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2012年6月

2012年6月29日 (金)

づんどまり商店街

会津は梅雨とは思えない晴天が続いている。

会津若松市では地域文化の振興のために市民参加の手づくり舞台という事業を行っている。今年、その第六回目の舞台が実現し、来る9月8、9日と14時から会津風雅堂で公演が行われる。

今回の舞台は脚本・佐藤雅通さん、演出・佐藤紘一さんによる演劇作品「づんどまり商店街~愛すべき会津人たち~」だ。

前回はもう4年ほど前になるから、この市民参加の手づくり舞台もだいぶ時間が開いた。ちなみに7年前の前々回の第4回作品は「ザ・ゴールデン・デイズ~大山捨松の生涯~」脚本はかくゆう私目が書いた。エヘン!

今回はこれまでの手づくり舞台とは趣を全く異にする。会津の歴史的素材に寄らない現代劇、会津には実在しない都端(とのつま)商店街が舞台だ。

地勢的にも賑わいという点からも行き場を失ったづんどまりの商店街、そこに巻き起こる大手資本の進出プラン、それをめぐって巻き起こる人間劇だ。

今回は運営委員の一員として関わっている。

どんな舞台が良いか?から始まって堂々巡りの会議の中、現在大沼高校に勤務されており、大沼高校の演劇部を全国大会にまで引き上げた佐藤雅通先生の才に期待して見てはどうか?との意見を述べたのは私だ。従って今回の舞台の成否には少なからず責任がある。

私が佐藤先生を知ったのは会津混声合唱団の定期演奏会だ。その中の一幕、アニメソングのメドレーの演出の妙に驚いた。会津にもこんなに才能のある人がいるんだ!と感心したその人が佐藤雅通先生であった。

良い!と思うとなにか機会があると人にすぐ言ってしまう方なので、佐藤先生にシナリオをお願いしたらいい芝居が出来るのではないか?一切の制約をかけずに自由に書いてもらう方がきっといい芝居が出来る!と委員会で熱弁をふるってしまった。

そんなことで、実現する舞台だ。

先日、運営委員会が開かれ途中経過が報告されたが、なんだか心配になるほどのスローペースだ。脚本も何度も手が入れられている。佐藤先生も、会津の架空商店街が舞台の現代劇に相当頭を悩ましておられるらしい。

舞台となる喫茶店の大道具・小道具なども未定、未定ばっかり。私の友人のなんでも持ってる不思議なT氏を紹介し、舞台美術については一気に事が進んだ。

でも少し心配・・・外野から心配してもどうなるものではないが、心配ではある。

来週は少し時間を作って、稽古を見て来ようかと思っている。ただし観るだけ、口を出さずにおとなしく・・・でも求められたなら感想はちゃんと言ってこようかと思っている。

2012年6月27日 (水)

愛情と尊敬

23日に行った市岡裕子氏の講演会は好評だった。吉本新喜劇で一世を風靡した岡八郎さんの娘の市岡氏は、家族の死、様々な葛藤の果てにゴスペルと出会う。魂の祈りゴスペルに救われた彼女は、現在ゴスペル歌手として、また講演者として日本全国を飛び回っている。

会津では初めての講演会、文化センターには二百名を越える人が集まった。正直もう少し入って欲しかったが、会津では無名なこと、また日も良く様々なイベントとぶつかっており、まあ上出来だろう。

うつ病による自死で母を失い、父親はアルコール依存症に。自らが乗り越えてきた試練だけに迫力がある。大阪のおばちゃんよろしく、巧みな関西弁が聴衆の心をわしづかみにする。

次々に降りかかる苦難、自らの運命を恨む心をゴスペルが溶かしてくれた。何一つ救いのないような人生に神様はちゃんと何人かの天使を使わしてくれていたことに気付く。そしてゴスペルを通してかけがえのない愛に目覚める

私の前に座った女性は、講演の途中からずっと涙をふき通しだった。

閑話休題、で聴衆にこんなアドバイスをひとつ。

「会津の男の人は恥ずかしがり屋でとても言えないと思いますが、どうか家に帰ったら奥さんや娘さんに一言で良いから、愛してるよ!と言ってあげてください。女性はその言葉が大好きで、嬉しいのです」・・・・確かに。

