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2013年7月

2013年7月29日 (月)

大輪の花

28日、塩川の花火大会に行って来た。正確には「日橋川 川の祭典 花火大会」だそうだ。昔から有名な花火大会だが、一度も行ったことはなかった。(遠くで見たことはある)

ロータリークラブの納涼会として桟敷席を借りて、酒もつまみも付きで連れて行ってくれると言うので家人と二人で参加した。

こういう機会でもないと、交通機関の渋滞や物凄い人出にひるんで、出かけようという気にはなかなかならない。

マイクロバス2台に分乗して家族、ちびっ子たちも含めて41名の参加。16時半に坂下周りで日橋川河畔の会場へと向かう。

途中、いろいろなところで交通規制がされていて、とてもマイカーでは来られないなぁ、と思う。

担当委員長のNくん、並びに委員のみなさんの奮迅の働き、至れり尽くせりのサービスで夏の夕暮れの宴会は始まった。

花火が上がるまでにはまだ2時間もある。ペース配分を考えないとエライことになるな、と心配したが、夏の夕風の気持ちの良さも手伝い、いい塩梅に酔っぱらい、美味しく頂き、あっという間に時は過ぎた。

19時15分からセレモニーが開始され、引き続いて打ち上げとなる。

思えばこんなに近くで花火を見るのは、30年近く前に、芦の牧の旅館の屋上で寝転んで見た花火大会以来だ。

日橋川の対岸から打ち上げられるのだが、大輪の花火はまさに頭の真上で破裂するような大迫力だ。

人で埋め尽くされた会場からは大きな歓声と拍手が巻き起こる。

このところの会津は梅雨も明けずに非常に不安定な天気が続いた。

前日には東京の隅田川の花火大会も途中で中止になり、今年は多くの花火大会がゲリラ豪雨で流れている。

この日を迎えるまで関係者の苦労は相当なものがあったようだ。河川敷に砂と重機を入れて突貫工事での整備、あの降ったりやんだり土砂降ったりの中、ここまでの準備は本当に大変だったようだ。

来賓あいさつの誰もが、開催できることを喜び、関係者の努力を褒め称えた。

いよいよ始まり、打ち上げ時間はおよそ1時間、様々なパートに分かれて4万発以上の花火が会津の夜空を彩っていく。

AKB48のオープニング、喜多方キラリ博のイメージソングに乗せて、また今年ならでは「八重の桜」のテーマソングに合わせた花火、と趣向を凝らしたプログラムが続く。

中国花火のコーナーは、やはり日本の花火とはひと味違う。中国花火は音が重要、強烈な爆裂音、夜空を駆け上がる竜のようなヒュルヒュル音が響き、夜空は花火とともに轟音に包まれた。

そしてエンディングの美しい和の花火。降水確率50%にもかかわらず、ポツリとも雨は落ちることがなく花火大会は大迫力で終了した。

帰路は案の定大渋滞・・・とは言っても塩川を抜ける間の30分ほどかなぁ。後はすいすい、市内に入ると日曜の夜は恐ろしいほどに静まり返っていました。

なかなか良かったなぁ~、花火大会!

2013年7月25日 (木)

激励

会津高校同窓会の新城会長が所用のため、代理で全国大会に向かう陸上部、端艇部に激励金を手渡すというセレモニーに出席してきた。

近頃の高校生は、本当に真面目で爽やかに見える。受け答えもしっかりしているし、感謝の言葉もしっかりと述べる。

我々の頃は(私は、なのかもしれないが)、「あっ、はい。どうも、ありがとう、、ございます」ぐらいが関の山だった様に思う。

野球の大谷くんを見ても、藤波くんにしてもとても高校を出たばかりの18歳とは思えないしっかりとした受け応えをする。何が違うのだろう?

