« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月

2012年12月28日 (金)

離婚

『成田離婚の様なものです』と、周りが揶揄するのならまだしも、ご当人たちが恥ずかしげもなく自嘲しているのだから呆れる。

熱く手をつないだ未来は、こんなにも早く壊れてしまうものなのだろうか・・・。

罪は、誰の心にも突き刺さっている原発の問題を争点にして、あたかも未来を拓けるかのように欺いたこと。

オセロのコマをひっくり返す様に、「脱」や「卒」なんて簡単には行くはずもない。

誰もが出来る事なら無くした方が良い、と思っているに決まっている。でも、そのアプローチをどうするかが政治の仕事であって、幻想をふりまくのが仕事ではないはずだ。

早く年内離婚を成立させないとお金が入らない、などと聞かされると腹立たしさを通り越して悲しくなる。

偽装結婚は罪になるのに、こういうのはならないのだろうか?

とにかく、まっとうな政治が行われて、この国がもう少しシャンとしてくれる事を多くの人々が、祈りにも近い気持ちで願っている。

「一度逃げ出した人間は必ずまた逃げる」というのは、私の人生から得た教訓でもあるのだが、今回だけは例外となる事を期待したい。本当にもう、この国は後がないところまで来ているのだから・・・。

暮れの総選挙で、結局、会津からは二人の代議士が誕生した。お二人には「代議士」という言葉の重みを噛みしめて、健康に留意されて精一杯頑張って欲しいものである。

簡単に偽装結婚したり、成田離婚をしたり、その手の事は愚直なまでの会津人には決してできないことであるはずだ。

2012年12月27日 (木)

お終いと始まりの頃

会津は昨日からすごい寒波だ。昨日も今日も真冬日、雪がそれほど多くない分、道路がスケートリンク状態、交差点はクルマの発進で磨かれるので一層ツルツルだ。

今年の12月は寒い。雪も早く、気温も低い。

クリスマスも終わり年の瀬、最後のあいさつ回りに来客が多い。「今年一年お世話になりました。また来年もよろしく」

今年の課題がすべて解決、決着、終了するわけではないが、年が改まり一旦リセットする、この空気が日本人には必要なのだ。

病気を抱えた人も状態が許せば一旦は退院し、正月を自宅で迎える人が多い。

年が改まるように、病気の方もリセット出来ればいいけれども、それは叶わぬ夢。

どうか、この年末年始の家庭の温もり(気温は低いけれど)の中で、病気と戦う意志を太くして、生きるエネルギーを温めて強くしてください。

焦らず、落ち込まず・・・口で言うのは簡単、本人の身にもなってみろ!と怒りたくなっても笑って笑って。

『悲観は情緒、楽観は意志』とも言います。難しいけど楽観的に行きましょう。

このお終いと始まりの時期に、臭い顔をしていると一年中ろくな事がないと昔の人は教えている。

課題山積、積もる思いは重くとも、ここは一旦、和やかに笑って新しい年を迎えようではありませんか!

苦虫をかみつぶしたようにして迎えるよりかは、必ず良い事があるに違いないのですから。

次第に暮れゆく2012年・・・・暮れゆく街の道路は再びツルツルに。

2012年12月24日 (月)

当たる

くじ運悪し、という話を書いて肩の力が抜けたのが良かったのか、有馬記念では見事馬連をゲットした。それも本線で多く買っていたのが来た。

ま、競馬はくじではない。勘と推理、頭の勝負だ。(当たったから何とでも言える)

今年の天才3歳馬ゴールドシップ、今年の漢字が「金」だからアタマはこれで問題ないだろう。(世相を映すと言われる一年最後の人気馬レース、根拠はこんなものです)

問題は相手だ。ま、これは簡単だったなぁ・・・・(なんとでも言えます、スミマセン)

よく見ると池江寿、という厩舎から3頭の馬が出ている。他はすべて1厩舎1頭出しだ。3頭も出しているんだから1頭ぐらいはからむでしょう。(保証も根拠もない)

