« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

2012年10月31日 (水)

紅葉を愛でる

紅葉が山の上から下りてきた。気が付けば鶴ヶ城の白亜の天守閣の周りの木々も大分色付いて来た。盛り、とまではいかないが来週末頃には市内の各所も紅葉の見頃に入るのではないだろうか。

会津の紅葉はスケールが大きい。何と比べてだ?と言われる困るが、千葉県一県よりも広い会津地方のほとんどが山なのだからちょっと走れば紅葉が、どこまでも続いている。

特に奥会津などは本当に山また山、紅葉また紅葉・・・錦織り成す、とはあの事だ。

若い頃は紅葉の美しさや、咲き競う花にさえもあまり関心がないものだ。

学生生活を終えて会津に戻り就職した初めての秋、オンボロ・レオーネで一人檜枝岐村に向っていた。

その時に見た紅葉の美しさが今も胸に残っている。

仕事で急ぐ道中だったが、あまりの迫力に思わず車を止めて河原に下りて、しばし息を飲んでしまった。

あれがおそらく人生で紅葉の美しさを認識した初めての体験だろう。

それまでは真っ赤な葉っぱや黄色い葉、その一つ一つの色の鮮やかさばかりを見ていた。

しかし、実は赤、黄、茶、緑、黄金や白銀色まで、実に千変万化の色々が混じり合って作り出す景色の美しさがある、という当たり前の事に気付いたのだ。

大袈裟かもしれないが、ひとつとして同じ色が無い、という事に気付いたのは私自身としてはかなり大きな衝撃ではあったのだ。

言ってみればただの「見る」から「愛でる」に成長した(あんっつまになった)一瞬だったのかもしれない。

ちょっと傾いた秋の陽射しに映える山々・・・会津盆地から360度、どっちへ向かってクルマを走らせても素晴らしい紅葉に会える、それは間違いない!

2012年10月30日 (火)

最後のほう

人生、晩年という域に達してくると体力、気力の個人差はどんどん激しくなるように思う。

今、話題の石原慎太郎氏は80歳だ。ひと昔前まで、80歳と言えば大年寄りで、すべての仕事、役職、公職から身を引いて当たり前の年齢だ。

それがこれから選挙に出て新党を立ち上げ、それを率いて行こうというのだから恐れ入る。

私の叔父も同じ歳だが、そのくたびれぶりは、とても比べ物にはならない。立ち上がるにもひと苦労だし、昔の事は覚えていても昨日の事が記憶にない。

中高年に入った我々の同級生でも元気の差はかなり激しい。全く枯れた枯山水の様なのもいれば、脂ギッシュでまだ野獣のようなのもいる。

あと5年、10年たったらその差はもっともっと広がるだろう。

アンチエイジングの象徴のような日野原先生は100歳で講演の間1時間以上、全く座らずに動き回る。何十年も前の話し、人名も病名もスラスラと出て全く淀みがない。

頭脳の回転度は明らかに負けている感じがする。

元気な部類に居る人たちは、聞いてみると総じてあまり食べない(カロリーをとらない)。1日1000カロリーぐらいで運動もするし、活発に動く。

やはり、食べない、空腹でいる事で若返り遺伝子にスイッチが入るのは本当のようだ。

そこから行くと私の場合、かなり問題を抱えていることになる。一時期少食になったが、すぐに戻った。食べる事の楽しみから逃れる事はどうにも出来ない。

一時期痩せた(ほんの少しだが)ので「ああ、ヤル気になれば何時でもできる!」と調子に乗ってしまった。

結局今では、好きなだけ食べて好きなだけ飲んで、節制のせの字もどこかに行ってしまった。

ま、枯山水にはなってはいないが、このままではあっちこっちが痛くなり、血圧、血糖値、コレステロールと悪玉三兄弟に責め立てられることになるだろう・・・。

ほどほどに、腹七分目を心掛け、それを続けていけば胃の方も、体質もそっちに馴染んでくるというものだ。

朝にちょっと運動したくらいで、平気で大盛り飯を食っていたのでは話にならない。

もうすぐ11月、会津はすっかり食欲の秋深しである。

よーし、来月からまた少し心を入れ替えよう!

