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2012年4月

2012年4月29日 (日)

自重が望まれる

GWの会津は素晴らしい天気で幕を開けた。気温も25度を越え、空は抜けるように青い。おまけに桜の花が満開と来た。

これで人が出ないはずがない。多くの人々が会津を目指し、他府県ナンバーも多い。鶴ヶ城の周辺は車で一杯だ。

城の外側が散り始め、本丸内はちょうど満開だ。人、人、人、誠に平和な光景だ。

昨年の今頃、観光客の数は1割、2割の減ではなく、わずか1割、2割にまで落ち込んでしまった。

どんなに天気が良くても人の姿もなく、心が花に弾むこともなかった。今年は、誰もが弾んでいる。

連休初日、私は磐梯カントリークラブで、絶好の天気の中、病み上がりゴルフを楽しんだ。

家人も息子も口には出さないが『治ったばっかで、ゴルフなんかやってんじゃねえよ・・・』という空気を強く漂わす中、少々後ろめたさを覚えながら、コンペに出ることにした。

が、やっぱり出て良かった。

素晴らしい天気の中、きれいな空気を思いっきり吸って、陽射しを一杯に浴びて汗をかく。かなりバテはしたが、身体の芯に元気が戻った気がする。

出来るだけ無茶をしない省エネゴルフで、意外と力も抜けて素晴らしいショットが出たりする。思わぬ誤球のハプニングがあったりして、成績は振るわなかったが楽しかった。

健康で、当たり前のことを当たり前に出来ることがいかにありがたいことか!改めて残雪の磐梯山に御礼を申し上げて帰って来た。

夜は久しぶりに居酒屋晩飯も、これまた当たり前のことがありがたい。

連休の前半は好天に恵まれるらしい。今朝もまたよい天気だ。

連荘は止めておこうと思いながら、結局今日の月例競技会にも出ることにした。

ちょっと良くなるとすぐに調子に乗る!周りは明らかに機嫌が悪い(心配してくれてのことだが)が、分かっちゃいるけどやめられない。

自重、自重、の掛け声とともに、早、調子に乗っている私である。

2012年4月27日 (金)

虹の旋律(にじのうた)

竹田混声合唱団は2011年の秋に結成された。

この春に合唱団の名を「虹の旋律(にじのうた)」とし、来る5月13日(日)に會津風雅堂で行われる「第21回・荒城の月市民音楽祭」に出演することが決まっている。

会津には多くの合唱団やママさんコーラスがあるが、職場単独の合唱団と言うのは珍しいのではないだろうか?

現在、財団全体での職員は1700名を越えている。それだけいると当然のことながら合唱経験者も少なくない。そんな中、医師を中心に病棟の患者さん慰問のために歌っていた男性コーラスグループ「ホスペラーズ」が、その核となって合唱好きが集められた。

総勢は50名近いが、仕事の都合でかなり人数に変動があると言うのも仕方のない特徴だ。緊急手術で数名抜ける、などと言う事も過去にはあった。

「虹の旋律」という、ロマンティックな名前は創始者・竹田秀一先生による。秀一先生は好んで「虹を追う」という言葉を使っていた。晩年、『我が人生は今だ虹を追う途中である・・・』と記されている。その追い続ける虹にちなみ、不肖、私が名付けた。

今回の「荒城の月市民音楽祭」への出演は、また別な因縁にもよる。

「荒城の月」は滝廉太郎作曲、土井晩翠作詞の名曲、戊辰戦争後の荒れ果てた鶴ヶ城址をそのモチーフにしたとも言われており、本丸内には荒城の月の歌碑が建てられている。

そうした縁から始められた市民音楽祭だが、作詞者土井晩翠先生と財団法人竹田綜合病院にも、また少なからぬ縁があるのだ。

創始者・竹田秀一先生は、仙台二高に学んだ折、土井晩翠先生の教え子であった。その縁から院歌の制作を依頼、晩翠先生快くこれを受け、その歌が現在も歌い継がれているのである。

竹田混声合唱団「虹の旋律」出演の13日は、当然ながら「荒城の月」と「院歌」、そして組曲「ふるさと」が披露される予定だ。開演は午後2時から、入場は無料である。

2012年4月26日 (木)

静かな朝

早朝、今年初めて石部桜にご挨拶に行って来た。会津五桜のひとつ(私はNO1だと思っている)六百年を越えて生きる孤高の一本桜は今朝ちょうど満開、穏やかな笑みで病み上がりの身を迎えてくれた。

今年はだいぶ遅れた。途中の道端には梅も満開、周辺の田んぼも、例年の桜満開の時期よりはずっと青々としている。寒さから解き放たれてみんなが一緒に芽吹いている感じだ。

わずかな散歩も足が重い。速度が上がらない。

今年の新入職員が一人、私と同じ時期に同型のインフルエンザにかかった。おそらく私が移したのだろうと思うが、昨日会って大丈夫か?と尋ねると走りまわりそうなぐらい元気だった。

かたや私と言えば『見るからに具合悪そう、全くいつもの顔と違う、遠くから見ても別人だった』など、さんざんな言われよう。20代の若者とでは、これほどダメージとその回復力に差が生じると言う事だ。

人を見て、今日は髪の毛の艶が良いとか悪いとかは思わないだろう。しかし、その髪の毛がない場合はどうか?