私も激励のあいさつをしなくてはならない。返ってこっちの方がおろおろしてしまう。

朝、出がけに水泳の鈴木聡美選手の話題をたまたま見た。鈴木選手はロンドンオリンピックでメダルを3個も取る活躍を見せた夏目雅子さん似の美人スイマーだが、何よりもその笑顔が爽やかだ。

そんな彼女だが、それまでは成績が振るわず、自分の出場した試合のビデオを全部見直したそうだ。

そこに映っていたのは緊張のこわばり、力の出せないがちがちの自分、がっくりとうなだれる姿、どこにも全く笑顔がないことに気付いたそうだ。

そこで極力、普段の生活から笑顔を心掛けるように努めたのだという。

そして、ロンドンオリンピックの時には爽やかな笑顔で入場して来て、素晴らしい成績を残した。おまけにその笑顔の素敵さが日本中の話題にまでなったのである。

笑顔の力は大きい。無理やりにでも笑うことでマイナス思考から抜け出すことが出来る。笑えない状況だから笑わないのではなく、笑えない状況だからこそ笑うことの方が大切なのだ。

ま、そんな笑顔の力で緊張を解きほぐし、自己ベストの戦いができるように!そして最後の最後まで力を抜かずに頑張ってくれるように激励をさせていただきました。(自分でもちょっとエラそう!と思ってしまいましたが・・・)

高校生活最後の夏となる三年生も多い。全国大会は西の地方とのこと、猛暑に負けず、プレッシャーにも、自分にも負けず、最高の夏を楽しんで来て欲しい!

「フレー、フレー、会津!」

2013年7月24日 (水)

阿吽

友人のYくんは、奥さんを「さん」付けで呼ぶ。家人と漢字は違うが同じ音のお名前だ。

彼は酒を飲まないので、お二人はいつもよく話す。仲良く出かけた話もしばしば、時々お土産まで買ってきてくれたりする。

実に仲睦まじいご夫婦だ。(本当に)

そのYくんから「やっぱり、男と女は根本的に違うんだから・・・」と諭された。

この歳になっても時々家人と意見がぶつかり、少々険しいムードになり頭に来たりすることがある。そんなこんなをポツリと愚痴ると、なんとYも「ウチだってそんなのしょっちゅうだ。何でそういう風に考えるわけ?って思うよなぁ」というではないか。

全くケンカなんかしないように見えるご夫婦だが思わぬ反応。

『なんだ、夫婦なんてどこも同じなんだ、お宅もあるか!』とちょっとホッとしたような気分になった。

さらにYくんは言う。「女の人は、俺たち男みたいに大雑把には考えない。この違いはしょうがねえもんなぁ」

すでに二人の息子が所帯を持ち、孫も大勢いるその道の先輩だけに説得力がある。

息子の嫁さんとの関係や親戚付き合い、とその距離感、考え方には女性特有なものがあるという。

「そんなの構わねべした。気にすっことねぇ、なんて言うのは男の論理、女性には女性特有の考え方があるから尊重しないとダメだ」とご高説。

間もなく還暦を迎えようというのにそんなことも分からないのか!と笑われそうだが、日々一緒に暮らしていると何でもかんでも阿吽の呼吸で分かるような(分かっていてくれるような)錯覚に陥る。

しかし、夫婦はもともと赤の他人なのだ。

夫婦間の阿吽の呼吸というのは「何でもかんでも俺の考えを分かれ!」というのではなく、「あなたと私はこういうところが違うけれども、お互いを尊重し、にわかり合って、譲り合ってこうしましょうね」と言うのを、いちいち細かく討論などせずとも互いに飲みこめるような間合い、呼吸のことを言うのだ、と改めてお勉強になりました。

いわゆる、察するというのが大事なんだなぁ。

嫁と舅のお付き合いをもう数年にわたり、眺めてきた経験者ならではの達観と言えよう。

「俺は、多少ムッとすることがあっても、聞き流すことにしてるんだ。はい、そうですかって奥さんを認めないとどうにもならないでしょう。だって、いろいろやってくれるのは結局、奥さんで自分は何もしないんだから・・・」と、Yくん。

