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2012年11月

2012年11月29日 (木)

目が覚めたら

手術をした経験がない。だから麻酔というものを経験したことがない。(歯とかはあるが)

全身麻酔をかけられると本当に一瞬のうちにすべてが終わっているらしい。半分死んでいるようなものだ。(死んだ事がないので確とは分らないが)

以前、手術を受けた知人が麻酔が覚めたら超気持ち良かった、と言っていた。もちろん人によって違うだろうが、超熟睡して目覚めるような感じなのかなぁ・・・と想像した。

が、いくら気持ちが良いと聞かされても、出来れば一生全身麻酔の経験はしないで済ませたい、と願っている。

先日、N氏が手術を受けた。ご本人がみんなに言っているのだから良いだろうが、がんの手術だ。

極めて上手く行って経過も順調らしい。麻酔から覚めた時にN氏の気分はいかがなものだったろうか?まず最初に何を思っただろうか?

仕事のこと、家族の事、綺麗なおねえちゃんの事、新車のローン・・・出来るだけ現実的なつまらない事でいい、あれもこれもそれも、できるだけこの世に未練たっぷりな浮世の細事を思い浮かべる。それがこの世に帰ってくるという事だ。

そしてそれらがきっと、これから続くがんとの闘いの原動力になるだろうから。

まだ若いのに達感などする事はない。今はまだまだ人生を語らず、これから先を思い悩めばいい。

『To the Next Stage』と尊敬するK氏も君を励ましているではないか!

足早に霜月は行く。慌ただしい師走の会津に一日も早く帰って来られる事を祈っています。

2012年11月28日 (水)

気付くだけまだいい

友人と「衰え話」で盛り上がった。

先日、雨の高速、それも夜に運転した時の話し。「なんだかとっても見えにくくて怖かった」と言うと、彼も「そうそう、俺も日光から帰ってくる時に夜で雨で、なんでこんなに見えないんだ!と思った」と同調。

お互い明るいライトでクルマには難がない。視力全体が衰えているんだ、という事になった。

小生、まだ視力は1.5近くある(それだけに老眼はきついが)。目の検査ではあの小さい字はちゃんと見えて、視力を示す数字自体は若い頃と変わらない。

だが、全体の見え方というか動体視力とか視野の広さとか、きっと若い頃とは雲泥の差なのだろうと思う。

古いブラウン管のテレビと液晶のハイビジョン映像ぐらいの違いが、ひょっとしたらあるのではないだろうか?

身体というのは徐々に徐々に衰えて来るので本人はそれに気付かないし、今さら昔と比べようもないがきっとそうだ。

年齢を重ねれば全身の運動能力が衰えて来る訳だから、視力検査の値が若い頃と同じだからと言って目だけ衰えないという事はないだろう。なんとまぁ、運転しにくい雨の夜!

「もうあんまり夜の運転はしたくないって思ったよ」「そうだなぁ、若い頃と同じだと思ってぶっ飛ばしてる歳じゃないってことだよなぁ・・・」

視界だけではない。すべての反応が、自分の頭と身体に微妙なズレを生じさせている。走りながらオーディオなどを操作すると、なんか危なっかしい時がある。

「俺も同じだよ~。バックミラーなんか見ても結構じっと見ちゃったりするんだよね。若い頃はパッと見ると何色で車種まで分ったりしたのに、じーっと見て前に近づきすぎてハッとしたり・・・」「あるある!」

同年ゆえに、同じと感じてホッとした、と笑い合った。

そうして得た結論は、それ(自分が衰えているという事)に気付き、自覚しただけまだ良い、という事だ。

若い頃と同じスケジュールで動き回ったり、深夜の運転をしたりは、それだけで危ないという事に気付いた。ま、事実だから仕方がない。

クルマも取りまわしやすい1500~2000ccクラスぐらいで充分。でかいのはもういいな、と二人の意見はピタリと合った。

昔、親父を連れて旅に行くと「足元の明るいうちに宿に入らないとダメだ!」と、うるさいほど言っていたっけ。そんな親父の小言の意味が、なんとなく分る歳になってしまいました。

会津は冬に向って行進中、今週末は階段を下るように日曜に向けて気温が下がっていくそうである。すでに今日もかなり寒い。

2012年11月25日 (日)

肝は?

