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2013年3月

2013年3月31日 (日)

研修

土・日と「医療メディエーション」の研修会を行った。

メディエーションは仲介者と訳されることが多いが、医療の場合、対話促進者といった方がぴったりくる。

もめごとを仲介して丸く収めるのではなく、当事者同士の対話を促進し、対話によって紛争状態の解決(整理)を行おうというものだ。

この分野における日本の第一人者、和田先生、中西先生のツートップをお招きしての研修は今年で3年目、1回24名で、72名が受講したことになる。

座学にワーク、ロールプレイとなかなかにハードな二日間、特にロールプレイは白熱する。患者役、医師役になりきり、メディエーターをたじろがせる。ときに迫真のプレイで涙を浮かべる場面さえある。みんな本気なのだ。

メディエーターはあくまで中立的第三者として、対話を促進しその対話の中から、怒りや悲嘆の、その深層に隠れた真実をあぶりだし、両者の心を解きほぐす。

忍耐力と自制心、ビビらない強い心が必要だ。

もちろんだれもがメディエーターになれるわけではないし、メディエーターを作るための研修でもない。(育つ人がいれば育ってほしいのは当然)

こうした研修を通して、人はなぜ怒るのか?ボタンの掛け違えはどのようにして起こるのか?そういうことを学ぶ(気付く)きっかけになればいい。

この研修を通して、組織全体にメディエーションマインドの種を蒔くことが大きな目的なのだ。

この研修を通して大きく変容を見せる医療者は少なくない。

まずはじめに話を聞く、傾聴の重要性。シャッターを下ろすのではなく相手の心を開くこと。そして自己弁護という相手攻撃を慎むこと。

そうしたことを知って対処するのとしないのでは、もめごとのいきつく先が大きく違う。

人はだれも間違えるものだし、何らかの葛藤を抱え込むものだ。それを認めたうえで話し合いによる解決を目指す。

訴訟は不毛だ。白黒つけるためには多くのものを犠牲にしなくてはならない。お金も時間もそして自らの心もだ。

すべてがメディエーションで解決するわけではないが、闘争に至る前に出来ることがある。

三カ年計画にお付き合いいただいた両先生には心から感謝申し上げます。また、これからも何かとお世話になります。

会津は土曜の晴れが一転して日曜日は、寒の戻りのような冷たい雨。

ああ、疲れた。帰って一杯やって脳を少しほぐさなければ・・・(連夜、ほぐしすぎですとの声もあるけれど)

みなさん、お疲れさまでした。御蔭さまで良い研修ができました。

2013年3月27日 (水)

人出にビビる

今日の新聞に毎年行われる「鶴ヶ城さくら祭り」の本宮、すなわち祭りのメインイベントの本丸内での神輿運行が中止されると報じられていた。

今年は4月20、21日の予定だったので、21日が中止、前日の宵宮だけが行われるという。

残念そうな関係者の写真も載っていた。存じ上げている方々なのでなんとなくかわいそうだ。

理由は、当日ものすごい人出が予想され、観客の安全が確保できないと思われるからだという。

先日の鶴ヶ城のプロジェクトマッピングも、本番近くまでほとんど宣伝らしい宣伝もしないのに物凄い人出だった。回数を増やしても見られない人が出てしまったという。

いろんな方面の関係者もあまりの人出に驚いてしまったようだ。

当然ながら、NHK大河ドラマ「八重の桜」効果だろう。その八重の桜がベースになり、様々なメディアで会津の露出が急激に増えた。

今年のGWはどうなる事やら・・・と、楽しみでありながらもその大混雑ぶりに戦々恐々と言ったところだ。

「鶴ヶ城さくら祭り」は祭り好きの有志が始めた手作りのお祭りだ。もう30年近くになるのではないだろうか。

初めは手作りの、本当に小さなお祭りで花見のおまけ程度のものだったが、お城の本丸内で神輿を担げるというのは日本全国を見ても他所にない!ということも手伝い年々大きくなっていった。

全国各地の神輿好きや各地の神輿も集まり、昨年あたりは1万数千人の人出を数える大イベントに成長、会津の春の風物詩となっている。

それでなくても人気が高まって来たのに、今年のこの八重ブームだ。お城の中には足場の悪い部分もある。観客に、もしものことがあっては大変!との配慮が大きく働いたのだろう。

