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2012年7月

2012年7月31日 (火)

そうですね

オリンピックに昼夜忙しい。どうしても熱が入る。各局のオリンピック中継、様々な解説者が登場するが、どうも耳につくのが「そうですね」だ。

さすがにアナウンサーは言わないが、解説者も選手もみんなアタマに「そうですね」を付ける。

「そうですね」は英語で言えば「Yes,it is.」なわけだが、その意味とは少しずれていて何か聞かれると、まずはじめに「そうですね」と言ってから答えるのだ。

「はい」という返事と同じ、または「それは良い質問ですね」「確かにそういう事は言えますね」のようなニュアンスで発せられる場合もある。ま、とにかく聞かれたら何でもかんでも「そうですね」なのだ。肯定も否定も関係ない。

「誰がキーポイントでしょうか?」「そうですね、やはり澤と大野でしょうね」「川澄はどうでしょうか?」「そうですね、川澄のスピードが生かせるような展開に出来るかどうですね」

これがあんまり続くと「はい」と言って話せんのか!と、テレビに向って言ってしまう。

ひどいのになると「あれはおかしいんじゃないでしょうか?」「そうですね。おかしくはありません」みたいにYES&NOみたいな、変な受け応えもある。

これまであんまり気にもしなかったあなた、気にしてテレビの解説を聞いてみてください。きっと「そうですね」と言いたくなりますよ。

今日の会津はものすごい暑さで36度ぐらいあったんじゃないでしょうか?そうですね、そこまではないでしょう。

一体どっちだ!

2012年7月30日 (月)

突然の別れ

職場の仲間との突然の別れが訪れた。それも二人同時に。仲の良い夫婦である。信じ難い事件に巻き込まれた。

事件そのものは、すぐに容疑者逮捕となったが、それで亡くなった人が戻るわけもない。

一粒種の心優しい息子を残し、さぞや無念であったろう。

彼もまた両親と同じ医療の道、医師を目指し前途が期待されている。その晴れ姿を見る事も出来ずに、さぞやさぞや無念であっただろう・・・。

日曜には炎天下の下、辛い葬儀が行われた。多くの職員が脱水症状になるほど涙を流した。突然の別れは胸も、声も、想いも締めつける。

二人とも我が病院の叩き上げである。仕事熱心な優しいまなざし。寡黙で無駄口を叩かぬ会津っぽ。だが時に茶目っ気も見せた。本当に仲の良い夫婦であった。

こんな惨劇に、一体何の意味があるのだ!と天を恨みもするが、世に起こる事象はすべて何らかの意味を持つ、とも言う。

で、あるならばこの悲しみは一体何を教えるというのだろう???

今、ひとつだけ分る事(想像が出来ること)は、彼らが予期せぬものとはいえ、自分たちの身に起こった不幸で病院の歩みに支障をきたすようなことは、全く望んではいないという事だ。

彼らの抜けた穴を埋める事は容易なことではない。しかし、それによって新病院のスタートがスムースに行かなくなったりしたら、一番悲しむのもまた彼らだ。

今、我々が出来る事は悲しみは悲しみとして、新病院のオープンを無事に迎えること。それこそが一番の供養とも言えるだろう・・・。

異動辞令も退職辞令も無いままに、仲睦まじい二人の仲間が消えてしまった。遅ればせながら、まったく本意ではないが異動を告げよう。

『天国で心安らかな日々を過ごすことを命じます』    さようなら、合掌。

2012年7月28日 (土)

オペラ白虎

9月27日「オペラ白虎」の初演が、会津風雅堂で行われた。

オペラというと、詳しそうにに思われるかもしれないが全然だ。「魔笛」「アイーダ」を観たことがあるくらいで、どちらかというと苦手分野だ。

「オペラ白虎」は4年以上の歳月をかけて創られた会津発のオペラだ。これまでにあった作品を上演するのではなく、全くの新作オリジナルだ。

ひとつのオペラを創り上げることがどれほど大変なことか!脚本に始まり、作曲、オーケストラ、指揮者、歌手、合唱、舞台演出、ものすごく大勢の人々が関わり、ものすごい労力とお金を必要とする。

会津発のこのすごいプロジェクトを実現にまで漕ぎ着けた関係者の熱意と努力には大いなる敬意を表したい。

会津発・世界初演のオペラが幕を明けた。

主人公は白虎隊の唯一の生き残り飯沼貞吉。武士の道を貫こうと死に向かう貞吉、対極に西郷頼母を立たせ、西郷邸で自刃した婦女子二十三名の悲劇、白虎隊の悲劇が描かれる。なよたけの辞世で有名な西郷千重子のソプラノが心に突き刺さった。

