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2013年7月 1日 (月)

決戦のとき

先回の「八重の桜」第26回「八重、決戦のとき」を観て、涙をこらえきれなかった人は少なくなかったことだろう。

西郷邸での女、こどもたちの自刃、白虎隊士のたちの切腹シーン、城には雨あられのように砲弾が撃ち込まれ、会津はボロボロに叩き潰されていく。

あの籠城戦は一カ月に及び、八重さんは城を明け渡す前夜に有名な歌を白壁に残した。

『明日からは いずくの誰か 眺むらん なれしお城に 残す月影』

この敗戦から会津の苦難の歴史は始まる。

藩士たちは斗南に移り、飢えと寒さに苦しめられる。会津地方全体が歴史の表舞台からは遠ざけられ、逆賊の汚名を着せられたまま苦難のときを歩まねばならなかった。

八重さんはその60年後にもう一つ有名な歌を残している。

『いくとせか 峰にかかれるむら雲の 晴れてうれしき 光をぞ見る』

苦節60年、その会津の無念を晴らす慶事が成る。会津松平家の孫娘、松平勢津子さまと秩父宮殿下(昭和天皇の弟宮)とのご成婚である。逆賊の汚名を着せられた会津から迎える妃殿下、戊辰の無念を晴らしたと、会津は喜びに沸きたった。

60年間、会津はどれだけ疲弊したことだろう。どれだけ悔しさの中にあったことだろう。

その昭和3年、会津にもう一つエポックメイキングな出来事が起きた。

手前味噌で申し訳ないが、竹田病院の創業である。

創業者・竹田秀一先生は『最高の医療をすべての大衆に』の高き志のもと、竹田医院を下大和町に開くのである。

そこから竹田病院は、その崇高な理念に後押しされる様に急成長を遂げていく。

「最高の医療を・・・」今の世の中であれば誰もが容易に口にできる言葉かもしれない。

しかし、それを昭和3年の疲弊しきった会津で実現させようとしたことに、尊い志を感じずにはいられない。

勢津子妃のご成婚に湧きかえる会津、祝いの提灯行列が何時までも続くその中で、一人の若き医師がきっと八重さんと同じように心の中でつぶやいたに違いない。

『俺の決戦のときはこれからだ!』

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