新興のお祭りだけに辛いところではある。

宵宮を中止するというのはあったにしても、本宮が中止ではお祭りそのものが成立しないだろう、という意見も外野には大いにあるだろう。

それでも何かが起こってからでは遅い。断腸の思いで決断された関係者の勇気と英断に、ここは拍手を送るべきだろう。

本当に残念でした。心からお見舞い申し上げます。

このままずるずると本丸内でお神輿が担げなくなることだけは無いようにしてほしいものだ。

2013年3月24日 (日)

消える

会津では「雪が解ける」とは言わないで「雪が消える」という。

このところの暖かさで一気に雪解けが進みまさに「消えた!」という感じがぴったりだ。

「だるまさんが~、転んだ!」で振り返ると景色が一変している、そんな感じだ。

陰は消え、陽に包まれる春・・・。

城前から神明通りを目指し、さらに中央通りへ。片道2車線の両側に全く雪がないとこんなに道路が広かったのか!と改めて感心する。

タイヤも、もう履き替え時だろう。冬靴も、もう要らない。

足元から確実に春仕様に代わる。

この春、以前のが大分くたびれたのでウォーキングシューズを新調した。メーカーの差なのか、普通は27センチなのに、今度のは28センチでぴったりだった。

古い靴は歩き方に合わせて外側のかかと部分がだいぶ減っていた。(要はガニ股なのかな?)

新しい靴を履くと、底は平らに決まっているのだが、その外側の部分が逆に出っぱっているように感じられ、違和感を覚える。

長い間の癖や習性とはそうしたものだ。

土曜の朝、置きっぱなしのクルマを取りに病院まで歩いた。新しいシューズでおよそ1時間、ゆっくりと、乾いた道路を踏みしめるように歩いた。もう、市内の歩道はどこにも雪がない。

うっすらと汗をかき、クルマを出してそのまま大江戸温泉へ行ってみた。(前夜、飲みすぎて風呂に入らず寝てしまったので)

聞いてみると、9時までに宿泊者の入浴が終わり、1時間の清掃が入り、朝10時からオープンだという。ちょうどいい。

燦々と春の陽が差し込む大浴場、人影もまばら、浴槽も水風呂もいつもの夕方入浴とは違って洗い立てできれいな感じがする。サウナもガラガラ、朝風呂もなかなかいいものだ。

冬の間は雪見酒と洒落込んだ露天風呂の周りの雪も、すっかり消えていた。

2013年3月21日 (木)

会津彼岸獅子

我が家で春のお彼岸に彼岸獅子の舞いをお願いするようになったのはいつからだろう?

おそらく、父が亡くなり実家から新しい仏壇を移した年の春が最初だったから12、3年、になる。

父もその兄弟(叔父・叔母)もみんな彼岸獅子が大好きだった。

私の住む飯盛山の付近は、北滝沢の獅子団のテリトリーだ。メンバーの中に知り合いの建築屋さんがいたので、「仏壇を新しくしたのでウチでも舞ってもらえないかなぁ」と話したのがきっかけだ。

初めの年は仏間の戸を開け放ち、すぐ脇の車庫で舞ってもらった。父も叔父さんたちも大いに喜んだことだろうと思う。

私もこどもの頃は、どこまでも獅子を追いかけた方なので、とても嬉しかった。

それから毎年、お彼岸のお中日に北滝沢の彼岸獅子が我が家を訪ねて来てくれるようになった。(どうしても留守をした年が1、2度はあった)

獅子の先ぶれに数人の男たちが帳面を持って歩く。獅子の舞う道筋でご祝儀を集めるのだ。

彼岸獅子団は、一般的に店や会社など、表通りを回るので、住宅地にまで入ってくるのは結構珍しい。

お囃子が響き渡ると近所の人も顔を出す。ので、私が留守で家人が一人だったりすると結構恥ずかしいのだという。

玄関先で三匹で舞う会津彼岸獅子、今年もしっかり厄を払って無事な一年をよろしくお願いいたします。

ト~ヒャレ、ト~ヒャラ、ドンドン。家内安全、笑売繁盛!

2013年3月20日 (水)

穴が空きました。

ペットロス、という言葉があるらしいが、ペットを失った心の虚しさは、ペットを飼った人にしか分からない。

従って私には、よく分からない。

ペットというものをチャンと飼った経験がない。こどもの頃に家には猫がいたが、あれはお菓子屋だったために、ネズミ対策で必要だったためだ。

何代かの猫が(全部ミーという名前だった)ごく普通に居て、勝手気ままに振舞っていた。

時に膝の上に乗って来たのを撫でたりはしたが、正直なところ動物は今も、夫婦共々、あまり得意な方ではない。

友人が10年間かわいがっていたミニュチアダックスの小次郎くんを亡くしたそうだ。

いつかは死ぬのだろう、死んだら悲しいだろう・・・と、思ってはいたがその衝撃は想像をはるかに超えたものだったそうだ。

一晩中夫婦で泣き明かし、心にぽっかりと大きな穴が空き、この穴がふさがるのにどのくらいかかるか分からないと言った。

想像することしかできないが、まことにご愁傷さまである。

犬は100%ご主人を慕う。ご主人に従順なその気持ちには微塵も疑いがない。飼い主もまた100%かわいがるだけだ。

100%対100%、まったくの疑いも、その日の気分というのもないそんな無垢な人間関係は(無いとはいえないかもしれないが)無いだろう。

今日のご機嫌や、様々な諸事情も全く関係なしで、ただ愛し愛される関係。それがペットのくれる最高のプレゼントなのだろう。

それだけに空いた穴はまん丸でぽっかりと虚ろ、ピュアな喪失感だ。

悲しみにくれる友人の話を聞きながら、ペットもいいのかなぁ・・・などという思いが心を少しよぎった。

ま、何の慰めにもなりませんが、ご夫婦の心に空いた穴が一日も早くふさがることをお祈りいたします。また、小次郎くんのご冥福も。

会津はすっかり春めいた。郊外の田んぼの雪も一気に消えた。

お彼岸のお中日、やはり彼岸獅子は、間違いなく会津に春を連れてくる。

2013年3月17日 (日)

走り抜けた女性

先日、悲しいお葬式があった。

後輩の友人Kくんの奥さんが亡くなられた。46歳という若さ、乳がんとの戦いだったという。

仕事でのつながりは少ないが、様々な活動の場面で会うたびに自らの役目を明るく誠実に果たすKくん、後輩ということもあり甘えてしまうケースが多く、むしろ私がお世話になっている方だ。

その奥さんとは、あまりお会いしたことはなかったが、多くのお写真は、いかにもお似合いの明るい笑顔のご婦人だった。

6年前に乳がんが見つかり、その時は夫婦力を合わせて全力で戦っていくと誓い合ったそうだ。

そして、そのがんを克服したかに見えたけれども、無情にも再発、その時には泣きました、とKくんは御礼の言葉の中で語った。

しかし、そこからが素晴らしい。

奥さんは涙を拭いて、いつもの明るい笑顔を見せるとこう言ったそうだ。

「私はこれから乳がんになる人たちのお手本になるような生き方をする!」

元来、陸上が好き、走ることが大好きだった奥さんは、がんを得てからも走ることをやめなかった。

それも半端な走りではない。駅伝の代表を務めるほどの走力の持ち主だった。

練習はいつも店の仕事が終わってから。二人の子育てをしっかりと努めながら、暗い夜道を彼女はひた走った。決まって旦那のKくんが自転車で伴奏をしたそうだ。

治療で体がきつい日も、くじけそうになる日も、二人は会津磐梯山のふもとをひたすらに走った。

走ることが生きること、走ることが戦いだった。

そして福島県の市町村対抗駅伝の町の代表にまで選ばれ、見事、第一走者を務めたというから驚きだ。

まさに感服である。

これから乳がんになり苦しむであろう女性たちの手本になりたい、力になりたい!そう願い彼女は46年という短い生涯を走り抜けた。

その彼女の見事な遺志を何らかの形で残せれば・・・と強く願うところである。

2013年3月15日 (金)