感想は、感心した(これだけのものを創ったパワーに)が第一。非常に興味深く面白く観たが第二、そして感動した。

物語は白虎隊士で唯一人助けられた貞吉が、自分だけが生き残った葛藤と戦いながらも最後には生き抜くことを選ぶというところで終わる。

正直、この物語の内容が世界中の人々の心に響くものなのか、生と死、戦争と平和というテーマを伝えうる普遍性があるかどうか?は、会津に浸かり過ぎている者として冷静な目で判断することはなかなか難しい。その点は、優れた批評に任せるしかない。

でも、良かった。

まず90分ぐらいと短いのが良い。そこかい!と言われるかもしれないがこれはオペラに造詣が深くなくても充分に鑑賞できる重要な要素だと思う。

そして舞台の構成が素晴らしい、というか上手い。後方に児童合唱団、左右に混声合唱団、そして役者となる男性合唱、テノール、バリトン、ソプラノの素晴らしい歌手達。これまで観た(わずかにだが)オペラとは全く違った斬新な舞台構成だ。

もちろんオーケストラ、指揮者も素晴らしかった。

これだけの芸術作品をほぼ地元の力だけで作り上げた会津の底力というものを強く感じるとともに、これだけの舞台が創られたのにもかかわらず、6、7分の入り(空席が目立った)という点に、残念ながら会津の限界も垣間見えた様な気がした。

「オペラ白虎」は29日の日曜にも、もう一度上演される。もし時間があるのなら絶対に見るべき、とお薦めしたい。

2012年7月25日 (水)

会津の賑わい

先頃、「会津まちづくり応援隊」というまちづくりを考える市民の団体が組織された。

まちづくりに関する勉強会や、実際に街歩きをして自分たちの街を再認識するフィールドワークなどを行い、会津若松市のまちづくりの新たな方向性を探ろうというもの。まちづくり会津などがバックアップして活動を続けている。

私もその末席を汚している。

なかなか参加出来ないので、先日まちづくり会津のS社長さんとアドバイザーの方々、市の担当職員の方々と食事をする機会があった時に日頃考えている事を申し上げた。

まちづくりから少し離れたところに身を置く立場になり常々考えていることがある。

それは「賑わい」や「活性化」という言葉の、会津における意味だ。

まちづくりを考える時に必ず使われる言葉が賑わいの創出や地域の活性化という言葉。まちづくりの青写真は、「賑わい」「活性化」のオンパレードだと言っても過言ではない。

しかし、賑わい、活性化という文言の意味が明確ではない。

会津若松市における真の賑わいは何か?どのような質の賑わいを目指せばいいのか?その部分は全く議論されることなく、たとえ一時の賑わいでも人が溢れれば活性化する、というような幻想が先行しているように思えてならない。

シャッター通りと化した中心市街地が、昔の賑わいを取り戻すというようなことはもはやあり得ない。

そうなると、交流人口(観光客)の増加しかないという事になる。勢い、かの黒壁や小布施などの先進成功例の視察へと赴く。すると、観光の充実やイベントによる賑わい創出という方向に向いがちだ。

ま、それはそれでいいだろう。しかし、会津オリジナルの「賑わい」や「活性化」とは一体どのようなもの?どこを目指すのか?という事を考える必要があると考える。

月に1回千人を集めるイベントはお金をかければ出来るだろう。だがそれよりも毎日50人が訪れたくなるまちづくりの方が重要であり、結果その方が30×50=1500人と賑わう事になる。

会津にしか出来ない、会津オリジナル、他の猿まねを目指さない。という会津なりの「賑わい」「活性化」の定義が大事であり、その根本を突き詰めることに時間をかけた方が「急がば回れ」ではないかというのが私の考えだ。

残念ながら答えはない。が、うすぼんやりとはあるような気もする。

たとえば神明通りを商業地の繁華街としての復興を目指すのではなく、商業50%、文化50%の繁華街を目指すならもっと違ったアプローチも可能ではないのだろうか・・・?

