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2012年5月

2012年5月29日 (火)

無理せずキープ!

GW前にかかったインフルエンザで体重がガクッと6~7㎏減ったが、見た目はすっかり戻ってしまった。しかし、3㎏ほどは減ったままだ。ここをキープできれば、なかなかいい。

これはおそらく、宣言したように甘い物を食べないからではないかと思われる。

コーヒー、紅茶すべてブラック、まんじゅうもケーキ食べてない。もともとせんべいなどもあまり食べないので、結局、お菓子と類するものは何も口にしなくなった。

不思議なことに全く辛くはない。

夕方は猛烈にお腹が減る。これまでだと家に戻り会合に出る前に、ままどおるや天神様的なお菓子を平気で食べていた。それだけでも大分カロリーが違うものと思われる。きっとそこが大きい。

ただし、調子こいてこのままのペースでは、またきっと元の木阿弥になる。

大盛りを頼まない宣言は、近頃ポロポロと崩れている。

日曜日も「よどや」でラーメン大盛りを頼んでしまったし、おまけに餃子まで頼んでしまった。

ま、饅頭食わないぐらいで調子に乗らない事だ。

「空腹があなたを若返えさせる!」と言われても、私の場合は効果は期待できない。あの南雲さんという医者は髪がふさふさでヒゲもないから30代にしか見えない、と自慢そうに写っているが、髪がなくヒゲが真っ白の場合、どんなに肌がつるつるしていたとしても30代はおろか、実年齢にも見えない。

現状キープでいいんだ!

本当のおじいちゃん臭くならないように。ネオンの街で半分嘘でもダンディだと言われるくらいで(全部ウソかもしれないが)いい。

酒を減らすのも無理、一日一食も無理。出来るだけ運動をして糖分は摂らずに、大盛りは頼まない。無理のない3㎏減キープ、で手を打ちたいものである。

会津の空も不安定、でも今日は雷は来ないみたいだ。

2012年5月28日 (月)

土曜の黄昏

26日土曜、福島フェスティバルと言うのが行われた。全国のお祭りを会津に集めてパレードするというイベント、おそらく震災復興の一環として行われたのだろう。会津JCなどが中心となって運営、ものすごい人が集まった。

大して宣伝もしないので直前までこんなのがあるんだ?と知らなかったが浅草のサンバやミッキーマウスまで来ると言うので、ヒマにまかせて家人ともども出掛けてみた。

行ってビックリ、凄い人、人、人。十日市よりも凄い人出だ。パレードは5時から8時まで、6時近くに神明通りに居たが動けなかった。

それもそのはず、ちょうどミッキーとミニーが陽気にやってきたところだった。ミッキーがいかにスパーキャラクターかを思い知らされた。

ディズニーのクルマの上で陽気に踊るミッキー&ミニー、こども達は大喜び、お母さんたちも熱狂、お父さんたちも大興奮なのだ。決してこどものために、という感じではない。大人たちも大声援を贈りみんなノリノリだった。

ミッキーが通り過ぎるとちょっとだけ空気が落ち着いた。

どこかで生ビールと晩飯にありつかなくてはならない。神明通りを強引に横断、興徳寺そばの沖縄料理「がちまやー」に飛び込んだ。

これが大正解。飲みながら時折通りへ見物に、なんか自分の家のように気軽にパレード見物が出来た。

「がちまやー」は本格的な沖縄料理の店、手頃な値段でなんでも味が良い。ゴヤ―チャンプル、じーまみー豆腐、島らっきょうの天ぷら、沖縄もずくetc.生ビールもスーッとノドを通る。

時折、飛び出しパレードの見物へ。沖縄のエイサーには女将さんも大興奮、みんなが好き勝手に店を出入りしている。このゆるい感じが実に良い。

お目当ての浅草サンバカーニバルがやってきた。もう7時を回ってうす暗い。踊り子が観客を挑発するようにお尻ふりふりで盛り上げる。せっかくなのでもう少しライトアップして欲しかったなぁ・・・。

飲んで食べて、パレードを楽しんで、お勘定!安い。

思いもかけず大いに楽しんだ土曜の黄昏、昼のコンペで1打差で負けてしまった悔しさも見事に吹き飛んだ。

2012年5月27日 (日)

シャレだけど

「それでは本日、ここにいらっしゃる方だけの、幸せを祈りまして・・・・」とか言って、ちょっと笑いを誘い、乾杯や、中締めのあいさつをする人がいる。

もちろんシャレなのだが、嫌いだ。

(みんなの幸せではなく)ここにいる人だけの!と強調することでなぜか会場には笑いが起こる。

その背景には『人間というものは他人の事はどうでもいい、自分さえ良ければいい、他人の不幸は蜜の味なんですよ』的な、人の心の本質を突いたブラックジョークがあり、心ならずも思わず笑って(苦笑して)しまうのだ。