連休の由布院の街はすごい人だった。人力車がぐるりを走り、中心部はすれ違うにも一苦労と言ったところ。信じられないのはその中をクルマが通っていたこと、人混みの中で小さな駐車場がちゃんと営業しているのだ。一体どうやって入り、どうやって出るのか不思議・・・・。

遠く由布岳を眺め、街中散策を楽しむ。

スィーツの店、ジャムの店、民芸品店、雑貨屋、アンティークの店、カフェなどお洒落な店が建ち並びいずれも人で溢れている。

このように、まちなか散策で賑わいを見せる観光地は全国にある。その先進的成功例が由布院であり、小布施や長浜の黒壁などだ。

そうした町を実際に歩いてみるとすごく似通っていることに気付く。ガラス館や小洒落た民芸品店、手づくりの店、可愛いキャラクターの店、食べ物屋さん、それらは南にも西にも、北にもある。

いつだったか東京ビックサイトで行われた観光地で扱う商品の見本市のニュース映像を見た。そこには手づくり風商品や、素朴な風合い、田舎風の土産品が山と積まれていた。

「ああ、飛騨高山や白川郷、大内宿などで見かけるような品々がある。そうか!こういう手造り風のって、実は大量に作っていてちゃんとメーカーから仕入れているわけだ」と、考えてみれば当たり前のことを思った。

あっちで売っているのは、こっちでも売っているという事だ。(もちろん土地土地の貴重な品が数々ある事は当然だが)

まちなかを歩く観光というのは全国的にブームだ。だが、なんとなく、こんな風に似通っている感じを受けてしまうのではいつか行き詰るのではないか?と素朴な疑問が頭をもたげた。

ま、普通の人はそう色々なところへは行かないからそんな心配はいらない、という考え方もある。そうなら良いが、先進地を追いかけている形の会津観光は大丈夫なのかと老婆心。

若松市のまちなか観光は七日町通り、野口英世青春通り辺りの整備が進んでいる。お店も続々と出来ているが、問題はその内容だ。

会津らしさ、ここでしか出会えないものを出来るだけ多く集めて行くべきで、それが大切だろう。

観光地のドライブインや土産物店が昔の栄光を失っているのは、なにも不景気のせいばかりではない、自身が魅力ある光を失っているからだ。

そして加えて、肝があれば一層良いだろうと思う。それはやはり歴史や伝統に裏打ちされたもの、有難味があればなお良いかもしれない。

それを思えば七日町通りには、やはりその昔、鎮座ましましていた阿弥陀寺の大仏様が帰ってくればいいのになぁ・・・と思う。

御三階の建物があり、斎藤一ほか、戊辰戦争に散った数多くの人々が眠る名刹・阿弥陀寺。

あの寺が多くの人々に親しまれ、愛される核となれば、七日町通りが由布院にも負けないまちなか観光の地に育つことも、まんざら夢ではないのかもしれない・・・。

2012年11月24日 (土)

九州に居ます

鹿児島に来ている。

指宿温泉で初めての砂風呂を体験した。重さ、熱さ、共になかなかいい。肩こり、腰痛にはとてもよさそう、10分と言われたが20分浸かっていた、埋まっていたか?

知覧特攻平和会館。多くの若者たちが残した遺書に胸が詰まる。涙ながらに館内を回る人を数多く見た。千三百名を越えるという特攻隊士たちの想いは日本人の精神構造に深く影響を与え続けている。

知覧の武家屋敷は実に見ごたえがあった。これだけの景観が昭和の狂乱的なバブル時代の中で生き残った事自体が奇跡と言って良い。

会津にもこのような武家屋敷群(北国なので様子は違うだろうが)があったのだろうが戊辰の戦火でことごとく灰塵と化してしまった。

30数年ぶりに訪れた磯庭園から眺める桜島の雄大な眺めは全く変わってはいないが、周辺には小奇麗な売店が建ち並び、観光化は相当進んでいる。九州新幹線開通の経済効果を大いに見込んでのことだろう。

久々の家族での旅、香港・マカオを例の反日騒ぎでキャンセル、鹿児島、熊本、別府と九州を周る旅に変更したという訳である。

2012年11月22日 (木)

お引越しした部屋

また事務部門の引越しを行った。

新しい病院が完成したが、非生産部門の法人事務局など事務方のスペースはその中にはない。(医事課など必要部門はもちろんある)

で、外部の建物の部分改装をして移転をしている。

その他の部門もいろいろと動き、古い建物をきれいにすっからかんにして取り壊しにかからなければならない。

この建物は元検診棟、今度は仮の管理棟となる。

古い建物の取り壊しが終わり、エントランス部分もきれいに出来て、本当の管理棟が出来るのは最低でも4年は先のことになるだろう。

で、それまでは元病室だったこの部屋を使わせてもらうという訳だ。

さて、昨日の新聞に司馬遼太郎氏の文学碑を会津に建てたいというプロジェクトが始動したと報じられていた。

司馬遼太郎氏は会津に対して非常にシンパシィーを抱いておられた作家だ。

「王城の護衛者」はそれまで薩長側の史観のみで綴られてきた維新を、会津側の視点から書いた初めての歴史小説と言っていい。

なぜ会津が最後まで戦ったか?を解き明かし、会津は逆賊にあらずという会津の無念を晴らしてくれるかのような、歴史に残る名著である。

この本を読んだ会津松平家の末裔であられる秩父宮節子妃殿下は、司馬氏に直接謝意を表されたという。

その司馬遼太郎氏と会津を強く結び付け、会津の資料を数多く提供したのが故・宮崎十三八氏だ。郷土史家であり、市の観光部長も務めた有名人だった。私も若い頃、少なからず教えを請うた。

確か七十そこそこで亡くなられたので残念な事だった。

十三八氏の最晩年、私の父もまた同じ病棟に入院していた。

父を見舞った足で何度か十三八氏の病室にも顔を出した。病状はあまり芳しくなかったものの、当時タウン誌の編集をしていた私の顔を見ると、会津の歴史、観光の将来を熱く語った。

あまり熱が入るので奥様に止められたほどだ。あの時のお話をテープに残しておけば・・・と後々つくづく悔やんだものだ。

父は退院できたが、十三八氏はそのままの病室で亡くなられてしまった。

なんとその病室が若干改装したものの、今、私がこうして座っているこの部屋なのだ!

そんなこんなで新聞記事から、宮崎十三八氏の事を強く思い出したという訳である。

十三八さん、お久しぶりでした。

合掌 南無阿弥陀仏

2012年11月19日 (月)

被災地を見た

南三陸町、気仙沼、陸前高田を訪ねてきた。

高速道路から有名になった石巻赤十字病院を見た。周辺は全く震災を感じさせないほどに復興しているように見え、少し驚いた。

南三陸町に入る。何もない。がれきはすっかり片づけられているが、建物の基礎のコンクリートと、所どころに破壊された鉄筋の建物が残るばかりで何もない。

町役場は高台の仮庁舎へと移っている。土曜日の休みにもかかわらず復興企画課の係長Oさんが我々「生と死を考える会・会津」の一行28名を迎えてくれた。

会議室で震災の状況など、手短かに30分ほど説明してくれるようお願いしてあった。

配られた一枚のペーパー。上部に震災前の南三陸町の航空写真、下部に震災後半年ほどたった同じ位置からの航空写真がある。山の緑の下、扇状地のように広がっていた南三陸町の家並みは白茶けた大地と化し、ものの見事に何もない。22メートルに達する津波がすべてをさらって行ってしまった。

復興の進まない現状、さらに地震当時の状況や失った仲間たち、話をする内にこみ上げるものがあるのをヒシヒシと感じた。マイクを握る手にぐっと力が入り、細い眼にはうっすらと涙も浮かぶ。話はあっと言う間に1時間にも及んだ。

元々家のあった場所に家を建てる事は出来ない。集団での高台移転、町の機能を分けて港周辺に配置する計画、それらすべてが遅々として進まない。

補助金という名の、復興にはフリーハンドで向けられない大金。数々の法律の壁、町民それぞれの思い。一日も早く復興に向おうにも、あまりに解決課題が多すぎるようだ。

やはり関東大震災の時のように超法規的な政策も実行できるような「復興庁」の設置は必須ではなかったのだろうかと改めて思う?たまに大臣が、それもコロコロ変わってやって来ればいいというものではない。

何かあったら自分が腹を切る、という信念あるリーダー、あの大災害発生時にそれを持てなかった日本国民の不幸がここにあるように思えてならない。

出来る事よりも出来ない事の方がはるかに多いジレンマ。ちょっと話を聞いただけの我々には想像もつかないご苦労があるに違いない。

セミナーの際の市民から寄せられた浄財、そして今回の参加者からの想いを集めてわずかながら寄附をさせていただいた。そのくらいのことしか出来ない。

気仙沼の港は動き出していた。ホテル観洋さんのグループは高台にあり生き残った。訪れる観光客、視察の人々などが数多く泊まる。こうしてお金を落とす事も必要だろう。

翌日、予定にはなかったが陸前高田へと足を伸ばしてみた。気仙沼から20分ほどだ。

こちらも本当にひどい。山は遠く広大な平地が広がっているが、その分すっかり津波にさらわれ全く何もない。遠くの山まで何もない。塩害なのか草もあまり生えていないのだ。

何も言えねぇ!

陸前高田の係長さんのこんな言葉が心に刺さっている。

「私たちはものすごい津波被害を受けました。そこに加えて原発被害のあった福島県は一体どんな状況なのだろうと思って、海沿いを行けるところまで行ってみたんです。驚きました。全く何も手がつけられていない、3・11の日のまま。私たちよりもひどいところがあるんだ、と思いました」

瓦礫にさえも触れられない。それが福島に起きた事なのだ。

2012年11月16日 (金)

八重さんと捨松さん

山本八重さんの話をして欲しいと頼まれた。なんで私に?

タウン誌を作ったりしていた経歴から会津の歴史に強い、と勝手に思われているようだ。ま、自分にもプラスになるだろうという事でお引き受けした。

県内の看護学校の学校長、教務主任、事務長さん、40人ほどの集まりだった。(相手が教員だけに安請け合いしたかな、と少し後悔・・・)

八重さんだけでなく、同時代を生きた捨松さん、二人の会津人女性の人生を重ね合わせて話を構成してみた。

ま、「私は歴史家でも研究者でもないので正確な事象を知りたい方は本を読んでください」と前置きして、二人の人生から何を感じ、何を学ぶかというような事を語らせていただいた90分。

八重さんと捨松さんは15、歳が違うが(八重さんが上)二人が会ったという資料はない。が、二人はその人生で確実に出会っている。なぜなら、二人とも戊辰戦争の際に鶴ヶ城で一ヶ月の籠城戦を共に戦ったからだ。

親しく言葉を交わしたかどうかは分からないが、私の書いた芝居の中では、眠れない二人が青い月の下で語り合うシーンがある。

どうして会津が逆賊になってしまったのか?会津はどうなるのか・・・?

その後、鶴ヶ城は落城するが、二人はそれぞれの人生を力強く歩み続ける。

二人に共通のキーワードは三つだ。

『不倒不屈の精神(それを支える永遠の楽観主義)、ベストパートナー(素晴らしい人との出会い)、そして博愛の心(人を思い、国を思う心』だ。

というような事柄を、織り交ぜながら二人の生涯をふりかえり、二人の思いを探った。

自分で言うのもなんだが結構評判が良かったようだ。

初めに八重さんと捨松さんを知っていましたか?と尋ねたところ圧倒的に捨松さんの方が有名だった。それを思えば、この二人の人生を重ね合わせたお話、今年から来年にかけて結構使えるかもしれない。

売り込むわけではないが、ご要望があれば、もう1,2回やってみてもいいなと思ったところである。

『八重の桜と鹿鳴館の貴婦人~八重さんの事、捨松さんの事~』というタイトルでした。

2012年11月12日 (月)

ほぼ最終

11日の会津は、晴れる、の予報に反して冬のような曇り空、風も強く、磐梯山のふもとに広がる磐梯カントリークラブは冬のような寒さだった。

最後のクラブ競技「ツームストーン競技」が行われた。

クラブのメンバーがシーズン最後に行うお祭りのような競技、自分のハンデキャップ+72打まで打ち進める。打ち終わったところに自らのツームストーン(墓標)を立てるのだ。

調子が悪ければ15,6番から脱落者が出る。アンダーで回ればさらに19番(1番ホール)へと進む。1ヤードでも先に進んだ者の勝ちとなる。

磐梯のコースもすっかり晩秋の趣きだ。

1番、12番にある大きな紅葉の木が実に見事だ。真っ赤な赤一色ではなく、橙、黄、茶、緑など、様々な色が混じり合い見事な紅葉の美しさとなっている。思わず息をのむほどだ。

「かなわねえなぁ~」言葉が思わず口を突いて出た。「何が?」と訊かれたので「いやいや、Tくんのショットにかなわないと思ってさ・・・」とごまかした。

別にごまかさなくてもいいのだけれど、「この自然の造り出す色の複雑さ、美しさにはとても人造の美はかないやしないよなぁ!」と説明するのも面倒くさかったし、みんなゴルフでそれどころでもなかったようなので、ごまかした。

先日、NHKの「美の壺」という番組でやっていたが、英国で生まれたツイードという生地は、拡大して見ると赤や緑、黒、白、茶と様々な色の糸がまじりあって全体の風合いを醸し出しているという。それは自然から学んだ美、まさにとってもかなわないこの秋の大自然の装いそのものだ!

来週、再来週といろいろと予定があり、今月いっぱいでクローズとなる会津磐梯カントリークラブでのプレイはほぼこれが最終だろう・・・。

こんなに美しい自然の中で1個のボールに一喜一憂するゴルフというスポーツ、これもまた英国で生まれたものだ。

そんな英国のリンクスの強風を思えば、磐梯下ろしの寒風もまた楽しからずや、と言ったところだ。

「嗚呼!嗚呼ー!!、やったー!」幾つもの悔いとガッツポーズを残し今年のシーズンも終わった。

1アンダー1番ホールのピンまで230ヤードを残して終了。4位でございました。

2012年11月 9日 (金)

つまらん!

「つまらん!最近のお前のブログはつまらん!」と大滝秀治なみの強烈なパンチをくらった。

Yくんはこのブログによく目を通してくれているらしいが、最近は話が堅過ぎ、真面目すぎてつまらんというのだ。

成る程読み返してみると確かに、少々理屈っぽく、説教臭くなっているかもしれない・・・と、素直に反省するのが私のいいところだ。

ま、反省だけなら猿でもできるわけだが、こうした雑文は自分の心を写す鏡のようなもの、自分が面白くなければ面白い文章は書けないものだ。

という事は、私自身がつまらん人間になってきているのか?・・・など色々なことを考えて眠れなくなった。

人間歳をとると理屈っぽく、説教臭くなる、という。そういう精神的老化というものが進んでいるのかもしれない。

ある先輩、最近、酒を飲むと理屈っぽく頑なになった。頑として自説を譲らず取り付く島がない。話が面倒くさくなるので二次会に誘う人もめっきり少なくなった。

「歳を取るとああ、なるのかなぁ」と、思っていたが、人ごとにあらず、案外自分の中でも進行していた(いる)ってことか???

『自分の事は棚上げ現象、人に厳しく自分に甘く、人のふり見てわがふり気付かず』こういう事に気を付けなくてはならない年齢に差し掛かってきているという事なのだろう。

それを、ハタと気付かせてくれたYくんには感謝せねばなるまい。こういう素直さを失わないことが大事、凝り固まる=老いるという事なのだから・・・。

「つまらん!お前の話はつまらん!」あの大滝秀治さんの名文句、あの独特のしゃがれ声、私の人生の座右の銘のひとつに刻もうと心に決めた冷たい雨の朝である。

西高東低の気圧配置が続き会津はずっと天気が悪い。で、中通り、浜通りの天気予報図にはお日様マークが見える。軽く冬型です。

2012年11月 8日 (木)

剣呑

昨晩、會津風雅堂で上演された青年座の芝居「赤シャツ」はなかなか良かった。坊ちゃんの出てこない、坊ちゃんの周りの人々を描いた芝居、教頭の赤シャツが主人公だ。

数学教師の山嵐がいきなり「白虎隊」の詩吟を放吟したり「会津に戻った」と言ったセリフに会場は沸いた。が、どうやら多くの人はご当地会津向けのサービスだと思ったようだ。

家人もそのように思っていたらしい。

山嵐は元々の設定が会津の出身、坊ちゃんに「会津っぽか、どうりで頑固なはずだ・・・」というようなセリフを吐かせている。明治の頃から会津人のイメージというのは日本全国にある程度、固定されていた訳だ。

主演の赤シャツが良かった。知人のO田さんにそっくりだったので、ますます愉快だった。

その芝居の中に「そいつは剣呑だ」というセリフが何度も出てきた。剣呑=危ないさま、危険。とあるが現代ではまず使わない。坊ちゃんの時代には普通に使われていた言葉のようだ、剣を呑んだら、そりゃ危ない。

「Tさんを文部科学大臣にしようかと思うのですが・・・」「おいおい、そいつはあまりに剣呑だぜ」と言ったように使う。

剣呑だと誰もが思った通り、とんでもない醜態をさらすことになった。

認可しませんと不認可は違うと言ったり、何でもかんでも役人のせいにしたり、おまけに最後は、これだけ役所の壁は高いのです、と論理のすり替えまでする。

ふりまわされたこども達、関係者、その他大勢の人々に詫びる気持ちはまったく持ち合わせていないようだ。

解説は要らない。一連のビデをそのまま流せば、いかに政治家が堂々と嘘をつき、恥じる事もなく詭弁を弄するかが良く分かる。(もちろん全員ではない)嘘と詭弁の見本のような映像だ。

教育を預かる人が、嘘が良くない事を知らないはずがないだろうと思うが、その人が大臣だったりするから摩訶不思議としか言いようがない。

ま、回りまわればその人を選び、その地位に付かせているのも私たちなのだから天にツバしているような話なのかもしれない。

『巨人引力・・・すべてのものは巨人引力に引っ張られてこの地面に落ちて来る』(赤シャツの中のセリフ)

どんなに高い放物線を描いて投げ上げられたボールも地面に落下してくる。

調子に乗っても、栄えても、楽しくても、嬉しくても、どんなボールであっても巨人引力から逃れることは出来ないのだ。

堂々と嘘をつく大臣、厚いファンデーションのように塗り重ねられた詭弁、この国のボールはもう完全に巨人引力にひきつけられているようだ・・・・剣呑、剣呑!

2012年11月 6日 (火)

良いところを徹底的に伸ばす

引き続きプロゴルファー・作家の坂田信弘氏の話し。

「坂田塾に入って来るこども達の才能は、ひと目で分かるものですか?」「そんなの全く分らん。どんなこどもでもプロになれる才能は持っている。どれだけゴルフが好きになって練習するかだ」

坂田塾は塾生の費用は一切無料、道具もすべて支給される。出来るだけ貧しくてゴルフがやりたくても出来ないこどもを優先的に入れるのだそうだ。

上田桃子も有村智恵も全く普通のこども、むしろどんくさかったという。裸足で6番アイアンだけを打ち続ける、塾長の許可が出なければゴルフシューズを履く事さえも出来ない。

そんな坂田塾からキラ星のごとくプロが生まれ、私塾としては世界最高のプロテスト合格率を誇っているのだ。

「ひと目で見て才能が分らないのなら、何を基準に選ぶのですか?」「もちろん女子は顔だよ」と平気で言ってのける。それも至極真面目にだ。男嫌いで成功した女子プロなどおらん!と断言する。そして、ニヤリと笑う。

ゴルフのクラブは14本ある。その中の一番得意な1本だけを練習すればいいともいう。

下手なクラブ、苦手なクラブを練習すると全部が下手になるという。得意なものをとことん伸ばせば全体がボトムアップするのだという。

これだけは誰にも負けないというクラブが3本になればシングルになれる。5本になれば大会で勝ち、7本になればプロになれて、9本になればプロの試合でも勝てるのだと言った。

成る程一理、「あなたはどのクラブが得意ですか?」と聞かれても答えに窮する・・・これじゃぁ、Aクラスにもなれるわけがない。

人間、良いところを徹底的に伸ばす、それが大事なのだ。いろんな事をやって平均化させるよりも優れたところを伸ばす、これが教育の真髄というものだろう。

「この会津の精神を持った子どもが頑張ればなんだってできるはずだ!」俄か会津びいきの坂田氏は、そんな言葉を繰り返した。

標準化を目指すのではなく突出した部分に一層の磨きをかける、これこそが今の会津の様々な分野において言えること(大切なこと)のように思える。

たとえ14分の2、か3でもキラリと光るプレイは出来るのだ。

そしてその光りは多くの人を照らし、集める、そんな風にも聞こえましたぞ、坂田塾長!