その中で血統を見る。そうするといたいた!あの強いゴールドシップとおんなじ父馬、ステイゴールドの仔が。6番オーシャンブルー、名前もいいじゃないですか。ゴールドシップ、オーシャンブルー、どっちも親はやはり「金」の付く、ステイゴールド、これは決まりでしょう。

連単でもいいのだけれど、そこはちょっと気が弱いので馬連で。。。。何枚とったかは秘密です。

久しぶりの競馬で年末の、それもクリスマス前の勝利、これまた気分が良い。

ま、考えてみればこれまでJRA(日本中央競馬会)へ積み立ててきた分の利子程度の話だが、人生、つまらない過去を振り返ってはいけない。

これで気分よくサンタクロースになれるなぁ。愛でたし、目出度し。

会津はうっすらの雪、今年のクリスマス寒波はそれほどでもなく、ちょうど良い目のホワイトクリスマスとなりました。

みなさん、メリー・クリスマス!

2012年12月20日 (木)

くじ運について

くじ運は相当に悪い方だ。これだけ忘年会をやっていてビンゴやら、お楽しみ抽選会やらやっているが当たったためしがない。毎年。

「人生小さなところで運を使っても仕方がない。こうやってお陰様でいられることが大当たりってこと・・・」と自分を慰めてはいるが、やはり、たまには当たってみたい。

「運」というぐらいだから当然偏っているわけだが、くじ運の良い奴というのは本当にいる。大分前の話しだが、Sくんという新入社員が入ってきて、色々指導したり、移動のクルマの中で話したりすると、実によくくじが当たるのだという。

お年玉ハガキで切手以上の景品が何度も当たった事もあるし、賞品付のアンケートなど、応募するとよく当たるという。商店街のガラガラでは金の玉を出し、極めつけはクルマが当たったことがある、というのだ。ワゴン車が。

確かに同行していて缶コーヒーを買ったりしても、不思議ともう一本とか。アイスを食べても当たったりした。忘年会のお楽しみ抽選会も当たり前のように1等だった。

その後、数年して辞めて行ったが、彼の当たりな人生はどうなったのだろうか???別に思い出したりしたわけではないが、先日あるところでばったり出会った。

かなり太っていた。言われなければ全く分らなかったに違いないが、私に向かって丁寧に頭を下げてきたので、Sくんだと気付いた。

「おう、どうしてるの?」と聞いたら「いやー、なかなか仕事がなくて大変です」と自信なさげに笑った。

それ以上の事は何も尋ねはしなかったが、やはり人生、努力に勝るくじ運というのは、結局ないんだな、と申し訳ないが思ってしまったのであった。

今年の忘年会もあと4つ。明日は集中日で3つ掛け持ちなんて事になってしまった。でも、きっとどこに行ってもビンゴもくじ引きも当たらないだろう。ま、いいか。

これもきっと当たらないだろうが、年末ジャンボ宝くじも有馬記念も一応は買う。それがジェントルマンのたしなみというやつだ(?)買わなきゃ絶対に当たらないし、時には当たるかもしれないじゃないか。

ただし、こういうものは当たった時の事を想像する楽しい時間に対価を払った、と思って納得できる金額にとどめる。これが大事だ。

今年もここまでくじは当たらずにもう12月20日、今年の会津の年の瀬は、例年よりも寒く、空気がキュッと絞まっている感じだ。

2012年12月19日 (水)

怒りの種

「スイカ」とか「パスモ」とか全国のICカードが共通化されるというニュースが流れた。全国で広く使えてとても便利になるらしい。

東京や大阪など、大きな街に行くとスイスイ乗れるICカードはとても便利だ。いちいち小銭を出す必要もないし、財布がジャラ銭で膨れ上がる事もない。そのカードで買い物も出来るし、無くなればチャージし、何度でも使える。楽チンだ。(とはいえ、実は使ったことがない)