こんなあいさつをして会場を沸かす人は、総じて揉み手をしながら人と接するのが得意な人が多いように思う。(偏見かも)

もちろん、さほど深い意味はなく、シャレなのは分かっている。

目くじらを立てることもない話なのだが、「ここにいる人だけの・・・」とヘラヘラ笑いで言われると何となく腹が立つ。

酒飲んで楽しい時ぐらいみんなの幸せ祈ろうじゃないの、と青臭い事を言いたくなる。

ましてやあの大震災の被害を受けたこの福島で、会津でみんなの幸せを祈らないでどうするんだ!と、ムックと思ったりするわけだ。

「ここにいる人だけの幸せを祈念しまして万歳三唱を」などと言われた日にゃ「てめえの不幸だけを祈って三三七拍子してやるわ!」と毒づきたくもなる。

そんなことで腹立てていたら世の中疲れてしょうがない、とは思うが腹が立つから仕方がない。

ま、シャレにも良いシャレと、品格を疑われる様なシャレもあるという事。たとえ会場が沸いて受けたからといって、褒められたものではないんですよという事だ。

2012年5月25日 (金)

3K

昨日、会津高校同窓会の幹事会が中の島で行われた。会津中学時代からの各学年の幹事が集まり、次年度の事業計画、本年度事業の決算報告などがなされる。

4年前からGWに始まった同窓生の学年別対抗コンペは大変大きな事業になり、囲碁・将棋大会も追加された。

その他、会報の発行や各同窓会支部の活性化、母校・会津高等学校への支援など活動は多岐にわたるが、会はスムーズに進んで予定の1時間の5分前に閉会の言葉となった。

昨年9月から副会長を仰せつかっている新米だが私が閉会の言葉。

少々時間があったので余談になりますが、と断わり次の様な話をさせて頂いた。

「度々マスコミで報じられるように、医師不足、それも特に地方における医師不足は今も深刻です。医師が赴任を決める際に、キーを握るのは奥さんであり、特に気にするのがこども達の教育環境です。どんな良い学校があるか?進学率は?これはなにも医師だけに限ったことではないでしょう。地方にあっても優れた教育環境を有する街は強い。優秀な人材を配する街には優秀な人材が集まります。そういう意味からも母校・会津高校にはぜひとも頑張っていただき会津の活性化を底支えしていただきたい。それを同窓会は全力で応援していかなければならないと思っています・・・」と言うようなことを言ったつもり。

地方の活性化には3Kが必要だというのが自論。それは「環境・健康・教育」です。

自然環境が良いだけではなく、環境問題に配慮し環境を守る、知識、技術、意識が高い事。健康については医療・介護の環境が安心安定している事。そして教育の環境が良好でレベルが高い事。

この三つが整っていれば鬼に金棒、優秀な人材、裕福な人材、ゆとりある人材・・・人が人を呼ぶ良いサイクルが出来るに違いないと思っている。

健康のKには日頃微力を尽くしている。そして、これまで全く積極的ではなかった同窓会活動だったが、教育のKの重要性をつくづく感じて、お役にたてるなら頑張りましょうと思って役をお引き受けした。

懇親会では重要な地場産業である会津清酒の消費に大いに貢献しつつ、時には真面目に地域の事などを考えたりもしているのである。

2012年5月23日 (水)

城は?

先週の土曜日、ふくしま「城」フェスタの歴史講演会を聴講するため会津大学へ行って来た。

もっとも、聞いてる姿が民報紙に載っていたらしく「写ってましたよ。市長の前に偉そうに座ってましたね・・・」などと何人かに冷やかされた。

歴史講演会は第一部が野口信一氏の「城下町とまちづくり」と題した講演。第二部NHKの歴史秘話ヒストリアで有名な渡邉あゆみチーフアナウンサーの講演、そして第三部で会津松平家十四代当主・松平保久(もりひさ)氏と渡邉あゆみさんとの対談と続いた。

殿の来若とあって、一応、会津松平家奉賛会の一員としての応援も兼ねていたわけだ。

渡邉あゆみさんの話はさすがチーフアナウンサーだけあってとても巧みで多彩で聴衆を一気に惹きつけた。

渡邉さんと殿との対談もなかなか良かった。さすがNHKの先輩後輩同士、気心も知れて和やかな雰囲気を醸していた。

対談の中で十五代親保(ちかもり)くんの話題が出た。十五代はまだ中学二年生だ。

大震災の日、東京も大混乱でお母さんがようやく学校に迎えに行って会えた時の話し、開口一番彼はこう言ったそうだ。「お城は大丈夫だろうか?」

お父さんの無事よりも何よりも城を思った、と言う点では将来の殿様の資格充分、と言ったところだろう。このエピソードに会場は沸いた。

十四代が自ら仰っていたが、殿様を生きるという事はそれなりに大変な事だ。殿様と敬愛される事もあれば、反面バカ殿と言われる事もある。

松平家の歴史を背負い、会津を想う。いつも会津のためを思う。

十五代がそんな立派な後継ぎとなる日まで、私と同い年で中二の息子を持つ十四代の先は長い・・・。

ご健勝と弥栄をお祈りいたします。

2012年5月22日 (火)

あるかないか

先日、女子プロゴルフのトーナメントで森田理香子プロがTシャツでプレイしたのがちょっとした話題になっている。

ゴルフは紳士のスポーツで、プレイする時には襟のあるシャツやポロシャツを着用しなければならない、と昔から言われている。今でも名門クラブでは、クラブハウスに入る際にもジャケットとタイが必要と言うところさえある。(会津磐梯カントリークラブはそこまで厳格ではない)

それが近年、タートルネックの様なスタンドカラーのシャツがOKになり(あれが一応襟とみなされているのだろう)、ファッションの幅も広がっている。

しかし、Tシャツと言うのはいかがなものか?と長年の習いで感じてしまうのだが、女子プロの規定では違反ではないのだそうだ。

Tシャツでも女性らしいファッション性のあるものはよい、とちゃんと書かれている。ちなみに森田プロが着たのは1枚2万円の高級ブランドのTシャツだそうだ。

しかし、女性らしいとか、ファッション性がある、などといったいどこで線を引くのか極めてあいまいだ。

高級ブランドのものならファッション性が高くて、廉価なものは一切女性らしくはない、とは言えないだろう。

人によってどうにでも解釈出来てしまう、こんな規定ではやがてはなし崩しになってなんでもOKになってしまう事は目に見えている。

若い人たちをゴルフ市場に引き込むためには変わっていく事も仕方がない。ゴルフ業界の発展のためには堅い事ばかり言っていても仕方がない・・・。

コスト、効率、利益が優先されて、古いルール(時に伝統)は拡大解釈の名のもと、なし崩しに壊されて行く。

なんだかどこかで聞いたような話だ。

コスト、効率を優先させるにはある時点で安全に目をつぶらなくてはならない、とりあえず原発を動かそう・・・。

襟があるかないか、だったら誰が見ても分ることだ。

安全委員会だか何だかが責任もって○か×か、それ以外の判断基準を政治家がこねくり回してはいけない!と決めれば、襟のあるなしと同様に誰にでも分る。

原子力とゴルフのTシャツ、比べ物にもならないが、物事が崩れて行く時はなんとなく似ているものだ。

2012年5月21日 (月)

金環の朝

会津では金環日食にはならなかったが、かなり欠けた。そして、良く見えた。

朝のウォーキングの時、6時前にもかかわらずリオン・ドール滝沢店の駐車場に金環日食を見ようと言う人がもう集まり始めていた。東の滝沢峠の旧街道の方面からうっすらと太陽も昇っていた。どうやら見られそう・・・。

古い日食メガネがひとつだけあったので、7時頃になったら駐車場に行ってみようと早めにお茶、新聞、食事を済ませて準備。

7時過ぎに行ってみようと娘と家を出たら目の前の山の端から太陽が昇っている。山が近いのでてっきり見えないと思ったが家の前で観察できるではないか。

日食メガネで覗いてみるともうすでに欠け始めている。(テレビで詳しくやっていたので分ってはいたが)

見る見る欠けて行く。ひとつのメガネを妻、娘、通りがかりの高校生とみんなで回し見する。

玄関前に割と大きな紅葉の木がある。その木の葉を通した木漏れ日が、太陽と同じように欠けた丸い影を作っていた。家の白い壁にうろこのような影がうつる。なかなかきれい。

晴れているのに少しうす暗くなってくる。不思議な明るさだ。なぜか犬が吠えている。

子どもの頃に見た漫画では、日食になるとあたりが真っ暗になって太陽が真っ黒に描かれていた。それほどではないが朝の夕方みたいだ。

90%以上は欠けたと思うが、それでも太陽の光はすごい。もろ見では当然、目が開けられないし欠けているところもまったく見えない。

欠けた部分が右端から下の方に移っていく。天文マニアではなくてもなかなかの見ものだ。

平安時代以来の広範囲な金環日食だとか、平安人はこの欠け具合をどうやってみたのだろう?日食グラスもないし、フィルム状の様なものも思い当たらない。

いきなり暗くなる朝、あんまり良い事が起こりそうな気持ちにはならないが、この日にあやかって多くの人々が結婚の指輪を交わしたそうな・・・金環にあやかり金婚まで行けるの一体何%の確率なのだろうか???