「いや~、僕はなにもしないわけではないんだよ…」と少し反論したかったが、結果的には奥さん頼りであることは目に見えているので納得して口を噤んだ。

「ま、いずれお互い偉そうに言っても、奥さんがいないとどうにもならないんだから、折れるのは俺たちでしょう。 そして今でしょう!」だな。

会津は梅雨空が続いているが、少し心の靄が晴れたような・・・。「ごめんね」とひと言を心の中でつぶやいた。

「口に出して言わなきゃ言ったことにならない!」日頃、他人には説教しているくせにねぇ・・・これまた困ったもんだ。

2013年7月21日 (日)

ひこうき雲

ネット上には読者や映画を観た人、様々な問題に関心を寄せる人々が自由に意見・感想を書き込めるユーザーレビューと言うコーナーがある。

ここで話題になって盛り上がったり、火が付いてブームになるなんてこともあるのだ。

書籍や映画、また旅館・ホテル、食事処などのレビューはよくのぞいて参考にさせてもらう。

でも、あくまでも参考だ。

「ああ、こんな風に感じたり、考えたりもするんだ・・・」と思いもよらない意見に会うと、人は本当にそれぞれなんだなぁ、と改めて思う。

すごく良かった映画や本などに出会うと、嬉しくなってレビューをよくのぞく。すると存外、ケチョンケチョンにけなしている人もいたりして「へぇ~」と思う。

ジブリの新作、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観た。

とっても良かったと思う。☆をつけるなら4つはつけるなぁ、私なら。

零戦の設計者・堀越二郎氏と作家・堀辰雄氏、そしてもう一人、タバコの大好きな宮崎駿監督自身を隠れたモデルにした大空と飛行機、戦争と純愛の物語だ。

一つ一つのシーンが、ロマンとセンチメンタリズムに溢れている。二郎と菜穂子の純愛にはホロリときた。

声優にエヴァンゲリオンの監督・庵野英明氏を起用している。とても味わいのある声で、初めは変わった声だなぁ、と思ったがすぐに二郎に溶け込んだ。

とてもいいと思ったがレビューでは『最低、最悪、独りよがり・・・』など、ひどい言葉が並んでいた。

いやいや、そんなことはありません!と、思う。

「となりのトトロ」のお父さんにコピーライターの糸井重里氏を起用したように、宮崎駿監督は凡人には思いもかけない声で、アニメに鮮烈な生命を吹きこませる天才だ!と感心する。が、書き込みをした経験はない。

二郎の愛する人も、情熱を傾けた零戦も一機も戻ってはこなかった。

しかし『風が吹いてきた。あなたは生きることを試みなければならない』直訳すればこのような詩の一節が、堀辰雄という一人の人間を通り抜けるとこんなにも美しい日本語に生まれ変わる。

『風立ちぬ いざ生きめやも』

そして、まるでこの映画のために作られたような名曲、荒井由美の「ひこうき雲」。

この美しい曲を会津と郡山を結ぶ磐越自動車道で、何度も何度もリフレインして聞いた。

♪ 空に憧れて 空をかけてゆく あの子のいのちは ひこうき雲 ♪

やっぱ☆5つにします。

2013年7月17日 (水)

沸騰

中国のマカオは沸騰の街だった。中国経済の沸点がここにあるように感じられた。

次々と建ち並ぶ巨大ホテル(現在進行形)、数軒だったカジノは現在60を超し、その売上金額はあのラスベガスを越えたという。

埋立地のマカオは、この30年で面積が倍になったという。そして、その埋め立てはさらに進められている。

街中にあふれかえる観光客、そのほとんどが中国本土を中心とした中国人、アジア系の人々だ。欧米系の観光客はほとんど見られない。

世界最大の客室数を誇るホテル、そのグラウンドフロアにあるカジノは東京ドームよりも広い。

チャイニーズマネーの沸騰ぶりを如実に物語るのが、各ゲームテーブルに示されている最低ベット(賭け金)だ。

ほとんどが1000香港ドル(およそ13000円)、チップ一枚がその値段、低いテーブルでも5000円ほどで、とても我々が気楽に遊べる金額ではない。

短パンTシャツの若者達が、何十万ものチップをバカバカ張っている。

カジノは好きでいろいろな国のカジノに行ったが、マカオは正直つまらなかった。

歌と踊り、音楽、酒、美女と粋な男たち、そうしたエンターテイメントな要素がまったく感じられない。

所構わぬ大声と嬌声、お金だけが飛び交っている雰囲気だ。

いくらお金が動いたからと言ってラスベガスを越えたとはとても言えないのではないだろうかと想像した。(ラスベガスには行ったことがないので)