その続きがいかにも大阪の女という感じで感心した。「でも旦那さんには、愛してるよ!なんて言っても駄目です。男の人は尊敬を勝ち得たい動物なんです。どんなちっちゃい事でもいい、お父ちゃん、すごいなぁ!お父ちゃんは最高やわー!と褒めてあげる。それで家庭は上手く行きます」・・・・成る程。

桂春団児の恋女房や坂田三吉の女房・小春、大阪の女はどんな逆境にあっても亭主を褒め倒し、「豚もおだてりゃ木に登る」を地で行かせる芯の強さを持っている。そして、そういう女は確かに男の憧れでもある。だから、歌謡曲にもなるのである。

市岡氏は最後に「アメイジング・グレイス」と「きみは愛されるために生まれた」の2曲を熱唱、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

感動的な話は沢山あったけれど、なぜか『愛情と尊敬』・・・・男女の心理の本質を突いたあの言葉が、一番印象に残ったしまった小生なのであった。

2012年6月24日 (日)

老舗

博多の有名な繁華街、中洲にニッカバー「七島(NANASHIMA)」という老舗のバーがある。創業50年を越えるというからバーとしては超のつくぐらいの老舗だ。酒の好きな博多っ子なら知らない人はいない。

そのバーのオーナー七島氏は御歳80歳、仕立ての良いジャケットにビッシっと蝶ネクタイを締め、銀髪を七三に分けたその姿は、とても80歳には見えない。どう見ても10歳はお若い。

店はカウンターに10席程度、後方に5人がけの脚高のテーブルと椅子が三つ、奥にグループで入れる小部屋がある。店は常時賑わいを見せ、客筋も極めていい。

七島氏はそんな賑わう店内すべてに目を配り、スマートに動き回る。ひょんなことからそんなオールドマスターと親しく話す機会を得た。

自慢の娘さんが三人、長女、次女、時に三女もカウンターに立つという。父を支える美人三姉妹(三女にはお会いできなかった)これも七島が有名な一要素だろう。

若い弟子にカウンターは任せているというが、無理を言って七島氏にマティーニを作ってもらった。凍ったジンで作るドライマティーニはガツンと昭和の味がした。(ような気がした)

翌晩はH先生と合流。七島で一杯やり、図々しくもマスターに近くでゆっくり飲める店を尋ねてみた。すると快く、ここなら間違いない!というこれまた創業35年という老舗「ルリコ」のママさんに直接電話をかけてくれ「今から大切なお客さんが行くから・・・」と紹介し、おまけに長女さんに道案内まで命じてくれた。恐縮、恐縮。。。。

なるほど重厚なマホガニーのドア、これは案内なしではちょいと入れない。会員制と書かれたドアの奥は、ゆったりと賑わっていた。老舗だけにママさんも決してお若くはないが風格がある。スタッフはみなさん粒揃い、流石!の雰囲気が漂っていた。

老舗というのは時の流れを生き抜いてきた店だけに与えられる称号だ。長い間お客さんの支持を受け続けるにはそれなりの訳がある。

それが何か?を味わうのが、老舗巡りの楽しみとも言えるだろう。

遡って、初めに魚は博多料亭「稚加榮」で頂いた。こちらは老舗と呼ぶには少々若いのかもしれないが、もう充分に老舗の風格を漂わせている人気店だ。

この老舗巡り、なんと豪勢な・・・と思われるかもしれないが老舗の共通点に、決してバカ高くない、というのがある。庶民の手が届かないほど高すぎては、いつかは時代に取り残されてしまう、これはどんな商売でも言えることだろう。

老舗だから高くて当たり前、という殿様商売をしている店はやはりそう長くは続かないもの・・・これは会津の老舗の栄枯盛衰にも言えることだろう。

ちなみに七島は二人で二杯ずつ飲んで、5千円でお釣りがきた。

2012年6月21日 (木)

