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2013年8月

2013年8月31日 (土)

磐梯山頂で万歳三唱

会津は雨模様と書いた土曜の空は、よく晴れている。

息子は磐梯山に登る予定だったが、天気予報を見て中止したようだ。でもこんなに晴れている、ナンでしょう?

会津に育った子供なら磐梯山ぐらいは登らなくては仕方がない、と思ってはいたのだが、息子とはとうとう登らないまま成人してしまった。大変申し訳ないことだと思っている。

娘は4歳の時に山開きの日に登って、山頂でみんなで万歳三唱をしている姿がTVのニュースで流れた。

長女の頃はこっちも元気だったが、30代後半、不節制続きの日々なのに、何の準備もせずに浅草岳に登り、途中足を攣って大変な思いをしてから、なんだか山登りからは遠ざかってしまった。

息子が幼稚園や小学校の頃には、せめて磐梯山ぐらいは連れて行かなくてはいけない、と思い続けていたのだが、とうとう怠け心の方が勝ってしまった。

近頃、中高年の山登りがブームといわれるが、どうにも腰が重い。フーフー言って登った後のあの爽快感が忘れられない!とはいうもののフーフー言わないで済むのならその方がいい、などと顰蹙を買う発言をしてしまう・・・。

とはいえいずれ、低山徘徊から始めよう、会津の自然を満喫しようと思ってはいるわけだが、何時腰を上げるのか?今のところ口ばっかしだ。

山好きは本当にタフだ。

先日、徳島へ一緒に行ったO先生、あの有名な眉山にロープウェイで登った時、「僕は乗らない!」と言って登山道をぐいぐい登りだした。まさに眉毛のような山を、わずか30分ほどで大汗をかいて登って来た。

登頂してひと声、「ああ、楽しい!」とおっしゃったが、すでに35度近い暑さ、正直「なにがやねん!?」と、思ってしまう。

彼は年間相当な数、山を登る。登りは全く苦にならないという。でもさすがに下りが辛くなった、下りは杖をつかないと足がやられてしまうと言っていた。

分かる気がする。登りもダメなのに下りもダメなら、やっぱりやめといた方がいいいかな、と笑ってしまうわけだ。

いずれにしても今日の天気予報は外れた。

息子よ、またチャンスがあるだろうから出来るだけ早いうちに一度磐梯山頂からの360度の大パノラマを味わってみると良い、父はそう思っているわけだ。

一緒に行こう、とはちょっと思わないけれど・・・。

2013年8月30日 (金)

ポキポキ

『親の意見となすびの花は千に一つも無駄はない』とは昔からよく言われる諺だ。子を想い親がする意見に無駄はない、というわけだが本当かどうかは人それぞれによって様々意見もあるだろう。

子を想う親の意見は誠にありがたいが、時に愛情余って的を外すこともあるかもしれない。

茄子は花の分だけ実をつけると言う。栽培経験がないので分からないが本当なのだろう。

大体、こういう諺が出来るのは、基本的に子が親の意見を聞かないからだ。

「ああ、あの時、親父やおふくろの言う事を聞いておけば・・・」という事が多いから諺が出来るのだ。

こどもは親に対しては、つけ上がっている。親の愛情を受けて当たり前だと思っていて、親に対して気遣う事などしない。(これは私見、私のこと)

時に「いつも、ありがとうね」などと、しおらしく言おうものならそれだけで母親は涙ぐんだりした。

ま、多くは語らないが夫婦はそんな風には行かないわけで気を使っているのだ、お互いさま。

こどもは基本、親の言う事を聞かない。

言われるとかえって反発する事もある。放っておけばいいいものを、口にするから反発して逆のことをする、なんて事も起こす。

「冷酒と親の意見は後で効く」と、気付いた頃には時すでに遅し。人生はやり直しが効かない。飲みすぎた冷酒は一気に回り、ヘロヘロになって目尻に涙が滲むばかりだ。

なに、これと言って親に逆らい大きな後悔があるわけではない。

が、思い出しても親に対しては何の気遣いもしないで乱暴だったし、絶対的な愛に包まれてつけ上がっていたように思う。

時すでに遅しだ・・・。

私は「いろんなことが起こっても、自分に降りかかることには何一つ無駄なことはない」と、考えるようにしている。

実際、来し方を振り返れば、あの時の苦労があったからこそ今がある、あんなに苦しかったことも過ぎてしまえば皆良い思い出、と言えることが多い。

その時には、なんでこんなに次々と自分にばかり辛いことが起こる!と憤ったものの、よーく考え、冷静に周りを見渡せばほぼ五十歩百歩、誰にだって山坂はある。

「何の悩みもないようだ」と、言われるがそう見える方がずっといい。

落ち込んだ顔ばかりしていると、マイナスイオンを発生させ(ウソです)マイナスな出来事の集中砲火を浴びる。

『笑門来福』これホント、『渋面来災』くさい顔は、何一ついいことを招かない。

8月、楽しい事も山ほど、悲しいこと、戸惑う事もいろいろあり、ブレンドすればほろ苦のブルーマウンテンだ。

世の中、起こることにはすべて意味がある。その意味を確かめつつ歩むのが人生ってものかな?