とにかくこれからの時代、「きつい」「危険」「汚い」の3Kではなく、まちづくりの重要なキーワードは「教育」「健康」「環境」の3Kだ。

教育は文化と置き換えてもいいかもしれない。健康や環境は安全・安心や癒しなどと置き換えられるかもしれない。

そうしたまちづくり3Kに沿った、会津オリジナルのまちづくりを応援隊全員が必死で考えて行けば、何かこれまでにない新しい方向性が生まれるのではないかと私は思っている・・・と申し上げた。

なかなかいい事を言う、とはみなさんの反応。

されど「言うは易し行うは難し」は世の常、私も時々は無い知恵を絞って、活動に参加していこうとは思っている。

2012年7月24日 (火)

いい準備

イチロー電撃トレード!彼の事だからきっとこれまでに裏で入念な準備を重ねてきたのだろう。

「いい準備をしたい!」最近スポーツ選手がこの言葉を良く使う。ひと昔前なら「一生懸命練習します!」が通り相場だったが、この「準備」という言葉を使い出したのはおそらくイチローではないかと思う。

ひたすらに身体を動かすだけではなく、体調管理や戦術、戦略も含め、「準備」という言葉にはクレバーな感じが漂う。

イチローは西海岸から東海岸に移る。マリナーズのイメージとは全く違う伝統のピンストライプだ。

環境もがらりと変わるし、イチロー自体の醸し出すイメージもなんとなく変わるような気さえする。きっと、入念に考えられた野球人生の総仕上げがNYで行われるのだろう。

十数年前、ヤンキースタジアムでメッツの新庄選手の試合を観て、夜にはブロードウェイで「オペラ座の怪人」を観た。街も球場も、ニューヨークはなんとなくお洒落で粋だ。

野球選手もどことなく粗野な感じではなく、紳士的な感じがする。(勝手に思ってるだけだが・・・)そんな、NYがこれまでとは違ったイチロー像を見せてくれるかもしれない。

さて、いい準備を重ねてきた多くのアスリート達がNYではなく、ロンドンに向っている。いよいよあと3日でオリンピックの開幕だ。

会津の梅雨はまだ明けてはいないが、間もなく確実にエキサイティングな夏がやって来る!

日本選手全員が「いい準備」が出来ている事を祈りつつ、活躍を心から期待したいものである。

2012年7月20日 (金)

初フェイス

昨晩、同僚と銀座で食事をした。

その彼がフェイスブックというのをやっていて。東京来ているよ、とつぶやいたら会津のお友達のMくんから(私の知人でもある)「あら、なんだべ私も銀座に居ます」と返事(?なんていうのか分らない)が来た。

銀座には会津出身の有名バーテンダーの店「バー保志」があり、姉妹店が3軒ある。その中の一軒「うらく」という店に居るという。

ではでは、そこで、という事になり、合流することになった。

30分後にご対面となったわけだが、驚いたことに我が同僚とMくんはフェイスブック上の凄いお友達なのだが、なんと初対面だというのである。私はもちろん旧知の仲、「へぇ?そんなことってあるんだ!」と驚いた。

フェイスブックのお友達は400人を越えるらしい。その中には顔も見たことがないけれどいつもお話して、自分の行った場所の写真をアップしたりして、情報交換している人が幾人もいるわけだ。・・・こんな風に。

同じ会津に居ても実際には合わないわけだから、全国、全世界ならなおのこと、会った事もないお友達が沢山居るのだろう。

私の知らないコミュニケーション世界が、世界中に広く、大きく、深く広がっているのだなぁ・・・と改めて感心した。

会って顔を観た感想「へぇー、あんな人だったんだ。年よりもずっと若く見える・・・」だって。

もし、私がそんな風にして初対面のお友達と会ったならきっと、ま逆な事を言われるのは確実であろう・・・。

2012年7月17日 (火)

スノードロップ

スノードロップとは、「待雪草」とも言われ小さな白い花を咲かせる野草だ。修道院(なぜ修道院なのかは分からないが)によく植えられているらしく、春告げ花とも言われるらしい。

そんな可憐な名前を付けた、お酒がある。それも洋酒ではなく日本酒をベースとしたお酒だ。ヨーグルトリキュールというらしい。

会津坂下町の曙酒造、最近はメインブランドの「曙」よりも「天明」の方が大人気の地酒メーカーが作っている。

原料のヨーグルトは、これまた会津坂下町の人気ブランド「べこの乳」で有名な会津中央乳業のヨーグルトを使っている。

地元名産品がタッグを組んだ新商品というやつだ。

こういうキワモノ的な商品は(と言っては甚だ失礼ではあるが・・・)往々にして珍しいばかりで、味が第一というのは少ないものだ。

ところがこの「スノードロップ」は実に美味しい。そのまま冷やして飲む。アルコール度数は5%と低く、爽やかな味わいに日本酒のうまみが絶妙に溶け込んでいる。

溶け込んでいるとしか言いようのないくらい、美味く出来ている。

味が基本ヨーグルトなので、これを飲みながら食事というのは「?」だが、食前酒や一杯飲った後のバーや、旅先の車中での一杯などには最適ではなかろうか。どちらかと言うと肴は要らない感じだ。