・・・今日から、と言えないところに、すでに敗因があるような気もする。

2012年10月25日 (木)

つながりすぎ

先日、NHKのクローズアップ現代でネット依存症の問題を取り上げていた。

フェイスブック、ツイッター、そういうネットのつながりから離れられなくなり育児も家事も手につかなくなってしまったお母さん、お隣り韓国では小学生のネット依存が深刻な問題になっているという。

一日に100回以上つぶやいたり、何十回もフェイスブックに書き込んだりする。1回1分だとしても100分間はそれに夢中になっている勘定だ。そしてその世界にお友達が何百人もいたりする。

人が現実社会で知り合い、お友達という関係を保てるのは150人が限界だと聞いたことがある。それも多い人でだ。

私もこうしてブログを書いていて、時折コメントをいただいたりすると嬉しい。が、これも見てくれている人がせいぜい日に30人程度だから良い様な気がする。あんまり大きくなると緊張するし、怖い。

良く分からないで言うのだから間違っているかもしれないが、フェイスブックやツイッターという広がりは、ある意味、深刻なプライバシー侵害の問題を含んでいるような気がする。

時に全く思いもかけない人から「まさひろさん、何時何時、東京に行っていたでしょう?」などと言われたりすることがある。

聞けば、誰かさんのフェイススブックに書かれていたり、写真に写っていたりしたのだという。それがめぐり巡って、その人が知ることになる。

「余計な御世話だ!」という気になる。

芸能人の目撃情報をなど一斉につぶやかれているのだろうから、きっとプライバシーも何もあったものではない。

こうしたネット世界のつがりが、時には世界を動かしたり、多くの人々を救うパワーを発揮するのだから一概に忌み嫌うものでもないだろうけれど、いつかどっかで問題を引き起こすだろうことは予想できる。

以前、フェイスブックを楽しんでいる職員に「自分の事は良いけれど、仕事上のつながりや、誰とどこに居る、出張でここに居る、なんてことまでは書くな」と、注意したことがある。

それはトップの出張先を全く関係のない人が知って、私に言ったからだ。そういう事までネット上のお友達に知らせる自由はないと思う。(制限付きだと思う)

繰り返しになるが、やった事もなくて言ってるのでピントがずれているかもしれないが、人間、そんなに多くはつながらなくて良い様に思えるのだ。

人というものは自分の成長に伴いその世界が広がって行くもので、処理能力も判断力もない内に膨大な人々とつながるのは、決してまっとうなことではない。

何時間も遠い人のつぶやきに耳を傾けるよりも、現実の目の前の人に心を配り、言葉を交わし、直に楽しいおつきあいをした方がよっぽどいい。

そんな現実を煩わしい、と感じる人が手放せないもの、それをスマートフォンというのかもしれないなぁ・・・・。

会津は曇り空、朝晩、涼しいを通り越してめっきり寒くなってきました。朝起きて来ると迷わずにストーブのスイッチを入れる自分が居ます。

2012年10月22日 (月)

八百

今回でこのブログも800回目だ。何回目というのか、ページと言うのか、なんと言うのが正解か分らないが800回書いたことになる。

平成10年の1月28日から、2年と10ヶ月、およそ8万回のアクセスがあった。それが少ないのか多いのかは分らない。

駄文にお付き合いいただいた皆様に感謝申し上げたい。

八百、というのは嘘八百とか大江戸八百八町とか言うのにあらわされるように、大変多いことを示すのに使われる数字だ。その意味では、八百回は、まぁ、よく続いている、と言えるのだろう。

わずか3年足らずの間に会津は大きく変わった。否、会津だけじゃなく日本全体が大きく変わった。

あの東日本大震災を挟んで、いや、その前から社会の構造はどんどん変化してきている。

水と安全はタダ、とまで言われた日本の社会が国際化の波にもまれて、何ものにもコストのかかる事を自覚しなくてはならなくなった。

防災や治安、社会保障などは当たり前だが、人と仲良くし、地域のコミュニティを作る(支えて行く)ことにもコストはかかる時代になった。

男と女は放って置いてもくっついて家庭を作って行くものだったが、個性や自由や幸福論などいろいろな屁理屈がボッコのようにくっ付いて、子どもが独立し、家庭を持つ事もそう容易なことではなくなった。