『秋冷や ポキポキと鳴る 手を持ちぬ』

なんだかひと足早い秋の装い、夏の最後の週末、会津は雨模様だそうです。

2013年8月27日 (火)

あづまっぺ

がんになられた方、またその家族など、「がん相談支援室」に来られた方々に呼び掛けて、月に一度小さな勉強会&茶話会が開かれている。会津弁で「あづまっぺ」(集まりましょう)と言う会だ。

その8月の勉強会でスピーカーを頼まれた。何で私が?と言ったが拒否権はないという。たまにはがんと全く関係ない話、「山本八重さん」の話でも聞きたいという事で白羽の矢が立ったらしい。

私の話なんか聞きたい人いないでしょう?と、言いながら当日が来た。

関係者含めておよそ10人。「八重さんと捨松さんのこと」を並べて、なんとなく話した。およそ50分。

最後に、このところ私の周りでがんになる人が多く、いろいろ考えさせられることも多いのでちょっとだけ、がんに関する話をさせてもらった。

「がんと闘う」はがんとの一騎打ちの姿勢、「がんと向き合う」は大事、そこには受容と諦観がある・・・。

もうひとつ加えて、今の医学の進歩の中で「がんと対局する」と言う姿勢もありなのではないか?と思うところを話してみた。

囲碁や将棋の対局のように、相手がこうきたらこう打つ、常に考えられる最善の手を打っていく。その最善は「治る」という一つ手だけではない。

だって、手遅れで治らない時だってある。完治が難しい困難なタイプのがんになってしまう事もある。その際の最善は「自分らしく生き抜く」という一手だ。

信頼できるドクターはじめ、医療者を援軍に、サポーターにして、自分なりの闘い方を自分が選んで一手を打っていく。まさにがんとの対局だ。

がんに絡めとられてしまうのではなく、がんを受け止めて、敵を知り己を知り、人生を見つめる冷静さが必要だ。

友は、この夏に病状が悪化し、立てなくなった。

手術の後の化学療法、一回目の好成績にファイト満々で臨んだ第二ステージ。想像以上の副作用に苦しめられた。

猛暑の中、みるみる体重が落ちてがんと闘っているのか、抗がん剤と闘っているのか分からないような状態に陥った。

余命としっかり向き合う事がないまま、ひたすら戦い抜いて気付いたらすでに動けないという状態に陥っていた。

誰が悪いというのでもないが、対局戦の姿勢を伝えられなかった悔いは少し残る。

闘って、闘って戦い抜いたその姿勢は尊い。しかし一方で、たとえ余命は短くなったとしても、小康を得る短い夏を選ぶ道はなかったか?

もう少し早く抗がん剤の苦しみから逃れ、小康を得ていろいろなことに彼なりの決着のつけ方があったのではなかったか?との思いもある。(そんなことが果たして出来たのかどうかも分からないが・・・)

当然ながらそんな彼の話はしなかった。が、「がんとの対局」という、がんとの新しい対峙のあり方を提起させていただいた。

どう響いたかは全く分からない。だって有難くも、がんになったことのないこの身だ。

「勝手なこと言って・・・」と思われたかもしれない。でもまぁ、心は尽くして話したつもりではある。

最後にユーモアの話をするつもりだったが忘れた。

『ユーモアとは、にもかかわらず笑う事』そして『ユーモアとは最もつらい時に発揮されなければならないものだ』という言葉。

どんな苦しみの時も笑顔は、自分だけではなくすべての人の悲しみ、苦しみを幾分かは和らげてくれるもの。

笑うことのできる動物は人間だけである。

にもかかわらず・・・・人は笑わなければならない。

2013年8月25日 (日)