先日、飲み会の席でそのICカードの話題になった。東京に出張に出たりするとICカードなしではやってられないという。駅で買い物したりする時も、多くの人がカードでタッチ、タッチでスイスイ行くが、中に小銭ジャラジャラでモタモタしている人がいると、超頭に来るというのだ。

その話を聞いてちょっとドキッとした。

小生は、お金を払っておつりをもらって、それをゴソゴソ財布にしまったりしているわけだから、ただそれだけで案外、人にムカつかれているのかもしれない・・・。

そういえば、コンビニのレジなどで、後ろに人が並んでいると時々殺気の様なものを感じる事がある。殺気は大袈裟かもしれないが「おっさん早くしろよ!」の様なイライラ感は確かに感じることがある。

すぐ後ろで缶コーヒーとか持った兄ちゃんが、イラっとして貧乏ゆすりしていたりする。

便利さを享受している人からすれば、その便利さに加わろうとしない人間はきっと異次元の生き物なのだろう。

「なんでカードも持ってねぇの?なんでお財布携帯もないわけ?なんで?なんで?スッとやりゃあパッと出来んのによ、なんで?」

そんな事を考えれば世の中、何も人には迷惑をかけずに生きていると思っているのに、普通に暮らしているだけなのに、思いもよらないところで怒りの種をばらまいているのかもしれない。

そう思うとなんだか少し怖くなる。

便利さは、便利じゃないものに対する怒りを産む。IT社会が進めば進むほど、人はイラつき、堪え性が無くなって行くのかもしれない。

ツイッターやフェイスブックだって思わぬところで怒りを振りまくこともある。暴かれるプライバシー、繋がりを切っただけで逆に買うかもしれない恨み。

ちょっと意見を言っただけですぐに炎上騒ぎになるのは、何ものかに対して常に文句を言いたい「庶民」という名のモンスターが潜んでいるからだ。

便利さのその裏側で、複雑な怒りの種が蒔かれている社会、全く意識もしていないところで大きな渦に巻き込まれないとも限らない。くわばら、くわばらである。

会津は晴れた分、キンキンに冷えました、明日はもっと寒くなるとか。クリスマス寒波の予報もあり、サンタさんも雪道で大変になるかもしれません。

2012年12月17日 (月)

ワイパー

ワイパーで水を掻くみたいに、民主から自民へとバサッと政権が交代した。あんまり勢いが良すぎて、二大政党なんて言葉もどこかに吹き飛ばされてしまったみたいだ。

勝ったんじゃなくて相手が負けた。これが大方の見方、勝った方もここからちゃんと仕事が出来なければ、国民の信任は得られない。またバサッとワイパーのようなことになる。

ま、小選挙区の特性なのかもしれないがこんな風にバッサバッサと変わることが良い事なのか?これまでの3年半は、変わりすぎた…の後悔ばかり。ここから先は、ぜひそんな後悔は無しにしてほしいものだ。

会津からは選挙区、比例と二人の代議士が誕生した。いずれも新人、まだ若い。健勝と活躍を心から期待したい。

『何を言っても許される。たとえどんな嘘をついても、それを拡声器で街中に言いふらしてもかまわない。そうしたある一定の期間のことを選挙期間と呼ぶ』と、悪魔の辞典に書いてあるとかないとか・・・・。

そんなブラックユーモアはご勘弁願いたい。

今回の選挙結果が日本国民に対する大きなクリスマスプレゼントなのだ!なんて歯の浮くようなセリフが、せめて半分ぐらいは本当になって欲しいと願う、12月17日の朝であります。

会津は冷え込みながらも穏やかな晴れ。

2012年12月16日 (日)

まちづくりWS

会津若松市のまちづくりを考えるために「まちづくり応援隊」というのが組織され、みなさんボランティアで大変熱心にまちづくりの方向性を探り、中心市街地の活性化を議論し合っている。