マカオにあるマカオタワーは、バンジージャンプのタワーだ。500メートルを越えるタワーの上からの墜落感を楽しむ。

その1回料金が日本円で5万円を超す。そんな大金を払って若者たちが次々と飛びおりる。上空500メートルのテラスを歩く空中散歩も2万円近い。

もちろん、もらっても絶対にやらないが、信じがたいことに人で溢れているのだ。

ほんのちょっと覗いただけだが、確かに中国の経済は物凄い勢いで沸騰している。しかし、登った坂道はいつかどこかで下りに転じるだろう。これは歴史の必然だ。

あれだけのものが弾けたら一体世界はどうなるのか?空恐ろしいような気さえした。

マカオはどんどん海を埋め立てて膨張している。その埋め立て資材は人間の欲望だ。

きらびやかなネオン、飛び交う札束・・・海に突き出した滑走路をどこまで走っても決して「真の豊かさ」までは届かない・・・。

酔眼にはそんなイリュージョンが映った。

いい塩梅の湯ざましで、身体に優しいさ湯のような会津に戻り、ほっとしています。

でも、楽しかったなぁ、10名の御同輩お世話になりました。ありがとう!

2013年7月15日 (月)

トントン!

自分でもかなりの晴れ男だと思っている。

もちろん人間一人の力で天候が動くはずもないが、何時、いかなるところに旅行しても概ね天気には恵まれる。

雨のパシフィックホテルで淋しく夏空を恨んだような経験はない。

その日も台北行きの便は台風の影響で午後から欠航が決まっていた。しかし、我々が乗る10時40分の便はギリギリに飛べるという。

前日会津から来た還暦旅行グループ総勢10名。

半ばあきらめかけて「北海道いくべ、近くの温泉でも行くか」などと勝手気ままな事を言っていたが、一転、揚々と機上の人となった。

台風を先回りするかのように台北へ。2時間のトランジットでさらに逃げるようにマカオへ。そこは快晴夏日であった。

翌日は夏風の中でゴルフ&観光、我々が楽しんでいる間に台風は台北を直撃したそうだ。亡くなられた方まで出たとか、ご愁傷様です。

台北戻りの便は台風の影響で2時間ほど遅れた。(これが唯一の台風の影響、これで文句を言ったら罰が当たるだろう)

台風一過の台北は快晴・夏日。

強風でコース内に飛び散った木々の整備でスタートが30分ほど遅れたが、御蔭で台北の英雄・徐阿玉プロと会って写真まで撮ってもらうことが出来た。

翌日もドピーカンの中を帰国、日本は実に涼しかった。

かくして雨男を自認するTくんを凌駕して、私の晴れ男ぶりが面目を施したわけだ。胸をトントン!

だが、実は全員が腹の中では「俺が居たからだ、ぐらいに思っている」

60年間、自分を貫き、健康にも恵まれ、これほどハードで楽しい旅行が出来た。

お金と暇も周りの理解も必要、それを想っただけでも「感謝!」の一言だ。

無事に還暦のここまで来れただけでも運のいい人間の集まりと言って過言ではないだろう。本当に10名のパワーで台風を乗り越えたのかもしれない。(だって吹き返しの強風もなにもなかったのだから・・・・信じられない)

晴れ渡る機上から見渡す茜雲、まぶしい太陽に思わず感謝気持を捧げつつ「スミマセーン!赤ワインもう一杯ください、大盛りで」

嬉しいのは分かるけど、Tくん&Tちゃん、もう6杯目なんですけど・・・。(--;)