若沖の日

「お盆を過ぎっと朝晩は違うがらなぁ・・・」その言葉の通り、会津では朝晩がめっきり涼しくなった。夜もエアコンは要らない。昨夜は窓もしっかり締めて寝た。

あんなに暑い暑いと、文句ばっかり言っていたのに涼しけりゃ涼しいでなんとなく淋しくなる。人はいつも無いものねだりのわがままだ。

日曜は土湯峠を越えて福島県立美術館へ、若沖を中心としたプライスコレクション~江戸絵画の美と生命~」を観てきた。家人の新しいクルマはビュンビュンと小気味よく走る。

夏休み最後の日曜日ということもあってこどもの姿は少なかったが、人気の特別展だけに人は多かった。

江戸の絵師たちは、すごい想像力と大胆な発想、技巧も物凄く巧みだ。中でもやっぱり若沖は図抜けてアバンギャルドだ。

江戸の超・前衛アートと言っていいだろう。

一筆書きのような超シンプルな体に精密な頭と足を持った鶴の群れ。一羽一羽の存在感がすごい。写実的と印象のドッキング、見とれてしまう。

若沖の絵は、数少なかったが圧倒的な存在感、もっとたくさん見てみたいものだ。

なかなか楽しいひと時を過ごした。福島市内で昼食を食べた。

会津になくなって久しい中合デパートをのぞいてみる。何とまぁクラシックなデパートだろう!

福島の人々に愛されてきたのは良く分かるけれど、その支持者もどんどん高齢化しており、品揃えが難しいというのがよくわかる。

帰りは高速でビューんと帰って来た。ちょっと飛ばしすぎたかもしれない。

で、24時間テレビを見ながら、また泣かされた。聴覚障害のこどもたちが踊るタップダンス、感動的、こどもには泣かされる。

うつらうつらしている内に、若沖の白い像の夢を見た。。。。

気が付けば外はもう夕暮れ、さてとそろそろ一杯やりますか?

2013年8月20日 (火)

悲しみの淵

「友達同士であっても深い悲しみを分かち合うことはできない。僕らにできることは、友人が喜びの絶頂にある時に一緒になってその喜びを分かち合うことだ・・・」こんなような言葉を、遠い昔に聞いたことがある。誰の言葉だったろうか?

確かに人を思いやることはできても、人の悲しみの本質に触れることはできない。

笑い合い楽しく、無邪気に喜びを分かち合うことはできるけれども、悲しみの淵は覗き込んでも深くてとても見えない。

晴天の空がにわかにかき曇りゲリラ豪雨が襲う様に、いきなりの悲しいニュース。

昨日まで笑っていたのに、今日はもうその目を開くこともない・・・友人の奥さんが突然この世を去った。

「大丈夫か?」そのひと言しか出なかった。

ご焼香をする間中、隣に座った友人の膝はブルブルと震えていた。

何の言葉もかけることが出来なかった。

ただ、涙がこぼれた。可哀そう?悔しい?悲しい?なんだか分からないが二つ合わせた自分の手がにじんだ。

友人が悲しみの淵に沈んでいるのに、大丈夫か?もないもんだが、本当にそのひと言が精一杯だった。

馬鹿笑いして、よく飲んだよなぁ。あの頃・・・。

♪あなたがいれば、ああ、あなたがいれば 日はまた昇る この東京砂漠~♪ 君の十八番。

緑豊かでつややかな、この会津の地も、しばらくは君にとっては味気ない砂漠みたいなもんだろう・・・・。

何時になるか?

その震えが止まったなら一杯飲ろう。それぐらいしか言えないよ今は。

2013年8月17日 (土)

昭和43年度卒

お盆の最終日、会津若松市立第一中学校の昭和43年度卒業の同窓会が開かれた。

当時の一中はひと学年が9クラス、ひとクラスに54,5人はいたから500人近い卒業生がいたことになる。その中の141名が集ったのだからなかなかの出席率だ。

なぜこうした大きな同窓会が開かれたかと言うと、この学年が昭和28年生まれ、本年目出度く還暦を迎えることになるからだ。還暦記念の同窓会になる。

各クラスの幹事の呼びかけによって、所在が判明している人、全員に案内が出された。中にはどうしても所在が分からない人、物故者もすでに数名がいる。

関東圏、東北各地から、遠い昔のイガグリ少年、オカッパ少女に会ってみようとこれだけの人が集まったわけだから、それだけでも喜ばしいことだ。

卒業以来45年、生物学的に個体差と言うのは結構大きなものがあるなぁ・・・と改めて感心する。

きっと私に言われたくはないだろうが、「あの人が同窓生?先生じゃねぇ?」と言うような方から、髪を金髪に染めたロックンロールな中年おじさんまで実にさまざまだ。

恩師は6名が参加してくださった。我がクラスのT先生は、御歳とって83歳になられる。ほとんどの先生が80代前半、かくしゃくとした方から、少しくたびれた方まで、こちらの方も様々だ。