日本酒党は「そんなジュースみたいの飲んでられっか!」と怒りそうだが、それがそうでもない。かなりの清酒好きでも、「おっ?これは美味いな」と褒める。

先頃、新聞に中通りの酒造メーカーでも同じような(真似したのかな?)ヨーグルトリキュールを出したと報じられていた。その名も「夜グルト」という駄じゃれ系ネーミング、なんだか名前はちょっと勝っている感じがする。

飲んでみないと分らないが、おそらくは味の方も・・・・。

2012年7月14日 (土)

引き金

九州では猛烈な雨が降っている。お見舞い申し上げると共に無事を心から祈りたい。

『これまでに経験したことのない様な雨』気象庁も住民への注意喚起を徹底させるために、従来よりさらに強い言葉を使い始めた。

確かに経験した事のない様な自然現象という表現は怖い。それほど切羽詰まった危険性があるという事だろう。

大雨が降っているのだから逃げれば良い、というが1時間に100ミリものものすごい雨の中、家を出ることさえ怖いだろう。クルマも走るのが容易でないだろうし、歩いてなどいけるものでもない。(それほどの雨は経験したことはないが)

梅雨の末期に高気圧のへりを回って、ものすごく湿った空気が舌の様に入り込んでくる。湿舌という現象、その舌の先端で大雨が降る。

その舌は年によって、気圧配置によって日本中どこにでも入りこむ危険性がある。

昨年夏は、その舌の先が奥会津に届き、ものすごい雨を降らせ只見川を溢れさせた。奥会津に大被害をもたらした。

今も、国道はなんとか通じたものの、JR只見線は会津宮下より先は復旧のめども立っていない様な状況だ。

毎年毎年、日本各地で目を覆いたくなるような自然災害が繰り返される。

地震、雷、雪害、水害、竜巻、雹・・・・現代社会の発展と共に、なんだかそれを批判するかのように自然災害が増えている。そんな気がするのは私だけだろうか?

会津はお城があるから昔から災害の少ない土地だ、と言われるが、なんだかそれもこの頃少々心もとない。大丈夫か会津???

人間が天気を左右することなど出来ない、天の力には逆らえない…とはいうもののこの天変地異の引き金を引いているのは、確かにちっぽけな私たち人間なのである。

2012年7月12日 (木)

集める人、与える人

「人脈」というのはその人の宝物だ。いざという時・・・否、いざ!などと大袈裟な時はあまりないが、ちょっと力を借りたいような時に、快く貸してくれるような人がどれほどいるか?それが人としての豊かさを物語る。

ただ単に顔が広い、というのとは少し違う。たとえいろいろな人を数多く知っていても、物事を頼めるかどうかは別問題だ。

もっとも、ちょっと知っている(酒場で会った程度)だけで、まったく持って図々しくいろいろ頼んで来る(営業したりする)人もいるが、そういう人は結局、敬遠されるようになる集めるだけの人。

顔が広いのと人脈というのとはまた少し違う。

知人といっても、物事をお願いしたり、様々な活動にご理解いただいたりと、そういう話の出来る人、出来ない人(したくない人)とに分れる。

それは付き合いの深さだけによるものでもない。かなりの知己でも、あの人にはなんだか頼みにくい、あの人には言いにくいという人が居るものだ。

暇にまかせ胸に手を当てて考えてみる。

あの人にはお願いできるかな?あの人には分かってもらえるかな?あの人は無理だな、あの人にはむしろ頼みたくないな・・・そうすると何となく自分の生きてきた傾向の様なものが分る感じがする。