じかにおでこなので、頭を見ただけでも色艶が良いか悪いかすぐにばれてしまうのだ。確かに普段は、ピカピカとまではいかないにしても適当に脂が乗り、なかなか艶が良い、と自分でも思う。

それが現金なもので見事に光らなくなるのだ。それはそれで悲しいものだ。健康のありがたみをおでこで知る事になる。

さて桜、石部桜は満開なのにカメラマンは二人ぐらいしかいなかった。例年だと早朝からかなりの人数がいる。

それに見物人(散歩人)自体も少ない。柴犬連れのおばさんと私ぐらいなもの、こんなことはこれまでまずなかった。

数年前までは出店のテントの様なものもあったりしたが、そんなのもなく何か全体的にパサーっとした感じがする。

これもまた風評被害と言うやつなのだろうか?おそらく、お客さんの数も少ないのだろう。

折角GWにかかりそうなのに、観光客であふれかえる・・・そんな空気は全く感じられない静かな満開の朝。

ただ六百年の桜だけが何事も気に止めず静かに、穏やかに咲いている。

2012年4月24日 (火)

幽閉

14、15年前にA型インフルエンザにかかった。すごい高熱に一晩中うなされ続け、ほとほと参った。以来、インフルエンザの予防注射は必ず(家族そろって)受けることにしている。

嗚呼、それなのにこの季節外れのGW前にB型インフルエンザにかかってしまったのである。

K先生のところでは、吸入するイナビルという薬を2筒処方され、薬局の薬剤師さんの前で指導を受けてすぐに吸入した。しかし、すでに咳き込んでいたので2度ともむせてしまった。これがちょっと薬量を減らしてしまったかもしれない。

家族には予防投与としてタミフルを処方していただき、一日一錠飲ませることにした。

平熱が35度6分ぐらいなのでもともと熱に弱い。その熱発の朝には、すでに37度7分もあった。そのままベッドに倒れ込むと、インフルエンザ野郎が次第に調子に乗って来る。熱は38度を越えてドンドン上昇・・・。

この日、家人は母親、妹との楽しみにしていた小旅行。息子は外泊。いわゆる一人ぽっちというやつだ。冷蔵庫にチュウーチュウーゼリーのようなものを沢山入れて、OS1を山ほど詰めて家人は出かけて行った。

すでに午後か夕方か夜かもよく分からない。熱は39度まで上がった。おでこの冷えピタシートがすぐにカパカパになってしまう。寝ているのか、唸っているのか、気絶しているのかもよく分からない。高熱は辛い。本当に死にそうな人には申し訳ないが・・・死にそうである。

会津の偉人、鹿鳴館の華と言われた山川捨松さんは60歳で流行のスペイン風邪(インフルエンザ)で亡くなっている。ろくな薬もない頃のインフルエンザは怖ろしい。あんな高熱が数日続いたらいかに健康な人間でも一気に参るに違いない。

このままこんな熱が続いたら死に至っても不思議じゃねえぞ・・・。

そんなことを考えてはや、真夜中。トイレも辛い。熱はまだ下がらない。死にそうだ~と唸りながら震える。汗が出ない。15分おきぐらいに目が覚めてしまう。眠れないのも辛い。

『インフル熱 我が身に寿命のあるを知る』

普段は自分が死ぬことなど考えた事もないが、ちょっと高熱でうなされただけで自分にも寿命があり、いつかは必ず死ぬんだと改めて考えさせらる・・・・そんな思いがグルグルと廻っている内にようやく夜が明けた。

熱は7度台に下がった。しかしこの間、身体の受けたダメージは半端ではないのが実感できた。14,5年前の解熱の時とはここが全く違っていた。

その日の夜には6度台まで熱は下がり、翌朝には平熱に戻った。B型インフルエンザとの戦いは一応終わった。負けてはいないものの、被害甚大。

新井白石の養生訓ではないが、日々の養生がいかに大切かを思い知らされる羽目となった。

最低でもあと二日間はウィルスを排出しているので幽閉の身が続く。もっともウィルスうんぬんを抜きにしても、元に戻るには最低2,3日は必要・・・お歳である。

そう、うれしいことに体重は一気に5㎏も落ちた。10年前の体重である。

2012年4月23日 (月)

B型

血液型はA型だが、B型インフルエンザになってしまった。多少の過信、不節制もあり反省しきり、自戒を込めて事の経過を振り返る。

火曜日、午前中に献血をした。献血とインフルエンザは全く関係ないが、この日から歓迎会などの飲み会が続くので、一瞬今日はやめておこうか?と言う考えもよぎったのだが、『A型大ピンチ!』の看板を見て快く400mlの献血をした。

いつもの様に順調に進み、終わった後になんと10回目です!と記念品をいただいた。ガラス製のきれいなぐい飲みであった。この歳でほぼ毎年10回目、少しエラい。

その日の午後は静かに過ごし、夜の飲み会は軽く済ませるはずだったが・・・少し調子に乗ってしまった。

水曜日、朝起きるとのどが痛かった。少し風邪気味かな?という感じだった。昼間は市内に出歩いたり忙しく過ごし、夜は会議。会議の後に食事会があり、そのまま帰ればよかったが、馴染みの店にちょっと顔を出したのがいけなかった。

古い友人のYさんが居て、やぁやぁ!という事になってワインをぐびぐびと飲んでしまった。それでも10時過ぎには帰った。少し咳き込んでも来たので、風邪薬を飲んですぐに寝た。

熱発はなかったし、ワクチンも打っているし、第一もう会津での流行期も過ぎてるとの思いもあり、全く考えもしなかった。

木曜、朝起きると、のどの痛みは取れていない。咳も出る。葛根湯を飲んで一日マスクをして過ごす。昼の会議もマスクをしたままで通した。

この日の歓迎会はあいさつがあったので出席、あいさつをして新人諸君にエールを贈り、酒をついで歩き、深酒は止めて一次会で即帰宅。風呂に入り風邪薬を飲んですぐに寝た。

金曜、朝起きてベッドで咳き込んだ。起きてみると咳き込むほどではないが、時折こんこんと軽い咳が出た。少し熱があるかな?という感じだったが計らなかった。葛根湯、ビタミン剤、ウコンの力、OS1をちびちび飲み続けて、午後にはだいぶ良くなった。

この日の歓迎会もあいさつを頼まれていたので結局、元気に出席。風邪でひどい声だと断りながらあいさつ、全員についで回り無事に一次会終了。別会場の名酒会にも顔を出す。今年の研修医、新人医師が多く集まる。春のあいさつだ。小一時間、一通り酒をついで回り帰宅。風邪薬を飲んで休んだ。

で、土曜。ベッドの中で目覚めて完全におかしいと思った。かなりの熱がある。この時、ひょっとしてインフルエンザ?と初めて思った。でも、今まで熱もなかったし、風邪から肺炎にでもなったのか?など、勝手な自己診断。とにかくこのまま出社は出来ない。

朝一で一番近いK先生のクリニックへ。「B型のインフルエンザですね」「えー!」まずい、それはまずい、昨日も一昨日も、ひょっとして私はウィルスをまき散らしてしまった・・・・?