司会は現・若松第一中学校校長のKくん、時は巡り、偶然にも還暦の歳に我々の同窓生が校長先生となって戻って来たのである。

全員で還暦のお祓いを受け、記念写真を撮り、祝宴と相成る。

我が恩師T先生が、乾杯の音頭を担当。「あなたたちを受け持った時は私たちは30代、教師として脂ものってきて一番楽しい頃で、私たちにとっても青春の日々だったんです」と声を潤ませると、会場からは「ガンバレー」の声が響く。

宴会の幕が開くと、誰もがじっと座って居られず料理もそこそこに席を立つ。

「え~、あーっ!ホント?」などいくつもの驚声、歓声が会場にこだまする。

宴会時間はたっぷりと2時間、それでも回り切れなかったと惜しむ声が上がるほどだった。

私はあまり歩きまわらずに、来る人毎に乾杯をした。そして、私の変貌ぶりにびっくりされた。

和やかに、ほんのりと酸っぱいような空気の中で同窓会は、お開きの時間となった。その後は各クラスごとにそれぞれ二次会へと夜の街に散って行った。これでもう二度とは会えない人もいるのかもしれない・・・・。

人生60年、皆それぞれに背負ってきたもの、乗り越えてきたものは違う。

深く刻まれたしわ、薄くなった髪、曲がった腰、抜けた歯、それぞれの60年の顔の底に15の顔を宿している。

じっと見つめると遠い遠い日の思い出が、じんわりと、浸み出すように蘇ってくる。

とにもかくにも、ここまで生きて来て、おめでとうだ。

『人は年月で老いるのではない。希望を失ったときに老いるのだ』とは、恩師代表W先生からの贈る言葉。

また、ここからの一歩だ。まだまだ夢と希望を携えて、健康第一で人生を大いに楽しんで行こうではありませんか。

これまでよりはちょっとだけ肩の力を抜いて、まだまだ頑張りましょう、我が御同輩!

2013年8月15日 (木)

どんだけの情熱?どんだけのお金?

徳島のお話が続きます。

会津を立った翌日、夕方には阿波踊りを踊る日。猛暑日の中いかに体力を温存しましょうか・・・?などと言う事を考える人は全くいない。

H先生、O先生は教授たちとこの暑い中、なんとゴルフへ。研修医たちは吉野川の急流を下るラフティングに挑戦、早朝から繰り出して行った。

白クマ体質の私は暑さに非常に弱いので、K先生にお付き合い願い、一度は行ってみたかった「大塚国際美術館」に行くことにした。

徳島へは何度か来ているが、行くチャンスのなかった世界的にも珍しい美術館だ。

元来、野獣系のK先生は本当はラフティングで大騒ぎしたかったのだろうが、私を一人でほっぽらかすのもかわいそうと思ったのかレンタカーの運転手までして付き合ってくれた。感謝。

鳴門海峡に近い山をくりぬいて作られた大きな建物、大塚の名の通り、徳島に本社のある大塚製薬グループによって作られたドデカイ美術館だ。

中には世界の名画が展示されている。何が変わっていると言って、その絵がすべて複製(と言ういい方が正しいのか?)原寸大の陶板画なのだ。グループ企業の製陶会社が世界屈指の技術で焼き上げたもの、当たり前だが本物そっくりだ。

その数がまたすごい、1000点を越える。

入場料も一般3,150円となかなかの金額、時期も時期だけに人で溢れている。

エントランスホールから入るといきなりの巨大壁画、バチカン宮殿システィーナ礼拝堂の天井画、かのミケランジェロの大作がドカンと姿を現す。

「ほー、こりゃすごいや!」と思わず誰もがうなってしまう大迫力だ。

20年ほど前に本物を見ているが、負けぬ劣らぬ威圧感を感じた。

そこからスタートし、古代の壁画、中世のフレスコ画、ルネッサンス、バロックの名画などなど、一度は美術の教科書で見たことのある絵画が圧倒的な数で、言葉は悪いがゲップが出るほど続く。

特にルネッサンス、バロック期の宗教画、名画は照明も絵画だけを浮き上がらせるような重厚なもので、圧倒され続ける。

これだけの数の美術品を分類し、何を陶板画として後世に残し、どう展示するか?

どれだけのお金と労力がかかっているのか計り知れない。こんだけの情熱はいったいどこから生まれてきたのだろうか?