その先の人生

会津美里町で起こった驚愕の殺人事件、その裁判で県内の裁判員裁判では初めての「死刑」判決が下った。

昨年の7月26日早朝、金欲しさに押し入った民家で犯人は、夫婦二人を刺殺した。それも一撃に近い凶暴さ、助けを請う奥さんを執拗に追う残忍さでだ。

二人は突然にその人生を奪われた。その無念やいかばかりかと、想うだけで今でも涙が湧く。

二人とも、前日まで我々とともに仲良く、笑顔を交わし働いた仲間なのだ。

その日の朝、運転中に突然胸の携帯が震えた。なんだかとても嫌な予感がした。知人のUさんから。

Uさんの実家は事件の起こった集落にある。とてつもない異変が起こっていることをいち早く、関係者である私に知らせてくれたのだ。

告げられた名前を聞いてもなんだか事実として認識できない。何度も聞き直した。

「どうしてUさんが知ってるの?なんで?」「何言ってるの!私の父親があの二人の仲人親だったんだから!」

救急車、パトカーがすごい数、集まっている。その救急車は誰も乗せずに戻ったようだ・・・悪い情報ばかりが伝わってくる。

あわてて出社し、私の部屋を臨時の対策室に。それから大いに混乱し、うろたえた。

残念ながら事件は最悪の結果となり、犯人は翌朝逮捕され、早期解決をみた。

何の罪もない二人が通り魔にその命を奪われ、突然この世からいなくなってしまった。ご遺族の無念たるやいかばかりか、想像してもなお余りある。

本当に悔しい。

お二人には素晴らしい一人息子さんがいる。優秀でスポーツマンで、両親の背中を見て医学の道を志した医学生だ。澄んだ眼をした好青年だ。

この判決を一つの区切りとするべきだろうと思う。

おそらく、弁護側は上告し、高裁、最高裁と裁判は続き、死刑廃止の議論などもあり膨大な時間を要する事だろう。

ご両親の無念を晴らしたいという気持ちは大事だけれど、そのために息子さんの人生の「時」が多く使われていくことを、ご両親は望みはしないのではないだろうか?

起こってしまった事件、それを乗り越えて、彼自身の人生を力強く生きていくこと、良医となって多くの人々を救うことこそが、天国のご両親の一番の願いに違いない。

怒りや恨み、そうした負の感情に人生を絡みとられては絶対にいけない。凶悪で邪悪な犯人とは全く違った世界で、その先の人生を明るく、力強く生きて欲しいと心から願います。

がんばれ!Rくん。君の白衣姿を本当に楽しみにしているよ。

お二人のご冥福を心からお祈りいたします。合掌

2013年3月14日 (木)

日のあたる側

この時期、道路の右と左でまったく雪の量が違う。

南向きの側にはもうほとんど雪がないが、日陰になる方にはまだ解けない雪が積もっている。

朝の通勤路、日の当たる側はポンポンに乾き、反対側には黒くなった雪の壁(だいぶ低くなったけれど)、特に人のいない家の前にはまだ、たかく雪が積もったままだ。

太陽の力は本当に大したものだ。

この時期になると、H先生が院長就任の際にあいさつでした「北風と太陽」の話を懐かしく思い出す。

イソップの寓話、どんなに厳しく吹き付ける北風も旅人の外套を脱がせることはできない。吹きつければ吹きつけるほどに旅人はコートの襟をきつく抑え、吹き飛ばされまいと身構える。

風がやんで太陽がポカポカと照り付けると、安心したように旅人はその厚い外套を脱いで、笑顔を見せた。

まさしく春の日差しのように人に接し、明るい笑顔で人の心を動かすほかはない。力づくでは決して相手を変えることはできない。

医療人はすべからく、かの太陽のようにあるべきだ!と、まだ不安の中にあった全職員に彼は告げた。

あれからもう8年が経った。時の流れは本当に早い。早いけれども、物事の真理は何一つ変わることはない。

北風と太陽・・・会津からも北風は去った。

日のあたる側を歩いている人々は、心なしか微笑んでいるように見える。

2013年3月13日 (水)

ご当地バッジ

ピンクリボンバッジというのをご存じだろうか?

乳がん検診の普及、乳がんの早期発見・早期治療の啓もうのために作られた、ピンク色のリボンをぐるっとまいたピンバッジだ。

ノーマルなピンクリボンのバッジから派生して様々なご当地バッジが全国各地で作られている。ゆるキャラブームに乗りクマモンとのコラボ、また青森産のリンゴや土地の花々とのコラボなど様々だ。

このほど会津でも、ご当地ピンクリボンバッジが誕生した。

会津で三年間外科医として働いたT女史が、この度、東京大学医学部付属病院に戻り、さらに研鑽を積んで乳腺外科医を目指すことになった。

その新たな旅立ちの記念と決意を忘れないように、また会津で暮らした3年間が非常に楽しかったことから会津への感謝の気持ちも込めてご当地バッジの製作を思い立った。(会津で生涯の伴侶とも出会ってしまった)

制作に協力したのは地元の女性デザイナーSさん、そしてバッジの製造はS社が担当、このほど「会津あかべこピンクリボンバッジ2013」が完成した。

ピンクリボンとコラボしたのは会津の伝統民芸品の「赤べこ」!

古くから厄除けの意味合いも持つ赤べこは、乳がん撲滅の願いにはぴったりといえるだろう。

折しも「八重の桜」好評放送中、それにちなみ、赤べこの胴体部分には桜の花びらがひとひら散らしてある。女性らしい可愛らしいバッジに仕上がった。

「会津あかべこピンクリボンバッジ2013」とても好評である。今朝の福島民報紙にも報じられた。

竹田綜合病院の売店、山鹿クリニックの売店で好評発売中である。ただし、好評につき残量は少ない。

2013年3月10日 (日)

城を照らす

今週末、9日、10日と会津鶴ヶ城本丸天守閣を鮮やかにライトアップする「鶴ヶ城プロジェクションマッピング はるか」というイベントが行われた。

土曜に出かけてみた。2回目の1時間ほど前に遠い駐車場に車を入れ歩きでお城に向かう。すごい人の波だ。6時、6時40分、7時20分に行われると新聞にあった。

椿坂から本丸に向かうとすでにすごい行列。最後尾にお並びください、と言われて最後尾に向かうがどこまで行っても大行列。西出丸の坂を下って、西出丸を飛び出して、お堀越しに121号線の道路までの行列がつながっている。

初めから西で丸に向かえばよかったのかもしれない。

これはとても入りきらないだろうと、諦めた。(諦めが早い)

先般、東京駅でもこのマッピングイベントが行われ、物凄い人出で危険状態になり中止になったいわくつきイベントだ。折しもあの時と同じチームが今回のマッピングを手掛けたという。

二日間、事故なく終わったか心配になるほどの人出であった。

今年の会津は何をやるにも(どんなイベントをするにしても)心して当たらないといけないだろう。

このマッピングも前日に綾瀬はるかさんら「八重の桜」の出演者が来てプレイベントを行った。そういう一切が話題になり、「八重の桜」の人気も手伝い、思いもかけないほどの人出がある。

各種イベントの運営には十分に気配りをしないと多くの不満や、思いもかけないトラブルも発生するかもしれない。

帰り道、偶然にも30年ほど前に「鶴ヶ城・音と光のページェント」を共に手掛けたT氏と会った。「見た?」「いや、すごい人で諦めたよ」「ぼくは見た、なんだか懐かしかったな・・・」

プロジェクターによるマッピングは実に複雑で動きのある映像を建物に映し出し、不思議な世界を繰り広げる先端技術だ。

30年前の城を様々な色で照らすだけのライトアップとは比べ物にもならない精巧さだ。

当時は城を赤く染め、中庭で実際に発煙筒を焚いて炎上シーンを演出した。まさに隔世の感がある。

感はあるが、大昔のT氏や我々のああしたチャレンジ、当時のJCを中心に多くの若者たちのかいた汗があって今がある。

時間は大きく流れる一本の帯だ。どこかが違っていれば、今も違っているはずなのだ。

そんな大きな流れの延長上にある今年、鶴ヶ城がさらに大勢の人々に愛され、感動を与える場となってくれればと願いたい。

帰り道に酔った居酒屋で、同じように入れずにあきらめた人に会った。

「あれは問題だよー、どっから入ってどこに並べの指示もないし、並ぼうと思ったらもう一杯ですだって、ガッカリ!市長への手紙にでも文句書いてやんなんね!」と少々ご立腹。

ま、いずれ、どこに責任があり、どこが運営実行するにしても、今年の会津の催しは十分に注意を払った方がいいだろう。

NHK大河ドラマ効果で、なにをやっても相当な人出が予想されます。

2013年3月 7日 (木)

始動

いよいよ始動・・・「四道将軍」、駄洒落です。

「四道将軍」は会津の名おこりの神話の中の将軍たち、今はお菓子の名前に残っている。父が大好きだった甘い焼き菓子だが、知らない人には、駄洒落にもならない。

春を迎え、いよいよ始動!というはなしだ。

というのは、院内共済会のゴルフクラブのことだ。

昨晩、今年度の総会が行われた。院内には麻雀や将棋、空手や山岳など様々な愛好クラブがあるが、活発に活動し一番大勢の部員が居るのがゴルフクラブだ。

実質活動メンバーは30名ほどだが、登録は倍はいる。

初めから乾杯をする和やかな雰囲気の中、昨年度の活動報告、決算報告、そして年間成績発表があり、表彰式が行われた。

コンペは年間8回、優勝、準優勝以下、順位によってポイントが決められ、参加ポイント、ニアピンやドラコンのポイントなどすべてが集計されて年間の獲得ポイントが決定し、それによって年間順位が決まるという、なかなかの本格的なトーナメントなのである。

優勝はゴルフを始めてわずか3年のW先生、なんと年間3勝もした!かなりハンディキャップに恵まれたことは確かだが、勝つごとに減らされる中、見事な成績だ。

小生は準優勝がわずかに1回だけ、もうゴルフを始めて20年近くなるが、軽く追い抜かれてしまった。

拍手が沸き起こり、酒が進み、ひとしきり盛り上がった最後に、競技委員長仕切りの次年度ハンディキャップの決定が行われる。

これがまた盛り上がるのだ。

年度当初の持ちハンディによって成績も変わってくる。勝てば2割ずつ減らされるが、持ちハンデの多い方が断然有利であることは間違いない。

競技委員長は高齢者に甘く、若い手に厳しいO先生。みんなが、ああだこうだと喧々諤々、一人ひとりを肴にして大騒ぎだ。

今年度特筆すべきは、いつもプライドが高く、高ハンデを拒み、そのくせ一向に成績の出せなかったTMくんが「もう、恥も外聞もありません!」とフルハンデを獲得したこと。今年はダークホースになりそうな気配だ。

そしてもうひとつは、なんといっても実力のトップのT先生が転勤のため会津を離れてしまわれることだ。淋しい・・・。

今シーズンの初戦は4月、いろいろな番狂わせが起こる気配濃厚である。

ちなみに小生のハンディキャップは22と、ゴルフを知る人が聞けばすぐに下手くそと分かる、微妙なところである。

2013年3月 6日 (水)

春想

陽光、と呼ぶにふさわしい日差しが会津平に降り注いでいる。

遠く大川の方に見える焼却炉の煙突からは白い煙が真っ直ぐに立ち上っている。

鶴ヶ城の天守閣は、赤瓦の上にまだ重そうな雪を積みながらも、白壁が真っ白に輝いている。

磐梯山は真っ白に尖って空を刺しているが、その空が冬の真っ青ではなく、かすみがかったような優しいパステル調の青だ。

夕方の6時に市役所から全市に鳴り渡るチャイムも3月1日からは「おぼろ月夜」に変わっているという。(新聞のコラムの受け売りです)

タクシーに乗ると運転手さんが色々な情報を提供してくれる。今年の雪は市内も、郡部もあまり深さが変わらないらしい。「いやー、多いなし・・・」という。運転手さんは天気予報に敏感で朝は氷点下4度だったが、今日から一気に緩むとも言っていた。

昨夕、久しぶりに中央通りを歩いた。もう、歩道の雪はほとんど無く歩き易いが、ところどころに雪が残ったままの場所がある。閉店して空き家になっている建物の前だ。

人が居ると居ないでは、こんなにも違うんだ。少しずつでも、雪をいじると消え方は全く違うのだ。

ところどころの雪に、意外と空き店舗があるんだなぁ、と妙なことに感心。

神明通りまで来るとアーケードがあるので歩道に雪は全くない。

雪はないが、ところどころに閉まったままのシャッター店舗があり、その前だけ車道側の雪が高く積もったままだ。

放って置いてもやがては消える雪だけれど、人が居る場所には、ちょっとだけ早く春が来るということだ。

2013年3月 5日 (火)

頑張れ31人!