14、5年ぶりのインフルエンザ、ワクチンの過信と不節制、早めに診察を受けられる立場にありながら勝手に大丈夫、の思い上がり・・・・猛省。

「B型インフルエンザになってしまいました。立ち回り先のみなさんにお伝えください」と、職場に侘びと共に伝え、ベッドに倒れ込んだ。

この後ものすごく痛いしっぺ返しを味あわされることとなったのである。 

つづく

2012年4月19日 (木)

お寒い春

『もし、このような質問が来たら・・・』と言う紙を見ながら、T大臣は思わずマイクに向かって「もしもし・・・」と言ってしまった。

国会での話である。与党も野党も議場大爆笑、笑いで審議が中断する始末だ。

問責決議も、罵倒も冷笑も馬耳東風、ひたすらペーパーを読み続ける。

言い間違い、認識不足、無知の山、何か聞かれるとおどおどと泳ぐ目、確かにお人柄は良いと言えるのかもしれないが、そんな人が国防の最高責任者ではやっぱり困る。

田中角栄さんの娘婿で、新潟県や福島県から立候補して国会議員になっている。ああいう人物がどうして議員さんになれちゃうのかが、一番の不思議だ。

今は一体、どこの議員さんなのだろう?福島だったら、それはそれで悲劇と言えよう。

軍隊を率いるには気力、胆力、統率力、そして人並みすぐれた決断力が要る。

会津戊辰戦争の際に鶴ヶ城の無血入城で名高い山川大蔵は、日光口隊を引き連れて敵陣の真ん中をお囃子の音高らかに、彼岸獅子を先頭にして堂々と入城を果たした。

あまりに堂々としたその行進に敵方は一体何事か?と攻撃さえも忘れてしまったのである。

きっと、あの時の山川大蔵の目はピクリとも泳ぐことなく、毅然と前を見据えていたことだろう。

T大臣と比べるには、あまりに飛躍がありすぎた。

が思うに、返って中途半端に才があるよりは、ああいう風に全くない方が何も決断できない(しようとしない)から逆に安全なのかもしれない・・・。

そんなところまで考えて自分を慰めなくてはならない日本国の春は、寒い。

2012年4月18日 (水)

桜を前に

通勤時にお城周辺の桜の枝の先が急にピンク色になっているのに気付いた。自然はいつも急に姿を変える。好天が続けばこの週末には会津の桜もほころぶかもしれない。

満開の京都でとんでもない事故が起こった。

京都は学生時代を過ごした街で、事故のあったあの辺りも良く歩いたところなのでなんだか人ごととは思えない。

病気は不幸だ。誰だって望んで病気になる人などいない。しかし、病気になってしまったなら、それを受け入れる覚悟も必要だろう。

医師が絶対禁止だ!と言っているクルマの運転。運転すれば大変な事故を引き起こす事が容易に想像できながら、その先を封じる手立てがない。分っていながら予防措置を取ることが出来ない。

個人情報保護やプライバシー侵害などの法律が立ちふさがる。

本来、法は人を守るために作られているものなのに法の壁によって不幸な事件が繰り返し起こる。やりきれない。

この人は運転が危険である、と医師が判断したなら(ダブルチェックが必要だろう)免許センターないしは所轄の警察に連絡できるようにする、そうでもしなければ解決できないだろうが、難しい問題だ・・・。

個人の病気の情報が本人の許可なく警察に知らされる・・・・ここだけ切り取ってみれば、それはいけない事だと誰もが思うだろう。

しかし、発作を起こす病気を野放しにした事によって犠牲となった本人、その家族はどこまで行っても浮かばれないし、納得できないに違いない。

法は誰のためにある?あの加害者の若く幼げな顔写真を見ると実に複雑な思いに駆られてしまう・・・。

話変わって尖閣諸島、もし東京都が買うのであれば、都民の税金だけでは申し訳ないのでなにがしかの寄付を申し出たいものだと思っている。

日本の領土だと認めていたのに、資源があると分るやいなや手のひらを返すように、おらほうの領土だと主張する、そういう国を相手に国際関係を築いていかなければならないのだから、考えられる限りいろんな方法をとって良いんだと思う。

大人しくしていたら、どんどん付け込まれてしまうばかりだ。

日本国が諸外国にどんどん付け込まれてもいい、と思ってるような人に国を預かる資格がない事だけは確かだ。

2012年4月17日 (火)

さらば餡子

「空腹が人を健康にする」(南雲吉則著)という本を読んだ。

もともと人は空腹で生きるように出来ている。三食食べるようになったのはほんの百数十年前、空腹になればサーチュイン遺伝子が活性化し若返る。一日一食で充分だ。と言った内容の本だ。

なるほどと思うところもあれば、そうかなぁ?と思うところもある。特に糖尿病になるとこれ以上食物の過剰摂取をしないように、目が見えなくなったり、先端の細胞壊死が起こり、食物を採るために歩けなくさせてしまう・・・というくだりは、そうなの?と思う。

が、総じて空腹は身体に悪くはないようだ。言い方を変えれば、摂りたいだけカロリーを摂るのは健康のために非常に良くないと言う事だ。

以来、一日一食は無理だが(挑戦する気もないが)、出来るだけバカ食いはしないように心掛けている。

大盛りは止め、ご飯も軽くよそい、昼も出来るだけ軽く、夜は酒とつまみで、仕上げのご飯類は食べないようにしている。

また本の中に、塩の摂り過ぎよりも砂糖が悪いという一節があった。砂糖などは全く摂る必要がなく、自然の食物からだけで十分なのだと言う。

我が身を振り返れば、酒は止められない、しょう油は大好き、一日一食はほど遠い、なので砂糖ぐらいならいけるか?と思い。意識して砂糖を摂らない事にして3週間ぐらい経つ。

お茶類に砂糖は入れない、甘いお菓子は一切食べない(引き出しのアーモンドチョコは捨てた)、お土産のスウィーツも食べない。

思えば、こどもの頃は家がお菓子屋だったせいか、なぜか甘いものが嫌いだった。それが大人になって酒を覚えると同時に甘いものにも抵抗がなくなり、顔に似合わぬプリンやケーキ、饅頭などが好きになった。餡子の味も覚えた。

そんな経過なので、もう一度、甘いもの嫌いに戻ってもあんまり抵抗がない。

「うー、甘いもの食いっちぇごど!!!!」などと言うようにはならない。料理の最後にスウィーツが出ても御免なさい、と残せる。

そうしたらどうなったかと言うと・・・別に体型的には今だ、どうにもならないわけだが先日、電車での朝飯にサンドウィッチと好きなカフェラテを買った。パンを頬張り、甘いカフェラテを一口飲んだらその甘さにウエッ!となったのだ。

甘いものを口にしないでいると、あんまり甘いと眉間の辺りが痛くなるような気がする。それは長い間忘れていた、こどもの頃の感覚だった。

そういう訳でこの先どうなるかは分らないが、もう死ぬまで甘いお菓子や飲み物は口にしなくてもいい、ぐらいに今のところ思っている。

もしかすると何かが変わるかもしれない。

会津は昨日、今日と晴天のポカポカ陽気だ。暖房が暑いくらいだ。この調子だとこの週末には開花宣言があるかもしれない。花より団子だが、私はもう、団子も饅頭も食べる事はないであろう・・・。

困るのはバレンタインデーだが、来年の事を今から気に病んでみても仕方がない。

2012年4月16日 (月)

フレー、フレー

日曜日の上野公園は良い天気だった。桜はもう散っているが、満開の時と同じように花見の宴が延々と続いている。

シートの上に車座になり真昼間から盛り上がり、どんちゃん騒ぎ。通り過ぎる外国人が驚きの目で見ている。諸外国では考えられない光景なのだろう。

昼間っから酔っ払い、あまりケンカにもならない(たまにはあるが)身の危険を感じるような事態にはならないし、酔っ払いでも身ぐるみはがされるような事も、女子であっても襲われるような事もない。

日本はまだまだ平和だ。よくぞ日本男子(女子)にうまれけり!と思うような賑わいだ。

11時から行われる会津高校の在京同窓会に同窓会の役員として参加した。

10時に着いたのでまだ少し時間があった。ダッシュで国立西洋美術館へ。廃墟の画家ユーベル・ロベール~時間の庭~と題される展覧会を急ぎ観た。

古代ローマの遺跡、繁栄の後の廃墟を描いた不思議な風景。古代の石造りの圧倒的な建造物と今を生きる人々との奇妙な調和、まさに時間の庭に引き込まれるようだ。

駆け足鑑賞で会場へ戻る。

卆寿を迎えられる川島会長から現役大学生まで171名の在京同窓生が集った。盛大である。

総会に始まり、甲子園出場投手の黒岩正明(高12回卒)さんの会員スピーチ、さらに懇親会へと和やかな時が流れた。

窓の外には新緑の忍ばずの池辺り。緑が美しく妙に懐かしい。会津にはまだまだこの新緑は来ない。爽やかな新緑のなんと心和む事か!今年はひとしおである。思いっきり深呼吸をしたくなる。

宴もたけなわの中、現役大学生を中心とした合唱部OB、OGが、校歌、部の愛唱歌、ふるさとを披露、やんやの喝采を浴びた。若人の歌声は素晴らしい。

酒が回れば老いも若きもメートルが上がる。やがて学而会歌、凱旋歌とお決まりのコースでなお一層、会は燃え上がる。昔、応援団の老紳士、コメカミの血管が切れそうなほどだ。

目出度く、楽しく中締めとなり、午後3時過ぎには急ぎ車中の人となった。

東京に居を定め、東京に生きる諸先輩方がふるさとを思う時、必ず大きくそびえ立つ磐梯山、その山腹の猪苗代スキー場は、4月の半ばだと言うのにまだ真っ白だ。壁も国体コースも全く土が出ていない。

この冬の厳しさを物語っているような珍しい風景、しかし、春の陽を受けて磐梯の峰も心なしか微笑んだようにも見える。

・・・都会に暮らす会高生、また故郷に生きる会高生、みんなみんなにフレー、フレー、会津!そんな穏やかな日曜日であった。

2012年4月14日 (土)