オロナミンCとポカリでどんだけ儲けたんだ!と素朴な疑問が浮かぶ、まさに下司の勘繰りであります。

近代、現代、おなじみのピカソやモネ、ダリ、ゴッホなどこれまた教科書に出ていた絵ばっかり。

近代の展示になると、照明も明るく陶板画だ、と言うのが一目でわかる。

個人的には、近代、現代の絵画には本物の持つ迫力が、あんまりうまく焼き込まれていないなぁ、という感じがした。

およそ2時間、充分に堪能しました。K先生お付き合い感謝します。

猛暑の中を市内に戻り、徳島名物の鳴ちゅるうどん、と言う徳島うどんを食す。

讃岐うどんと正反対で全くコシがない。この徳島うどんはあったかい汁とよく合い、食べると結構病み付きになる、という事を翌日帰りのタクシーの運転手さんから聞いた。

それなのに二人して暑さに負けてざるうどんを食べてしまった!どうりであの弱冷房の古びた食堂で、誰もが当然のようにあったかい徳島うどんを食べていたわけだ。軽く失敗。

夏でもざるうどんというメニューは無し、にしておいてもらえばよかったのになぁ・・・。

そののち、阿波踊り会館で、手ぬぐいや、巾着など不足品を買い求め、K先生は早々とお土産を大量に送り、いよいよ!!阿波踊りに備えた、というわけでした。

2013年8月13日 (火)

ありでしょうか?

四国徳島の阿波踊りは8月12日~15日にわたって繰り広げられる。期間中、百数十万人の人々が徳島を訪れる。

何度か徳島には行ったが、阿波踊りの期間には行ったことがない。阿波踊り会館で素晴らしい踊りを観たことはあるが、もちろん踊ったことはない。

そんな私が、練習もなしに、演舞場と言われる有料桟敷席の間を踊ったりしていいものなのでしょうか?きっと、いけない!と叱られるに違いないが、もう踊ってしまったのだから仕方がない。

研修医師の卒業旅行で毎年、徳島の阿波踊りに行っている。それも観に行くのではなく、れっきとした徳島医大の連に加わり踊りに行くのである。

今年は引率含め総勢13名。8名が研修医だ。

ゆかたも着れない帯の締め方も分からない。(私も含め)そんな初参加が10名。言われるがまま大学に集合、白足袋、パッチに浴衣、手拭いで一応の恰好はしているものの、どうにもバカボンのパパ的な感じ。

教室にはプロの着付けの方がいて、しっかりと締め直してもらい、何とかバカボンレベルは脱出した!

久々の教授と握手を交わし、「さあ、さぁ・・・」と勧められ、寿司にピザで腹ごしらえ、ビールはもちろん日本酒も並ぶ。N教授は「まさひろさん、せっかくだから」と、とっておきの赤ワインまで開けちゃう。

「こりゃぁ、美味い!」と思わずうなると何本も開けてくれる。美味いが、ここはゆっくりと赤ワインを楽しんでいる場合じゃぁない。

予定ではこの後、校内の道路で阿波踊りの練習があると聞いていた。ところが「あ、今年は無しで真っ直ぐ行きましょう、時間も押してるし・・・」

えー、そんなこと言われても踊ったことも、なにもないのに無理でしょう?と、思うが院長以下すでに酔っぱらっており全く平気、ガブ飲み状態である。

教室を出る前に、「じゃあ、しゃないな」と、若い先生がほんの3分ほど指導してくださった。

二拍子で手と足一緒に代り番こに、こうやってこうやって出すだけ、超簡単、後は笑ってればそれでいいいですよ・・・そんなぁ?!

バスは足早に市内中心部へと向かっていく。

やがて南内町演舞場に到着。周囲は人でごった返している。

この演舞場は映画「眉山」のロケ地として有名、あの美しい松島奈々子さんが踊った場所だ。

もちろん有料の演舞場です。こんなところで私らみたいなド素人が踊ってええんかいな?????と、大恐縮、大緊張、しているのにN教授曰く「まさひろさん、最前列で踊らないいかんわ!」と腕を引っ張る。この時ばかりはご無礼ながら逆らいたくなりました。

しかしまぁ、そういうわけにもいかず「え~、え~!??」と言いながら会津娘をラッパ飲み。覚悟を決めてもう踊るしかない。踊り込んだら100メートルほど最後まで絶対にやめられません!!!

