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2013年1月

2013年1月30日 (水)

この有難さを忘れない事

「大丈夫ですかー」と言ってくれるのだから、一応は小生の事を心配はしてくれている、心配までいかないにしても気にかけてくれてはいるのだろう。

が、「大丈夫ですかー」の、かー、が少し震えてみんなく、く、く、と笑っている。心配しながらも、何かが面白い、どこか笑えるのだろう。

思うに『病気になのなんね様な顔して、インフルエンザだと笑っちまうオラ・・・・』という鬼のかく乱説か、もしくは『インフルエンザに注意しろ、と言っていた自分がなっちまった』という自爆説、もしくは『ただ、あの人がかかったのが笑える』という、なっただけで笑える説のいずれかに分類されるのだろう。

いずれにせよ、無視されるよりは良いので素直に「ありがとう」という事にしておく。

子どもがインフルエンザになると本当に心配するが、大人の場合、結構みんな笑う。

「あの人がなったんだとー」と言うと「あらー!」と驚きながらも、お仕置きくらったな、というような笑みがこぼれてしまう。

これは人の不幸は蜜の味、という根性悪の話し、という事でもない。

インフルエンザは辛い、辛いけれども5日1週間もすればケロリと直る流行病だという事を誰もが知っているからだ。

休んでいる時にたまたま見た「徹子の部屋」でタレントのJOYさんが結核になった時の辛さを語っていた。「インフルエンザの一番辛い時がずっと続く感じ」とたとえていた。そしてそれが終わらなかったらどうなるのだろうと恐怖も覚えたと。

病になると人は様々なことを考える。そして何よりも健康のありがたさを思い知る。

普段はあれが欲しい、これが欲しい、と思っていたものがどうでもよくなる。ただ健康さえあればいいと思える。

それほど思うのに・・・人間は治るとまたすぐに忘れてしまうから厄介だ。

治りが見えずに、戦い続けなければならない病気は本当に辛いことだろう。でも、負けないで!心からお見舞い申し上げます。

遅かれ早かれ誰もが通る道でもある。

病気と戦い、病気を治す。たとえ流行病でもたまに病気になると、医療というのは本当に尊い仕事だとあらためて思い知ります。

・・・久しぶりに走った会津若松市内はすごい雪だ。除雪だけではなく、排雪しないと道幅が狭くてとても走りにくい。

2013年1月29日 (火)

根性ありや無しや?

鉄道が止まるというのはよっぽどのことだ。大雨や大雪でも懸命に交通網をつなぐのが公共交通機関、そこに携わる人々の努力は並々ならぬものがある。

先日の大雪で、磐越西線は26日、27日と両日、全面運休になった。26日は前日からの大雪が終日続いた。が、27日は雪が降りやみ青空も見えるようになっていたが早々と一日中全面運休となっていた。

もちろん、荒天は如何ともしがたい事なのだが、昔はもっと大雪が降っても鉄道は動いていたように思うのだが、そんなことはないだろうか?

国鉄ぽっぽやの時代から、JR株式会社の会社員になった。それに伴い鉄道を動かすありとあらゆる技術や精神の継承はうまく行っているのだろうか?と心配になったりする。

除雪も技術の伝承だ。鉄道の除雪技術がしっかりと継承されているのか?加えて何としても公共交通機関を動かす!というぽっぽや精神が継承されているのだろうか?

27日に東京から帰って来た。

運休とはいえ、晴れたら動くのでないかとの期待も含め。でも当然のように運休。待てども走る気配は全くなく、郡山駅は会津方面への行き場を失くした人でごった返していた。

改札口を出たところで偶然Eさんとバッタリ、「こんにちは!」

Eさん曰く「あらーどうも、いやー参ったね。高速バスも走ってませんよ。レンタカーを借りようと思ったら会津方面に行くのは貸さないと言われた。タクシーも会津には行かないって。しょうがないから駅前にホテルをとって泊まろうと思ってたんだ」

「えー!そんなに?タクシーもだめですか、参ったなぁ」体調不調を押してやっとの思いで会津を目指したのに、また郡山で一泊では悪くなるばっかりだ。「そうですか、でも一応、当たってみます」と、言って別れた。

一番良いのはタクシープールに会津のタクシーがいれば必ず乗れる、だが見渡す限り姿がない。

「あれじゃない?」と家人が言うが、丸一タクシーは会津のと同じ色だが郡山のタクシーだ。

仕方がないのでタクシー待ちの列に並ぶ。

順番で来たのはフタバタクシーという会社だった。「会津まで行ってもらえますか?」「大丈夫ですよ」なんだい?二つ返事だった。

今さらEさんを探しに行くわけにもいかないので、若干後ろ髪を引かれる想いはしたが、そのままタクシーに乗った。

タクシーの運転手さんにも根性のある人と、そうでない人がいるという事であろう。

あの郡山駅の混乱ぶりを見ながらやっぱり鉄道を動かすという事の大切さを思った。

日曜日、勤務時間、労働環境や電車のやりくり、難問は山ほどあろうが、列車を走らせるのが何より大切、鉄道しかない昔だったら二日も止まれば人々の生死にも関わるだろう。

それを思えば、快晴の郡山駅には公共交通機関が止まることへの危機感、そういうものはまたく感じられなかった。

タクシーで走る道沿いの磐越西線の線路はまだ真っ白の雪に覆われたまま、その上には冬の青空が広がっていた。

2013年1月27日 (日)