私も一応、その一員ではあるが、どういう訳か毎回仕事とぶつかり極めて参加率が悪く、不真面目という訳ではないのだが、ろくな役目も果たせていない。

先日、総まとめ的なWS(ワークショップ)があると言うので、時間は遅れたが参加させてもらった。

まちづくりには、前職の時代からになるから20年近く前から関わらせてもらった。(最近は外から眺めているだけだが)

あの頃も同じようにまち歩きをし、まちの宝物や眠れる資源を探り、いかにまちおこしをしていくかというWSが繰り広げられたっけ・・・。

あれから相当な月日が経つし、メンバーも全く違うのだが、壁に張り出されるキーワード、まちづくりに何が必要か?という喧々諤々の議論、なんだかタイムスリップしたような感覚を覚えた。

歴史、文化、教育、人と人との関わり合い、居心地の良さ・・・・多少文言は違えども、問題意識や再生のための方策など、語られている事はあまり変わっていない。

誤解無き様に言っておくが、市やまちづくり会津も含めた一生懸命の活動を批判しようなどという気は毛頭ない。

それだけまちづくりという名の、一度ドーナツ化現象が進んだ中心市街地の活性化というのは困難であり、止め難いという事だ。

長年見続けてきて分かったことがある。

ひとつは、活性化⇒賑わいの創出⇒交流人口の増加⇒観光の活性化・・・という呪縛から少し逃れてみたほうがいいという事だ。

そして我々のような、もはや中高年の頭の中にある賑わいと、これからのまちをつくる若者の中にある「活性化・賑わい」にズレが生じている事を、補正しつつ議論を進めなければならないという事だ。

遠い日の神明通りの賑わいを取り戻そう、というような時代錯誤の想いの延長上に、決して解はない。

そして何よりも大切なのは人口だ。人口減を食い止めることこそがまちづくりの最大の眼目ではないか、とこの頃思う。

人口の減少を食い止めるあらゆる方策をやって行くことが、結果的にはまちづくりにつながる逆向きのアプローチなのかもしれない。

子育て支援、保育所の確保、若くしてこどもを生み育てられるような環境整備、そうしたことばかりではなく、政治はもっともっと踏み込んでいくべきだ。

結婚支援や出会いの創出など、以前は政治が関わる領域ではなかった部分にも踏み込んでいかざるを得ない。

人口を支えることが地域を支える事なのだ、とつくづく思う。子作りだけでなく、中高年の共同生活の場や第二の人生サポートなどによる人口増も考えられるだろう。

『お客を呼んで売り上げを上げよう、という作為的なまちづくりはすぐに飽きる』という趣旨の発言をされた方がいた。

まさに同感、観光志向ばかりが強くなると張りぼての、書き割りのようなまちになってしまいかねない。まちづくりう運動の落とし穴はそこにある。

まちは人が住んでこそまちだ。人が住み、人口の増える(増えないまでも減っていかない)まちこそが、真に活性化したまちなのだと思う。

2012年12月15日 (土)

会津の商売

会津で商売をするのは難しい、という話を聞く。特に飲食店など客商売は難しいらしい。(やったことがないので当てにはならない話です)

全国展開の大手チェーンも会津は思いの外、少ないし、簡単には根付かない。

郊外の外食産業も、初めは大行列が出来るもののすぐに落ち着いて、やがて「あれ?」と思うぐらい簡単に看板が掛け変わっていたりする。

会津人の気性を示す有名な言葉で『会津の三泣き』というのがあるが、それと関係するところがあるのかもしれない。

最初は人見知りで相手を伺いとっつきにくい。付き合う内に人情深かさを知り、一旦良しとなればとことん付き合う。そして離れ難い思いを味わう、三泣き。。。。

自分に照らしてみてもやっぱり、好き嫌いが激しいかな、とも思う。

「偉ぶる、人を見る」というのが極端に嫌われる。

別にお店の人が偉ぶっているわけではないのだろうが、これはこうですよ、こんな事も知らないの?みたいな態度をとられるとカツンと来る。

ある寿司屋も若かりし頃「寿司はまずあっさりしたものから、寿司の頼み方も知らないのか」(そんなつもりで言ったわけでは全くないのだろうけれど・・・)的な、言葉にカチンときて、以来一度も行っていない。