男女のめぐり会いにもコストの時代、その上かけたからと言ってめぐり会えるものでもない。

高齢化の問題は、その背後に孤・高齢者問題というもっと深刻な将来を抱えている。

都会・地方にかかわらず、地域コミュニティの崩壊は進んでいる。時折、家の床下から死体がゴロゴロ出て来るような理解不能な事件が、その深刻な、不気味な一面をのぞかせる。

自助、共助でやってきた日本人が、公助ばかりを求める。

年寄りの年金をあてにして一日でも長く、寝たきりで物言わぬ状態でも生き長らえてくれる事を望んでいる。生保という弱者救済制度は、悪人、怠け者、恥知らずのセイフティネットにも悪用されている。

生身の人間とは全くつながっていないのに携帯を握りしめ、一日中何かとはつながっていたい若者たち。

あたかも地獄の亡者の様に、何処までも何処までも便利を求めないと気が済まないかのようだ。針地獄、灼熱地獄、地獄にもいろいろあるが、現代の地獄世界にはネット地獄という新種の地獄があるのかもしれない。

祝・八百回と書こうとしたのだが、なんだか愚痴・八百になりそうなので、今日はこの辺でやめにしておこう・・・(--;)

2012年10月18日 (木)

大きな罪

原発のプルサーマルの推進にはあくまでも慎重だった前知事さんの、収賄事件の最高裁の有罪判決が出た。

なんとなく無罪になるのかと思っていたので少し意外だった。

弟さんの会社の土地を買い取ってもらったことが収賄にあたるようだ。それによってどういう不正な行為があって、県民がどのくらいの被害をこうむったのかは良く分からないが、罪は罪なのだろう。

原子力反対派の知事を挿げ替えるための国策捜査だったという話も聞いた。

真偽の程は分らないが、その後に同じ苗字の知事さんが就任し、プルサーマルは動き出し、そこに東日本大震災という大災害が起こり、原発が爆発した事は事実だ。

この夏、原子力調査委員会は時の総理大臣や東電の事故対応に大いなる不備があった、と断じた。

しかし、断じただけであの菅さんも東電も具体的にその罪を問われることはない。

確かに前知事のしたことは悪い事かも知れない、しかし、今の福島の惨状の前には小さなことに見えてしまうし、あのまま原発に厳しい知事さんだったら東日本大震災の被害状況はどうだったのだろうと、詮ない事を考えてしまう。

自分たちの能力不足や判断ミスが引き起こした大惨事の結果に対して罰せられるべき罪は無いのですか?ごまかして原発の安全神話を作り上げた罪は無いのですか?と素朴な疑問がどうしても湧く。

ふるさとを失い、何十万人もの人々が流浪の民となった。その結果責任に対して誰一人罰せられる事もなく、自らの罪を恥じて自殺した、などという話も聞いたことがない。

あまりに大きな罪になると、一体だれが本当に悪いのか分らなくなってしまうようだ。

「有罪!」そう言われて当たり前の人々が大手を振って歩いている。

「罪」とは言えないまでも「恥入る」べきところはあるのではないだろうか。そんな事さえも日本人は忘れてしまったようだ。

二度目の秋が巡り、避難者側の自殺や孤独死は増えて行く。

会津はどんよりとした曇り空だ。夜明けも遅く、日暮れもどんどん早まってくる。時雨模様の冷たい雨でも降り出せば、それでなくても心はどんどん沈んで行ってしまう・・・。

2012年10月17日 (水)

前夜祭

話は前後するが、13日(土)久野明子さんを迎えて食事会をした。翌日のコンペに出る人はほんの一部なので前夜祭という訳でもない。

大町四つ角のルーチェに12名が集まってディナーを楽しんだ。エッセイストの大石邦子さんは久野さんと大の仲良し、二人を囲んで私の友人や家族が集まった。

地下のゲストルーム、12人ではちょっと狭かったが、かえって和んで良かったかも。

シャンパンで乾杯、あとはビール、ワイン白・赤で、ほぼフルコース。

みんながそれぞれに一人ずつあいさつ、私の家族もあまり経験がないので少々緊張したようだ。

こういう時に誰かが話してる途中に口を挟んじゃう人が居る。悪気はないがおしゃべりなのだ。知っている話題が出ると黙ってられない「あ、それね私・・・」と順番じゃないのに話を持って行ってしまう。

それをふんわりとたしなめながら全員にあいさつさせるだけでも小一時間はかかっただろうか?

一人一人がちゃんと話すと後は、和やかにあっちはあっち、こっちはこっちで話は盛り上がる。

料理もおいしい、ワインも美味しい、しかし何よりも気の置けない仲間で話す会話が一番美味しいと言えるだろう。

記念写真を撮ったり、隣りの席の知り合いがあいさつに飛び込んだり、盛り上がっている内にあっと言う間に3時間が過ぎ、そこからさらに1時間もパーティは伸びてしまった。

大石さんを送るために予約した介護タクシーさんは、いやな顔一つせずに待っててくれました。いやー、本当にごめんなさい!

そうそう、パーティの幕開けにはほんのちょっと室井照平市長があいさつに顔を出してくれた。あれも盛り上がったね、ありがとうございました。

楽しくてワインを少々飲み過ぎ・・・それが見事に翌日のゴルフ成績の言い訳になってしまった。

2012年10月16日 (火)

捨松杯

去る14日、素晴らしい秋晴れの会津磐梯カントリークラブで「第一回捨松杯」が開催された。開催されたとういうか、開催した、かな。一応、言い出しっぺなので。

なぜ「捨松杯」などという仰々しい名前かと言うと、鹿鳴館に貴婦人と謳われた大山捨松の曾孫にあたる久野明子さんをホステスに開催されたコンペだからである。

久野さんとはもうだいぶ長いおつきあいになる。はじめはJCかなにかの歴史講演のゲストに招かれて会津に来られた時に、鶴ヶ城天守閣を望む小田山にご案内した記憶がある。

戊辰戦争の時、小田山の中腹から天守閣めがけて、温泉場の射的の的よろしくボコボコに大砲を撃ち込んだ薩摩藩砲術隊の隊長・大山巌、天守閣にはわずか8歳の捨松が居た。

後にこの二人が結婚するなどとは一体誰が想像できようか!ベンベン!!

久野さんは、実は大山巌の直系の曾孫さんなのだが曾おばあさんに当たる捨松さんの足跡を辿り、アメリカで膨大な資料を発見し「鹿鳴館の貴婦人・大山捨松」を著わしたのである。

という訳で捨松杯、御歳?才の年女、秋晴れの10番ホール(INスタート)で放った始球式のボールはピンクの煙を吐きながら真っ直ぐに飛んで行った。参加総勢16名の盛大な拍手を受けて・・・。

福島のことが気がかりで、一度福島のゴルフ場でプレイしたいとおっしゃっていた久野さんの気持ち、ひょうたんから駒でコンペなどと大事になってしまったが、あくまでもお遊び。洒落の分る方々にご参加を願った。

よっぽど心掛けの良い人ばかり集まったのか、無風快晴、青空には掃いたような白い秋の雲、澄み切った空気に磐梯山が一回り大きく、近く見える。

爽やかな秋風とともに、ちょっとばかり歴史の風も吹きわたる・・・。

来年の「八重の桜」に捨松や大山巌などが続々と登場した時に、ああ、あんなコンペがあったっけ、と思いだしてもらえれば幸いである。

楽しいラウンドでまずまずのスコア、女子準優勝というおまけもついて大満足の久野明子さんであった。

2012年10月11日 (木)

光り輝く

イタリア語で光りの事を「ルーチェ」というそうだ。

長年の友人であるY氏が、息子をシェフに迎えてイタリア料理店「ルーチェ」を10月1日にオープンさせた。

大町四つ角にあった會津西洋館の外観はそのままに内部の大改装を行い、お洒落に綺麗に生まれ変わらせた。

Y氏は会津若松市でも大手の美容室の社長さんだが、長年こうした店をやってみたいと、ぼんやりと夢見ていたようだ。

そこに息子のNくんが料理の道に進んだため、夢は一気に現実味を帯びてきた。

Nくんはスキーでオリンピックを目指すほどの選手だったが、大学卒業と共にスキーは諦め料理の世界へと飛び込んだ。

縁あって東京の一流店での修行が叶い、本場イタリアへも一年半ほど修行に出ている。

そしてあの大震災・・・Nくんはなんとかしてふるさとの役に立ちたいと思い始めたのだという。そんな息子の思いと父の夢が重なって、リストランテ・ルーチェは見る見る現実味を帯びてきたのだという。

かくして「ルーチェ」のオープンは成った。

家族の都合が合わなかったため先日、とりあえずは小生一人でお祝いに顔を出した。手づくりのきれいなキャンドルを祝いにぶら下げて。

一階はオープンキッチン、地下はワインバーとしても使え、個室もある。二階はミニパーティ会場として使える広さがある。20人、20人、30人ぐらいは入るだろうか、なかなか大きな店だ。

Y氏の思い入れたっぷりに店内の隅々にまで気が配られた造り、まずお洒落で清潔だ。水回りからすべてを直したのだから、銀行とも相当に仲良くなったことだろう。

料理の味も杞憂を吹き飛ばすものだったが、何よりも驚かされたのは、若干29歳のNくんの堂々たるシェフぶりだ。

落ち着き払ってにこやかで、言葉少なく無駄のない動き、スポーツマンらしく大きな体で、ポチャっとさせた室伏広冶選手みたいだ。

オープンキッチンなのでスタッフの動きも料理の一部となる。包丁さばき、手さばき、火の扱いやオーブンの扱い、すべてが清潔でスマートでなければならない。若いがそういう見られる店での修業を続けてきたのが良く分かる。

祝いに店名の由来ともなったワイン・ルーチェを一本空け、父と息子、そのお嫁さんと乾杯した。料理&ワインともに実に美味い!

高い天井、壁面の白壁にはY氏がアマルフィで買い求めて背負って来たという「太陽さん」の焼き物が明るく微笑んでいる。まさしくルーチェの、この微笑みが何時までも絶えることがないように祈ってます。

開店おめでとうございます!

2012年10月10日 (水)

新米

「新米が出来ました」と今年も友人から連絡が来た。とりあえずコシヒカリの新米30㎏入り二袋を届けてもらった。

「今年の米はどうだった?」「出来は良かったんだけどちっとも穫れねぇ」この夏の暑さのせいか収穫量が大分落ち込んだらしい。

コメには放射線セシウムの測定結果、安全だという紙が添えられている。米の放射線量を測るという手間も大変なものだろう。しかるべきところに持って行って、測ってもらって帰ってくる。

自分たちには全く何の落ち度もないのにやらなくてはならないひと仕事だ。

それでも朗らかに笑う友人の笑顔を見ていると、つくづく農民というか自然を相手に生きている人たちの忍耐力、辛抱する力というものは大変なものだなぁ…と感心する。

東電のせいなのに、国のせいなのに・・・「仕方ねぇべ」と言って笑う。むかっ腹も立つのだろうけれど、諦めて笑う。

彼らの辛抱に甘えて、本当にとんでもない事をしでかしてしまったんだ!と猛省する気持ちを薄めてもらっては困る。何年たっても、いくら時が降り積もっても、この大罪が消えることはないんだぞ!

今年の新米、新しい炊飯器で堪能できる。

というのは先日、長年使った炊飯器が突如、ウンともスンとも、ピッともピピッとも言わなくなってしまったのだ。これをどこかに修理に持っていく手間を考え、買った値段を使った歳月で割ってみると、まぁ仕方がないかという事になる。

そこで「ジャパネットたかた」のお出ましとなった。私の好きな女優・桃井かおりも進めているので羽釜炊きというのにした。

かくして、収穫し立ての最高級の会津米の新米を最新式の炊飯器でいただける・・・事になるわけなのだが、まだ精米をして来ていない。

去年の最後の残り米を、新しい炊飯器で炊いて食べている。

これがまぁ、結構美味いんだわ。でも今週中には新米を食べよっと。

2012年10月 8日 (月)

そしてめぐり会い

日本経済新聞の広告を見たのは2週間ほど前だろうか。

時計のセイコーからGPS機能で世界中どこに行っても衛星からの標準時を拾って正確な時間を刻む「アストロン」というすごい腕時計が出た、とある。

私は機械やクルマは断固国産派だ。日本の製品が一番だと信じている。いくらサムスンやLGが世界を席巻したと言っても品質は日本製だと思っている派だ。近頃では幻想とさえ言われたりするが、やっぱりもの作りは日本だろうと信じ続けている。