B&A

情けないことに、ここ一年程の間に二度もインフルエンザにかかってしまった。

昨年二月、飲みすぎた朝の熱発にこれはやばい、と近くのK先生のところに行ってすぐに検査をしてもらったらピンポン!B型。リレンザを処方され丸二日間、9度台の高熱にうなされた。

平熱が5度6分ぐらいなので、9度も出ると動けなくなってしまう。

で、今回は出張中の東京のホテルで夜中に異常なほどの悪寒を感じた。急に歯の根も合わないほどの震えが来た。

翌朝からの会議に備え、大雪の降りだした会津を夕刻に飛び出してきた東京一人ぽっちという状態だ。

翌朝、マスク姿で学会の冒頭に出てN先生やW先生と目であいさつを交わしたが、やっぱり普通ではない、昼にはホテルに戻り休むことにした。自己診断でインフルエンザに間違いないだろうとは思ったが病院に行っても分かるだけ、この場では如何ともしがたい。

幸い、日曜に来るはずだった家人が雪の心配もあり一日早くバスで上京。去年の余りのタミフルを全部持ってくるように頼んであった。それを飲んでいるしかあるまい。

大雪の会津から家人がホテルに着いたのは午後3時過ぎ。ホテルで一人という旅先の心細さは解消できたが、体温計は上がる一方。

すぐにタミフルを飲んで、家人にも予防投与。ひと晩、熱と格闘させられた。

日曜にどうしても済ませなければならない用事があり、足早に青山へ。用事を済ませてすぐに東京駅に向かい一番早い新幹線に飛び乗った。

ご迷惑をかけないようマスクで重装備。出来るだけ口もきかないようにしていた。

郡山は天気もいいのに磐越西線も高速バスも全て運休。幸いタクシーが会津まで行ってくれるというので飛び乗った。途中、磐梯熱海からは高速も開通。割と順調に会津若松駅までたどり着いた。

小生はそのまま病院へ。すぐに検査を受けたら案の定、今度はA型だった。

毎年ちゃんと予防注射もしているのにどうしてこんなに連ちゃんでかかるのだろう?免疫力の低下?歳のせい?行いが悪い???

しかし、物事にはきっと意味がある。一年に一度、すごい高体温になって体内のがん細胞をやっつけてるのかもしれない・・・などと身勝手な想像をめぐらせてみる。

確か『高体温はがんにならない』などという本があった様な気がする。ま、それとこれとは違うのかもしれないが、一時的高体温であることは間違いない。前向きに考えよう。

普段、体温が低いので、これで調節してがんと闘っているのか!と思うと高熱の苦しみも少しはまぎれようというものだ。でも苦しい。

それにしてもBの次はA、よっぽどインフルエンザに好かれる体質なのかなぁ。

・・・只今、大いに苦しんでおります。

2013年1月24日 (木)

もう少しミステリアスなほうがいい

政治家という仕事は多忙を極めるが、重要な仕事のひとつに夜の宴会出席がある事は間違いない。

まずはなんと言っても、ご挨拶が大事。

加えて有権者や各種団体の人々との交流・親睦。宴席での対話も重要な政治活動であることは間違いないし、重要な選挙活動の一環であることも間違いない。

忘・新年会、様々な会合・宴会、あらゆるものに出ていたら身体が持たないだろう、と余計な心配をしてしまう。

毎晩毎晩、三ヶ所、四ヶ所と赤い顔して歩かなければならないという。

確かに、政治家に会えるというのは嬉しく、名誉なことである。

しかし、いつも酔っぱらった笑顔ばかり見ていると、有難味というものが薄れてしまうから妙なものだ。

それも足早に、売れっ子芸者のように次から次と、お座敷を渡り歩く姿はどうにも軽々しく見えてしまう。

偉い人というものはミステリアスな部分があった方が良い。どんなにフレンドリーな笑顔でいても、未知の部分、不可侵と思わせる部分を持った方が重みがある。

選挙で受かったという事は、多くの人の判断を代表しているのだから、軽々しく、軽薄でない(そう見えない)方が良いに決まっている。

政治家は大変なハードワークだ。多くの支持者と直に会い、拍手を受けることがおそらくは一番のストレス解消なのだろう。だからなおさら夜の宴席回りにも力が入るのは分る。

でもなぁ・・・だ。

せめて一日一宴、じっくりと腰を据え、なかなかあの人には出てはもらえない、というぐらいがちょうど良いのではないかと思ってしまう。

あの人が来た!と宴が静まり、驚きの拍手が出るくらいがいいのではなかろうか。

しっかりした政治をしていれば、それほど宴会に出なくても票は減らないだろう。

逆に減らすような酔態をさらしてみても仕方がない、と憎まれ口。

トップ(政治家)は孤独、その孤独に耐えられなければトップ(政治家)ではいられない。

宴席の赤い顔と、昼間の真剣な顔、一体どっちがメインなのか分らなくなる程でも困ってしまうような・・・。

宴会、無尽が限りなく多い会津。

『政治は夜つくられる』という言葉もあるが、宴会で作られる、というのとはチョイと意味が違うのではなかろうか??