会津は狭い地域だが、そんな中でも私は比較的顔が広い方だと思う(でかいという言い方も出来る)。そしてここまで比較的良い人脈に恵まれてきたと感じている。

出会いは自分の努力だけで作れるものではないから「人の運」と言えるのかもしれない。それは恵まれている方だと思う。

どうしてもウマが合わないとしか言いようがない、そんな嫌いな人間との関わりは比較的少なくて済んできた巡り合わせ・・・。

このところイベント事などが立てこみ、いろいろな人のお力を借りることが続いた。先輩、友人、後輩、みんな快く力を貸していただいた。ありがたい限りである。

ここはひとつ、感謝の心を持って謙虚に行かなくてはならないと神妙に思ったりする今日この頃である。

『人生の評価は、どれだけ多く集めたかではなく、どれだけ多く与えたかである』という言葉がありました。

集める人より、与える人になりなさいという事だ。

2012年7月 9日 (月)

同窓会

先週末、七夕の日に新医師臨床研修制度が始まってから当院で研修医として働いた先生方の同窓会というのが開かれた。

8年間でおよそ50名が巣立ち、その内の半数以上が全国から集まった。(参加したかったが、勤務の都合がつかずに涙をのんだ先生方も多かったらしい・・・)

新病院の見学会を行い、懐かしい病棟でスタッフと旧交を温め、会津東山温泉の旅館での大宴会となった。

これほど多くの医師が集まって同窓会を開いたという話はあまり聞かない。

甚だ手前味噌になるが、卒業生たちを懐かしがらせ、会津に集いたい!と思わせるだけの何かを当院は持っているのだろう。

①働き易い職場環境②院長以下、若い奴が大好きで面倒見の良い先生方③研修医の母(姉?)の存在④会津という土地のパワー・・・などなど。

集った先生方も嬉しかった。迎えた先輩医師達も嬉しかった。事務方など裏方も嬉しかった!!!

座敷には一升瓶がゴロゴロと転がる。(会津娘がゴロゴロ)

盛り上がり、気合いが入るたびになぜか薄着になる奇習?

これだけ大勢の医師が全国各地で、会津での研修医生活を胸に医療現場で日々汗を流しているのだ。

この人脈・・・人と人のつながり、信頼、尊敬、敬愛、義理、人情・・・こそが大いなる財産である。未来へつながっていく財産だ。

したたかに飲み、浅き夢を見て、またそれぞれ全国に散って行った若き医師たち・・・その立ち姿は「頼もしい、逞しい」という形容詞がとても似合うようになっていた。

これまた嬉しい事である!

2012年7月 7日 (土)

大空と大地の中で

週末の北海道は、いかにも梅雨時の北海道らしく爽やかに晴れていた。

新潟空港からの午前便、楽しい楽しいお遊びモードの乗客がほとんど。中にはゴルフシューズを履いて、飛行機を降りたらそのままラウンド出来るような人もいる。

この時期の北海道ゴルフツアーはベストシーズンだ。着いてワンラウンド、夜は札幌ススキノでどんちゃん騒ぎをして、翌日もうワンラウンド。陽が長いから楽々ツープレイが楽しめる。

当方は残念ながら会議に出席のため、一泊とんぼ返り。

夜の懇親会も時間が延びた。ピアノとヴァイオリンの生演奏ではさすが本海道、「恋のまち札幌」と「大空と大地の中で」をジャズっぽいアレンジで大迫力の演奏だった。

北海道自慢の日本酒がそろえられたが、申し訳ないが会津と比べるとかなりレベルが低かったなぁ。

ま、折角だからと職員を連れて足早にススキノを二次会見学。面白い立ち飲みカラオケを見つけて一杯。店は通りに面してフルオープン、カラオケが通りに響き渡るという凄い店。浴衣姿の粋なママさんがジャズのなんとスタンダードを歌ってくれた。(お上手!)

これまた折角だからと上がりの札幌ラーメン(味噌こがし、佳品!)

翌日も昼まで会議の後。空港直行。

途中、折角だからとスープカレーをかき込む。これまた飛び込みだったが、かなり美味しい有名店だった。辛さは1番から5番まで、私は慎重を期して1番にした。5番のやつがいて、ちょっと舐めさせてもらったが凄い辛さだった。当の彼は美味い美味いと全然平気!?