防人のうた

福島ー福岡便が無くなって何年になるだろう?九州へは新潟空港か仙台空港から行かなくてはならない。会津から九州は少し遠くなった。

台風4号と5号の合間を縫って久しぶりに博多に来た。来月の山笠を前に飾り山車を入れる大きな小屋が各所に建てられていたが、中味はまだ空だ。

7月の1日にはここに各流れ、流れの飾り山車が飾られ、15日早朝の追い山車まで街は山笠一色になる。

街のそこここにはステテコに長半纏の男たちがみられる。あの姿は博多男の正装で、結婚式も葬式もあれでOKなのだそうだ。

第62回日本病院学会。かなり大きい学会だが(3千人ぐらいかな?)さすがコンベンションシティ福岡、この程度の規模では驚いた様子もなく、国際会議場、福岡サンパレス、ホテル、と施設がいくらでもある感じ、

「そうですね、このくらいの学会は結構ありますもんね・・・」とタクシーの運転手さんも平常レベルであった。

2時間に満たないフライトで距離の実感もないが、その昔、遠く会津の地からこの九州へ防人として向かわされた人にとってはどれほどの隔絶感だったのだろうか?

まさに行きて(生きて)帰れぬ、今生の別れという思いが強かったろう。当然歩いて九州の地まで行くしかない。行き着くだけでもアドベンチャーだ。そこで防人の務めを果たし、戦いで命を落とすこともなく会津の地を再度踏めた人の確率は・・・?

そんなことを考えるとあの会津嶺の和歌が改めて心に沁みる。

『会津嶺の国をさ遠み会はなわば偲びにせよと紐結ばさね』会津嶺の国を遠く離れて会えなくなってしまう。せめて私の事を偲んでこの紐を結んでいておくれ・・・・。泣き別れの恋人たち、後はメールも携帯もない。

いくら好きでも二度と会えないことも山ほどあったろう。そういう意味では万葉の時代の恋がある意味、大らかであっけらかんとしていたのも無理からぬことだ。

「やっぱり九州はよかですもんねぇ」「よかね~」と防人たちも時に調子にのったこともあっただろう・・・。

2012年6月18日 (月)

ハッケン伝

NHKに「仕事ハッケン伝」という番組がある。タレントさんが自分がなりたかった職業や関心のある職業に実際に就いてみたらどうなるか、という新型ドキュメンタリーで結構面白い。

先頃、美人モデルの押切もえさんが日本旅館の仲居さんをやるという回があった。

その舞台がなんと会津東山温泉の「向瀧」だった!建物全体が国の登録有形文化財に指定されている老舗旅館、私も大好きな宿だ。(宴会ばかりで実は泊まったことはないのですが・・・)

渓流沿いの斜面を利用して建てられた建物で斜面に沿って複雑に入り組んでいる。エレベーターもエスカレーターも、もちろんない。建物奥へは階段を相当登らなくてはいけない。

ちょっとお年寄りにはきついが、もともと古い建物なのでお年寄りに優しくない、というのとは違う。老舗旅館の良さを味わうには、ちょっと頑張りがいる。

階段の上り下りは少々きついが、その分、庭園や渓流の美しさ、建物の味わいや書画などが充分に心を和ませてくれて余りある。

押切さんはこの宿で1週間、ガチンコの仲居修行をやったという訳だ。

部屋の掃除からトイレ掃除、立ちふるまいから膳の上げ下げ、建物そのものについてのお勉強、なかなかのハードワークだ。

出てくる旅館の女将さんや社長さん、仲居さんや番頭さん、みなさん見たことのある方、知った方ばっかりなので、観ているこちらも感情移入してしまう。

ミスって落ち込んだり、感動の涙をこぼしたり、悔し涙が止まらなかったりすると、ついついホロリと来てしまう。

押切さんも初めのお掃除指導の時は少々余裕をかましていたが、次第に顔が引き締まって真剣さが伝わって来てなかなか良かった。

当然、撮影は秘密裏に行われたそうだが、私の友人はどこで聞きつけたか「いやー、押切もえちゃん、可愛かったなー!」と撮影を見に行って酒場で威張ってたっけ。

当然ながらあの番組も東北、福島、会津を応援する、という精神をベースに企画されたものだろう。

向瀧さんにとっては、とてつもない宣伝効果だ。ぜひ大勢の人に会津に来て、会津の良さを味わっていただきたい。

付け加えるなら、東山温泉には他にも魅力的な宿が何軒もある。湯良し、酒良し、肴良し!なにせ天下の小原庄助さんのホームグラウンドなのだ。風評被害など吹き飛ばして、東山(やま)が大いに賑わう事を祈りたい。

ちなみにあの直前に、家人が母親、妹とお世話になった。

大いに満足していたが「なーんだ、もう少しズレてたらもえちゃんに会えたのに・・・」と今になって残念がってもいた。

2012年6月17日 (日)

いのちの講演会

6月23日(土)13時30分~文化センターにおいて「いのちの講演会」が開かれる。

講師は市岡裕子さん(ゴスペル歌手)演題は「人生あきらめたらあかん!」

市岡さんの名前を知る人は少ないだろう。

演題からも分るように関西人。吉本新喜劇で一時代を築いた奥目の八ちゃんこと、岡八郎氏の長女だ。

1964年西宮の生まれ。16歳の時に母親がうつ病から自殺。当時吉本新喜劇の看板役者だった父親がアルコール依存症により様々な問題を引き起こし退団へと追い込まれる。さらに胃がん、脳挫傷、そして弟の死と不幸が次々と襲う。

壮絶な闘病生活、家族との葛藤を乗り越えて単身アメリカへ、そこで魂の歌ゴスペルと出会う。

ゴスペルに救われ、ゴスペルで人々を励ましたいと願う市岡さん、福島県下では初めて、もちろん会津も初めての講演会となる。

「生と死を考える会・会津」が主催するが、私もお話(歌声)を聞くのは初めてだ。

現在はタイのエイズ孤児たちの支援などを中心に積極的に活動を展開、タイから戻ってすぐの講演会にとなるが、絶望からの再生をテーマに福島の人々に愛と勇気を届けたいと市岡さんは、燃えている。

一般は1000円、学生は500円です。

2012年6月13日 (水)

写真はない

このブログには写真が一枚もない。今や携帯でもなんでも撮れる時代、写真ぐらいアップすれば良かろうと思うかもしれないが、やらない。

面倒くさいのが第一、それに写真を載せるともっと良い写真が欲しくなり、写真を撮ることに労力を費やす様になるだろう。それほどの余裕はない。

でも写真があれば長々と・・・・と思う事もある。

私の友人Tくんの細君は、ここ数年バラに凝っていてこの時期、家がバラで飾られる。

ここで写真が一枚あれば一目瞭然なのだが、それは見事だ。

家が輸入住宅の洋館なので、これがまたバラが良く似合う。茅葺や瓦屋根の日本家屋にはどうもバラの花は今一つだ。

特に今年は、静岡の方からバラ作りの名人を招き指導を仰いだそうだ。地元の造園職人も呼んで、技術を習わせたとか。

それだけにひときわ見事に咲き誇った。白や黄色、濃いピンクに橙、花の大きさもいろいろで立体的だ。(とはいえ実のところ鑑賞の壺は良く分からない・・・)

ま、美しい花に理屈はない。まぶしい陽射しを浴びたバラも綺麗だが、この時期の梅雨空に咲くバラもなかなかいいものだ。

先日の無尽でTくんは「俺は、妻が趣味に打ち込んでいる姿(奥さんはマイセンの絵付けもプロ級なのだ)を見ると本当に幸せなんだ」と、酒をあおった。

のろけているのか・・・それを聞いた悪友がこう断じた「それはそうだろう。奥さんが趣味に打ち込んでいると、いくら君が遊びまわっても心がとがめないものなぁ」

それだけではあるまいが、ゴルフを生涯の友として楽しむTくん、バラとマイセンに打ち込む奥さん、それぞれの趣味が調和した人生、これが本当のバランスが良い、というやつだろう。

梅雨空に映える満開のバラと、仲睦まじいTくん夫妻・・・残念ながら写真はない。

2012年6月 8日 (金)

クールダウン

なにか思わぬ出来事が発生した時、人は少なからず興奮状態に陥る。よっぽど胆力が座り、落ち着いていると思える人でも平常では居られない。

初期対応は迅速に!これは鉄則だが早ければよい、というものでもないと思っている。

もちろん怪我や救急など緊急を要するものは早ければ早い方が良いのは当たり前、それはそれだ。

一体何が起きて、どうなっているのか?クールダウンして判断する時間というのが大切だと考える。

それほど長い時間をかける事は出来ないが、発火熱が収まると人間の判断も変わることがある。そしてその冷静さの上の判断の方がほとんどの場合、正しい。

腕を組んでしばし沈考。ぎゃあぎゃあと烏合の衆になってはダメだが、信頼できる者同士なら言葉にしてぶつけあう事も考えを整理するのには役立つ。

一朝、事があった時、このひと息のクールダウンがとても大事だと思う。

事故やトラブルだけでなく、大きな判断を必要とする時にもよくよく考えることが大切だ。

考えているのか悩んでいるのか分らない状態でも、そのことだけを考え続けると、ある日突然、霧が晴れたように答えが浮かんでくる。

そこまで考え抜いた結論であれば、踏み切っても後悔することはない。これも長期のクールダウンと言えると思う。

とにかく一旦、ひと息ついてみることだ。それからでも遅くない。

近頃、ツイッターのつぶやきからさまざまな問題が起こっている。つぶやきは、即応型のホンの軽い一言だ。

タレントの生保の問題、それを擁護しての炎上。思ったことを口にしてつぶやくだけなら問題にもならないだろうが、文字にしてネットに乗せてつぶやく場合には、やはりひと息が肝要だ。

もしかしたら障害を持って生れて来るかも知れない、と母親が我が子のことをつぶやく必要がどこにあるのか私には分らない。

生まれてくる赤ちゃんにだってプライバシーはあるだろう。

ポッとつぶやいたのではなく、考えに考え抜いた結論であって、何があっても後悔しない道であることを祈りたい。

あらゆる情報が私たちの周りで渦巻いている。

今の社会は即応するにはあまりにも情報量が多すぎる。それだけにともかくひと息、クールダウンが必要な時代に生きている、と感じるのだ。

会津は梅雨入りなど全く感じさせない好天である。それでも明日は一日雨だという予報、今日と取り替えて欲しかったなぁ・・・と、空に向ってつぶやいてみる。

2012年6月 5日 (火)

出来た

5月31、世界禁煙デーに新病院が竣工した。単体としては会津最大の建造物、地上11階建ての巨大な「総合医療センター」だ。

免震構造で東日本大震災発生時にはすでに免震帯の上に上棟しており、その実力は証明済みと言っていい。

27ヶ月の工期、その間、戦後最高に暑い夏(熱中症との闘い)、クリスマス豪雪、そして大震災・・・加えてこの冬の厳寒にも苦しめられた。

まさに幾多の苦難を乗り越えての竣工と言っていい。工事関係者の奮闘努力に心からの敬意と感謝を表したい。

一応これで建物は出来た。堅固な箱は出来たのである。

ここに様々な機材を運び入れ、様々なソフトを稼働させ、人が入りいきいきと働き、傷つき病んで悩める人々を癒す場所にする。いわゆる「魂入れ」の期間がここからわずかに4ヶ月である。

9月にはリハーサルを繰り返し、29、30日に一斉引っ越し、10月1日にオープンである。

建物は出来た。でも、理想の病院はそう簡単には出来ない。

それは、どこまで行っても届かないゴールなのかもしれない。否、ゴールなんか無くて、届かぬ虹を追い求める姿こそが大切であり、真に求められるものなのかもしれない。

常により良い医療を求めて走り続ける、成長し続ける、それこそが我々の使命だろう。

結局、どこまで行っても「出来た!」はない。虹は掴めない。

けれどもそれを追い求めるフィールド、立派な建物はとりあえず出来た。

2012年6月 2日 (土)

健康寿命

介護を受けたり寝たきりになったりしないで健康に過ごせる期間を健康寿命という。当然ながら本当の寿命よりは短い。

日本の平均寿命は男性が79.55歳、女性は実に86.30歳と世界一だ。

しかし、健康寿命はどうかと言うとちょっと驚く。昨日、厚労省から発表された22年の健康寿命はナント、男性70.42歳、女性73.62歳という数字だ。(短か!)