2013年1月23日 (水)

シネマの週間

昨年12月の14日~16日まで、文化センターでシネマウィークという催しものを行った。映画館から遠ざかっている会津の人々のために名画やアニメ、名作を上映し、冬の週末を楽しんでもらおうというものだ。

14日には懐かしの日本映画の名作「夜の河」と「雪国」を。15日にはアニメ「それいけアンパンマン」と「時をかける少女」(アニメ版)を。16日にはイラン映画「別離」と一昨年のアカデミー賞受賞作「アーティスト」を上映した。

三日間で1千名近い人が映画を楽しんだ。このシネマウィークも、始まってからもう20年近くなると思う。

一昨年から実行委員長を仰せつかっている。

実行委員長とは言ってもそんな大したものではなく、基本、上映作を実行委員のみなさんと決めるのが主な仕事だ。

映画祭の運営は、會津風雅堂を運営する文化振興財団のスタッフが熱心に行ってくれる。特に担当の原くんは映画好きでとても気合が入っている。

昨年、委員長らしい仕事をしたと言えば、原くんが前売り券の売れ行きが芳しくないのを心配してメールをくれたので、原くんを連れて新聞社周りをし、記事にして宣伝してもらったことぐらいだ。

地方版に写真が出たりするのは大嫌いだが、こればかりは仕方がない。ポスターを持ってアホ面をさらし、「あら、出でたなし!」とからかわれたりした。

お陰で心配していた人出も一昨年を上回った。

昨晩、結果報告と反省の実行委員会が開かれ、お役御免となった。また今年の夏にお呼びがかかるかもしれないが、それは先様任せである。

映画の評判もまずまずだった。

アンケートの集計を見ると圧倒的に中高年(高齢者と言った方が良いかも)と女性が多い。若い人がレンタルビデオではなく、少しでも映画の素晴らしさを知ってもらえれば、もっと嬉しいところだ。

現代作なのにモノクロ&トーキーで作られた意欲作「アーティスト」、なかなか素晴らしい映画だが、そうした情報が届かず「あんなに古いサイレント映画をやるとは思わなかった!」とのお叱りの言葉もあった。

ま、そう思う人が居ても不思議はないとは思ったが、ちょっとばかりトホホでもあった。

気が早いが今年は12月6、7、8日に行われる。

2013年1月21日 (月)

直球で願います。

話をごまかしたり、ウソとまでは言わないまでも取り繕っている時の人間は弱い。心にひけ目があるからおどおどするし、受け答えもしどろもどろになる。

「これはどうしたの?」と尋ねているのに、あれを答えたり、これもそれも、水漏れしないように必死で繕うから、かえってちぐはぐになる。

やっぱり「正しい」と信じている人間の堂々さには太刀打ちできない。

人格というのはよく器にたとえられるが、歳を重ねる毎にその人の器がよく見えて来るから、歳をとるのもまんざらではない。亀の甲より歳の功というやつだろう。

若い時にはきっとこういう人に言い負かされてたんだろうなぁ、と思う事が時々ある。

閑話休題。先日、会津地区経営者協会の新春講演会で評伝作家・北康利氏の講演を聞く機会があった。白洲次郎さんの評伝「白洲次郎 占領を背負った男」で山本七平賞を受賞している人気作家だ。

白洲次郎さん、吉田茂さんなどの堂々たる日本人を通して、一本キリリと筋の通った日本人の素晴らしさを熱っぽく語り、90分間聴衆をぐいぐい惹きつけた。

正月に読んだ百田直樹氏のベストセラー小説「海賊と呼ばれた男」は、出光興産の出光佐三さんを主人公にした物語、これもまた堂々とした日本人の話だ。

両者相通ずるものが大いにあった。今の日本人がいかに金満にまみれ、日本人としての美学を失っているか!熱のこもった警鐘である。

人は何のために話を繕わなければならないのだろう。保身か?怖れか?見栄か?金のためか?

ま、人様に意見出来るほど立派ではないのだが、そんな小生でも分るのは、近視眼的に目の前のことしか見ていないとそうなりがちだ、という事だ。

少し目線を上げて先を見通してみれば、今、自分が何をするべきか、どうふるまうべきか、何が正しいかは、大よそ分ろうというものだ。

自分の属する組織を愛し、職員を愛し、その行く末を想うのならば、目の前のごまかしや取り繕いが、いかにつまらぬことかがよく分かるはずだ。

やっぱり、ならぬことはならぬ。口を閉ざすことがあんつぁまになる事だというのなら、いつまでも、あんつぁまになの、なんねっていい!

なに?通り越して、おどっつあまになってる?それはそうだ。

2013年1月19日 (土)

雪も降り止んで

虎落笛(もがりぶえ)が止んで、静かに降る雪の向こうにうっすらと太陽が見える。やがて雪も降り止み、いきなり青空が顔を見せる。

寒く凍える雪の降り止んだ朝。しばらく見なかった青と純白とのコントラストが目に痛い。

これほどの白があろううか!と思うほどの真っ白な世界。

陽の陰った場所は、うっすらと青味を帯びた白、圧倒的な白がそれ以外の色をすべて墨絵のように沈ませてしまう。

降り積もった雪は、きめ細かく優雅なカーブを描いている。

若き日に会った陶芸家はこの雪のカーブに魅せられ十数年間、会津での創作を続けた。今では、ご挨拶も出来ないほどの大家、雪の描く美しいカーブ、フォルムを白磁の中に閉じ込めた陶芸家・瀧田項一さん。

雪の降り止んだ朝には瀧田さんの言葉を思い出す。

この美しいカーブ、息をのむような白い世界を、京都からの客人たちも旅の窓から、きっと感嘆の声をもらしながら眺めておられるのではないだろうか・・・?

朝刊の記事に「会津若松商工会議所と京都商工会議所が相互交流Year推進協定を締結。京都商議所会頭以下30人の訪問団」とある。

これも大河ドラマ「八重の桜」が結んだ縁、歴史的につながりの深い京都と会津が改めて固い握手を交わし、互いの交流と発展を期するのだという。

私は学生時代、京都に住んだ。

京都も盆地で驚くほど暑くて寒い、あの比叡下ろしには震えた。しかし、こんな朝にはお目にかかれない。雪国ならではの美の世界だ。

会津の冬に魅せられた版画家・斎藤清さん、冬のアトリエでお話をお聞きしたのもまた懐かしい思い出だ。

かの大連作「会津の冬」さながら、今朝の会津はまさに一幅の絵だ。

京からの客人たちには、何をおいても素晴らしい土産となるのではないだろうか?

寒くてそれどころじゃない、昨夜飲み過ぎて頭痛い、なんて言ってるあなた・・・そんな無粋じゃ、「はんなり」の京都人とはおつきあい出来しまへんえ。

2013年1月17日 (木)

十人十色

「八重の桜、盛り上がっているよね。なかなか力入ってるよなぁ?」「私、見てません」

「あら、見なかったりする人もいるんだ。君はどうだ」「すいません、ボクも見てないです」

「いや、謝ることはないけど、興味ないんだぁ・・・」「チラッとは観ましたよ、1分ぐらい・・・」

人はそれぞれだから、何も無理やり見なくてもいいけど、チラッと見たなら全部見れば良いのに、と思ってしまう。

今、会津の街なかを歩くといたるところに、綾瀬はるかさんが鉄砲を持った凛々しい八重の桜のポスターが貼ってある。なかなかいいポスターだと思う。

出来れば一枚欲しいが、どこにもなくてネットオークションに出てるとか。1枚5千円が1万円に跳ね上がっているとも聞く。

横流しされないようにシリアルナンバーが入っているとか、これでひと儲けを企んでいる輩がいるのかもしれない。

街中が「八重の桜」一色のように感じるが、ま、人はいろいろなのだ。

大河ドラマ「八重の桜」が好視聴率だと言ってもせいぜい20数%なわけだから、十人いれば2、3人。いかに会津だと言っても5、6人というところだろう。

一色に染まっているわけではない。

人は興奮すると時に、人それぞれだ、という事を忘れてしまう。みんなが同じように右向け右、だと勘違いする。で、右を向かない人が居ると腹が立ったりもする。

冷静に考えれば十人十色、やっぱりそうではないわけだ。

でも、こんなに盛り上がっているのだから、やっぱり見ればいいのにな!と思った、ある日の小さな出来事でした。

会津は雪、今夜からすごい寒波でいっそう冷えるらしい。この寒さでは、観光客の増加もさすがにまだ雪に隠れて見えない。

2013年1月15日 (火)

ああ無情

文豪ビクトル・ユーゴーの小説「ああ無情」を原作とした舞台「レ・ミゼラブル」は世界的な大ヒットを続けている超有名ミュージカルだ。

そのミュージカルを映画化にした「レ・ミゼラブル」が公開されて高い評価を得ている。

自称・ミュージカル好きとしては見なければなるまいと吹雪の中、郡山まで出掛けて行った。

ぐずぐずしてると高速も通行止めになりそうな天候だったので朝一の上映を目指して会津を出た。

ギリギリながら無事到着、帰りの雪道の事は考えずに鑑賞した。

とっても良かった。実に素晴らしい出来栄え。感動した。

監督は、「英国王のスピーチ」でアカデミー賞をとったトム・クーパー。ジャンバルジャンがヒュー・ジャックマン、追いつめる警部ジャベールがラッセル・クロウ、ファンテーヌがアン・ハサウェイと、「え?この人たち歌うの?」というような役者がズラリと顔を揃えている。

ヒュー・ジャックマンなんか「X-MEN」専門かと思ってましたが、ゴメンナサイでした。ラッセル・クロウもあんなに歌うとは思わなかった。

海外のスターというのは本当に基礎がしっかりしていて下積みの長い苦労人が多い。みなさん経験を豊富に積んでいるのですなぁ・・・ヒューも売れない時代はミュージカルに出ていたそうだ。

このミュージカルは、セリフがなくて全編が歌でオペラのような構成。それも吹き替えなしの一発長回し、直録という超難関な芝居を要求されている。

役者はドアップで一曲を歌い上げる。まったくごまかしが効かない、厳しい監督の要求だ。

ネットのユーザーレビューに散見するように確かにバカウマという歌ではないのだろうが、歌唱力云々を越えた力を充分に感じた。あれだけ心に突き刺さる歌に、上手いも下手もない。

アン・ハサウェイが歌う名曲「夢やぶれて」。数分の中に、感情の盛り上がりがあって、大粒の涙がこぼれ落ち、最後には絶望の涙も乾く。

泣くことは簡単かもしれないが、泣いてしまったら歌えない。そして歌いながらも絶望の中で涙が消えるまで・・・一曲で紡ぎ出す感動の世界、素晴らしい!

見終わって感じたのは、なんというか、西洋芸術のパワーだ。

上手く表現できないが、緻密で繊細な職人が集まって作り上げた名作という感じではなくて、すごい力持ちが集まってぶつかりあって、強烈に練り上げた造形がそのまま作品として成立している感じ・・・。

良いとか悪いとか、優れているとかいないとかではなく、日本人の造るものとは根本的に違う何かを感じた。

3時間近い時の経つのも忘れます。疲れ、人生にため息をついている人は必見です!

帰り道、ネットで道路状況を確認。磐越自動車道雪のため一部通行止めになっているじゃありませんか、ああ無情!

2013年1月13日 (日)

白い贈り物

12日(土)、お城にほど近い、元の会津図書館跡の建物を使いNHK大河ドラマ「八重の桜」の魅力を楽しめる「ハンサムウーマン八重と会津博 大河ドラマ館」がオープンした。

主演の綾瀬はるかさん、エグゼクティブプロデューサーの内藤愼介さん、会津松平家十四代・松平保久さまなどの来賓を招いてオープニングセレモニーが華やかに行われた。

会館前にテントを張って行われた式典、大変に寒い日で皆、震え上がったという。

(・・・かく言う小生は、悪友たちと那須のゴルフ場にいた。晴天、午前中はカチカチだったが、昼近くから気温が上がって8度から9度近くなった。気温が上がると体も動くようになる。後半はなかなか良いスコアで回ることができて楽しかった。へび年ゆえに、ある程度の気温がないとダメなのかもしれない。)

話を戻して、オープニング時の模様は夕刻からのテレビニュースでも流されたし、十四代を囲んで開かれた会津松平家奉賛会の新年会の席上でもお聞きした。

大河ドラマの放映に伴い、このところ殿の会津入りもめっきり増えた。

例年、新年会は行われないのだが、今年は、奉賛会専属の東山芸者の真衣ちゃんも招き、和やかな宴が実現した。

集まれば会津清酒をいただき、その後、恒例の殿への近況報告がある。

全くの異業種の集まりであり、それぞれの仕事や趣味を通して近況を語るが、年年歳歳、会津の歴史や文化、松平家に寄せる想いがヒートアップしているように思える。

大河の影響もあるだろうが、歳を重ねるほどに故郷に寄せる思いが強くなる、年齢と愛郷心はどうやら連動しているようだ。

さて、オープニングの寒風の中、綾瀬はるかさんが突然白いものを殿様に手渡されたそうな。「殿様、ふたっつあっからつかってくなんしょ!」と言ったとか・・・。

スタッフが主演女優さんのために用意したホッカイロをひとつ、優しくそれもごく自然に殿様に手渡された。

その光景を見ていた奉賛会顧問の、ジイと呼ばれるM氏は、それだけで感極まり落涙したのだという。

役を越えて、会津への想いを感じさせる綾瀬はるかさんの自然なふるまい、殿への小さな白い贈り物、土地のジイ様たちはそれだけで大感激なのであります。

綾瀬はるか様、この一年、ぜひとも健康で、精一杯頑張ってくなんしょなし!

2013年1月11日 (金)

『魂の感動』

これは本のタイトルである。日本プロ野球コミッショナーを務められた故・川島廣守さんが、生前様々なところで書かれた文章を一冊にまとめ上げた本で昨年暮れに出版された。

B5判370頁、頒価はわずか1000円である。

大正11年に生まれた川島さんは、武士の風格を漂わせた堂々とした会津人であった。

苦学の末に内務省入省、戦後は警察関係の要職を務め、中曽根総理大臣の時には内閣官房副長官を務められた。

また本田宗一郎氏との親交も厚く、本田財団の理事長も長く務められ、平成10年には日本プロ野球コミッショナーに就任されている。

昨年、「魂の感動」の刷上がりを待つばかりの暮れに旅立たれた。

本には母校会津高校の生徒たちに向けた講演録、会津学生寮生へ向けた巻頭言、会津会など様々な出版物に寄せた玉稿が掲載されている。

この本を発行したのは「卒寿をお祝いする三人の会」である。千葉宏さん、原田洋一さん、そして中心となって奮迅の活躍をした穴澤耕二くんの三人だ。

穴澤くんは私の会津高校の同級生である。

事の成り行きを巻末に穴澤くんが詳しく書き記している。

十数年前に川島氏と知己を得た穴澤くんは、川島さんの人物にたちまち魅せられてしまい、勝手に師事することにしたという。

そして90歳を迎える祝いとして「川島廣守 心訓抄」と銘打ったこの書籍の出版を思い立ち、ほぼ一人で編集に取り掛かった。

その想いの根底には膨大な数の川島氏の著作の散逸を防ぎ、まとまったものとして残したい!という祈りにも似た熱い想いがあった。特に若者たちに川島氏の想い、会津の精神を伝えたいと強く願った。

川島氏はこれまで様々な方面からの出版話しを断り続けてきたが、穴澤君の申し出は快く受けられたという。

本を繰るごとに、その熱意に頭が下がる。

3000冊を自費出版、編集などの費用は一切見ずに(もちろん儲けなどあるはずもない)、全くの原価で出来るだけ安く広く頒布し、一人でも多くの若者に川島氏の声を届けたい!とその無垢な一心である。

自腹を切り、徹夜に近い日々を続け、なんとか卒寿の日に川島氏に90冊をお祝いに渡したい、と穴澤くんはまさに身体を張った。

彼もまた愚直なまでにひたむきな、見事な会津人であると言えるだろう。

残念ながら刷上がりには間に合わなかったものの、川島氏はゲラ・原稿には充分に目を通された。思いが届いたことは疑いがない。

巻頭に「満腔の謝意を表したい」と述べておられる。

この名著「魂の感動」は、栄町オサダさん、割烹萬花楼、食事処・独鈷で手に入る。

川島廣守さんのお別れの会は1月19日に東京で、また26日に会津若松ワシントンホテルにて行われる予定だ。

その霊前にささげられるであろう「魂の感動」、川島廣守さんのあの優しい満面の笑みが思い浮かぶ・・・合掌。

2013年1月 9日 (水)

良縁

男女の仲というものは難しい。いくら周りが良い人じゃない?と言ってみても、縁がなければなかなかくっつかない。

前にも書いたが、周りに独身の男女が本当に多い。男も女も多いのだから、カップリングが成立していいはずだがそうはならない。笑い事ではない、国家的な大問題だ。

少子高齢化が叫ばれて久しいが、これは出生率から割り出して予測される人口減・高齢化が国力の衰退を招くという話だ。

だが、そのカーブの描く現実は、もっともっと深刻な気がしてならない。

出生率以前に男女が結婚をしないのでは、子どもが増えようがないだろう。(一般的には)

おまけに今、シングルライフを謳歌しているナイスミドル達が押し並べて独居老人化し、少ない若者達がそれを支えてなくてはならなくなったら、大変なことだ。

昔は、人生の先輩が良縁を結ぶことが出来た。

「添い遂げる」事を目的に、男女が祝言を上げることもあった。今は「幸せになること」が目的で「添い遂げること」が目的になったりはしない。

この「幸せ探し」が曲者なのだ。だって、どうなれば幸せになるかなど、やってみないことには誰にも分りはしないのだから・・・。

それなのに人は青い鳥を捕まえようと上ばかりを見ている。

青っぽいけどちょっと違う、もっと青いの、もっと大きいの、もっときれいなのと、夢というか欲というか、そいうものに囚われ続け、気が付けば老眼で、鳥の姿さえよく見えなくなっていたりする。

何があっても添い遂げる!多少の事は見ないふり、気付かないふりして、我慢、我慢・・・そんな一見、理不尽な日々の先にとんでもない青い鳥が羽ばたいていたりする、それもまた人生なのだ。

思いっきり踏切り板を蹴るから高い跳び箱が飛び越えられるように、時には「エイ、ヤ―!」の精神も必要ではないだろうか?

チルチル、ミチルの青い鳥が実はすぐそばで羽ばたいていたように、幸せなんてその気になればその辺にゴロゴロ転がっている・・・かもしれない。

確かなことは人生やり直しがきかないこと。先々、一人よりは二人、二人よりは家族の方が、なにかにつけて心強いという事だ。

今夜も冷え込みそうだ。会津に良縁の粉雪が舞い踊ればいいのに!と願う。

2013年1月 8日 (火)

スキーのない冬

もうスキーをしなくなってどのくらい経つだろうか?

会津はスキー天国だ。数多くのスキー場があり、雪質もコースも良い、おまけに言うなら、一時期ほどのスキーブームは去り、休日でも何処のスキー場でも思う存分滑れる。(らしい)

父がスキーをしていたので、こどもの頃からスキーはしていた。

小学校の低学年の頃は日新小学校裏の湯川の土手で滑ったり、鶴ヶ城の西出丸の坂で滑ったりした。

もうちょっとスキー場らしいところとなると、小田山のスキー場に行ったりした。

七日町から小田橋までバスで行き、一日中滑った。帰りはなんとスキーを履いたまま小田山から七日町まで一般道を歩いて帰って来た記憶があるから、のどかなものだった。(運転手さんには怒鳴られたりもしたが・・・)

父と行くのはもう少し上等で、背あぶり山のスキー場にケーブルカーで行った。ゲレンデにリフトはなかったが、猪苗代側の別斜面に横に移動するリフトが動いていたっけ。

高学年になると猪苗代スキー場に連れて行ってもらった。猪苗代スキー場となるとリフト完備の本格派だ。スロープも長く、変化に富んでいる。

汽車に乗り、バスに乗り、さらにリフトに乗るのには吹雪の中を一時間ぐらい平気で並んだ。当時のスキー場はすごい人だったのだ。

中学生になると友達同士で猪苗代スキー場へよく行った。帰りは山下りコースとか言って、林の中を下り、田んぼの中を真っ直ぐ猪苗代駅までスキーで滑って帰って来たのだから、これまたのどかなものだった。

若い頃は冬の遊びはスキーが定番で、友達同士や上手くすれば合コンみたいにして仲間でよく行ったっけ。

映画「私をスキーに連れてって」の大ヒット、あの頃がスキーの絶頂期だった。それこそ、ゲレンデが溶けるほど恋したい、と日々、切に夢見ていた。

今はスキーとスノーボードを楽しむ人を合わせても、当時のスキー人口の半分だという。

会津のスキー場もいくつかが閉鎖したり、経営が変わったりしている。

スノーボードが勢力を増してきた頃からまったく滑っていない・・・当時のスキー板は長かったが、今はカービングと言って、短いし簡単にくるくるまわれるらしい。

先週、カッチンコッチンに凍るほどの寒さの中でゴルフをした。グリーンも全体に凍っていてツルーとボールが曲がらない。フェアウェイもクラブが弾かれる。スキーウェアでも着ないととても寒くてやっていられない感じだった。

やっぱり真冬日のゴルフは無理、さすがにこれは違うと思った。

貸しスキーでも充分なので、たまにはスキーもいいかなとチラッと思ったりもするが、重い腰はとても上がらない。それどころか『年寄りの冷や水』などという言葉が先に頭をよぎる・・・。

この冬は寒い、那須や栃木でも相当に冷え込んでいて、3月まではゴルフもなぁ・・・だ。

スキーのない寒い冬は長い。

2013年1月 6日 (日)

さすけね

NHK大河ドラマ「八重の桜」の放送が遂に始まった。

なかなかのスケール感、迫力も映画並みで、映し出される山河も美しい。

結局、6時からのBSと8時からの地上波と2度観てしまった。歳のせいか、ところどころ、うっすら涙も滲んだ。

強く感じたのは、物語の重要な役柄の一人に「会津」という土地が居るという事。

これまで色々な歴史ドラマに会津が出てきたが、これほど丁寧にその風土・文化・歴史を描いたものはなかったのではないだろうか?

「ならぬものはならぬものです」この言葉が第一話の中に、一体何度登場したことだろう?この言葉こそが今の日本にとって大切であり、重要なメッセージである!という作家の想いを強く感じた。

会津弁の方言指導にもかなり力が入っている。地元の我々も今ではあまり聞かないコテコテの会津弁だ。

安易にズーズー弁でサラッと描くのではなく、この会津を舞台として八重さんの物語をしっかり描いて行くんですよ、という宣言とも言えるだろう。

「あんつあま、おどっつあま、おらも鉄砲打じっちぇ!」・・・結構な会津訛りをそのままにオンエア、果たして関西や九州の人はこのままで意味が分るのだろうか?と、少し心配になるほどだった。

とにかく全編に会津、会津、が打ち出され、嬉しい反面ちょっと恐縮さえする。

方言でテロップが出たのは「さすけね=大丈夫だ」だけだった。差し支えないから転じた「さすけね」、今の混乱の時代を明るく切り拓くにはピッタリの言葉かもしれない。

ドンマイ、ノープロブレム、さすけね、さすけね~!案外流行ったりして。

とにもかくにも「八重の桜」によって、この一年、会津が全国に広く、大きく取り上げられていく事は、第一話を観ただけでよーく分かった。

この大河ドラマが会津の観光、経済、ひいては文化に与える影響は相当に大きいものだろう。

この大河ドラマに大きく背中を押され、会津は東北復興の発火点とならなければならない。

また、訪れるであろう多くの人々の期待を裏切ることなく「ならぬことはならぬものです」を身をもって示していかなくてはならないともいえる。

それを考えれば喜んでばかりもいられない、責任は重大なのである。

さすけない?

2013年1月 5日 (土)

八重盛り

4日は仕事始め、毎年、午前11時から中之島で新年市民交歓会が開かれる。

主催者に会津若松市長、市議会議長、商工会議所会頭、区長会長などが顔をそろえ、来賓には国会議員や県会議員さんがズラリと並ぶ。

市長が代表して新年の抱負を述べ、来賓を紹介し、万歳三唱して乾杯!満場の人々が互いに新年のあいさつを述べ合う、年頭の顔合わせ会だ。

今年の会場の雰囲気は明るかった。

平成25年に寄せる会津の期待はものすごく大きいものがある。なんといってもNHK大河ドラマ「八重の桜」の放映が始まるからだ。

どこへ行っても、どなたのあいさつを聞いても「八重の桜」「八重の桜」だ。

本格的に会津を舞台にした大河ドラマだけに、大人気の綾瀬はるかさんが主演なだけに、期待は膨らむ一方だ。

NHKさんも、会津を発火点にした「東北復興!」が大目的だけに事前PRも従来の大河以上に力が入っているように感じられる。

「平清盛」の低迷で後がない、というのもあるのだろうけれど。(私はなかなかしっかりした出来だったと思っているけれど・・・)

今回の「八重の桜」でこれぞ大河ドラマ、という高視聴率を叩き出し、東北の復興のみならず、NHK大河ドラマの復活も目論んでいるというところだろう。

城前の旧会津図書館の建物は、大河ドラマ館として新しい観光スポットに姿を変えている。まさに準備万端、観光会津の超V字回復への期待は、はちきれんばかりである。

放送はいよいよ明日6日の日曜日から始まる。会津稽古堂ではパブリックビューイングも行われるという。

おそらく、この「八重の桜」によって従前にない数多くの観光客が会津を訪れることになるだろう。

あえて、少々憎まれ口を言うなら、正念場はそこからなのである。

来てくれた人々にいかに会津の魅力を見せられるかだ。

八重さん頼み、八重さん頼り、八重さん便乗、の嵐では単なるブームになるだけで、それは台風のように吹き抜けるだけだ。

頑固で誇り高く、愚直なまでに不器用だけれど一本芯を貫き通す、そんなイメージを裏切らない魅力的な「会津」に数多くの人々が出会える、会津に来てよかったと思っていただけることが大切だ。

「八重の桜」は大いなるエールだ!

この大応援を受けて復興は自助、共助、そして公助+NHK助で力強く進む事を、心から期待したいものだ。

2013年1月 3日 (木)

紅白歌合戦

これはもう、好きとか嫌いとかではなく、幼いころからの習慣で毎年必ず見る。

こどもの頃、家は菓子作りの商家だった。店には生菓子やケーキが並び、一年最後の大晦日まで叔父夫婦や母、使用人が忙しく働いていた。(父は勤め人でした)

大晦日はさすがに仕舞いが早く、夕方には女性陣が台所で年越しの準備に精を出していた。

会津の年越しにはざくざく煮、塩引き鮭が必ず出され、青豆や松前漬け刺身などのご馳走が並んだ。

普段はみなバラバラの食卓に、父を真ん中に大人数が肩をすぼめるようにして勢ぞろいする。一年の労をねぎらい乾杯、そのジュースが嬉しかったっけ。

やがて酒が入り、テレビでは紅白歌合戦が始まる。

様々な歌声、一組ごとに大人たちがああでもないこうでもないと騒ぎ、時に口ずさみ、笑った。その大家族勢ぞろいの中にいるだけで幸せで温かかった。

9時になっても、10時になってもこの日だけは「もう寝ろ!」とは言われない。大人たちの酒宴も延々と続き、歌を介した思い出話、笑いも尽きることがない。

外はぴゅーぴゅーの吹雪、火鉢でチンチン沸いている薬缶の湯気を眠い目で眺める。母に頭をなでられている内にトロトロ、気が付いた時には小さな画面の中でみんなが蛍の光を歌っていた。

学生時代、4畳半一間の汚い部屋で友と見た紅白歌合戦、新しい家族を得て、年越しの風習の違いに戸惑いながら見た紅白、そして優しいい母を送り、年老いた父と見た紅白。

毎年、毎年、ずーっと見ていれば、やっぱり人生の思い出に重なるものだ。

今年の(去年のというのか)紅白歌合戦は第63回、この紅白は我が家の家族四人で見る最後の紅白歌合戦となる。

五月には娘が新しい家族と、新しい人生を歩み出す。ちょっぴり感傷的な思いも胸をよぎったが酒も料理も美味く、すぐに酔っぱらってしまった・・・。

ちなみに今年の紅白、初出場の三輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」にすべて持っていかれてしまった感じ、やっぱりタダものではない。

永ちゃんも去年よりはずっと良かった。やっぱり、あれだよ永ちゃん!

さて来年はいったいどういうメンツで観ることになるのだろう紅白歌合戦・・・。

楽しみにしておこう。

2013年1月 1日 (火)

巳年

謹賀新年 今年もよろしくお願いいたします。

2013年は巳年、私は1953年の巳年生まれ。迎えて60回、なんと還暦という事になる。

若い頃は60歳!などというと大年寄りだと思っていたが、いざ自分がなってみるとそれほどの実感はない。

足腰に自信があるわけではないが、自由に動き、ウォーキングもゴルフも多少の無理も効く。食も全体的に肉類は減ったが、時折、大盛りを頼んでしまう。酒も人様より多目に飲む。おネエちゃんにも興味が失せたというわけではない。

還暦でこのレベルでいられることに心から感謝しなくては罰が当たるだろう、と思っている。

同窓生の中には、様々な病を抱えたり、病とまでは行かなくても膝関節など運動機能の衰えが著しかったり、精神面でも男の更年期の様なものに悩まされたりして、苦労を味わっている仲間も少なくない。

もちろんすでに鬼籍に入った友もいる。

周りを見渡せば「明日は我が身」という言葉が、とても実感を持って響く。

それだけにこの一日一日を大切に、悔いなく生きなければならないと強く思うのである。

思うのではあるが、生来の怠け者の性質は衰えることなく逆に育っているようだから困る。

身体能力の低下と反比例しているのだろうか。この反比例グラフにくさびを打ち込むことが今年の課題と言って良い。

とうとう2012年の大晦日まで1枚の賀状も書かなかった。風邪気味ということもあったが、面倒くさいが第一だった。

暮れに何枚もの年賀欠礼のはがきが届いた(これが年々多くなるのだ)それを選り分けるのが面倒だ、との言い訳で、元旦に来た賀状に一気に返事を書くことにした。(なんとまぁ、年頭早々、面倒くさがりなことか!)

この手で行くなら来年からは「寒中見舞い」を作り、賀状の返事を一斉に出すというのに切り替えてもいいかな、と考えたりもしている。(家人はそれでは困るだろうから、話し合いが必要であるが・・・。)

なにはともあれ、そんなことをしている内に巳年の新年は明けた。

本年が皆様にとって、また会津にとって、日本国にとって佳き一年となることを心から祈りたい!

小生も面倒くさがりの皮を脱皮して、スマートな還暦の蛇になりたい!と願う。会津は白い雪の元旦である。

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