「啓蟄」です。と言われても虫たちも一体どこに顔を出したらいいのか分からない、会津は今朝も雪である。

白く落ちる雪、季節の変化が感じられるとすれば、ひとひらが大きい牡丹雪だということだ。

昨日、31名の看護学生が学び舎を後にした。三年間の学生生活を終えて結ばれた強い絆、昨晩の謝恩会もメチャクチャに弾けていたなぁ、実に和やかで楽しかった。

人数が少ない、ということもあるだろうが、小・中・高のように単に学生生活を共にするだけではなく、全員が同じ目標に向かって努力する三年間は非常に濃密な時間だ。

三年間をかけて、人を助け癒す看護師を目指す。勉強に実習に励み、国家試験に受からなくてはならない。その道から落伍しないように、夢に届くように、互いに力を合わせ支え、支えられて真の仲間となる。

看護の勉強は一人では難しい。

やがて病院に入り、それぞれの人生を歩み、いくつになっても、あなたがオバサンになっても、同窓生の絆がとても強いのは、きっと一人の努力だけじゃ出来なかった、という思いが強いからだなのだろう。

院長先生毎年恒例の贈る言葉、今年は『和顔愛語』の四文字を贈った。

そして、「まだスタートラインに立ったわけではない、スタートライに立つことが許されたということ、ここから看護師になる本当の道が始まるんだよ」と厳しくも温かく励ました。

謝恩会の最後に全員が手をつなぎ涙を流してうたったAIさんの「STORY」♪一人じゃないから~、ぼくが君を守るから~♪こんなに心強い仲間がいるならきっとどんな人生の荒波も乗り越えていけるに違いない。

頑張ってね、42回・生31人!

誰もいなくなった教室、窓の外には大きな牡丹雪が、音もなくまっすぐに落ちている。

2013年3月 3日 (日)

笑う春

会津には、まだまだ山ほど雪があるのにお雛祭りだ。ホワイトデーのお返しは、吉田菓子舗の生菓子の、あんこのお雛様、これにして相当経つが相変わらず評判がいい。

お雛祭りが日曜日なので前倒しして土曜に配った。

女性はいくつになってもお雛様を祝ってもらえると嬉しいらしい。写真を撮ってフェイスブックに載せたり、結構楽しんでいる。

今年はお雛様を飾らなかったなぁ・・・。飾る前にウチの姫はお内裏様のところに行ってしまった。仲良くやっているものやら・・・。

やさしいお顔のお雛様はほんのりと笑っている。人は楽しいから笑うに決まっているが、笑うから楽しくなるというのも一面の真理だ。

後悔することがあまたあるのが人生だ。そして後悔先に立たず、一度過ぎてしまった時間も、口をついてしまった言葉も決して元には戻らない。

人生はUターンも後戻りも出来ない、前に進むだけの一方通行なのだ。たとえどんな状況でも前にしか進めない。

ならば、気持ちも前向きに行くしかないだろう。後ろを向いて前に進んだのではぶつかって怪我をするだけだ。

肩を落とし、ため息が出るような状況でも、カラ笑いをしてみると存外気分が晴れる(晴れるとまではいかないまでも、少しは靄が薄らぐ)

笑いたくもないのに「アハハ、ハハ」と笑ってみる。

人のいるところでいきなりやると気持ち悪がられるといけないので、人気のないところで、クルマの中なんかで、無理やり「アハハ」と大きな声で笑ってみる。

集まりの席上や人混みでも、とりあえず終始にこやかにしていると、なんだかにこやかな気分に傾くから不思議なものだ。

自然に笑顔がこぼれる春がいい。

だが、意志を持って、辛いけれど、苦しいけれど笑い続ける春も、人間にしかできない味わい深い春なのである。

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