2013年7月 9日 (火)

すぐやる課

どこぞのお役所にすぐやる課、というのが出来たというニュースがあった。(もうだいぶ古い話だが)

住民からの声があれば、うるかさずに、すぐに対応、検討する。何でもかんでも必ず出来るわけではないが、放置しないで、出来るはできる、出来ないはできないと即対応するサービスだ。

「うるかす」は会津弁で、水やお湯にひたひたと浸しておくこと、乾物を戻したり、食材を冷やしたり水に漬けて置く事を言う。そこからしばらくの間放って置くことを「うるかす」という。

<例文> 「あの方から問い合わせが来ています。例の件はどうなった?と言ってますが」「さすけね、適当なこと言ってうるがしとげ、その内に忘れっちまうべ」

問題なのは、うるかしたわけでもないのにいろいろなことを忘れてしまう事だ。

近頃は、「あ、そうだ!」と思い出したことがあったら、すぐその場で対応することにしている(出来る限り)。

思い出した事があったら、すぐに電話を入れて置く。または、あ、あれをカバンに入れて置かなくては、と思い付いたら、今やっていることを中断してもまずは入れる。まさにすぐやる課だ。

そうしないと「あっ、そうだ!」と、せっかく思い出したのにまた忘れて思い出した事が活きない。「あっ、そうだ!」を繰り返すことになる。

すぐにメモっておくのも大切。それもしっかりと4W1Hぐらいは記してメモっておかないといけない。しばらくたってメモを見ても「何だっけ、これ?」ということになる。

人の名前と生年月日、一体これは誰だった?特に宴席のメモなど記憶が吹き飛んでしまう。

誰誰にこういうことを頼まれ、いつまでにこうしたい。いつ誰と何をどうする、せめてそのぐらいはメモらないと後で厄介なことになる。

『歳をとった』は、言いたくもないセリフだが、それで片づけてしまわずに、それ相応の対処法を工夫することは大切だ。

先日、領収書の再発行を求めてきたたおばさんが、金額が違うとブチ切れた。千円の位の6と8が違うと言ってきかないのである。

こちらには書類もあり、なくした領収書の控えもあるのだからそれに間違いはないのだが、絶対に自分の記憶が正しいと譲らない。

あのお歳でよくもそこまで自分の記憶を信頼できるもんだなぁ、と逆に感心してしまった。結局、私が折れればいいんでしょう・・・と、言う感じで帰っていったが全然納得はしていない。

あそこの引き出しに間違いなく入れたはず。はっきりと記憶があるにもかかわらず、それが2階の戸棚から出てきたりする。

日常茶飯事。

自信喪失はいけないが、小さなことは大らかに。頑迷に言い張らずに、「あっ、俺の記憶違いかなぁ・・・」と、柔軟にに折れる。

そして、すぐやる課の精神が必要な、この頃の私なのである。

2013年7月 8日 (月)

うん、どうでしょう?

久しぶりに会ったTくんは、少し腹周りがすっきりしていたが、脂っけが抜けたようなパサッとした印象を受けた。

いつものギラギラした「タフガイ」の感じがしなかった。

聞くと糖質カットダイエットをやっているという。炭水化物抜きのダイエットよりもきつそうな食事制限だ。日本酒、ビール、ご飯などの炭水化物はもとより、糖質を含んだものを一切(極力)食べないらしい。

じゃあ、いったい何食べるの?と思ってしまうが、野菜に果物、肉は大丈夫なのだそうだ。しかし、どう見てもパワー不足になりそうだ。

三日であっという間に3キロもやせたという。関係ないかもしれないが、いつも寝ぐせで突っ立った髪の毛も、妙にペッタリとしていた。足も細くなったという。

先だってラジオ体操の講演をしてもらった中村格子先生によると、食べないだけのダイエットは危険、運動と食事制限を上手に組み合わせないとかえって太りやすい身体になってしまう!とおっしゃっていた。

