている。去年は何でだったか忘れたが、行けなかった。

ちょうど会津まつりの連休に合わせているので、案外忘れない。

今年は避難している大熊中学校の特設合唱部も参加して、力強い歌声を聞かせてくれた。

大人の声、若者の声、こどもたちの声、大勢の人間の声が紡ぎ出す音楽は腹に響くし、胸に沁みる。

でも今年はちょっと迫力不足だったかなぁ・・・。

パワフルな指揮を見せるK氏が裏方に回って姿が見られなかったのも残念、マスクアイアのメンバーも大分入れ替えがあったみたいだ。いろんな意味で移行期なのかもしれないなぁ・・・と感じた。

アマチュアの、それも50人を越えるような合唱団をまとめ上げるのは至難の業といっていい。みんながそれぞれに仕事や家庭を持ち、その中の時間をやりくりしての練習だ。

それも風雅堂であれだけのステージを繰り広げるのだから並み大抵の練習ではない。

こどもクアイアにしても、こどもは勉強にスポーツに遊びに忙しいし、すぐに大きくなる。代替わりが激しいし、一定のレベルを保つのは大変なことだ。

それを乗り越えて13回目を迎えるというのだから、それだけでも凄いことだ。

4,5年前になるだろうか?アフリカンミュージックを取り入れた頃のステージは素晴らしかった。これがアマチュア合唱団のステージか!と、驚嘆するほどの出来栄えだった。

みんなが脂の乗った、すべてにおいて巡り合わせがうまくいった、きっとそんな時期だったのだろう。魂が震えるような見事なステージだった。

いろんなことがあるのだろうと勝手に想像する。

もろもろの困難試練を乗り越えて、ますます素晴らしい歌声を聴かせ続けて欲しいと願います!

会津マスクアイア、10年を越えて会津に根付いたゴスペルは、もうすでに会津の立派な宝になっている。

時は移り人も移ろい、社会も私たちを取り巻く環境も、何一つ、ひとところに留まるものはない。

そんな中、変わらないものは・・・『愛』ですか?

神様の愛!と言うほどの信心は持ち合わせてはいないけれど、どんな時も人が人を思いやる、そんな気持ちは変わらず歌い継がれていくのではないだろうか。

来年も楽しみにしています。ONE VOICE!

2013年9月19日 (木)

M氏のこと

世の中には「長」になるとがぜん頑張る人がいる。誰だってトップに立てば頑張るのは当たり前だが、それなりに無難に勤めあげようとする人と、自分なりの足跡をがっつり残そうとする人、二つのタイプがあるように思う。

仕事ばかりなく、ボランティア団体や経済団体などの「長」ともなると、その傾向は顕著だ。

どうしてこの人こんなに頑張っちゃうの?そんな傾向の強い人ほどリーダーシップがあるといえるのだろう。(時々、気合いだけでピントがぼけているような人もいるにはいるが・・・)

M氏はトップになるとがぜん頑張る人だ。それも小さな団体、大きな団体問わずに自分が「長」となればものすごく頑張る。

呼ばれたところには必ず行くし、与えられた役目は全力でこなし、おまけに様々なアイデアを出して活動域を広げるから、尚一層忙しくなる。周りも大変だ。

その会を通して人とのネットワークを最大限に広げる。こういうことは出来そうでなかなかできることではない。

「長」の立場として出なければならない会合や出張、3つも4つも続くと一つぐらいはごめんして、と間引きしたりするのがよくあるパターン。小生なんぞはその口だ。

それだけにいつも日本全国を忙しく飛びまわっているM氏を見るとなんとなく頭が下がる。

もっとも一所懸命なだけに、自分の思いを通そうとする気持ちも強く、思い通りに事が進まないと不機嫌にもなる。強引な手法を使うこともあるので敵も少なくはないはずだ。

時に「ちょっとなぁ・・・」と思うところは無きにしも非ずだが、真面目な仕事ぶりと相殺すれば功罪の功の方がずっとずっと大きい。

少々、強力(ごうりき)なところはあるが、彼の底辺には会津人としての誠実さがある。

そんなM氏が自らトップの座を辞する意向であると聞いた。

震災後の会津を引っ張るリーダーの一人として、順調に仕事は進んでいると外野からは見えていた。実際に周辺の評価も悪くないので少々驚いた。

思えば長いお付き合いになる。家人よりも長いわけだから35年は優に超える。その間、公私ともにお世話になって来た。

近頃は距離の離れたお付き合いとなっていたが、それでも年に数回は酒宴で顔を合わせ、笑い合って来た。

まぁ・・・トップが辞めると言った以上、元に戻ることはないのだろうと思うが、ここに来て「惜しいなぁ、なぜ?」と思う。私の知らない、深い背景があるのだろう、きっと。

我々よりかはひと世代前のご年齢なので、若い頃は三次会あたりになると大人の顔を見せてひと足早く、決まって11時には引けるのが常だった。

「おっ、そろそろ老兵タイムだ!」と言ってちょっとだけ多めに置いて帰って行ったっけ。

今度もそんな感じかな?12時にまでは居たくない、11時で惜しまれて帰るのがちょうどいい、そんな感じなのかなぁ。

ま、生意気にもお友達だと思っている。

それだけに、実は健康が原因、なんてことがないことだけは心から祈りたい。

2013年9月18日 (水)

三連休

先週の三連休は、台風で散々だった。

14日から16日まで、会津鶴ヶ城本丸において初めて開催されるイベント「会津十楽」が開かれた。初めの14日こそ晴れたものの、15日、16日は台風の影響で中止となった。

「十楽」とは、豊臣秀吉の命により会津を治めたキリシタン大名・蒲生氏郷公が行った会津版「楽市楽座」のことだ。

自由闊達な市を開き、オープンな経済活動を許して地域の活性化を図った戦国版のまちおこしである。

それを鶴ヶ城本丸で再現しようと会津JC(青年会議所)のOB達を中心としたグループが立ちあがった。

どんな内容か?結局のところ14日は行ってないし、15日は行ったら中止だったし、良く分からないのだが、本丸内に南蛮寺を模したブースを作りワインや料理、菓子など南蛮文化をイメージした「食」を集め、ステージでは音楽やゲームなどを楽しむという趣向だったようだ。

JCのOB諸君には知り合いも多いので、協賛もさせていただいた。

三連休、14日はすごくいい天気でゴルフに行っておりました。(天気と反比例の成績でした)

15日は台風が来る前にと、新潟へドライブ&買い物&用足しへ。新潟は新潟で「新潟総踊り」が行われ、万代シティは多くの人で賑わっていた。

帰り足の頃には一部に青空ものぞき、トンネルを抜けて会津平に入っても空模様は落ち着いていたので、その足で本丸へと行ってみた。

イベントが行われている割にはひっそりしているなぁ・・・とは思ったが、案の定、イベントはすべて中止の張り紙でした。

翌16日は、あの通り、ビュービューの台風通過、まぁ外には出ない方がいいでしょう、といった天気。当然のこと「十楽」も中止となった。

残念ながら予定のイベントの三分の一しか行われなかったことになる。初めてのイベントの出鼻をくじかれた感じだ。それでも実行委員メンバーは、来年は必ずリベンジする!と意気盛んであった。

野外イベント、天気だけはいかんともし難い。気が早いが、オリンピックだけは晴れて欲しいなぁ!

9月は秋の観光シーズンの幕開けだ。その初めの三連休が台風で列島全体が散々な目に遭った。今週末はまたも三連休、今度は会津最大のイベント「会津まつり」が開催される。

どうやら今週の天気は何とか持ちそうだ。

今年の藩公行列のゲスト、市はまだ誰が来るか発表しない。八重さんが来るとか、覚馬さんが来るとか、譲さんが来るとか、もっともらしいうわさが飛び交って賑やかだ。

先晩、市長にお会いした時にはあんまり期待しないで、と言っていたので、そこまでの主役級は来ないのではなかろうか??

斉藤一役の降谷健志さんじゃないかな・・・と勝手に予想しているがあたるかどうか。そう言ったら家人は一刀両断「見なくていい!」と切り捨てた。

いずれにしても今度の三連休、前週のリベンジで会津が大いに賑わって欲しいものだと願っている。

2013年9月17日 (火)

君はなぜ走るか

会津高等学校の同窓会では、毎年、同窓の先輩の講演会が開かれる。大学教授や科学者など学術的な難しい話が多いが、今年は若いスポーツマンが集まった。

箱根駅伝を走ったランナー3人が楽しいトークを聞かせてくれた。

北京オリンピックにも出た佐藤敦之くん(高49回卒)、早稲田大学に一般入試で入り4年生の時に箱根の5区、山登りを走った猪俣英希くん(高59回卒)、神奈川大学で下りの6区を二度駆け抜けた高久芳裕くん(高61回卒)の三人だ。

我らが同級生の安西くんの長男、駒澤大学を優勝に導いた安西秀幸くんが合宿のため参加できなかったのは残念だった。

3人の話は実に興味深かった。走りとの出会い、指導者との出会い、そして栄光と挫折、それらを乗り越えてきたものだけが話せる物語がある。

会津人は黙っていても根性だけはるように思われているらしい。なぜか登りや下りなど、人一倍きつい区間を任せられる傾向にあるという。全国的な地域に対する先入観と言うやつだろう。

猪俣くん、高久くんは大学卒業後、きっぱりと走るのをやめて今はサラリーマンとして営業の第一線を走っている。

佐藤敦之選手はご存じのように、実家のある坂下町に戻り今も現役で走っている。

あの北京オリンピックの夏、佐藤選手は極度の疲労状態に陥ってしまっていた。棄権も考えたが、自分が夢にまで見たオリンピックの晴れ舞台、それを無にすることはできなかった。

結果、完走者の中の最下位という屈辱を味わう。ゴールイン後、コースに向かって一礼をしたあの後ろ姿は今も多くの人々の記憶に残っていることだろう。

最下位となった後のマスコミのバッシングは凄まじかったという。

それまで中国電力を何度も日本一の栄光に導いた立役者だった彼を、栄光の座から一気に引きずり降ろし、その容赦ない中傷は、友人や家族にまで及んだという。

このまま辞めるか?それともリベンジするか?

走ることさえできないでいた彼の背中を押したのは奥さんの美保さん(800m日本記録保持者)だった。

そして翌年のベルリンで開かれた世界陸上、佐藤選手は見事、日本人選手最高の6位入賞を果たしたのである。

ゴールのブランデンブルグ門を駆け抜けた佐藤選手は天に向かってこぶしを突き上げ「やったー、やったぞー!」と思いっきり叫んだ。あの姿も印象的だった。

しかし、本人曰く、あれはカットされた映像なんです。実はゴールしたすぐ後の第一声は「やったーぞ!マスコミのバカヤロー!!!!」だったんです。(会場爆笑)

佐藤選手の目には涙があふれた。そしてそれを迎える妻・美保さんの目にも大粒の涙。二人はひしと抱き合うのであった・・・。と、誰もがそう思ったがあの二人、恥ずかしそうに涙を流しながら他人行儀な握手をしていた。

「何で、抱き合わないんだよバカヤロー、一番いいとこじゃないか!」と多くの人に言われたそうだ。

だが、会津の侍はシャイなのである。

もう4年もたっているのに、いまでも少し恥ずかしそうに佐藤敦之くんはニコッと笑った。

今ではもう走れないようなオッサンばかりの集まりだったが、会場は大いに熱く、和やかに沸いた。

2013年9月14日 (土)

大丈夫?

お恥ずかしい話。先週の日曜の事、ある時点からその日のスケジュールのすべてがすっぽりと抜け落ちた。

その日の朝3時からテレビにかじりついてオリンピックの行方を見守っていたので、寝不足でそうなったのかと言うとそうでもない。

前夜、「家人に明日の予定は?」と尋ねられ「何もないよ」としっかりと答えていた。

その日曜は、会津高等学校の同窓会総会があり、朝からスケジュールが詰まっており、役員としてあいさつの役目もあった。大事な日だった。

それなのにどこかでそれは明日ではないと思いこんでしまったのだ。

忘れたという単純な話ではない。こんなことは初めてだ。ちゃんと寝床であいさつの内容まで考えていたのだから。それなのになぜか、その日が今日ではないと思いこんでしまったのだ。

朝からのんびりし、10時過ぎから家人とDVDを観た。「最強のふたり」なかなかいい仏映画だった。

午前中は激しい雨が降っていた。当然ながら午前中の催しには参加できなかったことになる。申し訳ない。

観終わって「腹が減ったなぁ~」と言って洗濯屋を回ってよどやのラーメンを食べに向かう。

その途中で、はたと思いついた。「待てよ???同窓会総会は来週か?」そうじゃない。では今日なの?今日じゃないか!

あわてた時は12時半、すでに総会開始の時刻だ。焦った。

あわてて自宅に戻り、着替えて身支度を整える。すみません!といって家人に送ってもらう。

開始から25分の遅刻。なんとなく急用ができて仕方なかったんですよ、というような顔をして役員席へ。みなさんに申し訳ないと頭を下げたが、幸いなことに問題は何事もなかったようだ・・・ホッ!

以下、無事にスケジュールをこなし。まぁ40点ほどの開会のあいさつも無事に済んだ。(未明に決まったオリンピックの話を混ぜ込んだ)

懇親会も大いに盛り上がり、5時半には無事にすべての予定が終了した。

同級生もいて一部は二次会へと流れたが、自粛。家人に迎えに来てもらい大人しく帰宅して「八重の桜」を楽しんだ。

一体どうしてあんなに飛んでしまったのだろう?途中で気づいて大事には至らなかったから良かったものの。晩飯まで気づかないで過ごしていたら大問題だった!

老化ですか?それとも何らかの疾病が・・・?

ちょっと凹んだ、一週間前の私でありました。お恥ずかしぃ。

2013年9月10日 (火)

尻ごみ

オリンピック招致で湧きあがっている。気の早い経済誌はまたバブルがやってくるようなことを言って景気の好感を謳っている。

確かに日本経済は好転していくのだろう。

しかし、二回目のオリンピックに求められているのは、ブルドーザーで国土をかき回し、復興の槌音高く、先進国への仲間入りを果たしたような日本経済の再生ではない。

その先にあったバブルの虚しさ、拝金主義による人心の荒廃、失われた何十年・・・日本は経済発展の先にあった亡国の危うさをすでに味わっている。

歴史に学ばないものは愚者だ。

オリンピックという希望の旗のもとに、築き上げなくてはならないのはお金だけによって測る幸せのモノサシではなく、心豊かに過ごせる日本だ。

否、むしろ日本人が染まってしまった、拝金主義からの脱却と言ってもいい。

誰もが仲良く、安心して暮らせる国。四季の美しさを愛で心豊かに芸術を愛する国。どこにいても危険ではなく、どこにいても穏やかな人々と出会える国・・・。

声高に言わなくても「水と安全はタダだ」と言われた数十年前のごく普通の日本だ。

二回目の東京オリンピックが指し示すものはこの国の復興(震災や様々な意味で傷んだ)であり、復帰(失った大切なもへの)であって欲しいと願いたい。

これを機に経済を強くする、はそれでいい。

それだけが目的ではなく、これを機に、芸術、文化、道徳、あらゆる分野で人々がいきいきと生きる日本になって欲しいと願います。そんな国づくりこそが、経済成長一辺倒で走る国々の一歩先を行くことになる。

すそ野の広い平和な日本、その頂点にオリンピックがある。そんな形にしなくちゃ大イベントの意味はない。

なんと7月24日の真夏開催と決まっているらしい。

東京五輪と言えば10月10日の秋晴れのイメージが強烈だが今度は猛暑日の中、今から絶対に観に行くぞ!と意気込んではいるが、あの真夏の東京の暑さを思うと、若干ながら尻ごみしてしまうところが無きにしも非ず・・・。

会津は、遠い日の10月10日の空を思わせるような乾いた真っ青な空であります。

2013年9月 8日 (日)

やった!

朝の3時から起きて観てしまった。オリンピックの開催地の行方。

初めの投票で、マドリードとイスタンブールが同票で、どちらかをふるい落すという。寝ぼけ眼には一瞬どういう事?と飲み込めない。東京が1番でビリを決めるって事ですか???

と眺めていると、さよならマドリード、とサマランチ会長が告げた。本命か?とまで言われたマドリードがいち早く姿を消してしまった。

そして東京とイスタンブールの電子投票が淡々と進められる。あっと言う間に投票終了。もう結果は出ているわけだ。しかし、5時までは告げられない。

色々なチャンネルで、アスリートや芸能人やメディアの人間などが、解説にもならないような思い思いのことを言っている。

本命とまで言われたマドリードがビリになるという大波乱、これは一体、東京にとって有利なのか?不利なのか?

東京とマドリードの両天秤、安全安心と財政危機の闘いと言われていたのが、今度はイスタンブールとの天秤はかりだ。

二度目の開催となる東京とイスラム圏初・東西に橋を架けるイスタンブール、なんだか東京が不利なような気がしないでもない。不安になってくる。

そして5時、開催地は「TOKYO」!思わず万歳をして拍手、ハイタッチをする人も抱き合う人もなく、会津の朝は静まり返っていた。

でも嬉しかったななぁ。何の努力もしたわけではなく、ただ寝転がってテレビを眺めていただけだけれど、なんだか涙がこぼれた。

7年後の2020年、東京でオリンピックが開かれる。世界最大のスポーツイベントが日本にやってくるのだ。

なんだかこれでこの国のどこかにスウィッチが入ったような気持ちになる。経済、文化、科学、あらゆる分野でこの国は変わっていく(良い方に)ような気持ちになる。(単純すぎるが・・・)

でも、これからの楽しみが増えたことは間違いがない。

考えてみれば4年前に招致に失敗し、その返す刀ですぐにもう一回やる、といっていろいろ叩かれた石原慎太郎氏はエラかった!オリンピックコースそのままともいえる東京マラソンを始めたのも彼だ。なんだかんだ言っても、歴史を築いてきた人であることは間違いない。

今から7年後なら見られるだろうし、まだ元気でいられるのではないかと思う・・・。

東京オリンピック、こどもたちに与える夢は計り知れない。

世界中から来る人々を迎えるのは、あの大震災の夜、帰宅困難になっても、争いごとも起こさず盗みも働かず、整然と歩き続けた人々、誇り高い日本人である。

2013年9月 5日 (木)

災害列島

本当におかしな天候が続いている。ゲリラ豪雨、連日の竜巻、地震。

本当に地球はおかしくなっている。

会津は比較的自然災害が少ないと言われながらも只見川沿いの大水害、ついこの間は熱塩加納村でもゲリラ豪雨に襲われ鉄砲水のような災害があった。

すぐ近辺で、全国ニュースに載るような災害が起こっている。

テレビに映る悲惨映像は他人事ではないのだ。

ユーラシア大陸の極東の海に弓のように張連なる日本列島。地図上の形も美しい。

だがそこは海流がぶつかり、風がぶつかり、高気圧と低気圧が常にぶつかる。気候の変化の激しい場所でもある。

そこに美しい四季があり、豊かな温帯の自然が広がる場所だが、一歩間違うと極端な気候の変化となってしまう。

冬は寒く豪雪、夏は暑く危険なほどの猛暑、寒暖の振幅が我々がこどもの頃よりは明らかに大きくなっているように感じられる。

美しい四季の国が災害列島に代わってきているような、不安を覚えるのは私だけではないだろう。

第一、竜巻被害など昔はめったに聞かなかった。アメリカにはトルネードと言うすごい気象現象があるんだ・・・と、テレビで知った程度で、日本で連日起こるような現象ではなかった。それが連日瓦屋根が舞っている。