でも楽しかったなぁ。いい経験させてもらいました。にこにこ(ニタニタかな)笑いながら手と足一緒、腰をおろして変わり番こに出すだけでも、結構大変なんだこれが。

ま、罵声を浴びることもなく、拍手なんかもらったりして。おまけに持参した赤ベエうちわを見て「あっ、会津だ!」と声をかけてくれる人まであり、感動してしまいました。最高!

汗びっしょりになり、これで終わりかと思ったらまた歩いて別の演舞場へ。また踊るのだそうです。本当にこんなことが許されるのでしょうか?

でも結局また、大盛り上がりになってしまい。赤ベエうちわは見ていたこどもあげちゃった。

踊る阿呆に見る阿呆とはよく言ったもので、まさに踊らにゃ損損、の阿波踊りであります。

街全体が熱狂に包まれ、いたるところで様々な連が、すごい踊りを繰り広げる。人人人人、人の波、それが全員が笑っている、これぞ日本の夏のてっぺん、阿波踊りおそるべし!!

しかしまぁ、楽しかった。

ベースキャンプのお店には、徳島市の職員の方々がご来店、鉦を叩いて店内で踊りまわって、にわかに踊りの指導。ま、今さらご指導いただいても、もう遅いんですけど、とは思ったがやっぱり楽しい。

本当にこんなことありなんでしょうか???と何度も思ったけれど、すべてを楽しく受け入れてくれてサービス精神満点。どこに行っても楽しい一夜、こうして阿波踊り最高でしたの巻は、一巻の終わりと相成ったのでございます。

2013年8月11日 (日)

優しい猛暑

猛烈な暑さの西日本、特に連日40度越えが伝えられる四国四万十、その近くの徳島に行って来た。

いやー、本当に暑かった。

新幹線からモノレール移動の東京は、ホームに出るたびに物凄い輻射熱と言うか、室外機やビルの反射など都会のいろいろなものが入り混じった暑さだが、徳島空港に降り立ったら、ひたすらシンプルに暑い!36度。

空港前では四国大学の阿波踊り連が賑やかにお出迎えだ。暑さから逃げ込むようにタクシーに乗り込むと、これまた暑い。

「エアコン強くしてください」「これだけ暑くてクルマが黒いと、停まっとったらエアコンなんかよう効きません。走ったら効いてきますから・・・」と運転手さんが当然のように笑って言う。

確かに長い直線道路をしばらく行くと、少し冷たい風が吹き出てきた。真夏の四国のクルマのエアコンは、停まっとったら効きません。

うどんを食べて鳴門のうず潮を見に向かった。調べるとこの時期は大潮の塩梅がちょうどいい、時間は少しズレたがベストタイムの85%ぐらいの大渦は見れそう。

観潮船に乗り込む。

もう4時頃の陽の傾きだが、船着き場、船のデッキ、いたるところが暑い、暑い。短パン、Tシャツに、帽子、それがこの時期の正装であると思い知る。

船上ではO先生が、缶ビール片手に(朝からずっとですけど)ひとしきり盛り上がる。「楽しいなぁー、楽しいなぁー!」

いよいよ鳴門のうず潮だ。学生時代に山の上から見たような記憶がうっすらとあるが、今回は船上。穏やかな水面から引き込まれる様にして急激に潮がぶつかり合って渦となる。なかなかの迫力だ。

エドガ・アラン・ポーの小説で、大渦に巻き込まれ、あまりの恐怖で助かった時には髪の毛が真っ白になっているという話があったが、こっちはすでにヒゲまで真白である。

逆巻く波、グイイッと引き込まれる様にしてできるうず、阿波の鳴門の名物だ!全員拍手でありました。

タクシーは一路、徳島市のホテルへとチェックイン。今日の晩餐は「阿波お鳥」と言う、ダ洒落丸だしの名物地鶏の焼鳥屋さん。

駅前の店まで歩いて行くだけでまたも汗まみれとなる。これぞ猛暑、これに比べれば会津の猛暑のなんと優しいことか・・・・。

美味しい焼き鳥、食べて飲んでまたも大いに盛り上がる。朝から一体どれだけ飲んでるんでしょう…いまだ一人も潰れず。

いよいよ今日の予定も最後です。

徳島ではずっとお世話になって来た名店「○ャ○○ン」へ。Aママとは昨年秋に会津に来られて以来のご対面。休みの日曜なのにわざわざお店をあけて待っていてくれました。

「在徳の間、迷ったらここへ!」が合言葉。みんなで確認中に一名熟睡モード突入。

かくして徳島初日の夜は暮れて行きました・・・と言いたいところだが、せっかくなので徳島ラーメンを食べようという追加メニューが組み込まれ、人気の名店「東大ラーメン」へ。

11時を過ぎているのに店頭には10人ほどの人が列を作っている。行列してまで食べる、いったいこの人たちの胃はどうなっているのでしょう?

「徳島ラーメン」これは全く食べたことのないお味でありました。

濃厚な醤油豚骨のようで、それだけではない複雑系。小ぶりの丼にスープは思いっきり濃く淹れた番茶ぐらいの茶色、もちろん脂こってり、ストレート細めん、チャーシューではなく煮込んだ味の濃い肉とネギ、シナチクが乗る。

「こってり、あっさり、普通」の三種類の中の普通を頼んだが、充分にこってり。

テーブルには赤卵がアルミの容器に盛ってある。この生卵を割り入れて、かき回してマイルドにして食べるのが普通の食べ方らしい。驚いたことに卵は何個入れてもOK、タダだ。1個投入す。

まぁ、1杯がいくらだったかも覚えていないくらい酔っぱらっていたが(酔っぱらっていたからこそか?)美味かった。

これまでにまったく食べたことのないご当地ラーメンでありました。

全員、満腹のおなかを抱えて爆睡!明日はなんと、あの阿波踊りを踊るのであります。

会津から総勢13名、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2013年8月 8日 (木)

盆近し

T先輩からのお盆ネタ。ご尊父はA様はもう三回忌を迎えるだろうか・・・?

ある晩、いかにもセールスの電話。

『A様いらっしゃいますでしょうか?』 『居ません』 『お出かけでしょうか?』 『お出かけですねぇ・・・西の方へ』 『左様でございますか。何時頃お戻りになられるでしょうか?』 『そうねぇ、お盆には戻るだろうね』・・・・『左様でございますか。それではお盆の頃にまたお電話させていただきます。どうぞよろしくお伝えくださいませ』 『あいよ』

私の父の時も亡くなって三年ぐらいはいろいろな電話がかかって来た。「亡くなりました」と言うとあわてて、「大変失礼いたしました!」と言って電話を切る。

ある時、虫の居所が悪かったのか「死んで居ません!」と言ったら、しばらく沈黙が続いて「あのぅ・・・冠婚葬祭のセールスではありませんが・・・」と、申し訳なさそうに言った。

死んで居ない、を、まだ死んでなんかいないよ!と受け取ったのだろう。「じゃ、なによ?」と聞くとマンションだか土地のセールスだった。

夜遅くまでのセールスも大変だ。相当な時間になっても「夜分失礼いたします」と、疲れたような女性の声で掛かってくることがある。思わず「どうしたの?」と聞いてあげたくなるぐらいだ。

一人暮らしで淋しかったりしたら、話し込んでしまうのではないだろうか?

さて、もうすぐ、あちらの方に行ったご先祖様も、遠くの親戚、友人も帰ってくるお盆だ。今週末からは道路の渋滞も予想されている。

みなさん無事に故郷・会津に帰ってきて欲しい。とかく、いらいら、とげとげしいのは良くない。暑さにいらついても心には余裕を持って欲しい。

緊急地震速報の誤報のニュース。街角インタビューでうら若き女性がにこやかにこんな風に答えていた。

『大きな地震が来るのに間違って警報が出なかったら大変ですけど。誤報で地震が来なかったんだか良かったじゃないですか!』

そう、何でもかんでも攻め立てるのではなく、まずは結果の良かったことを喜ぶべき、そういう心の余裕が必要である。

なかなか出来たお嬢さんのひと言であった。

2013年8月 5日 (月)

中毒

「おめんとこのラーメンの中毒になっちまった!」

この季節なので食中毒か?とドキッとするが、あんまり美味しくてやめられなくなる事も中毒になるという。麻薬中毒のあれだ。

近頃、スマホ中毒と言うのが中高生の間にはびこっているらしい。50数万人とかいう数字が、スマホ依存症の危険!として新聞に載っていた。

中毒という言葉よりは生々しくはないが、なにかに依存している、依存しないと生きていられない(異常をきたす)と言うのは、大変なことだ。

「ギャンブル依存症」などと言うと、なんか気合いが足りないだけで金がなくなればすぐに治るだろう、ぐらいに考えがちだが立派な精神疾患の一つだ。放っておくとどこまでも突き進んでしまう。