可哀想な彼岸獅子

この時期になると各部署で花見を兼ねて新入職員の歓迎会が行われる。が、今年は花の方は全く咲かないので花見兼とはいかない。何カ所かに招かれるので、結構、忙しい。

昨晩のSW課には三人の新人が入った。同じ大学出身の同級生、三人とも会津出身の元気で爽やかな女性たちだ。一人が坂下、一人が高田、そして一人が市内の出身だという。

持ち込みの会津娘(上汲み)を一本、諸君らの頑張りに期待したい旨、あいさつを一言。

乾杯してすぐにグラッとひと揺れした。中通りは震度4もあったという。このところまた各地で地震があり、なんだか不気味だ。

新人たちと話していて大変に驚いた事がある。驚いたというよりもショックを受けた。

それは三人とも会津出身なのにたまたま「彼岸獅子」の話になったら「えー、なんですかそれ?」と言ったのだ。

最初はふざけてるのかと思った。が、本当らしい。特別な生い立ちではなく、ごくごく普通に高校生まで会津で過ごし、大学に進学した真面目なこども達だ。

それなのに会津でもっとも有名な伝統芸能である(と、私は思っているのだが)「彼岸獅子」を知らないという。もちろん新人諸君には何の非もないが、ちょっとショックだ。

春のお彼岸になると彼岸獅子を追いかけて歩いた事は、会津に住むこどもなら誰もが持っているの共通体験だと思っていたが、それは一体、今何歳ぐらいの人までが持っている共通体験なのだろうか?40歳ぐらいまでしかないのかなぁ・・・?

秋田ならナマハゲ、青森ならねぶた、相馬なら野馬追い、というぐらいにごくごく当たり前に話の通じる郷土の誇りだと思っていたのだが、彼岸獅子の知名度、認知度はそれほどでもないのだと改めて知らされた様で、少し彼岸獅子が可哀想になった。

歴史の街、サムライシティ、などと言いながら会津のこども達に郷土の歴史や文化を教えるための骨折りは、ちゃんとなされているのだろうか?

22歳の良識ある女性が三人、彼岸獅子を知らない。これはちょっと深刻な事態なのではないかな、と思ってしまった。

真の国際人とは英語を話せる人の事ではない。自国の歴史や文化を大切にし、他国のあり様にも尊敬と理解を示せる人の事で、国際理解が深まるような振る舞いの出来る人の事だ。

その段から言うと、郷土会津の事を知らない人は他地域の文化に対する理解や尊敬も薄いという事になる。

そういう人々ばかりがどんどん増えれば、日本人よどこへ行く?という事にもなりかねない。

若いお父さん、お母さん、可愛い子にはしっかりと郷土の事々に触れる機会をぜひつくってあげて欲しい!可哀想な彼岸獅子からもお願いします。

2012年4月12日 (木)

喧々諤々

あまり言いたくはないが、来年還暦になる。

会津高校時代の同窓生で無尽をやっている。もう三十年近くになるから(私は入って十数年)伝統の無尽だ。

無尽宿はずーっと鰻の「えびや」。他所から来た人は鰻なのになんで「えびや」なんだ?と思うらしいが、会津の人は「えびや」と言えば鰻がすぐにイメージできる。

一時、うなぎにも飽いて無尽宿を替えようかなどと言う話も出たが、このところはまったくそういう話は出なくなった。

お膳にはもちろん鰻が出るが、箸を付ける人はほとんどいなくなって、みんなうな丼にしてお持ち帰りにする、それも2つ、3つと追加注文してお土産にする。

昔は、腹が減ってお膳もろともその場で食べる者が多かったが、最近は見ない。そういった風景も還暦が近づいている証拠なのかもしれない。

同窓生が還暦を迎えると、みんなで祝い事をしたり、記念の旅行に行こうか?と言うような話が出る。我々の無尽でもご同様だ。

来年、みんなで海外にでも行こうかという話になっており、旅行幹事が決められている。口座も設けられており、いつでも好きなだけ積み立てていい事になっている。

昨晩もどこに行こう?いつにする?と、喧々諤々だ。みんなが好き勝手な事を言う。同調しようとか、話をまとめよう、などと言う姿勢がまったく見られない。

オーストラリアだシンガポールだ、もっと近い方が良い、南国が良い・・・好き勝手だ。

声の大きい奴がなお一層声を張り上げるが、同窓生なので誰も負けてない。まー、やかましいが、、こんな風に喧々諤々やるのも一つのリクリエーションであり、ストレス発散なのかもしれない。

「こんだけ好き勝手なこと言ってるのをまとめられるのはTちゃん(幹事)しかいね。」と、褒められてるのか、けなされているのか分らない。

「やっぱ、一生に一度ぐらいははラスベガスで遊びたい」「グランドキャニオンに行きたい!」と言う声は還暦記念の旅行には反映されなかったが、結局「いつかはラスベガス!」は捨てがたいと言う事になり、62歳までに別働隊で組むという案が浮上した。

『遊びをせんとや生まれけん~』ではないが、みんな遊ぶ事にはどん欲だ。

もっとも遊びにどん欲なくらいだから、仕事にもどん欲、だからこそ、この歳になって毎月無尽に集まれると言うものだ。

人生、どこかでつまづいた人は、まったく遠慮会釈のない同窓生の無尽にはなかなか出てこれなくなってしまうものだ。そんな友も何人かいる。

高校時代の同窓生と喧々諤々、口角泡を飛ばし議論、口論出来ると言う事は、それだけで幸せな事なのかもしれないと思う。(内容は非常にお粗末な事だ)

そんな想いに至るところがまた、アラ環の証しなのかもしれない。

2012年4月10日 (火)

早朝に思う

寒さがようやく和らいできた。和らいだだけで、まだ抜けたとは言い難い。

早朝5時半に、今年初めて飯盛山周辺を歩いた。さざえ堂の脇にはまだ雪が残っている。例年ならこの時期は石部桜の蕾のふくらみ具合を見に行くのだが、今年はまだまだ、全然だ。

山腹から眺める会津若松市内は朝の陽射しを浴びて、まだ眠そうだ。見渡す市内にはさすが日陰にも雪は見えない。

飯盛山から一直線、4車線の道路が会津若松駅まで伸びている。この地に居を構えてもうすぐ25年になる。当時はこの直線道路もなく、今よりは少し不便だった。

が、観光地としてはもっと賑わっていたように思う。春と共に観光シーズンが幕を開け、GWの頃は飯盛山下の道路に出るだけでも一苦労するほどの大渋滞だった。

それが、道路の整備も行き届いたせいか少し緩和された。観光客自体が減ったのかもしれない。渋滞は嫌だが、GWにスースー走れるのもなんとなく淋しい。人間はわがままなものだ。

さて、今年は一体どれほどの観光客が来てくれるものだろうか?「風評被害をぶっ飛ばせ!」キャンペーンが盛んだが、どれだけ功を奏するか?

このままだとGWと桜の満開が重なりそうだから、本来であれば凄いことになりそうなのだがどんなものか?どうせならこの際だ、凄いことになって欲しいものだ。

そんな事を考えながらおよそ40分、飯盛山の石段は寒冬の運動不足がたたり息が上がった。しばらく続けなくてはダメだ。

今週は入学式が続く。

期待に胸弾ませた新入生のあのぎこちない入場行進は微笑ましい。カチコチに緊張しているのが良く分かる。

昨日は高校、今日は看護婦学校と出席したが、感想としては、みんな真面目そうで大人しそう、だ。

見るからに悪そうだったり、ふてぶてしいような若者は全く目に付かなかった。

全体に大人しくなっているのだろうか?粒揃いと言えば聞こえはいいが、ひょっとして小粒になっているのだろうか・・・?そんな事をちらりと思った。

でも、誰もが光る原石である事は間違いない。上手に研磨し、大化けさせてくれるそんな指導者と若い魂が巡り合い、ぶつかり合い、幸福な結末を迎える・・・。

そんな物語が沢山生まれる事を、白虎隊士の墓に祈りたい。

2012年4月 9日 (月)

アーティスト

今年、アカデミー賞を総なめにした(5部門)映画「アーティスト」はなんとモノクロのサイレント映画だ。

CGだ3Dだとコンピュータ花盛りの映画界にあって、逆になんとも挑戦的な映画だ。新潟で観た。

会津を出て、途中、西会津、津川あたりの雪の多さにはビックリ、まだ地面が出ていない。吹き溜まりはメートル単位の雪、新潟平野の農作業もすごく遅れている感じがした。

高速道路の料金はコロコロと変わり、今がどうなっているのか分らなかったが、休日割引で半額と言う事だった。

土・日のどこまで行っても千円、あれはぜひ残して欲しかった。麻生太郎さんがやった一番良い政策ではないだろうか?

タダはいけない。でも千円でどこまでもはスゴクいい。遊び心も景気も刺激すると思うのだけれども、高速道路はすべてタダにすると言った民主党はそれすらも止めてしまった。復活を強く望みたい!

で、「アーティスト」の話し。本当にモノクロでサイレントだ。そう言ってるのだから当たり前だけれど、現代の映画だから思わず途中で声を出したりするんじゃないかと思ってしまう。

音楽だけが流れる。昔はこの音楽も劇場で生演奏していたわけだがそれはさすがに無理だ。

台詞は、役者の口がパクパク動くが音は無い。肝心な時に時々字幕が出て物語の流れはよく分かる。ストーリーも極めて明快だ。いかに音楽が大事で、物語を盛り上げるかも実によく分かる。

サイレントからトーキーに変わる時代のスターの凋落の物語。サイレントの大スター・ジョージ、ファンの一人だった女優の卵・ぺピー、二人は恋に落ちる。だがジョージはスターの座を転がり落ち、ぺピーは階段を駆け上っていく。

落ちぶれて酒におぼれ、やがては拳銃をくわえてしまうジョージ。でも彼は多くの愛に守られていた。去って行った運転手、スターとなったぺピー、そして愛犬アギ―の無償の愛にも・・・。

あの二人、見つめ合って抱き合うけれど一度もキスシーンがないところが、これまたいい。

アカデミー賞受賞作品と言うのは、案外面白くない映画が多い。しかし、「アーティスト」は文句なしだ。ヒューゴもブラピも蹴落としたのは納得。

役者、監督、音楽家、スタッフ、まさに才能豊かなアーティストたちの作り上げた一級の芸術品と言えるだろう。(褒めすぎ?)

と、言うのはあんなに良い映画なのに、公開二日目なのに・・・入りはガラガラ。映画の中で、ジョージが自分で作って大コケしてしまうサイレント映画の入りよりも少なかった。あれでは可哀想、応援したくなってしまう。

入場料を返せ!とは絶対にならない映画「アーティスト」!

会津からだと、おまけに交通費がかかるのが頭も懐も痛いところではあるが、お買い物、用たしのついでにどうぞ。

2012年4月 8日 (日)

退任

町内会の区長さんという大役を、週末の総会で無事終える事が出来た。大役と言っても別に偉いからなるわけではなく、持ち回りというやつだ。

加えて、細かい諸事一切は家人任せだったわけだから「あんた一体何やったの?」ってな話しではあるが、気疲れはした。

地震、放射線、除染などなど、昨年の3・11以前には全く関係も知識もなかった事柄が一気に押し寄せた。

様々な行事が中止になったり延期になったり、また復活したり、混乱した。

線量計が配られ、放射線量低減作業補助金なるものの説明会があった。こんな事はどこの区長さんも初体験の事だ。

もともと会津若松市内の放射線量は問題ないと言っておきながら、それでも心配な町内会には補助金を出すので除染してください、と言う説明会。

放射能が降ってくるなどと考えた事もなかったわけだから仕方がなかろうが、なんだかおかしな対応だ。

で、除染には表土を剥ぐのが一番、町内の公園の土をみんなで剥げば安心です。でも、その土は市では引き取れません。町内の安全な場所に集めて置いてください・・・ヘンテコな話だが、その説明会を各地で行い区長さんは役目柄、聞かなければならないのだ。

わざわざ放射能を集めてホットスポットを作るなんて、やるところあるのかなぁ?市の職員が何人もで来ての説明会、毎晩ご苦労だけど残業代も大変だろうなぁ・・・・、などと余計なことばかり考えてしまう。

その内に町内中が雪に覆われてしまい、線量も一層下がった。

そしてようやくの遅い春、今年は全市で一斉に春の川ざらいが行われる。放射能が濃縮されてあっちこっちにホットスポットが出るかも知れないが、会津の場合、それほどすごい事にはならないはず、もうあんまり騒がずに慣れるしかない。

もし、問題が起こっても無事次年度の区長さんに引き継いだので、気は楽というやつだ。

この一年、ご町内の皆さまのご協力に心から感謝申し上げまして、退任の御挨拶といたします。チャンチャン!

2012年4月 7日 (土)

スポーツ雑感

北島康介は本当にすごい。4回も連続オリンピックに出て、3回連続で金メダルを取りそうな勢いだ。29歳という年齢とうまく付き合っている感じだ。泳ぎがゆっくりで全く無駄がない、あのテクニックは高校生には到底無理だろう。

昨日の200m、泳ぎ終わって「何にも言えねぇ」と言っていたが、本当に辛くて何も言えないと言う感じだったし、まともに歩けないぐらいだった。1レースにあそこまで力を出しきられる、それが熟練のテクニックだ。真の全力を尽くすと言うやつだ。

どうしてジャイアンツはあれほどお金をかけてすごい選手を集めているのに4連続零敗なんかされてしまうのだろう?64年ぶりという不名誉な記録だ。

歯車が上手く噛み合わないだけなのか?歯車のかみ合わせがはじめからズレているのか良く分からない。しかし、周りには結構喜んでいる人もいる。

なでしこジャパンはどうしてあんなに強くなったのだろう?オリンピックで金メダルも夢じゃないという勢いだ。アメリカやブラジルに勝つ気がしない感じだったのが、負ける気がしない、になっている。

澤さんには可哀想かもしれないが、あんまりビックな人が居ない方が、例えみんな小粒でも本来以上の力が出せるのかもしれない。本来のところに素直にパスが出来るのかもしれない。

遼くんは20歳でマスターズ優勝するという夢がついえた。とは言え、小学生時代の夢だから、本気で落ち込む事はない。

それよりも去年からずっと長く勝ちきれない状態が続いてる事が心配だ。遼くんはもう勝てないのではないか?という外野スズメの声もある。そんなことあるもんか!と早めに2年越しの1勝を望みたい。

白鳳、鶴竜、みんなモンゴル人なのにどうしてあんなに日本語が流ちょうなのだろう。流ちょうというよりまるで日本人だ。琴欧州など欧州勢のたどたどしさとは違う。やはり人種による言語能力の差というのはあるのかな?

それにしても会津の空はどうしてこんなに凍えているのだろう?4月の7日なのに今日も雪が舞っている。

会津のゴルフシーズンの幕開けはこのままいけば5月になってしまうのではないだろうか、と心配になってしまう今日この頃なのである。

2012年4月 6日 (金)

多難の先へ

新しい事を始めようとすれば、前途は多難に決まっている。若者の前途は洋洋だが、楽々では決してなく多難なのだ。その多難を乗り越えてこそ、初めて洋洋とした豊かな海へ出る。

一人暮らし、料理、洗濯、ペーパー免許から実際の運転、人間関係・・・ビビり、ムズイ(というらしい)事ばかりだ。加えて山ほど新しい仕事を覚えていかなくてはならない。新人は辛く、前途多難なのだ。

へこたれるな!負けるな!と口で言うのはた易いが、現実は厳しい。

困難を乗り越えられる最大の力はやはり仲間であり、友達だろう。同じ境遇、同じ想い、同じ時間を共有できる仲間、心をシェア出来る友達がいればきっと大丈夫だ。

新しい世界に胸ときめかす新人諸君に、今年はこの春の嵐だ。今日は小・中学校の入学式だというのに会津平野には冷たい雪が舞っている。

震えているのは緊張からだけではなくて、本当に寒いからかもしれない。

まだまだスーツも制服も板に付かない新人諸君!前途多難だからこそ先輩たちは力になろうと思っているよ、きっと。頼る時は頼ればいい。教えを請うに恥じる事はない。

人一倍時間がかかり、飲みこみが悪いと呆れられたとしても、ウサギとカメの例えもあるさ。腐らずに真面目にやれば必ず道は拓ける、これだけは間違いがない!

この春は春風や、ではなく『寒風や闘志いだきて丘に立つ』の趣きだ。

どんなに心配でも誰もくっ付いて行く事も、替わってやる事も出来はしない。

「頑張れー!」と丘の上から旗を振ることぐらいしか出来ないが、君に大いなるハッピーが訪れる事を私は心から祈っています。

2012年4月 4日 (水)

辛い天気

4月なのに吹雪だ。昨日の日本列島は爆弾低気圧で大荒れ、かくして今朝の会津は吹雪である。

就活スーツを着た新入職員たちが、突風の吹きつける交差点で雪に凍えている。負けるなよ、こんな天気がいつまでも続くわけじゃない。

会津若松市内の各所には大熊町から避難して来ている人たちの仮設住宅がある。

いやー、今年の冬はきっとびっくりした事だろう。ドカ雪こそなかったが連日の低温、そして待っても待っても春が来ない。

4月4日のこんな吹雪なんて会津でも珍しいし、良くある事じゃないんです!と言い訳して回りたくなるほどだ。

冬の間、会津が雪だと浜通りは決まって晴れている。そういう、ま逆の天候の中で生まれ育てばやはり人の気質も変わるだろう。

日照時間の長さが気分に与える影響は大きい。日照時間と自殺率は反比例するという。日照時間が短くなれば自殺率が増えるという、なんとなく分る。やはり、お日様の顔を長く見ないと気が沈む。