2012年5月19日 (土)

勉強会

昨晩、勉強会で会津に避難して来ている大熊町の大熊小学校の先生にお話を聞く機会があった。

当初、パワーポイントなどを使って資料を作られる予定だったが、震災当日からの経過を箇条書きするだけでフラッシュバックの様な辛い気持になってしまわれたようだ。

とてもまだ心の傷は癒えるはずもなく、講師をお願いしたのが酷なお願いだったかなぁ・・・と、少々反省した。

それでもペパーは作ってくださった。振り返りは、3月11日14時、1、2年生下校、から始まっている。

その後の経過を先生は淡々と語られたが、想像して見ただけで胸が痛くなる。

何も持たずにほんの一時の避難と思いふるさとを離れ、そのまま帰る事も出来なくなる。そして何時帰れるのか見通しさえも立たない。それがどれほど辛いことだろうか?

人間の歴史の中でも、これほど残酷な形で故郷を離れなければならなかったケースは稀有だろう。

それでも、お話を通して改めて感じたのは「人間というのは強いものだ」と言う事だった。

行き先も告げられずに避難所を渡り歩き、食べ物もろくになく、風呂にも入れず、そんな中でも子どもたちの無事を確かめあった教師たち。

鞄一つの荷物も持たなかった人々が1万人も会津に避難して来てひと月もたたない、4月5日には、河東町に小学校を立ち上げているのだ。思えば驚異的なスピードだ。

会津の人々の対応も凄かったんだなぁと思う。大きな大きな人々の協力によって成せた技だ。

人間を動物と分けた大きな分岐が、互いに協力し合い、力を合わせて物事に立ち向かう行為だという。そして、それを可能にするのは他人の痛みが分る想像力だ。

今ではもう、朝の当たり前の風景のように大熊町のスクールバスが市内を行き来しているが、考えてみればこの風景は異常事態の延長なのだ。

先生は、会津の人々の人情の篤さに何度もお礼を述べられたけれども、大熊町のこども達、そして大人たちにも、明日が見えているわけではない。

「とりあえず会津に来て本当に良かったです」・・・と言うその先が一体どうなるのかは今だ誰にも分らない。

これからも出来るところで人々が協力し合って、おぼろげな明日を拓いて行く他はないのだろう。

東日本大震災、そして原発事故は今まだ現在進行形である、という事を改めて学ぶことになった勉強会であった。

2012年5月18日 (金)

五月の雨

暑くなったり、寒くなったり、時に雷や竜巻注意報まで出るおかしな五月だ。

五月病という言葉がある。本来、この時期の天気は爽やかなのだが、季節の変わり目で人の心が不安定になる。

特にこの春に新しい第一歩を踏み出した新人諸君にとって、五月のひと山は要注意だ。

環境が変わって張りつめていた心の糸が、1ヶ月、2ヶ月と過ぎ、ようやく周りにも慣れて、なんとなく緩む。この緩み具合が難しい。

適度に緊張がほぐれ、さらに頑張ろう!という前向きの緩みだと良いが、伸びきって力を失ったゴム紐のようにダラーッとしてしまうと元に戻らなくなってしまう。

なにか何もかもが嫌になり、現実が失望に変わる。

石の上にも3年・・・・と言うように、物事の本質や仕事の本当の面白さなどそんなにすぐに分るはずもないのに、わずか数ヶ月で分ったような気になってしまうから具合が悪い。

物事の初めは何も考えずに取り組む、という姿勢が大切なのだが、本人も周りもすぐに何らかの結果を求めようとするのが現代人の悪い癖だ。情報過多の頭でっかちになっている。

考えていたのと違った。理想とかけ離れている。私の思っていたのはこういう仕事(生活)ではない。と、分るのはこの五月ではなく、少なくても来年か再来年の五月のことなのである。

誰もそんなに先を見通せるほど賢くはない。パッと見で、すべてを決めていたら大変なことになる。こんな処に?と思うところに宝石が埋まっている、それが人生。

会津に降る五月の雨は冷たい。君たちのついたため息を雨が一層重たくしてしまうかもしれない・・・。

『ため息は命を削る鉋(かんな)かな』 ため息ひとつで人の人生は13分間ぐらい削れる。(まったく根拠のない自論です)

そんな五月のため息など、かんな屑のように捨ててしまえばいい。明日からは会津も爽やかに晴れる。

2012年5月17日 (木)

水曜の午後に

開業医にはゴルフ好きのドクターが多い。中にはかなりの上級者もいるが、会津磐梯カントリークラブのクラブチャンピオンなど正式な競技は数日にわたる上に、平日にも戦わなければならないので医師が参加しているという話は聞いたことがない。

そういう意味では絶対に休まない、という高い職業意識を持っている。

多くの開業医は患者さんのため土・日と連休にはしない。替わりに水曜日の午後、土曜の午後を半ドンにして対応しているドクターが多い。

そこでゴルフの好きな先生は、これからのシーズンは水曜午後、土曜午後、そして日曜と週三回ラウンドを楽しむ。

秋までは陽が長いので、午後から充分にスルーでプレイを楽しむことが出来るのだ。

これもゴルフ場までクルマで30分足らずという恵まれた環境あってこそだ。

勤務医の先生は、なかなかそうはいかないが、好きな先生の中には早朝プレーを楽しむという猛者もいる。

朝4時に起きで、朝霧の中素早くプレイ、就業前に一ラウンドを楽しむ体育会系の体力派だ。5月後半から7月半ばまでは、早朝もアフタヌーンも充分に楽しむことが出来る。

同級生のT先生を中心に、月に一回水曜の午後にコンペを開く水曜会と言う会がある。ドクター、介護、薬局など医療関係者を中心に毎回3組程度の参加者があり、私も混ぜてもらっている。4月開幕でから10月まで、10月は日没でハーフ戦になる事も少なくない。

もちろんスルーでプレイするわけだが、諸外国はスループレイが当たり前。ハーフが終わって食事をし、ビールを飲むというような惰弱なゴルフスタイルは日本だけなのだそうだ。

ちなみに4月は欠席、昨日初戦で、豊富なハンデに恵まれて優勝した。この会はT先生の方針で優勝すれば2割、準優勝で1割とハンデが減って、減ったハンデは決して戻らない。誰もが必ずいつかは優勝できるようにと言う事だ。

ちなみに昨日はトップハンデの二人がBMとBB、やはりハンデ0では超厳しい。ちなみに私は恥ずかしいほどハンデをもらっており、このたびやっと目出度く2割カットになった。それでもまだ一杯ある・・・。

2012年5月14日 (月)

眺めるだけ

まだ朝晩は寒いが、少し五月らしい気候に戻った。

会津の五月は美しい。ま、日本国中どこでもいい季節には違いないが、山に囲まれているだけに日々刻々変わる山の緑が、非常に繊細な山の生命力を感じさせてくれる。

これが夏になると全体が同じような緑になり、なんとなく「山だ―!」と言う感じで細部を観察するように眺める気はなくなってしまう。

そんなことはない!と言われれば反論はしないが、私の場合は五月の、今頃の山が一番好きで眺めていて飽きない。

今年の磐梯山の山開きは5月の27日と例年より2週間ほど遅い。この冬の寒さでは無理からぬことだろう。

12日の土曜日には中腹までうっすら白くなっていたから、27日でも残雪が多くて大変かもしれない。

娘が5歳ぐらいの時に山開きに登ったのが最後だから、もうだいぶ長い事登っていないなぁ。

第一、登れるだろうか?ちょっと自信が・・・危ない感じ。

昔はゴールドラインからだったらひょいひょい登って、頂上で一杯やってみんなで「磐梯三唱」をしたものだ。

中高年の登山がブームだと言うが、どうも登る方に足も気も向かない。疲れる中高年なのに一体何がきっかけであんなに夢中になれるのだろうか?

怠け者には一寸分らない気持ちなのだが、山の頂上が最高に気持ちが良い事だけは、過去の経験で良く分かる。

でも、今の私はこうして眺めているだけで充分に爽やかで気持ちが良いのである。

2012年5月13日 (日)

こんな事も

友人の御尊父が亡くなった。このところこうした不幸が続く。そういう歳周り、と言う事なのだろう。

『親が死に、やがて子が死に、孫が死に・・・』と言うが、順送りで見送らなければならないのは致し方のない事。順送りはむしろハッピーなことで、逆事はまったく持って不幸だ。

私は早くに母を見送り、父は十三回忌を越えた。これから親の看護や介護の心配がない、という点では気が楽だが、自分がそうならないように気をつけていかなくてはならない。

死は誰もが避けて通る事の出来ない問題だ。

死をいたずらに遠ざけるのではなく、時に死について真剣に考えて行くことが豊かな生を生きることにつながる・・・そういう想いの元に活動をしているのが「生と死を考える会・会津」というボランティア団体だ。

24年と言う歴史ある会だが、昨年から不肖・私が三代目の会長を仰せつかっている。とは言え出来る事は限られているので、肩肘張らずに脱力系で行こうと思っている。

今週の5月18日18時半から、会津稽古堂で勉強会がある。大熊町の現役の小学校の先生をお招きし、こどもたちの変化や我々の出来る事を考えようというもの。どなたでも参加は自由、もちろん無料だ。

来月、6月23日(土)には会津若松市文化センターにおいて「いのちの講演会」を14時から開く。関西のゴスペル歌手で、吉本新喜劇の故・岡八郎の娘さん・市岡裕子先生を招く。

母親のうつによる自死、弟の死、そして父のアルコール依存症と様々な葛藤の中で出会ったゴスペル、『人生あきらめたらあかん!』と題して、福島で初めての講演会を開く。こちらは入場料千円(学生500円)だ。

出来る事を少しずつ・・・涙もあり、もちろん会員間の楽しい交流もあり笑いも沢山ある。

地元に根ざしたボランティア活動を通して、誰もがほんの少しだけでも心が豊かになれる、そんなお手伝いが出来れば良いと思っている。

もし、時間があれば一度足を運んでもらえれば、嬉しい。

2012年5月11日 (金)

あきない

「商い」は「飽きない」のが大事だと言うが、その通りだと思う。

飽きずに毎日同じものを作り続ける、同じ姿勢を守り通す、同じ品質を貫き通す、それが信頼につながり、安心につながり、やがて伝統となってのれんとなる。

同じようにする。

これが実はすごく難しい事だ。景気の山も谷もある。儲けを優先させれば時機を見た臨機応変な対応が必要になる。しかし、それがお客を裏切ることになりはしないか?を常に考える姿勢が大事だろう。

「損して得取れ」という言葉があるように、目先の利益だけに左右されて品質や味、サービスがころころ変わる店や商品は、結局のところ長続きがしない。

まさに「飽きない」で、我が信条を貫き通す姿勢が大切だ。

しばらく行かないと味が変わった、と思う店がある。また、手の込んだ料理を楽しませてくれたのが、どこにでもある料理になってガッカリする店もある。値段が急にやたら高く感じる店も結構ある。

不景気だから仕方ないのか?職人が変わったからか?原価に気を使ってるのか?・・・など、客にそんな気を使われるようになったら黄信号だ。

馴染みの店は多いが、このところ立て続けになんだかな?と思うのが続いて少しがっかりしている・・・。

会津の食べ物、飲食店、居酒屋など、特に庶民の味は総じてレベルが高いと思っている。

学生時代を過ごした京都など、大枚払えば美味しいだろうが、庶民レベルのB級グルメはひどいものだった。(一応過去形で)

いろいろ旅をするが、ご飯(米)のおいしさはまずどこにも負けてない。ラーメンの麺やそば、いわゆるベースがしっかりしているから、どこに飛び込んでもある程度のレベルは確保されている。美味い。

そんな中でここは美味いんだ!と思ってた店に行って、あれ?と思うと実に淋しい。

それは明らかに「商い」に「飽きる」が入ってしまっているからではないだろうか?取り組む姿勢が変わってしまっているからじゃないのだろうか?

来年の大河ドラマが評判になれば、街なかはますます会津の味を求めて歩く人が増えるはずだ。

増えた時に調子に乗って期待を裏切らないように、そして減った時にもやせ我慢で期待を裏切らないように・・・そんな「飽きない商い」を私は望みたい。

最後には「飽きない商い」こそが絶対に勝つと思っている。

2012年5月 8日 (火)

趣味とは言えないけど

アカスリが趣味です、なんて話はないだろうが、うっすらここ20年、月一ないし、ふた月に3回ほどのペースで、通っているのだからまんざら趣味と言えないこともない。

すっきりして、気持ちが良く、なんとなくストレス解消になり、リフレッシュできる。

はじめは今は無き「ジャンボ健康ランド」と言うサウナに行き出してからだ。

義弟がすごいサウナ好きで、しょっちゅう行っていた。つられるように月に一回ぐらい行き出して、そこに韓国の女性がやってくれるアカスリがあった。

女性だからやってみたのではなく、なんだかすっきりしそうだなぁ、と思ってやってもらったら、すごくすっきりして良かったのだ。確か30分3600円ぐらいだったと思う。

会津のアカスリは、どういう経路を辿っているのか分らないが代々、山形辺りに住んでいる(お嫁さんに来た)韓国の女性がやってくれる。ジャンボがなくなり今は「富士の湯」になってもそれは変わらないみたいだ。みなさん片言の日本語で、日本人女性というのは見たことがない。