スマートフォンを手放せないこどもたち、寝る時間も削って、SNSやゲーム…よくわからないけれど何かをやっている。

大人でも「どうなの?」って思う人も見かける。どこでもスマホを離さずに手のひらの中の宇宙を見続ける。

BARでスマホ握りしめてるってのもいただけない。寿司屋でスマホを握ってるのも変だ。

ゴルフ場に来てまでホールごとにスマホをいじる。スマホをいじって、ティを立て、ボールを置いて打つ、それがルーティーンになっているみたいな人がいる。

ガラ携ならば電話しているかメール見ているかだが、スマホは何しているか分からない。スマホでコースのレイアウトやバンカーまでの距離を確認しているのかもしれないのだ。案外、正しい使い方だったりして・・・。

とても便利でいろいろなことが出来るから手放せなくなるのだろう。そしていつの間にか手放すと不安で不安で正常を保てない、気付かない内にそんなところまで行ってしまうこともあるのだ。

ここまで普及しているのだから、せめてこどもたちには正しい使い方、してはいけないこと、避けるべきことなど、しっかりと教える場面がないと、事件は続くのではないだろうかと老婆心ながら・・・。

広島で起きた少女の奇妙な殺害事件、あれも背景はLINEというSNSなのだという。

いじめやストーカー、詐欺など、様々な犯罪の背景にこの便利な通信機器が深く関わっている。

撮った写真の中に、設定によっては位置情報まで含まれているのだというから驚く。一枚の写真からどこにいたかや、自宅の場所まで分かってしまう、そんなこともあるんだそうだ。

便利すぎて、進歩が速すぎて、正しい使い方&危険な使い方の情報が行き届かない内にどんどん便利が進んでいく。

「はぁーっ?!」という声が漏れるだけだ。

やっぱり中毒はいけません。中毒になるまでのめり込むのは危険です。

「恋愛中毒」ぐらいだったら良いかもしれませんけどね。

会津は梅雨が明けたとみられる、と言う報があったにもかかわらず、明けないように見られる、ようなはっきりしない天気が続いている。

2013年8月 1日 (木)

風の中

S先生の葬儀に出た。若い時分にS先生のクリニックの近くに住んでいたため、何度かお世話になったことがある。温厚で穏やかな先生だった。

しめやかな葬儀の終わりに、奥様の喪主としてのごあいさつがあった。

先生の人柄、ご家族の愛情、周囲の人々の先生に対する尊敬と理解が感じられる、胸打たれる内容だった。

この3月に示された検査結果から自らの病状を診断したS先生は、自分の余命を3カ月から半年である、と家族に告げられたそうだ。

そして、このままできる限り仕事を続け、住み慣れた家から旅立ちたいと堅く心にきめられたという。

ご家族も全員、先生の気持ちを理解し尊重し、万全の支援体制をとることとしたそうだ。

以来4カ月、それまでどおりに診療を続けられ、同時に自分の医師としての仕事の整理もなされた。これからも長くケアの必要な患者さんは、別の医療機関につなぐなどして最善の策をとられたようだ。

7月に入ると仕事はさすがにきつくなり休診となる。

奥様の言葉によれば、医者になって以来はじめて、すべてのことから解放されたのんびりとした自由な時間を過ごされたのだという。

その間に緩和ケア病棟への入院が1度、すぐに退院され在宅にあって医師の往診を数回受け、7月も後半、動けなくなり寝付いてからわずか2週間ほどで静かに旅立たれたという。

捧げられた弔辞にもあったように、まさにお見事な人生だ。

国民の2人に1人がり患し、3人に1人がその病気で亡くなると言われる「がん」。

私も父、母、姉と私以外の家族全員が「がん」を発症している。(姉は現在もいたって元気です)

それを思えば、私にもいずれ・・・という覚悟は必要だろう。

憎むべき病ではあるが、ある日突然にこの世を去ることはない。

早期発見・早期治療が一番の策だ。早期がんの多くはもちろん、治る!

仮に進んでいた場合であっても、医学の進歩はめざましく、今では充分に闘える。

そして、亡くなる場合でも自分がこの世を去るまでのロードマップをある程度(医師や周囲の人々の力を借りて)コントロール、選択できるのもがんという病気の特徴である。

残された時間を闘い抜くか、はたまた、あまり正面切って闘わずに出来る限り現状維持に努めるか、など選択も様々ある。

年齢、仕事、家族背景などによってそれぞれの処し方が変わってくるのは当然、それが「がん」という病気だ。

もちろん、答えは本人にしか出すことは出来ない。それだけに病状に対する正しい理解と情報が必要だ。

最後までその人らしく、その人の尊厳を守って・・・百人百色の答えは、それぞれが見つめる風の中にある。合掌。

会津の梅雨明けは、まぁだです。ザァー、シトシト、ザァーザァー、そして、どんよりを繰り返している。

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