それを考えれば、郡山に出来た子どものための屋内遊び場が、あっと言う間に入場10万人を越えた、なんていうニュースは複雑な気持ちになる。

こどもは風の子、お外の子、陽射しをいっぱいに浴びて遊びまわるのが良いに決まっている。

避難区域だった一部の地域では故郷への帰還が始まったが、天気のいい浜通りに帰っても放射線を気にして、元気なこども達が外に出られないのでは何のために帰ったのか分らなくなってしまうだろう。

誰も味わったことのない大きな人災害、将来を見通して一体なにが正解なのかは誰にも分らない。

大熊町は全町が帰宅困難地域である、と指定してもらう道を選んだ。

当面は誰も帰らない(帰れない)という選択をしたのだ。困難で、ある意味勇気ある選択だったと思う。もちろん納得できない人も少なくないだろう。

故郷へは帰れない・・・多くの人々が今も深い葛藤の中に居る。

だから、せめてお天気ぐらい辛く当たらないで!と勝手な事を願ってみたくなる今日のこの吹雪である。

2012年4月 3日 (火)

ホーホケキョ!出がけに飯盛山の鶯の初啼きを聞いた。今年はまだ冬タイヤも替えていないほど寒い朝なのに鶯は健気に啼いている。「そろそろ朝は歩きんさいよ!」そう励まされているような気にもなる。

昨日は百名を越える新入職員を迎えた。考えれば身体の十何分の一かの血液が入れ替わっているようなものだ。新しい血がもっともっと身体を元気にしてくれるように、大切に、良い血に育てなければならない。

昼、春の陽差しの中、Sさん夫婦とお茶を飲んだ。

Sさんは、もう4年ほど前になるだろうか、胸にかなり進行したがんが見つかった。手術は出来ない状態で様々な化学療法でここまで持っている。

今も比較的元気だが積極的な治療はもうない、という段階にきたのだという。いわゆる緩和ケアの領域、ターミナル期に入ったと言う事だ。

これまで首都圏の病院で治療を続けてきたが、最期は会津で、ということで準備を進めることになった。

放射線治療ですっかり髪が抜けてキャップをかぶってはいるが、思いのほか元気で、この調子ならまだまだいろんなところに出掛けても行けそうだった。

暖かくなったら九州に旧友を訪ね、出来れば地中海辺りで豪華客船のクルーズにも乗ってみたいという。

「やりたい事をやればいいし、できるお金もあるんだから幸せだよ」「まぁ、そりゃそうだ」

余命の見えている人に「幸せだ」もないかもしれないが、人は誰もが死亡率は100%だ。彼のようにああしてこれして、と自分の終わり方を考え、ある程度思い通りに準備が出来ると言うのは、やはり悪い死に方ではない。

まして奥さんも元気でそばにいる。やろうと思えば豪華客船の舳先でタイタニックの真似だって出来るんだ。

確かに平均寿命よりは少し短いが、お若くして・・・というほどでもない。

今の落ち着いた心境に至るまでには厳しく辛い治療があり、多くの葛藤や涙があったには違いない。

しかし、死を受け止めなければならない時は誰にでも来る。もちろん私にもだ。Sさんのようにこんな風にゆっくりと静かにそれが叶うなら・・・と思う、本当に。

「あそこのラーメンうまいからな、食べて帰るわ」と言ってSさん夫婦は笑った。

「ウチも子どもが帰ってくるから、その内一席設けてみんなで飲みましょう」「そうすんべそうすんべ!」

全く普段と変わらない会話、その先のお別れが少し近いと言うだけだ。

素晴らしい旅が出来ればいいね、Sさん!まるでジャック・ニコルソンの映画みたいじゃないか。

子どもも孫も元気なんだし、遺伝子を残すと言う生物としての使命もちゃんと果たした。あとは思いっきり楽しんでエンドテープを切ればいい。

ホーホケキョ!ほら何百年、何千年前と同じように今年もちゃんと鶯は啼いた。今、この世に生きている人がすべて死んで時代が変わっても、同じように春は巡り、ちゃんと鶯は啼く。

2012年4月 2日 (月)

これも売ります?

豊田市や日立市などは、そう呼ぶのに違和感のないほど、トヨタや日立に依存してきたからそういう名前になったのだろう。それはそれで土地の歴史というものだ。

会津若松市内には花春町という町名がある。名高い酒の名だ。それも、それなりの必然性があったからそうなったに違いない。

大阪のある市が、市の名前を売りに出すと言うのが話題になっている。市の財政難のために市に名前を付ける(名前を替える)権利の売り出しを検討していると言う。

いわゆるネーミングライツ、というやつだ。クリネックススタジアムとかCCレモンホール、というように命名権を売ろうというもの。買う方は宣伝になるというわけだ。

土地や人の名前には、それなりの由来、来歴がある。それを全く無視して、地名を売ろうなんてことを、まさか真剣に考えている訳ではないだろうと思う。

第一、地名を売る権利がその市にあるのかどうかも疑わしい。

テレビでナントカ評論家が、もし売るとしたら3億~4億円程度ではないか?と言っていた。その程度なら「チンジャオロース市にしよう!」なんて人が居ないとも限らない。

きっと洒落か、そうでなければ何らかの戦略があっての事なのだろう。

結果、テレビでこれだけ話題になればすでに目的達成で、売名として充分元は取れたかもしれない。もし、そうだとすればかなりの「したたか市」ということになる。

これとは違うが、市町村合併をすると土地の古い名前が消えて、なんだかどこかで聞いたような名前になってしまったりする。

美郷町とか美野里町とか、様々な方面に角が立たないようにすると、妙につまらない、なんとも個性のない名前になってしまう事が多いものだ。

土地の名前は先祖から受け継いだ宝だ。人の名前は親からもらった愛だ。

あだやおろそかに売り物にはしない方が、私は良いと思う。

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