よく通っていた焼き鳥屋も、ある晩オヤジが酔って説教垂れたので、客に説教する居酒屋など最低だ!と30年近く行かない。(こちらはひょんなことで最近和解した)

人を見る、接客というのも嫌なものだ。

常連のお金持ちにみせる態度と、一元に対する態度が明らかに違う。それは違って当たり前なのだが、片や揉み手で、片やもっと注文しろ!的な横柄さだったら頭に来る。

まして人を見て、値段が違うんじゃないか?という印象を与えたら最低だ。

最近明らかに高いんじゃねぇ?というようなことが割とある。

もし、この人なら多少取っても大丈夫、と思っているとしたら大きな間違いだ、と声を大にして言いたい。

ま、会津の場合、料理人は結構シャイで口数少なく腰が低いのが一番ではないだろうか?客の方もシャイなので、何度か通う内にやっと打ち解け常連となれる。そして、そうなるとなかなか離れない。

総じて見るとそんな店が長くのれんを守っているような気がする。(もっとも、味が良いというのが第一の前提条件ではあるけれど)

一時期評判をとった店ほど、姿を消すのが早い様な気もする。

じわじわじわーっつと、三泣きよろしく、最後に離れ難い涙を流すような、お店が愛されるのでしょうな。

え~っつと今夜の忘年会は・・・・ああ、あの店もだいぶ長いなぁ。

2012年12月12日 (水)

もっときれいに雪を掻いてもらえませんか?

会津は、60センチほどになるだろうか、一気に雪が積もった。これだけ降れば根雪になってしまうだろう。あぁ~、今年の冬は長い。

雪が降ると一斉に除雪車が出動する。会津若松市の年間の除雪費用は5億円にもなるという。雪をひたすら退けて交通を確保する、重機で一生懸命に運んだ雪もやがては消えてなくなり、形としては何も残らない。雪が融ければ春になるだけだ。

この除雪費用のかかる北国と、雪のない地方では財政にも大分違いが出るだろう。

除雪というのも、上手下手が極端に表れる高等技術である。上手な人の除雪した道路は、平らで走りやすいし、日が出て少し緩むとすぐに融けて黒い顔を出す。

下手くそがやると凸凹がひどい、融けてもぼつぼつの健康サンダルのお化けみたいに氷の球が残り、走りにくいことこの上ない。

近年、どうもこの下手くそ除雪が増えているような気がしてならない。

除雪費も削られるし、景気の低迷から大手の建設会社でも除雪の重機をもちきれなくなって手放すところが相次いだ。それによって除雪技術の継承が途切れているのではないだろうか?

今回の雪でもひどい道路がだいぶあった。

5億円も使って、果たしてその仕事の「質」の検証はしっかりとなされているのだろうか?

仕事の質、品質、結果などを厳しく問われるのは民間企業では当たり前の事だ。それが発注者の望むレベルに達していなければ、厳しく攻められるし、値引きや、支払い拒否などという事も発生する。

もちろん一定レベルに達するまでは何度でもやり直しを、無料でやらなければならない。

役所の入札という制度は、そこのところが極めてあいまいだ。安い札を入れたところが落札となるわけだが、その仕事の「質」、ちゃんとやる責任を最後まで検証するのだろうか?と、「?」を抱く。

そこが親方日の丸というか、官と民との感覚の違いというやつだろう。自腹を切るのと、誰かが出してくれる、という感覚の差だ。

出動回数、総延長距離など、入札要件を満たせばそれでいいような・・・たとえ下手くそでも。

もし除雪が悪ければ市民から苦情の電話がジャンジャン入るだろう。それに応えて年々技術が向上していくのなら分る。

しかし近年、(数値的に証明することは出来ないが)一市民の感覚として会津若松市の除雪の技術はどうも下がっているように思えてならない。

賛同する方、いらっしゃるでしょうか?

2012年12月10日 (月)

注げども注げども

時に愛情とは厄介なものである。愛があればすべてが解決するなどという幻想に囚われていればなおの事だ。

親子の情愛など近しければ近しいほど、一歩間違えると愛憎劇に早変わりなどとい言う事にもなりかねない。

心の病の原因は周りとの人間関係に起因する事が少なくない。それもいじめのようなマイナスの関係ばかりではなく、過剰な親子の愛情だったりする事もある。

どんなに美しい花にもあんまり水をやりすぎると、根腐れをを起こしてしまう。それに似たような関係が人を苦しめる事もあるのだ。

異常なほどに愛情を注ぐお母さん、こどものためなら何でもするとばかりに過剰包装状態にして、こどもの自立や成長を阻害していることに気付かない。

お父さんもまた、お母さんの愛をひたすら応援する。

かくして注げども注げども愛情はこぼれおち、淀み、変質していく。

医師はこの親子関係を切り離すことがまず必要だ、と言っても当の本人たちはまったく聞く耳をもたない。

こどもは一般社会とうまく折り合いを付けることが出来なくなり、やがて家族は「愛の城」に籠城するようになる。

愛しても愛しても誰一人、苦しみから抜け出すことが出来ない。人々に愛を説く人が、愛に絡みとられているような・・・それでもそこに幸せがあるのだろうか?

まったく持って不可思議なものでもある・・・「愛」

会津は一夜にして真っ白な雪国となった。

2012年12月 7日 (金)

美しすぎる

今朝の会津の山々、うっすらと雪化粧し、あまりにも美しく息をのみました。

まだ雪は積もってはいない。冷え込んだ朝の木々にうっすらの雪、枝の先の一本一本にまで針のような真っ白な雪、針葉樹は純白の下に深い緑を湛えどっしりと、墨絵というよりも淡い天然色だ。

こんなにも美しい山々に囲まれて会津盆地の朝は明ける。

こんな美しい季節の景色にふれる度に『満開の桜や色づく山の紅葉を この先いったい何度見ることになるだろう ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ ひとりひとり愛する人のために生きて行きたいよ』(竹内まりあ・人生の扉)の歌詞が浮かぶ。

好きだった勘三郎さんも逝ってしまった。勘九郎の頃からファンだった。特に歌舞伎に入れ込んだわけではないが、現代劇やトーク番組も、いい味出してたし、いい役者だな、と好きだった。

「ディア・ドクター」ほんのチョイ役の医師、あんな存在感のある役者はちょっといない。善い人をやれば本当に善い人に、悪をやれば憎らしいほどの悪に。

さよならだけが人生さ・・・分れの時は誰にでも必ず来る。朝のニュース映像を見ているだけで涙がこぼれる。涙もろくなったものだ。

美しい朝の山々、女房殿が運転する車の助手席で少々二日酔いで眺めていました。

「きれーだなぁ!」「きれいだねぇ~!」感動し合える幸せを噛みしめて、また今宵も忘年会は続くのでありました。

2012年12月 4日 (火)

ヨーイ・ドン!

慌ただしい師走の会津にも選挙の号砲が鳴り響いた。

今の日本ではネット選挙は認められていないので、ホームページやツイッター、フェイスブックなどもこの期間は全く更新したりつぶやいたりできないらしい。

もちろんネット投票など出来ないから無党派層の中心となる若い人の投票率は、やっぱり上がらないだろう。

インターネットのない時代に出来た法律を後生大事に守ろうとするのはどういう勢力なのだろう。

無党派層の投票率が上がると、面白がりの人気投票みたいになってしまうから危険だ、という説も一理、いや半理ぐらいはあるかもしれない。

しかし、何よりも確かなことは、時代の激しい流れは誰にも止められないという事だ。

弁当箱のような携帯電話をぶら下げて、工事現場の監督よろしく戸外から電話して悦に入っていた時代はそう遠い昔のことではない。

それが一人一台ポケットに、から、あっと言う間に一人一台の通信機器というよりもコンピュータそのものになり、居ながらに何でもかんでもいろんなことが出来る世界になった。それもアッという間になった。そして驚くほどの速さでまだまだまだまだ進歩している。