一気に食事(カロリー)の制限をすると我々中高年は脂肪よりも先に筋肉が落ちてしまうのだそうだ。筋肉が落ちて、それから脂肪が落ちる。それじゃダメだ。

筋肉が減ってしまうと基礎代謝が落ちるので、結局は燃焼効率の悪い体になる。いわゆるリバウンドの際にはどんどん脂肪が付き易い体に変化してしまうのだという。

『歳をとった』は口にしたくない言葉だが、筋力の衰えが進んでいるのは自覚できる。

朝歩きも、雨で二日休んだだけで、石段の上りがきつくなる。なにもしないとすぐに衰えていくのが分かるのだ。

もはや、運動して体を鍛えようというレベルではなく、運動をして現状を出来るだけ長く維持していこう!に切り替わっているんだ、ということが何となく実感できる。

アラ還ではなく本還を迎える我々が食事制限だけによるダイエットを試みるというのは案外、危ないのかもしれない。

腹周りが身長に近いというようないわゆるおデブ体系は、どんなことしてもやせた方がいいだろうが、Tくんなどは中年太りではあってもデブには程遠い(と思う)。

それが運動メニューなしで、身体をシェイプアップするのはちと無謀でななかろうか・・・。

ガブ飲み、ドカ食い、脂ギッシュ!それが良いわけはないが、それを普段実践してきたTくんの方がずっと元気そうに見えた。

もちろん、身体のことは本人にしか分からないので軽々には言えない。

が、『そんなに気にせず、少しは節制を心掛けつつも、飲んで食った方が良いんじゃない?』と、無責任に友を思いやっているわけである。

関東は梅雨明けしたらしいが、会津はじっとりジメジメ、いかにも梅雨らしい陽気だ。急な暑さとこの湿気に身体が付いていけない感じ。対応能力の低下、身体が馴染むまでにも、これまた時間がかかる。

ようやく暑さに慣れたと思った頃には、また寒くなる・・・歳を重ねるということはなかなかに厄介なものである。

2013年7月 6日 (土)

午前6時前

今朝はちょっと驚いた。

朝歩きを始めた飯盛山下の駐車場に観光バスが2台入ってきて、観光客がぞろぞろと降りて来たのだ。午前6時前ですよ、まぁだ。

ごく普通に横断歩道を渡り、飯盛山の参拝へと石段を登り始めた。ぞろぞろ、ぞろぞろ。

いくら八重さんブームとはいえ、ちょっと早すぎでしょう。

5、60人ほどの人が加わると早朝の雰囲気は一転する。ペースもなんだかいつもと違う。

すれ違う人々の言葉は関西弁だ。夜通し走って会津に着いたのだろうか?それにしてはみんな寝むそうでもないし、結構爽やかなお顔をなさっている。

ま、どういう団体かわからないが、不思議、としか言いようがない。

先の会津若松観光公社の理事会で観光客の入れ込み数(天守閣登閣者)が速報値で示されたが、6月は1週間を残した時点ですでに前年比200%を越えていた。

「八重の桜」放送開始から月を追うごとに前年比を大きく上回っている。

夏休みに入る7月、そして8月と、どれほど数字が伸びるのか、ちょっとコワいくらいだ。

事故など無い様、暑さ対策、混雑緩和の対策など万全を期してほしいものだと老婆心。

好事魔多し、とはよく言ったもの。調子のいい時こそ注意をして、ふんどしを締めてかからねばならないのだ。(何事もです)

東北を想い、応援してくれる人々の心に冷や水を浴びせるようなことがあってはならない。

昨晩は「ワインを楽しむ会」が行われた。スペインのスパークリングワイン、白ワイン、赤ワイン、さらに南アフリカの赤ワインがふるまわれた。なかなかお安くいい味、大いに盛り上がった。

盛り上がって勢いがついて、その後に「日本酒を楽しむ会」までやってしまった。(バカだなぁ)

御蔭で今朝は完全な二日酔いウォーキング、すれ違った早朝の観光客の方々も『わ、酒臭いおやじだ!』と思ったかもしれない。

出勤したら早速、Aくんのフェイスブックを見たのだろう・・・「昨夜はワインで大いに盛り上がったようで・・・」と、からかわれるおまけまで付いた。

2013年7月 3日 (水)