2012年11月 5日 (月)

豪放磊落

ゴルフ坂田塾主宰の坂田信弘プロを講演に迎え、出迎えから送りまで二日間ご一緒することになった。

昼に福島空港へ迎えに出る。プロダクションが言うには、先生は移動時はほとんどお休みとの事。あのスパルタ教育で有名な坂田塾の塾長さんだけにさぞや気難しかろうと、緊張してお迎えした。

ところがなんとまあ気さくな、寝るどころか喋りっ放し、好奇心旺盛、質問の山、それもまぁ、歴史から文化論、いきなり超軟派な話題へと話が飛び交う。

坂田氏は10年ほど前ボナリ高原ゴルフクラブでゴルフレッスンの番組を作った事があり、長期滞在されたらしい。しかし、その際、会津にまで足を延ばす機会はなく会津は初めての訪問だそうだ。

「私は熊本ですが、九州の人間は会津という土地にすごく愛着と尊敬の念を持っています」とおっしゃる。こどもの時に先生が白虎隊の話を涙ながらにした事が強烈な印象として残っているのだそうだ。

「風の大地」・・・坂田氏原作の人気ゴルフ漫画でビックコミックの連載はもう20年近い。日本のゴルフ漫画の最高峰と言って間違いないだろう。その他に8本の連載を抱えて超多忙の氏、会津泊の一夜にも原稿を書き上げたらしい。

この「風の大地」最後1ページは決まって、詩とも散文とも言えぬ独特な言い回しの1ページの文章で終わっている。

その詩文を語るような、かみしめるような独特の語り口で講演は進んだ。「それで、その後に、それから・・・」というような、つなぎ言葉が全くない。

時間軸もあちこちに飛ぶ不思議な構成だが結局はひと処に話は集約していく、ある一人の塾生の生きざまから見事に人生の機微を投影して見せる。さすが京大哲学科中退である。そして、その前段、中段、後段と爆笑の下ネタも満載なのだ。

そんな不思議な講演会を終えて10名ほどで会食をした。

これまた喋りっ放し、どんな話題であっても結局は下の方に話が降りて来る。ご自分から女が大好きと公言され、父親の遺言は「スケベでない男は信じるな!」だという。スケベ以外は成功しないと断言、皆圧倒されつつも、大いに一夜を楽しんだ。

翌日、ぜひ見たいという会津を案内。松平家御廟、紅葉の美しい広大な墓所にいたく感動された。続いて白虎隊士の墓に詣でる。「この会津の精神を受け継ぐ子どもがゴルフ界に出たならば必ずチャンピオンになる」と言って長い時間手を合わせておられた。

会津漆器を求める。

これまでに何度浮気がバレたか分らないという奥さんとの関係は現在は良好のようだ。何度も電話をかけながら奥さんの指示に従い、そんなに買うか!と驚くほどの数を買って自宅へ送った。

まあ、一事が万事、豪放磊落である。

会津の郷土料理として名高い、野郎ヶ前の素朴な田楽を食べていよいよ分れの時。固く握手をして別れた。

来年スケジュールが合えば研修生を連れてぜひ来たい!と言って笑う坂田氏、見た目の強面とは全く違って目は優しい。

その坂田氏曰く「福島空港にもヤクザが居るんだと思ったら寄って来たので驚いた。あんたが迎えの人とは思わんかった」   (--;)

2012年11月 2日 (金)

バレる

バレる=秘密が表に出る。悪事が露見する。 事と辞書にある。

科学が進み、情報化が進み、様々な事がバレる、またはバレやすい時代になった。

昨夜の日本シリーズの危険球に関する誤審、ビデオを見れば判定の間違いは一目瞭然だが、あれでバレてしまった事もある。

審判のレベルの低さ?それもあるが、何よりもバレてみっともなかったのは、当たってもいないのに痛そうに頭を抱えてのたうちまわった巨人選手の姑息さ、狡さ、スポーツマンシップの無さだろう。

ビデオなどないひと昔前ならは審判の目を欺く事も技術の内だ、などという人もいた。しかし、今は何台ものカメラで捉えられていて、詳細に見れば事の本質はほぼ100%分ってしまう。

どうせ分るのに当たったふりをするなどというのは、姑息以外の何物でもない。きっとやった本人も今頃、失敗したー!と思っているのだろうが、とっさの場合に人間の品性が出る。

当たってないのだから「いやいや、ボクバント失敗しただけで、別に当たってませんけど」と言えばいいと思う。どうせ映像でバレるのだから。

あんな誤審で試合の流れが変わるなんて、日本国中どっ白けだ。

それにしても不思議なのはこれだけの最新機材があるのになぜビデオを見て判定しようとしないかだ。テレビ解説者が明らかに誤審ですね、と言っているのにそのまま試合が進んでしまう事だ。

「こうは言いましたがビデオを良く見たら私の間違いでした」というのは、全く恥ずかしくもないし、それで審判の技量が疑われるというものでもないと思う。

百分の一秒レベルの早さの中で起こる事に見間違いはあって当たり前だ。人間だもの。

抗議側がビデオ判定を要求したら拒否できないようにした方がよっぽどフェアだと思う。スポーツなんだからそれで良いんじゃないの?

みんなが楽しく、すっきりしたいと思って楽しむスポーツなのにあんな後味の悪い事はないし、この日本シリーズは近年になく素晴らしい試合の連続だっただけに本当に残念だ。

色々とバレる時代である。どうせバレるのに姑息な手段をとるのは止めた方が良い。

隠したってバレるのだから、バレる前に嘘をつかない、その嘘がばれた時の疵の方がずっと大きいんだから。

あの後、巨人の選手はヒットを打ったけれど、君がスポーツマンらしくないこと、いざとなると嘘をつく事は、残念ながらバレちゃったね。長い目で見ると、一番痛い目にあったのは案外、君かもしれない。

常に勝つ事を義務づけられているようなプレッシャーの強いチームに居ると、人間小さく、姑息になっちゃうのかなぁ・・・。気を付けよう。

会津は朝から時雨、冷たい雨が地面を濡らしています。盆地を囲む山々も厚い雲に隠れて見えない。言いたくはないが・・・・「冬隣り」です。

2012年11月 1日 (木)

西向くサムライ

二、四、六、九、十一(士)で「西向くサムライ」、十一月は一年最後の小の月だ。

秋と冬のつなぎ目、月の始まりと月の最後の温度差が一番大きい月なのだそうだ。ぼうっとしている間に早や年の瀬だ。

このひと月で、雪国に暮らすものはなんとなく冬に向う気持ちを整える。会津もしかり。

冬物を出し、冬タイヤをチェックし、雪囲いの準備をする。紅葉を愛で、秋のキノコや果実を堪能した後に、落葉した木々の寒そうな姿をしっかり確認する。

夜明けの遅くなった朝に歩く人の姿も少しずつ減って行く。早い日暮れ、時雨模様の冷たい雨に心も沈みがちになる。

そんな時に知らされた友の病、辛いため息だ。

運が良いとか悪いとか・・・確かにそういう事はあるし、世の中には大いに片寄りがある。辛いことばかりが立て続けに起こる、そんな片寄りはどうしてなのか、あるものだ。

気の毒だがその友にも立て続けに起こる。

方角だとか、画数だとか、色づかいだとか、そんなことで運勢を変えることなどできはしないと思いつつも、頼りたくなるのが人間だ。

頼らないまでも、なにも悪いと言われる事をする必要はない、とは思う。だから仏滅や大安を、一応は気にするのだ。

思わず「一度お祓いでもしてもらったらどうだ」と言いそうになった。お祓いで巣食った病が消えるはずもないのに・・・。

信頼できる医師たちが、最新の設備、機器で最善を尽くしてくれると約束してくれた。

「俎板の上の鯉だ」と笑った友よ・・・間違いなく大丈夫!ビンビンに尾びれを振って見事に逃げ帰って来い、サムライの月に心から祈ってる。

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