もっとも本場韓国では、男に対しては男しかしないようだ。ソウルでムキムキの男性に力任せにこすられてまるで拷問の様で、閉口した事があったから・・・。

当然、人によって上手下手もあるので、上手な人はすぐに名前を聞いて、以降は電話でその人に予約してから行くようにするわけだ。

20年以上にもなるといろんな人が替わったが、結構、私の事を覚えて引き継いでくれたりしてして、なんとなく上手な人が繋がっている。

10年ほど前、家人にも一回やってみ?と勧めてみたらこれがまた結構はまって、今では時々夫婦で行く。一人で行くと「今日は奥さんはどうした?」と聞かれたりする。

大体、休みの日の遅い午後に行くわけだが、アカスリ代と言うのはなぜだか私持ちと決まっている。ま、日頃の感謝を込めて・・・的な感じもあって悪くはないが、お一人様50分6500円のコースなので、財布は少しヒリヒリする。

1年から2年で人が替わる。初めての人の場合、ほぼ8、9割の確率で同じ事を聞かれる。「あなたアメリカ人?」

どうやら韓国の人は大きくて、ヒゲを伸ばしているのがアメリカ人のイメージなようだ。いずれにしても裸でも一発で覚えられる、と言うのは悪いことではない。

あの人、しばらく姿が見えないなぁ・・・などと思っていると「韓国の息子のところに帰ってたんだ」とか言ってお土産に焼きノリや、自分で漬けたキムチをもらったりした事もあった。ほのぼのとした国際交流の一場面でもある。

やったことのない人は分らないだろうが、毎日風呂に入っていてもビックリするほど垢と言うものは出る。

あんなに出て身体に良いのか悪いのかは正直なところ分らないが、アカスリ、笑点、ビール、と言うのが日曜の黄昏時のゴールデントライアングルなのである。

2012年5月 7日 (月)

少し良い事?

飯盛山の朝の散歩での出来事。

白虎隊士のお墓にお参りして石段を降りて来ると、中年の女性が前を歩いていた。石段にあるゴミを拾いながら歩いていた。良い人だー、と思った。

紙クズや吸殻を手でそのまま拾っている。いくつか拾って階段の半ばまで来たら彼女、なんと小さな橋の欄干の陰に、それまで拾い集めたゴミをまとめてポイと投げ捨てたのである。

「あらま!」と驚いたがまさか「何するんだ!」と注意する訳にも行かない。

彼女は、会津に来た観光客がガッカリするであろう石段のゴミを拾い集めて階段をきれいにした。そして、そのゴミを人目のつかない物陰にまとめて置いたのである。

こういう時に、人間と言うものは本当に人それぞれだなぁ、と妙な事に感心してしまう。

落ちているゴミに気付きながら拾うともしない人(私も含め)、ゴミを拾って物陰に捨てる人、ゴミを拾ってゴミ箱を探して捨てるか家までちゃんと持って帰る人・・・。

それぞれに、それぞれの訳があってそういう事をするのだ。

どうせ拾ったんだったらちゃんとゴミ箱に捨てればいいだろう、と言うのは簡単だが、そういう人に限って拾おうとさえしなかったりする。

目の前のたばこのフィルターさえ拾わない人に、かの中年女性も叱られたくはないだろう。

これに近いような事は世の中、山ほどある。

目の前の体裁だけ整えて、後はうやむや。原則が定まっていないから、とりあえず体裁良くすればいいだろう、と言う事になる。

ゴミを拾い集めて物陰に置く、のではゴミの総量は変わらないのだから根本的な解決にはなっていない。除染の今も、それに近い。

確かに目の前のゴミを拾わないよりはいいかもしれない。しかし・・・である。

ま、ゴチャゴチャ考えるよりも、たまには石段のゴミ拾いでもした方が良いだろう。あの物陰のゴミちゃんたちもちゃんと拾ってあげよう。

2012年5月 6日 (日)

天気は崩れたけれど

連休後半の天気は崩れた。

4日、東山院内御廟で行われた会津松平家のお花まつりも、小雨の中だった。今年から第十三代・尽和霊神さまも一緒に祀られる。

山の桜を藁筒にいっぱい刺して神殿の奥に吊るす。山に咲く山吹や若い緑で水場を飾り、「お花まつり」と称して行われ会津松平家の法要、なんとも風情のある神事だ。

朝にお手伝い。神殿のゴミを払い、ぞうきんがけをしてひと汗かく。爽やかな汗だ。

5日も天気は今ひとつだったようだ。この日は例年、会津高校同窓会の大コンペが会津磐梯カントリークラブを貸し切って行われる。午前中は雨に震え、午後には少しの日差しが出たと言う。大会自体はつつがなく終了、だが小生は役員ながら欠席し、東京の椿山荘にいた。

東京は快晴、夏を思わせる暑さだった。

緑深い椿山の庭を散策すると汗が噴き出す。この日は大安とあって、いたるところにウェディングドレスの花嫁がいる。40数組が一日に式を上げるのだと言う。

山縣有朋公の拓いた庭園は二万坪におよび、とても都内とは思えない深い緑だ。狸の親子が生息し、もうしばらくすれば蛍も飛び交う。

椿山荘&ホテル内は人で溢れかえっている。一日で大変な売り上げだろう・・・などと下世話な思いが頭をもたげる。

この日、「折鶴」という部屋で、娘が将来の伴侶と定めた相手の御両親と初めて顔を合わせて食事会をした。思いもよらぬ祝いの酒が会津から届けられて驚く、感謝!そして美味しいお膳だったが、なんだか腹よりも胸がいっぱいになった夏日であった。

6日は一日、不安定な天気。

北関東では巨大な竜巻が猛威をふるった。会津でも昼前からゴロゴロ鳴ったり、ザーッと来たり連休最後の行楽地も人影がまばらなようだ。昼には久しぶりに「いさみ」のラーメンを食べに行ったが、名物店もガラガラだった。

連休後半、天気は崩れたが、予定の行動はほぼ順調にこなし、まずまず上手く行った、というところである。

2012年5月 3日 (木)

花屏風

桜が散ったと思ったら一気に新緑が芽吹いた。黒い枝だけだった山に緑が萌え、まさに山笑うという風情だ。寒さが続き遅い春だっただけに、花も葉も一斉に遅れを取り戻そうとしている。

会津は盆地で周囲がぐるりと山、私はその東の縁に住んでいる。従って東側の山々が近い。滝沢から天寧、東山、さらに小田山、青木山と里山が連なる。

若緑の山々の中腹には山桜がところどころ、淡い煙りの様に咲いている。改めて観ると山には思いのほか山桜が多いことに気付く。

薄い緑、淡い緑、若い緑、様々な緑の中に花を散らした一幅の絵、花屏風に囲まれているようだ。

連休の谷間、会津も少し天気が崩れた。大雨にはなってはいない。この雨で芽吹きが一層進む。赤ちゃんの手の様な葉っぱがどんどん開いていく。

そう、もう5月だ。雨もしとしと冷たくはない。寒くはない。

離れてはいるが飯盛山の観光客の賑わいがなんとなく伝わってくる。5月の爽やかな風の中で会津の観光も、しっかりと息を吹き返しているみたいだ。

2012年5月 1日 (火)

桜を植える

花筏・・・鶴ヶ城のお堀の上を桜の花びらが漂っている。赤瓦に良く映える桜の花も、はらはらと散り始めた。

連休の朝、早い時間にゆっくりと本丸を歩いた。これだけ広大な敷地を持つ城跡は全国的にも珍しい。珍しいだけでなく、花に囲まれ、緑豊かなその姿は誠に美しい。

じっくりと花見をすると、ある事に気付いた。

本丸の外側の桜の木々は豊かだが、本丸内、また本丸を囲む石垣の桜はかなり老化が目立ち、痛んだ木が多い。立ち枯れの様な老木も目立つ。

ソメイヨシノの寿命は意外と短い。このままでは近い将来、本丸内が花無しの春にならないとも限らない。

庭園を設計し、木を植え注いでいくには長ーい目が必要だ。最低でも十年、二十年先を見据えなくてはならない。

会津鶴ヶ城が桜の名所として後世にまで語り継がれていくには、今から行動をおこさないと将来、大変なことになるのではないだろうか?

城内は文化財なので、例え枯れていても木を伐ったり、抜いたりするにも手続き、手続きで大変なはずだ。植える事もそう簡単には出来ないだろう。

文化財保護の規則、規則でがんじがらめの不条理を乗り越えても、今、手を付けて行かない事には後の祭りともなりかねないような気さえした。

我々は、こどもの頃に木を植えた人々の恩恵に預かっている。

それぞれの世代が、遠い世代に向けて木を植える事は大切な事、世代としての使命かもしれない。

お城を守るボランティアをやっている人たちも多い、ちょっと訊いて、出来る事は協力してい来たいと思う。

花の少ない本丸の春は淋しすぎるから・・・・。

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