札幌は人も多く、益々発展しているようだ。札幌への一極集中が進み大都会札幌に若者が溢れる。数時間、クルマを飛ばせば高齢化の町や村・・・日本全国いずこも同じような問題を抱えている。

違っているのは空の広さと牛の数・・・ああ、ここは北海道、わずか28時間ほどの滞在であった。

2012年7月 2日 (月)

さようならの事

またひとつ、会津若松市から古い料亭が姿を消した。「割烹・米熊」

その昔は武家屋敷のものだったという由緒ある庭は満々と水をたたえ、大きな鯉が悠々と泳ぐ。その池を囲むように座敷が並ぶ。

この米熊の東側には「梅屋敷」があった。あの庭も風情があったが、すっかり取り壊されて駐車場になっている。

米熊の西側にも「白龍」という料亭があった。それは私が子どもの頃に、すでにもう無い。

猪苗代湖から疏水を通って会津平に流れる水がこの筋を通っている。もっと東、お薬園の名園を通って徒之町を流れ、料亭街へと注いでいた。

思えばこの一角だけでも、梅屋敷、米熊、白龍と大きな池が満々と水を立てていた訳だ。池は貯水槽のような役割を果たしていただろう。

それがどんどんなくなってしまったから、ちょっとした集中豪雨になると神明通りの角辺りで水が溢れるのかもしれない。

昔の町割りは、寺やお屋敷、神社や庭園などよーく考えて配置されている。時に洪水を防ぐ貯水池になったり、火事の類焼を防ぐ防火帯になったり、出城や砦のような役割も果たす。

大きな建物や庭、木々などはただそこにあるだけではなく、それぞれが隠れた役割を果たしていたのだ。

古い建物や庭がひとつ消えてしまうという事は、そのものが失われるばかりでなく。隠れた役割も失われる。加えて文化的価値や街の情緒というものまで失われてしまうわけだから・・・なんとも淋しい事だ。

我々は6月28日に芸者をあげて、少し大きな宴会をした。まだそれほどの暑さもなく、池を渡る風がとても心地よかった。

本当に残念だけど、さようなら「米熊」

2012年7月 1日 (日)

科学はウソつかない?

原発が動き出す。

100人に聞いたら99人ぐらいは将来、原子力発電をやめて代替エネルギーにしていくべきだと答えるのではないだろうか?

だが、今すぐゼロか、段階を踏んで行くしかないのか、という事になると意見は分れる。首相官邸や原発前の道路に集まる人々は絶対反対を唱える。

絶対反対を唱える人々の根拠は、政府や電力会社の発表する数字は出鱈目であって、日本は原発なんか全くなくてもやっていける、という何らかの数字をもとにしているのだろう。

それが正しいのかどうかは、私には分らない。

菅・元総理大臣はつい1年半ほど前まで日本は将来原発依存を50%にまで高めてCO2の削減に努め地球の環境保護に貢献する、と世界に約束していた。それも鼻高々で。

すでに3割を越えていたものを半分にまで高めよう言っていた矢先に東日本大震災が起きた。

確かに原発は懲り懲りだ。

でも、現実的に超急ブレーキでいきなりゼロなどという事が可能なのだろうか?と思うのも不思議ではないだろう。それではクラッシュしてしまうのではないだろうか・・・?

今度の大震災で失ったものは多い。その中で目には見えないが日本国民が失った大きなものがひとつある。それは「科学への信頼」というやつだ。

我々の年代、アトムのこども達は、科学はウソをつかないと思っているところがある。

悪い科学者や良い科学者も出ては来るが、科学者がどうあろうが科学はひとつ、科学の答えはひとつしかないと思っていた。

科学的にこうだ!と言われればそれを信じる(信じたい)。

しかし、絶対安全の原子力発電所があんな風に目の前で大爆発を起こしてしまった時を境に、科学も当てにならないと誰もが思ってしまったようだ。

科学的根拠というやつも、会社の都合や政治家の思惑で、どうにでも使い分けられるのを見てしまっては、当てにはならない。

絶対なんかないのだから、いくら科学的に安全でも、それは安全じゃない!と思う人が大勢生まれてしまった。

科学立国日本の科学そのものが信頼のおけないあいまいなものになってしまった感がある。

科学的には絶対安全な震災がれきの処理でも,、絶対はないと言って反対する。いきなり原発ゼロでは大変なことになる、と言ってもウソだと断じて反対する。

科学への信頼は地に落ちた感がある。

自分で50%と言っておきながら脱原発を平気で唱えるような厚顔の政治家たちが悪いのか?科学者そのものが本来ウソつきだったのか?はたまた、お金のためなら黒も白という拝金主義者が悪いのか?

科学はウソつかない、じゃなかったのか?

「ならぬことはならぬ」・・・・こんなシンプルな会津の教えも、原発反対のシュプレヒコールを浴びながら風に吹かれて漂っている。

一体、ならぬのはどっちだ?と、戸惑っているように思える。

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