喜雨

昨夜、移動と帰宅と二度タクシーを使ったが、いずれの運転手さんも乗ると同時に同じ事を言った。

「いやー、それにしても雨降んねなし」

全く同じことを言うので同じ運転手さんにあたったのかと思ったが、違った。

会津では、勤めていても家で食べるだけの畑や田んぼをやっているという人がすごく多い。それだけに天候は一番気になるニュースなのだ。

「畑でもやっているんですか?」「ちっとなし」

「日曜は出かけてたけど午後にザーッときたんでしょう?」「ああいう雨はダメだし。シトシトと地べたに沁みこむように降るのが一番いいのなし。今年は、これ梅雨だっていっても降ったと思ったらすぐ止んじまう。キュウリなの、成んねもなし」「そりゃ困ったね・・・」

昨夜の私の困ったが、天に届いたというわけでもないだろうが、今日は朝にパラッと来て、昼過ぎには本格的に降りだした。それもザーッという雨ではなく、シトシトシトと降っている。

道路を走り抜ける車の音が、ザァーッ、ザァーッっと水切り音になっている。いい感じだ。

日本には驚くほど多くの、それも美しい雨の名前がある。

翠雨(スイウ)若々しい緑に降り注ぐ雨、その季節は少し過ぎた。

空梅雨に訪れた恵みの雨、まさに慈雨(ジウ)だ。そして、昨夜の運転手さんたちも喜んでいるだろう喜雨(キウ)でもある。

明日まで降り続いたら、水不足の心配もひとまず解消しそうな、いい雨降りの夕暮れである。

『喜雨驟雨 身重のひとのまろき尻』

2013年7月 1日 (月)

決戦のとき

先回の「八重の桜」第26回「八重、決戦のとき」を観て、涙をこらえきれなかった人は少なくなかったことだろう。

西郷邸での女、こどもたちの自刃、白虎隊士のたちの切腹シーン、城には雨あられのように砲弾が撃ち込まれ、会津はボロボロに叩き潰されていく。

あの籠城戦は一カ月に及び、八重さんは城を明け渡す前夜に有名な歌を白壁に残した。

『明日からは いずくの誰か 眺むらん なれしお城に 残す月影』

この敗戦から会津の苦難の歴史は始まる。

藩士たちは斗南に移り、飢えと寒さに苦しめられる。会津地方全体が歴史の表舞台からは遠ざけられ、逆賊の汚名を着せられたまま苦難のときを歩まねばならなかった。

八重さんはその60年後にもう一つ有名な歌を残している。

『いくとせか 峰にかかれるむら雲の 晴れてうれしき 光をぞ見る』

苦節60年、その会津の無念を晴らす慶事が成る。会津松平家の孫娘、松平勢津子さまと秩父宮殿下(昭和天皇の弟宮)とのご成婚である。逆賊の汚名を着せられた会津から迎える妃殿下、戊辰の無念を晴らしたと、会津は喜びに沸きたった。

60年間、会津はどれだけ疲弊したことだろう。どれだけ悔しさの中にあったことだろう。

その昭和3年、会津にもう一つエポックメイキングな出来事が起きた。

手前味噌で申し訳ないが、竹田病院の創業である。

創業者・竹田秀一先生は『最高の医療をすべての大衆に』の高き志のもと、竹田医院を下大和町に開くのである。

そこから竹田病院は、その崇高な理念に後押しされる様に急成長を遂げていく。

「最高の医療を・・・」今の世の中であれば誰もが容易に口にできる言葉かもしれない。

しかし、それを昭和3年の疲弊しきった会津で実現させようとしたことに、尊い志を感じずにはいられない。

勢津子妃のご成婚に湧きかえる会津、祝いの提灯行列が何時までも続くその中で、一人の若き医師がきっと八重さんと同じように心の中でつぶやいたに違いない。

『俺の決戦のときはこれからだ!』

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