この異常気象による災害は、地球上の一か所だけで起きるのではなく、地球全体に連鎖していくと言っていた。

要は日本だけではなく地球全体で連鎖的に起こっていくのだ。その連鎖を断ち切る方策・・・即効薬は、どうやらないみたいだ。

即効ではないにしてもあるならまだいい。

これで走り出した汽車はもう止められないんですよ、などと言われたら怖い。

凶器のような暑さから身を守るためにエアコンを入れる。それがまた廻り廻って凶器の刃を研ぎ澄ます、恐怖のいたちごっこ。

何よりも恐ろしいのは、昔教科書で習ったような何万年というスケールでの変化ではなく、私たちのこどもや孫の代には????という非常に現実的で短い時間軸の中で起こっている事だ。

くわばら、くわばら!

今も日本のどこかで地を洗い尽くすような土砂降りの雨が降っている。

2013年9月 2日 (月)

バカヤロー!

宮崎駿監督が引退すると大きく報じられた。長編アニメーションの映画監督を引退するという事なのだろう。企画や原案、後進の指導などはやっていくのだろうと、勝手に思っている。

先日、NHKで宮崎駿監督の仕事の流儀を放送していたが、本当に大変な仕事(作業)だ。頭も相当に使うが、それに伴い肉体の酷使も大変なものだ。何万枚という絵コンテを描いては消し、描いては捨てる。

自分を極限まで追い詰める・・・無から素晴らしい感動の世界を生み出す仕事は生半可なものではない。

全11作、天才と呼ぶにふさわしい見事な作品たちだ。

私は熱烈なジブリファンでもないが、ほとんどの作品は観ているし、何度か見ているものも少なくない。ま、これで普通のレベルではないだろうか。

トトロ、もののけ、千と千尋、など、こどもと一緒に見て貴重な共通体験となっている人も少なくないだろう。

最後の作品となった「風立ちぬ」、大人のために描いたといわれるアニメーション。実在の人物、それも戦争の道具でもある戦闘機零戦を作った人の物語だ。

予想されたことだが、戦争賛美であるとか、人殺し兵器の美化だとか、賛否両論かまびすしい。

日本禁煙協会から喫煙シーンが多すぎると抗議を受けたというのにも驚いた。

ネット上の様々な書き込みを見ていると、これじゃあ、あの短気な職人気質の宮崎監督、さすがに嫌気がさすだろうなぁ、と思う。

知らなくていい事、知りたくないことまで無理やり知らされる、それが現代だ。

メディアのパワーは強大で、ある意味、暴君のようでさえある。そんな今に疲れたのかなぁ・・・。

破天荒な天才たち、時を越えて生きる芸術家たち、そういう人々には案外、生きずらい世の中なのかもしれない。

何を言われても気にしないとはいうものの、何も言われても何にも感じない人なんてこの世にはいないんだ、本当は。

だって人は人と関わって生きている、そうしてこそ生きていける生き物なのだから。

朝令暮改でまたも撤回!ナンテことが起きても誰もちっとも怒らないけれど、今回は本気なようだ。

ひとまずお疲れ様でした。素晴らしい作品をありがとうございました。

暇になったら会津に来てください!美味しい酒を飲んで、美味しい料理を食べて、ぜひお話をお聞きしたいものです。

アントニオ猪木の気合い注入のビンタではありませんが、ああいうコワい人に一度「バカヤロー!」って怒られてみたい気もします。

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