思うように動けなくなってからの期間は男性で9.13年、女性で12.68年という長さだ。

日本人の平均寿命は医療・介護の手助けのもと(進歩のもと)どんどん長らえているわけで、これでは医療費や介護給付金がうなぎ登りに増えて、パンクしそうなのも無理からぬ話といえよう。

まあ、千差万別なので一概に物申す事は出来ないが、動けなくなったらせいぜい4、5年で着地してもいいのではないだろうか。

寝たきりになって外部との意思の疎通も全く出来なくなった時点で、私ならそう長く、生き長らえたいとは思わない。

動物は生殖能力がなくなったら大体死ぬという。が、人間の場合それは全く当てはまらない。むしろなくなった後の方が元気で楽しいという人も沢山いるから。

また動物は物を食べられなくなったら大体が死ぬ。これには多少は準じていいのだろうと思う。まったく食べられない、動かない、意思の疎通もない、それでも人間は生きていられる。それが良いことか悪いことか?生きている内によく考えておくことが大切だろう。

健康寿命から男が9年と、女が13年これは相当に長い。動けない老人とそれを看護・介護する若者たちで満ちる国。たとえそれが大きな産業となったとしても、それで国が元気に栄えることはない。

国は健康寿命と平均寿命の差を縮小することを目指している。要するに死に方を考えろ、という事でもある。

自分らしく生き、自分らしく死ぬ、これからは誰もがいかに死ぬかを考えなくてはならない時代だ。

医療もどこまでやるべきか、またやってい良いか、止めていいかも真剣に議論しなくてはならないだろう。

死にたい人はいない、しかし、死なない人もいないのだから、遠ざけてはいけない。

しかしまぁ、何よりもショックだったのは、健康寿命まで、あともう10年と少ししかない、という事実だ・・・。

6月最初の週末、会津は暑くもなく寒くもなく快晴である。ああ、いい天気い!あと10年だぞぉ、こんなことしてていいのか、俺?

2012年6月 1日 (金)

怒る人

福島県知事さんに原発事故当時の様子を聞く公聴会が行われその模様が報じられた。

案の定、国や東電に対して怒ってばっかり、責任はすべて国にあるとでも言わんばかりの答弁で多くの県民、被災者はガッカリしたのではないだろうか。私もガッカリした。

菅さんや枝野さんの話を聞いても、あれだけの大事故を引き起こして置きながら当事者意識に欠けている。うろたえるどころか落ち着いて堂々と答えている姿はまるで「ヒト類・政治家目」という別種の生き物のようだ。

当然、知事さんにも知事さんなりにいろいろ言い分もあるだろう。

百歩譲って、事故後の対応は仕方がない部分があったとしても、それまでの対応は残念でならない。

遡って、プルサーマルの導入時に電源喪失に対する厳しい二重チェックがなされていたなら今回の事故が防げた可能性は、極めて高かったであろうといわれる。

そうした注意喚起がなされていたにもかかわらず、知事さんが「承知していない」ところでその問題は棚上げにされてプルサーマルは推進され、東電と仲良く鼻高々だった、過去の事実を消すことは出来ない。

起きてしまった過去を書き換える事は出来ない。しかし、未来を変える事は出来る。

プルサーマルを推進し、そのための絶対条件である厳しい原発監視を結果的に緩め、この大事故を引き起こした当事者が、一転、被害者として脱原発を唱えながら復興の先頭に立つというのは、誰が考えても理屈に合わないように思う。

原発事故から1年余、ある程度の落ち着きを取り戻した時期に自らの不明を恥じ、福島の復興をまっさらな人に託す、それがまっとうな人の道ではないのだろうか?

会津には「ならぬことはならぬ」の教えがある。そして知事さんも会津の人間だ。

プルサーマルを推進し、原発推進の旗を振った人が未曾有の大事故後も福島のトップでいる、これはならぬことではないのだろうか?

ならぬものはならぬものです!ごくごく当たり前の教えも、一旦、政治家の理屈を通過すると複雑怪奇なものに変わってしまうようだ。

いくら怒れども怒れども・・・怒っているだけで郷土が蘇る事はない。

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