こんな時代にネット投票も出来ないなんて、やっぱりおかしいだろう。

AKB48の総選挙みたいになって、政治がポピュリズムに陥る、と言う危険性は確かだろう。しかし、すでに国民の多くがそうした世代になってこの国を支えているのだから、もはや仕方がない。

それで滅茶苦茶な事になれば、それもそれ日本人の選択なのだから致し方あるまい、とニヒルに思ったりする。

世代の価値観が違うのは致し方のない事だ。

神代の昔から年寄りは『今時の若い物はどうしようもねぇ・・・』と言い続けてきた。

30年前、40年前の自分の価値観にしがみついていると、老朽化で天井が落っこちて来てしまうかもしれない。

案外、賢い選択をするのは、自分たちは正しいと思っている高年世代ではなく、アイドルにうつつを抜かしてる(抜かさない人ももちろん大勢いる)ような、若者たちなのかもしれない。

いずれにせよヨーイ・ドン!各陣営の出陣式が行われている会津は雨模様の朝です。

2012年12月 1日 (土)

言ったって出来ない?

「だったらお前やってみろよ!」なんて言い合いは、仕事や様々な活動の現場でよく起こる。

人のやっていることや、やり方は、どうも批判的に見てしまうのは人間の性だ。自分ならもっとこうするのに、自分ならもっとうまくやるのに・・・・。

しかし、世の中に起こっていることには、どんなにつまらなく見えることであっても、やはりそれなりの訳や理由があるものなのだ。物事にはそこに至る経過というものがちゃんとある。

それを全く無視して「何やってんだ!」と言い放てば「やかましい、だったらお前やってみろよこの野郎!!」という事になる。

結果だけ見て批判してもそう簡単に出来るものではない。机の上で考えた理想論を振りまいてみてもそう簡単に出来やしないんだ、という事を我々はこの三年間でいやというほど思い知らされた。

日本中の高速道路をタダにしたり、こども一人に何十万円も現金を配ったり、ちょいとムダを絞れば何兆円もの財源が生まれるんだ、ということごとくが『物事そんな簡単じゃねぇよな』という結論を見た。

言ったって出来ない!この三年半、我々はその事を身をもって知らされ痛い目に遭ってきた。そして、師走の総選挙である。

「言ったって出来ない、言ったって出来ない・・・・」そんな言葉が、常に頭の中をぐるぐると旋回している。

政権をとるはずもない政党が、我が党が政権をとったら必ず十年で出来ます!というのはウソか誠か?決して証明出来ないのだからウソでも誠でもない、どうせ選挙なんだから言った者勝ちという事になってしまうのだろうか?

そうか!武士道というものはこういう不節操な言動を慎しみ世を混乱させないために、自分を恥じ入る、という事を強く求めたんだろうなぁ。外側の尺度ではなく、常に自分の中に尺度を設け、自らを律したんだ・・・。だから、その場しのぎの調子のいい事は言わない。

言ったって出来ない事を言っても許されるのが選挙だ、なんてブラックユーモアだ。

ともかく、しっかり重箱の中身を確認しないことにはどのくらいで出来るかなど分りはしないのだから(すでに、みんなが経験した事だと思います)、あんまり夢をばらまかないで基本絶対にこっちの方向は崩さない、と確たる方向性を示してもらう事が大事だと思う。

会津地方の福島四区は、なんと政権与党の候補者が不在という異常事態に陥った。

政権を担っていた党が有権者の審判を仰がないというのは反則のような気もするが、これも仕方のない事情があるのだろう・・・。だったらお前やってみろと言われても困る(絶対に言われないけど)

会津は師走初日から雪、それも積もりそうだ。なんとなく視界不良な年の瀬の始まりであります。

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »