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2012年9月

2012年9月28日 (金)

野暮

「・・・さん、貸しだからね」「なんだよ会津で一番粋な姉さんがそんな野暮なこと言うもんじゃないよ・・・」

そんなやり取りが昔あったっけ。

ある宴会に私が手配していた芸者と、会社の方で手配していたのがダブってしまった。それが一週間ほど前までどうしたわけか、そのままになってしまったのである。当然、会社は社長のお気に入りチームに声をかけていたのだからそっちを優先する他ない。

私が声をかけた姉さんには本当に迷惑をかけてしまった。一週間前のキャンセルは本来ならキャンセル料ものかもしれない。

しかし、そうはあっても客商売、あんまり野暮は言いっこ無しだ、と思っていた。第一、すまないことしたな・・・と、反省しきりで、いつかこの穴埋めはしなくちゃな、と、そんなことは言われなくても分かっていた。

それを改めて「貸しだからね」などと言われてガッカリした。

言う姉さんに対してよりも、改めて「貸しだ」と言っとかないと分らない野暮ちんだ、というふうに自分が見えたのであろう事にガッカリしたのである。

ま、ひげは蓄えていても若造だから仕方がない、と反省した。

野暮だとか粋だとか、近頃、世の中あんまり口にしなくなった。

会津の芸者さんもどんどん減ってあの頃の半分だ。芸者を守る会まで作られて、文化財的な扱いを受けている。

今も頑張っている姉さん方、いつまでもどうぞ粋でいて欲しいものです。

一から十まで噛んで含めるように言う仲なんて、患者さんとお医者さんの間で充分。

言わずもがな、察し、察され、ちょっとおバカな勘違い、そんなすれ違いがあるからこそ楽しいのが世の中なんでござんす・・・。

それにしても、ちょっとは野暮ちんに見えなくなったかなぁ・・・この私。

2012年9月26日 (水)

変わった食事会

一風変わった食事会が行われた。

事の起こりは、Tさんのお父上が亡くなられ、その遺品を整理ししていた時に発見された一冊の古いノートである。

そこにはお父上の若かりし頃、東京の三大料亭のひとつと謳われた「柳光亭」で板前として修業していた時代の『品書き』がびっしりと書き込まれていた。

昭和8年当時のものである。日々のお膳の品書きが事細かに書き記されていた。春から夏、そして秋から冬へと季節の料理が膳を埋める、その料理の移り変わりが残されていた。

中には旧鳩山邸での園遊会に出張して調理した、などという記載まである。

戦前の花柳界の、それも一流のお膳の貴重な記録である。

Tさんは、当初その古いノートを装丁し直そうと考えた。しかし、それはあまりにも傷んでいて難しいとのことだった。

そこで、意見を求められた私は、この献立をもう一度書き起こして、そこにTさんの解説や想いを書き添えて一冊の本にしてみてはどうか?と提案した。

やってみるか!という事になり制作会社の助けを借りて仕事が進められたものの、そう簡単な話ではなかった。第一、肝心の品書きが達筆で素人には容易に読み下せない。

そこで今や郷土史家として有名な野口信一先生に監修をお願いすることにしたそうだ。幸いなことに野口先生は歴史だけでなく料理にも精通しており、料理を知らない人には決して読めないだろうという難解な文字までも、事もなく朱を入れてくださったという。

かくしてその自家本は、ほぼ9割方の完成を見た。

しかし、料理の本でありながら料理の写真が一枚もない。それはそうだ、昭和8年当時のお膳など誰も見たことがない。

そこで、当時のお膳を再現して見る試みが行われたというわけである。完全再現はもちろん無理だが、秋の膳からいくつかの料理を組み合わせて、再現が試みられた。

協力してくれたのは会津若松市の一流料亭・萬花楼の親方だ。

私はそこに、単なる言い出しっぺだという理由だけで呼ばれ、ご相伴にあずかったという訳だ。

なかなか凝った料理が多かった。鴨肉のじぶ煮のようなものから、松茸の石焼き、椀が二種、どじょうの柳川なども出た。

隣りには監修者でもあり料理人でもある野口先生、その隣りにTさん、あとは制作者やカメラマンなど7人程の小宴であった。

どの料理も調理人の緊張感が伝わってくる。大変美味しく、珍しく頂いた。やっぱり日本酒が合う、酒は栄川の「砡」でいった。

したたか飲んで、好きな事を言って大いに食べた!「ごっつおぅさまでした!」

自家本は10月の末には完成、11月には今一度、披露の宴を行うということらしい。

それもまた楽しみ・・・会津には確実に食欲の秋が訪れている。

2012年9月25日 (火)

細野さんへの義理

細野環境相が民主党の政調会長に就くそうだ。このニュースに「福島がっかり・・・」とあったが、まさにがっかりだ。

細野大臣は原発事故以来、非常に熱心に仕事をしてきたと思う。環境相とは言っても原子力防災担当という特命大臣だ。福島にかける思いは並々ならぬものがあったに違いない。

民主党の代表選に名前が挙がった時も「福島の事が胸から離れない・・・」と立候補を見送った。

それなのに結局は民主党の選挙の顔になってしまう訳???と、誰の胸にも「?」が宿る。

密会スクープなど、軟派の兄ちゃんかと思っていたが事故発生以来、かなり真面目に原発問題に取り組み、被災町村の首長との信頼関係も厚いところまで来ていた。地域住民の信頼も厚いように見えた。

これまでに人類が味わったことのない未曾有の事故に対処するために、ここまで時間をかけて築き上げてきた信頼関係を引っ剥がす必要がどこにあるのかが、よく分からない。

時間は1年半が経ったが、まだ何一つ解決していないし道筋さえも立ってはいない。

細野大臣は原発事故処理をライフワークにして、例え政権が変わっても細野大臣だけは変えなくていい、ぐらいに思っていた。

それなのに、なんだかこの原発事故さえもひとつの政治課題・・・ぐらいの扱いなのかと思うと、とても残念な気持ちになる。

会津へも何度も何度も足を運んだ細野大臣、どうしてあなたが選挙の顔にならなきゃいけないの?

それじゃあ、あの懸命の原発対応も結局は票稼ぎのためだった、と言われちゃうじゃない?

第一、ここまでやって来たあなたの後を誰がやる、やれる、というのでしょう?

また一から信頼関係の構築、では復興がますます遅れてしまうのでは?

結局、民主党が選挙で負けてしまえばそれまでなんだから仕方がないんだ、という考え方なのだろうけれど・・・とてもしっくりきませんなぁ。

逆にあなたの人気や信頼で稼げた分の票をすべて吐き出してしまうのではないのだろうか?

少なくても散々な仕打ちを受けてきた福島県の人々は、これで「民主党」と書く義理はまったく無くなったように思えるのだけれど・・・。

2012年9月24日 (月)

会津まつりは雨

先に、会津まつりは天候に恵まれそうだ・・・と書いたが昨日のメインイベント歴代藩公行列はあいにくの雨になってしまった。秋の天気は変わりやすい。そして、その雨で、一気に秋になった。

甲冑姿の武者行列もみんなビニールのボンチョのような雨よけをかぶっての行進、さまにならないというか、折角準備したのになんとなく可哀想だ。

それでも沿道は大いに盛り上がりを見せたようだ。(テレビのニュースから)

この行列は過去に一度しか中止されたことがない。それはそうだろう、あれだけの準備をして中止というのはよっぽどの荒天でもない限り、なかなか決断できない。

前夜には会津松平家奉賛会の宴があり、十四代の殿様にはご挨拶をした。

来年の大河ドラマ『八重の桜』の盛り上がりで、殿様も引っ張りだこのようだ。様々な歴史シンポジウム、座談会や式典、イベントの類に次々とお声が掛る。

中にはこれに乗じて・・・という人もいない事はない。何でもかんでも聞いていては殿様も大変だし、会津松平家の威厳もなにもあったものではなくなってしまう。客寄せパンダの、八重たんの着ぐるみと同じように扱われても困る。

が、そこはしっかりした会長のH氏が居るので安心だが、よくよく注意しないと会津人とは言え「この際、なんでもあり」という感覚の人は少なくない。

そういった事柄も若干確認し合いながら、地酒で宴は盛り上がった。席上、皆がそれぞれに明日はどこどこで声援を贈ります!というのを黙って聞いていた。

私は違うところに居ました。・・・雨のゴルフ場。(殿、声援を贈れなくて申し訳ない)

2012年9月21日 (金)

あなたの力を使わせて

NHKの歴史ヒストリアという番組で大山捨松が取り上げられた。

少女時代に鶴ヶ城に籠城して戦い、その後、日本初の女子留学生としてアメリカに渡り、帰国後政府高官の大山巌と結婚、鹿鳴館の花と謳われるという、激動の生涯を生きた会津女性だ。

番組は「私、結婚します!」と大山巌との結婚を中心に構成されていた。

大山巌は、捨松が少女時代に居た鶴ヶ城に向けて大砲の弾を撃ち込み続けた薩摩藩の砲術隊長だった。

そのいわば仇とも言える、大山との結婚はやはりセンセーショナルな出来事だったのだろう。ましてや大山は三人の子を持つ再婚者であった。

この結婚をどう捉えるか?意見は様々だ。

アメリカの大学を首席で卒業しながらも、当時の封建的な日本の社会で女性が活躍する場はほとんどなかった。

女子教育の夢に燃えた親友の津田梅子も捨松も、日本の社会では行き遅れた才女でしかなかった。結婚して子を産まない女性は、むしろ欠陥者のような扱いさえ受けたのである。

そうした状況を打破するため大山巌の絶大な権力目当ての政略的な結婚である、という見方もない事はない。

確かにそうした一面もゼロではなかったろうが、捨松と大山巌は互いを理解し合ったベストカップルであったことは間違いない。

ヨーロッパで学んだ大山、アメリカで学んだ捨松、デートを重ねるうちに明治の日本にこれ以上、互いを理解し尊重し合える間柄はないと確信したのではないだろうか?

それが証拠に捨松は、大山巌の力を背景にして強く望んでいた社会運動に力を注いでいく、そして大山巌はそれを常に全力で後押しして行くのである。

互いの深い理解がなければ捨松の目を見張るような働きは、きっとどこかでつまづいたに違いない。お互いが尊敬し合い、協力を惜しまなかったからこそだろう。

ま、事の大小はあれ、結婚とはいずれそういうものであるべきなのだ。お互いを尊敬し合い、お互いの力を最大限に利用し合い、頼り合うのが正解なのだ。

利用し合う、などと言うとなんか自分だけが上手い事して良い思いをするみたいだが、そこは相互作用、持ちつ持たれつというやつだ。

私を利用していいよ、時には利用させてね、という感じだ。上手い言葉が見つからないが、ダシに使う利用ではなく、互いを有益に使う利用だ。

利用し、利用し合う、それも愛だ。

捨松にだったらいくら利用されても僕は構わない!巌さんはきっとそう思って幸せだったのではないだろうか?

2012年9月20日 (木)

お彼岸

秋のお彼岸だ。寒さ暑さも、というけれども今年はまだ真夏日が続いている。

我が家にはお彼岸だからと言って特に墓参りに出かける習慣はない。会津地方はそういう家が多いように思う。特にずぼらなわけではないが、なんとなく習慣だ。

お彼岸には、仏壇をきれいにし、おはぎなどを備えてお参りをする。

今年も三分の二が過ぎたが、なんだか多くの人を見送ったような気がする。不慮の死、覚悟の死、あっと言う間の死、それぞれに今も悲しく淋しい。

会津のお彼岸は、会津まつりと重なり街はしんみりというよりは大いに賑わう。

が、基本は鎮魂の祭りだ。提灯行列、白虎隊士の墓前祭、先人感謝祭、そして時代絵巻の歴代藩公行列、十万人の盆踊り、鼓笛隊パレードと続く。

子どもの頃のイメージは、学校が早く終わって、菊の花が咲いていて、なんとなく街中が薄曇りで、お線香の煙が漂っていて・・・・そんな感じだ。

祭りの華やかさの中にもどこかピンと張りつめた、先人へ感謝の想いが貫かれていたように思う。(もちろん今だってそうだ)

今年の会津まつりはどうやら天候に恵まれそうな予報だ。

この週末、今からでも小さな旅を楽しんでみてはいかが?震災のあった去年は応援の思いもあったのだろう予想外の人出だった。今年もまた大いに賑わう事を期待したい。

曇り空の会津、秋のお彼岸だ。

今も胸に引っ掛かっているあの事件、不慮の死を遂げた仲間にお線香の一本も手向けに行こう・・・。

2012年9月18日 (火)

乾いてる

会津も一向に雨が降らない。作物にも影響が出始めている。

先日、猪苗代湖畔を通ったが、これまでに見た事もないほど、浜から何メートルも干上がっていた。

それでも会津はこの猪苗代湖という巨大な水がめのおかげで干ばつの被害は極端に少ない。まさに自然の恩恵、土地の恵みである。

厳しい残暑のために干上がる速度も速い。庭木にも水をやらないと可哀想な状況である。

このカラカラ天気は首都圏にも影響を及ぼしている。片や四国・中国地方では大雨の報、なんともうまく行かないものである。

人類は異常気象や天変地異と戦い続けてきた。戦ったというより翻弄され続けてきた、と言った方が正解だろう。

その昔は、まったく手も足も出ないから祈り続けてきただけなのに、いつの頃からか手も足も出るかのようなふるまいをするようになって来てしまった。

科学の進歩で多少は備えることが出来るようになったものの、今も根本的には手も足も出ない事に変わりはない。

カラカラ天気には雨乞いぐらいしか手段はないし、大雨には堤防や排水溝で備えるものの、百年に一度の大雨が毎年降るような異常気象には、やはり手を合わせるしか対抗策はない。

こんな風に、現実的にはまったく手も足も出ない日本列島の大自然の中で、自らの力でコントロールできない、消せない火に点火してはいけない事は、ある意味自明の理だろう。

それでも安全にコントロールできるという人、しかしながら全くコントロールできていない現実、どちらが正しいかは目を見開けば分かることだ。

本日も晴天なり。33度ぐらいまで上がる予想、会津は乾いている。

ゴルフ場のグリーンも乾いてカチカチだ。上手に乗せたつもりでも堅く弾んで思いっきりオーバーしてしまうような塩梅・・・それを言い訳にしたとしても昨日のスコアは酷過ぎた。

お疲れなのかな?がっかり、反省。

2012年9月16日 (日)

隣りの友人

新しい病院の落成祝賀会に参加するため、中国荊州市の友好病院の院長以下一行五名が会津若松市を訪れた。

このところの尖閣をめぐる騒ぎで、少し心配をしたが無事に成田に着き、歓迎パーティを現地で行い、15日に会津に入った。

院長とは4、5年ぶりの再会だがいたって元気、他の四名は初めての日本だ。東山温泉で歓迎の宴が開かれた。

中国の先生方は英語を話す人が少なく、英語もあまり通じない(地域によるのだろうが)こちらも中国語がさっぱりなので、通訳を通しての会話となる。

互いに尊敬する相手を褒め合い、変わらぬ友情の続くことを確認し、お互いの贈り物を渡し合う。至って友好的だ。

もちろん「島」の話などはするはずもない。まして、通じない言葉で話してみても仕方がない。

中国流のあいさつは、語尾を強く張り上げて話す。友好的な事を話しているのだがなんだか『そういう事は絶対に認められない、我々の主張が絶対に正しい!』と、ちょっと怒っているように聞こえないこともない。国民性というやつだ。

宴は極めて和やか、互いに「カンペイ!乾杯!」の嵐。みやげに持ってきた白酒(パイジュ・45度ぐらいある)を開けて、盃で一気飲みが始まった。

芸者さんの踊り、お座敷遊びの体験会。飲んで騒いで超盛り上がり、友好は一層深まったようである。

この病院とは20年間にわたる交流があり、その間、多くの中国人留学生が当院で研修し、中国に戻って病院の発展に尽くしてきた。まさに息の長い草の根の民間交流といえる。

こういう交流を続けて来ても領土問題は別だ。

この週末、反日デモの炎が中国本土に燃え広がった。日本企業や日本人の店を攻撃する。火を放って物を破壊する。いくら暴力的な振る舞いをしてもてもそこには罪悪感などはみじんもない。

いくら仲良くしてきた隣りの友人であっても、領土の話は出来ない。

なぜなら彼らが絶対に理解を示すことがない、という事が分かるからだ。そのくらい隣人と我々の考え方は根本的に隔たっている。

どんなに友情を積み上げても、「愛国無罪」の名のもとに豹変し、火を放ち破壊に及ぶ。そんな映像を見せられると悲しくも、むなしくなる。

一連の反日ムードの高まりを受けて会津若松市の友好の翼も延期となったそうだ。

日曜日、騒いで飲みすぎた隣国の友人たちは二日酔いの中、祝賀会に笑顔で出席、ちょっと辛そうだったが、それでも互いを讃え合う笑顔と固い握手を交わして会津を後にした。

再会、サイツェン!また仲良く会えるといいね。

2012年9月12日 (水)

120年

昨日、リオン・ドールさんの創業120周年記念祝賀会に招待を受けて出席した。

東山温泉の御宿東鳳のパーティ会場はぎっしりの人、500名を越える参加者であふれかえっていた。

会津を離れている方には「リオン・ドール」というよりも「ライオンドー」と言った方が分るのかもしれない。2001年にライオンドーからリオン・ドールへとCIを行っている。

明治25年、初代小池嘉吉さんが「小池漆器店」を興した事に始まる商売の歴史。喜多方市から会津若松市へと移り、三代目嘉吉さんは漆器業から洋品店へと業態変更を遂げ、大成功をおさめる。

その衣料品の成功体験にしばられることなく四代目の現社長・小池信介さんは食品スーパーへと舵を切り、現在福島県内、新潟県に40を超える店舗を展開している。

純粋な会津若松の企業の中では最大級の規模、年間500億円を越える売り上げを誇る、ローカルスーパーの雄だ。

一般に企業の寿命は30年が一区切りと言われる。そんな中120年という大還暦を生き抜いた企業が地元にあることだけでも誇らしいし、勇気がわいてくる気がする。

祝辞にもあったが、特筆すべきはその歴史の長さだけではなく、常に成長を続けているという点だろう。

現・小池社長とはもう25年を越えるお付き合いとなる。超多忙でなかなか会えないが、大切で尊敬できる友人の一人だ。

スーパーマーケットだけに多くのメーカーさんや問屋さん(?)がズラリと顔をそろえていた。普段はお会いできない錚々たる面々が顔をそろえている・・・らしいが業界が違うのでちょっと良く分からない。

ので、席を立たずにひたすら美味しい料理(シェ・やまのべのシェフが三品を担当された。絶品でした)とお酒をいただいた。

感じたのは、こうした祝賀会に良くありがちな政治家の方々や、地元のお偉方が少なかったこと。ほとんどが実業に則したお客さま方のように見えた。

それだけ本気でスーパーマーケット一筋に打ち込んでいるという事の表れだろう。

私自身はなんだかあぶらむしみたいに浮いてた感じだが、それがなんだか逆にとても心地よかったです。

五百数十人の中でたった一人マイペースで料理も、ジプシー・ニコさんの素晴らしい演奏も全部美味しく頂きました。

ご馳走様そして、会長、小池社長、社員の皆さま、本当におめでとう!心からの祝意を表します。

ビバ!リオン・ドール!!!!

2012年9月11日 (火)

NHKの本気

来年から始まる大河ドラマ「八重の桜」の内藤エグゼクティブ・プロデューサーとお話しをさせていただく機会を得た。

徳島のご出身、すごく偉いのに派手さはなく、誠実さがにじみ出ているような優しい方だった。

一番聞いてみたい事を聞いた。「来年の八重の桜は明るいドラマになるのでしょうか?」

内藤氏は「八重は会津で多くの人々、暖かい人々に囲まれて暮らしていきます。しかし、その周りにいた多くの人々が死んでいき、ふるさともバラバラになってしまいます。そうした大きな不幸に見舞われながらも、まっとうな人間が懸命に生き、そしてまた再生していく、そんなドラマにしたいのです」そんな風に答えてくれた。

なんだか胸が熱くなった。

東日本大震災を受けて、福島のみならず東北復興への力となるよう、この「八重の桜」は、繰り上げて大河ドラマに取り上げられたという。まさに東北を力強く後押しすることが目的のドラマなのである。

その意味からも戊辰戦争という悲しみを乗り越えて生き抜いた、八重という女性の強さに重ねた再生の物語はまさにぴったりであると言えるだろう。

全体の半分を越える回までが会津だというのだから、本当に会津が舞台である。八重のふるさとが会津なのですよ、というのとは訳が違うのだ。ここ会津で物語は進んでいく。

まだ発表されていないが山川健次郎、捨松の兄弟も出て来る。誰だろうなぁ?

今、会津は「八重の桜」に湧いているが、案外、地元の人々が期待している以上に会津が大きく大きく取り上げられ話題になるかもしれないと思うと嬉しくなった。

会津松平家十四代当主・松平保久様の地元応援団としてくっ付いて行っただけなのに、少々、どころかかなりラッキーなひと時でした。

目の前に綾瀬はるかさん、貫地谷しほりさん、長谷川博巳さん、会津清酒をついでしばしお話をする事まで出来た。あのまんまの美人さんで、少し天然でした。結構バクバク食べて、クイクイと飲んでたから、きっと性格もチャーミングだと思う。

ま、それはそれでかなり嬉しかったけれど、それよりも何よりもNHKのスタッフさんたちの本気度がガンガン伝わってきて嬉しかった。最高のドラマにする!という声が幾度も幾度も聞けた事が何よりも嬉しかった。

みなさん、NHKは本気ですぞ!地元会津も頑張らなくてはなりませぬ。

2012年9月 9日 (日)

会津人

「東京の人は、東京の人を東京人なんって言わない。郡山人とも福島人とも言わない。会津だけが人を付けて会津人という。会津魂と言うけど他所では言わない・・・」(手づくり舞台・づんどまり商店街の中の台詞の要旨)

ま、会津だけ!という事はないだろうが、会津人、会津人群像、会津学など、会津が独特の風土だと感じさせる言葉は少なくない。

芝居の中で、会津人は人の事を悪く言うくせに自分が言われるとものすごく怒る。変わる事を嫌がる(変わろうとしない)。肩書きばっかり気にする。などと耳の痛い台詞がどんどん出て来た。

そんな、づんどまりの状況から自分たちの街は、やぱり自分たちで考えて行こう、まちづくりを他所から押し付けられるのではなく自分たちで考えよう、会津ならではのものにして行こう、と目覚めて行くお芝居だ。

五十数年、会津に生まれ育ったが会津という土地は確かに他所から見れば多少厄介なところが多いのかもしれない。

人の噂話しをし過ぎる。出る人の足を引っ張る。理屈が合わないと絶対に納得しない(柔軟性がない)。肩書きや家柄に弱い。仲間外れにする。体裁ばかり気にする。などなど。

まるでいいところがないじゃないか!といわれそうだが、多かれ少なかれこういう傾向はムラ社会の日本ならどこにでもあって、その振幅が強いという事なのだろう。

会津人は会津を愛してる!と堂々という。そのくせ上記の様なところがあって愛が上手く伝わらないのかもしれない。

本当は愛する人のためには何でもしたいのだが、それが素直に出来ないのだ。頑張っている人々の力が相乗効果となって上手く回って行かないところがある。

不器用ですから・・・、愚直なので・・・・。そんな言葉に酔ってばかりいたのでは何も変わるまい。

言い訳ばっかりして「やらない」ではなく、不器用だけど、愚直だけれど、「俺は(私たちは)やる!」それが大事。

そして、やる人をバカみたいに応援する、そんな会津人に不足気味な心意気が必要なのではないでしょうか?

松岡修三さんみたいに誰の事でも応援しちゃう会津人の新種が現れると良いかもしれない。

2012年9月 7日 (金)

ワインみたいに

ワインの瓶と日本酒の四合瓶はほとんど同じ分量、アルコール度数も同じくらいだからワインを開けて食事をするように、四合瓶を1本開けて食事をするというのは理にかなっているのだが、ワインみたいに四合瓶のリストを品書きにあげている店は少ない。

日本酒を楽しませてくれる店の多くが、大きな冷蔵庫に一升瓶をずらりと並べている。そこから注いでくれるわけだが、一体いつ、その一升瓶が開けられたのかは定かではない。

開けてから時間が経てば、どんなに保存状態が良くても多少味は変わる(落ちる)と思っている(感じている)が、間違っているのだろうか?

どうせなら、美味しい料理に四合瓶を開けながら飲み切りで行くのが良いのじゃないだろうか?と常々思っているのだが料金の塩梅なのかそういう店はほとんどない。

ワインの場合は1本開けて飲み切りが当たり前・・・もっともワインの一升瓶というのはほとんど流通していない。

そんなことで先日、日本酒好きのオヤジが「天竹」に集まって、四合瓶持ち込みで「日本酒を楽しむ会」を開いた。

肴は新鮮な海の幸、特に軽くしめたサバ、カラスミ、ホヤ、イカなどが絶品だった。勢い、日本酒も進む、進む。もちろんすべて会津の酒だ。

「泉川純米大吟醸」「国権秋あがり」「会津娘純米吟醸」「純米吟醸風が吹く」

2本か?3本じゃあ余すだろう、と思っていたがなんとこの順番で4本ともペロリと飲んでしまった。それもオヤジ三人でだ。(少しだけサポートも入ったが)

シシ、ジュウロクだから1升6合、飲みすぎだっちゅうの!放っておいたら6本ぐらい行ってしまう勢いでした。

それにしても秋、会津の酒は実に美味い!秋じゃなくても美味いが、ちょっと暑さの落ち着いた今頃の酒はまた格別である。

泉川のあのサラッとした飲み口ですっかりスタートダッシュが付いてしまった。国権、会津娘まではスピードに乗って見事なバトンリレー、風が吹くでもゴール感はまったく無く、結局オヤジどもは怪しい足取りで、はしごをしてしまったのであった。

たっぷりの和らぎ水を飲んだが、朝はやっぱり、多少の反省が頭を締めつけた。

でも、ワインみたいに四合瓶で飲む日本酒の酒飲み会は良い!と思った次第である。

2012年9月 6日 (木)

づんどまりに来た!

昨晩、来たる8日、9日に行われる第六回市民手づくり舞台「づんどまり商店街~愛すべき会津人たち~」の通し稽古を観てきた。

運営委員の一人に名前を連ねてはいるが、あまり力になってやれてはいない。

それでも私の友人のT氏から借りた喫茶店の様々な道具で舞台となるカフェ「オールドタイマー」はそれっぽい仕上がりに出来上がっていた。

入場券の販売の方は様々なところを紹介したが今一つ伸び悩んでいるらしい。(どうぞ当日でもお越しください。両日14時から1500円)

舞台は20人ほどの役者が熱演。演出の佐藤紘一先生、脚本の佐藤雅通先生が見守る。

通し稽古を見ながら二回前の芝居、私自身が脚本を書いた舞台の事を思い出していた。あの時、公演直前のゲネプロを観て暗い気持ちになったっけ。

ゲネプロというのは本番とまったく同じ舞台・衣装でやる最後の通しだ。しかし、あっちでバタバタ、こっちでバタバタ、果たしてこれで本番の幕があいたらどういう事になっちゃうの???とすごく不安になったっけ・・・。

ところが本番、客が入り緊張が高まると前夜のゲネプロとは打って変わって、ほとんどノーミスで緊張感ある舞台が繰り広げられた。会場は大きな拍手に包まれ、カーテンコールで作者として紹介された私も誇らしかったっけ。

だから、きっと今回も大丈夫だろう。

芝居をやっている人間というのは、客が入り、拍手や笑い声、どよめきが起こると、普段の自分にはない特別な力を発揮してしまうものらしい。だから、私があれやこれや心配しても始まらないし、もうここまで来ているのだから言ってみても仕方がない。

通し稽古終了後、舞台にあげられて激励の言葉を贈ってくれ、と言われた。

あんまり力になれていない詫びと、当日は落ち着いて、キーポイントになる単語だけははっきりと伝えるように、とにかく頑張ってください!と言って帰って来た。

今日も、明日のゲネプロも用事があって観れない。

本番には、ゴルフはパスしてちゃんと伺いますので、みなさんどうか頑張って!

もう本当にづんどまり、どこにも逃げられないよ、ファイト!

2012年9月 5日 (水)

つるとかめ

先日、ランドセル工場の羅羅屋さんがオープンした話を書いたが、その式典・祝賀会の際に「つるとかめ」という民謡ユニットが登場し、花を添えた。

私はまったく知らなかったが、民謡界では有名らしい。津軽三味線の第一人者澤田勝秋さんと和太鼓奏者・民謡歌手の木津茂里さんという男女のユニット、津軽三味線と太鼓だけというシンプルな構成だか、これが実に素晴らしかった。

津軽三味線を弾きながら歌う、太鼓をたたきながら歌う、ありそうで無い構成なのだそうだ。

澤田さんの声も実に渋くいい声だ。木津さんの声も脳天から魂に突き刺さるように澄んでいる。

次々と披露する民謡は三味と太鼓の掛け合いで、また時には太鼓のソロ、三味線のソロで・・・和太鼓だけで民謡を歌うというスタイルは初めてだったが、魂をわしづかみにされたような気がした。

あんまり素晴らしかったので、帰ってネットで調べてみた。すると有名なユニットで世界各地を飛び回っているらしい。あのハッピーエンドの細野晴臣さんも大ファンでジョイントしたりしているというから納得。

民謡にふれる機会というのはあんまりないが、こんな風に全国的に、また国際的にも頑張っている芸術家が結構いるんだと知って嬉しくなった。

ぜひまた機会があれば会津に来て欲しいものだ。

今度出来る新病院には200人ほど入れるホールがあるが、あの威勢のいい太鼓は、さすがに病院ではちょっと響き過ぎかも・・・。

ホームページがあったので、とりあえず感動したとファンレターを書いておいた。

「うさぎとかめ」さんへ・・・・じゃない、じゃない!お目出度い方「つるとかめ」さんだ。

2012年9月 4日 (火)

幸せの話し

霊感商法でその名をはせた宗教の教祖様が亡くなったそうだ。

信じている人にとってはどんな宗教も本物で、唯一で、疑いをはさむ余地は皆無なのだから不用意な事は言えない。

あれだけ巨大化すると、私の周りにも影響を受けた知人もいる。

Tちゃん、という女性は色白で美人、バドミントンが好きで顔は細いが太ももは立派だった。真面目な性格で、手作業の仕事も腕が良かった。家庭的にはあまり恵まれてはいなかったようで、年老いたお母さんと二人暮らし。それでも貧しさに負けずに明るかったが、30の声を聞いてもまだ婚期は訪れていなかった。

その後、私は会社を離れて疎遠になったが、しばらくして聞こえてきた彼女の噂には驚いた。

なぜか、かの新興宗教に入信し、お母さんも捨てて隣国に渡り集団結婚をしたというのだ。

あの臆病なほど慎重で、曲がったことの嫌いな彼女にいったい何が起こって、どういう経過で変わって行ったのだろう?その後の消息はようとして分らない。

別な美女(そもそもちょっと美形というところが味噌なのかもしれない)の話し。

都会に出て再婚をしたと風の噂。そんな彼女から突然電話が掛って来た。人けのない残業の事務所で長々と語らう内に、少々鼻の下も伸びる。

やがて話は地球の環境問題から健康問題、身内の病気へと話が進んでいく。

『ところで・・・俗に言う○○○○教というのは本当の教えじゃないという事聞いたことある?』と、この辺りからなんだか話がおかしくなって来た。

血がどうだとか、前世がどうだとか、苦しみや不幸がどうだとか、彼女は熱く、時に涙声で語りかけるてくるではないか。

あ~らら~、という感じで鼻の下も急に短くなってしまった。布教のために、田舎のおバカを思い出して電話をかけてきたという訳だ。

ああいう話も「壺にはまる」という時があるのだろう。たまたま受け手側が何らかの不幸に見舞われていたり、心がひどく落ち込んでいたりすると思わず食いついてしまう・・・それは不思議ではない。

たまたま私は、そういう気になったことはない。また、よほど話を聞かなそうに見えるのかもしれない。

「ピンポーン!」と子ども連れで布教活動して歩く集団の人も、たまたま私がドアを開けるととほとんど何も言わずに帰って行く。一度は、私の顔を見ただけでこどもが泣きだした事もある。

ま、信じることは万人の自由だからとやかく言う事ではないが、壺や判子で幸せが買えるなら、まずはあなたがもっと幸せで良いんじゃないの?と訊きたくなる。

もっとも、身も心もお金も家庭も、みんな捧げつくしてボロボロになることこそが私の幸せなのです!と言われてしまえば何も言う事はない。

そういう幸せは要らないし、私の愛する誰にも決して求めて欲しくはない。

ほんの少し朝方の空気もひんやりとして、午前5時半の青空にはモーニングムーンが浮かんでいた。会津の空も徐々に高くなって行く様だ。

2012年9月 3日 (月)

新しい息吹

河東の工業団地に新しい企業が進出し、今日そのお披露目がおこなわれた。

ランドセル製造工場、ララちゃんランドセルで有名な「羅羅屋」さんだ。川口に工場がある。

震災後の補助金が有利に使える企業誘致で、製造業が多く流出している中国ではなく会津に進出を決めたそうだ。春先からわずかに3ヶ月の工期で新工場が完成した。

ランドセルの製造だけでなく、製造工程の見学も出来、工場周辺では子どもたちが元気に外遊びや家族連れでピクニック気分を味わえるスペースも設けられている。

8月1日から21名の新規採用があり、会津地区の雇用にも貢献している。

ランドセルというのがどれほどの需要があるものかは良く分からないが、すべてのこどもが必ず一個は使うのだから、相当な数の市場になるだろう。

日本だけではなく、諸外国へも輸出できる文化でもある。ランドセルを使わない欧米に、新しい価値観を植え付けることに成功すれば凄い市場が生まれるだろう。

いずれにしても、そうした可能性溢れた未来が期待できるという事は慶事である。

同じように会津に進出したいが、分譲出来る工業団地がすでに不足しているという話も聞く。そう簡単に作れる話ではないのだろうが、ここは積極的に、良い企業を数多く誘致していただきたいものだ。

一方で、富士通の半導体工場は売却されてしまったというニュースが先週末に出た。労働者はそのまま移行し雇用は守られるとは言うものの、そっくりそのままうまく行く、などという事はありえまい。

あの富士通が半導体の製造部門から撤退するというのだから時代の趨勢を感じずにはいられない。

ある意味、富士通の企業城下町である会津若松市は、その依って立つべきところが著しく揺らいでいるのだ。

小さなララちゃんの新しい息吹に一層の期待が高まる。

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