ましてや時計はセイコーだ。仏の有名ブランドも持ってはいるがすぐに壊れた。おまけに修理に出しても(2度も)治らない。

治らないというか、治って来てしばらくは動いているのだが1,2週間するとまた調子がおかしくなり、自動巻きで腕につけているのに止まる。

また修理に出すと、またも治って来て、またしばらくして止まるから質が悪い。

誰のせいか分からない感じで、結局修理費を払わせられて、腕にはめると動くことは動くがしばらくすると止まる、になってしまった。

そんなことでそのセイコーの時計が欲しくなった。中でも2012特別限定2500本シリアルナンバー入り、これがかっこいい。

ここ十数年時計は買ってない。先日、リオン・ドールさんの120周年の記念品のカッコいいGショックは息子にとられた。ちょっと高いが買ってやろう!と会津若松市内の時計店を訪れた。

こういうものは出来るだけ街の商店で買うように心がけている。

よく行く小さなA店、「へえー、こんなの出たんだ。休み明けにでもすぐ取り寄せてみる」

比較的大きなB店「ああ、これは予約の時点ですでに完売です。限定品以外の品物も品薄で入って来ていません。大型百貨店などで抑えているところがあるかどうか・・・」的確な情報をくれた。

こういう差が中心市街地の衰退の一因でもあるのだろう。時計屋さんが最新の情報を提供できない(知らない)のではやっぱり仕方がない。

で、新潟に買い物に行ったついでに伊勢丹の時計売り場で尋ねてみた。

「ありますよ。でもかなり出てますから、全種類はないです。限定品ですか?あれは残念なんがら売れてしまいました。当店にはなんとか予約で4本入ったのですが完売です。三越に一本は行ったはずだけど・・・」と言って親切にも電話で問い合わせてくれた。

「やっぱりもう売れちゃいましたね。・・・・駅前のビックカメラに一本あったという話もあるんですが、ちょっと待ってくださいよ」と言って休憩中の社員に情報を確認に行ってくれた。ナント親切な!

「三日前まであったそうですよ」と、他店の事なのに情報をくれた。これぞサービス、伊勢丹でなんか買わなきゃと思ってしまう。

そこで急いでビックカメラに行ってみた。売り場には様々な商品が溢れている。時計売り場、時計売り場・・・・そこで尋ねてみた、すると・・・。

あった!一本だけ。

聞けば五本入った内の一本にキャンセルが出て残ったのだという。シリアルナンバーは1010、まるで僕を待っていたかのようにショウウインドウの中に鎮座ましましていた。

思った通り、ごついが軽いブラックチタン。これは買うしかないでしょう・・・と妻を見た。1010番君、そしてめぐり会いは果たされたのであった。

大きな都市で叶う事、地方都市では叶わない事が山ほどある。

この辺りをITとかナンカとか、いろいろと最先端技術を駆使して、情熱的で頭の良い会津大生とかが大活躍して、クリアできれば良いのになぁ・・・と改めて感じた。

そういうなんか違う、どっか凄い、地方都市にこそ生き残りの道が残されている。(もちろんものが買えるという事だけを言っているのではありません)

2012年10月 6日 (土)

小気味いい?

権力や体制に痛烈なパンチを繰り出し腐敗した制度を作り変える、と期待させてくれる政治家は、実に小気味いい。

その代表選手が橋下大阪市長だろう。

「本当に大バカだ、詐欺師だ、ドロボウだ」とまで言って国や官僚に噛みつく。まさに明治維新の志士たちのように、この国に革命を起こすような熱いムーブメントを巻き起こしつつある・・・はずだったが、なんだかここに来て「あった」と過去形で言われるくらい萎んだような気がする。

『維新八策』などと、龍馬を気取ったこの国のかたち論も熱病のような勢いが無いと、もうちょっと良く考えてみよう、この人たちの実力で本当に大丈夫なの?というところに立ち返ってしまう。

物別れしたり、すり寄ったり、冷静に見るとその動きにも筋が通ってはいない。

革命なんだからなんでもありで当たり前!という勢い論は急速に冷める。

なんでこんなに急に冷めた感じがするのだろうか?庶民の情報の入り口は限られるのだから、我々がマスコミに操作されているからなのだろうか・・・?

とにかく「竹島は共同管理だ」などという言葉を聞いた辺りから小気味いいがあんまり小気味よくなくなってきた感じがする。

思えば、あの民主党だって一時はすごく小気味良かったのだ。大きな(大きすぎる)期待も集めた。

結果、批判ばかりしている人が違ったことが出来るわけではない事。口で言うのとやってみるとでは大違いだという事を、身をもってというか、国を持って証明して見せてしまった。

会津からも維新の会に合流した政治家が居る。比例で当選にしたのに他党に移るという事自体、良い悪いを越えて矛盾な気もするが、思いあっての事なのだろう・・・。

選挙のためだけの立ち回りではないとは思いたい。今度会ったら、ぜひゆっくり話を聞かせてもらいたいものだ。

ともかくも秋、そう遠くはないであろう選挙を前に、なんだかいろいろなことがさっぱり分らなくなって来てしまった、昨今の国情である。

2012年10月 5日 (金)

つながる

ITに強い人は本当にいろんなことが出来る。スマートフォンを駆使し、銀行取引から株、経営管理まで何でもしてしまう。

が、スマートフォンも持っていないしメールさえも転送できない。そうなると一旦インターネットにつながらなくなると、とっても不便だ。

何が?と言ってやっぱりメールだ。つながらなくなって改めて仕事の多くの部分、プライベートも含めるとかなり多くの部分でメールに依存していることに気付く。

進行中の打ち合わせや書類のやり取り、そんなこんなが一切見られないと不安になる。

「あのー私、メール見られないんですけどなにかありましたか?」なんて電話するというのもあまりにとんまチックだ。

開封確認まで入れた大切なメール、きっとすぐに返事が来ているのだろうけれど見られない・・・。

そんなのこうすればいい、ああすればいい、という手がきっといろいろあるのだろうけれど、出来ないし、この忙しいのに職員の手を煩わせるのは忍びない。

まして仕事メールだけではなく、どうでもいいゴルフの打ち合わせや、噂話の類の情報交換など、雑多に、煩雑に交じっている。どうしても見れなきゃ死んでしまうという訳でもない。

それでも我慢もせいぜい三日だ。裏技を使って何とかつないでもらってメールだけは確認できた。

やっぱり見て良かった!!というのが何本かあって、慌てて返事を書く。

総数百数十本、営業のメールも込みだから大したことはない。が、繋がっていないという事は実に不安である。

私でもこんな感じなのだから、IT依存度の高い仕事をしている人たちがつながらない事態になればそのストレスやいかばかりかとお察し申し上げる。

人はやっぱり誰かとつながっている、つながろうと思えば何時だってつながることが出来る、のは大切なことなのだ。

ネット依存症、携帯依存症・・・そうはならないまでもつながり感は必要なものなのだ、と改めて思った次第です。

会津は秋。十月一日からはネクタイを締めている。が、最近は常時ノーネクタイで、サマータイム以外は公的な場や会議の席などだけネクタイを締めるという会社も多くなってきているようだ。そっちの方が良いかなぁ・・・。

2012年10月 3日 (水)

お引越し

病院の引越しは事故もなく無事に済んだ(患者さんだけは)が、あっちこっち問題山積で引越しは、てんやわんやで継続中といったところだ。

電子カルテ中心の病院の業務最優先に走っている。外部とのネットワーク環境はまだ不安定だ。

本日、「新ホール」での初めての朝礼が行われた。巡り合わせで私の当番、記念になる、光栄。10分ほどお話をした。

ホワイエにある絵の話し、院歌の話し、言葉は難しいという話に強引に持っていって、最後は人間力向上の大切さ、コミニュケーション良く、この難局を乗り切ろうという事で強引にまとめた。60点かな?

一階ホールを埋めた生花はだんだん枯れて来て、昨晩一斉に処分した。(内覧会の16日からある分から・・・)

一杯の胡蝶蘭はまだまだ元気だ。この胡蝶蘭が花を落とす頃までには病院も落ち着き、会津地域の人々の期待、願い、想いにしっかりと応えることが出来るに違いない。

10月3日、会津の秋はサクサクと進んでいるが、ネットワークはサクサク行かない・・・・トホホ。

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »